再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 『島』を観る。サロンは始まる。

島、東京公演終わる。
これでしばらく島はお休み…

島を改めて客席でダメ書きをせず真っ直ぐに見て、
もちろん満足とは違うのだけれど、
これこそ、大きな時代の流れに翻弄され、利用し、享受し、人間が変化し、さらには、個人の問いかけ、自分への問いかけ、自分たちの顔を露わにし、
そしてラスト客席が自分の顔について、感じさせられるー
って、60年前の作品が深ーいところでやっていたんだなぁと思いながら、
間に3年のスパンがあったにせよ、
初演は初演(初演は初演の良さがあって、すごい変わったねぇとゆう人たちが多いけれど、ハッキリと観る側の意識が変らざる得なかったこの四年間があった訳だし、少々違和感はありながら=初演時はまた別の高揚があった(私たちじゃないよ)のも事実)、
今回のまた別の意図、今の時代にフィットするまでに、結果どれだけの時間をかけたのか。(ミザンは、やっぱり今回も、大きく変わった風な山の上も含め、実は変わってない(笑))
そして、最初劇的過ぎる、と思われたそのある意味ご都合な大きな流れを
現場が、そうでなくてはならない、とゆうところまで世界を構築し、
本の良さを再発見し、さらに、一過性でない、普遍まで、
その作家の思いを昇華する。
(まあ、全く違うカタチの初稿から始まり、現存で五稿?
今回の旅仕様で六稿みたいなもんだが、そこまで何十年もかけた重み、そして、せんじんたちの魅せるとゆう意味での知恵が入り込み、また観られた中で変更がくわえられていったのもある)

ただ、そのイロンナ手がはいっても耐えうるだけの芯が
通底するものとしてある訳だ。

だから終わった先から、「もっと」の思いが湧いている。
この健全さ。
こうゆう作品と巡り会えたのは、はっきりと、創り手冥利につきる。

…もちろん、毎回とはいかないのだが…
翻って、そうでない現場について、忸怩、ジクジクする日々である。

村松サロン劇場は、無事にオープン。
来週の土曜日までやっています。
諸事情で、わたしはほぼ劇場におりませんが、お時間あれば覗いてください。

(読売新聞) 女優の村松英子=写真左=が企画する「和敬塾サロン第12回公演」が28日から12月6日まで、東京・目白台の和敬塾本館(旧細川侯爵邸)内サロンで開かれる。

 「冬のロマン―語り芝居―」と題した朗読劇。近年は、毎年同時期にサロンで朗読劇を行っており、今回は、室生犀星作「不思議な魚」、夏目漱石作「夢十夜」と、村松が脚色した「扇の不思議」を読む。

 「不思議な魚」は、小さな人魚のような魚たちと漁師の息子との物語。「声に出すと情景が目に浮かぶ作品」として「夢十夜」はこれまでも題材にしており、今回は未読の2編を取り上げる。「扇の不思議」は、オスカー・ワイルドの喜劇「ウインダミア夫人の扇」を朗読用に短くまとめ、設定を19世紀末の英国から大正期の日本に変えた。

 出演は村松と娘のえり=写真右=、中山仁、能楽師の野村万蔵。演出は藤井ごう。上演後は、飲み物などを用意して観客との交流会を開く。「サロンの雰囲気に合うよう肩の凝らない作品を選び、フルートの生演奏(鈴木章浩)も入れている。いろいろな意味で、ご機嫌になって帰ってほしい」と村松は話している。(電)03・3945・5384。





2014年11月29日(土)



 村松英子サロン劇場公演情報、28日から

村松英子サロン劇場 語り芝居『冬のロマン』

⚪️会場
目白台和敬塾内 旧細川邸サロン(東京都文京区目白台1-21-2)

⚪️作
室生犀星(「不思議な魚」)
夏目漱石(「夢十夜」より)
村松英子(「扇の不思議」)

⚪️演出
藤井ごう

⚪️出演
村松英子
中山仁

村松えり

フルート 鈴木章浩

野村万蔵

⚪️日時
11月28日(金)19:00
29日(土)14:00/19:00
30日(日)14:00
12月1日(月)14:00
2日(火)19:00
3日(水)14:00
4日(木)14:00
5日(金)19:00
6日(土)17:00

