再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 見えない。

新年度前のちょいと休暇。
で、思い切って、富士の裾野へ。
天候は晴れ予定も。

大雪。

天候は晴れ予報。

大雪。

登りはまあ…
ながら、途中から笑いが止まらない。
…なんちゅう流れなのだ(笑)←先週からね

最初は、「さむっ」とか、「雪じゃん!」とか冗談半分言っていたのだが、
洒落じゃなくなってきて、
帰りの道は、
各所で着々とチェーン規制がなされ(わたしは降りだったので一応、大丈夫も、ブレーキ利かないし)、急な上り坂の前には、ぎっしりと、登れなかったのであろう車達が乗り捨てられていて(誰もこの時期に、いくら山の天気とは言え、しかも「晴れ予想」の中、チェーンなんか積んじゃいないし、地元の人ですら、もうスタッドレスからノーマルに履き替えちゃった、と言っている季節である)、いやぁ、タイミング間違っていたらえらいところだったなんて言いながら、ある種のスリルドライブ。
なによりも凄いのは、なにしろ、裾野まできて、

見えない。

のである。

なにがって、裾野まで来ているのに、すぐ眼前には日本一の霊峰…

富士山、が見えない。

のである。

「裾野」というのは、「富士山」がそこにあって、初めて、「富士の裾野」として成立するはずなのだが、、、
「じゃあ、なんのスソノだよ!」
と突っ込みを入れてみたところで、
周りを包むグレーとガスと、大雪にかき消されていくのだ。。。

大きなタイミングを間違えたかもしれない(獏)

2010年03月31日(水)



 あっちゃこっちゃと。

東京に戻って、プークさんの「ちびっこカムの冒険」を紀伊國屋ホールで見て、改めていろんなことを思う。自分が今月やらせてもらった、「のろまな半助」も含めて。その作曲家の大西レオくんと観劇。観劇後、楽屋で、お茶なんかもらいながら歓談。
その後、ちょっとビールしながら、あーだこーだと。

週末は足利行。
元演劇大学の有志が集まっての、自主的(?)ワークショップ。全五回の一回目。
今回は、「何がしたい?」ということを前もって打ち合わせさせてもらっていたので、普段、公共事業としての、
「受身専門的」ワークショップではなく、
その集団にとって、「したいこと」、「今、必要だと思うこと」を中心に据えて。←とはいえ、回数が限られているので、下準備、プラス、当日のあんまり脱線の許されない感じは、逆に緊張感があってよいのかも。
また、わたしにとっても、普段稽古場で、放っている理屈や理論を、レジメにする作業は苦痛だけど、新しい発見もあったりして。
やはり、自分がしようとしていること、好きなこと、興味を持つことについて「言語化」及びそれに伴う「分析」をするのは大事なことなんだな、と、非常に今の私の為にもなっていたりして。
テーマとしては「台本で遊ぼう!」
である。
台本をどう、読み解くのか、
台本をつかって、可能性をどこまで広げられるのか、
ひいては、
それがあった上で、どう「稽古場」を作っていくべきなのか、
みたいなことに特化して。
とはいえ、「ハードル高」なわけだけど(笑)←わたしも含めてね。
座学と、ちょっと実践の繰り返しで、
その後、例題テキストを使って。
(とはいえ、どっちかと言うと、どうやって、演出する時にモノを考えているか、みたいなことね)

皆様のほとんどとは、ちゃんとこういう場で出会うのは四年ぶり?
変わっている人、変わっていない人、そんなことどうでもいい人、
いろいろ(笑)

ほぼの人が「修学旅行」を観てくれている(というより、実行委員会まで作って、足利公演を実現してくれている…感謝)ので、どう「修学旅行」を作っていったのか、みたいな話を、色んな例をいれながら、
こちらで、「見よ、飛行機の高く飛べるを」をやったのも観ているので、例題に取り入れながら…

しかし、スタートとしては盛り込みすぎ(最初からわかっちゃいるが)
の中、フィードバックが非常に大事。
次回は三週間後、そこまでの宿題(みなさん大人だから、宿題が逆に新鮮らしい)を出して、初回はそこまで。

その後、
乾杯。
泊まりは、大日様の前のビジネスホテルをわざわざ取ってくれて、
その気持ちが嬉しいわ。町並みもかわいいし、はす向かいは足利学校だし(なにせわたしは長逗留をした上に、何度も足を運ばせて貰っていながら、「足利学校」は一度も入っていない。。。←それも知った上で。勿論、今回も行きませんでした(笑)←まだまだ)。
で、目の前のばんな寺、東門、西門なんか、室町、鎌倉時代の建造物が残っていたり…
が、ご本堂が工事中…
春は桜が有名。
この日は、ほぼ零度…
綺麗だろうな(咲いてたら)、ご本堂に映えて(工事中でなかったら)
うーん、なんなんだろう、この流れ(先週からの)。


お蕎麦に関しては…(足利辺りに行くということは…)
稽古前、佐野で二度振られ(行ったことのないお店)、足利に戻って、「明治庵」(何度かこのブログにも登場、から揚げがあって、お新香が激うま)。
翌日、リベンジで一軒。
「優心庵」
美味い田舎そば。
美味すぎる山菜の天ぷら。

元気になって、帰京。

2010年03月28日(日)



 広島最終日。

なんだか、つっこみをいれているうちに、最終日になってしまった…
午前中、また別の方に取材させてもらって、ヒロシマについての大枠、などなど、色んな問題点をお聞きする。
午後、宮島へ。
(神社仏閣巡りの好きなわたしをご存知の方は、どう考えても、「遊びに」と思われるでしょうが、違います。←言えば言うほど怪しくなるということをおいておいて)
なにせ、「宮島信仰」のある土地ですから。これは見ないわけにいかない)
途中、宮島口でKさん推薦の(K女史じゃなくて、←ややこしい)「あなごめし うえの」で昼食。絶品。生姜が妙に合うのです。

で、フェリーに乗って宮島へ。
この頃から、雲に覆われた空に、青が時々顔を出すように。

感想
もっと荘厳な場所かと思ってました。
もちろん、荘厳な雰囲気とか勿論ありますけど、ゲテゲテの観光地です。参道からして…
そりゃあ、三大景勝地だものね…
K女史は鹿から逃げ回る。。。
干潮の時刻だったので、下に降りることもできた。
ここまで来ると、流石に、「すごいー」になりますが、大鳥居の真ん中、宮島側から見ると、反対側の山の斜面に、白い、お城のような建物が見えます。
邪魔です。丁度、鳥居の真ん中に、見えるのです。知る人ぞ知ることなのかもしれませんが、
みな、ありがたいとこにきて
「なにあれ、じゃま」
「こわせこわせ」
「なに、宗教?」
ともうひどいもんです。…こんな有難い場所で…
シャッターチャンスはこうなると、奴が映らない、右斜め前方から。(要は支柱に隠せということ)
…そういえば、広告の写真なんか、大体この角度だ…なんて、一人発見する。
そして厳島神社を拝観中、遂に念願の日差しが…
広島行きからようやく…
あつい…
まぶしい…
海面の光り方が神々しい(調子がいい)
そういえば、こんなに遠くを昨日は全く見通せなかった。

