再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 目指せ三十分ギリ

ということで、自転車通いは続いている。
とは言っても、まだ三日しか経っていないのだが、この、運動不足の上に、不摂生がたたっている?体の為にも、十月の三十一日まで(十一月一日から、プレビューの為、小屋入り。)続けるつもりでいる。

二日かけて、一番の遠回り→無鉄砲に斜め走り→なんとなく、駅間の位置取りを把握、と、本日三日目、往路四十五分。復路は下り坂が多い為四十分。
着実にタイムを縮めている。自分との戦いである。

このままの勢いでいくと、近いうちに三十分を切ることだろう。
何の為に、そんな目標を掲げているのかよくわからない、更に、昨日にいたっては、環八の途中で、ちょっと美味そうなラーメン屋に寄り道をするなど、体の為とは言えない様な気もしてくるのだが、、、

稽古は現在、読み合わせ中。
「黄昏」、とてもよくできたホンです。
もちろん、俳優さんもいいですよ。

夢から醒めず、諸事情であがらないテンションだったが、三十分切りを契機に坂を上がる予定でいる。
なんせね、ドーパミンが増えると、頭がしゃっきりするのだ。

昨日夜は次におつきあいが決まっている作家さんの公演を見に行く。
久しぶりのアゴラ。

先週今週と観劇週間でちと疲れ気味の中、
いい刺激をもらう。
明日は二本予定。
この調子でいい刺激をもらえればいいが…

2006年09月30日(土)



 稽古開始。。。

つかの間の夢は儚く、現実へと、日常生活へとすっかり戻っている。

こんな直前に、助手が連絡のつかない場所に行っていたものだから、帰ってしばらくは、電話がなりっぱなし状態。
漸く、本日から稽古開始、これから、東京プレビューを経て、先に旅、そして、東京と、わたしの年末に向けてもスタート。

ということで、
稽古場が用賀になったので、
電車だと、遠くはないのだが、乗り換え、急行待ち合わせ、渋谷駅乗換え、などなど様々な事情から、これはもしや、自転車で行った方がいいのではないか。と、思い至る。
家の雑賀くんも住んでいることだし。←ぜんぜん関係がない。
東京インターの直近。
東京インターはよく、車でも通るし。と、ろくに地図も見ないで稽古場到着、開始時刻一時間前を目指し、二時間の余裕を持って出発。
最近はサボり気味だったが、基本的に自転車移動のわたしである、それだけの余裕を持ってすれば…と思っていたのだが、
行けども行けども、目的の地へはなかなかつかないのである。
しかも、なんとなく、車で行って、勝手知ったルな気分でいるだけに、あれ、まだこの通りかよ、とか、あれ、このドンキホーテまでこんなに時間かかったっけ、やら、そうか、やや上り坂だったのね、などなど、人力を労して気がつくこと多々。
挙句、途中から稽古場ではなく、「東京インター」を目指す目的にすり替えられてしまい←なぜだろう。
気がつくと、東京インターには着いたものの、

「あれ、で、稽古場はどこだったっけ?」

と、東京インターは横断歩道がないので、歩道橋しかなく、それを自転車、荷物を抱え上がり下がりした辺りで思う。
そして、改めて地図を見る。

「逆じゃん!」

と、誰に言うわけでもなく独りごちて、とぼとぼと、今、重い思いをしてあがった歩道橋を戻る。

漸く、稽古場に到着。
稽古場は、東京インターよりも、五分くらい手前にあった。
……。
……。
所要時間一時間十分。

「近いんですか?」
と、いろんな方々に言われ。
ネタフリかの如く、である。

「いやぁ、近いと思ったんですけど、遠いですね。」

…どういう答えだ。そう応えるしかないじゃないか。
悔しいので、明日は、近道を探してやろうと思う。
そう簡単には懲りないのだ。

そして、早速その日の帰り道、相変わらず地図を見ず、適当な道を進んで見る。横道に逸れてみる。
最終的に、方向感覚抜群であるところの私は、「こ、ここは?」になり、行きと同じくらいの時間をかけ、ゆっくりと帰宅。

悔しいので、明日も、地図は見るものか、と、思う。
迷った?おかげで、大体、なんとなく、ほぼ、やや、わかった気がするから。



2006年09月28日(木)



 帰国。

朝早く、成田到着。
とりあえず、待ちに待ったおにぎりを買って乗り込む。
松井が復帰戦で、安打を放ちまくり、次にはホームランを打ったという、大々的な新聞を見て、就寝。

すぐに次の仕事が待ち構えている。
いろんな事情で、大変そう。
R-viveの面子も、各々、しっかり活動しているので、こちらも頑張らねば。

本城くんは、公演で、前回前々回と客演してくれている荒井士郎と一緒に、未だヨーロッパを回っている。
雑賀くんは、毎月のように、何年か前、下北の本多劇場で決勝をやって優勝した劇団?LIVESに出ている。
内田さんは、話題の常磐ハワイアンセンターを舞台にした映画が封切りされている。

