スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次過去未来


2012年10月30日(火) 美容院へ

今日、三ヶ月ちょっとぶりに美容院へ行ってきた。

この二ヶ月は、色々とあったから

美容院へ行って綺麗にしてもらおうという余裕もなかった。

本当なら、21日の講演会の前に行くことにしていたが

気持ち的に落ち着かなかったので

延ばし延ばしにしてしまっていた。

昨日は、月曜日なので

美容院休みだ。

私がこの数十年通っている美容院も

月曜日が休みだ。

予約制になっているから

本当は日曜日に電話して予約しないといけなかった。

でも、今朝、開店前に電話をして予約を取った。

休み明けだから混んでいるだろうと思っていたら

案外空いていて、10時に行った時は

誰もお客が居なかった。

この美容院はアットホームな感じで

先生も奥さんも、気の置けない人だ。

三ヶ月以上行っていなかったので

8月のお施餓鬼の時に車を置かせてもらった御礼に

ハタダのどら焼きをお土産に持って行った。

そして

元気でしたか?と聞かれたので

夫と義母の話をした。

私が案外元気ですねと言ってくれた。

やはり人の目にはそう映るのだろう。

それならそれで良しとしよう。

さて、

今回のカットは、先生にお任せスタイルで行った。

まあなんとかすっきりはしたけれど

もう少し前下がりの部分を長くしていて欲しかった。

それにしても、

3ヶ月に一度しか行かない美容院、

今度からは2箇月に一度行ってみよう。


2012年10月29日(月) 目が段々と

最近、特に老眼がひどくなった。

以前は、メガネをかけなくても

新聞や本など、明るい所では読めていたのに

この頃は、メガネなしでは何を書いているのか

全然わからない時が多くなった。

何処かへ出かける時も

メガネを持って行っていなかったら

とても不安になる。

本を読むのも疲れる。

大体、初めからメガネは嫌いだ。

化粧していても鼻の付け根の部分に

メガネが当たるから化粧が禿げる。

その部分だけ禿げるからよけいにおかしくなる。

外出する時にできるだけメガネをかけないで済むと良い。

家に居ても

洗顔する前や、夜寝る前は

メガネを平気でかけることができるが

日中、それも夏などメガネをかけるのがとても嫌だ。

パソコンも、画面の文字を125パーセントにして

やっと読める。

100パーセントだと苦しい。

近眼の人は老眼にならないとか。

夫も姉も近くのものを見る時は

メガネなしで見ている。

羨ましい限りだ。

それに

最近は遠くのものを見るのも見えにくくなった。

遠視と乱視と近視が入り交じったみたいで

遠くを見る時のメガネも作っている。

かけてみるとはっきり見えるが

かけなれない私にとって

このメガネは無用の長物だ。

視力回復にはブルーベリーが良いと聞く。

錠剤もあるようだ。

飲んでみようかと思ったこともあるが

目を酷使しないように気をつけて

これ以上老眼が進まないようにしたい。

パソコンをする時は裸眼でできていたのに

今も老眼鏡をかけている。

ああ〜年は取りたくないな・・・

白髪と老眼が一番きつかった。

いつまでも気持ちが若いつもりでも

老化はすすんでいる。

年を取るということが自然だ。

アンチエイジングは何か強がっているような気がする。

それでも、これ以上老化したくないと思うのは

私の勝手な気持ちなのかな?

目が疲れた・・


2012年10月28日(日) 終わったと思ったら

先週の日曜日が、谷田川先生の講演会だった。

この一週間がとても早く経った気がする。

講演会が終わってほっとして

当分は何も考えないようにしようと思っていたのに

私ったら、次の講演会の計画を立てている。

まだ仲間たちには話していない。

でも、きっと賛成してくれるに違いないと思っている。

時期的には来春を考えている。

講師の予定もあるし

早目にお願いして、その日を空けてもらう必要もあるから

役員たちに話して、日にちだけでも押さえたい。

何で、こんなに必死になるのか?

