再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 誰もいない。。。(地域の活動編)

さて、先週はちょっとお仕事で兵庫県はY町まで行ってきた。
新大阪から高速バスに乗って、ちょっと一時間半。
周りに駅もあるが、無人駅の、一時間に一本しかない電車…。
要は、兵庫県の真ん中の、山の中、といったロケーション。
もっと詳しく知りたい方は、台風23号で水かさ2メートル余りになり、水没した辺りのことである。(ついに、その場まで行って来てしまったことになる。)
そんな中でノビノビのんびり育っている子どもたちと、本年のクリスマス当日に迎える本番を目指し、唄ったり、踊ったり、せりふ言ったり、で、十二月は半分すぎるだろう。わたしのクリスマス、クリスマスイヴ、クリスマスイヴイヴ、クリスマスイヴイヴイヴ…と、別にクリスマスにこだわっているわけではないが、これが今年のわたしのクリスマスである。

その、立ち上げに行ってきたのだ。立ち上げ3日間。ひと月おいて、稽古8日間、そして本番、田舎には不釣合いな程、綺麗な公共の音楽ホールにて。さて、その立ち上げである。行きの新幹線の中で演出家と打ち合わせそして
まず、初日は−
顔合わせ。
アップ。
テキストレジー。
読み合わせ。
キャスティング……

と、11日間しかないので、こんな感じである。決められる事は、どんどん決めていく。初日はやっぱりキャスティングまでいってしまいたい。二日目は、半分ダンスと唄になるのだから−
しかし、相手は子どもたちである。悪意のない、悪、である。
論理や理屈は、全く通じない生き物たちである。
しかし、一応、今回は演出助手なわたしであるから、時間との相談もしなければならない。

大概、スケジュールを決めるには、そこが大人ならば、一時間とか、一時間半とかで休憩を取ったりするのだが(勿論臨機応変なわけだが)、この生き物たち、なんと言っても、集中力は30分しか続かない。だからと言って、30分毎に休憩なんて言っていたらとてもじゃないが。短い時間でやらなければならないことが時間内に収まらなくなる。闘いだ。そして奴らは、稽古の時間よりも、休憩時間の方が百倍元気なわけである。自己紹介なんかはボソボソ喋るくせに、百倍声も出ているのである。休憩時間、わたしは肩車のおじちゃんにされ、「ごう」と敬略称の断りもないまま(別にそんなのはいいのだが)、呼ばれる。
そして、本読み。
これが参った。自分で打った台本ながら、相手は子どもだ、なんといっても、小学三年生から六年生まで、こと「漢字」が読めないのである。それも、「これはよめないだろー」と思って、わざと役名をカタカナで似た感じにしたり、小難しい漢字をわざと使ったりするわたしではあるけど、今回の場合は何の意図もしていないのである。普通が普通じゃない感覚。逐一、同時通訳、そんな具合だ。(そういえば、わたしは一応台本を二週間前には、送った筈なのである。先に配っておいてくれれば、調べてきたりする奇特な少年少女がいたかもしれないのに。)プラス、テキストレジー(構成直し)をやるもんだから、もうグチャグチャなことになっている。「わかりましたか?」「は〜い!」と言って、何も書き込んでいない奴。「出来た人は返事してください」「は〜い!」「出来た人?」「……。」ほぼこんな状態が続く、わたしもわたしで、生まれて初めて、『読み聞かせ』または『NHKの朗読』な感じでト書きをゆっくり読む。……、結局、一日目はここにて終了の時刻を迎えてしまったのである。

初日からこうである。二日目も、まあこんな感じ。
子どもおそるべし!
偉大なるマイペースくんたち。
三日目、唄とダンス。ダンスだけは兎に角食いつきが良かった。なら初日にちらっと踊ってやっとけばよかったと思ったが、自分がダンサーでないことをほんの少し悔やみつつ。イチイチ上げていくと枚挙にいとまがないので…
そして立ち上げ三日間は、当初の予定より大幅に遅れ(?)、幕を閉じたのだった。
遅れた分は、これからの一ヶ月で其々に家で練習してもらい、12月にまわす。上記から察せられる通り、12月は大変なことになるのが目に見えているわけなのだ。

