スカーレットの心のつぶやき
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今日は、夫の三ヶ月ぶりの検診だった。
朝早く7時半に家を出て8時過ぎに到着。
9時からび腹部のCTの前に血液検査。
採血を二度もして大変。
CTが終わったら
胃カメラ。
胃カメラが終わって10時半に主治医の診察。
数日前から、夫のことが気になっていて
もしかしたら、また腹水がたまっているのでは・・と
心配していた。
検査の結果は
肝臓癌の再発も無し、
静脈瘤の再発も無し、
腹水もたまっていないし
血液検査も前と同じで
悪化はしていなかった。
本当に良かった。
治る病気ではないから
せめて、現状維持が出来たら良いと思っている。
夫も安心したみたいだった。
気分的にも明るくなった。
帰りに薬局へ行き三ヶ月分の薬を山ほどもらった。
この薬の御陰でなんとか保てるのだ。
薬は飲まない方が良いけれど
夫の場合は仕方ないのかもしれない。
11時半になったので
朝抜きの夫に何を食べる?と聞いた。
夫はスシローへ行こうと行った。
平日のお昼だからまあまあの混み具合。
二人で何と4皿、そしてうどんの二つ
計700円足らず。
支払いの時に恥ずかしかった。
でも、まあ美味しかったしお腹もいっぱいになったのだから
これで良しとしよう。
今日も無事終わりそうで良かった。
感謝感謝!
最近、よく雨が降る。
昨日も天気予報の通り
お昼過ぎから雨が降り出した。
夜には本格的な雨になった。
雨になるとアズキの散歩をしない。
だから
私としては楽だ。
アズキは外が好きなので
雨になると可哀想ではあるが・・・
今朝も小雨が降っていた。
空はグレーですっきりしなかった。
でも、天気予報は結構当たるものだ。
さっきから明るくなって来ている。
洗濯をしたが乾かないかもしれない。
地面がまだ雨で濡れているので
アズキの散歩も億劫だ。
やはり、晴れが良いなあ。
心も明るくなれるし。
これからは、紫外線が気になって
陰を見つけて歩くようになるけれど
空が青く晴れ渡っているのは
本当に気持ちが良い。
ただ、これからは黄砂やPM2.5に悩まされるだろうから
花粉症の人にとっても
雨の日の方が楽かもしれない。
晴れも雨も両方良いと思おう。
さて、アズキの散歩をどうしよう・・(*´∀`*)
今日も、義母を整形外科へ連れていった。
義母が通っている整形外科は
私の母が元気だった頃
いつも行っていた病院だ。
病院の先生も看護師の人たちも
皆、顔なじみで親切にしてくれる。
義母を車に乗せ、駐車場でおろし
リハビリ室へ連れていく時に
必ず、フラッシュバックのようなことが起きる。
母が生きていた頃のことが
頭に蘇って来て
胸が苦しくなり
涙が出そうになるのだ。
母が亡くなって今年の10月が来たら三年になる。
あれほど、母無しでは生きていられないと思っていた私が
一日の内、殆どの時間、母のことを忘れている。
私って薄情なのかな・・・
それが
母との思い出の場所に行くと駄目なのだ。
母の顔、姿、言葉、仕草・・
色々なものが一気に思い出させる。
そして、
ああ〜母は居ないのだという思いが
改めて強くなって私を襲うのだ。
寂しい気持ちが募って涙が出そうになる。
母と義母をつい比べてしまう。
母だったら・・・と思ってしまうのだ。
母と義母は違うのだ。
同じ場合でも同じことをするわけではなく
思いも言葉も全く違うのだ
ということは分かっているのに
ついつい比べてしまって・・
私の母がやはり凄い人だったと
色んな意味で強く思う。
母に及ぶことなどない私は
せめて
母が思ってくれた私への思いを
娘に向けるしかない。
無性に母に会いたい。
ダウンした頃に比べると
体調も大分、元に戻って来た。
土日は、朝6時に起床し
昨日などは午後炬燵に足を突っ込んで休む時間もあった。
土曜の晩ご飯は、久しぶりに
スシローへお寿司を食べに行った。