自分でも不思議でたまらない。

別に焦っているわけではない。

誰かと競争しているわけでもない。

そもそも、競争する必要性も理由もないのだから。

愛媛県としてはのんびりしていけば良いと思う。

ただ、今回の講演会が成功したから

少し、私に自信が出来たのかもしれない。

思い上がっているのではない。

でも、仲間たちからも喜んでもらえた。

次回の講演会は、また違う意味で皆に喜んでもらえる気がする。

私ひとりで決めるわけにもいかないから

今日のチラシ配布が終わった後で

仲間たちに話してみようと思う。

今日は、先日の講演会で配布した

チャンネル桜と頑張れ日本!とパブリックコメントのチラシが

計200枚ほど余っているので

5人で手分けして配布する予定だ。

10月ももうすぐ終わる。

夫も来月半ばからは仕事復帰の予定だ。

義母も来月初めには退院予定だ。

真っ暗だったトンネルの中に

一筋の光が差してきて

私が歩く方向を照らしてくれている。

私も一歩ずつ前進しよう。

姉や親友がこんな私を知ったら

呆れるだろうなあ・・

終わったと思ったらもう?なんて言われそう(#^.^#)


2012年10月26日(金) 頑張ろう

お腹の痛みは小康状態を保っている。

完全ではないが、あの時のような痛みは襲って来ない。

痛みのない、普通の状態が

本来は当たり前なのに

こんなにも有難く感じるなんて

やはり、病気になって初めて気付くことなのだろう。

今日は、夫と二人で義母の所へ行った。

義母は、松葉杖をつかず

杖だけで歩くリハビリをしている。

まだ、単独の歩行は許されていないみたいだが

段々、杖をついて歩くことに慣れれば

寝たきりにならないで済むから

これも本当に有難い。

夫は退院する時の診断書で

11月1日から仕事復帰することになっていた。

そんなに短くて良いの?大丈夫なの?

疑問に思う私も夫にはなかなか言い出せなかった。

でも、夫が自身のことを分かるはずだ。

傍目では、仕事などまだまだできるわけないだろうと

皆、口には出さないけど

何か言いたいに違いない。

というわけで

夫の仕事復帰の日にちが延長になった。

今日診断書をもらいに行ってきた。

これで、夫も20日ほど耐えてくれれば良い。

もしかして、それが怖いようでも力になるのかな・・


2012年10月23日(火) 講演会は盛況のうちに終了、でも・・

日曜日の講演会は

思ったより多くの人たちが参加してくれて

盛況のうちに終了した。

当日は朝から緊張もしたし

本当に忙しく大変だった。

帰宅してから、準備物や講演会で使ったものの

後片付けがあり、夜中までかかった。

寝たのは午前2時半だった。

終了してホッとした気持ちが

体調にも影響したのか

昨日の夕方からお腹が痛くなった。

なんとか晩ご飯は食べたのだが

直ぐに猛烈な痛みが襲ってきた。

脂汗がダラダラで出して

呼吸がとても荒くなり

両手の手首から先がジンジンと痺れて

まるで胃か腸が破裂するのではないかと思うほど

表現出来ない位の痛みが続いた。

二階に上がっていた夫を必死で呼んだ。

夫が救急車を呼ぼうか?と言ったが

痛みの中で、私がもしこのまま入院ということになったら

夫は、義母は、アズキはどうなるのか?