わたしもすぐすぐ、である。
打ち合わせも、帰国即。

そんな予定を鑑みて、帰国後実家に報告を兼ね、帰り、念願のお寿司を堪能。決して、狙っていたわけじゃありません。
日本人であることを痛感する、一瞬。
なんせ、このあと、年末、私の場合、クリスマスまで抑えられているので、鋭気を養うってことで。

スケジュールをすぐ求められるので、それも計らねば、である。
あ〜、もっと旅立っていたかった。

2006年09月23日(土)



 最終日にわかった、おそるべしヴェトナム

諸国漫遊記もこれで最後だ。

午前中、ホーチミンに纏わる施設を見て回る。
いかに、この国でホーじいさんが愛されているのか良くわかる。
それから、バッチャン焼の工房を見る。
昼食、今までで一番美味い、フォーを食せた。無論ビールつき、そして空芯菜←しばらく食べられないと思うと、また食べてしまうから不思議だ。

昼食を食べ終え、ガイドさんとドライに別れる。
そういえば、カンボジア、ホイアンと必ず一緒に写真をとったのに、この人とは撮らなかったな…、別に他意はないのだけど。

その後、自由行動。
適当なところで降ろしてもらい、夜のお迎えまでの自由行動。
散々迷ったり、銀行で換金できなかったりと予定外山積み。
したかった予定のうち、できたのは二割くらいか…
そんな中、わたし、漸く、この旅ではじめての買い物。
リビングの電気カバー、籐で編んだやつ。
値切って七百円。
気がつくと、チェックアウトぎりぎりの時間。汗だく、かつ、排気ガスでやられて参り気味。大慌てで荷物をまとめ、本当はその後、行きたかった料理屋もあったのだが、ホテル一階のバーで二時間、残り少なくなった、ベトナムドン(通貨ね)のせいで、一杯のビール(←やはりビールである)で粘る。もう外に出る気力すらなかった。

お迎え。そして、送迎で空港へ。
チェックインし、あとは、搭乗時刻を待つばかり。
思えば、ヴェトナムは忙しかったな、なんだか。
と、空港内にさまざまなヴェトナム土産屋が乱立。
そして、気がついた。
アジアの旅の楽しみとして、値段交渉というのがあると思うのだが、ここは、値段交渉をしないでも、なんとなんと、元々、安い。
つーか、色々見せられたけど(外でね)、一番安い。
間違いなく、安い。
もちろん、オーダーメイドの服とかは流石にないけど。

…よかった、ほかで買い物をしてなくて(笑)。籐の製品はなかったし。
そして、一生懸命に値段交渉をして、「安くなったねー」なんて自慢しあったり、自己満足に陥っていた人たちは、帰国の前に現実を見せ付けられるのだ。旅はもう終わりだよーと。狐につままれた気分である。
これは国を挙げて?
おそるべし、ヴェトナム。




2006年09月22日(金)



 船上で昼食

朝八時、眺めのいいホテルのレストランで朝食後、出発。
情報によると、一番設備の整っていないホテルのはずだったのだが、これがまた、この短い旅行期間だが、一番きれいで設備も整っているかも。お湯もちゃんと出るし…

ガイドさんにせかされるようにして車に乗り込む。
なんだかなあ。わたしも都会育ち(笑)だが、こんなにせかせかしてない。ハイエースで乗ること三時間半近く。まあ、そりゃもう、腰痛いわ痛くないわ。途中、休憩兼、買い物場によるが、そんな行きに買ってもしかたないので、買わず。
で、ハロン湾に到着、ここは海の桂林(←中国の)と言われていて、水墨画のような風景。世界自然遺産だ。お蔭様で、前日まで、というか、午前中曇っていたのだが、なんとか天気が持ち、うっすら日の光も…
実際雨とか台風だったら、どうにもならんかったな。
普段の行動のお陰と思う。←なんのだろう…

船上で昼食。
ガイドさんの機転で、ちょっと大きめの船にブッキングしなおして(別の日本人ツアー集団の)もらい、飯は美味かった。ガイドさん曰く、小さい船はあまり美味しくないから。が、もしやガイドさんも横で大声で喋りつつ食うので、自分のためかもしれないな
と思う。つうか、確信する。ま、いんだけど。
その後、船の二階で、昼寝をしつつ、景色を堪能。
のんびりだ。が、ガイドさん曰く、
「日本人は無理なスケジュールだ。欧州人は必ず一泊以上する。」
うん、ま、わかるけど。
この人はその週だけで、三回目の日帰りハロン湾だそうな。←やっぱ自分じゃないのか?確信がさらに増す。
…そのうち、ゆっくりきてやる…
と、思う。
もちろん、また別の地ビール。
いったい地域地域で、どんだけの種類と本数を飲んでいるのだろうか…
それでも、わたしらなりにゆったりし、またゆったりできない、帰途につく。
帰りの休憩は日本人専用のおみやげ屋。
全部日本語。
ツマ、安心して買い物にいそしむ。
わたし、値段を聞いて、値切って、やめる。

そして、ハノイに戻って、水上人形劇へ。
流石に、腰も爆発しそうである。
なにせ、都合、九時間以上、乗り物に揺られていた計算である。
かつ、都心部はまあ道もいいが、田舎は豪快に揺れるのだ。
ダメかな、と思って観劇したが、軽いタッチで、それなりに楽しめた。
満員。到着時ずらっと並んでいたが、流石、われらがガイドさん、横入りをすんなりとさせてくれる。こういうときは頼もしい(笑)

