再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 基本に立ち返る

修学旅行の稽古、本格的に。
とはいえ、今回は4月公演に多くのキャストが出演していた関係で、
かつ、ゴールデンウィーク明けすぐの旅出発で、実質六日の稽古。
再びの旅とはいえ、そんな洋々といくモノでもない。
一から地道に作り直しながら、かつ、完成形を探りつつ、の両方を行ったりきたりの作業。
ちょっと駆け足感のある進行具合だが、
いい緊張感と、どちらサイドからもよくしたい欲求があるので、
楽しい稽古場ではある。

プランナーの方々もなんだかんだ、もう四度目の旅になろうと言うのに、気にして稽古場に来る。これは、嬉しい。

今回はまた、「基本に立ち返る」ことを前面に。
もう、体にはすっかりセリフも動きも入ってしまっているため、
改めて、「なぜ」そうなったかの確認を殊更しながら、
複雑になりすぎているところはあらためて「シンプルに」
「ほとばしる」感覚(4月初演時はこの言葉がテーマだった←毎旅、そんな言葉がある)を大事にするように。

バット振り二号のヤマガミが(ソフトボール部員)
稽古二日で、大爆発、喉をつぶす(笑)

でえーーーー

ま、どれだけ「調整」ではなく「本気」の稽古をしてるかが、
この作品は本番の「出来」に関わってくるので、ま、よしとするか…

2009年04月29日(水)



 偶然がすぎる。

軍艦島上陸許可!
すっかりクサナギクンの一件で埋もれましたが。
長崎にある正式名「端島」という、炭坑(海底)で栄えた島。一時は島の人口も今の東京を遥かに越え、日本初の高層アパートが乱立(周たったの1.5キロ)、その島の遠景が軍艦に見まがうようで、軍艦島。
エネルギー革命とともに廃れ、七十四年に閉島。無人島。以来、廃墟に。埋もれてはいたが、有数の、知る人ぞ知る物件(笑)である。

非常に思い入れがあることは、R−viveを見てくださっている方にはわかると思いますが、企画の其の十で、思いっきり「ここ」を題材にした芝居をしたわけです。その名も「センカン島」(←芸がない。原題「風待チ」)。
その島が「観光地化」されようとするのを(笑)「反対」している「人たち」の「運動」の物語。が、最初の名目が失われていき、気勢だけが残り、誰もその「内容」について触れなくなるという「暗闇」の中、内から崩れいこうとしていく時、見えざる「大きな力」によって「戦士=戦犯」とされ、戦わざるをえなくなるのだが、最後の一瞬の光のように…
そんな話。
賛否両論まっぷたつだったが、
わたしとしてはかなり「書きたいことを書かせてもらった」思いがあって、
その(見えにくいとは言われたが(汗))テーマを扱うにその場所を…
という時にとりあげた場所なのだ。
資料は読み漁ったし、
写真集も、
上陸した映像(もちろん禁止されているわけだが)も観た。
芝居の中にはその島で「暮らしていた」側の人間も出てきて、

イメージが肥大化して、どちらかと言うと、なんだかよくわからないがフルサトみたいなもの。として捉えてしまうのだ。

で、僕らの運動の甲斐もなく、「観光地化」へ。
って、架空じゃん。
どっちが良いのかはそりゃ、わかりませんが。

しかし、いずれ「上陸」はできなかったわけで、
これを機会に上陸を是非したいと思っている。
非常に勝手だ(笑)


とそんな話を「修学旅行」の稽古場で、田代くんとしていた時(彼は、修学旅行の初演の後、「風待チ」に参加、一番新しい運動員としてKYを熱演、その後、本当にKYになる、という記念碑的作品(大笑))、
その「センカン島」の元住人の思いの象徴である「船長」という老人がでてくるのだが、これがまた見えたり見えなかったり、いきなりいたり、消えたりするわけだが、S劇場のWナベさんという方にたっての希望で出演してもらった。
で、Wナベさんは「修学旅行」には全く絡んでいないし、
その稽古場に居るはずがないのだが、
田代君に、「いやぁ、われわれの運動の甲斐もなく…」
なんて会話をしていると、徐にトイレの扉が開いてWナベさんこと「船長」さんが登場、しかもにこやかに。
そのタイミングのよさ足るや、舞台でやったら、
「偶然がすぎる」
と言われるに違いない。

2009年04月27日(月)



