un capodoglio d'avorio
2002年11月09日(土) |
Rd.16 SPAIN/Valencia(続) |
モータースポーツはシーズン終了間際から、来シーズンの契約が大きなトピック。 良い成績を残しているライダーはまだしも不調のシーズンを送ったライダーは、 自分の乗るマシンを確保するために、タフな期間を送る事を要求される。 そして原田とて、例外ではなかったのだ。
原田の今期在籍したチームは来期、RC211Vを一台走らせることを発表した。 ホンダのワークスチームではないサテライトのチームで、そんなに余裕はないのだ。 そして、ヤマハのエース、ビアッジがこのチームへの移籍が決定した。 チーム自体は、原田を放出するつもりは無いと宣言するも、 事実上原田が、MOTO-GPクラスで走る望みは絶たれていたのだ。
寂しい引退会見では、あの「デビル」原田が涙に暮れるシーンがあった。
憧れのNSR500にも乗る事ができたし、このチームには満足していた。 ただ、今までとは違うということは分かっていたが、 自分の思うようにマシンのセッティングを進められなかったのは辛かった。
このコメントの真意は、今までワークスのエースライダーとして、 自分が勝つためのマシン作りを進められたのに、 サテライトチームではそれができなかったという心情告白だ。 原田は自分が勝つためにはどこまでも自分を追い込んでいく。 その代わり、周囲にも万全のサポートを常に要求してきた。 この「勝利のスパイラル」が崩れたから原田はマシンを降りる決意をしたのだ。 はっきり言って、原田の実績があればまだまだ現役でGPライダーは続けられる。 GP250クラスならイイチームにも入れるだろうし彼の人気は日本以外では、 きわめて高いのだ、依然、いまでも。 それは原田のオフィシャルページでも彼は語っていて・・・
自らの精神的、肉体的衰えが原因ではなく、勝つための体制を整えられないこと。 そんな体制で現役を続ける事に意義を見いだせなかった。
自分は、勝つために、走る。 言葉にしてしまったときの、何と軽く響いてしまうことだろう・・・
でもねー、どかの中であの会見で一番感動的だったのは「憧れのNSR500にも・・・」。 ああ、この人は、本当にホンダで走りたかったんだなあ。 子供みたいな憧れが、ずーっと彼の中で息づいていたんだ。 なのに、ホンダは・・・
どこまでも成熟した大人の「確信」とどこまでも無邪気な子供の「憧憬」、 その美しいバランスの綱渡りの果てに見せたあの涙。 どかが最も敬愛したスポーツ選手が、ついに去っていく。 でも「精神の輝き」が裏打ちした思い出は色褪せることは、無い、ぞぉ。
そうそう、第十六戦、いまいちつまんなかった。 バロスくん、大張り切り、ロッシ先生詰め切れず、そんだけ。
Moto-GP Rd.16 SPAIN/Valencia 1位:アレックス・バロス HONDA 2位:ヴァレンティーノ・ロッシ HONDA 3位:マックス・ビアッジ YAMAHA
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