I think・・・(かくれ対人恐怖症にっき)



 信じているコト

人からいろいろ陰口を
たたかれている人だったとしても
その人が私にくれた
別れるときの最後の笑顔は信じられます。

いつも人にきつい事ばかり言っている人の
ほんの一瞬の不器用なフォローのことばを信じている。

もう自分の力ではたてないという人の
立てる力を信じている。

わたしは、自分が
みんなから批判される人を共に批判しなくても
一緒に悪口を言わなくても
人と通じていける道がきっとあるんだと
信じている。

2005年10月30日(日)



 雰囲気の返事

雰囲気の返事、をよくしてしまう。

A:「○○って△△じゃない?」
B:「そうだよね。わたしなんか□□しちゃうもん」
A:「いい方法だね。私も□□しちゃおうかな」
         ・
         ・
         ・
         ・
        私はB 
         
ここで普通の人はそうだよ〜とかぜひそうしなよとか
感想や自分の意見をおしすすめるらしい。
私の場合、ここでつい
心の中では「そうだね、そう思うよ」とか
見えない返事をしているのだけど
どうもそれをすっとばして会話をしてしまうらしい
もしくは、そこで会話が終わってしまうらしい
ということに
以前から薄々感じてはいたけど
最近確信した。

結局は会話する相手が人として興味を持てず
自分にしか神経がいってないってことかな。

自分がどう成長するか
自分がうまく話せているかどうか
自分が人にどう思われているか
自分がどう思うかどうか

人の話の内容に興味があることはあるけれど
それを相手が気に入るように
話を広げていくのは神経的にくる、し
疲れるところだ。

それで人が喜んでくれたときは
うれしいのだけれど
そういうときは自分の心は無視して
ただ相手が喜ぶようにとやってしまうけど
会話をたのしみながら
自分も楽しむなんて
神経の筋がブチッと切れてくれないと
無理かもしれない。

みんな楽しいのかな
人との会話。。。
       

2005年07月11日(月)



 酔っぱらいモード全開!

嫌いとか好きとか
合うとか合わないとか
けっこう紙一重だ

嫌いが好きになり
好きは嫌いになり
合うが合わないに変化し
合わないはずが合う。

そんなに簡単に人のこと
非難したりするなよーーとか
思う。
どうせそのおしゃべりは
弱い自分のためのストレス解消であり
居場所確保のためのマーキングでしかないんだから・・・

ウンチク垂れまくり。



2005年06月16日(木)



 

あしたからまた仕事。
連続で行ってるとやる気満々、ノって仕事できるんだけど
ひょっこり休みがあったあとの出勤日は
やだな〜〜
新たな人見知りが始まる気分。

仕事自体はいいんだけど
またあの仕事特有の世界・・ちょっと逃げ出したくなる。

なんだろう・・・
自ら好きこのんでその世界特有ガチガチの価値観で
仕事してるけど
ふっ。。と
その価値観がとってもちっぽけでつまらない
世界のことのような気がするときがあって
だからといって
それをどうこうしたいとか
誰かを変えたいとか
仕事やめたいとかって
ことじゃなくて・・・

毎日、自分なりのモラルをもって
周りに気を遣ってよりよく仕事しよう
よりよく他者とかかわろうと
がんばっている。

もちろんそれはそこで生きていくとすれば
必要なことなんだけど

ふっ。。と
日々、誰かが誰かにひれ伏しているのをみたり
狭い世界で誰が正しいの、正しくないの
かしましかったり
悪口がなわばりをつくっていたり
髪やネイルの色がみんな同じだったり

一日仕事場離れると
どれだけくだらないかわかって
でもそのくだらなさのなかで
どうやって自分の羽の色を失わないで
毎日羽ばたいていけるかなんだなと
思ったりする。


そりゃ、その世界をとっとと退けば
自由にはなれるけれど
どこへいっても
どんな世界でも
そんな繰り返しなんだなと
思う。

自分自身が縮こまらないで
どこでも生きていける羽をもちたいなぁ。。。


2005年06月06日(月)



