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■ スターダス修了公演の戯言
演出の戯言
演劇とは不思議なものだ。 そこがアーデンの森である、と宣言すれば日本のこんな板橋区の環七裏がイギリスの奥深い森にもなれば、僕らはお寺脇の池に棲息するカエルだ、と宣言すればカエルにもなるし、大学のゼミ生になること、女子が男子を演じること、ハタチ過ぎの若者が老人になるなんてザラにある。 想像力のチカラをかりて、 世界を創りだすことができるのだ。 そして、俳優は世界を生き、旅し、そしてそれを観客と共有する。
そこに『生きる』ことが重要だ。 役それぞれの蠢く人生の一点が目の前の舞台上で交錯し、ぶつかり合い、変化していく。 だから存在同士の『心の交流』がちゃんとそこに在ること。 肌の『触れ合い』がそこに在ること。 俳優自身の想像力が『豊か』であること。 人物たちが『呼吸』していること。 表現者は忘れてはならない。
さて今回、俳優クラスの集大成は近代演劇の祖、イプセンの『民衆の敵』。 この難儀な課題に、「私は僕はこうゆう風に解釈しました」の発表なんていらない。目一杯心と身体と頭を駆使して、生きぬくこと。 その果てに、人間の本質みたいなものがお目見えしますかどうか。。。
寝る間も、バイトも、プライドも色んなものを削りながら、寒さに大雪に見舞われながら、まさに心血注いで創ってきた面々。 狭いところで恐縮ですが、最後までどうかごゆっくりご覧ください。
藤井ごう
上質なフィクションは『今』を鋭くあぶり出し、時代を見通すことができる。 いつもそんなことを考えている。 今回、俳優クラスとの喧々諤々の中で、古今東西の物語って所詮イプセンの掌中なんだよな…なんてことをアラタメテ発見してみたりして…
2014年02月22日(土)
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