という訳で、急遽予定変更、宮島の山の上にロープウェーで上がることに。
果たして帰りの最終近くの新幹線に間に合うのか否や…
で、ロープウェーの駅までの道、これがまた表示はあれど、途中から、よくわからなくなる、という代物。
到着地点予測がわからないから、余計に疲れるわけである。(これは嘗てもロープウェーで体験。体験者、わたし、Kさん)
更に、結構な登りなわけで、
K女史に「ロープウェーは、上に楽に登る為にあるんですよねぇ、なんですかこれ!」
という、尤もな名言を吐かせる。(わたしは意味もなく「K2(ケーツー)」と名づけた)

景色、昨日とはうって変わり、ぐるりを見渡せる。(もちろん、島は違うのだけれど)北は広島から、南は四国山脈まで。
訪れた島も見渡せ、ということは「宮島の西に沈む夕陽」なんかも反対から確実に見えるわけで。
やはり、晴れたときに、「反対から」見たいものだ。
結果、雨でかすむ瀬戸内と、見渡せる瀬戸内両方見ることができたわけだ…
一路、頂上を目指すも、途中から完全に無言。
結構なアップダウンである。
軽装の外人さんが、死にそうな顔をして通り過ぎていく…
おばさんが、こんなはずじゃなかった、とヒザを抑えて立ち止まっている…
途中、女史脱落。←その後も鹿に襲われたらしいが
わたしは更に上まで行くも、帰りの便の時間があるので、途中で断念。
大急ぎでロープウェーへ戻る。
出発間際をK女史走り、止める。「もう一人来ますので」
「おぉ〜」なのだが、その後、帰りの切符が見つからなくておおわらわしている。わたしはお陰さまでとっくに乗れた。
「いいです、みなさんお待ちですから」とは係員さんの名言。
神社は満潮を迎える時刻も近づいて、西日になって、「なるほど〜」な風情である。
ちょっと目を奪われている隙に、フェリーの時間を過ぎる。
が、もう一会社の船が五分後にある、を発見(多分その二分前くらいに到着)。
急ぎ乗りたい。
窓口へと颯爽と向かう女史。
「財布がない」とまた大わらわ。
で、「ありましたぁ!」と受付の人に宣言していた…

広島行軍は、他にもいろんな方にお会いして、お話させてもらって、
いろんな場所を見させてもらった。
洋々消化できることでないことが多く、これをしっかりもって帰って。
なんて思いながら、食べ残した広島焼きと焼きガキをビール片手にホウバル新幹線待ち時間である。

たぶん、もう一度、来る。
そんなつもりである。

2010年03月27日(土)



 何しにきたの?3

古鷹山で濡れて冷えた体を暖めようと、機転を利かせたつもりが、
シーサイド温泉のうみ、
わざわざ来たのに「本日休業」の文字。
こういう時ばかり、普段の自分の行いのせいか?とか思ったりする。
仕方がないので、倉橋島の(最初に通った島)南、桂浜(とはいえ、竜馬で有名なあそこではない)を目指すことにする。
なにせ、そこにも「温泉」の二文字を見つけたから。
(←て、それだけじゃないんだけど…←元々、元々コーディネーターであるところのKさんが見たいと言っていた)
「しかし、こういう時は続くんだよなぁ」
なんて言いながら、
次いで、行きの道を帰るのも癪なので、
西側から南へ下がるルートにし、羅漢石(平家伝説の残る岩群)を下から眺めて…

すっかり忘れかけた途中、イレギュラーでスーパーに寄る。
「大丈夫じゃないじゃないか!」←もう長いので割愛(笑)

早瀬大橋を再び渡って、倉橋島を南へ、都合一時間余り。
桂浜へ。
ここは西洋式ドッグ跡や桂浜神社、そして松の木群を抜けると、とても澄んだ水をたたえる海岸。絶景。(晴れていればね)
そして件の「くらはし桂浜温泉館」、なんだか電気はついているのに人気がない、
いやな予感…
て、「四月まで内装工事中」
見事すぎて笑ってしまう。今日という日は…

「いやぁ、流石に、運転疲れだ」
「え、疲れますか?」
「………」

ま、それはいい。その後、海岸を見、神社を見、など寒風吹きすさぶ中していたので、さっさかこの島の北、例の「グルグル廻る橋」のある音戸町を目指す。
もともと、先に江田島に向かったのも、音戸町の資料館らしき(うずしお)辺りに車が停められなかったから(清盛塚もある)で、一時間弱かけて北へ。
右手はずうっと海岸線の続く道。
瀬戸内の堤防は低く、海がよく見える。

「うずしお」で幾つか島の資料(祭りやなんかも)や、島の伝説が載った冊子なんかを手に入れ(今は全然波穏やかながら、嘗ては、渦潮がまく、難所だったのだそうだ)、「清盛塚」(瀬戸は平清盛が開いたのだそうだ)を見て、かつ、音戸の町並を散策。
この町並み、これがまたいいのです。
路地と、廃墟好き(この場合廃墟と言うものは殆どないのだが)のわたしのテンションは格段に上がる。
昭和そのものが残っている感じ。狭い路地と、密集した家々、置かれた生活、嘗て住んでいた人の想像と、ここが歩けたのは貴重。
造り酒屋なんかもあって(明治三十四年創業)、お酒を買いつつ(爆)、島のことやなんかを取材。カメラ片手に…←造り酒屋を廻ってらっしゃるんですか?と聞かれた、、、違う。

そんな中、どうやら、路地好き古民家好きであったK女史は、本日一番のテンションの上がりようを見せ、且つ、その造り酒屋が、「どうぞ試飲を」
とゆうのを、わたしが「運転手」につきできないので、
代わりに。。。
「んー、何しにきたの?」である(笑)

「あ、これは酸味がありますね、さっきのより」

やらやら…、だそうだ。
で、肝心の「島の昔」みたいなことを聞いている時は、そこにいなかった…。




しかし、まあ、貴重な時間になった。
仮に温泉が二軒空いていたとして、一軒空いていたら、もう一軒いくことはないとは言え、最後に町を歩く時間がなかった(もちろん、日が落ちる前とゆう意味で)。先に、「うずしお」に寄れていたら、資料などが殊の外細かいので(ここで、四年に一度のお祭りが、つい先週あったことを知り、愕然とするのだが…←祭りのシーンがあるので)、その周辺をぐるりで全体を見られなかったし、
最初から、この町並みで気分が上がっていたら、疲れきってしまっていただろうし、という訳で、
結果、わたしが今現在観たかった、感じたかったことは大体、この一日行軍で済んでしまった。とはいえ、いきあたりばったり過ぎるが(笑)
結果オーライな訳です。
晴れていなかったことを除けば。(晴れている時に是非来たい)

で、すっかり元気になってしまったK女史。
ナヴィに行き先を「わたしやります」と打ち込めるくらいまで完全回復。
わが宿「法華ク○ブ」を検索するのに、それだけだと余りにも膨大に出てきたので
「正式名称で入れた方がいいですよ」と気まで遣い、
「ホテル法華ク○ブ」と打ち込もうとして、