⚪️料金
5000円

★全席自由・開場は30分前

⚪️上演時間
お芝居は1時間程度
終演後、参加ご自由の小一時間のパーティーがあります

お申し込み&お問い合わせ

gofield1210@gmail.com

サロン劇場tel&fax
03-3945-5384


(朝日新聞より)女優の村松英子が主宰する「サロン劇場」が28日〜12月6日、東京・目白台の和敬塾内の旧細川侯爵邸で、3作品の語り芝居「冬のロマン」を上演する。村松が、オスカー・ワイルドの「ウィンダミア卿夫人の扇」をもとに、大正時代の上流階級の設定に直し、脚本を書いた「扇の不思議」が見どころだ。村松は「母性愛がテーマ」と言い、劇中の母娘を、長女の村松えりと共演する。室生犀星の「不思議な魚」、夏目漱石の「夢十夜」も上演。入場料5千円。03・3945・5384(同劇場)。

 (毎日新聞)村松英子主宰の「和敬塾サロン劇場」第12回公演が、28日〜12月6日に東京・目白台の和敬塾内旧細川邸サロンで催される。テーマは「冬のロマン−語り芝居」。室生犀星の短編「不思議な魚」と夏目漱石の「夢十夜」▽オスカー・ワイルドの「ウィンダミア卿夫人の扇」を村松が一幕劇に脚色した「扇の不思議」を上演する。

 「扇……」は舞台を原作の英国から日本の大正期に置き換えた。

 風見伯爵は妻ひなの誕生パーティーに間宮夫人を招く。若き日に娘ひなを置いて出奔した間宮は、娘に会いたい一心で風見邸を訪れるが、間宮が母と知らないひなは夫との仲を疑い、自分に言い寄っていた男性のもとへ走る。間宮の求婚者である清野伯爵を巻き込み事は思わぬ方向に動く。

 「サロンで1日の間に起きる喜劇です。心理劇としておもしろいので以前から上演したいと思っていた」と村松。村松が間宮、長女の村松えりがひな、中山仁が清野、狂言師の野村万蔵が風見を演じる。問い合わせは03・3945・5384。【小玉祥子】


2014年11月28日(金)



 『島』パンフレット掲載文。。。

演出の戯言

この猛暑の中、島のことを考えながら、何の変哲もないとある住宅街を歩いていた。
フト目に入ってきたのは、

「ちょっとだけ」 離れるだけでも まず「施錠」

という看板。
要は、町の標語である、ちゃんと七五調だったりするところがニクイ。
出来上がった時点で、これはもう、近所の中華料理屋かなんかで乾杯しているにちがいない。
でも、とても違和感があった。わかるんだけど。これは町会の標語なのだ。
で、その違和感で立ち止まって、周りを眺めてみると―
まず目に飛び込んでくるのは壁に貼られた「犯罪!」の文字。続いて「ダメ!」の文字。
そのちょっと先には、「防犯カメラ稼動!」さらに先、「ひったくり注意!」
―なんだろうか、これは。ここは一体どんな犯罪地区だと言うのだろう…この暑さ以外は見た目長閑な地区には、昼の顔と夜の顔、全くの違いがある、とでも言うのだろうか、途端、この場にいるのが不安になり怖くなってみたりするじゃないか。人間だもの。

もちろん、「犯罪!」はそれ自体より小さく「不法投棄」、「ダメ!」にはその大きな字の中に「ポイ捨て」、「防犯カメラ」は病院の「安全確認のため、立入禁止 病院長」と書いてあるわけだが、
この恐怖と不安を煽る言葉たちは一体なんなのだろうか、自己責任論から生じる危機意識の高揚、とでも言うのだろうか、
確かに、ルールを破る行為者がいてのことなのだろうが…

