un capodoglio d'avorio
2002年03月22日(金) |
いのうえひでのり「天保十二年のシェイクスピア」1 |
演劇界における今年度上半期の屈指の大イベントであるこの舞台。 プレス発表の内容からして「お祭りだなあ」と思っていたけれど見終わったら尚更、 「お祭りやん、ほんまに」と頷かざるを得ない、悪い意味でも。 大御所の井上ひさしの脚本を、第三舞台の鴻上尚史が企画監修し、新感線のいのうえひでのりが演出。 このスタッフ陣で既にもう訳が分かんないくらいなのだが、さらにキャストはと言うと、圧倒!
劇団☆新感線の金看板・古田新太 / 大人計画のエース・阿部サダヲ / 第三舞台の飛び道具・池田成志 / つか子飼いの激情・山本亨 / 鴻上や野田で活躍・西牟田恵・・・ そして何と主演に劇団キャラメルボックスのプリンス・上川隆也!! このキャスト表を前にして、高揚しない小劇場ファンがいるとしたら、もはやモグリだ。 上川は凄いという噂を聞いていてもキャラメルは嫌いだし、古田は好きだけれど新感線嫌いだし、 脇を固める新感線メンバーには嫌気がさすし、なにより生演奏といのうえ演出と聞いて、 鼻の奥がすっぱくなるくらい苦手な構えだったのだが、 この豪華絢爛なメインキャスト陣ならきっと絶望から救ってくれる。 そう信じて観に行った。
ストーリー。 もはや書けません、凄すぎる。 初演は74年、若かりし井上ひさしが4時間半の脚本に詰め込んだ、シェークスピアの作品37本。 今回はそれの縮訳版だけれどそれでも3時間。 主人公の上川は「リチャード?世」がモデルの極悪人「佐渡の三世次」。 彼を縦軸に「マクベス」やら「ハムレット」やら「ロミオとジュリエット」やらの モデルや名場面が横糸としてからんでくる。 そう書くとなんだか収拾がつかなくてバラバラな印象だけど、 話としてまとまっているのが、井上ひさしの天才だ。 ほんっっとに、脚本は面白かった。 物語がぐるぐる渦を巻いてうねって大波になって・・・
じゃあ何が引っ掛かったかと言って、生演奏のバンドの連中。 もう最っ低だった。 「お前らシャシャリ出て来んなよ、邪魔やねんほんま」と何度呟いたことか。 つかや鴻上もでかい音楽は使うけれど、バンドのメンバーを舞台に上げたりはしない。 だって舞台は役者が唯一、華として輝ける可能性のある場所。 そこを奪うような演出家が、役者を大切にしているとはとても思えない、 結局、有形無形の自己顕示欲の発露でしかないのではないか? 演出自体はこの大変な脚本になかなか肉迫してるしてる、と思えただけに尚のこと腹立たしかった。
シェークスピアの全作品を下敷きにしているだけあって、 次から次へと盛り上がりがきて、どんどん人が死んでいく。 そうしてたくさんの屍を超えて自らの壮絶な死へと駆け上がっていく三世次だが、 う〜ん、プリンス上川くん少し力不足だと思う。 信じられないくらいきれいな声と美しいお顔、敏捷な身のこなし。 あぁ、この人はスターさんなんだなあと心底感心したけれど、 悪人は無理だよ、きれいすぎるもん。 成志が三世次やれば良かったのになあ、彼のあの下司なハイテンションを爆発させれば良いのに。 成志と山本の使い方は、まあもろ贔屓目だけれ、ちょっともったいなさ過ぎる気がした。 古田はさすが幕兵衛(マクベス)を好演していて、 西牟田恵を殺す絡みの場面(ベッドシーン?)は彼女の鬼気迫る演技との摩擦で凄まじいテンションだった。 このシーンと、三世次が磔にされるラストシーンだけは、いい演出だと素直に思った。 「俺には天馬が必要だ!」という科白も胸に刺さる。
<後半に続く>
|