意識でも無くなれば別だけれど

しばらく様子をみるからと夫に言った。

夫が洗濯物を干してくれた。

私が痛みで倒れたのは玄関の廊下。

洗髪していた私が

乾かないうちに寝るなんてことはしない。

でも、昨日はそれどころではなかった。

髪がどうなろうと

どうでもいい、

早く、この痛みがおさまってくれることを

心の中で祈りながら

痛みに耐えた。

痛みは1時間半続いた。

少しずつ痛みが緩やかになって

やっと起きることが出来てベッドに移動。

廊下の上で倒れたまま時を過ごしたのだ。

そして

今朝は6時過ぎまで寝ていた。

やはり、お腹は痛む。

それでも、朝食の準備をし

いつものトーストとフルーツヨーグルトを食べた。

しかし、

やはり痛みが来た。

昨夜と同じ痛みだった。

時間は20分と短っかったけれど

苦しかった。

そして、日中も同じで

痛みは続いた。

でも、少しはまし。

夫を県病院へ連れていき

義母の病院へも行き

夫のお昼ご飯に付き合い、

夜はなんとかパンを二枚焼いて食べた。

今は、楽になっている。

あの痛みはどこから来たのだろう。

もし、大腸がんか胃がんになっていても

私は治療はしないと決めている。

だから、診断もされたくない。

夫は検査してもらった方が良いと言った。

また今度同じ症状が出たら

その時はその時だ。

今は落ち着いている。

痛みがなくなると本当に楽だ。

このまま、落ち着いてくれることを祈る。


2012年10月20日(土) 体重変化

9月の初めに、義母と夫が入院し

二つの病院の掛け持ちをしながら

毎日を忙しく過ごしていた私は

夕食は、ひとりなので簡単に

トーストとサラダで済ます日々が続いていた。

せめて、お昼くらいはしっかり食べようと

ひとりでも美味しい店に入ってランチをしたり

夫の病院の地下にある食堂で

野菜たっぷりの野菜炒め定食や

バイキングを食べていた。

その御陰か

忙しく動き回っていたにも関わらず

体重は少し増えて

39キロになっていた。

夫が退院し、今は義母の病院へ行くだけになった。

そして、夫の三度の食事を作るようになった。

夫の献立は塩分控えめの特別なもので

正直美味しい味つけはなかなかできない。

夫の食事を作って、それ以外に私の食事の用意を

する気持ちになれなくて

今もまだ、トーストの世界が続いている。

夫が家に居るようになって

美味しいランチも食べる機会が減った、

たまに、夫と義母の病院の帰りに

どこかでお昼を食べることもあるが

ひとりでランチをしていた頃の方が

私の好きなものをゆっくりと食べることが出来ていた。

そのためか

2キロ近く増えていた体重が

また、元に戻ってしまったみたいだ。

アズキの体重を計るために

私がひとりで体重を計り

その後で、アズキを抱いて体重計の上に乗る。

私の体重を引いたらアズキの体重が出るので

毎日計っていることになる。

体重って日によって変わる。

アズキも同じだ。

あまり神経質になっては駄目だと思うが

どうしても体重の変化が気になる。

いっそ、計るのをやめようかと思うこともあるが

習慣になっているので、仕方ない。

晩ご飯があまり食べられないのだから

せめて、昼をしっかり食べよう。

元々、お菓子類の間食はしないが

我が家にはお菓子などが全く置いていない。

あるのは、仏壇に供えている

父と母の好きなお菓子だ。

食欲の秋到来というが

私には関係のない話みたい。

精神的なものもあるのだろう。

明日の講演会が終わったら

気持ち的にもホッとするから

私の食欲も少しは出てくるだろう。

しばらく様子をみよう。


2012年10月18日(木) つかの間の夢

今朝、つぶやきを更新した後で

書いたことが夢に終わってしまったので

一旦、削除してしまった。

こんなこともあるのだなあ・・・

何となく虫が良すぎる感じがしていた。

仕方ない。

しばし、夢を見せてもらったと思おう。

それにしても

手配が早い私は

100人から150人の人が参加してくれるとなると

今の会場では入りきらなくなると思って

続きの間を借りる手配もした。

50人分、資料やチラシも足らなくなるので

本部にお願いもして

今朝、送ってもらうようになっていた。

それが、無駄になってしまう。

本部に対して、本当に申し訳ない。

私の責任ではない。

でも、責任を感じるのだ。

ものは考えようでもある。

もし、150人もの人たちが来てくれたら

駐車場も止められなくなるし

来てくれた人に迷惑もかかる。

それに、受付も大変だったろう。

結局、初めの予定通り

80人参加してくれると嬉しい。

それにしても

私は昨夜は布団の中で色々考えていた。

会場いっぱい、溢れるほどの人たちが

来てくれて座っている様子を頭に浮かべて

にんやりしたものだ。

ハハハ・・・(#^.^#)