夜は初の中華を食べ、移動でパンパンの体をほぐしに、マッサージに行く。
先に値段交渉をしなかったので、ふっかけられる。
そのことに気がついたのは、ホテルで、で、あった。後の祭り。
日本の感覚でいると、とても安いのだが…
それも、ガイドさん絡み。
あいつ、若いくせになかなかやる。

…都会はせちがらい…


2006年09月21日(木)



 都会だ…

夜、空港から走ること五十分、ハノイに到着。
ヴェトナムの首都。
どうしても、ホーチミンが首都な気がしてしまうのだが。

カンボジアにはじまり、ダナン、ホイアン、フエと、のんびりしているところを経ているので、バイク、車、ヒトヒト人…ちょっと圧倒される。
なにせ、聞いてはいたものの、あほみたいなバイクの量。
信号待ちとか、暴走族の日の出暴走か、くらいの台数。
これが普通なのだ。
挙句、久しぶりに見た感じの信号もあまり守られている風情ものなく、道を渡るのも一苦労、曰く、
「よく見て、ゆっくり渡る、決して、後ずさらないこと」
だそうな、ゆっくり進む体の前と後ろを、バイクが通り過ぎていく。
排気ガス、騒音、あ〜、東南アジア。

いちお、免許はカンボジアとは違って、ちゃんとあるらしいのだが、危ないよ。日本は、やっぱり健全な国民性なのかも。

初めて、女のガイドさん。
日本語、今までに比べたら、すごく堪能。
しかし、都会だからか、きびきび、いらいら、けんけん、している。

明日は、車で往復六時間以上かけて、ハロン湾までいく。
それで、行って来いして、水上人形劇を見る。
かなりのハードスケジュールになるとのこと。
ま、そりゃそうだな…

とりあえず、また地ビールを頼む。
もう、くせみたいなものですから。



2006年09月20日(水)



 フエ

午前中、ホテルチェックアウト。
そのまま車で三時間、フエに向かう。
ヴェトナム最後の王朝跡だ。

途中、大理石が有名だという山の下、休憩という名目で、工房兼販売所に寄る。
熱心に説明してくる現地の人。。。買わないって。
日本人への扱いは大体こんなもんなんだろうな…
私らは特に興味もないので、そこにいた犬と遊んでいたら、
「この日本人は金がない」
と、的を射られたか、熱心さ、どこへやら。ハヨカエレ目線。
はっきりしている。
んー、アジアだ。
で、出発。
ガイド曰く「今はもうこの山から大理石はとれない、別のところからとりよせている」って、先に言え(笑)

フエに到着。
色々見て回る。←ざっくり(笑)
広大な王朝。
そこかしこに、戦争の痕。
いっちゃなんだが、フランスの影響らしいが、ちょっとゲテゲテな配色(室内)、修復も進んでいて、ここもまた違和感だな。。。
気持ちがいいロケーションは多いのだが…

昼はフエビール。もうなんだか美味い。
最後に七重の塔の寺を見るが、こちらも修復中。
あんまり修復が進むのも考え物だ、と、観光客の勝手な意見。

夜、またまた移動。
飛行機。
ここでまた、ガイドさんとはお別れ。
よく喋るあんちゃんだった、人のいい。

これからハノイだー。
しかし、タイトなスケジュール(笑)


2006年09月19日(火)



 なんだかなぁ…

諸国漫遊記みたいになってるな…

二国しか周ってないのに…

いや、そういうことじゃなくて…

香辛料がくせになり始める今日この頃。

カンボジアは、タイ料理とヴェトナム料理のアイの子のよな味付け。
ヴェトナムは、ホーをはじめとして、とても日本人好みで美味しい。
パクチーは、山盛りにされてももう大丈夫だ。むしろないと物足りない。

しかしこちらに来て、ほぼ毎食出てくる(朝食以外ね、なにせパックだからほぼ飯を食う場所、コースが決まっているものだから)もの。
それは、(この場合、食、だからビールは除きます。そういえば、こんだけビールビールしてるのも、滅多にないしな)「空芯菜の炒め物」。

日本でも、台湾料理なんか行くと必ず頼む好きな料理の一つなのだが、これがきっと手軽で簡単で、尚且つこっちでは材料費としても安いのだろう(日本では結構する)、出てくるわ出てくるわ、というか、生野菜はこっちではほとんど食べないから、野菜の摂取は既に空芯菜に頼っているような状況…。
なのに、しっかり食ってしまうのだな。
いつも、「うわっ、またかよ」という目で見つめたはずなのに、最後は他のメインを残しても、空芯菜でご飯を平らげているのだ。…だって美味いのだ…
結局、日本に帰ってから、空芯菜のない毎日を考えられない今日この頃
毒されてるな…

2006年09月18日(月)



