スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次|過去|未来
昨日、娘がひと月半ぶりに帰省した。
10月10日の母の一周忌に帰って来てから
長く顔を見ていない気がする。
今回帰って来たのは理由がある。
3月の卒業式の袴姿の
前撮り写真を撮るためだ。
明日12月1日に予約している。
卒業写真は二枚申し込んでいるが
オプションで家族写真を追加撮影してもらうことにしている。
夫は退院したもののまだ痩せているから
本当は嫌かもしれないが
嫌だと言ってないので、承諾したものと理解している。
娘はアズキと一緒に撮りたいらしい。
明日はアズキをトリミングに連れていくことにしているから
シャンプーとカットをしてもらって
こざっぱりしてきっと可愛いだろう。
さっき、エミフルのペット用品屋へ行って来た。
明日写真を撮ってもらう時に
アズキの両耳につける可愛いアクセサりーを買って来た。
私はアズキの耳の毛に付けることは出来ないので
あすのトリミングのお姉さんに頼んでつけてもらおうと思う。
娘が帰省していると私は忙しい。
一人の時より夫が家に居ると忙しい日々だが
それに加えて娘が居ると
休む暇もないくらいバタバタしている。
食事の用意も味付けを変えて献立をつくるので大変だ。
それでも、夫も娘も機嫌良くしているので嬉しい。
娘は来月4日に帰って行く。
お正月は芝居の練習があるので帰省出来ないらしい。
その分ちょっと淋しいけど私は楽だ(#^.^#)
体に気をつけて公演にむけて頑張ってくれれば良い。
正直言って、夕方になると倒れ込みそうになるくらい疲れているが
これも家族のためだと思って頑張ろう。
昨日は夫の運転免許更新のため
夫を乗せて運転免許センターへ行って来た。
夫はまだほとんど自分では運転しない。
やはり、右手が思うようにスムーズに動かないから
エンジンをかけるのも大変みたい。
だから、何処へ行くのも私が運転する。
昨日は、朝8時半から9時半までが受付なので
7時過ぎに家を出た。
免許センターまでは家から車で1時間ほどかかる。
朝は渋滞することもあるので早目に出たので
到着したら8時で
開始時間までに30分待つことになった。
私も来年10月には更新だ。
4年前に行った時とは
受付が変わっていた。
機械の中に免許証を入れると申請書が出てくる。
その申請書と費用とハガキを持って受付窓口へ。
交通安全協会へ加入すると
自分で申請書に記入する手間が省けるので
5年分2500円を払って交通安全協会に加入した。
免許証から本籍地記載が消えるので
ICチップが組み込まれた免許証になるとのこと。
確認するときに使う暗証番号を決めて打ち込む。
続いて適性検査(視力検査)、写真撮影
夫は無事故無違反なのでゴールドカード
優良講習は30分。
事故や違反をしていると1時間の講習となる。
私は夫が入院している時に
土手で急に右折したトラックに接触したために
事故扱いとなったので
来年の更新の時はゴールドカードではなくなる。
講習も1時間講習になってしまう。
夫が免許証を交付してもらったのは
10時だった。
夫がホッとしている様子を見て
連れてきてあげて良かったと思った。
一昨日は日曜日だったので
700人ほどの人が来ていたとか。
昨日は平日だったので、土日に比べるとましだた
それでも結構多かった。
70才になったら
高齢者講習を受ける義務がある。
講習では何をするのかな?
認知症のテストがあるのなら
大丈夫かな・・なんて心配している。
まだまだ先のことだけど
10年なんてあっという間に過ぎる。
それまで元気で現役運転手でいられるかどうか?
来年の私の更新のための練習となって
運転は疲れたけれど、良かった。
夕方、姉から電話があり
城川の帰りに一時停止しなかったので
検問に引っかかってしまって
罰金7000円
二点減点となったそうだ。
姉も同じで次はゴールドカードではなくなる。
任意保険の掛け金に影響する。
お互いに嫌ねと言いながら
それでも、大難が小難で済んで良かったという思いだった。
やはり、年賀状を出すことにした。
でも、今までみたいにたくさん出すのはやめようと思う。
元日に届く人には勿論出す。
でも、松の内が過ぎた頃に
私が出した年賀状への返事としてくれる人には
やめようと思う。
年を取ると身辺整理をして
どうしても必要なもの以外は片付けたいものだ。
お付き合いも同じだ。
十年前はネットの友人もおおく
メル友さんたちと年賀状の交換もしていた。
でも、段々と隔たりが出来てきて
今はほとんど居なくなった。
それでも、一年に一度の年賀状で
元気な様子を知ることができて
これも大切なことだと思っていた。
でも、昨年の秋に母が亡くなり
今年は私の年だったけれど
喪中のため年賀状は出さなかった。
一年出さなかっただけで
年賀状に対する思いが変わってきたのだ。
昨日は親友が出す年賀状を印刷してあげた。
簡単にイラストや文字が載った完成品を印刷してできる。
私もこれを使おうかなあ。
絵手紙は描いていない。
一昨年までは手描きで50枚ほど描いていたのに・・・
姉は絵手紙年賀状を描いたみたいだ。
私にも絵手紙年賀状が届くだろう。
だから、描くべきなのにな。
いつもならもう出来上がり
表書きも始めている頃だというのに
今年の私はハガキを買っただけだ。
さて、どうしよう。
アズキの写真入りの年賀状にしようかな?