 暑苦しい女

日頃から感じていたことだけど
「肩の力が抜けた感じ」というのに
とっても憧れます。
例えば、リアクション。
人から、また仕事なんかでちょっと自信ないな〜ってコトを
頼まれたとき。
「はいっ!がんばります!」と一部のスキもなく大まじめに言う人。
「できるかな〜。でもやってみま〜す」と笑顔で言う人。
私は、前者だけど、後者のほうがイイナと自分では思ってます。

人と会う約束をしたとき。
相手より絶対に遅れてはダメという強迫観念があります。
「美意識」なんてやわらかな代物じゃない
「強迫観念」です。悲しいことに・・・
たとえ相手が約束の時間の15分前に来る人でも
それなら自分は20分前に行ってないとダメです。
30分前に来る人ならば、私は40分前。
競争してるわけじゃないのですが・・・
よく「デート」は相手よりほんのちょっと
遅れていくべきだなんて言いますが
相手が男であろうと女であろうと
私には無理です。
だから人と約束したら、例外なく私の方が先に約束の
場所で待っているのだけれど
そんなとき、たとえ遅れても

「ごめんね〜待った?鍵をかけたか不安になって
帰って確認してたの」

なんて息をはずませて笑ってあらわれると
そんな姿に憧れてしまいます。
「時間に遅れない」ただそれだけの自分よりも
遅れてもなお、人の心をそらさないその人、という
現実に憧れてしまいます。

知人が「これ読んでみて」って本を貸してくれて
その本を読んだんだけど、返すときに感想を話したり
何かちょっとしたものを
つけるだけじゃダメだと思い、その本の作者について
インターネットで徹底的に調べたりもした。
まるでノルマか宿題のように・・・
そうしないと私の話術じゃ、
相手にキモチも伝わらないんじゃないかなと思ったので
(別に緊張するような相手じゃなかったんだけど)


ここまで書いてきただけで
私ってそうとう暑苦しい女ですね。
この暑苦しさ、この堅苦しさがイヤですね〜

いつも人に対して構えているから
こうなってしまうのでしょうか。
せっかく女にうまれたのですから
もっとたおやかにいきてみたいのですが・・・


性分ですかね・・・



2005年03月25日(金)



 無情なハサミ

綺麗に咲いている薔薇の花と茎を分断するように
ときどき今までのつき合いを全部、無情なハサミで
切りたくなる時がある。

私にとっては過去は過去でしかなくて
遠く離れた人に突然
近くに来ちゃったんだけど会えない?
とか言われると
表面のわたしはうれしくて心が躍り
裏面のわたしは限りなくめんどくさくて
表面と裏面はときどき入れ替わったりして
動揺するので
それを称してわたしのこころは
「無情なハサミ」を幻想してしまうのだろう。

わたしが今「ハサミ」をふるったなら
どんなに綺麗に咲いていようとも
ボロリと花は地面に落ちるでしょうね・・・と


”今”を生きていてもそうかもしれない。
頻繁に会ったり、自分の家に招いたりして
自分を隅々まで公開する心地悪さを
裏面のわたしは押さえきれない。

わたしが人と会ったり交流したりするのは
楽しみとか娯楽でなく
自己愛に他ならない。
自分を人と引き合わせて、刺激を受けたいとか
たまには不快な思いをして成長したいとか
おしゃべりのワザを伝授してもらったり

人と接していて学ぶことはおそろしくたくさんある。
考え方、しぐさ、リアクション、服のセンス
ライフスタイル、どこまで自分の内面に人を踏み込ませるのか
どこまで人の内面に踏み込んで話をするのか
バランス感覚・・・・。他にもいっぱいある。
存在自体が何かを教えてくれる人もいる。

だから何かを得たいという自己愛のためだけに
苦痛をがまんして人と会うのかもしれない。

そんなことを考えていると
この人はどうして今私にあってくれているんだろう?
と思ったりしている。

私はいつも心に
「無情なハサミ」を隠し持ってるというのに。




2005年02月17日(木)



 いつのまにか冬になってた

とてもたいへんだと思えることを

たいへんだなんてうけとめたりはしない

こころの自由さがほしい。



2004年12月07日(火)
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