「(打ち込んで)ホツル」

…「つ」になってるよ。

「あ、(打ち込んで)ヘテル」

…「ヘ」になってるよ。

「ああ!」


…こっちが「ああ!」です。

もう、続けません。


2010年03月26日(金)



 何しにきたの?2

「早瀬大橋」を渡って、「江田島」へ入って、しばし。
わたしはわたしで、昼飯を食べるところ(わたしセレクション)まであと六キロ余り、

K「ちょっと、わたし車に酔いました…」

そういえば、口数が完全に少なくなっていた。
G「え、安全運転できているけど…」
K「はい、それはそうだなぁ、運転上手いなぁと思ってたんですが、なんでしょ、さっきの橋で、グルグル回ったくらいから、だめで、言うべきか悩んでいたんですけど…」
G「(それは乗ってすぐじゃんか)それは言いなよ、大丈夫?」
K「はい、大丈夫です、…たぶん。」

G「…たぶん…」

まだ、実際のところ、どこにも着いていないのだが…
昼飯すら食べられていないのだが…
外に出ようにも、冷たい雨がふっているし…
先が、思いやられるとは、こういう時に使うのだ、ということを実感させてもらいながら、今日に限って「実感はちがうところ」でなくてはいかんと思うのだ。

なんて、完全にR−viveの構成じゃないかこれは、
一つ違うのは、これは、フィクションではない、ということだ(笑)

よって、前述の通り、車酔いを早々に発症し、辛い道行をすることになった、助手席を占拠するコーディネーターの気分をよそに、
「たぶん」を信じて、昼飯どころを目指す。
目指すは地元の青年漁師さんたちがやっている「海辺の新鮮市場」へ。
ここは一階が鮮魚店、で、二階が食堂となっていて、一階で調理された刺身やなんかを買って、二階へ上がるシステム。
なのだが、
時間も、
そして雨のせいかもしれないが、
なんか、さえない、パッケージされた刺身が幾つかと、
なんか、心もとない、惣菜のパックが幾つか…
なのに、自信満々そうな、店の兄ちゃん曰く「ご飯とお味噌汁はお変わり自由だから」…
気分はもうそれは、「これは失敗ではないか」満々。
そう考えると「店名」も怪しく思えるから不思議だ。
おそらくそれはK女史も感じていたようだが、
でも、購入し、二階へ。
言うところの、セルフサービス、という奴です、お盆とって、器とって、
で、お盆を取ると、ご丁寧に、皿の並べ方の見本が…壁には手書きで
「見本!(赤字)各自で食器をセットして下さい(黒字)」
…わかるっちゅうの…
それともそれ以外の並べ方をすると、お仕置きでもあるのか…
不安になって、他の壁を見ると、
「ご飯の持ち帰りが多くなっています、禁止!」
…ああ、そうねえ…
そして、机が海の方向を見れる配置にしてあって、それは景色がいいのだが(晴れてたらね、たぶん)、病院の待合室によくあるベンチ。。。。これはもう、いやが上にも期待が膨らんでしまう。
で、ご飯は、チヌ飯(黒鯛らしい)と牛肉飯の炊き込みご飯二種。
味噌汁、は完全なあら汁。
で、ラップされた刺身。

これが、
美味かった。(笑)
わたしなぞ、ご飯は、両方お代わりし、あら汁はフリーの青ねぎを膨大に入れてこちらも。
で、問題のパックされた刺身だが、やはり、地のものは美味いのだ。脂のノリが違うのだな。
←結論としては、そのパックがいかんのだと思う、皿にのっけて、ラップの方が見栄えがいい←とは思えど、そのまま買って帰る人もいるのだろうか
で、すっかり予想を裏切られた私だったわけだが、

「これ、よかったら、どうぞ」

とお隣から(K女史)。
どうも、その脂のノリに体がやられてしまったらしい…
大丈夫じゃないじゃないか…
こちらもしっかりわたしなんぞ一般人の想像力を超えてくれる。
そして、「美味しいのになぁ、悔しいなぁ」を連呼しながら、
あら汁をお代わりしていた。
で、そこで手に入れたパンフを元に、似島が見えるところまで行こうとゆうことに(江田島の北の突端)、途中どうも地図上、くねくねとしたどうも山道らしいものも見えるのだが、時間のこともあるので、気にしないことにし(なにを?)
「もう、大丈夫です」
という女史にわたしは
「ビタミン剤」と「葛根湯」を配給し出発。
途中、旧海軍兵学校を左手に見ながら(今は自衛隊の学校になっているので、決められた時間しか見られないので立ち寄りはしなかった)、
↑実はわたしの祖父はその兵学校にいたらしい(驚)
切串港まで三十分あまり。
車で呉から入ってきているだけに、どうも「島」と言うよりは、地繋がりな印象が拭えなかったが、その港からフェリーが広島港に向かって出ているのをみると、ちょっと気分がちがう。
似島も眼前に。
わたしが知りたい一つは「島」の空気な訳だし…
今でいいから「島」の生活感を感じたい訳だし…
で、ここでは
「車停めとくから、先降りてていいよ」
と、コーディネーターの役割は完全にわたしに移行する(笑)
外は冷たい雨。ながら、
港の売店で「お弁当いらない?」というおばちゃんに「弁当はいらないけど、この辺で、車で上がれる位の山みたいなもの(変な質問…)ない?」
「山じゃないけど」
と教えてもらった道を行くことに。
「もう本当に大丈夫です」と顔色は悪いまま。。。
…しばらくその道を上がると、更に上に行けそうな道を発見して登ってみる。いやぁ、ありました、瀬戸内海がしかと見渡せる高台。(雨でなければきっと絶景←それでも幻想的に見えるわけで、それはそれで)
こうなると、更に上を見たくなって、更に登る。
と、途中から、完全にガスって前が見えません(汗)。
これは、山、ですね…
「大丈夫ですか?」
…わたしは大丈夫です。
突然開けたところに出て、車を停め、少し歩く。
見つけました、絶景ポイント(晴れてればね、多分)
狭い島にいながら、遠く広い世界のことを考えてしまうよな、、、
この景色は作品を知っている女史と共有。
これを結果オーライと呼びますね、普通。
佇む事三十分余り。
こういう、空気とか、匂いとか(実は雨の匂いしかしていなかった?)、温度とか、その風景とか、感じる時間。雨も寒さも暫し忘れる。

で、コーディネーター(わたし)の独断と偏見により、さっき地図で見つけておいた、温泉に
「三十分でいいから!」
と向かう。←これこそ、「なにしに来たの?」ではないかなんて思ったりして(勿論戻りしなにあります)、なにせ、忘れたものの、直ぐに思い出す寒さ。

で、また三十分くらいかけて当該温泉まで…
K女史も大分余裕がもどったのか
「いやぁ、こういうこともあるんですねぇ」
なんて、言っている…

で、到着。
が、「本日休業」の文字。
「なにしに来たんだ」
だから取材でしょ。…ハイ。

続く…のか?



