高さを競うようにして立ち並ぶビルの隙間から、太陽が顔を覗かせた。 その下には多くの若者達が眠たそうな顔をして地面に座り込み、酔いつぶれているヤツを介抱したり、必死で吐いているヤツの姿が目に入る。 土曜日の朝、渋谷の街、いつもの朝… 僕もその1人だった。
久しぶりに大学の友人達と遊びに来て、そのまま朝まで居酒屋で過ごすという学生によくあるパターンの遊びを渋谷に来てまでしてしまった。いつもは大学がある、東京とは言っても少し外れの田舎と言っても良い、街の居酒屋で朝まで…は良くあることなのだが、渋谷という街で朝まで友人と遊ぶという事はどこか可笑しかった。
この街のざわめきや浮ついた感じは嫌いじゃないし皆が誘い合う様にして、ハチ公前で待ち合わせしたり、気取った男がナンパしている姿はこの街に限っては許される気がしている。
車の行き交う交差点の信号で青に待っている人達、これから買い物に行く人、センター街から抜けて駅へ向け帰ってくる女子高生、B系の服をどうにかして売りたい黒人、キャバクラのバイトを紹介して金を稼ぎたい今風の格好をした兄ちゃん、幸せそうに何かを話しているカップル、仕事で疲れているサラリーマン、アフター5を楽しむOL、様々な感情が混ざる信号待ちの交差点は全てを黙って聞いて認めているようだ。それでいてきっちり仕事をしている信号機。 赤は、止まれ。青は、進め。 行き急ぐ人達を一度静止させて、落ち着かせて、もう一度歩かせるために信号を青に変える。
酔いに任せて1晩中飲んだ朝はどこか淋しい。嵐の後の静けさと言った所。誰も何も言わずに地面をじっと見つめている。太陽の眩しさと暖かさを感じつつ。電車の”ガタンゴトン”の音が遠くに聞こえ、朝が動き出すことを教えてくれた。覚束ない足取りで僕達は帰ろうとしていた。電信柱には何匹かカラスが止まってエサをあさる準備に取りかかっている。何でもあるこの街ではエサには困らない、カラスも人間も。 誰かがそろそろ行こうか、と誰に言うでもなく声をかけた。返事をするでもなく皆はゆっくり腰を上げ駅へと続く信号へと向かう。 僕は皆と逆方向へと歩き出した。誰かが気付き、どこ行くんだよ!と言ったが僕は無視してそのまま明治通りへと向かうことにした。
土曜日の朝の街は静かでまだ夢の中にいる人達を起こさない様に、街もゆっくり静かに動き出す。車通りも多くなく、いつもの様な忙しさも慌しさもなくスムーズに行き交う車の行き先を太陽は導いた。
明治通りへ向かう信号に止められた。 ―やっぱり― 思い出を迎えに行こうとしていた。立ち止まった3秒後に気付いた。両手はポケットの中に、思い出の友紀の右手は僕の左手にはいなかった。 ―思い出の友紀は僕を快く迎えてくれるだろうか?― 心配しながら信号を渡って、左手をギュッと握り締めた。
明治通りへ出るとすぐに歩道橋がある。そこが僕と友紀の待ち合わせ場所だった。ハチ公口をひどく嫌った友紀は少し離れた場所がイイと言ってこの歩道橋を登ったところを選んだ。ゆっくりと一段ずつ登って思い出を迎えに。すると後ろで約束時間を15分遅れて走ってくる昔の自分が今の自分を追い抜かして、階段を走って登っていく。息を切らして、でもとても軽やかに、嬉しそうに。
―ああ、ここだった― ビルが影になって歩道橋には太陽が届いていなかった。でもどこか暖かい気持ちになれたのは懐かしい思い出の場所を良き思い出としてまた来れたという思いからだった。何もあの頃と変わっていなかった。 ―元気だったかい― 誰もいない歩道橋に話しかけてみた、返事など期待しないで。 すると後ろで 「遅い!」と、怒られている昔の自分が「ごめん」と手を合わせて謝っている。 「まあ、いつもの事だから」と少しふくれた友紀の顔が浮かんだ。
左のポケットからタバコを取り出した、後ろにいる自分も。 明治通りを見渡せるこの歩道橋の上から2人のデートは始まっていた、いつも。 ショップが立ち並び、街行く人達が興味を示し入っていく。出てくるときに顔が見える。皆笑顔だった。当時の僕達の様に。幸せそうだ。
「今日はどうする?」 いつもの決まり文句から会話を始める。本当はどこでも良かった。友紀といる景色を楽しんでいたかった。左手と右手を繋いだ二人の、友紀との景色でずっといたかった。柔らかい友紀の右手をずっと感じていたかった。ずっとふたりで…いたかった。
太陽が高く昇り歩道橋にも光が射した。僕の影はすごく悲しそうに小さくて、後ろにいる昔の僕の影は楽しそうに、嬉しそうに友紀との会話を楽しんでいる。 大きく深呼吸をした。空が青すぎてずっと上を向いていた。僕の目に映る空は今、少し、滲んでいる。青が薄く見えた…僕の目にだけ。 ―こんな事しても何もならないのに― 呟いてみたけど、悲しくなるばかりで何一つ報われそうになかった。ただただ、青すぎる空を眺めていた。きっと下を向いたら何も見えなくなるから…。
もう1つ大きく深呼吸した。 ―友紀を忘れよう― 後ろの僕はタバコを消して「じゃあ、行こうか?」と言って友紀の右手をしっかり左手で握って明治通りへ降りていった。仲良く二人で。
僕は駅へ戻るために来た道を帰ろうとしていた、左手は空のままで。 ―じゃあ、さようなら― 2人の景色が背中で遠ざかって、僕は1人で景色描いて行くしかなかった。 そして、もう1つ ―ありがとう―
どこまでも続く青い空はきっとどこかにいる友紀も見ているはずだ。
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