 時間は有効に。

今週は、
養成所やって、学校行って、
ばんさんかいを観て、
映画はスラムドッグミリオネア(前述)とグラントリノ(クリント・イーストウッド監督・主演)を観て、
劇団劇作家さんの「合評会」に少し参加し、
久方ぶりに、堤くん(企画其の八からずっと出てくれている)と呑む。
というのも、
「一月辺り、結構暇だから、呑もうよ」
「いいっすね」
とかとか言いながら、
「二月の中旬がいいかな」
「いいっすね」
とかとか、
「下旬になると、卒公二本抱えだからなぁ」
「そうっすか」
とかとか、
「三月は基本こっちにいないからなぁ」
「そうっすか」
とかとか、
「四月に入ったら、前半戦は結構いけるよ」
「あ、いいっすね」
とかとか、
「下旬だとどんな感じ?」
「あ、いいっすよ」
と、こんな話を繰り返し、先へ先へ伸びていく。
気になるのは、堤君はこの流れで「いいっすね」か「そうっすか」としか発言していないことだが、それはまあおいておいて、
挙句、漸くの設定の日に私事で別件が入り、
「ちょっと夜遅くなるけどいい?」
「いいっすけど、それならまた別日でもいいですよ」
なぞと言ってくれたのだが、
そんなことになると、
「冬に鍋でもつつきながら呑もう」が「夏にビヤガーデンで行こう」
にすり替わる恐れ、
何せ、去年に話していたことが、まもなく「五月」を迎えようとする段で実現しようとしているのである。←互いに忙しいのはよいことだが。
しかも、決して遠くない位置どりに住んでいたりするのに。
ので、別件終り次第で連絡、
決行!

…って、そんな大層なことでもないのだが…
何をしたって、ただ飲むだけ飲んで、大概の時間は不毛な会話が支配し、オーバー30雁首並べてプレステ2(3でないのがみそ)に熱くなったりして、
大きな達成感につつまれる(笑)
そういえば、B学座のN峯くんとも、去年の九月に立てた「黒酢の酢豚の美味い店に行こう」ツアー計画(発端は去年どころでなく、三年以上前であることに今気がついた)が、何度も頓挫している。その間に、別の人間とはふらっと行ったりするのだが…
同じ現場にいないとこの商売こういうことがまま多い。

だから決行でいいのだ。
そして翌日、大きな反省につつまれる(二日酔い抜けかけの時によくあるやつ)
時間は有効に使いましょう。
…はい。


2009年04月26日(日)



 なにがおこるかわからない

青年劇場さんの芝居を観る。

久方ぶりに、師の作・演出の舞台。
感想。というより、相変わらず、どこに行っても、「楽」を選択しない感じに、「こうありたいものだ(笑)」と思ったり。
改めて、俳優というもののあり方をふくめて、

「想像する」
「発想する」
「会話する」
「聞く」

なんてことを思う。

つまりその場に「存在する」こと。

それが直に「なにが起こるかわからない」「作品の出来」に、
んで、「人間ということ」に繋がってくる舞台。

であるから、パートパートは面白いながら、
なかなか作品の温度が台本で説明されていない所を
カバーして余りある「想像力」と
他愛もない「会話」であるからこそ、「自分」だけで「完結」してはいけない、という部分と
走りがちな「情緒」に走らないことなど
「当たり前」とされるべくことが「当たり前」になりきれず、惜しい。
足並みが揃っていない…

ない部分を想像すること、って、とてつもなく楽しい部分だったりすると思うのだが…
わからないことへの欲求…

そんな訳で(どんなわけだ)
終演後は、今回、この音響にもついているKさんと、
別の現場から合流の師と
わたしと
三人で二丁目辺りで作品をつまみに呑む。
思えば去年の七月あたり、この三人で王子あたりで呑んでいたときは、つまみにする材料も違ったわけだし、こういう作品への関わりなんて全く分からなかったわけで、条理もなにもあったもんではないのである。

その後、電車で出演の俳優(修学旅行も出ている)に遭遇(正にこの言葉)。
そのまま、「お店」へ移動する(笑)
だから、何が起こるかは、その場に行かねばわからないわけである。

ただ、確実に自由度が高くなっている出演者には心強さを感じつつ。


2009年04月24日(金)



 講座。

初日無事終了。
傾向と対策を練りながら、喫茶店で三時間ほど。←学生か。
参考のため、とってあるアンケートに目を通しつつ、
あーでもないこーでもないする。

久々、ヒヤヒヤものの「小芝居」は、「やさしい」目に救われながら(?)、過不足なく終わる(笑)

