再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 四分の一。

三月ももう終わろうとしている。
毎度月末とか、特に六月とか十二月とか、特に思うことではあるが、
でもって世間的にも一月は行く、二月は逃げる、で、三月は去るである。
ついこの間「あけましておめでとう」なんて言っていた気がするのだが、そんでもって、今年の目標は…云々て、金杯を掲げながらノタマワッた記憶もあるのだが、2009年、もう四分の一が終わったことになる。

何をしてたかな…

いや、勿論、仕事はしてましたけど…。
問題だなあ、一つ一つは時間がかかりながら、終わると…
自分にモノを蓄えなくちゃなあ

新年度を前に、睡眠時間が異常に長い。春眠うんたら…
ぐうたらしている。
一言、「去らないでくれ〜」と言ったところで何がどう変わる訳でもなく、「んー、こんだけ寝られるのはちょっと病気だろ」
なんてことを夢で見ながら、久々、夢と現実の三重構造(あ、夢だコレ、と思って起きる、でも、そこもまで夢)の世界にいる。
さ、4月から頭も体もしゃっきりさせて。
(と、新年度の目標←ひくっ)

2009年03月31日(火)



 年度末。

惜しむらくは最後のくしゃみ。

生理現象だからしょうがないけど、
自分も花粉症だからわからないでもないけど、

芝居ラスト、最後のセリフ、音楽も綺麗にフェードアウトしてってところでは止めてもらっていいですかね?(笑)

て、その位、よい緊張感と、揃った呼吸で、難しいホンにトライしていたと思う。最後の方は、会場全体、食い入るように…ってところだったので、上記の通りである。

短い期間+日程の中、ま、よい作品をつむいだのではないでしょか。
最後のステージングもばっちりで、振り付けの美弥子さん共々、肩をなでおろす。←肩の力が抜け、胸をなでおろす。←これでは、なで肩が作られたようだ…(計算計算…)

この二ヶ月余りの間の変化を、うまく、自分自身としっかり繋げていってほしい。「人」をつくるって、大変でしょ?←楽しいけど
他の二クラスも見ながら、「教える」「教わる」「発表することの意味」なんて言葉が頭の中をグルグルする。

ま、ま、惜しむらくは最後のくしゃみだ。
打ち上げで焼酎をいただく、ありがとう。

これで、今年度のお仕事は終了。
次はまた四月から…

2009年03月28日(土)



 なかなか行けない…

明後日に発表を控え、
この時期、めちゃくちゃにお芝居お誘いメール花盛り。
すいません、来週しばらくまで行けないのです、これがなかなか…
この場を借りまして、ごめんなさい。
いつも書いていて、んーとは思いながら、
懲りずに連絡くださいね。

今週は嘗てアマチュアの演劇立ち上げ(IN愛媛)で、出演していた、現在、出家して(笑)大阪の某劇団に入った、ちょっと三十代の、ようやるわ…(コーロさんに行っている時も、長居まで来て、Kさんに散々と迷惑をかけていた)…が、東京に出てきていて、連日呑む。
所属劇団の主宰が演出の作品が、こっちであり、そこに私の先輩(こちらもKさん)も出ていたりして、飲み会で繋がって(ホントに狭いから…)楽しかったらしい。←サザンシアター
しかし、呑みのつまみ…てさぁ
触発される(笑)
が、こちらも種々の事情にて行けず予定…

学校の方は、私が稽古場で見られる、最後の稽古。
いつものように、二時間の割り当て時間をいつものように大幅にちゃんと(?)オーバーし、最後のシーンまで。
なにせ、一時間弱のお芝居を通して(10シーンある)、当たって、ダメだしして、だからどう考えたって時間がたりない…
みな、とても良い顔つきになってきた(なんかやつれた人もいるが(笑))あとは、本番日、一時間半の割り当て舞台稽古(三クラス発表の飾り換えもあるので=飾り換えの時間も含んで)で落ち着いて、本番に向かってくれれば。書いていて、このスケジュールってどうよ、とか思いながら…
改めて、この本、「人間が」面白い。

