un capodoglio d'avorio
佐瀬稔の文章は、松本大洋の作画に似ている。 世代も違うし分野も違う、扱うテーマも全く違うように見える。 でも、どかはどちらの表現様式も、磨き抜かれた強さがあると思う。
佐瀬稔はフリーランスのジャーナリスト、そしてスポーツライターの草分け。 以前にも触れたが、その対象として扱うジャンルは、登山家とボクサー・・・
5年の間に、試合場の後楽園ホールに若い男性客が目立って増えている。 彼らは、危険が襲ってくる方へあえて身を投げてパンチをかわし、 必殺の右ストレートに名誉と自尊をかける同世代の精神の構えに、 心からの共感を表現した。 洗練の技巧を支える勇気を賞賛した。 だからこそ、逆転KO勝ちのあとは涙を流した (佐瀬稔著「彼らの誇りと勇気について」)。
これは高橋直人というかつて80年代後半から90年代初めにかけて活躍した、 不世出の「天才」を扱った作品の一節だ、とことん非凡だと思う。 佐瀬さんは決してボクシングについてのみを語ろうとしているのではない。 登山についてのみを解きあかそうとしているのではない。 もっと先の、普遍に存在している「精神」のあり方について書いているのだ。
佐瀬さんはK-1には見向きもしなかった。 晩年、スポーツノンフィクションが徐々に人気を博す時勢が訪れたときも、 淡々と、登山というマイナーな分野にこだわって物し続けた。
つまり・・・そういうことだ。
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