 ホイアン

空港からこっちに来る間、電信柱という電信柱に、APECのポスター。
ヴェトナムは今、経済成長、そして、この話題で満載らしい。

こちらはカンボジアとはうってかわって、よく喋り笑うガイドさんに連れられ、カンボジアで見て回った遺跡群よりも、二世紀ほど前に造られ、未だ
戦争の名残もあるミーソン遺跡、そして、日本人もかつてはくらしていたらしい、日本橋という橋もある、旧市街とカンボジアの歩け歩け観光から一転のんびりムード。
しかし、午前中、一時間半余りの車移動中から、いい感じの雨が降ってくる。「こちらの田舎の風景は日本と似ているといいますネ」というガイドさんの言葉も実証できないくらい、周りの見えない雨。
うん、ついてるな。
挙句、かさも持っていなかったので、現地でポンチョを五十円で調達。
雨の遺跡、これはこれで趣がある。
すんごいポンチョの中は蒸すのだが…
戦争で破壊された地区…
爆弾投下された穴…

そして、不思議なイントネーションで「み〜そんい、っせき」と説明する男…

かの地の観光ほぼ終わり頃、雨もあがる…

そして同じ時間をかけ、日本の田舎と確かに似ている風景を横目に、旧市街へ、そして、昼食。
…日本食…
……なのかこれは……

途中、店の女主人が来て。曰く。

「ほんとうはヴェトナム料理が美味しいのに」

とのこと。女主人は半年前から、こっちにきたらしい。ちなみに日本の方。
だってね、そういうコースなんだから、って、、、

結局、その日本料理らしき食べ物を食べつつ、ヴェトナム料理が如何に美味しいのかを聞くことに…


ハノイビール、美味しいです。



2006年09月17日(日)



 たぶん、男、です。

ダナンに到着。

飛行機を降りて、イミグレーションまでは徒歩。これはカンボジアと変わらないが、何せ、古い、汚い、暗い。うん、これ、アジア。と、勝手に一人で納得。

さて、入国審査を待つ列、ほぼ最後尾。
長い、時間がかかる…
段取り悪い…
空いた列に滑り込む。
それでも待つこと…はてさて20分。

ようやくと私の番。
パスポートと入国カード、両方提出。
待つ。
いや、これがまた待つ。
待つ。

と、カウンターの中を見る(遅いので)と二人の係員、わたしを凝視。
パスポートの写真と見比べているのか、はたして、この国では、わたし似 の二枚目俳優でもいるのか(かつて別の国にて体験)、「こいつ日本人じゃねーんじゃねえの?」とでも思っているのか、薬の売人にでも見えるのか、さだかではないが、、、
こっちもさしもの小心者である。
なにもしてないのに、なにかしたかな?感が沸いてくる…

と、わたしの前にいた係官一言。
「○△■☆▲●?」

…ぜんぜんわからん…

「○△■☆▲●?」

…だから、わからん…

「○△■☆▲●?」
なんだ、この英語だか、現地語だか、思わず一言。

「はっ?」

と、横にいたもう一人の係官、一言流暢な英語。

「Are you female?」

WATASI,MOUITIDO

「はっ?」
言うに事欠いて、わたしが女だと?
このわたしが?
それほどの魅力とはまだ誰も、いや、自分自身ですらしらなかった。
と、口開いたままのわたしに、また。
「Are you female?」ときたものだから、「NO.NO!」(わたしは言える日本人なのだ。古い。)
係官、そりゃそうよね風な顔でお互い見合い、もう一度、パスポートに目をやる。わたしも釣られて覗く(ほんとはカウンターの中を見てはいけないのだと思われる)と、、、

そこにはツマのカオが……

パスポート間違い。

つか、わたしが悪い、間違いなく。

だがしかし、見て明らかに違うじゃないか、何をそんなに見つめてたんだ。
一言、「これあんた?」って聞いてくれればいいじゃないか!

いや〜、笑った。



ダナン空港から、走ること車で一時間、目的地ホイアンに到着。
なぜか、「アベさま」という迎えのボードを持っていたガイドさんに連れられ。ほんと人攫いだったらどうすんだよ、女二人の旅行は続く。


2006年09月16日(土)



 次の地へ。

カンボジア、短い時間で、超特急の、極めて日本人全開な回り方だったなとは思いつつ、強烈な印象、次回はゆっくりと来たいところだ。

昼過ぎまで、アンコール遺跡群を駆け足で観光し、今日一番見たかった東洋のモナリザは倒壊の危険かなにか(カンボジアで初キープアウトを見た…)で、遠くにしか見れず仕舞い。昼には既にお気に入りになりつつあるアンコールビール(オーストラリアのビアコンテストで、賞をとっている。なぜオーストラリア? ちなみに現地の人気ビールは、アサヒのスーパードライであった…)で喉を潤し、ホテルへ。
パッキングの後、夕方には再びシェムリアップ空港へ、そこからヴェトナムはダナンへ、そしてホイアンへと向かう。
カンボジアでのガイドさんともお別れ。そしてダナンでまた現地のガイドさんに会うのだ。というか、拾ってもらうのだ。

空港まで、送迎。
別れを惜しんで、運転手さんも含めて四人で記念撮影。

感慨に浸るまもなく、いざ、ダナンへ。
行きと同じく、小型ジェットかと思いきや、ジャンボ。ゆっくりと、ほんの一時間半の旅。

わたしの目的、半分以上達成された?感でいっぱい。
思いのほか整備が進み、今よりももっと来やすくなっていってしまうのだなあ。小綺麗なリゾートを思わせる空港でまた違和感。

