運命的な出逢いを繰り返す。自分にとって決定的な人間が現れる。 それは交通事故のように己の物語へ、瞬間的に激突する。そこから全く新しい文脈が生まれる。 1999年当時。 俺がブルーベリーを必死に食って視力回復を目指していた頃。旧友のヨハネス(仮名)は失笑した。アホだと笑った。 マー君おまえはアホだ、オレは視力は1.0だ、お前より優れている。マー君おまえは近眼だ、そして、ブルーベリーは一日程度しか効果が無く、またすぐ元に戻る、つまりお前はアホだ、と。 俺は泣きながらブルーベリーをドカ食いした。悔しかったのだ。人格の全てを否定された気がした。 河合塾のチューターは、『そんなことより古典の単語を覚えなさい』と言ったが、俺は高品質のブルーベリーを探すために、大阪中のドラッグストアを放浪していた。数学の偏差値が50台に下がったのもその頃だ。 俺の胸は自暴自棄なブルースだった。サッズの『トーキョー・狂った街〜♪』がエンドレスで流れていた。 ブルースちがうやんって今、思った。ただのよく在る邦楽だ。思えば俺も若かったのだ。 俺は4年前の初夏、6月の日差しの中で、自分を見失っていた。その時だ。運命の出逢いらしきものが訪れたのは。 そいつはタツヨシJと名乗る男だった。英語の授業でたまたま隣になり、難解な和訳問題について少し話をした。 馬が合ったのか、瞬時に議論が白熱した。大声で俺達は国体護持や、極左や、列島改造について議論を交わした。言語が熱に追いつかずワーワー叫び始めた。講師に『やかましい奴は出て行け!』と怒鳴られ、二人で椅子を投げて教室を飛び出した。 それが俺達の出逢いだった。講師の眼鏡は椅子で割れた。股間を押さえてうずくまっていたのを覚えている。鞄を教室に忘れてきたのを思い出し、また椅子を投げ付けて講師の股間を攻め立てた。俺達は一躍『テロリスト』と呼ばれた。至福の瞬間だった。勃起しそうだった。 タツヨシJとは多くのことを語り合った。彼は九州出身で、当時爆発的に頭角を現してゆく椎名林檎に巨大なライバル心を滾らせていた。弾けないギターを携えては、昼休みにロビーで井上揚水の『夢の中へ』を熱唱する人気者だった。 そのくせ、浜崎あゆみのアイコラ画像を収集するのに余念が無く、あゆの日替わり乳首を愉しんでいるような奴だった。ある意味最低な男だった。特に、乳輪が少し黒ずんだり、乳頭がいびつに勃起しているのが良いのだと言っていた。最低だ。 俺は俺で、片想いしていた女の子にラブレターを作っては破くという、己の熱愛と幼児性に悩まされ、それも男として最低な状態だった。俺達はどこか運命的なシンクロをしていた。当時は傷を舐め合うことの快適さを友情と読み替えて、愉しんでいた。 椎名林檎がシングル『本能』で遂に爆燃した時、タツヨシJは己に絶望した。根拠の無い自分の才能や可能性の全てを、現実的に完璧に否定されたのだろう。金も無いのに新幹線に飛び乗って、そして実家の福岡へ帰ってしまった。秋の風は涼しかった。 一昨日の酒宴で、不意にその時代が、脳裏に甦った。 タツヨシJは実家の材木屋で、今なお黙々と働いているらしい。従業員は4名程度なので、彼でもうまく社長をやっていけるだろう。 『モラトリアムって醜いな』俺は渋い顔をして言った。数々の思い出が、筋肉に溜まった乳酸のように、自我を締め付ける。 『今のアンタもまだまだ醜い・・・けど、それに気付いているだけ上等よ』 しみづ(仮名)嬢は涼しい顔をしてテキーラを飲んでいた。俺は事の顛末を、しみづ(仮名)に話した。しみづ(仮名)は、失笑した。 『その時アンタは椎名林檎に憧れさえしなかった。マー君、アンタ確か、林檎大好きだったよね? ”勝訴ストリップ“の初回限定、買って凄く喜んでたの覚えてるよ。 でもさ、アンタはそうやって冷静ぶって昔話するけどさ。 あんたは巧妙にうまくやり過ごしただけなんじゃないの? 色んなやばいもんをさ』 タツヨシJは混血だ。イタリアの血が混じったクォーターで、己の己らしさをしっかりと他者に向けてコミュニケートすることの、出来る奴だった。明け透けだった。 では、俺は何なのだ? 俺は何だった? 冷静ぶって・・・巧妙なのか? 何かが、俺にまつわる俺製の物語が、しみづ(仮名)によって、切り裂かれてゆく。 『話聞いてるとさ・・・アンタ、自分が何かに破壊されることを、無意識でひどく恐れてるみたいだね。だからそうやって、ラブレター書いたり破いたりなんて、悠長なことができるんじゃないの』 子供は醜いわ。しみづ(仮名)は静かに笑った。俺は己を生まれて初めて、ひどく恥じた。そして太田胃散を咽喉に詰まらせ、少し泣いた。これが人生なのだと思った。 |
writer*マー | |
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