再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 『島口説』東京公演パンフ掲載文

演出の戯言

めんそーれ沖縄!
民謡酒場「スミ子―の店」にようこそ。
自分を「かんぽーぬくえぬくさあ(艦砲射撃の食い残し)だ」という女主人スミ子。
劇中スミ子は時代の不条理に、沖縄の不条理に「翻弄されながら」も不器用に立ち続け問いかける。そこに在るべき人の姿はーと。
嘗て沖縄芝居の名優北島角子さんが演じた一人芝居。
今宵はやよい&小百合の二人が身体と心を目一杯ついやし演じます。
沖縄の戦前、戦中、戦後、アメリカ世を駆け巡る長い長い旅路は悲喜こもごも。
この民謡酒場スミ子―の店で島唄と舞とお酒と話を肴に、
声の出しにくい時節柄ですが、最後まで笑って泣いて、心を一緒に奏でながらお楽しみください。
どんな今を過去から学び、
どんな未来に繋げていくのか。
そして自分はどんな歩を進めていこうー
私事で恐縮ですが、沖縄との縁が始まったこのスタジオ結でこの物語をお届けする機会を得ることができたこと、感謝いたします。
そしてこの禍に新宿まで足をお運びくださった皆様、いっぺえにふぇーでーびたん。

藤井ごう

2020年09月28日(月)



 お話しましょう??

『島口説』は東京のお客様との出逢いに一進一退しているけれど、
演者お二人の魅力は日々更新され、もっと!の思いが続く。
もっと公演期間が欲しいなぁなんて、思う。普段俳優さん、と呼ばれる職業でない2人がそんなジャンルなんてものを飛び超える瞬間がきっとくる、
コロナに対しての緊張感は、やはり、ある。
でも、この時だからこそ、の「壁」の意識化などは目一杯面白がってするのだ。
しかし閉口する事態はなんだかずっと続いている。
この間

『集団が個人を殺していく』

のを目の当たりにしている。そして私もくらっている。

おそらくそんなつもりもなく。殺していく。
心を殺していく。そして当事者は匿され都合の悪い事は埋葬する。
そして時間が経てば忘れる。喉元過ぎればまた忘れる。
自覚ないのは本当にまずいと思う。
悪意はないからいいでもないと思う。悪意がないなら問題はもっと根深い。
普段そういうことをメッセージで放っているブーメラン。。
ようやく自分たちの多忙が過ぎて周りに目を配り始め、ようやく状況の不味さに向き合って(こちらから既に出ていたSOSは忙しさを理由に感知せず、強い発信に出逢って慌て)

「決まっているのだからお話しましょう」

では虫が良すぎる。
違うのだ。
だって既に集団は

「決まっていたことを打ち壊している」

のである。集団側の論理に終始する、相手側への想像力の圧倒的不足。

「こちらは既に壊されて、いるのだ」

そして纏わる個人の心を更に砕いている。きっと「ちょっと今手が離せないから」程度の思いで。
だから残念だけれど、殺しにくる集団論には

「決まっていることを壊します」

と、提示する以外に個人が闘う術はないし、実際にそういう思いにさせられてしまった。
既にそういうことを「自分たちが行った(行ってしまった)」のだという事実にちゃんと向き合ってもらうためにも、残念だけど『決まっていることが終わってから』ではダメなのだ。

引き受けた『責任』において話をしてくるならば、
ご自分たちが引き受けた『責任』について、どう思うのだろう。


こんなことを言葉をどう紡げば伝わるかと考える無駄な時間、
そして投げかけに対して無用に放置され(今忙しいのは、こちらには関係ないし。意見を取りまとめてから、も、全くこちらに対しての配慮ではなく、集団の体裁をどうするかでしかないのだから)待たされる時間(その間にもこちらの現場の時間は着々と〆切を迎える←これもきっと逆の立場になればわかるでしょうか…)
こんな時間は本当は必要ないはずだし、こんなことに感けている間に、やらなければいけない事が多くあるのだが、引っ張られて手がつけられない。

もちろん、この間、心ある人たちが、
穴埋めをしてくれようと、繋ぎになろうとしてくれている。
殺されていくのをただ見過ごさずに、手を差し伸べている人たちもいる。
現場にあけられた穴を、やる必要のない人たちが全力でカバーしてくれている。
そんな中、遠くから眺めるだけの人もいる。隠れる人もいる。気にしながら窺う人もいる。
…いつも通り変わらない人もいる。
不思議なくらい「人間」がよく見える。「人間性」が。
大切な人も見えてくる。
心ある人の思い、には応えようとは思う。



2020年09月27日(日)