晩ご飯の用意をしなくて済んだから楽だった。
混んではいたけれど
夫と喋りながらカウンターへ座ってお寿司をつまんだ。
美味しかった。
こんな安いお寿司で満足できる自分が嬉しい。
昨日も早目にお風呂に入って
夜もゆっくり出来た。
その両日が嘘のように
今日は、朝から忙しかった。
いつものように4時20分に起床。
9時に病院があったから
それまでに家のことやアズキの散歩を済ませた。
病院の帰りに
県庁へ行き選挙管理委員会へ
異動届けを持って行った。
帰りにみゆき会館へ行き
4月の講演会の会場の決定とお願いをしてきた。
帰宅したら12時をすぎていた。
選管へ持って行った種類に不備があり
作成し直して今度は郵送で良いというので
さっき、アズキを散歩させながら
ポストに投函してきた。
明日の火曜日から土曜日まで
色々予定がつまっている。
休める時には休もうと思うが
お昼の間にはなかなかその時間がない。
かまぼこ板の絵も描かないといけない・・・
案は出来ている。
板も磨いた。
後は絵を掻き色付けするだけだから
やる気を出して!と自分に言い聞かせている。
それでも、なかなか手が出ない。
ああ〜日にちばかりが過ぎていく。
来月中には完成させたい。
とにかく忙しい。
ダウンして、友人や姉が心配をしてくれて
何か、とても申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
過労の一言。
休める時には休めという神のご指示。
そう確かにそうだと思うが
そうかと言って寝てばかりは居られない。
それでも
今朝は土曜日ということもあって
6時まで寝ていた。
いつもは4時20分に携帯のアラームが鳴ることになっていて
その音が鳴る前に目を覚ますが
今朝はアラームを停止していたためか
気が緩んでいたためか
6時になるまで目が覚めなかった。
ああ〜こんなに朝ゆっくりしていいのか・・と思った。
明日も日曜日なのだから
ゆっくりしたい。
午後から少しだけ炬燵に足をつっこんで
寝ていたが、起きたら寝る前よりしんどくなっていた。
胸が息苦しい。
そういえば、今日、アズキの散歩の時に
歩くのが辛かった。
昼寝をした後は歩けないほどしんどかった。
何処かが悪いのかなあ・・と思ってしまう。
単なる過労なら
日が過ぎれば治るだろう。
様子見。
来週は忙しい。
選管にも行かねばならない。
夫の病院もある。
私が寝込んでいる暇はない。
気持ちは焦ってばかり、体がついてこない。
これも年のせいか・・
ああ〜〜〜情けない。
2013年02月20日(水) |
ダウン(´;ω;`) |
日曜日の勉強会
月曜日の活動と
私自身は気づいていなかったけれど
体には相当の負担になったみたい。
勉強会の時に20冊程の本が入った箱を
二階まで持って上がり
終わってから降りる時に
心臓がおかしくなったのは確かだ。
また、お椿さんでの活動は
夢中になっていたけど
二時間、マイクと拡声器を持ったまま
立って声を張り上げたのと
往復、雨の中、1時間弱歩いたのも
体にこたえていたようだ。
昨日は朝からお腹が痛くて下痢もした。
喉は幸い大丈夫だったが
しんどくてしんどくて
お昼から午後4時まで
布団の中に入り横になった。
私が寝込むなんてことはめったにない。
相当しんどかったということだ。
今朝も、起きる時に心臓がきゅんとなった。
今も何か、普通とは違う。
今週はおとなしくしていよう。
精神的にも色々あって
昨日は本当にしんどかった。
考えても考えても悪いように考えてしまって・・・
それも、私の決断で解決しそうだ。
本日中に精神的なものは取り除こう。
そして、体に疲れは
休むのが一番。
午後からはサボってダラダラして
横になっていようと思う。
昨日は、伊予路に春を呼ぶと言われている
「お椿さん」(椿祭り)の最終日だった。
居相町にある椿神社の境内は
参拝者でにぎわっていた。
