スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次過去未来


2013年01月29日(火) これからは

何かがあるといつも思うことがある。

それは、

還暦を過ぎ、後何年生きられるか分からないから

これからは、自分が一番楽なように

楽しい気持ちで明るく生きていこうと。

でも

何かが起きたらそんな気持ちが吹っ飛んでしまって

相手を悪く思ったり

反対に自分を責めてしまったりするのだ。

贅沢をするのではないのだから

気持ちが明るくなるためなら

少々の買い物だって

食事だって

旅行だって

許されるものだと思う。

昨日は、用事があってエミフルへ行ったので

ついでに一人でぶらぶら歩き回った。

お昼は例のごとく、安くあげようと思って

うどんコーナーで

かけうどんの小とサツマイモのかき揚げ

計280円でお昼を食べた。

シミったらしいなあと思いながらも

うどんもかき揚げも美味しくて

お腹もいっぱいになり

体も温かくなったから

それで良かったと思う。

今は、冬物がバーゲン中、

殆どのものが既に売れていて

言わば、今は売れ残りしかないが

それでも、時には目玉商品に出会うことがある。

靴コーナーお見ている時

黒色で洒落たショートブーツを見つけた。

冬は膝丈のスカートを履くから

靴は膝まであるロングブーツを履く。

でも、春が近づくにつれて

長いのも今一つのような気がする。

だから、短めのブーツが足元がすっきりして良い。

迷った挙句結局買って帰った。

半額だったからとくした気分。

本当はお雛様が欲しくて行ったのだが

お雛様は買わずに帰ってしまった。

お雛様は贅沢品だ。

なくっても生活に影響はない。

私の心がほんわかするだけに過ぎない。

ドライに割り切れば

生活には全く必要ないのだから

要らないものである。

しかし

心の充実のためには

欲しいお雛様を飾るのが良い。

どうしよう・・と迷った。

もう少し考えよう。

これからの楽しい、楽な気持ちの上で生きていくなら

少々のことは気にせず

自分がやりたいことをやろう。

誰かに迷惑をかけないかぎり

それはOKだと思うから。


2013年01月28日(月) 高見盛関

昨日の、千秋楽、勝ったものの

引退を発表した高見盛関。

あのオーバーとも取れる土俵でのパフォーマンスは

観る人の圧倒的な支持を得ていた。

彼の性格がきっと人から好かれるものだったに違いない。

顔をパンパンと叩き

腕を大きく振り回し

塩を思いっきり土俵に撒くなど

見ていて豪快な仕草は

私など、たまにしか相撲を観ないものにとっても

とても元気をもらうものだった。

本当に淋しくなる。

青森県出身だというから

日本人の関取だ。

最近は日本人の横綱も居ないし

モンゴル人が上位を占めているので

高見盛関の引退は残念でたまらない。

先日、大鵬関が亡くなった。

私が子供の頃

柏鵬時代を築き相撲を盛んにしていた

大鵬は人柄も相撲取りとしての

土俵上の取り組みも技も

文句なしの人だったとのこと。

朝青龍が横綱として

相撲ファンを沸かせていたころ

彼の姿や顔を観るのが嫌で

段々相撲を観なくなっていた私にとって

外人の関取の居ない頃がとても懐かしい。

柔道にしても相撲にしても

本来大事なのは

勝つことではなく、精神だと思う。

高見盛関には、今後親方として

将来の相撲を背負って立つような

立派な関取を育てて行ってほしいと思う。

高見盛関、お疲れ様でした!

そして、有難う!!


2013年01月27日(日) 意外

意外なことを知った。

それは、高所得者の男性が

ユニクロ製品を購入することが多いということだ。

私は、ユニクロ製品を愛用している。

ヒートテック肌着は本当に暖かい。

母が健在の頃、

まだユニクロのヒートテックなど

この世に現れていなかった頃

暖かい下着と言えばフランス製のダマールの下着だった。

今ではダマールそのものが無くなった。

真冬の極寒の地でも

全く寒さを感じないというキャッチフレーズ通り

ダマールの下着を身に付けていたら

上に着るものは薄くても大丈夫だった。

冬近くになると

ダマールから通販の案内が届く。

母と一緒に買ったものだ。

値段はユニクロなど問題外なくらい高価だった。

それでも

高いだけに暖かさも他のものをしのいでいた。

ボロボロになるまで着たものだ。

今もタンスの中には新品のダマールのシャツがある。

ユニクロのヒートテック下着を着るようになって

ダマールに手を通すことがなくなった。

そんなユニクロの良さは手頃な値段だ。

今はバーゲンで冬物が安価に買える。

出始めの半額になっている。

まあ、色や柄やサイズが限られているから

買う気にはなれない。

話を元に戻すと

高所得者が何故ユニクロ製品を買うか?