さて、今回は東京から行ったスタッフ、総勢4名(わたし含む内訳:演出家・作曲家・振付師・演出助手)。
12月、本番の日まで東京から行って住みつくスタッフ、総勢1名(わたし含む内訳:演出助手)。

遅れた分を取り戻し、芝居を立ち上げ、本番を迎える12月、大変な12月、総勢1名(わたし含む)

役者は、小学校3年生〜6年生まで、23名(内訳:男3名・女20名)
演出助手は、東京から、30歳(まだ、29、だが、あと二週間…)、男、一名。実はミュージカルキライ…

……誰もいない……

ごう



2004年11月27日(土)



 誰もいない。。。(地域の安全編)

帰り道、携帯電話が路上に落ちていた。
最初捨てられているのかな、とも思ったが、一応確認。
しっかり、二十分くらい前に通話記録。ストラップもしっかり付いている。
となると、これは捨てられたとは考えにくい。
通話ボタンを押すと、しっかり「プー」という音。

悪用してやろう。

落とす奴が悪いんだ。

と、わたしは思わないので、すぐに交番に届けることにした。
そして自宅の最寄の派出所まで来て、中に入ってみる。
わたしの目に入って来たのは−

「ただ今、パトロール中です」
の文字。あ〜そうかそうか、この寒い中、地域の安全の為、警らに回られているのですね。感心なことです、税金泥棒とか言う奴がいるかもしれないのに……
いや、まて、まて、え? なに、いないの……

そしてその下に小さな文字で、「御用の方は、受話器をとってお話ください」と書いてある。

ここでちょっと横道。たとえば、暴漢に追われているとする。やっとの思いで派出所まで逃げてくる。するとどうだろう、派出所には煌煌と灯はともっているものの、誰もいない。しかし、暴漢は追ってきているのだ。途中で携帯で電話することもできなかったくらいだ。当然、受話器を上げる暇、もしくはその文字を目にする時間はない。さあ、どうする…
はて、こんなことで地域の安全は守れるのだろうか…

緊急でもないから110番はおかしい。
なので、大人しく、その文字に従い、受話器をあげる。と、直ぐに電話は通じた。

警察人「(緊急な感じ)どうしました?」
わたし「いや、携帯電話を拾ったので届けに来たら、誰もいないみたいなんですけど…」
警察人「は?」
わたし「いや、ですからね、携帯電話を拾ったんで来てみたら、誰もいないんですけど。」
警察人「携帯電話?」
わたし「はい、携帯電話。」
警察人「(明らかにテンションが変わり)ああ…。それはどうもご苦労さまです。」
わたし「いや、あの、どうしたらいいですかね?」
警察人「(唐突に)あの、お時間ありますか?」
わたし「え?」
警察人「お時間大丈夫ですか?」
わたし「時間は、あの、大丈夫ですけど…」
警察人「今、警邏中の人間をそちらに向かわせますので、お忙しいところ申し訳ありません。」
わたし「…(納得はいかないものの)わかりました、待ちます。」
警察人「申し訳ありません、すぐに向かわせます。ちなみに、そこはどこの派出所ですかね?」
わたし「え?(しらないのかよっ!とは突っ込まず)井草八幡の前の…」
警察人「あ〜、善福寺ですね。」
わたし「…なんですかね?(どこに書いてるかわからない)」
警察人「じゃあすぐに向かわせます。あ、ちなみにお名前は?」
わたし「藤井です。」
警察人「藤井さんね。すぐ行かせます。」

と、電話は切れる。

……。
なんなんだ。さっきの疑問、受話器を上げて「助けておそわれるー!」となった場合でも、「そこはどこの派出所ですか?」と言うつもりなのか? または、「おそわれる〜!」って途中で切れてしまったら、「今の襲われたのは、どこの派出所だ?」ってイチイチ派出所に電話して回るのだろうか、しかもその派出所には警察がいないのだ…。安全は大丈夫なのだろうか…危惧危惧危惧