最終日の昨日は、朝から雨で肌寒かった。
それでも、参拝者は結構居た。
数年前から参加している
「北朝鮮による拉致被害者救出のための署名・募金活動」に
今年も参加してきた。
救う会の人たちのお手伝いという役回りだが
昨日はハンドマイクを渡され
声の限り参拝者に署名・募金のお願いをした。
立っているだけでも大変だが
右手にはマイク、左手には拡声器を持っていたので
今朝、両方の腕が痛くてたまらない。
しかし、二時間は思っていた以上に早く過ぎた。
喉の限界に近かったから
二時間が限度だったかもしれない。
拉致問題に関しては年々関心が薄れて行く気がしている。
昨日も、全く関心なしと言った風の人が多かった。
しかし
参拝の途中で署名・募金をしに来てくれる人や
参拝の帰路で立ち寄ってくれる人も結構居た。
いつも思うし、マイクで訴えたのだが
もし、自分たちの子供・家族が拉致されたと想像してほしい。
平気で居られるはずがない。
私の住む伊予市にも特定失踪者に指定された方がいる。
その人のお母さんとはお話しする機会も多いが
言葉が出てこない。
ありきたりの言葉しか出ない自分が悔しい。
色々な思いはあるが
決してあきらめてはならないこと
政府に訴えていくことを忘れてはならない。
声の限り訴えた声が
どうか、天に届き
拉致被害者全員の救出が実現するよう
心から祈りたい。
2013年02月17日(日) |
バタバタとする中でのほっとする時間 |
このところ
4月に開催する講演会の準備
というか、後は動員だけだと思っていたら
ちょっとしたことがあって
会場を変更しないといけなくなった。
だから
今、その会場探しであたふたしている。
まだ
時間があると言えばあるけれど
1月はあっという間に過ぎてしまって
2月ももう半ばを過ぎた。
3月もあれよあれよという間に過ぎてしまうだろう。
私の性格から言うと
何でも分かっていることは
早目にしておく。
今回は自分のことではないからそうもいかない。
色々なことがあってなかなか思うように事が進まないのだ。
まあ
これも
私が言い出したことだから
最後までちゃんとやってしまうつもりだ。
そんなこんなで
日中が早く過ぎてしまい
夜になってしまう。
今の私のほっとする時間は
大きなお風呂に浸かっている時。
昨日は、夫を誘って
お昼をウェルピアで食べて入浴券をゲット。
夕方、二人で改めてお風呂に入りに行った。
やはり、気持ち良かった。
本当に足や手を思いっきり伸ばして
お湯の中につかると
身も心もゆったりとして
忙しさや大変さを忘れることができる。
ああ〜なんて幸せなんだろう・・と思う。
ささやかな私の楽しみを
誰にも邪魔されたくないし
誰にも批判されたくない。
誰も批判も邪魔もする人はいないけど。
また、お風呂にはいりに行こう。
2013年02月16日(土) |
後ろから見たらワカメちゃん(#^.^#) |
昨日、本当に久しぶりに美容院へ行ってきた。
忙しいのと大儀なのと両方の理由で
10月21日に行ってから
約4ヶ月放っていた。
途中で前髪だけでなく
横も後ろも自分でカットした。
形としてはどうにか保てていたが
もう我慢できなくなった。
つまりは限界に来たのだ。
カットは短くしてもらおうと思っていた。
今、流行っているのはショートボブだと言う。
私はこの十年ほど同じ髪型で
それもこのショートボブスタイル。
一番形が保てやすいし手入れも簡単だ。
さすが4ヶ月も放っていたから
後ろが重くなってしまっていた。
思い切って短く
刈り上げに近いカットをしてもらった。
後ろは私には見えない。
合せ鏡で見れば見えるが
普通は前と横くらいしか見えない。
だから、気にしないで済むのだけれど
帰宅して鏡に手鏡をあわせて
後ろを見てみて驚いた。
さざえさんのワカメちゃんになっていた。
笑ってしまった。
これ以上は短くならないだろう。
これだとまた3ヶ月は放っておけるな。
本当は4月の初めに行こうと思っていたが