それは、ユニクロのものを

お洒落として着用するのではなく

ただ単に下着や防寒のためだけに

限っているからだそうだ。

なるほどと思った。

この冬になってユニクロのセーターや

スカートを何枚も買った。

しかし、色が今一つだ。

初めは良いなあと思って買ったものの

段々嫌になってきている。

卷スカートは重宝しているから

これは買って正解だった。

私のように低所得者のためにあると思っている

ユニクロが高所得者も購入していることに

改めて何かを感じる。

それは、日本人が中国嫌いと言いながらも

中国製のものを使わざるを得なくなっている悲しさだ。

私の友人はユニクロ製品は買わないと断言した。

尖閣を中国のものだと

この前中国で反日運動が起きた時に

ユニクロの店主が店に

そう書いて貼ったことを知ってから

絶対に買わない、着ないとのこと。

ここまで徹底して中国を嫌う友人に

拍手!

でも、悲しいかな・・私は今日も

上から下までユニクロ尽くめ。




2013年01月26日(土) お雛様

昔から、一月は行く、二月は逃げる、三月は去ると言われているが

今日は1月26日、この間お正月を迎えたと思っていたら

もう、一月も終わろうとしている。

玄関に飾ってあったお正月飾りや羽子板を除けた。

そして

お雛様とお内裏様を飾った。

娘の初節句に実家の両親が買ってくれた

七段飾りのお雛様は

娘が成長するにつれて出すことも無くなり

箱の中にしまったまま十年以上の年月が経った。

衣装も綺麗で、お顔も優しくて素敵なお雛様を

私が住み始めた実家の玄関に飾り始めて三年になる。

お雛様を出しながら

いつの間にか「灯りをつけましょぼんぼりに・・♪」を

口ずさんていた。

緋毛氈を敷きその上にお内裏様とお雛様を並べた。

私が描いて母に出したお雛様の絵手紙も一緒に飾った。

玄関の真正面の壁の飾り棚には

吊るし雛と小さなお雛様を数種類飾った。

やはり良い。

女の人は何歳になっても

お雛様を飾るのが嬉しいものだ。

私が今、エミフルのお店で見つけている

陶芸のお雛様を買おうかどうしようかと迷っている。

今のままでも十分楽しめるけれど

あの可愛いお雛様が増えたらきっと楽しいだろうなあと思う。

娘が結婚して、女の子が生まれたら

娘の祖父母が買ってくれた

七段飾りのお雛様を持たそうかと思っている。

それとも、娘が気に入りそうな

お雛様を買ってやろうかな?

なんて、まだどんなことになるか分からないことを

色々想像して楽しんでいる私が居る。

4月3日まで、我が家の玄関が華やかになる。


2013年01月25日(金) 猫について

正直言って猫は苦手だ。

娘が大学生の頃に可愛がっていた野良猫を

社会人になってから引っ越した家に連れて帰り

一緒に暮らし始めて

私も数回顔を会わせた。

今の家にもこの間、お正月に連れて帰っていた。

でも、何か、苦手だと思っていた。

その点

アズキはわかりやすい。

表情や動きで言いたいことが分かる。

猫も表情や仕草で娘には気持ちが分かるみたいだが

私にはまだ理解出来にくい。

そんな猫だけれど

病気だと聞けば可哀想で涙が出た。

娘の猫ではない。

でも、二年後には共に暮らす予定の猫。

どうも、猫エイズだというのだ。

野良猫時代にかかったみたい。

幸い、娘の猫は検査しても大丈夫だった。

どんな症状なのか?