2010年03月25日(木)



 何しにきたの?

である。
前述の通りで、広島にいる。
本日はレンタカーして広島市内→呉→倉橋島→江田島へ(瀬戸へ)。
なにせ当該芝居がその「島」であるので、この「場」から感じられるもの、その「土地」に実際に立って巡らせられる想像、「土地の人」との話、街並み…貴重な時間。。。制作さんにコーディネートしてもらって…

で、「何しにきたの?」である。
今回は、自分で取材したいと打診したので、運転するのは構わない。ちなみに、運転も好きだし、カーナビ頼りになってしまう悲しさはあるが(時間的なことを考えると、地図を観たり、迷ったりするのは結局ロスになるので→ただ、この場合、土地の感覚とか、それこそ位置取りがとてもよくわかるのだが)、どこからどこに向かい、なんてことを自分でできるのは、まあ、いい。流れくらいはわかるし。
方や、ペーパードライバーなので、そりゃあ、自分でハンドルを握る方が、遥かに安心であるし、ご本人が「あたし、めっちゃ方向音痴なんです」ということを宣言しているのだし(※注一)

※注一 二月二十三日、広島市内、雨。
とりあえず、市電(路面電車)でホテルのある駅に向かう。着いて。
G「どっち?」
K「こっちです。(と信号を渡る)」
G「ほんと?」
K「…多分」
しばらく歩いて、勿論地図はKさん、あいや、K女史が持っている。
K「あれ、こっちじゃありませんかね…。」
G「はいはい」
と、言いつつ、地図を見せてもらい、
G「あっち、だね」
K「あいや、銀行がどれかわからなくて…」
しばらく歩いて、右折、ホテルが見える。
G「あれだね」
K「あ、ありましたね、よかったぁ」
G「……」

実際に食らっているし(※注二)

※注二 二月二十三日、広島市内、雨。先ほどより、少し後の時間。
とりあえず、荷物を置いた後、取材先は市電(路面電車)で、二つ先の駅から徒歩。
この時、雨が強くなり、しかし私はあろうことか、ホテルに傘を忘れてきている。
降りて、今度は慎重に、携帯電話(地図を表示しているのだと思われる)を眺めながら、
K「こっち、ですかね?」
G「(心の声)聞かれても。」
K「こっちです。あ、傘、どうぞ」
G「(帽子を被っているので)大丈夫大丈夫。それよりこっちでいいの?」
K「はい、今度は大丈夫です!…多分」
なぜ、「多分」を足すのかはわからないが、「大丈夫です!」という足取り、周辺の眺めまわし方ではない。
K「あっちが河ですよね?」
G「(心の声)あれはどう見ても、大きい河の橋である。」
K「ですよねぇ、大丈夫です。」
G「本当?」
K「多分」
G「ちなみにどちらを目指しているの?」
K「○×△□(ちょっと、なにを喋っているのかわからない)」
そして、
K「あれ、ここにあるはずなんだけどな」
G「だから、なにが?」
K「あ、あったあった、いや、大丈夫です、ここを左折です、この間を」
G「(心の声)主語がない」
そして、左折。しばらく歩く。
K「……」
雨脚が強くなる。
G「……」
K「(ちょっと先を右折して)おかしいなぁ」
と、バタバタとしている。間。
G「あのさ、なんてとこにいくの?」
K「★○■▼☠(どうも焦っているらしい)」
G「地図、見せて」
K「いや、大丈夫です、Gさん、ちょっとそこに居てください(屋根ある建物の下←すでに遅い(笑))。」
G「え、だって、こっちであってるんでしょ?」
K「ええ、多分」
G「たぶん?(すでにこの言葉に恐れがついている)」
K「すいません、見てもらってもいいですか?」
と携帯を渡す。
G「うん…、あっちだな(左折、ではなく、右折であった)」

K「一生けん命地図は見て予習してたんですけどねぇ、すいません、濡れちゃいましたね。いやぁ、実はわたし、北とか南とか、そういうのよくわからなくって。」
G「……。」

K女史の「多分」はタブンに危険がいっぱいでもあるし(※三)、

※三 こんなことは都合、最後まで続くのであるか…

ナビを頼むのも憚られるので、いいのです。
いや、ナビされるより、いいのです。
勿論、ご本人も、そして仲の良い劇団の方々も「大丈夫?」と気にしてくれていた中ですから、ぜんぜん、気にしてません。ただ、聞きしに勝る、というだけです(笑)。
で、呉に着き、自衛隊の造船所辺りを走って、音戸の瀬戸公園へ。あまりの寒さと、人のいなさと、風と一時間に一本もないバスの時刻表を感じながら、「やっぱり車は正しかった」なんて話しながら、清盛像や、砲台跡なんかを見て回り、もちろん、口の減らないわたしですから「で、君は何をしにきたの?」なんて言いながら、今日の仕事は、車を借りてくれた、ということに集約されている。
K「そうですよねぇ、これ、Gさん一人で来れてますねぇ」なんてどこ吹く風。てか平和な会話をして、再び車を走らせる。
例の島に渡る橋「音戸大橋」(日本で最初に作られた、アーチ型らせん式高架橋←降りてくるのに、ぐるりと狭い中何周も回ることになる)、これはわたしすらも運転しながら目が回る、、、なんて思っていたのだが、「倉橋島」はコンクリート船(現在は漁港として利用)でちょっと車を降りただけで、芝居の中にある、山の上の感じをしりたくて、ただ、どこが良いのかもわからないので、先に「江田島」に向かうことに決め、走らせること三十分あまり、
生憎の天気で、絶景であるらしいところの瀬戸内は、まるで中国かの如くの墨絵のように、遠くは見通せず…今日の口癖のようになってきた「晴れていればねぇ」に

K女史曰く「わたし、結構、雨多いんですよねぇ。」

…なるほど。
わたしは「晴れ」の人である。今まで、これに負けたのは、「カミさん」(いつも)「Kさん」(宮古島)そして「K女史」全部、Kじゃないか…(み・な・さ・ま、他意はございません)
がんばれ、自分。
「早瀬大橋」を渡って、「江田島」へ入って、しばし。
わたしはわたしで、昼飯を食べるところ(わたしセレクション)まであと六キロ余り、

K「ちょっと、わたし車に酔いました…」

そういえば、口数が完全に少なくなっていた。
G「え、安全運転できているけど…」
K「はい、それはそうだなぁ、運転上手いなぁと思ってたんですが、なんでしょ、さっきの橋で、グルグル回ったくらいから、だめで、言うべきか悩んでいたんですけど…」
G「(それは乗ってすぐじゃんか)それは言いなよ、大丈夫?」
K「はい、大丈夫です、…たぶん。」

G「…たぶん…」

まだ、実際のところ、どこにも着いていないのだが…
昼飯すら食べられていないのだが…
外に出ようにも、冷たい雨がふっているし…
先が、思いやられるとは、こういう時に使うのだ、ということを実感させてもらいながら、今日に限って「実感はちがうところ」でなくてはいかんと思うのだ。
つづく。。。。のかなぁ
(これはご本人に、「書くよ、面白すぎるから」宣言をした上での、全くの創作です(嗤))