2006年09月15日(金)



 いや、暗かったもので

朝五時、起床。

つか、暗い。
そりゃ朝陽を見るのだから当たり前なのだが、
つか、眠い。

最近あまり体を動かすことをしていなかったせいもあるし、初登頂の気分的昂揚で脳内にドーパミンだかなんだかが多く分泌され、あまり疲労があることに気がついていなかったこともあるんだろうが、
これは、きっと、「明日」「筋肉痛」だ。

電話が鳴る。
「どーしますか?」
と、ガイドさんの声。…律儀な人だ。
「晴れますかね?」と、わたし。…横柄な人だ。
「多分、まちがいない。」と、ガイドさん。…日本語としてはおそらく、併用してはいけないと思うのだが、責任の所在を不明確にするためにも、はたしてそんな深いことを考えた上なのかは定かではないが。

即出発。

昨日、日が出てから向かった方向へ。
驚いたことに、もう、町は動き出している。
病院には長蛇の列、自転車が行きかい…

アンコールワット到着。まだ、暗い。
空は、うっすら雲が…
アンコールワットの外堀をわたり、中へ。
そして、壁沿いに、アンコールワットの五塔が見える所に座り、待つ。
たくさんの人たち。
特に日本人。
ガイドのモニさん曰く。
「日本人、朝陽好きですね。」
…彼らにとってはとりとめて、ということではないのだろう。
…日本人だって、毎日朝陽を眺めてるわけじゃないのだが。

雨上がりの朝の空気、心地よし。
だんだんと明るく…
今の季節は、塔の左側から朝陽が上がるのだそうな。
空の雲も、明るく照らし出され…
そんな私にまったく似合わない幻想的な、神々しい景色の中、
……。

ガイドのモニさん、隣にいた別のガイドに笑われている。
そしてもともと目をあわせられないシャイなモニさんではあるのだが…
極めて恥ずかしそうに
「いや、暗かったので…、朝…」
と、足元に目をやる。
「暗かったものですから…」
朝陽はあがってくる、明るさもどんどん…
そしてモニさんの足元には、
茶色と、黒色の革靴が片方づつ、履かれている。
「いや、暗かったので……恥ずかしい……」
周りの一群、日本人、カンボジア人、ヨーロッパ人まくなし、微笑ましく笑う。

そして、

「見終わったら、車まで戻ってください」
というと、一目散でいなくなった…

そりゃ、昨日来たから、別にいいけど。
おいていくのかよ!(笑)


朝陽、素晴らしかった。
が、なにかに負けた気がする。

たっぷり堪能させてもらい、車へ。
そこには、両揃い(こんな言葉を使うのかさだかでないが)の黒い革靴を履いて、やはり照れくさそうにしている男が…

「いや、勉強になりましたです。これからは、もうしません。」


このモニさんとドライバーさんとは、今日の夕方でお別れだ。
のんびりしている…


2006年09月14日(木)



 閑話休題。仕方ないのだけど。

どこに言っても、
売り子だらけだ。
群がる。

つったって、子供のね。
物乞いとはちょっと違うけど、そんな感じ。
ミャンマーのほうがひどかったかな。
わたしの場合、ほとんど日本人に見られることはないのだけど(なぜか)、さすがにパスも下げてるし、日本人専門のガイドさんついてるし…
日本人であることを、あんまりいい気持ちじゃなく痛感する一瞬。

片言の日本語で、民芸品とかもって。
「いちどる、いちどる」
「じっこでさんどる」
「ひゃくえん」

冷たくもしたくないんだけどねぇ、きりがない。
それで買ってあげちゃう人がいるから、増えるわけだし、
勝手にガイドしといて、金をせびる子には会わなかったけど。
ガイドさん曰く、村を回って、簡単な言葉を教えてる人がいるらしい、ボランティアで。

そんな中、一番の言葉
…いらない、と毅然と言った後の一言…

「いちどる、わたしにとってのいちまんえん」

…なんて捨て台詞だ…
そりゃ、経済事情考えたらわからんでもないが。
思わず振り向いちゃったじゃないか。

そして思う。
「いちどるはわたしにとってもいちどる」
日本人、みな、金持ち。
←幻想
…わたしの経済事情…



2006年09月13日(水)



 アンコールワット・アンコールトム…

朝から出発。

まず、アンコールワットを通り過ぎて、アンコールトムからアンコール遺跡群へ…
途中、エントランスのような?ところで、三日間の通しパスを購入←って、ガイドさんがだけど。
写真つきで、いろんなとこでそのパスを見せるよう求められる。基本的に、そのパスがあることで、どの遺跡にも入れる仕組み。
「記念にもなるますから」と、ガイドさんは言っていたが、ツアーの目印首から下げろボールペンといい、どうしてこう、目立つものを…

のっけから南大門を通り…。
詳細は、ネット検索でも、世界遺産でもみていただければいいでしょう。
なにはともあれ、ここに、ずーっと来たかったのだ。
二十年来である。
不思議な感覚に襲われる。
クメールの微笑み、……どうしても微笑には見えないのだが……