考えてみたら
最後に美容院へ行き
カットをしてもらってから
何と半年経っていた。
その間、髪が伸び放題ということはなかった。
前も横も、そしえ後ろも自分でカットしていたからだ。
前や横は簡単に形良くカットできるが
流石、後ろは難しい。
合わせ鏡を見ながら
ハサミとカミソリを片手に
少しずつカットしていった。
カミソリを使った時は
指を何箇所か切ってしまった。
そんなこんなで半年過ぎ
そろそろ限界かな・・・と思うようになった。
来月1日には娘が卒業式の前撮り写真を撮ることになっている。
その時に記念にアズキも一緒に家族写真を撮りたいとのこと。
写真屋さんで撮影してもらうのだから
少しは綺麗にしなきゃと思い
美容院へ行ったというわけ。
半年も行かなかったのには理由がある。
夫が5月に入院し
10月半ばに退院するまでの間
美容院へ行く気分でもなかったし
時間的にも余裕がなかった。
美容院へ行って椅子に座れるのは
何も生活に心配事がない時だ。
夫も最近は大分元気になってきて
私も時間的に自由にできるようになった。
半年振りの美容院行きはそんな理由と
もう一つは
アズキのトリミング代が毎月5275円かかるから
私のカット代を節約しないといけないなあ・・と思ったのだ。
美容院の先生に話すと笑われた。
長目の髪型に慣れていたので
昨日、カットして帰ると
自分ではない気がして落ち着かなかった。
今朝も鏡を見て似合ってないと思った。
髪は伸びる。
だから、後二ヶ月くらい経ったら良いようになるかもしれない。
誰も私のことなど見てないのだから
私一人が色々思うだけなのだから。
そうなのだ。
それは分かっているけれど
やはり気に入ってない髪型って嫌だなあ・・
早く二ヶ月が過ぎたら良いのに
なんて勝手なことを思っている。
昨日は、私が尊敬する知人のお見舞いに行ってきた。
ひと月に一度くらいの割合で
その人の所には顔を出しているが
今月に入ってはまだ行ってなかった。
いつもお手紙をくださるのに
二週間ほど何の音沙汰もないので
どうしたのかな・・・と思っていた。
数日前、私がTPP反対号外を一部お送りしたが
その後電話をいただいた。
そして、とても大変なことがあったことを知った。
入院して手術をされたとか。
今は帰って元の生活をしているとのこと。
でも、伺った病状はとても深刻な状態だったので
本当に心配でたまらなかった。
だから、昨日、お見舞いに行った。
前もって電話をしていたので
お茶とお菓子を用意して待っていてくれた。
一目見て涙が出そうだった。
それはその人がとてもお元気そうだったので
ホッとしたのと嬉しかったためだ。
病気の詳細を聞き、改めて大変だったことを知った。
それでも、何もなかったかのように
平然とされている姿に感動した。
誠さんと言い、知人の方と言い
高齢の方はどうしてこのように
毅然としていることができるのだろう。
真の意味で強い人なのだと思う。
どんなことがあっても
平然としていられることは難しいことだ。
私など頭では分かっていても
何かがあるとついつい一喜一憂してしまう。
心配しても不安になっても
事態が変わることはない。
だから、きちんと受け止めることが必要なのだ。
そして、そのことに対して向き合うことにより
自分がどうするべきかもわかるし
何もできないならそれなりに
神様が助けてくれるのかもしれない。
私も見習いたい。
それにしても、お元気になられて本当に良かった。
丁度、文化祭をしていて
知人の筆も出ていたが
しっかりした筆跡で言葉も素晴らしいものだった。
生きるということ
年を重ねるということの素晴らしさを実感した。
お見舞いに行ったのに
かえって、私の方が力をもらった気がする。
また顔を見に行こう。
昨日、11月22日は、
日本中の夫婦に
いっそう素敵な関係を
築いてほしいという想いから
「いい夫婦の日」とされたそうだ。
