un capodoglio d'avorio
2001年08月21日(火) |
つか「新・飛龍伝 〜Let the River Run」<「新」に込められた意志> |
この文章は2003年12月の「飛龍伝」を観たあとに書いている。
全く異なる2つの芸術表現を比較して「ここが足りないあそこもダメ」と、あげつらって書くことには、全く意味がないし、失礼でもある。けれどもそれぞれの表現の「不足」を責めるのではなく、それぞれの表現の「差違」を認めることには、少し、意味があると思う。ただ、どかが劇場で観たことがあるのは、2001年と2003年の2つだけだけど、つかこうへいの代表作である「飛龍伝」という舞台にはさらなる歴史がある。その始まりは、73年、つかこうへいが演劇キャリアを始動した年にまでさかのぼる。
1973年「初級革命講座飛龍伝」
1990年「飛龍伝'90 〜殺戮の秋」 1992年「飛龍伝'92 〜ある機動隊員の愛の記録」 1994年「飛龍伝'94 〜いつか白き翼にのって」
2001年「新・飛龍伝 〜Let the River Run」
2003年「飛龍伝」
と、系譜にしてみる。73年「初級…」とは、何と3人きりの役者で上演する「熱海」風にミニマムな構成だった。80年に演劇活動を休止するまで、平田満や加藤健一などと幾たびも再演された幻の戯曲である。
1989年、つかこうへいは演劇シーンに帰ってくる。そして1990年つかこうへい復活を内外に知らしめた伝説の舞台が完成する。「初級…」で表現して見せた「全共闘」の季節における濃密な情感を、40人を超えるキャストで一気に爆発させてしまう戯曲、彼の代表作ともなる「飛龍伝」である。「'90 〜殺戮の秋」から二年おきに三回、今はなき銀座セゾン劇場にて上演されたシリーズ。
ですから、やっぱり筧利夫の力が凄かったんだと思いますね。 その機動隊員が全共闘の委員長に恋をして、 ロミオとジュリエットの話になったのは、彼の力ですから。
(つかこうへいダブルス2003パンフレットより)
つかはこのシリーズの発端をこのように対談で語る。つかこうへいは稽古場でどんどん戯曲を書き換える(言い換える)ことで有名である。小劇場界の一般的なイメージとして、マッチョな感じがつかこうへいにはまとわりつくが、この「口立て」と言われる作劇法の実際は、むしろ逆である。最も柔軟な劇作家とさえ、言えるかもしれない。筧利夫の舞台役者としての「華」が触媒となり、つかこうへいのこの作劇法から生まれる「ことば」が次々姿を変え形を変え生まれたのが「飛龍伝」、神林美智子役に富田靖子や牧瀬里穂、石田ひかりが挑んでも、山崎一平は筧以外では有り得なかったのも道理である。
94年の石田ひかりバージョン「〜いつか白き翼にのって」以降、飛龍伝の再演はパタリと止んでしまう。そうして7年の歳月が流れ、いつしか「名作」は「伝説」となる。つかフリークのみにとどまらず、演劇ファン一般からも再演希望の声は後を絶たなかったと聞く。そして2001年、つかこうへいはついに封印を解く。前年に北区つかこうへい劇団に劇団八期生として加わった内田有紀をフィーチャーする「内田有紀シリーズ」の vol.2 として上演された舞台、それが「新・飛龍伝 〜私のザンパノ」である。
しかし、筧は戻らなかった。前年2000年の「内田有紀シリーズ」vol.1 の「銀ちゃんが逝く('03/12時点・レビュー未収録)」に山崎銀之丞が戻らなかったように、2001年、筧利夫は、帰らなかった。だから、タイトルに「新」の文字が付けられたのだ。この「新」とは、かなり重みのある一文字であるとどかは思う。演劇人つかこうへいギリギリの葛藤が、ここには見て取れるとどかは思う。