奴は携帯と言った途端、明らかにテンションが下がった。まあ、それはいい。
奴は突然、「お時間ありますか?」と会話の流れをしらない質問、しかも否定のしようのない言葉、大体、その日、わたしは帰ってきたところなのだ。出かけるならいざしらず。そしてもし、「時間ね、ないっす」と言ったらばどうなっていたのだろうか。まあ、それもいい。
奴は直通電話になっているにも関わらず、そこ、どこですかね?と聞いた。恥ずかしいにも程があるんじゃないのか。国家の威信に関わりはしないのか? それにわたしは「善福寺ね」の問いに答えてはいないのだ。しかしまあ、それもいいだろう。
奴は「すぐにいかせます」と言ったのだ。

しかし、待てど暮らせど、警邏中だった警察官はやってこない。
五分たち。
十分たち。

その間にも、警察官でない人たちが派出所の前を通り、警察もいないのに、そこに座っているわたしを不思議そうな目で見ていく。

十五分たち。
いたたまれないし、寒い。
とりあえず、煙草を表に出て吸う。(ちゃんと携帯灰皿持ってます)
それでも来ない。
と、派出所の電話が鳴った。
もしかしたら、遅れていることを思って電話をかけてきていると思った。そのセンが一番強そうだった。しかし、だからといって、受話器を上げたら、「暴漢に襲われそうなんです!」なんてことになっていたら、それはもう一体どうしたらいいのかわからない。わたしも「そこどこですか?」とか答えとけばいいのか?
なんかの事件であったとして、わたしがその詳細を聞いて、連絡先を聞いて、再び受話器を上げ、さっきの奴に説明をするという本当に意味のわからないパターンまで考えてしまった。そうしたところで、どうせ最後に、「そこ、どこですか?」と聴かれるのは目に見えているのだ。
また、電話を取ってみたら「警察ですか?」と言われたら、わたしはとりあえず「ちがいます」と答えるしかないわけだし、もう少し緊急でない場合は、「実はわたしは警察の者じゃないんだけど、かくかくしかじかこういう事情でこの派出所に二十分くらいいるだけで、どっちかと言うともう寒いし帰りたいし…」と説明から始まって、泣き言を言いそうな位だ。

電話が鳴り止む。
もう、こうなったら、どうでもいいや。
わたしはカバンから本を取り出し、読み始めた。
深夜、あそこの派出所、警察官いないのに、煌煌と灯のついた下で、警察官じゃないお兄ちゃんが、小説を読んでるんだよ。どうも、あの派出所に恨みを持ったお兄ちゃんが死に切れずに出てくるらしいんだよ…
と、もうそんな意味のわからない事を噂にされてもおかしくないほど、おかしな状況だった。
それから十分後、都合、電話をしてから三十五分。
漸く、警察官は現れた。
手続きは、三分で終わった。

…すぐじゃないじゃないか。手続きはすぐ終わったけど。
すぐというのは三十分以上の事を差すわけがない
そして「地域」と言うのは、自転車で三十分以上掛からないところだと、わたしは認識する。
そしてそして思う。その警察官も電話に出た奴と一緒だ。
「なんだよ携帯電話かよ。」
テンションが下がったんだろうねえ、きっと。
でもわたしはいい人だから、その辺は突っ込まなかった。
こうしていい人はいなくなっていくのだ。

携帯電話がちゃんと落とし主の所に戻ったことを祈りつつ−

ごう


2004年11月20日(土)



 私の猫

yuki
---------
ちなみにちなみに
私の猫の名前は
ぶーにゃん と うずまき
でぶ猫と渦巻いてる柄の猫だから

いいじゃないか

でも名前って大切です
たいをあらわすだっけ?だけ?だけ?

ちなみに私 名字に『酒』ってついてます

先週やった健康診断の結果がとても気になります
肝臓が気になる お と し ご ろ ♪

明日はアレグリア2のチケットをもらったので観に行く予定
らっき〜〜

2004年11月19日(金)



 見つかったみーちゃん

みーちゃんが見つかった。
のかどうかは、みーちゃんがこれまでどう過ごしていたかわからないから言えることで、もしみーちゃんの立場で、この何日か、ただ別の縄張りでのほほんと生活していたのであれば、別に『見つかった!』わけではない、ということから推測するに、これは私の主観からの発信であることはほぼ間違いない。