口内炎が治りにくいとか毛並みが悪いとか言っていた。

もし、その猫と娘の猫が喧嘩をして

爪で傷を作り

血液から感染する可能性もある。

だから、一緒に生活させるのは止めた方が良いと

娘に言っておいた。

子猫は本や写真で見ると本当に可愛い。

犬とはまた違った可愛さがある。

動きもゆったりしていて

とても癒されるとのこと。

それは分かる。

でも、犬と猫のどちらを飼うか?と聞かれたら

即、犬と答える私だ。

昨日、娘と久しぶりに電話で話をしたが

この猫の話を長い間話していた。

その電話口では

娘の猫のみゃあみゃあと鳴く声が聞こえていた。

返事をするから可愛いと言えば可愛いし

嫌いではなくなったのは確かだ。


2013年01月24日(木) 不安

昨日の夜からとても気になることがあって

朝からやはりずっと気になっていて

親友に相談して

やっと安心することが出来た。

何か意味も原因も分からないことが起きたのだ。

書くのも不安なのでここには書かないけれど

昔にはきっと起きることのないことで

現代社会だからこそ、起き得ることが起きたとだけ書く。

これからも、同じようなことが起きるかもしれないから

注意しようと改めて思った。

不安がまったくなくなったとは言えない。

ひと月後にははっきりする。

それでも、今の段階での処置はした。

今夜は安心して寝よう。


2013年01月23日(水) 心が震える思い

心が震えるほど、感動できた幸せを感じている。

これほど、人の心を動かす作品はないのではないだろうか?

ラッセル・クロウのファンになったきっかけは

11年前に日本で公開された

「ビューティフル・マインド」だった。

アカデミー賞では作品賞、監督賞、助演女優賞、脚色賞を受賞し、

ゴールデングローブ賞では作品賞(ドラマ部門)、

脚本賞、主演男優賞、助演女優賞を受賞した。

5回観に行った。

それ以来、彼の主演作品を探しては

DVDで観続けたものだ。

そして、

昨日、ラッセル・クロウが出演する

映画「レ・ミゼラブル」を観てきた。

感動!感動!感動!涙・・涙・涙の3時間だった。

原作を読んでいるので、物語は分かっていたが、

何といっても、歌が素晴らしい。

ヒュー・ジャックマン、ラッセル・クロウ、

そしてアン・ハサウェイの歌声は

声楽家であると思えるほど、

素晴らしかった。

ミュージカル映画だったから、

余計に感情移入が出来たのかもしれない。

もし、ただのセリフでの進行だったら、

感動は少なかったのではないだろうか。

マリウスに恋してそれが叶わず、

それでも愛し続けたエポニーヌが

撃たれて死ぬシーンから私は泣き続けてしまった。

正義と罪、そして、愛。

ジャン・バルジャンを悪から救ったのも司教の愛であり、

ジャベールを最後に人間にしたのも、

バルジャンの愛なのだと思う。

正に「愛とは生きる力」であることを痛感した。

私にとって最高の映画だった。

もう一度観に行きたいと思った。

ジャベールはラッセル・クロウでは

悪が出し切れない気もしたけど、

彼のファンとしては、彼の歌声(甘い声)に酔いしれた。

本当に素晴らしい映画だった。

涙が出て止まらなくて、

ハンカチを握り締め、

目にやり、化粧が崩れるのも構わず泣いてしまった。

今もまだ、余韻にひたっているという感じがする。

本当に素晴らしい、感動、感動、感動の映画だった。

心が震える映画に出会えた幸せを感じている。

感動の映画って

ただ「素晴らしい」という言葉しかない。


2013年01月22日(火) 不死身?

