強い風が吹いて寒いだろうのにその施設の中庭では結婚式をやっていたらしく、粋な外人の神父が逃げるように歩いていた。挙式なのだろう、出席者らも動きがおかしかった。なんと妙な光景か、はは、ざまあみろ、などと悠然と見ていた。あの頃はまだ結婚という誓約に対して、ほとほと手の掛かる面倒な制度、としか見ていなかった。 だが今回は違った。私の一つ上にあたる先輩の結婚式の二次会に出るため、東京まで来たのだ。 とうとうここまできたのだ、という実感すら今や薄れてしまった。身近な人たちが次々に、あの、さほど遠くない過去に、「はは、なんと珍妙な」と高を括っていたところへ、足を踏み入れて直進してゆく。それがあまりに自然だから最初のうちは戸惑っていたが今や私も自然に受け入れてしまうようになった。けれど一歩、二歩、退いて客観的にこの制度や儀式を眺めたとしたらやはり珍妙なのだろう。 奇しくも、東京にいる間に、その、かつて二人で来たことのある、もう一人に会うことが出来た。一方的に終わらされ、遮断された仲。不協和音は一瞬にも満たなかった。何故、続行が不可能になったのか全く解らないほどの終わり方だった。 この数年、「そんなやり方があるものか!」とひどく自分の中で憤っていた。しかし私自身はどうだろう。冷静な部分の脳が言う。気にするな。お前だってそうだと。ああ。その通りだ。私も自分が迷ったり苦しくなったり、扱いに困ると、そうする。「なあ、そうだろう、あの人はお前にそっくりなんだ」 ああ、その通りだ。全く、その通り。よく似ていた。 予期なく相手を一方的に切る。そして遮断したまま笑顔を保つ。それは私の専売特許のようなものだ。それで憤りや傷などとは、まったく、愚かしいのでは? と。 だがその幾ばくかのわだかまりも今回を以って終わる。ごく普通に会話することが出来たから。数年前に一度会ったときはそうではなかった。お互いが触れ合わないよう微妙な間合いが保たれていた。それはとてもイヤなものだった。見えない奇妙な皮膚のようなものが横たわっている感じ。日本人同士なのに母国語さえうまく通じない。気持ち悪かった。より一層、わだかまりは強く残った。今は違う。その過去を超えるフラットを手に入れた。それはごく普通に笑ったり、喋ったり、うなずいたりする、本当に普通の瞬間を積み重ねただけで生まれた。普通さ。透明感。それだ。 とても軽くて澄んだものを感じた。 もう見えない皮膚の存在を感じない。 これがかつての 私が悩みながら 求めてきたものだったなんて ほんと、滑稽。 しかし年月がかかり過ぎたようにも思う。数年の流れが、周囲の状況をどんどん変化させている。この世で迷子のような顔をして、珍妙な振る舞いを続けていられる余地は、少しずつ無くなっているのかもしれない。次第に具体的になる私たちという存在は、一体どうなってしまうのかとも思う。フラット上手になるのか、わだかまりの罠に落ち続ける不器用な子のままか。きっと前者だろうと思う。合理的な選択が当人らの行動を快活にする。今はそれでいい。難しいことはまた明日考える。今はとにかくそれで…。 |
writer*マー | |
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