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2002年10月16日(水)
ふかん。

先日、「楽園の涯(はて)」を読み終わって気づいたこと。
しまった同年代になってるよ!
なんだかなあ・・・時間の経過を否が応にも感じさせる。
もっとジジイだと思って読んでたんですけど。

んで、読み終わって気づいたこと。パート2。
「トモタカ君」になりたかったんだなあ。自分。

小説の書き方には一人称と三人称があるじゃないですか。
全部が全部そうだとは限りませんが、小説として文章になっている以上、一人称であれ三人称であれ絶対的に「上から俯瞰で」見ているんですよね。
一人称は「自分」が他人を見ている描写が描かれているんだし、三人称では登場人物全員を俯瞰で眺めている「何者かの視点(これは作者、と言い換えたほうがいいのだろうか)」を意識しないでは読み進められない。

んで、その時分に読んでいた本といえばホームズとかマガークとか少女小説だったり、とにかく「常人ではない皮肉屋さんを横から眺める特権的立場にいる常識人」が主人公、もしくは書き手として登場していたので。
それを自己同一視して(共感して?)読み進めることに慣れてたので、無意識のうちに日常の中でもなんか自分がそういった立場になってる様な気に。
常人ではない皮肉屋さんは私の友人にはいませんでしたが。
・・・ある意味変なヒトはいたかもしれないけど。

皮肉屋って所は削除しても、この「常人ではない」人物の身近にいるってのはなかなか魅力的な立場だと思うのです。
なんというか、「外から見ている」=「責任を負わなくて良い」から、楽でしかもその常人でないところを見ていられる気楽な立場にいるから。
いつでも逃げられると言うか。
この「常人でない」ってのは、つまり「普通とどこか違うスペシャリスト」の意味合いをかねてます。
その「スペシャリスト」の身近にいることは、なんていうのかな・・・自分の価値も上げるというのか?
ほら、人気者の周囲にヒトが集まるのと同じ理屈?と言うか。
男の子の方は知らないけど、女の子の方で私の友達に、そういうのに敏感な子がいたのですわ。
なんにせよ、素敵な立場ではあるんです。

「トモタカ君」てのは、いつか自分と大事な時間を共有していた友達がオトナになってすごい有名になってそれを遠くからでも見つめながら、コレ自分の友達なんだぜ、って言える立場で、遠くからでも親しみ込めて「がんばれ」って言える立場で。
きっと自分はそういう位置にいたかったんだと思いました。
読んだ感想。

でも第一希望は自分が「スペシャル」になることだろうけど。
なれないときには「トモタカ君」。

限りなく寂しい位置ではあるけど。



んでそこまで考えてたら私は「他人」でいたいのか「身内」でいたいのかよく分からなくなってきた。
自分の中で真逆の欲しいものがでてくることがあって「どっちやねん!」って突っ込みいれたくなる。
なんて欲張りな。



幼馴染みのちほと会った母が。
「ほんっとにちいちゃんはもったいない!!もっと幸せになれるのに!」
などと言い出した。
どうやら付き合ってる男が気に入らない模様。
なんだかなあ。ちほの事好きだよなあ・・・うちの家族・・・。