2010年03月24日(水)



 広島取材。

朝十時の新幹線で一路広島へ。
大阪行きをさんざんに繰り返しているので、慣れているつもりも、時間の配分が大文と違う。
大体、名古屋を過ぎ、まもなく京都のアナウンスを聞いて、資料などを片づけ…
というのが体に染みついているので、
今回は、慌ただしく借りたり買ったりした、資料や映像やなんやらを、どうしてもそこで片づけようとする自分がいて笑う。
慣れとは恐ろしいものだ。
しかしこの何日か、どうしても「原爆」関連のものに目を通さねばならず、流石に疲弊気味。
余程知っているようで、知らなかったことの多さに愕然としたり、
裏の事情にびっくりしたり、
「平和」を謳いながらの「残酷さ」の提示に少し(もちろん、わかりますけど)食傷気味。
どんな仕事も大変なのだけれど、
ちょっと、意味合いの深さが違うかもしれない、
そのことに引っ張られる自分も含めて。
広島着で、ホテルチェックイン、同行の制作さん(K女史←Kさん、と書くと、誰かと混同(コンドウ)するので)とすぐその足で、
被団協の代表の方にお会いする。←「島」に出てくるキャラクターのモデルとなった方。
色々な経験談や、今の活動について聞いたあと、
「島」を読んでどうしても「想像力」では補えない部分について、いくつか質問させてもらう。やはり、「人と対面」して聞くのは、文字情報なんて比にならない。
作品の腑に落ちなかったところやなんかが、しっかり繋がっていったりする(頭じゃなく体、かな)。
改めて「過去の遺産」として扱うのではない、
ということを思う。
お話すること二時間強、その足で原爆ドームと平和資料館。
実に久しぶりに。
ま、わたしゃノンポリなわけですが、
本当に「平和」という言葉のあり方を考えてしまう。(何に対しての「平和」という言葉なのか)
ドームが思いのほか、小さい印象に驚いたり、
大通りに面しているのに、そこに足を踏み入れただけで「静寂」がある感じ。
平素から「遺跡」というか「廃墟」好きの私だけど、
ある瞬間から、無理やり「遺跡」にならざるを得なかったものの存在感というものは、、、
(その後取材をさせていただいた方は「あれがあるから、過去の空想のような出来事にならないでいる」と仰っていた)
風化というものを感じるものと、
風化という形にしてはいけないもの。
うーん……

生憎の雨で、外は寒い。
で、夜は地元の新聞の記者さんと、ちょっと美味しいモノを(瀬戸内の魚と、そりゃあ広島ですもの、牡蠣)食しながら。色々な話を。
いやぁ、美味。
一日で吸い取られるエネルギー補填(汗)

明日は、制作のK女史と、なにはともあれ、わ・た・し・の・う・ん・て・ん・で(笑)島めぐり。ロケーションと、空気と、匂いと、などなど感じてみたい。
が、明日も生憎の雨、らしい。
というか、明後日も、生憎の雨、だそうだ。
わたしは晴れ、なんですけどねぇぇぇぇ



2010年03月23日(火)



 この頃。

図書館に通うのも久しぶりだが(とはいえ、年末年始以来か、そんなに経ってないな…)、
資料探しが続いている。
とにかく、資料とされる文献もものすごくあるので、
どう整理して読んでいくかも非常に重要な気がしながら。
忙しさにかまけて行けていなかったプールに久しぶりに行き、体が悲鳴(笑)

赤坂レッドシアターで、
弘前劇場「夜のプラタナス」を観る。
道学先生の青山氏、一度りばいぶにも参加してくれている谷村実紀さん出演の三人芝居。
上質のお芝居。
もっとお客さん観てもいいのになぁ、こういうの、これが感想。
でも、難しいんだろうな、なんて思いながらの一時間二十分。
濃密な時間。
同じ会を観ていた桝谷氏に大同窓会の話を聞いて、大いに笑う。

2010年03月22日(月)



 一段落。

テクノ本番日。
昼からゲネプロとゆうか、舞台稽古を、
五十分越えの芝居のテクニカル、芝居全て含めて九十分。
(なんか、こんなことをよくしている気がするな…)
なにせ、突然、稽古場から三百人収容の劇場へ。
初舞台がほとんど。
ドギマギするは必然(笑)

それでも、色々想定はしてきての稽古。
一度慣れれば、なんとか…

舞台稽古終わりで芝居のチェックをして(時間が限られているので、基本的に、位置やきっかけに関すること以外、舞台上で時間を使えない←時間の制約があるので)、
本番までは間三時間近く。
その間に、青年劇場の制作さんと広島行きでのスケジュールなどなどについて打ち合わせ。
なにせ、劇場がサンモール、劇団さんは御苑前。
都合がよすぎるじゃないか…

夜、本番。
うまくいったり、うまくいかなかったりしながら(笑)
あっという間の印象。
途中、「チャリラリン」という携帯の写メの音がうるさかったが(なぜ誰も注意しないのだろう…)、最後まで走りきる。
お疲れ様。
よい、拍手をもらっていましたね。

その後、振付の清水さんと、先に乾杯しつつ、
本打ち上げの時間を待つ。
いろいろあーだこーだしながら、
とりあえず、新年度前のお仕事としては一段落、
+無謀な二週間ごと本番を乗り切れた(汗)

無論、そんなこんなでB学座の大同窓会、流れでの同期会には当然行けず。
ファタファタしているうちに、パリーグも開幕してしまった…



2010年03月20日(土)



 明日までに宿題を。

テクノ稽古最後。
実は一日本番前の時間はあるのだが、
レッスンの枠としては最後の一回。
生徒さんたちも、早めに集まって、自主稽古やらなんやかやと。。。
わたしも、来られる限りで今日は早めに。。。

十七時から二十一時半までで、
通し1回目。
チェックをして
確認の時間をほんのちょっとだけとって、
通し2回目。
チェックして、
「あとも一歩で、足並みがそろうから、いい時間を過ごして」
ということで、最後のレッスンも修了。
いい本番を迎えてくれたらいいなと思う。

当日は場当たりあって、あっという間に本番、毎年のことながら、ハードな日。

そんな中、チラシの案があがってきたり、
来週の広島行きに備えて付け焼刃ながら…、資料読んだり、
その後、足利行きが決まっているので、
レジメというか、進行表で、とりあえず1回目から5回目までのシミュレートをして、且つ、「何を伝えるべきか」「どこまで渡すべきか」みたいなことで逡巡していたりする。
二十日を超えると、ようよう〜
な予定で一月くらいから来ていた筈なのに、
自分の予定のくせに、
上手いことできない…(汗)
これは、もう、
楽しむ、
しかないな、と思ったりして、