今年選ばれた理想のカップルは、
夫婦円満の秘訣は何かと尋ねられ
「揉めても遺恨を残さない」
「お互いにこころから褒め合うこと」
と答えていたが、
いい夫婦ってどんな夫婦なのだろう。
喧嘩をしない夫婦、
趣味が同じで二人の時間を大切にする夫婦、
お互いに思いやり、
相手を気遣う夫婦などなど、
夫婦の数だけ形も異なる。
私たちは昨年銀婚式を迎えた。
25年夫婦をやっていると
結婚当初の甘いムードはどこへやら、
空気のような存在になってしまった。
同じ屋根の下で暮らすことで、
嫌な面ばかりが目に付き、
こんなはずじゃなかったと
ついつい不満を口にするようになった。
そして、
いっそ一人になれたら
どんなに楽だろうと思ったこともある。
でも、
昨年末、
夫が病に倒れ入院、
その後入退院を繰り返し、
先日まで夫の病院へ通う日々が続いた。
もし、夫が居なくなったらと思うと
不安でたまらなかった。
夫に元気になってほしい、
ずっと傍に居て欲しい
と心から思った。
昨日のいい夫婦の日に、
夫にありがとうの気持ちを
形にして贈ろうと思っていたが
自転車に乗る時に手が冷たいと聞き
黒の暖かそうな手袋と
足が冷えないように
発熱効果のある靴下をプレゼントした。
夫は嬉しそうだった。
夕食の時も夕食後も
いつもより会話が進んだ。
いい夫婦の日になった(#^.^#)
昨日、親友と二人で大洲へ行ってきた。
日帰りで近場へ行ってみる?という話をして
ようやく実現した。
号外配布で肩こりがひどく
それが歯に来て、食べるのも難儀していると
昨日、つぶやきに書いたものだから
親友が電話でやめる?と言って来た。
勿論、歯や歯茎、肩の痛さはひどいけれど
それはそれ、大洲への日帰り旅行は行きたいと思ったので
予定通り、親友の運転する車で出かけた。
行こうとしたのは
大洲城、臥龍山荘、おはなはん通り、ぽこぺん横丁。
私はここらへは行ったことがあったが
自分で運転して行ってはないので
地理的に不安もあった。
でも、どうにかなるだろう。
10時過ぎに出発。
お天気も最高、ちょっと寒かったけれど
ドライブ日和だ。
空は青空に白い雲、川は綺麗だし空気も綺麗。
ただ、今年の紅葉は遅く、山々も全然紅葉していないのが残念だった。
大洲城は平成16年に改築されたのでまだヒノキの香りがした。
急な階段を登って天守閣へ。
大洲が一望できていい気分。
旅人とちょっとした会話をする。
こういうのっていいのよね。
見知らぬ人と一隅の会話。
後は会うこともない人との一瞬の交流。
城を後にして町の駅「あさもや」へ。
車を置いてお昼を食べる。
歯の痛みで半分も食べられなかったが
それでも、数種類のおかずが入った
松花堂弁当のようなランチは美味しかった。
車を置いたまま歩いて臥龍山荘へ。
肱川のほとりに立っている古い日本独特のわびさびの世界。
外国人の団体が来ていた。
中の造りも外の庭も素晴らしい。
http://iyashi.midb.jp/place/155
↑で画像がいっぱい出ている。
スライドショーは↓
http://iyashi.midb.jp/search/ss2/?start=1
ゆっくり見て説明も受け日本に生まれて良かったと実感した。
それから、おはなはん通りを抜け
赤煉瓦館へ。
昭和のレトロはポコペ横丁は店が開いてなくて残念。
ぶらぶら歩いている観光客がおおく居た。
NHKのTV「鶴瓶の家族に乾杯」で
大洲・長浜が紹介されたから
観光客が増えたらしい。
お土産に大洲のしぐれを買う。
帰りに道の駅「からり」によって
柿を買う。
ここは先日夫と義母とで城川へ行った時に
帰りに立ち寄り、柿を買ったが
昨日は少し遅かったからお客さんは少なかった。
車中でも色々な話をしながら
本当に来て良かったね、楽しかったねと言い合った。
毎日100円貯金をして
これからも時々近場へ小旅行を楽しみたい。