そのゴミ集積所には「みんなで守ってキレイに」やら「綺麗な町」やらの文字も踊っている。そりゃあ、汚いよりキレイの方がいいのは勿論だし、ゴミだしのルールがキチンと守られていれば街角名物「ゴミ集積所おばちゃん」みたいな人の登場もないわけだし。
しかし、ゴミはなくなったとして、時間も守られたとして、その雑多なくせに整然と貼られているその紙たちを見て、これが町の「キレイ」と呼べるのだろうか、これで町の「キレイ」が守られたと言えるのだろうか、と突っ込みをいれてみる。そんな文字を子どもの頃から見せ付けられていると、どうなってしまうんだろう…。
この町あげての言葉の奥に見え隠れするのは「誰もルールは守らないから、そうそう人の事など信用しないで、甘い考えでいるとやられるよ。人の心はキタナイよ。でも、これを書いている私たちは大丈夫だけど」というメッセージである。自衛の為の、先制攻撃だ(実際はどちらが先だかはわからないのだが)、平和が乱されるから未然に防ごうとする。
これは是か非か、黒か白かの二元論に囚われた僕達の、学が白髪の老人といえる存在になっている頃の、日常東京の風景だ。これはとても小さなハナシだ、でもとても大きなハナシに繋がっている。恐怖と不安を煽るように、日々メディアから発せられる警句に、真偽を確かめる術もないままに、僕らは息をつまらせるしかないし、何せ、北京で蝶が飛べば、この際桶屋が儲かる、くらい言ってしまってもいいくらい、世の中は複雑で雑多に繋がっているのだから。

「キレイはキタナイ、キタナイはキレイ」

ゴミの話ではない。先人の書いた、大いなる矛盾についての言葉を思う。
人という存在自体が矛盾そのものである、でも矛盾している存在だからこそ「考える」ことができ、「考える」ということは、可能性に向かって開いていくことと、同義だ。
特に、この情報過多の時代に、「鵜呑み」ではなく「自分の頭で考える」のは至難の業だし、
みんなどっかで傍観者だ。傍観者は静に物事を眺め、大勢に添うもの、わかりやすいもの、声の大きいものになびいてしまい、いつのまにか「自分が考えたこと」と「みんなが言ってること」が同意に捉えられ、気付くと思っていたのとは全然ちがう場所に来てしまっている。

だから、みんなの意見はコロコロと変わる。
「自分」と言う主語をなくしてはダメだ。自分で考えてみるのだ。一人ひとりの自分が「なぜ?」「どうして?」と問いかけ、面倒くさがらずに深く問い続けること、その一つの個の思いから、大きく動いていくこともあるんだから、

この「島」は決して、「過去の遺産」ではない。
今の日本、でもある。白でもなければ、黒でもない、間の地点である。
島で生きている人間達も、決して「ただの創造上の過去の人物たち」ではない。
今と繋がっているのだ。
全ては人の行為の上にあり、人は人同士の関係の中で動いている、蠢いている。
僕らは彼らにどんな風に出会えるだろう。
学とは? おきんとは? 邦夫とは? 清水とは? 諸々…


その「死」とか「傷」とか「記憶」とか「時代」とか、誰が悪い、ではなくて、現在生きている人間全てが、捧げる思い、祈り、誓いとして昇華させるべきもの。
「自分」として、決して忘れてはならないものがある。


以上は初演時に書いた戯言。
状況は刻々と動いていき、たったの四年、されど四年。
東日本大震災、政権交代云々…
動かすと疲弊するので色んな事にココロを動かさないようにしていたり、覚えていようと思っていたのに忘れてしまっていたり、気づき見回すと情勢は思ってもいない地点に来ている。
あずかり知らない場所を歩いてやしないだろうか?
現在、2014年ー

改めて、人物と、そして「自分」と出会い直す必要を強く感じている。

2014年11月27日(木)



 青年劇場『島』府中公演詳細。

2010年初演の青年劇場『島』が四年の歳月を経て再演、各地を回りました。
嘗ては民藝さんの代表作でしたが、上演時間も圧縮、今に繋がる素敵な舞台だと思います。東京は悲しいかなたったの1日限り、、、
是非、今旅中、イキのいい且つ熟成された『島』ご覧ください。以下ー

1951年、瀬戸内の小島。
広島で被爆し九死に一生を得た栗原学は、
教師の仕事を続けながら将来のことを思い悩む。
朝鮮戦争の軍需景気に支えられている島の生活。
同僚や、東京で働く同級生の言葉。
そして教え子の存在…。
2010年東京公演、そして3・11…。
奪われたいのち、遺されたいのちへの想いをこめて、「普天間」の藤井ごう氏と青年劇場が全国へ!