みーちゃんが再び私の目の前に現れたのは、彼女がいなくなってから10日目のこと。

と前回のたわごとを見ていない人は、まるで急にいなくなった彼女がふと自分の前に姿をあらわした赤裸々な告白をしているようだが、彼女とは猫である。

彼女とは猫である。名前はまだない。

と、某小説風に書くと、なんだか、想像を掻き立てる。

猫とは彼女である。名前はまだない。

なんだかアブノーマル。

猫が彼女である。名前はマダナイ。

マダナイという猫を彼女として生きている。病院へ行きましょう。

まぁみーちゃんが帰ってきてすごくうれしかったのだが、感動の再会は私の中のことなのでここにその感動を書いたところで、へぇー、とも言ってもらえないならば、そこを書いてもなーと感じたわけである。

以上。

よかった。みーちゃん。



2004年11月18日(木)



 正しい土曜日の過ごし方。

正しい土曜日の過ごし方。

さて、なんでこんなことをいきなり言い始めたのかと言うと…

某大学を卒業してからと言うもの。芝居の稽古をしている期間、それは殆ど、旗日も旗日として理解しないままであるし、況や、日曜日から新しい週が始まるのか、気分的には月曜日から始まったほうが良いのか、とか、金曜だ、やっと一週間が終わる、呑むぞー!なんて状況も、ほとんど毎日が終わった、呑むぞー!ってなんだかんだと理由をつけては呑んでいる身にとって関係ないものであるし、そういう土曜日日曜日祝日というものをあまり意識したことがない。
大概の場合、そういう日をそういう日、として認識するのは、私が中央線、西荻窪駅あたりに住んでいることもあって、駅の改札口を通って、時刻表を確認して、あ、今日は休みか〜。と気がつく程度。

補足:何年前からかな。日曜祝日土曜と、JR西荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺は中央線が止まらないことになった。おそらく、東西線と、総武線が通っているからだとは思うが。
散々反対署名運動したりしていて、私も何度も書いたのに(何度も書くのは無効ではないのか?)有無を言わさず、ある日からそうなった。そして、なった最初の頃には文句も言っていたものだが、今はすっかり受け入れている。運動の無力さか、または単なる慣れなのか、あれよあれよという間に増えていく消費税に対して抱く気持ちとよく似ているかもしれない。そしていつの間にか、ちょっと新宿から吉祥寺に行く。とか、国分寺から四谷へ、なんてする時には、お〜三つ飛ばすだけで早いじゃん。ラッキー! とか言っていたりする。

さて、いつものことだが、本題に入る前に、随分と話が広がってしまった。ので、今日はここまでにしよう。



……と、そんなことをしていると、永久に本題に入らないまま毎週を迎えることになるのは目に見えているのでしない。
さて問題は土曜日の過ごし方なのである。
土曜日、それは上記のように然程意識されないものなのであるが、もう一つ、理由がある。わたしは基本的に土曜日、芝居の本番間近、地方に行っている。などなどの理由がなければ、週に土曜日だけ、しりあいのお店を手伝っていた。そして従業員二人は、基本的に土曜日が休みの日であって、「あいてるなら」とお願いされたのだ。そして、そんな生活が早三年余り…、だから私のスケジュール帳は、そこに書き込まなくても、何もない土曜日であれば、必然的に埋まっていたのだ。それが、夕方前から深夜まで。
つまり私のここ三年あまりの土曜日は、確実にびっしりと予定が入っていたわけだ。
その店が、先月潰れた。理由はいかようにでもあろうが、「今月でなくなる」の一言を持って潰れたのだった。となると−
いいじゃん、土曜日に観れなかった芝居も観れるようになるし(土曜日が空くと、大概マチネ、ソワレの芝居が多いから時によっては二本観れるようになるわけだ)、週末だ週末だ。なんて思っていた。そしてこれはもう上記にも書いたから、関係ないのを前提としておきながら、「やった、土曜があくなら、次の日は日曜日だし、リーマンとも呑めるじゃん」なんとも思っていた。心配なのは、わずかばかりではあるが、お小遣いがなくなること。
そして十一月。土曜日は今日を含めて二回、やってきている。
まず新鮮なのは、テレビ番組である。
ほぼ見たことのなかったものが、画面で展開されている。
しかし、折角、土曜日を手にいれたのだから、テレビを見てすごすなんてのもなんだなぁーと思う。
だから、ふと出かけてみる。
しかし、しかし、しかし、
どこもかしこも人だらけなんだな〜土曜日。
世間一般的に、次の日は大手を振って休んでいいという暦である。
そりゃ、普段まじめに働いている人間ははめをはずしたくなるだろうし、そんなの関係がない、学生やなんかは、土曜日だ! ということなのか、テンションが上がる。図書館、映画館、飲み屋、喫茶店。ひいては芝居まで混んでいる。元来人ごみ自体も苦手であるわたしは、すごすごと家路につくのだ。
そしてそんなフウに意味なく過ごしながら、「あ、やべ、土曜日なのに」と、もうなくなってしまったのに、店にいない自分を発見し、焦り、「あ、もう、ないんだわ」と安心する。そんなことを繰り返す。
三年にも渡る生活習慣が自分にもあったのだと、実感する一瞬。

