再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 クリスマス

今年のクリスマスはバイトでした。
どのくらいバイトだったかというと、10時半から1時くらいまでです。
1時は、業界では25時といいます。

いい気なもんですなー!
お客さんは!



今日のお客さんのコーナー!

客 「あのさぁ、俺さぁ、常連でぇ、何回かただで持ってきてもらってんだよねぇ(ピザの宅配)」
店員「いや、ウチではそういうことはやっておりませんが」
客 「はぁ?おめぇ何でそんなこといえるわけ?」
店員「僕、3年もやってますし、あなたのことも知っています。何度もあなたのところに配達にいっているんで、そんなことはありません。
客 「…(しばし沈黙)つぅーかぁ、俺やくざなの。俺の親父も、そういってんの。おまえふざけてる?」

おーまーえーがーふーざーけーるーなー。

立派なやくざがそんなピザごときの金を渋ってんじゃねーよー。


なんか前もこんなこと書いたな。
愚痴こぼしてるだけだな。

反省



2004年12月25日(土)



 時間つぶし…

場所は新宿、喫茶ローレルの前。
待ち合わせまで少し時間があったので、なにしようかな、なんて考えていると、
「すいません、今、若い方にアンケートを行っているんですよ。ご協力いただけませんか?」
と、二人組みの女の人に声をかけられた。
どんなアレかは想像がついたが、少しの時間付き合ってみた。

あっ、いっときますが、この話にオチはないです。あしからず。

話を聞くと、どうやら、なんとかというサークルで、若い人達がどんなことに興味を持っているかを調査しているのだそうだ。
ひとりは20代半ばの最近東京に出てきたばかりの子(女1)で、もう一人は30代に手が届いたかもしれない方(女2)。
二人はアンケート用紙のようなものを手にして、そこにある項目についてたずねてきた。
女1「いま、あなたは自分の生活に満足していますか?」
僕 「満足してますよ」
女2「パーセンテージで言うと何パーセントくらいですか?」
僕 「80パーセントくらいですかね?」
女1「へぇー、すごいですねぇ。あとの20パーセントは何ですか」
僕 「そうですね、自分の向上心のなさですかね?」
などと、普通に会話は進むのだが、
女2「そのブラウスかわいいですね」
僕 「そうですか?」
女1「それ、ストラップですか?かわいいですね」
と、急にご機嫌とりをしはじめたりする。
そして何より不思議だったのが、女2が、ちらりちらりと女1を伺っているのだ。
何だろう?と思っていたのだが、女1が急に、
女1「占いに興味はありますか」

来た。これだ。

僕 「全くありません」
女1「…そうですか」
僕 「そうそう、この近くの献血所で、手相占いやってくれるんですよ、ドーナツ食べられるし、ビデオやらなにやら、楽しいんですよー」
女1「そうなんですか…」
僕 「1回行ってみるといいですよ」
女1「はぁ」
僕 「で、他には何か?」
女1「いえ、お仕事がんばってくださいね」

田舎から出てきたと言っていた女1さん。他に出来ることありますよ。そして女1を監督しているであろう女2さん。
ぼくは細木何がしさんではないですが、

やめなさい。

東京という町は本当に、人を狂わせて行くのね。
そして裏と表があるのね。
かあさん。こわいよー。




2004年12月18日(土)



 正しい師走の過ごし方。

さてさて、気が付くと、世の中はクリスマス一色のデコレーション。
ついこの間、ユーロ(サッカー)があって、オリンピック(アテネ)があったようなのに、否応なしに、今年も後僅か、着実に来年の足音が聞こえてきている。早い、早すぎる。甘く見ていると、いつのまにか2005年の十二月になってしまいそうだ。なのに街には酔っ払いが溢れている。

そんなことをいいながら、やれ打ち上げだ、打ち合わせだ、挙句、まだ本年飲む予定ある人間を捕まえて、忘年会だー!とやっている。
なんだかこれは、正しい師走の過ごし方のような気がしている。
身体には酷だけど。。。
なにせ、来週から二週間、こっちでの生活時間がないのだと思うと、普段から拍車がかかっているくせに、更に拍車がかかっている。止まらない師走の正しい過ごし方だ。なにかが間違っているだろうことはよくわかっているが、間違いに気が付いて、おっと!なんて言って、憂鬱になって結局忘年をすることは目に見えている私は、先んじて、敢えて気が付くことに気が付かないふりをする。