青年劇場『島』
作=堀田清美
演出=藤井ごう

◎第4回(1958年)岸田國士戯曲賞受賞作品

http://www.seinengekijo.co.jp/s/sima/sima.html
(詳細)
<東京再演>
11月26日(水)18:30
府中の森芸術劇場ふるさとホール → アクセス


一般=5,150円(消費税8%含む)
U30(30才以下)=3,100円(消費税8%含む)
当日 一般=5500円(消費税8%含む)
   U30(30才以下)=3400円(消費税8%含む)
◎全席指定  


キャスト
清原達之、北直樹、吉村 直 、上甲まちこ、藤木久美子、清水美輝(スターダス・21)他

スタッフ
美術=石井強司、照明=和田東史子、音響効果=近藤達史 他


2014年11月26日(水)



 旭川と、府中の告知。

『島』の北海道演鑑で旭川へ。
正直、そんな場合でもないとは思うのだけど、
約束のモノは届かず、現場も疲弊気味。
そして島班もいないのでは、、、

よきリフレッシュになればいいと思う、
この先は怒涛になるしかないのだから。

わたしも在旭川中は、
一切他の事を考えるもんか!
と、踏ん切る積もりも、着いた瞬間からイロイロOUT(笑)
や⇨まぁ、そんな風には進まないものですね…

公演は会館変わらず2日に渡り2ステージ、
芝居もテクニカルも時間をかけて確認し直す。
客席の舞台への集中力の高さと、カーテンコールの拍手の大きさには、大いに力をもらう。
だからこそ、あくまでも、日々、階段を上がっていく作品であれるように。
私としても、日帰り級のスケジュールは何とか避けられた(出発前日までその可能性があった)ので、北海道の幸を堪能する時間も少し…

戻りは朝一便で、昼からサロンの稽古、夕方から『相貌』、夜は急遽設定の打合せであったとしても、美味いものに勝るもの、なし。

しかし、その『島』東京府中公演、
集客芳しくなくて…1日➕場所があったにせよ…
どうかご来場を!

青年劇場『島』府中公演詳細。

2010年初演の青年劇場『島』が四年の歳月を経て再演、各地を回りました。
嘗ては民藝さんの代表作でしたが、上演時間も圧縮、今に繋がる素敵な舞台だと思います。東京は悲しいかなたったの1日限り、、、
是非、今旅中、イキのいい且つ熟成された『島』ご覧ください。以下ー

1951年、瀬戸内の小島。
広島で被爆し九死に一生を得た栗原学は、
教師の仕事を続けながら将来のことを思い悩む。
朝鮮戦争の軍需景気に支えられている島の生活。
同僚や、東京で働く同級生の言葉。
そして教え子の存在…。
2010年東京公演、そして3・11…。
奪われたいのち、遺されたいのちへの想いをこめて、「普天間」の藤井ごう氏と青年劇場が全国へ!

青年劇場『島』
作=堀田清美
演出=藤井ごう

◎第4回(1958年)岸田國士戯曲賞受賞作品

http://www.seinengekijo.co.jp/s/sima/sima.html
(詳細)
<東京再演>
11月26日(水)18:30
府中の森芸術劇場ふるさとホール → アクセス


一般=5,150円(消費税8%含む)
U30(30才以下)=3,100円(消費税8%含む)
当日 一般=5500円(消費税8%含む)
   U30(30才以下)=3400円(消費税8%含む)
◎全席指定  


キャスト
清原達之、北直樹、吉村 直 、上甲まちこ、藤木久美子、清水美輝(スターダス・21)他

スタッフ
美術=石井強司、照明=和田東史子、音響効果=近藤達史 他




2014年11月19日(水)



