I think・・・(かくれ対人恐怖症にっき)



 練習あるのみ

いまこれが必要だからこれをする。
いま聞かれたことを答える
シンプルに考えること、それを的確に行動に移すことは
むずかしい。

きっと自然にそれができる人にはなにいってるんだろう???
というくらいあたりまえなことなんだろう。

普通にしていればそれはできる。
がしかし、判断を鈍らせるものがある。
正しく判断しようとするときに
風がそよいだり
人の微妙な表情、リアクションをみたり
電話やメールがきたり
ため息つかれたり
突然人にあってしまったり
人が口を挟んで自分の考えを力説したり
加勢したり
泣かれたり
批判されたり
手紙を出すときに切手がなかったり

とにかくとにかく...
今すぐ言うべきことを最優先しよう
今しなきゃいけないことをなんといわれようとしよう

たぶん不器用なんだろうな
器用なほうだとおもっていたのに!


お掃除だったそう
部屋を見渡して完璧にしようと思うと
いくらやっても完璧にならない
だから定位置にないものだけを目で追う
そうして定位置に戻すだけで
掃除の8割がおわったように見えるものだ。
本当の掃除はこれからなんだけど。

それといっしょいっしょ
いろんな情報やいろんなこと言われたり
やってしまったりするけれど
まあそういう現象なんだ、と写真を写すように
物事を捉える。
今日やるべきことや明日以降
正すべきことや
目を向ければいいだけだろうな

犬をしつけるようにまあ...練習だ


2010年05月26日(水)



 不毛なひとりごと

もうそろそろ人の評価ばかりを気にするのはやめにしよう。

人の顔色ばかり見てこちらの態度をきめることは
時には大切なこともあるけど、そればかりだと
人に左右されてばかりで
自分の意見というものがもてなくなってしまう。

それでも特に不都合はないし、人に沿う、というか
人の言うなりになるのも
そんなにいやなことではないのだけれど・・・
本当に自分が今どう感じているのかを自分で
つかめていないときがある。
自我が強いと思われる人はこう言う。
それではいつまでもいいように使われてしまうだけだ。
主張しないと馬鹿にされる

こういう考えも疲れるな・・・と思う。
いいように使われてそれでこちらも都合が合えば
いいのではないか?
主張しなくて馬鹿にされてもいいのではないか?
主張しない主張というのもあるし、大切だと判断したら
どんなにおとなしい人でも言うときは言うから。

問題はここからで
人に沿うことと人の言うなりになることは違うという点だ
前者は、他者と別の考えを持つこともあるけれど
それはそれとして
現時点の状況で他者と融合点を見つけている。
人との関係を放棄していない。

後者は他者との関係も自分の考えも放棄している。
自分で考えることを放棄している。

私は後者...か

ところで自分の考えってそんなに大事?
考えなんて人や周りの状況や
自分の立ち位置なんかによって
どんどん柔軟にかわってしまうから
固執するような考え方なんてないかもしれない。


だからいやでも人の顔色を感じてしまうのかな
救いようのない結論

2010年01月31日(日)



 

いつもだいたい言葉が足りません。
もっとこういえば相手を喜ばすことが出来るかも
ということがわかっていながら
言葉を発することをためらいます。

人と言葉を交わすこと、関わることを
めんどくさがっちゃいけないと
肝に命じているのですが...
頑張らないとプラスαの言葉がスンナリ出ません。
ほんとうに頑張る...というくらいパワーがいります。


もう一人の自分が
自分のことしか考えられないからだよ、と言います。


2009年10月19日(月)



 わずらわしいな....

もともと社交的ではないけれど
最近人に誘われたりすることに気が乗らなくて
わずらわしいと思ってしまいます。
誘われたら、次は誘うのが礼儀?のような気がして
あれこれ考えるのがなんかストレス

携帯もいっそ家族のみとの連絡用にしたい。
アドレス消したい。

人と話をするのは嫌いではないし
それなりに楽しめるけど
なんというか...
すべてが自分のためなのですよね。

人と付き合うと世界が広がるから
考え方を広くするために苦い薬を
我慢して飲むかのように付き合いをする。

あの人のために何か役に立ちたいとか
そういう純粋な動機で動けなくなってきた。

でもそういう純粋な動機で動ける人もいる。
純粋...というか、人のためと思って自分を
犠牲にするのもそれはそれで形を変えた
「依存」かもしれないじゃない?
なんて醒めて見てしまう。

あっちの人が悩んでいるこっちの人と旅行だと東奔西走
している人もいるけど、わたしはいいわと思ってしまう。

ともだちがいなくて本当に苦労したことがないから
こんなことをいえるのかもしれないけど
ともだちはいなくてもいい。
人生というテスターのサンプルとして何体か人の人生を
身近に観るのもためになるかなというくらいのもの。

結局人は自分の耳に心地よいことを言ってくれる人が
好きなだけだし...
だからいちいちともだちっていう縛りなんて
窮屈なだけかなと思う

悲しい大人になっちゃったのかな.....