「ザ・ダイニングルーム」

これ。だからこそ、ハードルが高い、のだが。

2009年03月26日(木)



 祝、優勝。

いやぁ、やりましたねえ、日本。WBC。
じっくり腰を落ち着けて観れたのはあるけど、
疲れるけど、面白い試合だった。。。
勝てば官軍。
こないだまで、「なんで韓国と四回も対戦すんのやろ?」
やら「中国と、韓国と、キューバとしか試合してない。」
やら「アメリカを優勝させる為の方式だから。」
やら「なんで毎回ボールの規格のことでややこしくなるのだろ?」
やら「原かあ…」
やらやらやら、、
色んなものが、全て、なんでもよく、
この結果を導く為の要素だったんだ、みたいなことに思えてくるのである。
ほんとに、簡単で勝手なものである。

イチローも、負けたら戦犯。
から
最後の一打で、英雄感をさらに増した。

わたしは長島茂男引退の年に生まれたので、王の現役時代のことも殆ど知らないし、「すごかった伝説」としかONの存在を捉えられないのだが、野球ファンとはいえ、口惜しいところがある。特に長島で言えば、「永遠に不滅」と言ったあと、カールルイスに「へい、カール!」と話掛ける変な言語を使いまくるおじちゃんというくらいで、選手としての長島は生で見れていない。天覧試合には興味はないが、その村山からのホームランは観たかったし、デビュー戦全打席金田正一から三振も観たかったし、ONアベックホームランも観たかったし、六大学も長島がいるころに行っていたら、大学も強くてよかっただろうなあ。(よくわからない方ごめんなさい)「伝説」

で、思った。
そういう嘗ての、「昭和の伝説」となるような一発。
そして、そういう存在。
を今、まさに目撃しているのではないか?ということ。
「イチローすげぇ」「嫌いだけど、やっぱ、持ってるな」「只者じゃないな」
これが、何年後かになると、熟成されて語られるかもしれない。
(大人世代の)長島的存在として。
大前提はチャンスで打つ、記憶に残る場面で打つこと。そして一応記録も残すこと。
…これはもう、申し分ないでしょう。
そして更に、あー、天才なんだなぁ、と思わせること。
なにせイチローも、一生懸命に論理だてて話をしようとしているが、結局言っている事はよくわからない。という点では同じである。記者に「わかるでしょ?」と言うか、言わないか位。そう言い放ち「わかる」という記者としか懇意にせず、インタビューにも答えないから、あまり印象としてそうではないかもしれないが、言ってる事は、天才肌で、よくわからない、のだ。たとえ話を持ち出せば持ち出すほど、わけがわからない。

先天的なプラス思考か、マイナス思考かはなんとなく雰囲気で見えている違いはあるにせよ…

ま、そんなことはどうでもいい。
いやぁ、めでたい。
ライブで見れてよかった。(そりゃあ現地に行ければ一番ですが)
踊らされすぎるのもどうかと思うが、
結果をニュースで見まくり、悦に入る。
祝・日本優勝。


2009年03月24日(火)



 打ち上げは。

打ち上げは紆余曲折あって、気がつくと朝の五時…(やはり)

昼前にホテルを出、長居から鶴嘴まで出て、近鉄線へ。
奈良でタクシーに相乗りさせてもらい、お寺まで。ホームに降り立ったところで、地元の方に誘われ
ありがたいと思いつつ、駅前で大荷物を預けて…とのたくらみは脆くもくずれ、素直にその方の乗る車へ。旅は道連れ、世は情け、まんま。
そりゃあ至極快適。
寺の手前で下ろしてもらったものの、このお寺さん山を登らねばならず、周りにロッカーもないので、門前そばは美味くないのを承知で食べ、荷物を預かってもらう。
八年ぶりのお寺さん、見たら、時期限定のご開帳ということで、ちょっと別料金払って(そこは木造の観音像←日本で一番でかい)本尊の内部まで入り、おみあしにひれ伏してくる。
三連休最終日た゛からか予想外に空いていて、じっくり骨休め。
お蔭で帰りは駅までのニキロ弱のえげつない坂道を大荷物を持って登るという修行もすんなり受け入れられる。