正しい土曜日の過ごし方については、未だ結論を得ない。
得るわけはないのだが…
正しい師走の過ごし方。

本年は言わば、通例となっていたR−viveの十二月の芝居がない。
その分、こなすべき仕事が増えてきているというありがたい事情は置いておいて、師走については、R−viveで三年、その前も、芝居で二年、まともに行く年を惜しんだことすらなかった。そこで、十二月というものについて立ち止まって考えてみる機会をえた。どうせ毎年やってくるものだし、毎年行ってしまうものなのだから、いちいちイベントみたいにしなくたってそれはそれでいいような気もするのだが、そういう一つ一つを楽しむように人間はできているらしい。いや、もしかして、それくらい楽しんでないと、おかしいことになってしまうのか。人がいろんなことを繰り返してしまうのは、もしかして、一年の周期が確実に繰り返されているからかもしれない。そして意識しない無意識の部分でその事に痛いほど気がつかされる最後の月、十二月。

だから、正しい十二月の過ごし方として、人は酒に浸るのだ。
そして、ふとセンチメンタルに、この一年の、言ってみれば、三百四十何日かを振り返って、振り返ることに本当はどんな意味もないのかもしれないと思いながら、もう一献もう一献と杯は続き、総括、なんていいながら、きっと明日も総括するのに、できもしないことを考える。そして、どうしようもないから、もうすぐそこに迫っている来年に思いを馳せる。そして明後日も、同じことをする。

いいじゃないか。この逡巡そして集約。
忘年会。まさに描いて字の通り。
「年を忘れる会」だ。
もしかしたら「歳を忘れる会」かもしれないし、
「今またほそぼそと活動し始めた田原俊彦をやっぱり忘れる会」かもしれないが、
それは「新年会」とはまったく違うのだ。

年末=「忘年会」新年=「新年会」
とほぼ同義として使っていたが全然違うものだ。
忘年会は「暮年会」ではないのだ。「忘れる」ことがテーマである。
その点、新年会は「新しい年の会」で、他にどうも考えられないじゃないか。
そして「新しい年の会」をしっかりとむかえる為には、「忘れる」ことから始めなくてはならないのだ。そのための師走の儀式。
愚かな人間が培ってきた、年末の儀式だ。

だから私は浸ってみる、師走の正しい過ごし方に。
そして街には酔っ払いが溢れる、緑と赤と金色のイルミネーションの前で。

長々と、どうして飲むのかということに対する言い訳だこれは。
他にどういえばいいんだ。
唯一いえるのは、これを書いている私は、決して酔ってはいないということだ。


ごう

2004年12月11日(土)



 誰もいない。。。【時代は廻る編】


さて、リバイブでは、毎月一回くらいワークショップをやっている。

人が集まり過ぎたり、あつまらなすぎたり、色々個人の事情はあろうが、それが一番面白い。できうる人数で、脳をユルユルにする。人が変わると、また新鮮さがありありで…

が、本日、私が驚いたのは、G-カップ。
ABCDEF、Gカップ。
本日飲んでいた、女らしきもの三人の中でありえない、(差別的発言が掲載されているようですが、原文のママ)
ABCDEF、Gカップ。

それなりになければ、色々困るのだ。
何が困るのかは、敢えて言わない。
イエローキャブも大変なことになっている。
面識はないが、野田社長がんばれと思う。
が、それはどうも直接は関係がない。
色んな意味で面識もないし、関係もないからいいかな、と思ったら
感度はいいからいいじゃない、と逆ギレしている。
あ〜それはそれは…

……

兎にも角にも女の人は、とても困る事態におちいるらしいのだ。
そしてどうもそれは、時代の好み(男の)によって変わってきている。
昔はないことがすばらしかったのだ。(差別的発言、ここで解消。ママ)

カップ。

優勝カップ、は、めでたい。

タイカップは、ヒットをいっぱい打った。

カップといって、アイスのカップは別にいらない。

じゃあ、ティーカップはやっぱりウエッジウッドが最高だから、カップは茶碗として最高だということなのだ。

わたしにとっては、カップなら、あろうがなかろうが、よく廻る、遊園地にあったカップ型乗り物のことで、デートでもして、デートにもならずに目が廻りすぎりる乗り物だったのである。

目は廻る。

廻る

廻る



時代



まわる

廻って巡って時代にフィット。
あなたもまわりなさい!

と、今は私は、1人な訳で

他に

誰も、いない…


ごう

2004年12月05日(日)
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