un capodoglio d'avorio
松本のぶう氏、山形遠征のためにいったん上京、どかんちに逗留。 YORKに一緒に行ったあまねと合流、久しぶりに夕食を一緒にする。 この三人で会うのって、ごっつい久しぶり、何年ぶりかしら。
っていうか、あまねの状況の変化にことごとく驚くも「あんまし、変わらんねえ」、 って言ったら「いや、君も変わってないよ」って。 ぶうも変わってないのは一目瞭然だし、ああ「変わらない変われない」三人なのかな。 でも、三人とも実はそれぞれ判っている。 「全く変わらない」ということは有り得なくて「変わっていない」とすれば、 それは意志の力。 自分の中で守りたい部分を守ってきたそれぞれの努力への表彰の乾杯だ。
その後二人はどかんちに来て少しだけ飲んで、うだうだ。 確かに・・・YORKにいた頃の雰囲気、感じ、そんなのが戻ってくるみたい。 軽いめまいがするような(飲み過ぎではなく、あくまで)。 そんなのでOASISの1st.とか聞いちゃうからもう、ぐるぐる。
でも、そんなにイヤな気はしない。 だってそれぞれが過去にすがってる訳ではなく、 それとの距離感を冷静に把握して楽しめるくらいには大人になったからだ。 ・・・だと思う。 ・・・だよね? ・・・うん。 気のおけなかった友人と久々に会って、ああ、まだ気がおけないねと確認する事は、 何よりも喜ばしい事だとどかは思う、きっと孔子だって賛成するはずだ。 あっという間に日付が変わって、 ぶうは割と早くにダウンしてぐーぐー軽イビキをかいていて、 それを尻目にあまねと二人うだうだを続けていたら・・・ ・・・あ、そうだ、今日わたしってばドライバーやんか! ごほごほ。
でもね、この時間はね、必要だったんだってばさ。 神かけて(孔子にかけて)誓うんさ、うん。
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