現実はそう甘くはなかった。

私の実力に合わない人数だったのだから。

まあ、仕方ない。

残念でがっかりもしたけれど

何かほっとしている。

こじんまりした講演会で良い。


2012年10月17日(水) 境界性パーソナリティ障害

境界性人格(パーソナリティ)障害

この病気の名前は

私が結婚してすぐ

つまり、

今から25年位前に

精神科で診断された病名だ。

昔は、正常者と精神異常者との境界にある

という判断だったので

私は怒りが出てきて

診断した病院へは二度と行かなかった。

しかし

今、思うと

あの時の医者の判断は間違っていなかった気がする。

私自身

他の人とは違う

少し変わったところがあると思っているが

それは、単に性格的なものではなく

精神的な病気によるものだったのだ。

この病気の特徴は

不安定な自己を持ち

感情・思考を制御することが困難で、

衝動的な自己破壊行為などが上げられる。

そして、自殺率が非常に高い。

原因は育った家庭環境に加えて

本人の持っている気質による。

遺伝的な面もある。

私には、自分で自分の気持ちを抑えきれない面がある。

他人の前では見せないが

家族や気持ちを許した人の前では

そういう面が出てきて

相手を振り回したり

傷つけたりしてしまうのだ。

61才になっても尚、

そんなところを持っている自分が

本当に嫌になる。

私の本当の姿を知った人は

私の周りから去って行くかもしれない。

しかし、

敢えて、ここに書いたのは

私自身がこの病気のために

どれだけ苦しんでいるかということを

書くことで再確認する意味があるからだ。

この病気の人は

才能があり芸術的な面でも能力を発揮する。

作家や芸能人にも多い。

そういえば

私が若い頃

そう

20代の頃

拒食症で九州大学付属病院へ

入院していて

退院する前に

医者との面談で

私の印象を医者に尋ねたことがあった。

主治医は一言「ユニークな人」だと答えた。

ユニークな人とは個性的な人であり

またある意味、変人だということだ。

私が自分でもどうしようもないと思っているのは

客観的に自分を見ることや

事態を静観することが苦手だということ。

これは正直苦しいことだ。

もっと、普通の人になりたい。

娘に、病気のことを指摘され

本も勧められた。

1冊読みおえて

まさにそうだと思うことがいっぱいある。

さて

治すにはどうしたら良いか?

まずは、自分で認めた上で

本心から治りたいと思うことだ。

私もできるなら治して普通の人になりたい。

毎日、毎日、自分の心がどうしようもないくらい

動くのはもうゴメンだ。

さて、何からはじめよう・・・


2012年10月14日(日) 二年の月日が

今日は、母の祥月命日だった。

6月の父の七回忌の時に

母の三回忌も一緒にしたが

今日がほんとうの三回忌だ。

あれから二年・・・

あっという間だった気もするし

反対に、ずっとずっと前のことだったような気もする。

母が亡くなった後の二年間は

私にとって本当に色々なことが起きた月日だった。

母が生きていたら

夫の病気のことを心配もするし

それ以上に、私の体のことを心配していただろう。

そう意味で、母が亡くなっていて良かったと思う。

今日は、姉とお墓参りをした。

墓前で、夫の報告をした。

母が好きだったおはぎを供えた。

喜んでくれただろうか?