どうも最近、スケジュールのことに関してとてもうるさかったりするので、計画性のある人、
みたいに見られたりするのだが、
いいえ、決して、そんなことはないのです。←なんて宣言だ。。
そんなことないから、ちゃんとスケジュールを知りたいのです。
そうしないと、色々重ならざるを得ない状況の場合、
毎日を8月31日な気分で過ごさねばならなくなるので、
それは流石にしんどいのです。
「明日までに宿題を」しかも、40日振りかえって。
そもそも計画性のある人間が、こんな「呑みにいく」訳はないだろ、と思ったりするのだが、、、
経済的にも、いろんな意味でも(漠)
願わくは、休み終わりまであと、2週間くらい終わりまであって、始まってからも2週間くらいの8月半ばくらいの気分で、「あー、やんなきゃまずいよなー」と思いながら「甲子園が楽し」くて、昼からビールして「いやぁ、昼間からのビールは最高ですな、ワハハ」
それ位がちょうどいいのだな。←どの位だ…

全然関係ないのだが、BIGのコマーシャルはセンスがよい。←森三中のキャッツアイ
真剣な悪ふざけ、
きっと、同世代が作ってるんでしょうが…

2010年03月18日(木)



 「島」顔合わせ。

夕方前、テクノに寄って、最終台本(音響照明などきっかけを書き込んだもの)ができたようで、確認に。
実際はあと一回の稽古で舞台になってしまうところだが、
有志が出てきて、別時間も集まって稽古を始めたみたい。。。

夕方より、青年劇場にて九月公演「島」の顔合わせ。
いろんなことがありながらの船出ながら、
現在青年劇場さん自体は四月公演の稽古真っ最中でありながら、
キャスティングも含め、なぜ、これだけイレギュラーに早くさせてもらったのかなどなど説明しながら、
台本について、
この作品をやることについて、
やる意味について、
それに対する準備について、
現時点でわたしがこの作品について思うこと、
質疑応答…
喋ること四十分余り、
決定稿として扱う稿を決めたので、
それをキャストの皆様に渡す、、、
間に、乾杯!…

われながら、面白いキャスティングになっていると思う(笑)

稽古場を解放してもらっての、なんだろう、儀式、みたいなもの?
本について、他について、あーだこーだとする。
そのままあーだこーだは
稽古場を出て、
「なんでごうちゃんなのよぉぉぉ」
という女優さんと、
「ね、そうなんですよ、ワハハ」
なんてしながら、しっかりと次の店に向かうのである。

来週は広島に取材旅行予定、
心していかないと、本質を見失うな。これはなかなかにヘビーである。
原爆資料館なんて、何年ぶりだろうか…

2010年03月16日(火)



 一週間。

気付くと嵐の先週末から一週間。
そんなわけで、上海バンスキング観るのも忘れて、象も今更気がつくものの、当日券を前の日の朝、電話で予約とゆう、これはもう超人気者が出演なので仕方ないですが…
それは、前日券なのでは?なんて突っ込んでみたりして。
当然、電話は、繋がらない…(笑)

バババとスケジュールの確認やら、調整やらやらが続き、打ち合わせ三昧の日々、土曜日は当該上海〜を観に来た、「足利の友」(大笑)
Pちゃんとかよちゃん夫婦と、今月からするワークショップの打ち合わせ。で、そのあと、吉祥寺を散策してみたりして、
日曜はダス養成所一年、西沢氏演出、「青い鳥」を見て、元気をもらい、岡田先生とお久しぶりで、例の「陰陽師」についてあれこれお話をして、
その後松永氏とやはり打ち合わせ。よし、わたしもあと少ししっかり、と思ったりする。
その来週当日、実は文学座大同窓会なるものがあるのだが(養成所にいた人含め)行かれず、ま、同期のほとんどとは去年の以倉の会で久々したので、まあ、いいか。と納得させたりしながら、一応、終わったら(こちらも恐らく打ち上げあり)連絡いれるわ、と、全然呑むことをあきらめていないわたしである。


2010年03月14日(日)



 かたづけ。

先日お陰さまで無事終了の人形劇。

の、

反省会。

別に終わったからいいじゃん、なのだが、
どうも、次にかかる前に、一回、お互いに話しておきたかった。
なにせ、
いろ〜んなことがありましたので(笑)

というか、
最終的に舞台になると、
俳優さん、直結しているスタッフさんらと
ワーとなるので、

もともと、一年半前に私を誘った星さん、
そして、そこから出会った美術の児玉さんと、
三人でチマチマセコセコ動き出した企画。
そりゃ、また別のところでやりたいなぁ、という思いはありつつも、
三人で一端ちゃんとかたづけておかないと…
改めて、秘密会議のように夜よく集まった、国分寺にて。
なんか、お祭りで終わったからよかったじゃん!
という気分にはどうもならないのだ。

りばいぶを暫し動かしていなくて、間もなく二年。
で、私的に、
なんとか、
年に一本、形はどうあれ、新作を一本は書く(やる)のだ!
と、意気込みだけは持っていたりする。
意気込みだけ…。
で、その計算でいくと、
一昨年から去年にかけてコーロさんの「ハナシがちがう!」
で、去年から今年にかけてこの「のろまな半助」
と、外部に書いて、いて、
なんとか、意気込みだけにはなっていない、
というか、企画の大きさ、ではなくて、
結局のところ思い入れの強い作品になっていたわけですな…

母には、「あなたの書いた本で、はじめて、わかったわ!」

と、はて、どうしたものか、という感想をもらい。(観劇歴十五年くらい)
でも、そりゃそうだ、そういう風に書いたもの、
という自分の思いもあったりして、

…そうなのよねぇ、こうすると、受けるのはもうわかる。のだ。次だよなぁ…


さて、そんなことはおいておいて(笑)
今回のことについて、ちょいと話すこと一時間。
あの時、ああしていれば、は不毛に感じがちだけど、実は不毛じゃなかったりして(特に例の番組を観るくらいなら)、建設的にあーだこーだ。
やっと、「さ、飯食おう」
という言葉を合図で、ビールビール。←飯、ではない。

なにはともあれ、片づけの日に、パンフにも書いたけど、生ビールをことさら美味そうに呑む児玉(この日はギネス、途中ワインを挟んで、またギネス…。なにせ稽古後半は作業残りと戦っていたので、呑む機会なしだった)、なんだかんだで細うでだがその剛腕で企画を押し通した星の楽しそうな顔(本人は残務整理を次の日やったあと、一日休みをもらうも、残務整理をした日の夜に寝て、働く日の朝まで目覚めなかったそうな…)が見れて良かった。

さ、来週は、「島」の顔合わせと、
二十日に本番が一個。。。

2010年03月12日(金)



 フモウチタイ

久方ぶりに連続ドラマを見ていた。
なんだかんだで録りためたまま、まだ見ていないような作品もあるのだが。
そうではなくて、週に一本は(録ったものだが)必ず見た全話、そして、今日終わりを迎えた。

「不毛地帯」

二クールに渡った、
キャスティング超豪華ドラマ。
大々的宣伝もあって、始まったドラマ。

「不毛」な感じで始まり、
まさに「不毛」なままに続き、
いつか面白くなるんじゃないか、
という期待、というよりは、見ちゃったんだから頼むよ、原作楽しいのに。←山崎豊子(今さら言うまでもない)
という淡い願望を持ちながら、見続けてしまったドラマ。
予想はしていたが、やはり「不毛」のまま終わる。
嗚呼、不毛。

