un capodoglio d'avorio
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2003年01月30日(木) 観世文庫第三回公演「能(世阿弥本による)弱法師」

ある日思い立って、何とかチケット取れて、能を観にいくことに。チケ代も安かったと思う。




会場は観世能楽堂、京王線「神泉」から薄暮のなか歩き始めたんやけど、久々に東京で迷子になるどか。懐かしいこの「心細さ」、ってかアセったー、着かへんかと思った。ホンマにふっつうの(高級)住宅地の中にあって、わかりにくいよ、ここー。建物自体も割とふっつうやしー。


観世文庫とは、能の一大流派である観世流の方々が、能の普及と保存を謳って設立した団体、今回はその第3回自主公演らしい。演目は狂言が「宝の槌」、能が「(世阿弥本による)弱法師」。

狂言は割愛、結構笑えて楽しかったけど、オチがわからんくて悔しかった。

さて「お能」である。どかはこれが2回目の観賞経験。1回目は確か中学生の時に、大阪で課外授業みたいな感じで観たやつ。確かそんときの演目は「葵の上」だった。周りの席の友人が爆睡して全滅だったのに、なぜかどかは眠くならず、かといってエキサイティングだったかというとそうでもなく、ひたすらボォッと舞台上で起こっていた「何かしら」を眺めてた気が。

それから15年近くたって、けれどもそのころとなにも変われない自分を、改めて発見することになったの。というか、まず能とは「ひたるもの」であるという定義を心に刻んだどか。

シテの俊徳丸は、観世流26代宗家の観世清和さん。なんだか聞いたことある名前だし、何より「宗家」という響きに弱い<ナンチャッテ権威主義>などか、期待してしまう。しかして宗家サマ、お声が素晴らしく麗しいの。単純に声量があるとか、単純に澄んでいるとかいうわけではなく、独特な響き方をしていた。それは、他のツレやワキのヒトと比べてもすぐわかる。お面を当てていてもその奥から朗々と聞こえてくる声は、二人の声が合わさったかのような深い感じ。

あと、立ち姿が過不足無く、そこにスゥっとただ「いる」という感じ。たとえば今回の俊徳丸は盲目で杖を持っているという役なのだけれど、その杖をついているときと杖を落としたとき、いすに腰掛けたとき、クライマックスにその見えないはずの目にはるか彼方の遠望が映った瞬間に感極まって駆け出すとき、その時々のたたずまいがスンッと身に沁みる。派手なアクションをしなくても、説得力を持ってヒトの内面を語ってしまうこれは、すごいなと思う。どか自身も民俗芸能で普段から身体を使っていることは、確かに身体表現への感覚を鋭敏にしているのだねという実感も、発見だった、少し嬉しい。

また、笛や小鼓、大鼓などの囃子方は、掛け値なしに楽しめた。能管の音、好きー。あの「カーンッ」と物理的に額をヒットしてくる硬質な衝撃波。ああ、もう、たまんないッス。そんで、最初はその三つの楽器が、それぞれ自分のパートを演奏しているバラバラな音の集合なのだけれど、シテやツレが出てきて、地謡がテキストを謡い始めて、そんで、ある瞬間から、そのバラバラな音の集合が、集合ではなく、一つのまとまった雰囲気で能舞台を染め上げていくマジックは香気高い巻き込み力を発動。このマジックの湖面に自分の身体をたゆたえて、俊徳丸の内面を想像するだに心地よい時間は過ぎていく。

一方で、反省も。ほとんど予習をしていかなかったので、細かいストーリーをおさえられてなかったどか。それって、やっぱり、何かを損している気分になったりするのな「いまの台詞って何言ったんやろ?」って。そんでそんな風に自分のなかの流れが中断してしまうと、マジックが薄れてきてしまって、すごい、もったいない。そやさかい、能を観るときは、今度はちゃんと「謡い」を予習してから行こう!と心に誓うどか。逆に言うと、それくらい労力をはらってもいいくらいの価値がそこにあると確信できたということだね。うん、どかは歌舞伎よりも文楽よりも狂言よりも能がフィットしてる気がした。歌舞伎や文楽は、かつてどかも爆睡したもんなあ。

そして蛇足だけれど、なんと、能楽堂で芸能研の耕チャンと遭遇したの!びっっっくりしたー、まさかねーって。向こうもかなりビックリしてたけど。昨日、芸能研の練習で会ったばっかしやけど、それでも予期せぬ出会いというのはエキサイティング。公演後、耕チャンのお連れの二人と一緒に渋谷に出て、どじょうを食す。あの西原理恵子の「裏ミシュラン」にも登場した「駒形」の渋谷店にて<どぜう鍋>に<どぜう汁>・・・。思ったほど、エグくなかったけれど、でもあのルックスは・・・。思い出しても、うううう。大阪人は絶対食わへんで、これわあ。

・・・ま、せっかくの遭遇だし、良しとしよう。経験だ、経験。


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