笑わせなきゃ、とか、面白くしなきゃ、とか、泣かせなきゃ、とか、余計な欲望がないのは、こんなにも楽で、いいのだなぁと思ったり。
役割は、存在することで、その先は、見てる側との対話。


昨日は、話題のスラムドックミリオネアを観る。
スラムの映像とか圧巻だったけど、
音楽は変わらず素晴らしいけど、
これが、アカデミー賞なのかと言われると…

単館でやっていて、ふと見たら、これはすごい!
となるとは思いつつ、
インドという地場の力で持っていた作品。

んなこと言いながら、すぐサントラ買ったけど。

2009年04月22日(水)



 久しぶりに。

今週水曜日から講座が始まるので、
そのカリキュラムの中にある、「小芝居」(笑)←われわれはこう呼ぶ
の為に、稽古。
非言語と言語コミュニケーションに特化しようとしているので、
まあよくあるが、
「同じセリフ」
で、設定、関係、感情、状況などなど
違う場合にどう見えているか、
五パターンほど。
って、わたしは三しかしませんがね…

久々って、よく考えたら、
相手役の早船さん、とかつて、やっていた記憶、それも遥か七年前。
その芝居でまさに自主的に辞めたので、七年ぶり、共演者、同じ(笑)

しかし、感覚というのは鈍るもので(演者として)
なにせ、「セリフがはいらない」のである(汗)
いいおっさん二人である。
で、二人して、さんざんセリフを廻すのだが…

稽古を楽しむまで、いやぁ〜時間がかかった。
結局のところ、どうもこの日の配分だけでは、「自信ねえな」という体たらく。当日明後日の午前中も「稽古しましょうよ」と泣きのお願い。

俳優って…
と改めて思う日…

2009年04月20日(月)



 なによ?

修学旅行ワークショップ二回目。
前半は目一杯体と頭と心をほぐして、
前回より引き続いての課題、地図を作り、近い道を論証する。
これをじっくりと、
それぞれのチームの着眼点が違うのは面白い。
というか、同じ劇団に毎日のように通う人たちのこのルートの違い方もすさまじい。(新宿という場所柄だから、ということが大いに関係あるのだが←想定してるからやっているとも言う)
しかしま、荒れる。
のである。
荒れる、とは、議論、にならないのだ、これがなかなか。
一触即発の空気。
それはもう一言で言うと、何かを突っ込まれると

「なによ!?」

と、逆切れするの意味で、これはこれでなかなかに楽しい(?)のだが、
一つのことだけに集中しすぎて、周りが見えなくなるとこうなることが多い。
視野を広く、なるほど、という感じだと他人の意見に耳をかせる。
勿論、ただ、なるほど、で、納得し、意見が変わる人もいる。
または、実体験を伴って、裏打ちされたところからハナシができると、非常に余裕があり、新しい他人の意見すらも巻き込んで、自分の意見に波及させることもできる。
自分の位置取りを把握し、目の前の建物(正に鼻先くらいの近さで)だけにとらわれず、行きたい方向を鑑みて、そこが全体図の今どの辺にあり、最短で行くにはそれはスタート地点からゴール地点までの直線距離であるのは間違いないのだが、そこに「障害(物)」というものがあり、そこを「どのように越え」るのか。またこの場合、「新宿駅の改札口から」という、乗っている電車が違えば、そのスタート地点までも違う、ということで、これは非常に、役を考えるという作業と酷似していると思うのだ。
つまりは、台本をもって、全体図があり、演出というルールにしたがって、今その役が、このとき、どの場所にいて、どこに向かっていて、誰と…云々、
近道、と思って、思い切り遠回りしていたりするし、
で、役である自分は、まさに鼻先に建物のある道を通っているのだ。

それをさらに、議論にしよう。
というわけで、難しくもなるわけだが、
自分がどういうタイプで、
だからこそ、どういう準備が必要で、
どういう言葉に耳をかたむけるのか、
そういう自分にとってのヒントに(要は自分を知るということ)満ちている。

どこまで伝わっているかはおいておいて…

来週は、も一つホンに入っていこうかなと思う。
夜は、そのまま新宿スペース雑遊にてアンの芝居を観る。
非戦の会の時にその存在を知って(おそっ)、まだ今回で三回目の観劇ながら、毎度楽しみ(だから毎度、というほどでもないわけで…)。四の五のなくて「生命力」溢れているのです。
日曜日まで。