やはり、私は親友がいつも言うように

「不死身」なのだろうか。

昨日の夕方、アズキの散歩に行く頃から

何か、いつもとは体調が違うなあと感じていた。

夜になって背中がゾクゾクしてきた。

熱っぽい気がする。

これは、風邪だと思った。

私は一年と通して風邪をひくことがほとんどない。

この数年、寝込んだこともない。

何故だか、分からないけれど

きっと心臓が悪くなかったら

私はとても健康体なのだろう。

少々のことでは寝込まない。

親友の方がもしかしたら私よりも虚弱ではないかと

思うこともしばしばある。

今回のこの風邪騒動もどうやら不発に終わりそうだ。

やはり

私は不死身なのだろう。

笑ってしまう。

親類の人は

父や母が守ってくれているから

私が元気なのだと言う。

そうかもしれない。

こうして

父と母の仏壇の前で過ごしている私は

両親が亡くなった後も

きっと見守られ、実際に守られているのだと思う。

心から有難いと思う。

「母ちゃん、父ちゃん、有難う!」


2013年01月21日(月) スナック菓子

元々、間食はしない。

食事は同じ時間に食べる。

食事の時間は最低6時間は空ける。

その間

余程、喉が乾けば何か飲みものを飲むが

固形物は食べない。

そんな私が

スナック菓子を食べて

その美味しさに驚いている。

ある人から

カルビーのスナック菓子をもらった。

それは、福引きの残念賞に使われる

小さな袋のものだ。

6個もらった。

仏壇に供えていたが

お昼前になって

お腹が空いたので

袋を開けて食べてみた。

ちょっと脂っこいかな?と感じたけれど

軽い食感で

お腹にももたれそうもなくて

次から次と手が出てしまって

あっという間に食べてしまった。

子供がこういうスナック菓子を食べるのが分かる。

夫は小さい頃、かっぱえびせんが好きだった。

私も好きだった。

たまに食べることもあったが

最近はご無沙汰している。

スナック菓子は軽いからついつい食べてしまうが

結構カロリーは高い。

お菓子よりもきちんとした食事をする方が良い。

私は何か変で

家でひとりで食事をする時は

どうでも良いみたいな考えがあって

まともなものを食べない。

パンを焼いてすますことも多い。

外食した時には主食も副食も食べるから

一緒に行く親友に不思議がられる。

その理由は自分でも説明できない。

何となく、家できちんとした食事をしたくないのだ。

勿論、夫の食事は栄養も考え

まともなものを作る。

でも

私の分を作るのが嫌なのだ。

わがままなのだろうか・・・

さっきも、そのスナック菓子をつまんだら

お昼前になっても

重いものは食べたくない。

もうスナック菓子を食べるのはやめよう。

勿論、買って来て食べることなどするのはやめよう。

でも、それにしても、美味しかった(#^.^#)


2013年01月20日(日) 眠れなかった

今朝は3時に起床した。

昨夜は「野良犬」を見ていたので

寝たのが24時前、

結局3時間ほどしか寝ていない。

私は普段から睡眠時間は少ないが

きっと、今日は日中眠くなると思う(#^.^#)

私の周りには

夜寝る前に安定剤を飲む人が多い。

その人たちに言ったことがある。

「眠れないとしてもいつかは眠れるから

なるべくは薬を飲まない方が良いのでは?」と。

しかし、それは要らぬお節介だったようだ。

誰も薬に頼りたくはないだろう。

眠れないのは体にもひびくし、辛いから

薬を飲んで、飲んだという安心感の下で

眠れるようになるのだと思うから

言葉の通り安定剤の役目をしていることになる。

嘗て、娘が生まれる前

私は薬がないと不安で仕方なく

食後の胃薬と寝る前の睡眠薬は

必需品だった。

自分でも飲まないようにしようと思いながら

やはり、飲まないと眠れないし胃薬の場合は消化しないと

思い込んでいた。

それが、娘が生まれ、子育てを始めて

胃薬も睡眠薬も全て飲まなくなった。

飲まなくても、眠れるようになったし

食べたものが消化するようになって

胃の不調も無くなった。

これって、結局、全て精神的なものだったのだ。

だから、

最近では少々胃が悪い時でも

眠れなくっても気にしないようにしている。

つまりは気持ちの持ちようなのだから。

というわけで

朝早くの書き込みとなった(*´д`*)