片残りは治らないが心の凝りは治った(#^.^#)
私たち「頑張れ日本!全国行動委員会・愛媛県本部」は 19日(土)20日(日)の二日にわたって やまと新聞社様から送っていただいた TPP反対号外配布を行った。
1000部送ってもらったが
一日で配布し終えないのではないかと思い
予定外の19日に私と仲間一人の二人で配った。
1時半から3時の間に私は100部
仲間は35部配布できた。
でも、無関心な人が多い。
要らないという人は
何を配布しているのかなど関係なく
誰からか何かを配られることを拒否しているようだった。
結局
19日は2人、20日は9人が参加して 計800部を配布出来きた。
昨日は9人の参加があったので
一昨日に比べるととてもはかどり
思ってもみなかった600部を配布することが出来た。 残り200部を徳島へ送ってあげることにしていたが
来週27日(日)に再度配布したいということになり
徳島の人に謝罪をして
配布することにした。 配布した感想。 TPPについては、無関心というより知らない人が多い。 ネットをしている人は色々な情報を得ることが出来きるが その他の人たちはTPPとは何か?ということも知らないようだ。 中には号外を受け取ってくれて、自分の意見を言う人も居たし 自分は推進派だから号外は要らないという人もいた。 でも、これはとても稀だ。 政府がTPPに関して、
国民にわかるような説明が足らないのが原因だと思う。 高校生が関心を持っていてくれて、勉強しますと言ってくれたり お母さんがPTAに持って行き配りますと言ってくれたのは嬉しかった。 昨日は配布している傍で原発反対の街宣・署名活動をしていたが 彼らもTPPに反対だと言ってるのを聞き TPP問題は左も右もない問題なのだと改めて思った。
配布場となったいよてつ高島屋前まで
号外を600部運んだのが原因で
昨夜から肩の凝りがひどくなり
歯茎の痛みも出てきて
今朝は食事をするのもやっとだった。
苦しい思いをしても
頑張るのは何故だろう。
これって私の生きる意味になっているのだろうか。
そんな思いがする。
来週の日曜日は参加が4人だ。
200部配布を頑張ろう。
日本を守るために。
2011年11月19日(土) |
夫がバイキングを、でも・・ |
昨日は高島屋とエミフルへ行ってきた。
以前、五大陸で買った夫のズボンの裾上げを頼んでいたが
出来上がったとの連絡があり取りに行ったのだ。
私もドクターシーラボに予約していた
化粧品をもらいに行く用事があった。
用事を済ませ、帰りにエミフルへ。
ここは、ネックレスチェーンの修理が終わったので
もらいに行ったというわけ。
丁度、お昼にかかったので
何を食べる?と夫に聞いた。
夫は何でもと言ったが
塩分制限食を食べているので外食の時には困ってしまう。
そこで、
友人や姉・娘と食べに行ったことのある
バイキングにすることにした。
バイキングなら夫が自分で食べられそうなものを
選ぶことができる。
そして、野菜もいっぱいとれると思ったのだ。
サラダやおかずがデザートなどなど
夫も私も普段より沢山食べられた。
お腹いっぱい。
夫も満足していたので良かったと思った。
でも、私がとても変な夢を見てしまった。
それは、夫がバイキング料理を食べたことを
心の中で心配していたからかもしれない。
どんな夢かというと
夫が拒食症・過食嘔吐になったというもの。
夫の体重はやっと47.8キロになった。
退院する前、最低44キロまで減少していたから
退院後ひと月で3キロ太ったことになる。
夫は私のつくる料理をたくさん食べてくれる。
薄味で油も使わないもので野菜中心の献立だから
ダイエット食のようなものだ。
それでも、残さず食べてくれるので
少しずつ体重も増えているのだと思う。
腹水で増えるのではないから嬉しい。
その夫が夢の中で
「50キロになったら吐く」と公言したのだ。
「エッツ!何で?