さあて、わたしも「なによ!?」といわれないようにしよ。

2009年04月17日(金)



 遊びに来た人。

養成所新年度はじまる。
例年と男女比が違い、するとまた感じと空気が全くちがう。
また去年が少人数だった分、二十人弱のクラスは、稽古場が狭く感じられる。
さて、今年も脱落者なく、厳しく、楽しく、といきたいもの。

本日はその後、加納さん演出の舞台の稽古、塩見くんも出演しているが四月の後半にあって、その稽古を覗きにいく。
とはいえ、通しの時間に間に合わず、流石に他人の稽古場にいきなり、しかも通し中に入るのもなんなので、わずか見える、カーテンの隙間から、何じゃらほい状態の通し後半と、塩見を見る(笑)
と、こうなると、稽古を覗いた、というよりは、

これから呑みにいくのに、公民館まで迎えに来た。

人ではないか…
またの名を、

完全に遊びに来た人、

ということになる。
ま、その通り、稽古後は出演者さんたちに混じって結局呑む。
いずれ終電近くまで。
なんとなく、少人数の芝居をやりたい心がフツフツとしてくる…

2009年04月15日(水)



 トライアル。

本日は、某大学で、講義のトライアル。
知り合いや、先生なんかに集まってもらっての、お試し、みたいなもの。

学生時代の先輩が講義を今年から持つため、
その、助手(?=コーチ)の一人として参加。

コミュニケーション能力を上げる為に、演劇を利用する。
みたいなもの。
シアターゲームとか、うんたらテクニックとか、そういうものを体験しながら、どう、他人とコミュニケーションをはかっているか、不自由しているか、などなど探っていくわけです。
一つ一つ、「意味を説明」することがとても重要。
なにせ、別に「演劇を志す」とか、「なにか表現したい」という訳ではない人に対して提供するワークショップ(参加型講義)だから、一味違うものになるわけです。
で、講義の進め方なんかも含め、
実際の教室(少し狭い体育館のような…)で。

午前中、先輩らと、「あーでもない」「こーでもない」して、
本日の流れを一応決定。
午後を使って、実際人に動いて貰い、感想も聞き、その検証。
わたしも久しぶりに参加。←コーチですから。
で、とても疲れる。(笑)
いくつかわたし持ち込みの定型も試し、
最後に「セリフ」を読んで、終り。
わたしも読んだ。←コーチなのに…

トライアル後は、
何人か参加者も交えて今日の検証。
で、今後の傾向と対策を練る。
…うちに、酒がはいる。
どうも、も一度稽古でもしないといけないらしい。←わたしは役者ではない


2009年04月13日(月)



 書信。

毎年のことにすっかりなってきたが、スターダスさんの養成所入所式。
わたしは基本、二年生担当なので、うまくいけば来年出会うことになるのだが、この時期の、まさに夢をもって上京してきた子らからはとてもパワーをもらう。(なかなか持続が難しいのだが)あらためて、初心忘れるべからずだと、自分に還って思う。

今年は春から梅雨にかけての時期のR−viveがないので、こういう時期にしっかり何を蓄えておくかが重要だななんて、夏休みの宿題の最初、または、夏の課題、みたいな感じなままでいる。
そんなことは今年が始まる時点で、この新「年度」がはじまる時ではなく、「新年」が始まる時点でわかっていたことで、その時にも、同じようなことを考えていたのだ。
恐ろしい。
自分で自分に締切りをつくる。
または、
当たり前にする。
こういうことって、至極難しい。
さらにこれは今年の「所信」だったりしたのだから…

「初心」
うぶな気持ちと考えればやさしいけれど、
最初の意志、だと思うと、変化はしていっても、ほんと、なくしてはいかんなと思う。

式後は、演出家連で、会食しながら「あーでもない」「こーでもない」をする。
夜は、久しぶりに、Hくんこと長谷川くんとさしで一杯。

2009年04月11日(土)