 タワゴト。。。

上手いとか下手とか、
上手くやろうとか、
って何だろうと思う。

そりゃ、下手、より、上手、の方がいいような気はするし、下手くそ、より、上手、とゆう評価の方が良いのかもしれないし、心理としてわからんことはないのだが。ことは稽古であり、稽古場だ。
答えはそう単純なものでなく、
上手くやろう、上手に喋ろう、とゆう目的を誤った態度と、それを『人』の造作だと思って憚らない人間への興味のなさ、
確かにただ頭デッカチになって、如何にもこうにも動けない、では意味はない。でも、

すぐに答えを求め、
そうじゃないとわかると、すぐ、
わかんなくなっちゃいました。
って言えてしまう感覚と、

他人の芝居を見て、チェックを聞いて、
自分のことじゃない、とそもそも、その現場でどうゆうルールが敷かれているのか、魅せ方について何を追求されているのか、他の人の演技に興味を示さなかったり、

一ヶ所言われると、そこだけしか意識しない
想像、創造のなさとか、
文字を文字通りの意味の雰囲気だけで読んだり、

結果である状態を
内実わからない段階からつくろうつくろうとしたり、
具体的に、

漠然と、
ともに些細なことで、
どうでもよかろな感じでいれたり、

乱暴に言えば、正解なんてない世界。
生きている世界の常識みたいなものとの違いで全体の見え方なんか大いに変わるし、
人間の在り方だって変わる。
だから時代の違うモノをやるときは、
背景や、それこそその時の常識とゆう装置について調べたり、観たり、想像する。
それでもひとりの頭では足らない、
当事者にはそうなれない、
だからガムシャラに、今日は昨日まで構築してきたものが壊れ去るかもしれないような恐怖とたたかいつつ、
稽古でぶつけ合って、解体して、また積み上げる。
各々の仮説が化学反応して、
その場のホントになれる真説が垣間見れる。
一瞬の光みたいな瞬間だ、
それを見逃さない瞬発力も必要。
上手くやろうなんて思っている暇はない。
そうゆう事をやってみなければ。

まるでタイミングかのように、
学芸会を観る機会があったのだが(私はあの演技指導で演劇嫌いを発症した⇨なのにやってるって…)
上手く見えたい、
はつまりこのレベルのこと、
一生懸命だったね、
もつまりはこのレベルのこと、
少なくともプロならば、
両方とも『あたりまえ』で、
求める目的とするものではないな少なくとも(笑)

そもそもわかった気でいて
一番わからない存在が自分自身だとして、
他人を軽はずみに

わかる

なんてことがある訳がないではないか。

俳優もそう、
もちろん、こう書いている私もそうなければ
そして、やっぱりホンも人間、なんだよね

2014年11月16日(日)



 モノづくりのスタートラインにちゃんとつくこと。

現場、スタートラインのつき方なんかで、たまにピリッとしながら進む。
明らかな疲れも見えつつ、
結局、島スタートに全体間に合わず。
まあ、稽古として前半にこだわれること自体悪いわけじゃないけれど、

しかし、まあ立場としての自分もあるから、それはそれとして、この共闘感のなさはなんなんだろう。
任したらそこで終わりなのか、はてさて、、、
んー
ま、任された現場は面白いものを創るしかないわけだが、
ない条件で七転八倒するのだけれど、その前提条件に欠落が生じている場合は、
火急な事態に対応する行動力が必要ではないか。
人員いないまでも、
フォロワーのなさとゆうか…
この離れ小島状態は決して良いとは思えないのだ。
言ったら、現場スタッフにスイモアマイモ知り抜いた人間がいない中だからこそ、
行動の助けが必要なんじゃないかと思っている。
スタートラインにつこう、とにかく。


この日記は、時限タイマーつき(笑)

2014年11月15日(土)