なんというか…
脚本がひどい
焦点がなんなのかわからないまま、
一話一話をどうしてもドラマチックにしなければならないこともあるのだろうが、強烈なインパクトを持っていたキャラが突然出てこなくなったり、
話が置いておかれすぎたり、
説明なくものごとが変わっていたり、
懇ろになる相手との道行の説明もないまま、あっという間に三年半経ったり、超ご都合主義の、キャストさんの都合も垣間見えの、こっちの興味おいてきぼりの、前半戦の感想で中盤から芯が変わっていった感のある、
というか、そこまで言っているなら見るんじゃねぇ、
って話ですよね、はい。
でも、いつか、いつか、いつか、
という思いに負けたわけです。
だって唐沢さん、好きだし。原田芳雄好きだし。岸部一徳大好きだし。←こんだけ揃って…
そもそも、こんな中途半端な三月上旬だか、中旬だかわからない時期に終わりを迎える自体、もう、そういうことなんでしょうが、
最後なんて、それでも全話追ってきた人が、なんで?と思うほどの、あっという間な結末への綴じ方と、回顧映像の長まわし。。。

いやぁ、つまんなかった(笑)

作り手の方も、
いやこんなはずじゃ、こんなはずじゃ、こんなはずじゃ、
という思いだったのでは…チーン。

そして、今、猛烈に不毛地帯にいる気分。
ある意味の虚脱感も混じった達成感。
時間をかえせ(笑)←結局、これがいいたいだけである、自分のせいなのに。
これが計算なら、素晴らしすぎる。


2010年03月11日(木)



 予定外。

フ抜け計画も、
小屋入りしている間に、
降ってわいた、確定申告談義により、
気づけば、今週限りじゃないか…
というわけで、
がさっと、領収書やらなんやら、引っ張り出してきて、
整理して…
電卓叩いて…
洋々、そんな風にはいかないもので。

来週からの、新作稽古(台本はありものだけれど)のことをどっぷり、と思っているうちに、
あ、そういえば、修学旅行の稽古の仕方も詰めとかなきゃ…
やら、
あ、そういえば、あそこで、「その日大丈夫」と言った記憶がありながら、あれがあった…
やら、
ちがう、ここは大阪の稽古だ…
やら、
あれ、ハナシ受けた時は、夜だって言っていたはずなのに…
やら、
どうも自分では整理できているつもりでできていないことの処理をせねばならず、
やはり、前述人形劇の「のろまの半助」(←「のろまな」ではなく「のろまの」なのです、本当は…、ましてや「まぬけ」じゃないし…)冒頭のくだりで、噺家さんの喋る、「人間たまにはふりかえってみる【余裕】も必要なんです」を思い出してみたりして、←ここは落とさず喋ってくださいなんて注文もだしたな…
「はいはい」
言っているうちに、
結構なスケジュールになってしまっている…
←非常にありがたいことながら…
で、間近に本番がやはりあって。

ちょうど先日、
なんで今?というタイミングで
「パーマンのコピーロボットが欲しいよね」
という話もあったので、←体が二つあれば、という意味で。
その時、わたしは、
「そうすね、僕なら、コピーロボットを公務員にさせます」
なんて至極建設的、且つ、現実的に、夢もへったくれもなく答えたのだが、

とりあえず、
税金の計算をする「コピーロボット」が急務。
その後は、「スケジュールをちゃんときれるコピーロボット」が欲しい(しかしこれは暇になった時、考えものであるが…)し。
「営業するロボット」とか
で、そうなると「稽古を素敵に進めるコピーロボット」とか、
「俳優さんのセリフが入るまで、ニコヤカニ待っているロボット」とか、
いろいろ欲しくなる。
ないものねだりをしながら、

完全に自分不在のまま…(漠)

2010年03月10日(水)



 中日と千穐楽

なんだか、連続して二日本番だな…
もうちょっと回数をみたい気分もありながら、
こういうどっちかというと全体がお祭りのようなイベントはそれくらいが丁度いいのだろう。

中日という二回目(全三回しかないので)
全体(半助だけでなく)が運ばず、満員で
かつ、この回は子供さんの数もとても多かったので、
舞台客席ともしっくりくることがなかなかないままに進む。
最終的に、気がついた俳優さんがいて、
途中から、客席を引き込むテンポに持っていってくれたので、
そこからは、抜群に空間を支配。
…面白い(わたくし的に)、
こういうことも全て、人間の芝居を同じことが起きる。
客席を伺うとやはりだめで、
巻き込んでいくことで、変わってくる。

最初、流れもあって、飽きていた子供さんも、最後噺家さんの落ちあたりでは笑っていたし、まあ…
これで、面白かっただと、やはり、頭から引っ張っていけたら…
という悔いは残りつつ、うーんと思うこともありながら、
そういうことも確認させてもらった上であと一回。

三回目。超満員。
いい空気で半助まで。
そうなると、冒頭登場する噺家さん(八光亭春助師匠)がグイと会場の空気を掴め(死ぬほど暑かったけど)、そのハナシから納戸が現れ、
人形たちが遊び始め〜
という流れがかっちりとはまる。
おそらく全員様の気持ちも一つだったのでしょう(笑)
わたしは、私的に資料写真を撮る間がなかったので、
本番中…
と思っていながら、早々にバッテリー切れ。←まあ、大体がそういうもんですが。
お城のシーンも、昼の引き締まったテンポの中で遊びが行われ、好感。
ラスト、師匠の落ち前で、ちゃんと笑いがきて、
これで、枕のふり、から中盤、落ち、と全て通った…
めでたしめでたし…
全員の何かがそろって、
ようやく、作品つくりが成立。
さらにこの先を求めたくなれたのでよかった。
正直この期間の中で、ここまでこれるとは思わなかったので肩の荷はおりつつ、
しかし本当に、一作品の予定が全作において働かなくてはならなくなった、Tさんそして旦那も駆り出されることになった照明のW夫妻、一曲の予定が都合五曲+歌入れさせられ、かつ、半助オペまでやる羽目になったRくん、遊びのつもりがSEマル投げ+なんでかみんなのアイドルになっていたKさん、と本当にこの方々(りばいぶ流れ)がいなかったとしたらぞっとする。。。
頼もしかったです。嗚呼、どうもありがとうございました。
で、勿論、
この無謀なチャレンジにしっかりついてきてくださった、ベテランはじめ演者さんたち、
美術のたまちゃん。
制作の星さん。
誰か一人いなくっても、この日は迎えられませんでしたね。
ありがとうございました。
そして、他作品のみなさま、
この三日ばかり寝ずに働いてくださった、このイベント自体にかかわる全てのスタッフのみなさま、ありがとうございました。
そしてなにより、プーク人形劇場に足を運んでくださいましたみなさま、
本当にありがとうございました。

わたしは疲れました(笑)
朝まで呑んだくれたら、
明日は、とりあえずフ抜ける予定。(夜は稽古予定…)

2010年03月07日(日)