 進むしかない。一人一人。

沖縄での戦後75周年『洞窟(ガマ)』の本稽古始まる。
姿勢を正して、ちゃんとじっくりといろんなモノに向き合いながら、面白い作品を生み出すスタートを切った。
味方だと思った所から弓を引かれ、足を引っ張られているけれど。
話しても話しても暖簾に腕押し、空回り、鈍過ぎる対応。
きっと『それどころじゃない』んだろう。
1クール終わって、思い切り迷惑をかけているのだから、情勢の確認くらいあるやと淡い期待も脆くも潰れ、
怒りも度を過ぎると、諦めしかない。
そんな集団とはもう付き合いません。先の仕事も、こちらの仕事自体を否定するのだから、残念だけどご一緒できません。やりません。
とゆうか、そこまでしないとどれだけのことをしたのか、分からないのだと思う。
当事者も、周りも。特に周りの、流れと雰囲気だけに任された陰口ばかりを放ち、責任を取らず、当該の人物だけに重くのしかかる空気を率先してつくる残念な人たちよ。(これだけ一緒にモノを作ってきたと思っていたはずだった)
非常に悲しいことだけれど、やっぱりモノづくりは、人との信頼の上にしか成り立たないです。

だからこちらはできることを、実感しながら
メンツなんて気にしないで、参加者一人一人全てで能動的に参加度高く手作りで創っていこう。
それが、この地で、大切な、大事な作品を手掛けさせてもらう(本の書き直しまでも)機会への処し方だ。

エーシーオー沖縄
『島口説』/青年劇場スタジオ結
〇9月25日(金)19:00 9月26日(土)14:00 19:00 9月27日(日)14:00
脚本:謝名元慶福 脚色・演出:藤井ごう
 www.acookinawa.com
『洞ガマ窟』〜戦後75年〜/ひめゆりピースホール(栄町市場内)
〇10月25日(日)〜10月31日(土)
脚本:嶋津与志(大城将保) 脚色・演出:藤井ごう
 www.acookinawa.com



2020年09月14日(月)



 過去と現在と未来。

気が付くと夏らしいことなんか何もしないままに八月も終わった。
アベも終わった。最後のくだらん物語のムードに流されて、なんだか70パーセントの人が、評価する。となったこの日本のいや、個人の在り方よ。簡単に物語に乗せられてしまうのだなぁ。物語の創り手である僕らは、このことをよーく捉えておかないといけないと思っている。
緊急事態宣言が解かれてから、抗体検査やら、PCR検査やら受けながらの本番やら稽古。
青年劇場「キネマの神様」はある種の厳戒態勢の中で、ひと月半の長丁場を誰の離脱もないまま旅を終えた旅班に拍手。もちろん、万全が何かが誰にもわからないなかで最大の準備をして迎えてくれた九演連の皆様の努力のお陰、大拍手。稽古場の要求は普段より高くなった。なにしろこの禍に人から求められて公演を打つことができるのだ。
そしてこの禍だからこそ、いかに「演劇というものが客席と出逢うことで完成する」「一緒につくる」ものであるか、声が出るわけでもないのだが、その温度によって舞台上がどれほどの影響を受けているものなのか、改めて実感をさせてもらった。
得難い機会だった。
今年オンラインでの授業やら稽古の最初の方で説明を繰り返していた

舞台芸術は、場を共有する目的をもった媒体である。

ということ、
つまり、客席にも想像力の共有を強いる芸術であるということ。
なので、簡単に「無観客」やら「配信」とはいかないこと。
改めて、強く確信を持った。(もちろん芸術は時代の要請でこの先も変化していくと思いますが)

合間でコロナガイドラインに沿って、再演にむかう「島口説」の演出変更。
10月に同じく沖縄で公演する「洞窟(ガマ)」のリライトの為の取材と実地調査。
飲み屋にも行かず、ホテルと稽古場の往復。
東京では、すべての移動を自転車に変え、養成所の中間公演の稽古、そして本番。
「今だからこそ」をどれだけ感じ、自分の地力の蓄えにかえられるか。
生徒たちも「どうなるかわからない」中で、最大限の努力をし、わからない、と、むずかしい、に対峙していた。
そして、初めてご一緒する劇団銅鑼さんでオーディションWSをして、来年3月に向けて始動。
12月に再再演が控える「太平洋食堂」の事前稽古、WSも始まり、あらためて仲間群の多い現場の強さと厳しさ両方を思う。
今のところコロナになって、三本の本番が日の目を見る機会を失くしたけれど、有難いことにモノを創る機会を取り上げられることはなく済んでいる。
立ち止まらず一つ一つ、求められるものを丁寧に大胆にやって行こう。

そんな中で、来年以降で以前から演りたかった仕事のオファーが重なり、
断らなくてはいけないもの(惜しすぎる…)、逆に承ることのできたもの。今までをベースにして、新しい出逢いができる機会を嬉しく思いながら。
今までを大きく疑う事態に遭遇もして、「これから」とゆうものを考える。
「師匠に似てきた?」と言われて、「いやいや、それ程では」とか言いながら、
そういえば、その師匠が「こいつ怒ると本当に大変だから」と他の人に言っていたことを思い出す。(一時期は必ず「怒ってない?」と皮肉も含めて言われていたなあ…)
私はとにかく、「面子」やら「規律」やらよくわからないものより、関わってくれる「人」を大事にしたいのだ。「縁」を大切に。


2020年09月04日(金)
初日 最新 目次 HOME