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un capodoglio d'avorio
| 2003年03月23日(日) |
野島伸司「高校教師('03)」ラストシーン・瓢湖 |
最終話において、瓢湖は二度、登場する。1度目は、藤村先生の葬儀と重ねられたシーン、バックには「仰げば尊し」が流れる。いま思うと、藤村も「恋愛」ではなく「依存」こそを矜持としていたのかと思う。10年前に女生徒への陵辱を繰り返した背景が初めて明らかになる、藤村もまた、いつわりなくうつろいもしない「真の繋がり」を原子レベルに探して疾走したの。その疾走途上での、必要悪としての、レイプ。いつしか、その「真の繋がり」を探すことをあきらめ、足を止めた瞬間、彼を襲ったのは絶望的な罪の意識。紅子がいたヘルスの個室は、彼にとって教会の懺悔室だった。そうして罪は裁かれ、命を落とす藤村。
でも、藤村の陵辱を知ってなお、葬儀で「仰げば尊し」を歌う紅子。ああ、ホントに彼女は聖母だねーって思ってたら、なんと絵美までそれに唱和する。これはすごいなーって。彼女こそ、原子レベルの真の繋がりを宿した、藤村にとっての永遠だったのな。その瞬間、合わさる瓢湖の白鳥のシーン。涙腺、崩壊。ある種の人にとっては、死ぬこと自体は不幸なんじゃない。いつわりとうつろいのなか、時間を生きることこそ、不幸なのだ。藤村先生は、そうして永遠の安らぎを得た。郁己はしかし、その藤村先生の安らぎをまだ、この時点で知らなかった・・・
さて、土管のシーンの後、郁己を乗せたヘリコプターは、夕日に向かって、まっすぐ飛んでいき、そこに重ねられて、一昨日引用した、最後のモノローグ。夕日というのは、これまでの展開の中で「死」「無」という象徴として使われていた。そしてモノローグにもあるけれど、
郁己 たとえ二人が、何億光年引き離されたとしても
なのだから、いろいろ議論がある、郁己の生死については、間違いなく、死んだのだと思う。はっきりとした描写や言葉はもちろん無いけれど、この前後のコンテクストから、すれば、完治した可能性はゼロである。ただ、ほんの少しはその後余命を伸ばしたのかなという気はする。雛との双方向の完全な「依存」・ミニマムな「愛」を達成したご褒美に、神はそのくらいしてもいいんじゃないかと思うから。いるとすればだけど>神が。
さて、1年後(これは絶対、一年経った後だ)、ラストシーン、問題の瓢湖の場面。ここで、雛は後を追って死んだのか、死んでないのか、他の男と幸せになっていく可能性はあるのか、二人三脚で一等になるのか、それともずっと一人で生きるのか。野島伸司フリークサイトのBBSは百花繚乱、すさまじい深度での読み込みが進められている。で、どかなりの意見。まず、郁己は死んでいる。これは前提。そして、雛は、このあと、入水自死を図ったと思う。その理由はこれまで述べたとおり。
雛 ・・・やくそくしたらずっとそばにいていい?
土管の中の雛の約束は、彼女にとっては、死んだ後も、ずーっと一緒にいるよ。っていう静かな事実を意味していたのだから。第七話かな?橘が「依存は内に篭もる、排他的で、希望がない」みたいな分析をしたけれど、それはその通り。ただひっくり返すと「内面静かに深められる、2人だけで、永遠の」と読み替えられる。もちろん、世にはびこる、虫ずが走るような全ての「依存」を当てはめるわけではないけれど、少なくとも、雛は、ここで永遠の「依存」を志向した。希望はないし、未来もない。だって、すでに彼女は満たされており、一瞬の永遠にあるから時間の経過も無関係。
もちろん、半ば、宗教的な領域のテーマになる。かつ、現世での幸せを否定しているから、危険なドラマとも言える。でもそうだろうか?こんな表層を滑り続ける「享楽と諦観」にまみれた世界だから、結局、戦争をとめることができなかったんじゃないのか。自分の内面をじっくり深めて見ていくことをしなかったから、他人への想像力が、どんどん退化していったんじゃないのか。郁己は死に、雛も後を追って、死んだ。しかし、これはハッピーエンドである。唯一、「永遠と真実」の名においてのみ、これは明らかなハッピーエンドだと思う。そう、思うの、どかわ。
そして・・・
そして、ラストシーン。白鳥で埋まった湖面を見つめる雛。白と水色が混ざった色のマフラーになってる。最初は黄色のマフラーをずっとしていた。10話で雛は灰色のマフラーになった。ひよこ(黄色)から、幼鳥(グレー)になり、最後に美しい白鳥(白)になってスワンレイク(水色)にたどり着いたのね。そして手には制服とネクタイをつけたテルテル3号と4号。回想で、郁己と一緒に瓢湖を訪れた時の会話が挿入される。
雛 先生、奇跡って信じる?
郁己 否定するね、数学者や物理学者は特に
雛 わたしは、信じる
郁己 君は何でも信じるから
かつて、火葬されて死んだ人間が、炭素になって、宇宙空間をさまよい、再び一人の人間と会える可能性を計算した郁己。今度は雛が、その可能性を、信じる。この切ないユーモアに満ちた温かい会話とともに、雛は足を進める・・・双方向の「依存」。
この時の雛の、穏やかな顔。そして、ヘリコプターが飛び立つ直前の、郁己と見つめ合う、雛の顔は、ほんとうに美しい。そこには時間も止まって、希望もないけれど、そこには永遠と真実があった。
最後にもう一度、ラストのモノローグをかみしめたい。
たとえそれが恋でも愛でもないのだとしても 君が僕を望む限り 僕が君を望む限り I NEED YOUと望むかぎり
この2つのシーンの雛の顔は、忘れられない。
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