2013年01月19日(土) 男前アイロン

今日の産経新聞の家庭欄の

「きのうきょう」に

私の拙文「男前アイロン」が掲載された。

私は家事の中で、アイロンかけが一番の苦手。

そうかと言って夫のワイシャツをクリーニングに出す余裕もない。

だから、毎日洗濯し乾いたものをアイロンがけしている。

7年前に亡くなった私の父は

アイロンがけにはこだわる人で、

母に一切させたことがなかった。

それも、

襟や袖口にスプレーのりを吹つけ、

ピンとさせていた。

自分でやらないと気がすまなかったのだろう。

そんな、父が今生きていたら、

この「男前アイロン」をプレゼントしたかった。

そんな思いで投稿したのが下記だ。

「男前アイロン」

テレビを見ていたら、

今、男性が自分のワイシャツやズボンに

アイロンをかける人が多くなったと言っていた。

男性用のアイロンも登場し、

ネーミングも洒落ていた。

形や色にこだわり、

立ち上がりの早さやスチームの強さ、

持続性等、性能もアップしていると言う。

アイロン掛けは女性にとっては家事の一つだが、

男性は趣味として結構楽しんでいるようだ。

私は、毎朝、

夫のワイシャツやハンカチにアイロンをかけているが、

正直苦手で出来たらやりたくない。

それに比べて、

7年前に亡くなった実家の父は、

アイロン掛けが得意で、

自分のものを母に任せたことがなかった。

まるでクリーニング屋さんに出したみたいに、

襟はピンと糊付けされ

シワもなく綺麗に仕上げていた。

今になって、

父にアイロン掛けのコツを教えてもらっていたら良かったと思う。

男性用アイロンを買って来て、夫にアイロンを掛けてもらおうかなあ。


2013年01月17日(木) 最低のことを教えるということ

ああ〜ストレスだ。

今朝もそんなことが起きた。

夫はああそうだねといいう言葉がない人だ。

小さなことでもそう。

今朝、起きたことは

昨夜、夫が仕事から帰宅し

ワイシャツや下着を洗濯したのだが

その時にハンカチがなかった。

その前の日も同じで

朝になって私が見つけて

改めて洗うのだ。

いくら手洗いだと言っても

洗剤も要るし、脱水だけするから電気代もかかる。

夜、出す時に一緒に出せば一度で済む。

これって細かいことだからいいじゃないかと言われるかもしれない。

しかし、

夫に、一緒に出してと言ったら

「まとめて洗えば良い」という返事が返ってきた。

普通、「ごめん、出すのを忘れていた、これからは気をつける」と

言うだろう。

「まとめて洗えば良い」は理屈には通るが

それを屁理屈と言う。

そんなものじゃない。

また

夫は、挨拶が出来ない人だから

まるで三歳児に教えるように

いちいち言わなければならない。

朝起きたら「おはよう」

ご飯を食べる時は「いだだきます」

済んだら「ごちそうさま」

仕事に出かける時は「行ってきます」

帰ったら「ただいま」

寝る時は「おやすみなさい」

最低の挨拶だ。

これでは親の資格がない。

そのことを夫に言った。

私にはとてもストレスになっているとも言った。

しかし

夫は何も言わずに出ていった。

ああ〜腹が立つより情けない。

夫の親が教えなかったか

挨拶などどうでも良いという考えだったのか・・・

最低の挨拶は必要だ。

別におべんちゃらをいう必要はない。

愛想を振りまく必要もない。

ただ、

一緒に生活しているのなら

相手が居るのだから

挨拶くらいしろと言いたい。

最低のことを、55才を過ぎた男に

言う立場の私の方が

たまったものではない。


2013年01月16日(水) 心が様子に

私って本当にわかりやすい人なんだ・・・

今日も、一緒にお昼を食べた人に

帰宅してから電話をもらって

「元気がなかったけど、何処か悪いの?」と聞かれた。

今日のお昼の時に、そんな素振りを見せたつもりはない。

普通に話をしたし、笑いもした。

でも、私のこの所の心が

相手にも伝わったみたいだ。

この話を、親友に話た。

この間、ランチをした時に

やはり、今日のような私だったみたいで

あの時もいつものエネルギッシュな私ではなかったと言われた。

いつもの・・なんて、いつもはどんなんだ!(#^.^#)

確かに、夫との関係がうまく行っている時は

何をするにしても安心だし

何の心配もないからお喋り自体も楽しい。

しかし

最近のように、心に澱がたまっているような時は

心が晴れることもなく

ついつい考えてしまうから

それが私の言動に出てしまうのだろう。

気をつけないといけない。

相手に心配をさせてしまうから。

心は隠して、良い面だけを見せていこう。

なんて、私には至難の技かも?


2013年01月15日(火) 連休が嫌いな理由

成人の日までの土日月の三連休が終わった。

さっき、夫が仕事に行きホッとしている。

私は悪妻なのか?