さて京都にスキスキの特急で着くまでは御利益三昧!
と思ったのも束の間、気づくと帰りの新幹線の指定はなく、かつ、自由席にしろ、京都始発(新大阪ならある)という列車はなく、お弁当は一応、買い込みつつも、座れもしない、自由席の、しかも客車に入れず、京都からのちょっと二時間十五分、デッキのトイレ前、洗面所で立っていくことに…
これを一言、しんどいという。
てか、新幹線、立ち乗り料金というものをJRは用意すべきだと思った。
こんな目に遭うのは三度目だが、バスよりきついのだからさぁ…

明日は稽古あと二回に迫っている学校のレッスン。
どれだけ限られた時間で有意義な時間を過ごすことができるか、に、かかっている。しかし、日本、いいんじゃない?


2009年03月22日(日)



 打ち上げ「のようなもの」

学校バージョン移行最後の稽古。
昨日のダメだし部分を先に洗い出し、そこから通し稽古。
漸くの、ギュッと引き締まった印象、作品となる。
真剣に遊び、
真剣にぶつかり、
真剣にふまじめ(笑)
おもちゃ箱のような舞台、
これから先、色んな人と出会っていって欲しいなあ。
まあ、直ぐにあるわけではないので、
其々俳優さんの中で熟成させつつ、反芻しつつ、
「息」を大事に育てていって欲しいのである。

わたしとしても、なんだかなぁの移動生活漸く本日で終了。
プール行って鍼灸院行っての生活も。
打ち上げ「のようなもの」がこれから。←一度も「打ち上げ」と銘打たれたことがない(笑)
きっと長くなるのでしょう…

明日は帰京のみなので、途中奈良のお寺でも寄っていこうかと考える。
しかし連休最後。帰りがいずれにせよ心配(新幹線満員ではないか…)

さあて、今月は、来週末の修了公演を残すのみ。
そしてWBC準決勝、決勝はオンタイムで見れる予定!

2009年03月21日(土)



 バージョン換え

初の通し。
こじんまりとまとまった印象。
まとめる芝居でないことを再確認しながら、ダメだし。
音響も、変更点を加えて、近藤さんが来阪されたので、相談しつつ。

残すところバージョン換えの稽古もあと二回。
もしや、今一番先に売れている辺りでは私が身動きがとれなくなっている可能性があり、私がいない場合の、申し送りをしつつ(要は劇場で確認ができていないので)、半年後かぁ…
なんて思ったりする。

思えば、昨年から二ヶ月半近く、こっちに在住している。
しばらくは来ないと思うと、なんである、
そんなことを思っている日に、
普段はまあまあ美味いラーメン屋の麺があまりにひどくて、
「なにこれ計算?」
とか、聞いてみる。
無論、計算ではなく、惰性なんでしょうが。
残念。


2009年03月18日(水)



 先週は…

大阪に来ているついで(?)に
和歌山まで、ちょっと一時間半電車に揺られ。

夏にこちらに来ていたときに一度行ったワークショップの、一年目修了発表公演があり、演出は加納さん。につき、行ってきました。
というか、本番見たかったのだが、どうにも時間的にならず、
稽古最終盤の、舞台稽古にお邪魔。といいつつ、
こちらも稽古が基本的に十九時半までなので、そこから移動すると、どうしても二十一時を過ぎ。。。
参加者に元B学座の同期がいたりして、とても変だ(笑)

というわけで、ある意味ピリピリしている現場のあと、
ちょっと杯をかたむけ…
と言いつつ、私のマックス終電(この場合定宿のある長居まで戻るにはという意味)が二十三時。
二十二時前から呑み始めて、すぐに時間。
で、「いわし」の美味い店。
と言われ、
薀蓄を聞き、
さて、
、、、
満員であった。
そして、私の時間もあるので、駅前の「白木屋」へと。
折角ここまできて…
悔しいかな、ご当地メニュー「炙りさば」はたとえ「白木屋」であったとしても美味しいのだ。これが、美味しい店だったら…
悔やまれる。

