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■ しのごのゆう、、、
格好悪い代表格のよな言葉としてかつてはあったのだけれど(自分にとっててね)、ナンダカンダ『努力』が如何に重要であるか、あるか、あるか、、、 教えのシゴトにもライフワークのよに従事しながら思うこと。 演技指導込み込みの演出をしながら思うこと。(まあ、私の場合ほとんどこれだけど)
『うまくなりたい』『うまくみせたい』 『地力をつけたい』『もっと世界を広げたい』 『いつも自分だよね、と言われたくない』 『本が読めるよになりたい』 イロイロおっさいますが、 質問に質問で返すと、 世界って、地力って、うまいって、 こうゆうことに関して具体的に考えたこともない始末。 なんとなくの空気をよむことに腐心して、 ⇦そこは結構感度バツグン。 で、飛び出ることを恐れ、これくらいでいいですか?感で処理している。
その努力している姿を見せるか見せないか、 そんなことは実は小さな事で、 結局は、自分とゆう素材に対して、如何なる栄養をとりこんであげるかだと思うのだが。 あまりにもエサを待つ雛鳥のよに自分の安心できる陣地から出ることもせず、 渡されていることの質を深読みもせず、 知らない作品に相対するに、武器も持たず(資料を読む、見る、調べる、兎に角台本を読み尽くすとかね)、かといって思い切って裸で飛び込むでもなく、 予習もきっと復習すらしない。 嫌いなものなら話はわかる、 が、 飛び込んだ好きな世界、とゆう場所で、 そこで『生きていく』ことを望み、選択したはずである。(タブンネ)
最近はご無沙汰なのであれだけど、 プロのコーチや、アイドルのコーチをしていて思った彼女彼らの、『明日首切られるかも』『私もあそこに選ばれる!』。。そうゆう強い動機と、相手と対峙している大人感と貪欲さ、 驚きと辟易が伴った。比べたって詮無いことだけど、 そもそもかなうわけがない、 そもそも人の目についてスカウトされた輩、 そもそも何千人単位のオーディションを通過したモノ、 彼らは少なくとも努力している。 事務所や会社がそうさせるところもあるけれど。 早期から自分の差別化をはかる。 そこに注目とお金が集まることをいやほど知っている。 もちろん、10代の初めからそうゆう世界にいることがいいことだとも全く思わないけれど、 素材、があった上で『売れる為』努力する彼らと、
自分でやりたくて学校に通ったり、 自分でやりたくて劇団選んだり、 趣味の延長で特にやりたいこともなく続けたり、 素材もない、上で、努力もしないのでは、どこにも行けない。漠然としてたら目標もつくれない。 誰かが親鳥のように飛んできて『あたし』『おれ』だけを選んで、夢のよな世界に連れ出してくれるとでも思うのか… (連れてもらえる機会があっても、考えてない人は潰されます、上の人たちが五万といる世界だからね。はい)
スタートラインもちがい、 なにをしたい? 思い出作り? 『今』だからできることがある。 『今』しかできないことがある。 そうゆうものに、目をつぶらない事。 時間を費やす事を恐れない事。 その瞬間が明日の自分を創るのだから。。
まあね、自分がその『今』をも少し早くわきまえていれば、なんて思ったりするも後の祭り(笑) 高校生の、新しい遊び道具を手にしたよな輝きに出会いながら、具体的なはずの現場について殊更思うのである。
2015年01月28日(水)
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