夫が三日間、一度も家を出ることなく

そうかと言って話もしないで

食事の時だけ二階から降りてきて

約1時間テレビを見ながら食べ

その後はまた二階へ上がって

何をしているのかは知らないけれど

じっと部屋にこもっていた。

鬱陶しい。

「亭主元気で留守が良い」

この言葉は冷淡でとんでもない妻の言葉に聞こえるが

私も正直その通りと言いたい。

夫と一緒の部屋の空気を吸うだけで

息が詰まりそうだ。

考えてみて。

ただ、黙ってテレビを見ながら食べる夫の姿を。

たまったものではない。

そして

今朝、決定的なことが起きた。

私は6時にひとりで朝食を済ませる。

夫はその日の気分で

6時半に起きてきたり

8時過ぎでも起きてこなかったりする。

これも、イライラする原因でもある。

同じ時間に何で起きないの?と思う。

今朝は、仕事もあるから早いだろうなあと思っていたら

案の定6時半に起きてきた。

私はまだ化粧をしていた。

その横で黙って食べるのだ。

朝、起きてきたから私がおはようと言っても

返事はない。

お前はものが言えないのか!と心の中でつっこんだ。

もちろん、いただきますもご馳走様も言わない。

私は何処でもひとりでもいただきますとご馳走様とは

手を合せて口に出す。

外食している時も同じだ。

自然に口に出る。

しかし

夫は言ったことがない。

私が作る食事がご馳走ではないから

いただきますもご馳走様もないのだろう。

まあ、それは良い。

本当は良いことはないがこの際いいことにしよう。

食べ終わったので

食器を洗おうと思って

トレーに乗せた食器をそのまま私が運ぼうとした。

食事は終わり薬も飲んでいた。

途中で下げたのでは決してない。

それなのに、ハアーとため息をついたのだ。

これで、私は完全に切れた。

自分の心の中で何かが終わった。

夫の存在は私にとって生活の手段のみだと思った。

離婚したら食べていけない。

だから、気持ちはなくても一緒に居るだけの人だ。

今までも何かが起きる度に

そう思っては来たが

昨年から今年にかけて

色々なことがあったから

やはりという思いと

これで良いという思いが

複雑に私の心の中で混じり合い

今朝、割り切ることにしようと思えたのだ。

会話もない夫婦

心の通わない夫と妻。

一緒に居る理由なんて何もない夫婦。

情けないことだ。

三年前から夫の看護や看病ばかりしてきたけれど

あれって何だったのだろう。

私の存在価値って何なのだろう。

鬱々となる原因は夫のこと。

昨年の今頃から

夫は入退院を繰り返し

私は多忙な中で一生けん命にやってきた。

でも、

もう嫌だ。

夫のためには何もしたくない。

ただ、生活の手段として

私は最低のことはするが

それ以上の夫への心配や心遣いは止める。

私には私の人生があるのだから。

後何年生きられるか分からないのに

こんなつまらないことで

自分の心を暗くしたくない。

私は私の道を歩いていこう。

以上が連休が嫌いな理由だ。




2013年01月13日(日) 肝に銘じて

昨日の一件は解決した。

それも、相手の大きな心、つまり寛容さが

私の心を楽にしてくれたということだ。

情けない気持ちや恥ずかしい気持ちは依然残っている。

人間には勘違いや思い込みはある。

そして、その勘違いや思い込みによって

人とのトラブルや争いが起きるのだ。

もしかして

昨日の一件の相手が

違う人だったとしたら

今日のように安心した気持ちになっていなかったかもしれない。

相手の人に心から感謝している。

そして

二度と、同じ過ちを繰り返さないようにしたいと

強く思っている。

話は違うが

私の毎日の暮らし方が

今は既に家を出た娘や

共に暮らす夫を変えてしまった気がするのだ。

それは

私が私の気が済まないから

色んなことをしすぎて

言わば、至れり尽くせりをするものだから

夫も娘も自分が自分の頭で考えて

行動することがなくなってしまった気がするのだ。

勿論