終電に大人しく乗り、
乗換えで走り、
長居に着いて、これはもう、やるせなさマンマン過ぎて、呑みにいく。

で、食べられなかった「いわし」の話をすると、
隣の駅(?)に専門店があるらしいとのこと。
さあっそく、本日向かう。

しかし…
んー。
えー。
という感じで、余計にやるせない…

2009年03月17日(火)



 三月も真中

週に二回三回と来阪している。
大体朝ラッシュにもまれて、九時十分発ののぞみN700系に乗って。
都合移動だけで五時間弱。

N700系は窓際の席が取れれば、すべてAC電源がついているので、パソコンを使用して…という場合はとても役にたつ。

しかし、移動。って体にくるのである。
当り前か…

こちらの稽古を夜まで抜き稽古とかしているので、一日分は泊まらせてもらって、また朝東京に戻り、学校に行って、また次の日来阪というスケジュール。
ハナシがちがうの方は、一つ一つ説明をしつつ、この先旅に出ると私がいない状況が多くなるので、俳優さんの「自己検証」について、よくしゃべる。
いつもいられれば、「こういう風に見えているからいい」でも通用するのだが、そういうわけにもいかなくなるので、詳しくなるのだ。俳優さん自身に気がついてもらわねば…
まだ、初演の体と感覚が残っているので、それを取りつつ、今回のバージョン換えに上手く…と思いつつ、そこは私も含め人のやること、そうそう計算のようには進まない。先は見えてきているので、この期間をいかに有意義に過ごせるか(なにせ、旅バージョン初演は今のところ、ここで稽古して、で、十一月なわけだから…)にかかっている。と、いいつつ、モチベーションをどう持つか(全体として)は非常に難しいところである。
↑本番が近ければ、そんなこと言わなくても、あがる。

ここでやはり引っかかる言葉「テンション」
よく使われる言葉である。
しかし、これほど実態のない言葉もない。
そして、言い訳としてよく使われてしまう言葉、残念ながら。
(使い方としては「テンションが低いからダメ」とか「テンションがあがってない」とか。ま、正しいと言えば正しいのだが、とてつもなく正しくない精神論でもある。しかもこの時期(というのは、WBCがあるからだが)「臨む気持ち」が重要視されている兆候。しかし、WBCの場合、他の条件はすべてそろった上での言葉なので、体育会と一緒ではまずい。
使うならば、「その役としてのテンション」でなくてはいけない。
やる気のない筈の役、とか
怠惰な日常を演ずる役、とかが、
ただ「テンションが高い」と
もう、意味が分からない。
特にプロの場合は、そこどまりでは至極いけない。
そんなものは、当たり前に持っているわけでなくてはならない。
なのに、そういうことを平気で言って演出、と言っている人が多い…
(そういう三大か四大か言葉があるのだが、それについてはまた後日)

そんなことも含めて、ダメ出しで言いつつ、ゆっくり進んでいく。

方や東京の学校では、
二週間後に差し迫っている修了発表会に向け、
半分、「作品」においての意味とは違う「テンション」(つまり、そこに向かうであろう、個人個人の居方とか、モチベーションの持ち方とか)についてコンコンと話したりする。

なんのこっちゃ。

どちらも、「最大限」を費やすということでいえば「テンション」であるのだが。

なんのこっちゃ。

つまるところ、その作品について「責任」をもつ、ところからのスタート。


2009年03月15日(日)



 WBC

花盛り。
地方行きの仕事がなければ、
確実に、毎東京ドームに足を運んだろうことは、おいておいて。
巨人ファンでありながら原が、監督か…とか、そういうことはおいておいて。
どっちかというと、そりゃあ、落合がいいよ、とかそういうことはすべておいておいて。

要は、また気持ちよくなりたいわけである。
途中負けようが、
大事な局面でどうしても韓国に勝てなかったりするわけだが、
それはどうも、一戦目勝ちすぎで、大フィーバーしながらも、
実のところ、このままでは実のところ韓国に負けてしまうんではないか、
とか思ったり、
大体そういうマイナスイメージは具現化されてしまうわけで、
実際、二戦目は手痛いしっぺ返しをもらってしまったわけで。

ゆっくりと缶ビールでも飲みながら、応援したいものである。

恐ろしいことに(笑)、来月には、WBCはやっていないが、ゆっくりできそうな気配のまま、続いている今が、怖い。
勝ち続け、WBC.

