母が炬燵で横たわっていた期間は然程長くなかったと記憶している。 1ヶ月、長くとも2ヶ月くらい。 その間、私は自分から母に話し掛けた事は一度もなかった。 そこに居るのに、そこには居ないものとして扱っていた。
それは母が怖かったからでもあるし、どうしていいか分からないからでもあった。 母は母だけれど、中身がまるで別人のように感じられて、すごく怖かった。 何を話し掛けていいかなんて見当も付かなかった。
だから、母が病気の間、私はずっと母に対して何も行動を起こさなかった。 早く何時も通りの母になる事を願っているだけだった。
ただ、姉は母を随分と労わっていたように思う。 直接何かをしてあげていたようには見えなかったけれど、姉が母を気遣っている様子はなんとなく感じ取れた。 私に対しても、 「お母さんを助けたりや。」 なんて言ってくるようになった。
正直。
…正直。
貴方には言われたくない、と思った。
数ヶ月前の貴方は今の母と殆ど同じ状況で。 私はそんな貴方にも恐怖を抱いていて。
母と同じような状況だった貴方にそんな事を言われたくないと、心の中で反発した。 私は姉に対して自分の気持ちを話す事は出来なかったので、口に出す事はなかったけれど。
母が次第によくなり、病気が治った後も暫くは私の母に対しての恐怖心は拭いきれなかったけれど、少しずつ、何時も通りの母だと分かるようになると、私もまた何時も通りの接し方に戻っていった。
母に対する得体の知れなかった恐怖も、少しずつ、薄れて消えていった。
気付かなければ、私は今も姉を嫌う事で心の平穏を保てたのに。 今は全てが自分に向かう。ああ、当然の事だ。汚いのは、醜いのは誰だ、なんて分かりきった事。
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