2002年06月27日(木) |
今から11年前のお話。 |
今日から、長女(5年生)が、林間学校です。
3人の子供のうち、一番静かな長女がいないだけで、やっぱりものすごく違います。
今から11年前、あたしは妊婦だった。
毎日寂しい、寂しい、と暮らしながら、生活していた。
生まれた子供は女の子で。
お腹にいるときから、男の子ならこの名前、女の子ならこの名前、と決めてたから、名前はすぐついた。
元気な3200グラムの。
産声も、大きく。
あたしは、幸せの絶頂だった。
始めてあげた母乳は、まったくでなかったけど。
でも、嬉しかった。かわいかった。
17歳のあたしは、周りの妊婦さんたち、産婦さんたちから、好奇の目で見られたけど、へっちゃらだった。
でも。
生まれて24時間も立たないうちに、あたしたち母子は引き離された。
「心臓に雑音がします」
そういう理由で、あたしの幸せの証の長女は。
連れて行かれた。
小児科病棟に。
同じ病院にいるだけ、いいと思わなきゃ。
ガラス越しでも、会えるんだよ。
新生児のうちは、心雑音なんか、よくある事なんだよ。
だから、前向きにね。
看護婦さんたちに励まされ。
でも、一日5分、しかも時間もきっちり決まってて。
手洗いから始まり、スモックや帽子をつけさせられ、保育器の中に手を入れる事だけを許された。
あとは、ガラス越しに。
あたし、ずっと、ずーっと、見てた。
飽きもしないで。
何度ガラスを割ってしまおうと思ったか。
母乳を毎日毎日、搾って。届けて。
「この母乳は、宝石より何より、高価なものなんだよ」
看護婦さんが、言ってくれた。
周りの産婦さんたちの目は、好奇の目から、同情に変わり。
長女の病名はだんな様にだけ、告げられた。
産後のあたしには、精神的によくないって理由で。
あたしが知ったのは、退院する直前。
長女は先天性の重い心臓病。
何言ってるの?
あたし、意味が全く分からなかった。
一緒に退院できるんでしょ?
新生児にはよくある事なんでしょ?
何言ってるの?
手術をしなきゃ、治らないんですよ。
このまま、お返しするわけには行きません。
まず、小さい手術を来週行います。
先生。あたし、意味が飲み込めない。
バカだから。
高校もね、中退なの。
意味が分からないよ。
そして、先生は話を続ける。
「名前。早く届けてあげてください。何かあってからじゃ、名前ないまま・・・になってしまう可能性もありますから」
名前ないまま・・・なんだっていうの?
なんだっていうの?
暗い、病院で泣いた。
たくさん、泣いた。
だんな様は、全然平静だった。
まだ、父親って言う実感がなかった。
あとで、そう言った。
入院中。だんな様の母親が来て。
「りりかさん、あなたがタバコを若いのに吸ったりしたから!」とあたしを詰った。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
この、ごめんなさいは、長女に向けて。
決して、産後の不安定な体のあたしに、追い討ちを掛けてきた、姑にじゃなく。
長女に。
泣きながら謝った。
だんな様は、黙って見てた。
それから、手術を小さいのも合わせると数回して。
大きな手術を1回して。
10時間を超える手術に、2歳に満たない体で耐えて。
ICUで、真っ白な顔の長女を見たとき。
もう、危ないかも知れないって言われた長女に面会したとき。
あたし、人が死ぬときって、こういう色なんだろうな、と思った。
真っ白。
血なんか、通っているのだろうか・・・
心臓に直につながっている、管が、肺の辺りの皮膚から出ている。
口にはテーピングされた、管。
手も足も。管だらけ。
生かされてる。
そんな状態だった。
そして。奇跡は起こって。
命を、生きたいという思いをつなぎとめた長女は、元気になって。
手術後1ヶ月で自分で歩けるようになった。
周りの人間は、医師でさえも、「奇跡です」と言った。
長女は、完全に健康までは行かないけど、今でも障害者手帳を持参している体だけど。
人並みに生活できるようになった。
いろんな、制限があるけど。
後で知った事。
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