だから、正しい土曜日の過ごし方について考えている。

まず、当然、午後に起きる。で、ゆっくりして、布団を干してみたり、溜まった洗濯をしたり、たまにはデートでもして、ゆっくりと夕食を…
これでは、正しい日曜日の過ごし方、ではないか?
いや、正しい祝日の過ごし方、かもしれない。
いや、でも中央線は、日曜祝日土曜日と停まらないわけだから、どれも同じということなのか、それでは、わざわざ、日曜、とか、土曜、とか言わなくてもいいんじゃないか、「休みの日」ってことで解決するんじゃないか。だが、その日が「休みの日」だけど休みじゃない人にとっては、じゃあ一体「休みの日」って一体なんなんだ? 「文化の日」と何かが違うのか? はたまた「休みの日」が休みじゃない人で、西荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺に住んでいる人は、出勤なのに、中央線が停まらないっていう現状はどうなんだろう、許せるのだろうか? 本当は許せないのに、文句を言う事もできずに中央線に飛び込んだりしないだろうか? 心配だ。「天皇誕生日」とは何かが違うのか? はたして土曜日はあくまでサタデーであって、メイデーではないし、まして況や「休みの日」ではない、それでは、「土星」が「休みの日2星」みたいなことになってしまうではないか、と、もう全く意味のわからないことになってしまっていないだろうか?云々カンヌン……

そんなことを考えながら、土曜日はもう既に午後十時半になろうとしている…

正しい土曜日の過ごし方。恐ろしい。考えるだに、恐ろしい。

誰か、正しい土曜日の過ごし方を、わたしにレクチャーして下さい。

ごう

2004年11月13日(土)



 泥棒に入られるの巻き

店長代理になって早二年。
朝は10時半出勤。
10時半から11時まで、ひとりで開店の準備だ。

今日は11月8日月曜日。
宅配ピザ屋のは、日曜日が大変混む。つまり月曜日は、ひまな代わりに、仕込みなどやることは多い。
10時15分に家を出る。店までは自転車で1分という近さ。少し早めの出勤で開店までに備えるつもりだった。

店に到着すると、隠してある店のかぎを取り、入り口のドアに向かった。
そのドアは鉄で出来ていてチョット重い。
カギを鍵穴へつっこみ、いつものようにまわした。
まわした。?
まわらない。
おやっ?と思いよく見るとカギのシリンダーは受け口に納まっていない。
それはつまり、カギがかかっていないということ。カギは開いていた。

(おいおい、カギのかけ忘れか〜?全く何やってんだよ)

少し腹を立てドアを開けた(あれっ?こんなに重かったか?)。

違和感を残したまま店内に入り、注文を受ける電話があるほうへ目をやった。

机の引出しが開いている。



椅子の上に、金庫のお札を入れる部分(何というかわからないが)が置いてある。

??

近づくと小銭入れが机の上に出ている。

???

500円と100円玉だけ消えている。

????