 修学旅行。

修学旅行、今年も始まる。
なんか鬼門のように(毎年代わる)なった役があったりと楽しい。

のっけのワークショップは、本は一切使わず、「地図をつくる」(記憶を頼りに)をメインに、劇団のある新宿御苑前から新宿までの最短ルートを考える、論証する。いかに普段、自分の都合で道を考えているのかがわかる。(こういうことをやる場合、自分の目印だけ異常に大きくなったり、変な形の建物が出来たり、並行して走っているはずの道が交差していたり、やや曲がっている道が、まっすぐだったりと、記憶って…と思うことが多い)
大半が、4月公演にキャスティングされているので、こちらはしっかり、体と頭をワームアップしておく。

単純に、もう四回目の旅になるが、新鮮に組みしようとする俳優陣◎
みる側とともに、いつでも新鮮でいたいものだ。

終わりを待って(笑)赤提灯へ、最終的にハゲシイつけめん(西新宿の稽古場にいったら必ず行く=味はいい、量が半端ではない)も食し、今回は稽古が短いがどこまでいけるか、散々と話す。

ようやくの新年度な感じ、熱いまま、すごしたいものだ。


2009年04月09日(木)



 芝居。

冬の入り口

を見にレッドシアターへ。
作家さんもふくめ、好きな俳優さんいっぱい。
作は、いや流石。「引きの目」も「よりの目」も巧みに使いこなす作家さん。
全体としては思うとこあるけど、本と、俳優さんで持っていた作品。
ラストあたりはやはり最高なわけです。
もっとあそこに集まった人(葬式)がいて、その故人がクローズアップされたら、たまらんかった(良い意味=そりゃ、出演はないけど)と思われ、改めて、演出って、と自分の仕事を含めて考えさせられる作品。

終演後は「安かろうでまずかろう」と
堂々と宣言されたお店で、ちょっと紹興酒。
不思議なもので、最初にそう宣言されると、「言うほど…」なんて思うから可笑しい。
態度の悪い店員も必ずのセット(笑)

芝居は今週末まで、赤坂レッドシアターにて。


2009年04月07日(火)



 心和やかに

予定通り、ジャイアンツは広島に三連敗に近い形でやられ、なんだかなあ感がいっぱいの週末。桜はもう「これ、いま!」と言わんばかりに咲き乱れている。
そろそろと、今週から稽古が始まったりしつつ。
その稽古に絡んで、制作他諸事がわたわたしてますが、
桜でも愛でて、心和やかにいきましょう(笑)

ビール持って、つまみもって、レジャーシートかスポーツ新聞もって、桜の木下へ。
こっちに越してから、あまり周りをちゃんと見れていなかったのだが、結構スポットがあって、且つ、こっちの(府中界隈)人らは、お祭りが好きだ。市民発信で、花見祭り(しきりもね、きっと青年会とか、商工会とか)まで道路をストップさせてやっている。あつい。
的屋さんはいないもの。
大国魂神社もあって、ここは月に一辺はお祭りやってるし(ここはちゃんと的屋さんいます、参道にずーらーっと)、
その中でも有名な「暗闇祭り」とかになると、
一体どこにこんなにいたんだ?と言わんばかりの「ガラの悪い」おにいちゃんたちがわさわさと「暗闇」に託けて(?)沸いてくる。
地元、という意識が強いのだろうなぁ。

そいえば、去年の今頃は地元で寒風と桜が吹きすさぶ中、
ガスコンロなんか持ち出して酒も買い込んで、花見をしていたな…

まだこの地に、全く地元感のないわたし。


2009年04月05日(日)



 開幕。

開幕しましたねぇ、プロ野球。
しかも久方ぶりの両リーグ同時開幕!
名勝負目白押しながら、巨人軍は、相変わらずの前半戦ダメモードか…
ま、しかし、
この盛り上がりのまま、進んでいって欲しいものです。

近所の図書館があまりに充実しているので、
なにかと思った。(て変な言い方)
閉館時間は夜十時までだし、
しかも、平日だけじゃなくて土日もだし、
毎週月曜日休みじゃないし、
読書室もちゃんとブースに分かれてあるし、
学習部屋あるし、
安いカフェも、
駐車場も、

そいえば、かつて受験時代、学習部屋なんて代物はなく、しかし、静で勉強にはうってつけ、朝から並んで席取りをしたのに、ホンを借りないのならと、途中で出されりしていたような…。
土日は五時までと相場も決まっていたはずなのに…

世の中、便利になっている。
しかし、この時期の花粉と古本のダブルパンチは、
目と鼻がえらいことになるのであった…
去年資料集めで苦労したホンも幾つもあって
………。

2009年04月03日(金)