 〆切を過ぎ、

『相貌』は少しずつ全容が見えながら、まぁぁ、現場は停滞することなく、着実に牛歩のよに?進んでいる。
この後、島のメンツが抜けてしまう前には、全容が欲しいところだけれど、美術始め、もう決めたい案件が後手後手になるのは致し方なしながら、こちらも変容に変容を重ねざるを得ない。
うーむ…
イヤな顔せず、知恵を出し合うのは悪くないけど、そこは美術家と私だけの先行にならないよに…とは思いつつ。
映像、音楽なども絡んでくるし、
視点を変え、状況を楽しむ努力と、
ぜんたい風通しが必要だよね。

ほかは、サロン、そして養成所の台本決め➕キャスティング。
今年はコッチ!と、また無謀に挑戦することに。。。

そこに身を置く、
とゆう事のタイヘンさ、
常識のちがいとぶつかり合う日々。
自分にハッパをかけるしかないのだ。

再来年位のハナシと、この機にも関わらずの縁で代打に行くことになったりで、
予定外の台本精読がふって湧いたりして
でもこちらも考え方を変える、視点を変えると、こうゆう機会とても大切。
そしてどのホンも、興味深い、
手一杯は、自分で制限を設けるからそう感じるだけ。

しかし、急性副鼻腔炎てなんだ(汗)
鼻水止まる気配なし…


2014年11月13日(木)



 いきたかった、、、

なんとも言えず、
痺れる感じで『相貌』稽古が進んでいる。
手がかり少ない中で、
会議的なシーンがあるわけだが、そこの距離感と、リアリティみたいなものが大きく試される。
何しろ、深くかんがえられてはいるが(笑)荒唐無稽、そこに居る人物たちが立ち上がらないと!
日々模索。

親八会は広島初日の次の朝、主宰さんより

おはようございます。はっきりいって一番の出来だったかもしれません。帰ってからゆっくり(^-^)v

(原文ママ)の報告、
また千秋楽後、主演女優さんから

広島千秋楽は、おとったん、ありがとありました!の後に、上綱さん生演奏の「青い瞳のステラ」がかかりました。スペシャルナイトでございました。ごうさんもこの場にいたらなぁとおもいました。

(原文ママ)の報告、はい、いたかったです、モチロン…

明日は「相貌」休みで、
『島』の旅中稽古。二日連続。
『島』はこの後北海道を回り、26日府中での東京公演(この1日1ステージのみ)で納め。
再来年辺りにまた動けそうだけれど、この旬な感じは二度とない(そりゃ舞台は毎度そうなのだけれども)ので、
是非今、ご覧いただきたい作品である。

新宿の地下に潜ってから(なんか意味深だ)
喉、鼻、不調……
もう11月だな……


2014年11月04日(火)



 親八会『父と暮せば』パンフ掲載文

演出の戯言

本日はご来場くださいましてありがとうございます。
念願かなっての井上ひさし「父と暮せば」朗読。
東京での二度の公演を経、機会に恵まれ今回の広島行き、
演者の方々と共に背筋を正す思いです。

現在朗読流行り、動きがある朗読、動かないリーディング、動かないとわからない作品様々あれど、この作品は目の前の現象なんかより、じっくりと文体に、俳優さんの発する言葉に耳を身体を預けてみることで更に味わいと広がりを持つことができるのではないか。
井上版広島弁を駆使し井上さんの深い思いが伝わるのではないか。
想像力をお借りするために今回、ト書き(出入り、動き、状況の説明)も読みます。

3.11からたった三年で何の解決も見せないまま方針が変換される、今。
広島はHIROSHIMAになって百年は草木も生えないと言われていた、
これはあれから三年後の物語。
そこで生きていこうと、ひっそりと生きていこうとしている人々の物語。

僕らの殆どは戦争を知る世代ではない。
でも決して戦争を知らない世代ではない。
継承する世代の一期生(だか二期生)として、
想像力の翼は大きく広げることができるのだからー

椅子とCDデッキ一つあればできる公演。
今後は高校生に聞かせたりもしていきながら、大切に育てていきたい作品です。
この機会をいただけたことに感謝してー

どうか最後までごゆっくりお聴きください。

藤井ごう


2014年11月02日(日)
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