基本、カンボジアは、歩きで、見て回る←遺跡と遺跡の間は車。
雨季だから、ましらしいことをガイドブックで見てはいたが、そりゃ甘い考えというもの。兎に角、熱いは日差しは強いは、だから汗だくだわ。しかし、遺跡の上に登ると(この階段が一々急勾配で楽しい=日本だときっと危ないからと、昇らせないと思われる)、これがまた元々ジャングルの中にあっただけあって、風が通って一際気持ちがいい。。。よく考えられてつくられてるのだな。
壮大で広大。
時間の許す限りポイントを見て回る。
逐一
「ここは写真ポイントです」
という、ガイドさん。一体何千人の日本人が同じ場所で写真を撮ったのだろうか。とか、天邪鬼なことを考えつつも、
普段自分の写真なんぞ、あーだこーだ理由をつけては撮らないわたしだが、流石におさまる。
昼に向け、気温、さらに上昇。
その昔、まだまだ全く観光整備なんかされてないころに、かの三島由紀夫が来て、触発されて(ちなみにライ王のテラスという)戯曲を書いたとことか、ざっくり見る。

昼食。そりゃあもう、アンコールビールである。
昼寝。

で、アンコールワット。
そりゃあもう、悲しいかな自分のボキャブラリーのなさ、というか、貧困さというか、一般人というか、
「すげーな」を連発してしまうことに。
…なんかずっとそんなだったな…

はるか昔日本人がここを「祇園精舎(釈迦が説法した場所?)」と間違えたらしいのだが、うーむ、なるほど(ボキャブラリー不足…)
人の多さには辟易するとこだけど、自分もその一端を担っているからなぁ…
これはもう、直、見るしかないです。
しっかり上まで登る。
若い他のガイドさんが観光客と一緒に、最後の急な階段を登る中、わたしらのガイドさん、下で見守る。

これだけの大きさのものが、ジャングルの奥地で、完全に忘れ去られていた時期があるってことも信じがたい。(想像力不足…)

そして、メインは、ちょっとした山に登って、そこから見えるらしい?アンコールワットに落ちていく夕陽観賞!…の筈が、あれだけの日差しはどこへやら、いつの間にか、曇り空、そして、山を登るに従い雨が…
ちなみにわたしは「晴れ男」。しばらく待つが、気配なく、下山。

ホテル着、夕食、アンコールビール。。。
夕陽があまりにもあれでなんだったので(日本語表現力不足)、予定にはない、朝陽(アンコールワットから見る)観賞をガイドさんに頼む。値切った上、起きなかったら起こしてと頼み(だって朝五時に出発だっていうから…)、雨がまだ降っていたらいかないから(だって雨季はあまり朝陽は見られないというから…←ツアーのチラシにはそんなことは書いていない、というか、あっても豆粒ほどだな)、と、傍若無人。快く、「あいわかりました」…いい人だ…


2006年09月12日(火)



 そしていざカンボジア。。。


六時三十分発、吉祥寺発、成田空港行き。
吉祥寺駅到着時刻、六時三十二分。
井の頭線の改札を通過!

九日朝、準備も万端の筈が、成田に「余裕を持って」早く着くバスに乗るために、走らなければならない羽目に。重たいスーツケースとリュックを背負って全力ダッシュである。
切符は既に前もって「余裕を持って」、購入済み、三千円×2枚。出発便以降の変更は不可。←走らないわけにいけないじゃないか。
バス停近く、なんと、バス、出やがった。(時刻を過ぎているのだから当然である、というか、いただけ、ましなのか?)気持ちに余裕はない。
しかし、運のいい事に、出発してすぐの信号が赤!
そのまま走ると、バス停のおっちゃんの「成田ですか?」
という言葉に、ひたすらうなずき、なんやらかやら、なんとかかんとか、どうにかこうにか、そのバスに乗せてもらう。
ひたすら自分の普段の行いのお陰だーと、思うこともなく…
いや、余裕をもつというのが、いかに大変で、難しいことなのか、のっけから証明してしまった。というか、余裕を持つためには、体力と、あきらめない、いや、あきらめきれない気持ちが大切だということを初めて知った。
なにしろ、その時間であれば、電車で行っても、十分に余裕があるのである。深い。…そんな始まりである。バスはほぼ満席。二つ並びの席はなく、たしか、「○○旅行」のはずなのだが…。とにもかくにも、汗がひく頃、爆睡。…そんな始まりである。

余裕をもって成田に到着。チェックインして、てきとーにDUTY FREEして、ベトナム航空機へ、今回、まずカンボジアなのだが、直行便がないので、成田―ホーチミン(ヴェトナム)、乗り換えてシェムリアップ空港(カンボジア)という経由。五時間半プラス一時間半といった所。ビール飲んで、ワイン飲んで、……就寝。。。←途中ハリソンフォードが出ている映画をやっていたが、丁度モニターの下の席だったため、見にくくてしょうがない。そして事件が起こり、二度目の山を迎えた辺り(だと想像される)から記憶なし…

