un capodoglio d'avorio
きのう、某大学の研究室を訪ねた。 待ち合わせをしていたどかの知り合いの方があいにく来られなかったので、 結局、ほとんど徒手空拳な感じになって、びっくり。 でも、それが段々楽しくなってきた感じ。
専門的な情報収集という点ではもちろん、実りのある時間だったんだけど、 それ以上に、楽しかったのは、自分がひとり、 全くの未知の存在としてある集団に入っていったときに、 その構成員がどんな化学反応を見せるのか。 そしてその反応は経過的にどのように変化していくのか。 そんな感情と心情の流れを客観的に観察する余裕。 これってば、きっと、オリザから学んだことなのな。
だって、きのうのその研究室ってば、 「まるで、青年団の舞台みたい」だったんだもん。 その場にいない人の話題や、お互いの存在を重ね合わせるダイアローグ、 あっちとこっちで起こる同時多発会話や、ある種の誤解に起因する滑稽さ。 たまたま昨日は学部生の卒論締め切り日でもあり、 そんな<ドラマチックな日常>を一つの場所で、淡々と眺めることの、 そんななんやかや、全部が、まるで。
まだ、ダイアローグを成立させるために役立ったというレベルでは、 決して無いんだけれど。 でも、青年団の舞台を見続けていることが実生活のなかで、 明らかに何かしらの効果を生んでいるのは多分本当。 んー、平田オリザという芸術家は、あながち、 ただのビッグマウスというわけではなかったんねー。 「単純な」エンターテイメントとしての価値以上のものを、実感。
それはそうと、その研究室のヒトたちはセンセイも含めて、 みんなとてもどかに好意的に接してくれて、ありがたかった。 さ、これからこれから。
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