un capodoglio d'avorio
2003年03月24日(月) |
野島伸司「高校教師('03)」いいドラマって |
例えば、多くの人が指摘したように、 CX系のドラマ「僕が生きる道」のくさなぎクンとこのドラマの藤木直人サンは、 余命僅かと宣告された、高校の先生というかなりタイトなディテールまで、 類似するという偶然が重なった。 さらに「伝説のドラマの続編」などと話題先行で盛り上がったTBSが、 結局野島ドラマ史上最低の平均視聴率に終わったことに対して、 プロモーションはあまりパッとしなかったものの、 CXのくさなぎクンは20パーセントを超える視聴率を最終回にたたき出した (ちなみに「高校教師」は11パーセント)。 どかもラスト3話ぐらいから何となく「僕が生きる道」を見てたの。 くさなぎクンはジャニーズでダントツ一番、役者の才能、あると思ってたし。
くさなぎクンのパセティックな演技、やつれた顔をつくるまでのダイエット。 そして最後は、仰げば尊しでシャンシャンシャン♪ 分かりやすいテーマに、分かりやすい映像、明快なラスト、SMAPの主題歌。 終わってみればその構成要素は、全てヒットに繋がるものばかりで、 不安要素は余り無かったことが分かるの。 CXドラマ編成部の戦略的勝利と言える(月9ではこけたけど)。
逆にTBSは、かなりの痛手をこうむっただろうなー。 「GOOD LUCK」が視聴率ではダントツNO.1を勝ち得たから、 表向きの体裁は保つことができたんだけど。 と、言うことは、TBSというより野島伸司個人が、痛いのかしら。 あまりにオリジナルで哲学的な思念をそのテーマとする作風は、 もはやこの「疲れた」日本では受けないのだろうか?
重ねて言うけれど、視聴率はあくまで指標にすぎない。 でも、どかは野島伸司という作家を絶対支持したいから、 なおさら、視聴率というものは看過できないファクターであると思うの。 「数字」が取れなければ、次作のプロダクションに向けて、予算が削られる。 予算が削られれば、イイ役者を揃えられない、撮影にも時間をかけられない、 スポンサーからの要請に応えて脚本も方針変更を迫られる、 結果、野島ドラマのクオリティが下がってしまう・・・ そんなのは、絶対、やだの。
○ 考察・対「GOOD LUCK」編
「GOOD LUCK」:木村拓哉・堤真一・柴咲コウ・黒木瞳・竹中直人 という圧倒的なポピュラリティを背景にした布陣に対して、 「高校教師」:藤木直人・上戸彩・蒼井優・京本政樹 という布陣は明らかに、その線では見劣りがしてしまう。 実際に主演の2人は野島ドラマをよく「咀嚼」して、 野島ワールドへの優れた適応力を見せたし、評価されるべき演技だったと思う。
でも、それとこれとは話が別なのだ。
○ 考察・対「僕が生きる道」編
「僕が生きる道」との数字上の差がついてしまったのは、 ひとえに「テーマの明快さ」の差によるものだと思う。 第1話スタート時点では、それほど差がなかったのに、 最終回終わり時点での差が生まれたのは、 考えようによっては「GOOD LUCK」の事例よりも、辛い結果かも知れない。 「テーマの掘り下げ、生死の境のリアリティ」では、 圧倒的に「高校教師」に分があったし、くさなぎクンの演技はある意味マンガだった。
でも、それとこれとは話が別なのだ。
じゃあ、もう一つ、おまけ。 実はやっぱり、これが一番辛かったかも。
○ 考察・対「日テレ・金曜ロードショー」編
金曜22:00「高校教師」の裏に日テレはことごとく、 強力な映画、特にジブリ作品をぶつけてきた。 覚えてるだけでも、 「インディペンデンスディ」「シックスセンス」「バックトゥザフューチャー3」 「千と千尋の神隠し」「もののけ姫」「天空の城ラピュタ」等。 とくに「千と千尋」は瞬間最大視聴率は テレビ史上最高(映画部門)の、46.9%!!! 他のドラマのサブミッション攻撃よりも、この日テレの直接打撃が、 一番響いた気がするな、どかとしては。
視聴率なんか、関係ないよっ、とはとても言い切れない。 木村拓哉のいっつもいつも変わらない同じ演技に救われる人や、 「僕が生きる道」のシャンシャンシャン♪に癒される人を否定もしない。 でもね。 見終わった後に、何が残っているのか、そおいうのを冷静に、 自分と対話しながら考えてみたときにね、この2つのドラマって、 ドラマがオンエアされてる瞬間はそりゃあ、気持ちいいリフレッシュを 届けてくれるかもしれないけれど、終わったらそれまでじゃん。
本当に良いドラマというのは、最終回で 「はい、シャンシャンシャン♪」みたいに終わって視聴者の中で リセットされるようなのではなく、最終回エンドロールのあとから、 何かしら視聴者の中で始まっていくもの、 「化学反応」がじわじわ起こっていくものだと思うの。 短絡的に余韻にひたるという意味ではなく、ね。
例えば、いま、どかは、雛はもしかしたら、死ななかったかも知れない。 ってまた、考えてたりするの。 雛にとって、また、必ず郁己と巡り会うという可能性、 それは郁己が計算したように、決してゼロではない可能性を まっすぐ信じるのであれば、一年経ってすぐに現世を諦めて 会いに行こうとはしないかもしれないなって。 例えば、目の前にいる白鳥の中に、郁己の存在を感じているかも知れないし。 永遠とか真実とかって、なんだろーねって、ぼんやり考えていくこと。 どかが今までいろんなドラマを見てきた中で、野島脚本ほど、 この「化学反応」が濃密に始まるドラマをどかは他に知らない。
「私はドラマを、単なる気分転換にしか思ってません」 「私は永遠とか真実とかって、怖いから、目をふさぎます」 って言う人のが、圧倒的多数なのも、じゅうぶん分かってるんだけど。
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