un capodoglio d'avorio
例えば以前は、全然衣装なんて着けなくてもかまわない。 って思っていた。 自分はヒトに見てもらうために踊るのではないし、 自分はヒトに認められるために踊るのではない。 自分はじぶんで踊りたいのだから踊るのだし、 そこには他人の目が無くてはいけないなどとは思わない。
・・・こういうと必ず反論があって、 そんな「じこちゅー」でいいのかって・・・ でも、どかは思うに中途半端な「じこちゅー」ならいざ知らず、 本当にぴかぴかに磨き上げた正真正銘の「じこちゅー」なら、 それなりに存在してても許されるのでは無いか。 どこで自分のゴールを設定するのか、 そもそもゴールは設定すべきものなのか。 北極星を頼りに北に北に航海を進める夜の大海原の筏のイメージ? 別に、北極星があればいいのであってそこに、 「どかさーん、応援してるわーん」なんて黄色い声援がいるのか。 なんて。
でも、最近は、衣装を着けて踊りたいという気持ちが強くなってきた。 それは別に、見られたい、認められたいという欲求ではない。 でも、衣装の「束縛」を克服したい。 というフィジカルな壁への挑戦欲というのでも無いみたい。 なんやろ? うまく言われへんけど。 でも、衣装着けて見たいと思う、少しね。
そんなわけで次の土曜日は楽しみだったりしている。
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