2ヶ月過ぎた頃が丁度良い長さになりそうだ。
まあ
髪は伸びる。
今、ちょっと我慢していれば良い。
まだ、タートルネックを着るから
当分はごまかせる。
それにしても
本当に後ろから見たら若い若い。
笑ってしまった(#^.^#)
この人たちと一緒にランチをするなんて
二年前の私には想像もできなかった。
昨日、近くの洒落たお店
「イル・デ・パン」で
アズキを通して知り合った友と三人で
ランチを楽しんだ。
一人は私よりも年上の人
もう一人は二才年下の人。
一人は可愛いシーズー犬を飼っていたが
去年の春のお彼岸に死んだ。
もう一人が飼っているのは真っ白なチワワ。
名前はソラ君。
このチワワがアズキの恋人なのだ。
散歩に連れていった時に
たまに会うことがあると
ソラ君とアズキはラブラブで
チュッチュッしている。
体格はアズキが一回り大きい。
所謂「ノミの夫婦」だ。
散歩の途中なのに二人がラブラブしだすと動かない。
アズキはお腹を見せてごろんとなる。
そのアズキの口をぺろぺろとソラ君がなめる。
まるで、愛しい恋人に愛情をこめて接している人間のようだ。
こんなにも気が合う犬同士も珍しい。
よほど、相性が良いのだろう。
アズキが好きな犬の飼い主は私も好きで
こうしてランチをする間柄になれる。
ソラ君の飼い主もラッキーちゃん(死んだシーズー犬)の飼い主も
とても良い人で気を遣わず話すことができる。
ラッキーちゃんの飼い主とは
昨年、一緒に城川のかまぼこ板の絵展を見に行った。
杏仁豆腐の作り方を教えてくれた人でもある。
そんな人たちと一緒のランチは美味しかった。
値段は私がいつも食べるランチに比べるとちょっと高かったが
前菜、スープ、主菜、デザートも皆美味しく
楽しく食べることが出来た。
遠くへ行くこともない。
近場で楽しい時間が過ごせるのだから。
次は「kitchen ichi-nichi 」へ行こうということになっている。
この「kitchen ichi-nichi 」はイタリアンのお店で
値段も安価で味も良い。
パスタが美味しい。
ちょっとしたことで
疲れた心もリフレッシュできる。
こんな小さな幸せを感じて生きるのが素敵な生き方かもしれない。
13日は父の14日は母の月命日だ。
毎月、お墓参りに行くのに
今月は仏壇で拝むだけにしてもらおう。
父も母も怒ってはないはず。
仏壇にそれぞれの好物を供えて
手を合わせた。
夫と娘が元気で居られるようにお願いをしてしまう。
その娘に会いたい会いたいと思っていたら
電話がかかってきた。
私が「○○○ちゃんに会いたいよ〜〜」と言うと
娘は「何で?(つд⊂)」と言った。
その位、私の存在が娘にとって小さいものに
なってしまったということか・・
寂しいけれど、仕方ない
これが母と娘の正常な関係なのだと思うから。
母と私の関係があまりにも密接だったから
当たり前だと思うことがすべて異常だったみたい。
最近になってそう思えるようになった。
そんな私が、お墓参りに行かないのだから
正直、笑ってしまう。
死んだ者の損だと言う言葉が当たっている。
生きていてこそのものなのだ。
両親には「ごめんね」と心の中でつぶやいている。
娘に会いたい。
この数日、気持ちが段々強くなっている。
理由は分からない。
娘が広島の人になってから
4月で一年になる。
大阪に居る時は、何度も行った。
泊まり込むことも度々あったし
演劇公演を日帰りで観に行った。
会おうと思えば直ぐに会えると思っていたし
私がまだ育てているという気持ちもあった。
でも、娘は昨年の春に社会人となり
自分が望む仕事に就き
毎日忙しいながらも充実した日々を送っている。
親として、こんなに嬉しいことはない。
安心している。
でも
娘が私から離れていったことは確かだ。
子が自立するのは当たり前のことで
いつまでも親に依存していては
親子共々不幸なことになる。
分かっているのだ。
それでも
無性に会いたくなることがある。