 場当たりとゲネと本番。

朝目覚めると、生憎の雨模様、昨日が恐ろしく春めいて暑かった日なので、格好が同じなのが、、、ま、そんなことはいい。
十時から場当たりの続き。
なにせ、各作品の転換が大変なので、一度、バラスと、それをすっかり奥において(この劇場は素敵なことにせりがあったりするのだが)奥から別のを引っ張り出す、という具合。←しかも半助はめちゃくちゃにものが多い。(これはなにせねらいですからね…)
一回一回、確認とともに、細かなところまで時間的にこだわれない。
まあ、イベントも、こういう忙しい現場も慣れているとはいえ、
そして、勝手知ったるスタッフとはいえ、
初のもの(人形劇)に対しては、もっとじっくりと時間を費やしたかったりもするのだが、
どうみても、半助以外チームがどうも、不条理的なので、
しっかり芯がないと、全体もきつくなっちゃうな…
ただ、明りは昨日最後までいけているので、その分だけは、よし。
泊ったかいのあるというもの(笑)

ゲネ。
うーん。
ま、そんなもんよねぇ。
という感じで進む。
確かに全体を初めてみた感じでいくと、
この並びしかないような気もするが、
これは、前からの流れもあって、結構、ハードルの高いスタートになるなという思い。
ともに、当該のろま〜に芯もなにもなく、
ただ、長いだけの、各々方の、お楽しみ状態。
ま、こういうのも楽しい人は楽しいのでしょうが、
わたしは全く…。
いつも舞台稽古はこう、な、感じなんだろうなと思いながら、私には関係ないので、
作品つくり、であるということ。
確認。

初日。
満席。
転換がやはり上手くいっていないものの、
客席が優しいので、次いでくる。
半助も一つに繋がった感。
いろいろ、バタバタの中、まあ、及第点。
お客様はとてもよく見てくださいました。
ちゃんと、舞台と客席のキャッチボールもきっちり。
いまさらながらに思い出す、
この作品のホンを書き出すにあたって
「大人が楽しくて、子供も楽しい」
ということをコンセプトに置いたなぁと改めて観ながら思う。
で、間違っていなかったのではないか、と感じる。
表現としては同じ、と気がついて、
こちらは、実は絵作りという意味においても同じ、
と気がついて、さらに、
演者さんが生き生きしていると、これまたやはり、観ていて楽しい。
これも同じ。
(半助の場合は、顔も紗で隠しているのだが)
そして、可能性がさらに広い、ということ。
いやいや、勉強の日々…

初日ロビー乾杯でいろんな方とお話。
今日は、家に帰る、と宣言して、
ギリギリ終電に駆け込む。
さて、明日はどうなるかなぁ、完全な落語、人形美術、美術、演者さん、音楽、歌全部のコラボが観たい。


2010年03月06日(土)



 劇場入り。

とはいえ、予定で行くと十九時から場当たり(本番通りにその場を音、明り含めて当たっていくこと)、だが、
今回は複数の演目が重なるイベント状態。
シュートと明りづくりと、進行を同時にやらなければならない始末。
しかも、三時間予定(場当たり所要時間)
かつ、その全体稽古自体もまだ中途の段階だったために、
「誰も全体像が見えていない」
という中。
おそらくスタート自体二十時は軽く超えるだろう、などと思いながら。。。
なにはともあれ、
昨日最終通しを観て、
改めて
「読み合わせ」の必要性(今回は全体の時間が少なかった)を感じ、
本番を前にして、
台本を確認しながら、
あと、
わたしの本ではあまりないことだが、
「歌」(わたし歌詞、レオ作曲)
の確認も含めて、
たっぷりと二時間あまり。
この辺りは、出演勢腕に覚えのある方々なので、
かなりすんなり入った、…はず。
要は、最後の、「ここをこう見せたい」というのを舞台上で確認している時間がとれないので、皆様の「脳裏」に残しておく、という意味合いが強く。
それと、このハナシがどこに向かっていくべきなのかの確認。
最初、この段で「なぜ、読み?」という当然の疑問顔をされていた方も、最後にはなるほどになっていたので、よいでしょう。
途中からは、音響のオペレーターまでやることになった(ってわたしが振ったのだが…)レオもお付き合い。+遊びに来て、完全効果マンとなったK氏も登場。読みに、音が入る(笑)
このまま、舞台稽古に…
となれば理想的ながら…

で、このあと、
たーっぷりと待つ時間。誰もせめられないトラブルがあったりで、
結局、スタートが二十二時過ぎから。
どう考えても今日中は無理。
ながら、他のチームもまだ場当たりがされていなかったりする状況。
二十三時の段で、終電を考えるとイライラする自分を思い、これは、
というわけで、宿泊を選択。
どうせ、場当たりに付き合うレオも誘って、
で、なんだかんだ、俳優さん、噺家さんには場当たり順で三々五々してもらい、最終盤は明りづくりをしながら、余裕の一時半越え。(当たりとしては、前半の中盤あたりまでしか終わっていない←それも流しただけ…)
明日は十時から再開。
しかし、宿泊の選択は非常に正しく、
大らかな心を持って(笑)

自転車のKさん、レオ、わたし、
そりゃあ、呑みにいく。
明日も、朝からトップギアだな…

2010年03月05日(金)



 三月はさらに。

三月に入り、
人形劇は今週末、
そして、もう一つの学校は、三週間を切った。
この間は二週間に一度本番をやっている計算になるので、
何気に(そんなにテンションでしゃべる方でもないけど)
トップギアのまま通り過ぎていくことになる。
月曜日はラストシーンづくりに、これまた同じところで、三年目、お世話になっている清水氏(夏のせいかしら、振付)に来てもらい、最終盤のステージングを二人で。
今回の場合、セリフ的なものもありながらなので、その割り方も含めて。。。
火曜日はBのA氏出演の文学座「女の一生」を俳優座に。
とてもシンプルで好感のもてる芝居。
要所、ベテラン勢の作りすぎが鼻につくものの…
そうかぁ、栄二をA野くんがねぇ(笑)
改めて、森本薫、よくできた本を書くよなぁ。
なんて。
先週の本番辺りから、人形劇のものづくりがメールの確認ながら、とってもよく入る。時間との戦い。三回の稽古の具合もあったし。
もう少し早めにかかっていれば…と思ったりしながら、
他人事でなくなっている人が多くなってきた、ということだから、よしとする(笑)
そんなわけで、本日は午前と、あとは夜に打ち合わせ予定だけなので、昼から進んだ作業の確認も含めてアトリエ(花小金井)にお邪魔、
なかなかに、進んでいない…
私も、筆を持って、作業着を借り、夜の打ち合わせまで作業付き合い。
「納戸」というキーワードは私からだから…
とか、納得させながら(汗)
夜の打ち合わせは、結局花小金井に来てもらって。

六月の後半に、何年かぶりでスターダスカンパニーを引き受けることに。
忙殺は変わらないのだな…
ありがたいことではありながら。

稽古場でできる稽古は明日のみ、
しかも、二時間限定、
さてさて…

2010年03月03日(水)
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