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■ 誰もいない。。。(地域の活動編)
さて、先週はちょっとお仕事で兵庫県はY町まで行ってきた。 新大阪から高速バスに乗って、ちょっと一時間半。 周りに駅もあるが、無人駅の、一時間に一本しかない電車…。 要は、兵庫県の真ん中の、山の中、といったロケーション。 もっと詳しく知りたい方は、台風23号で水かさ2メートル余りになり、水没した辺りのことである。(ついに、その場まで行って来てしまったことになる。) そんな中でノビノビのんびり育っている子どもたちと、本年のクリスマス当日に迎える本番を目指し、唄ったり、踊ったり、せりふ言ったり、で、十二月は半分すぎるだろう。わたしのクリスマス、クリスマスイヴ、クリスマスイヴイヴ、クリスマスイヴイヴイヴ…と、別にクリスマスにこだわっているわけではないが、これが今年のわたしのクリスマスである。
その、立ち上げに行ってきたのだ。立ち上げ3日間。ひと月おいて、稽古8日間、そして本番、田舎には不釣合いな程、綺麗な公共の音楽ホールにて。さて、その立ち上げである。行きの新幹線の中で演出家と打ち合わせそして まず、初日は− 顔合わせ。 アップ。 テキストレジー。 読み合わせ。 キャスティング……
と、11日間しかないので、こんな感じである。決められる事は、どんどん決めていく。初日はやっぱりキャスティングまでいってしまいたい。二日目は、半分ダンスと唄になるのだから− しかし、相手は子どもたちである。悪意のない、悪、である。 論理や理屈は、全く通じない生き物たちである。 しかし、一応、今回は演出助手なわたしであるから、時間との相談もしなければならない。
大概、スケジュールを決めるには、そこが大人ならば、一時間とか、一時間半とかで休憩を取ったりするのだが(勿論臨機応変なわけだが)、この生き物たち、なんと言っても、集中力は30分しか続かない。だからと言って、30分毎に休憩なんて言っていたらとてもじゃないが。短い時間でやらなければならないことが時間内に収まらなくなる。闘いだ。そして奴らは、稽古の時間よりも、休憩時間の方が百倍元気なわけである。自己紹介なんかはボソボソ喋るくせに、百倍声も出ているのである。休憩時間、わたしは肩車のおじちゃんにされ、「ごう」と敬略称の断りもないまま(別にそんなのはいいのだが)、呼ばれる。 そして、本読み。 これが参った。自分で打った台本ながら、相手は子どもだ、なんといっても、小学三年生から六年生まで、こと「漢字」が読めないのである。それも、「これはよめないだろー」と思って、わざと役名をカタカナで似た感じにしたり、小難しい漢字をわざと使ったりするわたしではあるけど、今回の場合は何の意図もしていないのである。普通が普通じゃない感覚。逐一、同時通訳、そんな具合だ。(そういえば、わたしは一応台本を二週間前には、送った筈なのである。先に配っておいてくれれば、調べてきたりする奇特な少年少女がいたかもしれないのに。)プラス、テキストレジー(構成直し)をやるもんだから、もうグチャグチャなことになっている。「わかりましたか?」「は〜い!」と言って、何も書き込んでいない奴。「出来た人は返事してください」「は〜い!」「出来た人?」「……。」ほぼこんな状態が続く、わたしもわたしで、生まれて初めて、『読み聞かせ』または『NHKの朗読』な感じでト書きをゆっくり読む。……、結局、一日目はここにて終了の時刻を迎えてしまったのである。
初日からこうである。二日目も、まあこんな感じ。 子どもおそるべし! 偉大なるマイペースくんたち。 三日目、唄とダンス。ダンスだけは兎に角食いつきが良かった。なら初日にちらっと踊ってやっとけばよかったと思ったが、自分がダンサーでないことをほんの少し悔やみつつ。イチイチ上げていくと枚挙にいとまがないので… そして立ち上げ三日間は、当初の予定より大幅に遅れ(?)、幕を閉じたのだった。 遅れた分は、これからの一ヶ月で其々に家で練習してもらい、12月にまわす。上記から察せられる通り、12月は大変なことになるのが目に見えているわけなのだ。
さて、今回は東京から行ったスタッフ、総勢4名(わたし含む内訳:演出家・作曲家・振付師・演出助手)。 12月、本番の日まで東京から行って住みつくスタッフ、総勢1名(わたし含む内訳:演出助手)。
遅れた分を取り戻し、芝居を立ち上げ、本番を迎える12月、大変な12月、総勢1名(わたし含む)
役者は、小学校3年生〜6年生まで、23名(内訳:男3名・女20名) 演出助手は、東京から、30歳(まだ、29、だが、あと二週間…)、男、一名。実はミュージカルキライ…
……誰もいない……
ごう
2004年11月27日(土)
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