どきっとした。どきっとするとはこのことだ。

いや、前日の店長が何かの理由で500円と100円玉だけ持っていったんだ。
ってどんな理由だよ。
急いで電話をかけたが、店長は知らないという。

「泥棒がはいりました」

うちの店長は23歳。
自分より三つ四つ下だ。
最近の若いもんは(僕を含め)こう答えるんですよ。

「まじっすか?」

まじっすよ。まじっすよ。だって、ドキッとしたんですもん。マジ以外のなんでもないっすよ。警察ですか?警察に電話するんすか?とりあえず本社に電話します。指示を仰いで、こっちのことはやっときます。おつかれっす。

と電話を切った。

110

「事件ですか、事故ですか?」

という電話の向こうの、僕よりチョット年上の女性に僕はこう答えた。

「姉さん、事件です。」





ジョーク、ジョーク。
そのあと、交番のおまわりさんや、鑑識の方が来て、指紋とかとられました。
何にしろ、あまりにも身近に起こった窃盗事件に、なんだかひやりとしたの出来事でした〜。

だい


2004年11月10日(水)



 8日の日記の作者は誰なのでしょうか

猫にみーちゃん・・・
安易す(もごもご

最近若手お笑いみたいなのが流行ってますが
アンガールズというのが私は好きです
きもちわるくて、もっと見たくなる

紳助の番組好きだったのになー
とても残念です。
しかし人を殴るなよ
私は殴りますが

         yuki sakai

2004年11月09日(火)



 みーちゃん

ここ2日、みーちゃんの姿が見当たらない。
不安だ。

みーちゃんは最近よくうちにくる猫だ。

と書くと、なんだか違う猫のようだが、普通の野良猫だ。

と書けば書くほど不信感漂う文章に閉口。


ある日の帰り道。帰宅してからさらに外出の予定があり飯を食うひまもなし、ということで、おにぎりを食べながらの帰宅。と、みーちゃんがポストの下で警戒していた。
動物愛好家の僕は、おにぎりを2・3粒分けてあげた。
食べた。
それからだ。僕になつくようになったのは。

動物愛好家の僕は大いに後悔した。
野良猫にえさをやる動物愛好家はいない。
それは動物愛好家ではない。
つまり僕は動物愛好家ではなかった。


三日前。
みーちゃんはベランダの向かいの塀の上にいた。
こっちを向いて、みゃ−みゃ−泣いているので、窓を開けてみた。
塀からベランダの柵まで、高さ一メートル。塀から柵まで二メートル。直線距離でルート3メートル。
みーちゃんは身構えた。

えっ?

いや、そんなはずはない。それは無理だ。落ちたらどうする。
半端な距離じゃない。
第一ここは二階だ。

しかしそのとおり。飛んだ。みーちゃんは飛んだのだ。

猫は自分を知っていた。なんとか柵につかまった。

だが無事ではなかった。
右後ろ足の生爪をはがしていた。

急に、猫が生きていることを実感した。
血が出たからだ。
抱えた僕の服に、少し血がついた。

けろっとしているみーちゃん。

みーちゃんは強い。

消毒を済ませ外に出した。
その夜、27時頃。
みーちゃんはまたベランダ向こうの塀の上に姿をあらわし、
みゃーみゃーないた。

僕は窓を開けなかった。
また飛んで怪我をするからそうしたわけじゃない。
眠かったわけでもない。

なんだか、そうしたのだ。


それから2日。みーちゃんはあらわれない。
またあの鳴き声を聞きたい。

みーちゃんは元気だろうか…。

だい


2004年11月08日(月)



 くす

土曜日ならびになっているのを見ると割り込みたくなる
えへ 乱しちゃった♪
最近の私、音符マークが本気で似合わなくなってきました。
なんでしょう 年でしょうか。
うるせい

名乗りが遅れました酒井由貴です
9月10月と芝居に出ておりまして、とんと御無沙汰ですが
みなさんそろそろ私を忘れる頃でしょう。

11/3競馬デビューを果たしました。
9人くらいで行ったのですが、一番勝ちました。
ビギナーズラックとも知らずにはまりそうです。

近況報告なのでおもしろいことは書きません
いや、書けません。うるせーい


2004年11月07日(日)