二人とも私より知能は優秀だから

知識も考え方も私より勝っている。

ただ、家のこと、毎日の暮らしの中での

細々とした点

例えば、掃除や炊事や片付け等

全て、私の指示通りしていたから

自分で考え決め行うということができなくなっている。

今日も

私は勉強会等で昼も、もしかしたら夜も居ないかもしれない。

だから

夫のお昼ご飯も晩ご飯も作った。

昼はオムライスランチ

夜はおでんを煮込んだ。

そして

ここに何がある、これはどうすれば良い

アズキのご飯のことまで

メモに書いて置いている始末だ。

夫も、私が何も指示しなくてもできるかもしれない。

私が不安だから指示しているだけのこと。

こういうことをずっとしてきたから

夫も娘も私のいうことに従って居れば

楽だったのだろう

指示待ち人間になってしまった。

心を鬼にして

私が何も言わなかったら

きっとどうにかできるのだろう。

昼も夜もご飯を用意していなかったら

赤ちゃんではないのだから

お腹が空けばなんとかしているはずだ。

もうそろそろ本当に任せてみようかと思う。

でないと、私は自分で自分を縛ることになる。

しんどい。

この点も肝に銘じないといけないと

書きながら改めて思っている次第。


2013年01月12日(土) 落ち込み

自分が嫌になった。

本当に生きているのが嫌になるほど

落ち込んでしまった。

何で私はこうなのだろう?

自己嫌悪でいっぱいだ。

きちんとした事実関係を確かめることをしないで

自分の思い込みで相手を責めてしまったのだ。

反対の立場だったら

私は怒るだろうし

二度と話もしたくないと思うに違いない。

もっと、物事を把握し

確かめ、間違いないことが分かってから

行動すべきだった。

本当に申し訳ない。

反省している。

二度と、同じ間違いをしないようにしよう。

本当に嫌になる。

生きていく価値がない人間に成り下がってしまった。

あああ〜〜〜嫌になる。


2013年01月11日(金) 向き不向き

どんなことでも誰にでも向き不向きってあると思う。

私には何が向いているのだろう?

今まで、色んなことに挑戦してきたけれど

長続きしない私は

きっと根気がない情けない人間なのだと思う。

同じことを長く続けることは

それだけでとても価値がある。

続けているうちに

初めは大したことがなくても

きっと本物になる。

どんな小さなことでも良い、

誰からも褒められなくても良い、

ずっと続けていけることがある人を尊敬する。

私には何もない。

たった一つあるのは

アズキの散歩をしながら聴く

エブリディ・イングリッシュ。

それでも、ただ、聞き流して歩いているだけだから

これで英会話が上達することなど絶対に不可能だ。

ああ〜本当に情けない。

何かできるだろうに。

何で長続きしないのだろう。

あれもちょこっとかじり

これもちょっとだけかじり

結局、そのまま放置してしまう私。

この年になっても

多分、生きがいとか生きる目的とかが

見つからないから分からないのだと思う。

今年も始まったというのに

毎日ダラダラと暮らす日々。

しっかりしなきゃ!

向き不向きなんて考えないで

何でもやってみたら良いのに。

そうすれば

自信もつくだろう。

良い循環が始まるかもしれない。

何かやろうにも色々考えると躊躇ってしまう。

否、これは出来ない理由にしているのかも?


2013年01月08日(火) アズキのトリミング

今日は午前中、アズキのトリミングに行ってきた。

アズキ本人は別にどうでも良いことなのだろうけれど

飼い主としては毛も伸び放題

シャンプーもしないままなんてとんでもないことだ。

年末に綺麗にしてやれば良かったのに

中途半端な状態でお正月を迎えさせてしまった。

本来、ポメラニアンは毛も長くふさふさしていて

それがまたポメラニアンの特徴でもあるのだけど

短い毛が好きな私は

真冬の1月の今日のカットも

豆柴のように短くしてもらった。

飼い主の自己満足か(#^.^#)