経由地ホーチミンで喫煙所にてバナナマンと遭遇するが、特にテンションがあがることもないまま、言われた搭乗時刻をユウに過ぎて無事搭乗←それでも昔に比べたら、時間に正確になったらしい。
付け焼刃でアンコールワット、トム、カンボジアについてお勉強。

小型機だったので、まあま、よく揺れた。
そして、念願のカンボジアの地へ。

シェムリアップ空港、予想に反してとても綺麗。
どうやら、今年?改装されたらしい、リゾートな趣に天邪鬼なわたしは違和感を覚えつつ、無事入国。

現地のガイドさんと会う。
「ふじい様」という、今さっきプリントアウトしてきました感いっぱいのA4紙に導かれる。きっと人攫いしようと思えば、いくらでもできるな、なんて思いつつ、ホテルへ。これまたとても綺麗(五つ星とかではないが)去年?改築されたらしい、パゴタ(ヒンドゥー教の寺院)を模している。
ドライバーさん、ガイドさん、わたしら夫婦で明日から現地を回る様だ。贅沢。(最悪の場合、大勢でグループ行動やも、と思っていたので)

夜飯、そこでアンコールビール(地ビールでしょやっぱり)で乾杯。
明日からに備え、「余裕をもって」また就寝…
明日は朝から、アンコールトムだ。





2006年09月10日(日)



 盛りだくさんな週だ…

ジャックバウアーに単純に魅了されているうちに、打ち合わせやらなんやら、寝てもいられないことに…

そう、今年の夏風邪は長引くんだから仕方がない。と、もしかしたらゆっくり寝ていればという思いはどこかに置いてきた。あんなに焦がれた休みだったのにな…(とはいえ、来週からちょっと旅に出ます。私用です、仕事抜きです)

今週、今月下旬からはじまる芝居のスケジュール打ち合わせ。
打ち合わせ後二転三転、はてさてどうなることやら。。。
しばらく、右往左往かな、これは。
して、四月の芝居の、原稿書き。
なんやかや遅れていたら、作家さんの文章が先に上がり、参考に、と、送ってもらう。たしかに、参考になるのだが、よく考えると、そことかぶらないようにしなくちゃいけないんだよな、先に書けばよかった、なんぞと思いつつ←できやしない。あげる。

そんな、ポリティカルサスペンスアクションに馴染んだ体で
「紙屋悦子の青春」(映画、黒木和雄監督遺作)を打ち合わせで渋谷に出たついでに、岩波ホールで観る(岩波ホールは神保町、、、なぜ?)。
元々が舞台の作品。素敵な映画。静かだけど、流れていく、何か。
原田知世、一体いくつだ…

そんなこんなの中、
今月中旬から、欧州公演(シェイクスピアでね)に行くことになっていく、本城くんと、荒井志郎くんと「わたしの体調回復」という名目で、ホルモン屋へ。
かちわりワインなる、氷入りワイン(安い奴でしょう)を呑む。
ちょうどキムタクがそうして呑むと言っていたのを、まね、ではなく、あったので試す。確かに呑みやすい…が、きっと、やりすぎると頭が痛くなることは確実。あーだこーだ言いツツ、私自身、ほんとに久しぶりのお酒だったのも手伝って?結局呑み過ぎる三人であった…
頭の痛い朝を迎える←実証。そしてその夜もまたネオンが呼んでいた…


明日から、カンボジア。

アンコール・トム、楽しみだ。
風邪薬を手に、行ってきます。
あ、「新婚」旅行です、悪しからず。
ヒトには、なぜ「↑」なのに、カンボジア?と言われます。
カンボジアだけじゃありません、ベトナムも行くもんね。

ツマも、「なぜ?」と言います。
なぜだろう…


2006年09月08日(金)



 正しいすごし方を探しているうちに…

遂にやってしまった。
「24-TWENTY FOUR-」
である。
もう知らない人はいないと思われるが、一シーズン、二十四話。
一話で一時間ずつ過ぎていく。つまり、一日の出来事を追うと、ちょうど二十四時間になるわけで、オンタイムで物語は進行していくのだ。
つまり、一シーズンをちゃんと見ようと思うと、しっかり丸一日←眠れず、消化することを意味している。

ありえない凝縮さと設定、破天荒。
でも、観てしまうのである、視聴者の目を釘付けにするためだけ目的といっても過言ではない。
一昔前、ブルースウィルスが「人生最悪の日」をパート3まで作って「なかなか死なない男」をやってましたが(秀逸なのはやはりパート1でしょう、大きいけど一応一幕モノだし、バイプレーヤーいいし)、キーファー・サザーランド←たしか、ドナルド・サザーランド(よく似ている)と、誰か女優さんの息子だったな…とその家族とかその周辺の人々の「長い一日になりそうだ」という名文句の「最悪さ」加減は尋常ならざる、である。そしてキーファー・サザーランドは「ぜんぜん死なない男」なのだ。一言で言えないけど、浚い、浚われ、追い、追われ、逃げ、逃げられ、殺し、殺され、裏切り、裏切られ、だまし、だまされ、殴り、殴られ、撃ち、撃たれ、と書いていても具合が悪くなりそうである。とにかく、観てる側にこれでもか!と興味を続けさせる、また一話、また一話…恐ろしいほどに時間が過ぎて行く…
第一、やってる俳優の側も先の話がわからないでやっているのだから、先読みのし様もない。俳優も、「え、なんだよ、犯人俺だったのかよ!」とその回の台本が届いたときに悪役然としてみたりして…