と、完全に他力本願に陥っているのである。
考えてみれば、プロ野球の開幕に合わせてゆっくりできるのだ、
とか、思えないことを思ってみたりする。


2009年03月12日(木)



 一週間。

ハナシがちがう!
バージョンがえの頭からお尻までとりあえず、変更も(テキレジ)いれつつ、終える。
今回はかなり厳密にシーンごとの時間を区切ったはずが、やはり生物、
ようよう計算通りにはいかない。
去年のバージョンは、休憩中の芝居五分弱も合わせて(休憩十分)最短で二時間十二分。
そこから、読みながら削った部分だけで、二十分。
しかし、読みは一時間四十五分。
今日通して(読み動き)二時間七分。
↑実際のところ、実質の休憩を抜いた時間と同じである(笑)
ここで、読み動き通しよりも速くなるたち稽古になる(どんなことだ)。
あせらずあせらず。

学校バージョンの装置もほとんど決まる。
というか、ほとんど変わらずに、いく方向。

ギュッとしまってこれもまた面白くなるはず。
確認をひとつずついれつつ、大事に大事に。

しかし、この東京→大阪→東京→大阪→東京→大阪
移動、結構結構である。
特に東京→は、朝発なので、通勤ラッシュにどんかぶり、
朝だけで、一日の力を奪われる気分。
わたしは、この時間に通うサラリーマンには絶対になれない。
って、なるつもりもないが…

養成所の方は、もう一息で一致団結な雰囲気。
来週は動きの振り付けも入ってもらって、さらに高みを。

2009年03月08日(日)



 忘却の彼方

ぼけている。
まだ春は来ないのに、暁を覚えず。

携帯を忘れる。
さっき使ったスイカの入れ場所を忘れる。
持っていかなくては、と、わざわざ目につくところに置いておいたものを忘れる。
この間は、あろうことか、十キロはあるだろうでかい鞄を電車に忘れ、
東京、大阪を行ったり来たりしているうちに、今日の日付と、約束を忘れたりして、
新幹線の切符拝見で、切符の行方を忘れ、

えらいこっちゃである。
これでは近いうち、わたしはだれ?だ。
こういう仕事の関係上、
一度言ったことを忘れないように、
なるべく以前と違うことを言わないように、
いう場合は、ちゃんと理由を添えるように、
心がけている。
芝居はその場でオコルことに対して演出するからこそ、軸の部分は絶対に。柔軟に対応するためには、絶対に必要なのである。
そうでないと、ただ、その日の感想を言うだけの人になってしまう。
もちろん、すべてというわけにはいかないのだが、
昔、二現場を抱えるくらいまではノートも取らずで、なんとかなったものごとが、三現場を超え、かつ、旅公演とかあって、半年振りの稽古なんて言う場合もあって、さすがにノートを準備してここ数年。
それでも、なんとか…

しかし、この間稽古場にて、通しの稽古をしつつ
わたし「あ、このセリフ、忘れか?」
と思う瞬間があり、
で、そう思ったことすら忘れ(なにせ、この通しの場合一時間弱なわけだが、助手の方もいないし、自分でチェックをしながら見ていたり、で、台本が前回からの書き込みもあって、どれがダメ出しやら…←言い訳)
逆に質問。先ほど思った当該場所。
「あの、このセリフ、カットすると、部屋を出ていく動機が…」

わたし「え?」

「動機が…」

わたし「うん、だから今日、言わないなと……え?」

「……」

わたし「俺がカットって言った?」

(ト書き)わたし、あわてて台本などをチェックするが、書き込みもカットの跡もない。回り、騒然。

「いや、では、復活(これは一度はカットするがまた流れ上必要になったりして戻すこと)ってことでいいんですよね?」

わたし「うん…」

身に覚えがないわけある。
そもそも、この流れで、確かにその当該本人が部屋を出ていく動機を失うわけだから、カットなどするわけがないのだ。
しかし…わたし以外…なわけはない。
カット?
ええ?


