I think・・・(かくれ対人恐怖症にっき)



 

泣くのは悲しいときばかりじゃない
今日帰ったら泣こうと決めていることがある
悲しいのかうれしいのか悔しいのか後ろめたいのか
わからないけれど
泣きたいときがある

家に帰って心の皮を何枚も剥がす
一通り泣いた後
何で泣きたかったのか
目を閉じて自分の心の中に
慎重に聴診器をあてるがごとく
さぐってみる
いろいろ混ざってて一言では言えないし
原因も分からない

心の中が複雑骨折していて
しばらく安静にしていないとダメなときもあるけど
そうしているとまた前を向いて歩き出したくて
うずうずしてくる
毎日その繰り返し。
めったなことで人前で泣くことはできないけど
一人で泣くのはやっぱり必要なサプリメントみたい


2006年12月26日(火)



 愛の迷子

嘘をついている人が必要以上にしゃべらなければ
ならないように
足りない愛をうめるために
必要以上に自分を相手にとって
都合がいいであろうように変えていく


誰にも愛されないのではないかと思う


性格に欠点があっても
自分の都合を優先させても
少々間違ったことを言っても
周りを振り回そうとも

愛される人は愛される
必要とされる人は必要とされる

自分が相手の都合のいいように変われば
誰だって表向きは必要とされる
そのお手軽さわかりやすさを
とってしまう

そこまでして
人に必要とされたい?愛されたい?

もっともっと若い頃
愛がほしい・・・と思ったけど

わたしの癖はまだなおっていなかったな

2006年12月12日(火)



 

私は女がやっぱり苦手。
私自身も女なのに変だな〜

勝手な主観だけど
女にも男の部分と女の部分があって
男と女の割合が5:5の人もいれば
7:3や6:4やいろいろだけど
女8:男2くらい以上に女の割合が高くなると苦手意識が
出てきてしまう。

女の中に男の要素がどれくらいあるかというのは
外見が女っぽい、男っぽいとか
顔立ちや仕草は関係がなくて
男みたいな人でも中身が女100%っていう人もいるし
どこから見ても「女」ってかんじなのに男の要素を
感じる人もいる。

自分はどうなんだろう?
女5:男5くらいかしら・・・?

女として生きることは楽しいけど
女が苦手。


2006年07月29日(土)



 最近のわたし

どうしてわたしには微笑んでくれないの?とか
そっけない、とさびしがったり
もう一言ほしかった、とか
誰よりも重んじてほしいとか
ほめてほしいとか

人への要求はほんとうに
ふくらみすぎてふくらみすぎて
恥ずかしくて
悲しくなってしまいます。

その前に
人に微笑んでいますか?
その態度、そっけなくないですか?
もう一言あったほうがいいかもよ?
人に大切にされたいのはあなたばかりじゃないのよ
何歳になっても人にほめてもらうのはうれしいことなのよ
と自分に話しかけています。

2006年05月20日(土)



 ほんとはうれしかったのに

肌がきれいと、
色白だね、
色白は七難隠すっていわれるよね、と
ほめてもらった

「八難ありますから・・・」とこたえた。
すごくうれしかったのに。

ふつうはこんなときまず「ありがとう」っていうのかなと
人ごとのように考えてしまったけど。

ほめてくれた人の気持ちを考えてみた。

人をほめるときって
相手がほめたことを素直によろこんでくれると
もっとうれしくなる。
だからこんな時
謙遜でもはぐらかしでもなく
ありがとう、うれしい、って
言えたらいいのにと、
真剣に思う。

涙が出るほど。


2006年04月09日(日)



 ちゃんと話を聞きたい

訓練によっていろんな事ができるようになるという
実感があります。
今訓練したいことがあります。
それは人の話に的確に答えること。
最近気がついたのだけれど、自分自身
話しかけられたことにちゃんと答えてないのではないか
と思うのです。
また、その場その場にふさわしい受け答えができていない。

「こういうことがあってこうなんだよね〜」と
いった人がいたとして
ふつうは「そう、そんなことがあったのね。」と
受け答えしてから関連する話題に入ると思うのですが、
私はそのあたりすっぽり抜けて
急に新しい話題に入っているのではないかと
気づいたのです。

話を成り立たせるという事について
訓練以前のことなのかもと思います。
コミュニケーションの場でそうとう周囲に
甘やかされてきてしまったのでしょうか。
だからそのときの自分の感性に従って
言ってしまうのでしょうか。
相づちってその話を受けるという意味で
相手に聞いてくれているという安心感を与えるのだと
わかっているけど、
どうもできていないな。。。

よほど自分勝手なのか。自分でもよくわかりません。

話は下手でも聞くのはまあまあかな、と
勝手に思っていたけど
聞くのもだめとなると自信なくします。

でも自信をなくしてる場合じゃないのです。
まず、人が何か語ったらそれに対して優しく関心を向けて
話を聞きたいと思います。(この時点でけっこう難しいときもあります。自分に身近でない話題だったり興味がないことだとどうしても上の空になってしまうことがあります)
相づちも大事。
どうも潜在的にありきたりの相づちだけじゃ
相手が退屈なのではないかと思ってしまい、
そこで自分の感情がぎゅーっと詰まり
行き着くところまで煮詰まったら考えるのも
考えられなくなり
そこをすっとばして自分の感性だけで
話をしてしまうような気がします。

話を広げるということも大事だなと最近思うんです。

たとえば誰かが
「○○っていう映画にいったんだけどね〜」と
話をしてきたら
「私は△△っていう(別の)映画に行ったよ!」と
映画に行ったという共通点だけでしゃべらないで
はじめに話をしてきた人の話を広げてあげられたらいいなと思います。
「へぇ〜○○ってそんなストーリーだったんだ」とか。
一通りその人が話し終えた段階で
自分も映画に最近行ったお話を始めればよいと思うのです。

私に足りないのはそこ。

なんかさくさく話が進まないと自分のせいではないかと
気が急いてしまうのです。
もっと『間』を居心地悪く感じずに楽しめるといいな。
どんなひととでも。
こころを開けたらいいな。
心を開くことは自分がなくなる事じゃないから。
そうして人の話をもっともっと聞きたいな。


2006年04月07日(金)



 

思い上がらないで生きるというのは
本当にむずかしいことだと思うことがあります。

思い上がってる人をつい非難したくなる自分も
たとえそんなつもりがなくても
相当思い上がってるなと感じることがあります。

2006年02月21日(火)
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