キーファー・サザーランド扮するジャック・バウアー
こいつがまたよく殺す。
これでもかというくらい殺す。
…いくらなんでも…程である。
正義の味方はなにをしてもいいのだろうか。
たぶん、テロリスト(テロ対策ユニットの捜査官だから)よりも、事件は大体未然に防がれる筈だとして、間違いなく、やっている。
そして悪いことに、悪者だけでなく、情報をくれようとする者や、証拠を握るキーパーソンにいたるまで、なんだかんだ、必ず、
「くそっ」
という言葉とともに、殺すのだ。
どう考えても、お前が話をややこしくしてるのではないか、感である。
「俺が守る」
と言った人間の八割は死んじゃうし、守れてないし、
やっぱり「くそっ」って言うし、

などなど言ってる時点で、もう完全に術中に(見えざる手)嵌っているわたし。
他にも、どうしても危険な方へ方へとしか向かえない娘、とか、娘が向かうから危険な方へ行くしかない母親、とか、策士ここにありの大統領夫人、とか、もう、魅力的なのです。わたしは大統領補佐官がたぬきっぽくて好きだ。でも、観終わると後悔しそうな気分ありありで…

…あっという間の、ファーストシーズン、24時間でした…

…もう観たのかよ…

これはきっと正しくない。
早く、風邪を治さないと…
やはり最終話、納得いかない終わり方、ここまで引っ張っておいて〜!


…くやしいから、セカンドシーズンを借りにいくか…


2006年09月05日(火)



 正しいすごし方を探して…

おとなしく眠ること、三日、しかし、まだ、回復の兆しなく。。。

どうも、今回の夏風邪(喉にくる)は長い、と誰が言っていたのかは忘れたけど、本当のようだ。しかしこういう生活(←食べて、泥のように眠る)も三日も経つと、飽きてくる。いや、飽きるとか飽きないとか、具合悪いんだから仕方ないのだが、どうも今回の風邪は、「ひどすぎない」感じなので、厄介だ。動こうと思えば動ける気になってくる。しかもなんせ久方の休みなので、遊びにでもいきたくなるのは世の常である。

で、ちょっと家を出て、具合が悪くなって戻る。
……これじゃ、小学生じゃないか。
とはいえ、怒ってくれる大人がいない分、さらにたちが悪い。

で、ちょっと家を出て、ビデオ屋へ。
……やっぱり、でるんじゃないか……

こういう体調の時は、文芸モノや、静かなモノは寝ちゃうしな、
と、本当は体調だけの事を考えれば、最善策を無視して、店内をあ〜でもないこ〜でもないと歩くこと約一時間。アニメはな〜、など等、探す、探す、探す。
真剣そのものである。
この真剣さを普段から持っていたらと、思える程、真剣に広くはない店内を物色。エミリーローズ(悪魔裁判のやつね)を手に取り、クラッシュ(マットデュロンやっと助演だけどノミネートされたやつね)を取り、ずっと観たかった「疾走」(SABU監督、重松清原作)を取り、←大体がみんな重そうだし、もうその辺で十分なはずなのだが、こういうちょっと時間のある休日?は贅沢借りをしてしまうのである。そして大概の場合は未見のまま、尚且つ延滞なんかしちゃって痛い目を見るのである。わかっちゃいるけど、やめられないのである。そうやって観ないまま何度も借りた映画が何本もある。しかし、なんせ、間の1悪いことに100円セールまで行われている…

そして…
…いや、今更なんですけどね…
…別に、前から興味なかった訳じゃないんですけどね…
…どうして今更、っていう感もあるんですけどね…
…シリーズモノは時間がある時じゃないとね…
…尚且つ、ビデオ屋が、100円セールなんかやってましてね…
…流行りモノにはのらない、とかじゃなくて…
…いや、絶対になんやかや言いつつ、嵌ると思って避けてたんです…
…しかも、いつのまにかこの九月でシーズン5になっちゃってるし…
…キーファー・サザーランド…
…いや、だから、ほんと、なんで、今更、なんですけど…

「24−TWENTY FOUR-」の一巻目に手を出してしまったのだった…

シリーズは続いている…
そして、この話も続いていく…
わたしは風邪を、ひいている…


2006年09月03日(日)



 体がどうも…

いや、喉が、喉が、喉が、
どうもこれは本気で夏風邪だったようである。

セキがとまらない。
ずーっと熱っぽい。(←相変わらず体温計で計ることはせず)

何人かと呑みに行こう約束(どこにいてもこれである)をしているにもかかわらず、これはちょっと無理そうだ。
いつもはそんな前兆、酒で洗い流してしまうのだが、そういう生活でも抜けきれないようである。
このまま行くと、私の休みは、風邪とともに去りぬ…

まだくだらないことを言う元気はあるのだが…
これが一番厄介だ。

んー、寝て早く治そう、そう決めて、
今、パソコンの前にいる…

2006年09月01日(金)
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