母には会いたくても会えない。
心の中にはいつまでも居るけれど
顔も声も、姿も言葉も・・・
現実のものとして
私の前には現れることはない。
寂しいけれど
ある意味割り切っているから
母に会いたくて会いたくて辛くなることは
段々なくなった。
母は喜んでいると思う。
娘は生きている。
そして
娘を支えてくれる人も居る。
私が居なくても大丈夫なのに
何でかとても寂しいのだ。
子離れは出来たと思っていたし
実際に娘を頼ることはない。
でも
会いたいのだ。
せめてmailでも電話ででも話すことができれば良い。
何ども電話もするし
mailもするが
返事は全くない。
私の存在は娘にとって大したことがないのだろう。
寂しいけれど、仕方ない。
でも
アズキを連れて会いに行こうかな・・
人様に話すと、きっと笑われるだろうけれど
私の今のささやかな楽しみは
近くウェルピアでランチバイキングをして
入浴券をもらって
夕方、一人でお風呂にはいりに行くことだ。
今までも、ランチはしていたが
お風呂に入ることはなかった。
でも、昨年末ころから
寒さもありゆったりとお風呂につかりたいと思って
入浴券をもらって
夕方、改めてウェルピエへ行き
温泉(冷泉だとのこと)にゆっくりと入って
心も体も温まるのが最高の幸せだと思うようになった。
家のお風呂では得られない満足感がある。
ランチバイキングはついつい食べ過ぎることがあって
自戒してはいるものの
どうしても欲が出てしまって
いつもより食べてしまう。
友人と行くこともあれば
一人で行くこともある。
もしかして、レストランの人には
顔を覚えれただろう・・・
こんなに度々行く人って居ます?と聞いてみた。
お店の人は嬉しい、と笑ってくれた。
まあ、良いか・・
ランチバイキングはその月々でメニューが変わる。
今月は鰤特集。
魚が苦手な私は折角の鰤料理は食べない。
前菜とサラダとメイン以外のお菜と
そして、最後にプチデザートとアイスと紅茶。
お腹いっぱいになり
帰宅して、アズキの散歩をして
お腹と体重のコントロールをして
お風呂にはいりに行くのだ。
何と小さな楽しみだろう。
何処かの温泉地へ行き
美味しい料理を食べ
景色を楽しみ
お風呂に入るのは
夢のまた夢。
当分は小さな、本当にささやかな
ランチバイキング&入浴が
続きそう(#^.^#)
2013年02月07日(木) |
自分がわからなくなるということ |
NHKの朝ドラ「純と愛」の中の純の母親が
若年性アルツハイマー病と診断され
物忘れからはじまり、
この間はついに夫がわからなくなった。
誰もが成りうるこの病気、
私の周りには居ないけれど
もしかして、私自身がそうなるかもしれないと思うと
何だか不安でたまらない。
というのも
最近、物忘れが激しくなった。
本を読んでいても内容がなかなか頭に入らない。
文章を書き写そうとしても
ワンセンテンスを覚えることが出来ない。
本当に嫌になる。
試しに一昨日のお昼に何を食べたか?
思い出してみた。
え〜〜なんだったっけ?
昨日のお昼は覚えている。
でも、一昨日は・・ああ〜そうだった
思い出すのに時間がかかった。
こんな調子では今後年を取るにつれて
物忘れが激しくなるに違いない。
不安でたまらない。
私は長く、毎日日記をつけている。
手帳も持っている。
カレンダーも部屋毎に貼っている。
だから、予定を書けるし現に書いているが
この間も一週間間違った日を思い込んでいた。
だから
大きなノートの大きさの日記をもらっていたのに
毎日、主なことを書き込むことにした。
アズキのこと、夫のこと、家のこと等々・・
これで、いつ何をしたか?
何をしないといけないか?を把握できる。
メモは頭には良くないのかもしれない。
メモをしないで覚えることが大事だとは思うが
それでも、書いておくことで
忘れることを防げると思う。
もし
私が若年性認知症になったら
夫は看病してくれるだろうか?
