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■ 国境の下で聞いた音(庄司)
「耳をつんざく音」。 長渕剛が『いつかの少年』の中で使っていた歌詞だ。 聞こえてきたときに、鼓膜がはたかれるような印象が残る。鹿児島の海を前にすると、怒涛のような波のしぶきに、体がひきちぎられるような感覚におそわれるのだろうか。どんな音を聞いたらそんな言葉が浮かんでくるんだろう……。 長年抱いていた疑問は、ピザの配達で解かれることになった。
JR山手線の新大久保駅からほど近いところに、通称“国境”と呼ばれる小さなガードがある。ピザの配達員の間では有名なガードで、百人町2丁目と大久保2丁目の境目にあたる。 百人町が日本だとすれば、大久保という住所は混沌とした“アジアのるつぼ”だと言ってもよい。だから治安の点で見れば、きわめて慎重な行動を要する“国境線のガード”ということになる。
網の目のように張り巡らされた路地の奥から、よく外国人の悲鳴が聞こえてくる。覚えたての日本語だろうか、ぼくが初めて聞いた暗闇からの声は、「たれか、たしけて……」だった。かぼそく消え入りそうな声はすぐに途絶え、奥からヨレヨレのTシャツを着た男が無表情であらわれた。血のついたナイフをぼくの鼻先につきたてて、「おまえ、いない」とつぶやいた。ギャング映画の一場面のような状況に、ぼくは震えながら後ずさりし、逃げるように立ち去った。 店に帰ってこのことを話すと、みんな神妙な顔をしておしだまった。後悔と恐怖の念にさいなまれていたぼくに、一番の古株である大ちゃんが慰めの言葉をかけてくれた。「気にしないほうがいいですよ。ピザの配達で刺されたりしたら、目もあてられないじゃないですか」。
だから配達員はこの場所に敏感になる。それまで、我が物顔で街を疾走していた不良上がりのドライバーも、ガードを過ぎればおとなしく道の端をヨタヨタと走るようになる。バクバクと高鳴る心臓を押さえつけ、心の中で息もたえだえに悲鳴を上げる。「ぼくはどこにもいません。どうかぼくに目をとめないでください」。
「耳をつんざく音」を理解したのはこの“国境”の下だった。ガード下を通りかかったとき、鉄橋と山手線が擦れ合い、鉄同士が断続的な金属音をあげたのだ。「焼け火鉢を突っ込む」と言う表現があるが、それによく似ていたように思う。耳の中に、“焼けただれた音”がねじ込まれていくような、血が逆流し、目と鼻と口がから一気に噴出するような、とにかくものすごい音だった。 急いでバイクをとめ、両手で耳をおさえながら大声をあげた。そうすることで、やっと音をやり過ごすことができたのだ。電車が去った後に声を出してみると、自分の声が、ちょうど闇の奥からとどいた悲鳴のように、かぼそくかすれて聞こえた。鼓膜が“つんざ”かれていたのだ。
毎日の経験が積み重なるにつれ、“国境”の向こう側での対処の仕方も、“国境”を通過する際のコツも、身に着けることができた。「来るぞ来るぞ」と軽いスリルを楽しむようにまでなった。それでも、時々頭の中に、「たれか、たしけて……」という声がかすめることがある。そんなとき、ぼくあげる大声は、やはり悲鳴のように聞こえるのだけれど。
2005年07月12日(火)
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