何が「ギリギリの葛藤」なのか。どかはその発端が、2000年の「銀ちゃんが逝く」の失敗にあると思う。大変恐縮だけれど、どかはあの舞台は失敗だったと断言してしまう。一見その原因は、主演の2人、当時の劇団のエースだった吉田智則と内田有紀の力量不足。でも、その力量不足を露呈させてしまったのはつかこうへいであり責任は彼に帰せられる。つまり「口立て」という演出技法の至芸を身につけたつかをしても、名作の誉れ高い自らの戯曲を書き換えていくことへのためらいがあったのだろう(当時、つかこうへいはスランプだったと、いまは思うどか)。山崎銀之丞と平栗あつみという華にあふれた2人の役者のために書き下ろした戯曲を、華が足りない2人で純粋再演してしまったところに、2000年の悲劇があった。
そうして2001年、内田有紀という女優の「知名度」が、「飛龍再演希望」の声にさらに油を注ぎ、つかこうへいを追いつめていく。けれども、筧は戻らない。前年の失敗を踏まえなお、「飛龍」再演を迫られたつかが白羽の矢を立てたのが、吉田が退団した後の劇団のエース、小川岳男である。しかし、その時点で彼が、つかの手駒のなかで最も力量ある役者だからとは言え、つか自ら最高の舞台役者と認める筧に比べるべくもないのは明らかである。そのまま小川を筧用の戯曲に当てはめてしまうと、それこそ昨年の失敗の再来に繋がる。そうは言っても、「飛龍伝」は「銀ちゃんが逝く」以上に愛され続けている、つかブランド最高の金看板でもある。過去の財産(劇構造)を全てチャラにするなど、到底できない。この板挟みが、2001年のつかこうへいの悲劇である。
<筧の不在>と<筧用の戯曲>という二律背反をクリアするためのウルトラCが、山崎一平に変わる新しいキャラクター、泊平助の誕生である。それ以外の登場人物はほぼ、そのまま据え置いて、第四機動隊隊長のみ、山崎一平から泊平助へとスイッチする。この泊平助は、小川岳男という役者の資質に即してつか自ら書き下ろした、ピカピカの新品である。どかはそう思う。泊平助のセリフや眼差しを追うためには、山崎一平のそれを全てリセットして見なくてはならない。いや、全てリセットして見て欲しいということこそ、つかこうへいがこの「新」の一文字に暗に込めた意志だろう。でもね、厳しいよ。これはどうしたって、厳しい。だって、何を付け加えたって、この舞台は「飛龍伝」と銘打たれているのだもの。待ちに待った「金看板」の復活だと、誰もが思うよね・・・。
そうして、哀しいかな2001年、この「期待」の開幕の果てには、どうしたって「失望」や「落胆」の閉幕が待っているのである。
・・・けれども。けれどもね、どかは思うの。94年以降の7年間につかこうへいを追いつめてきた人、それはもちろんどかもA級戦犯として含まれるのだろうけれど、「飛龍」再演を強く希望してきたヒト達こそ、この一文字にこめられた切ない意志を理解しなくてはならない。この一文字こそ、つかこうへいがギリギリの葛藤に苦しみ、板挟みを乗り越え、そしてついに最後にたどり着いたひと筋の光明だったことを理解しなくてはならない。この舞台を筧利夫の不在とのみ、嘆くのではなく、小川岳男という役者の存在にもフォーカスしなくてはならない。それこそどかたち、裁かれない「戦犯」に最低限求められる、善意であり、品性である。
2001年の「新・飛龍伝」からは、ロミオとジュリエットは姿を消した。けれども、そこには別の、誠実で凛々しく、切ない男達が確かにいた。2001年8月21日にどかは北とぴあからの帰途にて、心なくも「落胆」してしまった自らを忸怩たる思いで反省し、そして自らの品性に懸けて、舞台上に認めた男達の姿を追想したのだった。
(続く)
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