その後、姉と青空食堂へ行ってお昼を食べた。

姉が御仏前をくれていたので

今日のランチと、持って行ったオレンジジュース6本で

お返しに替えさせてもらった。

帰宅して、改めて仏壇の前に座った。

母が亡くなった時間に合わせて焼香をした。

母の遺骨が入った遺骨ペンダント、

最近は身に付けていないが

仏壇の中で父の遺骨と共に寝ている。

今度は母の七回忌だ。


2012年10月11日(木) やっと

先週の金曜日の朝、

ゴミ出しをして歩いて帰る途中

靴の底がアスファルト(それはギザギザなアスファルトだった)に付いて

体だけが前に行った感じで

思いっきり、前のめりで転んだ。

自分自身の体を支えるため、守るために

地面についた左手と

左足をひどく打ってしまった。

転んで直ぐに立てなかった。

それでも、いつものようにスカートを履いていなくて良かった。

トレーニングパンツだったので

擦り傷があの程度で済んだのかもしれない。

足を引きずりながら帰った後

痛みがひどく、ものを言う気にもなれず

しばらくの間、ただ、黙って横になっていた。

ズボンをめくってみると

脛が擦りむいで血が出ている。

膝っ小僧を打った痛みもある。

消毒してカットバンを三枚貼った。

しばらくしていると

左手首のあたりが猛烈に痛くなった。

まわそうにも痛くて回せない。

整形へ行こうかどうしようかと迷ったが

痛みが段々ひどくなるので

車を走らせて整形へ。

ハンドルが右に回せない。

左手でギアチェンジも出来ない。

レントゲンでは骨には異常なかったけど

捻挫がひどい状態だと言われた。

なるべく動かさない方が良いと

固定するテープを巻いてくれた。

薬をどっさりくれたが

痛み止めも抗生物質も飲まなかった。

じっとしていてもズキズキ疼く。

痛み止めを飲んだ方が良かったのかもしれないが

何せ、薬が嫌いだから、飲まずに治そうと思った。

あれから一週間。

ようやく左手首が回したりねじったりできるようになった。

まだ、脛の傷は痛むし血も滲んでいる。

しばらくかかりそうだ。

たった、これだけのことで不自由だった。

これが、義母や夫のように

骨が折れていたらどうなっていただろう。

思わず、神様に感謝した。

まだ完全には治っていないが

なんとか左手首も動かせるようになった。

あとは膝の傷が自然に治ることを待とう。



2012年10月04日(木) 今日は61才の誕生日

今日、10月4日は

私の61才の誕生日だ。

昨年、還暦を迎えた時に

あまり嬉しくはなかったし

自分でも60才という年を考え

長く生きてきたなあ・・という思いが強かった。

あれから一年、

あっという間の一年だった。

今朝、産経新聞の一面の上の

「朝の詩」のコーナーに

私の詩「余熱」が掲載された。

投稿したものの、ボツになったのだと思っていただけに

本当に嬉しかった。

それも、今日の誕生日に合わせてくれたかのような掲載に

喜びは二重のものとなった。

以下が私の詩「余熱」だ

「余熱」

南瓜と隠元を炊く時

味付けしてしばらく

炊いた後火を止める

余熱で仕上げると

味が染み込んで

とても美味しくなる

夫のカッターシャツに

アイロンをかける時

電源をOFFにした後

余熱でハンカチの

しわをぴーんと伸ばす

還暦を過ぎた私の人生

後はおまけの人生だ

そう、余熱の人生だ


今朝はフェイスブックの友人たちから

たくさんのおめでとうの言葉を頂いた。

フェイスブックを通じての友人は

まだ会ったこともない人たちが多い。

それでも、祝ってくれる気持ちが有難い。

それに比べて

私の家族からはお祝いの言葉がない。

夫からも

娘からも・・・

忘れているのだろう。

そんなものなんだとあまり気にはしていない。

ただ、私なら絶対に忘れることはないのにと

また、自分のものさしではかってしまった。

姉は毎年絵手紙を描いて送ってくれる。

きっと、今日には届くだろう。

それにしても、月日の経つのって早いなあ・・

母が言っていたように

お盆を過ぎたら直ぐにお正月が来る

この言葉って本当にそうだと思う。

これからは益々時の経つ早さを感じるのだろう。

一日、一日を大切にして

自分が楽な生き方をしたい。

そして、できることなら笑って過ごしたい。

夫からも娘からもおめでとうの言葉はないけれど

今日は一人でお祝いをしよう!



スカーレット