un capodoglio d'avorio
2003年04月27日(日) |
つか「熱海殺人事件 モンテカルロイリュージョン」(愛の重量挙げ)1 |
北とぴあにてソワレ、楽日観劇、前から三列目の特等席。 去年、阿部寛が主演した「熱海・モンテ」の脚本、それを若干改訂し、 <木村伝兵衛=元・棒高跳びの選手>という設定が、 <木村伝兵衛=元・重量挙げの選手>となっている。
木村伝兵衛部長刑事:友部康志 速水健作刑事 :嶋祐一郎 容疑者大山金太郎 :吉田 学 水野朋子婦人警官 :森ほさち
もちろんこの改訂は、 友部サンとあべチャンの役者としての資質の違いに拠っている。 つまりあべチャンのスタイルの良さに対して、 友部サンの恰幅ばつぐんのあんこ型体型、ということ。 でもそれ以外のプロットの基本は全く変更は無かった。
そもそも、阿部寛というスターを前提にした100%あて書きのこの脚本、 やはりハッピーエンドの成立には役者の「華」に負うところがとても大きい。 あえてどかは言っちゃうけれど、やっぱり「熱海・モンテ」は、 「すたあサンじゃなきゃやっちゃいけない脚本」なんじゃないかなあ。 その代わり「華」がきちんとその役割を果たしたときは、 計り知れないカタルシスが保証されるのだけれど。
大ブレーキだったのは、水野役の森ほさちサン、辛い。 もとヅカジェンヌだと聞いたんだけどなー、宝塚って発声やらないの? 全然、舞台で通用する発声じゃなかった、あれじゃあテレビどまり。 カツゼツはいいんだけれど、 声帯をつぶして出す声はキンキンとしか響かない。 演技も、ちょっと、有り体すぎる、ステロタイプな感じ。 つか芝居の演出は割とクラシカルだったりするんだけれど、 でも、あれは相手のメッセージを受け止めて自分のメッセージを発信する、 という極めて有機的な役者同志のコミュニケーションがあってこそ。 単に段取りだけをおさえて、細かく感情を「表現」しようと思っても、 生のステージでは間が保てません。
水野 私、待ちます 何年でも、何十年でも、待ちます
速水 水野さん、待ちますって言ってもね、 あいつは男にしか興味のない男なんですよ
水野 好きになった人ですから
速水 死刑台に送り込まれたらどうするんです
水野 私も死にます
といういいシーン、でも段取りおっかけて精一杯のお嬢ちゃんからは、 伝兵衛への「愛」はまったく感じられない。 ああ、イイシーンなのに、流れちゃう・・・ もったいないなあ、お顔はすっごい美しいのにな、美人サンなのにな。 で、このシーンで水野を追いつめたのが速水役の嶋サン。 嶋サンは北区のリーダーさんみたい、いま。 どかがいままで好きで無かった理由は、立ち姿とカツゼツ。 でも今回は、嶋サンのキャリアが辛うじて「物語」を繋いでくれた感じ。 今回の舞台でイイ意味で「遊べ」たのは彼の速水だけだった、貴重。 前半、いっぱいいっぱいだった友部伝兵衛を良く助けて、 流れをキープしてくれたのね、プラスアルファの価値があったわけじゃないけど。
(続く)
|