un capodoglio d'avorio
2003年03月19日(水) |
Bowling for Columbine 2 |
マット・ストーンやマリリン・マンソンといった、意表をついたキャスティングだけれど、そしてマイケル・ムーアの語り口も神妙といった感じでは無くてむしろ軽薄そのものなんだけど、だからこそ鮮烈に立ち上がる、アメリカの病巣。どかが一番この作品に好感を持ったのは、マイケル・ムーアは自分の逡巡すらも(それは演出された逡巡ではなく)正直に映像に落としていることだ。当初、彼はアメリカに流通している銃の絶対量がそのまま悲劇に結びついているのだという直感を持っていた。
そしてそれは確かに正しかった。つまり、世の識者や有名人はワイドショーなんかでこのコロンバインの事件を評して、映画やテレビ・ゲームに氾濫する暴力、家庭の崩壊、高い失業率、アメリカが建国以来たどってきた暴力的歴史、そんな要因が上げられて、メディアは大騒ぎ。みんななぜか銃が簡単に手に入ってしまうというただ一つの事実には目をつむって、それ以外の原因を探そうと躍起になってるようにしか、マイケル・ムーアには見えなかった。実際、暴力的なゲームの大部分を制作しているのは日本、家庭の崩壊を言えばイギリスのほうがもっと悲惨、失業率で言えばカナダがより最悪、暴力的な歴史を問うならばヒットラーはどうなるのか。しかし、日本やイギリス、カナダ、ドイツでは銃による殺人はほとんど起こっていない。このあたりの推論を映像によって裏付けていく手腕は、一流のジャーナリストを思わせる。
しかし、一点、問題が残った。カナダにも、同じように銃が多数、一般社会に流通しているのだ。しかし、カナダでの銃犯罪はきわめて少ない。銃の総数だけが、問題ではなかった。この発見に一瞬、逡巡するムーアを見て、観客もそれにひきこまれる「なんでやろ?」。そしてそこから、彼は一つの暗い繋がりを発見する。KKKとNRA(全米ライフル協会)である。「人種差別と銃の繋がり」が、恐怖を生む根底に潜んでいる。恐怖が生まれれば、それを消費に繋げる力が働く(マンソン)。そして実際に街のホームセンターで、弾丸や銃は簡単に購入できる。この構造が見えたマイケル・ムーアは、最後にターゲットを2つ、設定する。
1つはアメリカ大手チェーンのKマート。2人の少年もここで弾丸を買った。マイケル・ムーアは、実に巧妙な手口で、Kマートで弾丸を販売させることを差し止めることに成功!ジャーナリストとは恐ろしい力を持ってるなあと実感。でもそれよりも先に感動が来るんだけど。さあ「消費」の一角は崩した。あとは「恐怖」。
最後のターゲットはNRAの会長・そしてハリウッドの名優チャールトン・ヘストンである。マイケル・ムーアは例によって、アポ無しで突撃取材。懐には入ってインタビューをはじめることに成功する!・・・でも、この映像が、一番、悲しかった。悲しいっつうか、哀れで笑ける。チャールトン・ヘストンは、ほんっとに知性のかけらもなかった。バカ丸出し。苦しまぎれにウソをついたり、品性の欠如している嘲笑の表情を見せたり、もう、白痴。この言葉があまりよろしくないと知っていて、でも、白痴。自分の言説の自己矛盾をあっさりマイケル・ムーアに突かれて、おたおた逃げ出すシーンは見物である。
あの、チャールトン・ヘストンだよ!まじ、間抜け。どのツラ下げて紅海割ったんだか。どのツラ下げて馬四頭立ての戦車に乗ってたんだか。まじ、笑える。いやー「十戒」や「ベンハー」の値打ち、下げたねー、自分で。というか、マイケル・ムーアのインタビューの手腕はすごい。相手のペースに一度しっかり乗っておいて、鮮やかにあいての欺瞞を突くのは小気味良い。だから、笑えるんだわ。・・・そして、これがヘストンじゃあなくてブッシュでも、おんなじ結果になったんだろうなって。
もちろん、笑ってるだけじゃあダメで、結局NRAは何ら反省の色を示さず、自己批判どころか他人からの批判すら全く耳に入れないわけで、間抜けで哀れな姿だけれど、「恐怖」はまだ厳然とそこにあるわけで。で、この映画は実際は、この対イラク作戦はおろか、例の9.11以前にすでにクランクアップしていたのね。でも、その説得力は、悲しいことだけれど、忌むべきことだけれど、むしろどんどん、増していく。
だって、チャールトン・ヘストンの哀れな背中に宿っていた「恐怖」が、ひたすら拡大再生産を繰り返して、きょうを迎えてしまったんだから。どんどん弾丸、ではなく爆弾を落っことせば、そこにまた「消費」が生まれて。きょうのこの日を予言していたかのような、「恐怖」と「消費」の繋がりの縮図。彼は映像の中で、自分ではいっさい語らない。語っていたのは、インタビューされた人たちだ。それでも、いや、だからこその、この娯楽性とリアリティ。もう一度言います。
この映画は、いま、絶対観た方がいい、 お薦めのエンターテイメントです。 笑えるし泣けるし、その辺のCG満載のハリウッド観るよりも、 絶対、満足できます。 世界規模の「恐怖」と「消費」の連鎖反応が、彼地で起こったとしても、 私たちは素晴らしいことに、この映画を観る権利が残されいて、 笑って、泣けたら、それだけで立派すぎるくらい「反戦運動」です (どか)。
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