アズキのトリミング代金は

私が数ヶ月に一度行くカット代より高い。

アズキを飼い始めて余計に私が美容院へ行く回数が減った。

私は自分で髪染めもし

前や横の髪ならカットもする。

あまり変にはならないから

長くて3ヶ月は美容院に行かなくて済むのだ。

でも、アズキはシャンプーをしないといけないし

爪も切ってやらないと。

耳掃除から肛門の掃除

何から何までしてくれるから

少々値段が高くても仕方ないと思う。

アズキはきっと緊張していたのだろう、

連れて帰っておやつを食べた後は

南に面した部屋の一等の場所で

ウトウト昼寝をしている。

ああ〜羨ましいなあ・・

たまに、アズキと代わってみたいなんて思うこともある。

今朝はトリミングのために散歩に行けなかったから

午後2時頃には連れていこう。


2013年01月06日(日) 6日

お正月を迎えたと思っていたら

もう今日は6日だ。

明日は7日、七草粥を食べる日。

何だか年明け後も

毎日がバタバタと過ぎている。

そして

私の心も時計の振り子のように

あっちに揺れこっちに戻りと

幅を持って揺れ動いている。

原因は分かっている。

気持ちが暗くなるのも

鬱々となるのも原因は同じだ。

61才になり

残りの年数を考えると

ここで、自分自身の人生を取り戻さないといけないと思う。

ああ〜本当に憂鬱。

何もしたくない

何も考えたくない

誰にも分からないだろうけど

私にとって大きな暗い問題が

いつも私の前に壁となって存在している。

この壁をどうにかして取り除けたい。

6日が7日に、7日が8日に・・・

何もしないでいたらあっという間に1月が過ぎてしまう。


2013年01月03日(木) 娘が居たお正月

31日から帰省していた娘が

今日の午後4時半過ぎに帰って行った。

こちらに戻る時は31日だったこともあって

フェリーの切符も買えたようだが

今日・3日はUターンラッシュということもあり

予定していた今日のフェリーは

車の予約がいっぱいで取れなかった。

だから、初めてひとりで高速を運転して帰ることになった。

正直心配でたまらない。

運転免許は取って4年になるけれど

実際に車を運転し始めたのは昨年の4月からだ。

そして、自分の車を買った。

二ヶ月前からは毎日通勤で乗っているとは言え

全く走ったことのない道

それもしまなみ街道を通って帰るのは

やめて欲しかった。

でも、明日は宿直なので

朝一番のフェリーで帰るのは寝る時間があまりなくて

辛いし、今日中に帰っていたいといいうので

仕方なく見送った。

家を出てから3時間は経った。

渋滞していたら3時間では帰れないかもしれない。

無事に着いたら連絡するように言っているが

なんだか心配でたまらない。

娘の方が平気みたいだったから

私とは性格も違うのだなあと思ったりした。

無事帰ったよというメールなり電話を心待ちしている状態だ。

娘が居たお正月はやはり楽しかった。

猫も一緒に帰って来ていたから

床の間のふすまや柱が

爪とぎのために傷がいっているし

もし、父や母が生きていたら怒るだろうなあ・・と思うが

それでも、機嫌良く楽しく過ごしてくれて良かった。

お節料理も喜んで食べてくれた。

今日は午前中から夫と娘と3人で

エミフルへ行き、娘の買い物に付き合い

お昼もサンタサンタで食べることが出来た。

三日間はあっというまに過ぎた気がする。

今はこうして落ち着いた時間を持つことができるし

また、静かな生活に慣れてくるのだろうけれど

今夜は何か淋しくてたまらない。

娘が無事に帰宅できるようにと祈りながら

連絡を待っている。

追加:20時43分、無事着いたと電話があった。

良かった!

これで、安心して眠ることができる(#^.^#)


2013年01月01日(火) 迎春

皆様、明けましておめでとうございます。

今朝は午前7時に起床。

最近の私にとってとても寝坊した気持ちがする。

お天気は曇、時々晴れ間が見える。

国旗掲揚をして仏壇と神棚のお水やお花の水を代え

手を合せ、また柏手を打ち、今年一年の無事を祈った。

8時に夫と娘が起きてきた。

お雑煮と私が作ったお節を並べて

皆でおめでとうと挨拶して新年を祝った。

私は毎朝、トーストと牛乳とフルーツヨーグルトを食べるので

こうして、ご飯の朝食は一年に一度

正月だけだ。

お餅が苦手だから

私だけお餅の入っていないお雑煮を用意した。

年賀メールを夜中日付の変わる時に打っていたが

その返事が来た。

京都へ行って初詣した人、

夜中に初詣に行った人など

有難いことだ。

今年は夫が寝込むことなく

元気で過ごしてもらいたいとこころからそう思う。

そして

アズキも病気をしないで元気で遊んでほしい。

私も忙しい時間を作って休むことをしよう。

おひさまがあたたかい日差しをくれている。

二度寝した夫や娘が起きたら

アズキをつれて4人で初詣に行こう。

今年一年がいい年になりますように!

今年もよろしくおねがいいたします。


スカーレット