 4の次は…

先週、大阪三昧しました、たった一日にて。
それは先週分を参照ください。

さて、大阪には、聞いたところによると、ファッションビル「5」(なんと読むのかは忘れてしまった)があるそうな。東京で言うところの、「109」(と言っても、もう東京だけではないのだが)とかそういうことなんだろうと思うが、どうやら、とにかく、何をどうゆう風に置いてるのかもしらないけど、とにかく、あるのだ。私は親近感を覚えずにはいられないのだが、その理由は列挙しないでおく。

京都に着いて、地下鉄に乗り継ぐ為に、歩く歩く。その道すがら、そいつはあったのだ。階段を降りると、そこには右手一面に。そいつらの為の壁、そう言ったとしても過言ではあるまい。なぜなら−

『ヨンの次は、5』

である。そういう文字が壁一面に並んでいる。
最初、よく分からず、そのまま通り過ぎようとしてふと思った。
「え、なにが?」
そしてもう一度確認する。
『ヨンの次は、5』
やはり。なにか引っかかるような気もするが、所謂、ただのキャッチコピーである。しかし、

『ヨンの次は、5』

なのである。赤く表されたゴシック文字のほかには何もない、広告。

「ヨン」つまり、つまるもなにも、改めて言うまでもないと思うが、韓国俳優界の四天王。冬ソナの(観た事ないけど)、スキャンダルの(観た事ないけど)。オロナミンCのCMで、どうしてか、上戸彩が折角「元気はつらつ〜?」とわざわざ韓国まで出かけて行った挙句、そう韓国語で尋ねているにも関わらず、「オフコース!」なんて必要以上に良い笑顔で、どうしてか平原に白いグランドピアノを置いて、尚且つ英語で答えちまってる。枯れちまったおば様たちがある日突然「ちょっと韓国に行ってきます」なんて置手紙を残して旅だってまで会いたい、ペ・ヨンジュンさまのことである。…と推測される。が、どう考えたって断定。
このブームがいつまで続くのかどうかは別として、それを数字の「4」とかけていることは、浅はか過ぎて気が付かず、通り過ぎてしまうところだったくらいである。あぶないあぶない、ネタに辿り付けないところだった。折角京都くんだりまで来て、気が付かせないとは流石である。しかし、しかしだ。私は気がついてしまったのだ。が、「4の次は、5」……当たり前ではないか。ばっかだねーで、普段なら済ますだろう。そして突っ込む。もしくは、見なかったことにする。または、京都で見たのに、これだから大阪は……とか言う。
が、その時、私を始め、一緒に行ったKさんすら、こういう時ばっかり冷静な白い目を向けるHさんが見ている横で、その広告、フライヤーを撮りまくり、そしてそのノリで、私からi-shotを食らった人も数知れず…
どうしてそこまで盛り上がったのか…
韓流ブームの次に来るもの、それは……ご……

なにも言うまい。こっちの人間はやはりわかっているのだ。
なにが? いや、なにも言うまい。
東の人間にはまだわかるまい。
たとえ、太陽が東から昇り、西に沈むのだとしても、西から来たっていいんじゃないか。
わたしは西ではさっぱり仕事はしていないが、それでもいいではないか。
わたしはただの東京育ちなのに、こっちに来ると、どうしてか関西弁を気付かぬうちに喋ってしまうのは、こんなところに原因があったのかもしれない。
目から鱗なのだ。
時代の風は西から吹いてくるものと相場は決まっている。その相場が今までなかったとしても、そうなっているのだ。
なぜか? いや、みなまでは言うまい。

挙句、これは最初に書いた通り、あくまで「ファッションビル何某」の広告であって、決して「誰某」のための広告ではないことはよく分かっている訳である。くだらなすぎる駄洒落であることも、よ〜く理解している。だが、それを隠れ蓑に、実はその奥で何を言わんとしているのか、更には行間にあるメッセージ(どこに?)をしっかり読み取ったのだ。ん〜、大阪面白く、京都は奥ゆかしい。それが、とってもよくわかった。

白地に大きく赤いゴシック文字で『ヨンの次は、5』
その広告を載せられないのが、至極残念な今日この頃である。

しかし、なんだろうか、この虚しさは……

『5』


2004年11月06日(土)
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