2009年09月09日(水)



 ランチ

コーヒーと紅茶どちらを選ぶかなんて
私にはどうでもいい

知り合いとランチに行った時のこと
ランチにドリンクがついていて、
コーヒーか紅茶を選ぶことになった。


その人は
「空気を読みすぎて無難な方を選ぶんでなくて
ほんとに自分の好きな方を選んでみたら?」
と言った。


その人はコーヒーを選び私は紅茶を選んだ。
ちゃんと選べるじゃない?
その人はにっこり微笑んだ。


いつもだいたい人数が2人以上のときは
周りの人と同じものを注文する。
5人がコーヒーだというときは自分も同じにするというように。
空気読んでるのが半分、残りの半分は
考えるのが面倒くさいだけのような気もする。

ランチに行くのは、好きな物を満喫するためじゃなくて
人と会ったり話したりするためだから...

人と話をする事がお刺身だったら
何を選ぶかなんてお刺身についている菊の花のようなもの。
どうだっていいし...

器用な人は、そんな時でもしっかり自分の食べたいものを
選ぶことができるんだろうな。
周りの人はだいたいそうだな
私は無理...だな
人と会う、話す、だけで精一杯になってしまうから。


本当に食べたければ、後で一人でだって行く。


自分はいまこれがしたいの!という生の本性を常々人前で
出さないかもしれない。
人前では自分の本当の気持ちや思考がストップしている。
どうやったら、人といるときも
自分の本当の気持ちに気がつけるのか??
私には難問すぎる。


こんなこと考えていると何もかもが
気楽でなくなってくる。

肩の力をぬいてと思うけど
どうやって抜けばいいのかそれがわからないんだからね

人の話を聞きながら自分も話ながら
頭ではそんなことを考えながら食事もしている。
こういうところは器用なのかしら...

知り合いの携帯が鳴った。
メールみたい。ささっと冷静にメールを返信して
何事もなかったように話にもどる。


壁を感じる。
わざと自分だけの壁をつくる。


他人と自分との違いを
心の中でいちいち指摘しながら
自分をいじめる
気持ちよくて悲しい...


2009年04月29日(水)



 自分への覚え書き

自分は人に心をゆるせないけれど
心をゆるせる人が好きだし
自分は本当の感情をあまり表現しないけれど
感情を顕わにする人がわかりやすくていいと思うし
共感を覚える。

人にこうあってくれたらいいなと思うものを
自分ではできないし、似合わないと勝手に決めている。


10年以上前に人から頂いた手紙を見つけた。

○さんには人を引きつける魅力があります。
そして落ち着く感じがして
とても穏やかな気持ちにさせてもらえます安心感があります...

私とかけ離れた褒め言葉で
その時そんな人間だったか覚えていないけれど
なんだか突然プレゼントをもらった気がして
そういう人になりたいなと思いました。
まだ自分の目指すところはわからないけど

2008年06月29日(日)



 また会いましょう

みんなで何かを話している輪から
一人抜け出すときなんていったらよいのだろう?
用があったり時間が来たりして抜けるのだから
別に悪いことでもないのに抜けることを言い出せなくて
またはその場の雰囲気を壊すことや話の腰を折ることを
必要以上に恐れてそのままずるずる輪に残ることは
よくある。

この間、犬のお散歩をしていたとき。
同じ犬を飼っている人と会って
その人とは何回かお散歩の時会うことがあるのだけど
しばらく犬同志を遊ばせて世間話をして
(ほとんど犬の世間話だけど)
そろそろ帰ろうかとおもっていたとき
やっぱり自分から帰るときりだせなくていたら
相手の人が
「ではまた会いましょう」といってそれまでしゃがんで
話をしていた腰をあげたのです。

ま・た・会・い・ま・し・ょ・う

わぁ。。。なんてすてきなことばなんだろう、と
思いました。

冬なのに春風のような響きです。
何のてらいもなく、拒絶もなくかといって
べったりとした仲間意識のようなものもなく
未来に期待をつなげる言葉!

ずるずると時間の波をこわさないだけが
人に対する許容じゃないんだと
気づかされました。

また会いましょう
ちょっと勝手にくせになりそうな言葉でした。




2007年03月04日(日)
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