…その後、どうもその前に、そのセリフにおいて「今、そのことは置いておいていい、今の段階では」と言った覚えはあるので、それが湾曲して伝わったのだろうと思い当たり、ちょっと安心したわけだが、
言った覚えすら、実はなかったことだったりすると、
これはもう目も当てられない。
考えるだに恐ろしい。
そして、こんなことがあったことを忘れていくだろうわたしは、もっと恐ろしい。


2009年03月05日(木)



 IN大阪

実に昨年末以来の、
って、そんなにたったわけではないが。

コーロさんにて稽古初日。
「ハナシがちがう!」
学校バージョンへの改編である。

かなり具体的にし直した部分もありつつ、
時間の問題は、
書き直し、というよりも、一人ひとりのセリフを「本人にしかわからない」(だからこそ、一度覚えているので俳優さんには大変混乱を生じる作業とも言えるのだが)カットの羅列で、ボリューム感は失くさずに、時間だけ、間引きたい。←そういう決意。
久し振りに読んだ感じでは、思っていたより、やはり少々ずつ時間がかかる。うまく関係の会話でテンポをつくりつつ、一時間五十分を切りたいが…。
次いで、旅バージョンの装置の打ち合わせ、これがなかなかに難儀なのである。一度これだ、といわれた計算された装置。
あそこをこーすれば、こっちがこーなり、こっちをこーすれば、あっちはあーなりと、スパイラルに陥っている。
削れるところは削りつつ、粘れるところは、粘ろう、と、これまた「なんのこっちゃ」ということを考える。
舞台監督さん、美術さん、と、頭を抱える。
これも、「必要最小限」(ではない物量とは言われるが(笑))で「最大」の効果を探す。
これから二十日過ぎまで、週五で大阪、是非にも、前よりもさらにおもろい作品を、である。

しかし長居は充実している。
大阪の「おかあさん」のいる店。
背中の凝りに「整骨院」。
ここのところの体調不良につき、行けていなかった「プール」も(一回七百円とえらいぼったくりだが=市営)
でかい「公園」
そして、とある日、怒ったら、必要以上に大事にしてくださる「ホテルの方々」
うーむ。

とりあえず、十一月に一本売れたのだそうだ。
なにより。
しっかりやろう。

2009年03月03日(火)



 二月は

あっという間に終わったなあ。
卒公も二日目は一日目の逆。
方や、力が入り、
方や、よい物語を紡いでいた。

がしかし、最終版で、自分のテリトリーに戻ってしまう者もいて、
うーん、この半年…
とか思ったりする。
も少し、公演数が欲しいよな、経験ということで言えば。
↑これは毎年のことでありながら…
ま、でも容易にできないことを興味を持ちつつ、やった人たちだったと思う。

改めて、「どう表現しようか?」
ではなく
「どう存在しようか?」
ということが、わかっちゃいるけど難しいのねー
などと思う。是非にもこの感覚を大事にしていってほしいのだ。
修了公演という言葉で(事実、終了と書いてしまう人がたくさん…)
ごまかせれがちだけど、結局、ここからどうしていくかが、一番大事、かつ試されていくのだから。

三月のホンの書き換えはほとんど決まり。
あとは、時間をどう圧縮するかにかかっている。

そんなわけで、「出られないかもしれない」宣言をしていた打ち上げには参加。しかし、始まりの時間が遅いので、なんだかとても中途半端だな…

今日明日はどっぷりPCの前を予約である。
中途で止まっていたものを進めなくては…

2009年03月01日(日)
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