 ケータイ

庄司さん(元R−vive)と台本の打ち合わせ。
一本のホンについて、あーでもないこーでもない、こーすればあーすれば、たっぷり二時間半。
昨日の夜に最新が送られてきたものの、
調子の悪いPCの所為で、開けず、印刷できず。
夜をかけて格闘する、も、結局昼までかかる。
一体…
しかし、なんとなく出口が見えたようだ。
次の締切りを決めて、街中へ。

ケータイを換えようと思っている。
一昨年機種変したケータイも、今はもう、「指紋認証」機能も「認識」されず、「テレビ」も「映らず」、「充電器」が上手く「ささらない」という三重苦。普段使わないからあれだが、きっと、「おさいふケータイ」とかそういう諸々の機能も「動作せず」だと思う。
つまるところ「電話」と「メール」しかできない。
というか、これでいいのだと思うが本来。
しかし、嘗て、まだ大丈夫と使っていたケータイがものの見事に、フリーズして全く動かなくなった(電池を抜いても、画面はそのまま!)経験を言い訳に、今年に入ってから、ずっと、「換える」と言っている。

しかし、ドコモである。
今までなら、最新機種でなければ、相当安く、またはただで機種変更ができたのだが、昨年からシステムが変わった。それまで、ソフトバンクなんかが採用していたシステムだ。で、分割払い+二年使う保障でなんとなくごまかされているのだが、これが、至極高い。(特に印象もね)五六万は平気でしている。
型落ち商品も、さすがドコモ洋々下がらず(AUとかは結構下がるらしい)、ちょっと古いといっても四万代…
こうなってくると、そりゃあ、新しい方がいいんでないか?と思うのは人の世の常(?)というやつで。
かつ高いから、「失敗できない」感がとても強い。

しかし、いくら顧客集めに三社+諸々が奔走しているからといって、その「他社からの会社換え」+「新規顧客」だけが優遇されている現状はどうなのよ?こっちは十年以上つかっとるんじゃぁ、と、言ってみたところで、どうとなるわけでもないのだが…

で、先月から悩みに悩んで、二機種に絞り(どちらも六万代)。
今日はもうすっかり換えるつもりで「意を決して」ケータイショップへ。
で、店員のおねーちゃんに、2台について聞き、「どっちがいいと思う?」と聞いて、なるほど、と思えたら、それにしようと決める。
適当な説明。って、過不足なく、って意味で。
しかし……どうも気乗りしない印象。

「え、ぶっちゃけ、どーなの?」
「ぶっちゃけ……いやぁ、ここだけの話っすけど、てか、あたしがって意味っすけど、これ、人気商品なんすけど、ぶっちゃけっすか…、そうっすねぇ…、正直使いづらいと思いますよ。てか、タッチパネルがいいならいいんすけどね、こっちの機種はタッチパネルって言っても中途半端だし、この部分(と、携帯をスライドさせ開く)実際、ここに(プッシュキー)ついてますし」
「じゃあ、開けて使えだよね?」
「でしょ?そうなんすよねぇ。形はかわいんすけど…」
「じゃあ、こっちかな?(ともう一つ)」
「あ〜、ん〜、こっちっすよねえ(とこちらもスライドさせる。と、パソコンと同じキー配列が出てくるケータイ)。パソコン使い慣れてればいいんすけどねぇ。いやぁ、こっちはタッチパネルは結構使えますしぃ、この打ち込み(キーで)が面倒だったらぁ、画面上だけでもメールできますよぉ。ただぁ、ぶっちゃけぇ、いや、人気機種なんすけどぉ、てか、タッチパネルがいいならいいんすけどぉ。ちなみにお客さん、メールとかよく使います?」
「うん、まあ、そんなに長い文は打たないけど…」
「…すよねぇ。ちなみにぃ、やっぱメール、片手で打ちますよねぇ?これだと、両手なんすよ、ま、それでもいいならぁ、あ、あたしがって意味ですけど、使いづらくないっすかねぇ?」
「なるほど」
「はぁい、いや、でもぉ、人気ありますよぉ」
「ありがとう、ちょっと考えるわ」
「そうしてください、高いっすからね、失敗できないっすから」

ちょっとぶっちゃけすぎなきらいはあるのだが、
ちょっとぶっちゃけて、その言葉遣いはどうよ、と思ったりはあるのだが、
わたしがその日、ケータイを換えなかったのは言うまでもない。


2009年04月01日(水)
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