夫や娘は理解して支えてくれるだろうか?
そんなことを考えると
認知症にはなってはいけないと思える。
父も母も死ぬまでボケてなかった。
だから、私もそうありたい。
自分がわからなくなる日が
死ぬまで来ないことを願っている。
4日は立春だった。
今日の関東地方は大雪になりそうだとのこと。
都心でも4センチの積雪になるらしい。
私が住む所は瀬戸内で気候も温暖で
この数年、雪を見ることもほとんどない。
温暖化のせいかもしれないが
まさに、立春を思わす陽気の日もあった。
暦の上での春は来たが
本当にここら辺りが春になるのは
やはり、お椿さんが済んでからのことだ。
今年の椿祭りは16日、17日、18日となっている。
まさに、椿祭りは伊予路に春を呼ぶ。
立春が過ぎたから、
日差しも春のような柔らかい日差しが差し込んできている。
この間は、アズキの散歩の時
日傘をさして歩いた。
紫外線対策もしないといけない。
春よ来い、春は待ち遠しい。
玄関のお雛様も春を待っている。
私の心にも春が来るかもしれない。
笑える春
やさしく成れる春
心がふんわかする春
ああ〜本当の春を待っている。
市川團十郎さんが、亡くなった。
66才。
昨年末の中村勘三郎さんの死に続いて
歌舞伎界にとっては貴重な存在を失ってしまった。
人の死について考えさせられる。
同年代の團十郎さんの死、
死因は肺炎だといいうことだが
白血病をしたことのある人だから
免疫力が低下していたのだろう。
勘三郎さんも、喉頭癌な治っていたが
やはり免疫力の低下で肺の病気が
死を招いたことになる。
人間の命ってちょっとしたことで
呆気なくなくなってしまうのだなあ・・・
長生きしようと思っていても
人は、生まれた時に既に何歳まで生きられるか
分かっているらしい。
生きてこそのことだ。
死んでしまったらそのあとのことは
どうなるのか分からないけれど
やはり、生きてこその問題だと思う。
私は、絶対に死ぬことなどないと
子供の頃からそう信じていた母を亡くし
何か、信じるものが無くなってしまったような気がしている。
死ぬことへの恐怖心はない。
生まれた時から、人は死に向かって歩いているのだから。
それが、少し、早いか遅いかの問題だ。
今朝、團十郎sんの訃報を知ったのだが
昨夜の夢は、私自身が死ぬ夢だった。
正直言って、気持ちの良い夢ではなかったけれど
朝、目覚めて、生きているんだなあと
妙に感動をしたその後で
この團十郎さんの死を知ったから
余計に、人の死について考えてしまうのかもしれない。
生きている以上、生きなきゃならない。
同じ生きるなら心元気で生きていたい。
そして、
死ぬ時に、「ああ〜良い人生だった〜」と思える生き方をしたい。
今日は節分だ。
メル友さんから、可愛い鬼の絵手紙が届いた。
添えられた言葉は「心の鬼を払おう」
私の心の中に住む鬼を払えるかな・・
誰でも、心の中に良い心と悪い心があるのかな?
私はある。
自分でも驚くようなことを考えるのだから。
考えるだけでも罪深いことだ。
純真無垢な真っ白な心の持ち主は
もしかしたら、生まれたばかりの赤ん坊だけかもしれない。
知恵がつき、自分というものが出来上がるにつれて
心の中に鬼が住むようになるのだと思う。
そんなことはないと言い切れる人が羨ましい。
自分自身の心の中が
誰かに見られたら
きっと恥ずかしくて、恐ろしいだろう。
誰にも見えないから
自由に色々なことを考えたり思ったりするのだから。
せめて、人を憎むことや嫌いだと思う気持ちが
無くなれば良いなあ。
そして
平穏で、静かな心になれたら良い。
鬼は外!心の鬼も外!
晩ご飯にまるかじり寿司を買って来た。
今年の恵方は南南東だそうだ。
黙ってまるかじりをしよう(#^.^#)
スカーレット
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