どうして吐くの?」と夫に尋ねると
夫は太りたくないと言った。
そこで目が覚めた。
妙な夢だ。
気持ちの良いものではない。
半眠りの中で考えた。
これは夢か現実か?と。
そして、夢だと気付きほっとした。
どうか、現実となりませんようにと思った。
今年は城川のかまぼこ板の絵展には行けないと思っていた。
夫が入院していたし
退院してもまだまだそんな心の余裕もないと思っていたから。
展覧会への作品を出しているので
招待券が二枚届いていた。
今年は無駄にしてしまうかも・・
でも、勿体ないな・・・
そう思っていた。
夫は退院してひと月になる。
少しずつ体力も出来てきたのか
笑顔を見せるようになった。
話もするようになった。
まだ、仕事復帰は無理だし
家事を手伝うこともない。
アズキと遊んでくれるだけ。
それでも、遊べるようになったことを喜ぼう。
招待券が勿体ないし
城川への道、山の紅葉を楽しめるかもしれないと想い
21日に親友と二人で行こうと約束していた。
そのことを夫に話すと
夫は義母と三人で行きたいように言った。
招待券はもうない。
でも、夫が気晴らしにもなるし
義母もドライブが好きだから喜ぶだろう。
親友とは別に行けば良いと思った。
姉にもらった招待券で
昨日三人で城川へ行くことが出来た。
夫が運転するのはからだにこたえるといけないと思い
往復私が運転した。
行きは高速道路で帰りは下の道で。
横に夫、後ろに義母をのせているので
緊張して肩が凝った。
道の途中の山を見ても
今年の紅葉は全然綺麗ではなかった。
暖かいから紅葉をしないまま枯れてしまうとのこと。
夫も義母も残念そうだった。
私はと言うと
あれだけたくさんの作品を出したのに
全ボツだった・・・(´;ω;`)
急にやる気が失せた気がして
そんな自分が嫌になった。
でも、帰りに道の駅に寄ってお昼を食べたり
また別の道の駅に寄り買い物をしたりして
楽しめたからまあ良いか・・と思う。
21日は親友とは城川ではなく
別のところにぶらぶら行ってみることにした。
城川の招待券がちょっと勿体ない気がするけど
仕方ないな・・
城川の今年の展覧会は
3月11日の東日本大震災の応援の絵や
手紙など特別多く展示されていたし
それにまつわる奇跡的な話もあって
結構話題性に富んだ良い展覧会になっていた。
大賞を取った作品「鎮魂」は
格別素晴らしかった。
機会がある人は12月のはじめまでやっているので
見に行ってほしい。
昨日、近くの会館で催し物があり
それに参加した姉が家に寄った。
午後12時半に終わるとのことなので
お昼を用意してあげた。
用意と言っても、ちらし寿司は
近くの産直市で買って来たし
後は赤豆煮と山芋のすりおろしに温泉卵
それと、蕪の酢の物を作っただけ。
それでも、姉はお昼ご飯を見て
いつもこんなに豪華なの?と聞いてきた。
夫が退院してから
毎日昼と夜はこんな風だ。
品数は大体4品。
主菜がひと品、副菜を三品揃えている。
野菜中心の献立なので
いくら品数が多く量も多くても
カロリーはとても控え目。
ダイエットには適しているかもしれない。
夫も姉も全部食べてくれた。
私はと言うと
一昨日から胃の具合が悪く
(これってとても久しぶりのこと)
昨日のお昼もうどんをゆがいて食べただけ。
それでも、食べないよりはましだろうと
欲しくなかったけど一応胃の中にいれた。
姉は、アズキに会うのをとても楽しみにしていた。
来るなり母の仏壇に手を合わす前に
アズキの所にやってきた。
アズキも姉が大好きなので
嬉しそうに耳を後ろにして
はしゃぎ回っていた。
夫と姉の会話がまた面白かった。
夫「お姉さん、アズキを捕まえることが出来たら
僕が何か上げますよ」
姉「エッ?アズキってそんなに逃げ回るの?」
夫「試しに家の中で自由にしましょうか?」
姉「やってみて」
と言う会話が聞こえたので
アズキをアズキのスペースから部屋中
自由にしてやった。
夫がアズキと呼んでも行かない。
きっと捕まえられることを知っているからだろう。
噛むマネをしたり、逃げ回る。
姉がアズキおいでと言うと
嬉しそうにアズキが姉の所にやってきて
容易く捕まえられてしまった。
姉はとても嬉しそうだった。
夫も笑っていた。
それを見ながら私も笑った。
こんな他愛もないことが幸せなのかな・・なんて思った。
たったこれだけのことで
家の中が明るくなるのだから。
アズキさまさまかな・・
そんなこんなで姉が家に来て
2時間ほどは楽しい時間を過ごすことが出来た。
昨日は、夫の県病院の整形外科受診があった。
脾臓摘出手術を受けた後
右の人差し指と親指の間の筋肉が無くなり
痺れもあり、箸を持ったり鉛筆を持ったりが
とても不自由になってしまった。
その原因は
神経内科で尺骨神経の異常だと言われた。
でも、神経内科ではそれ以上わからなくて
整形外科を紹介されたのだ。
昨日は朝8時過ぎに家を出た。
予約は9時半だったが
終わったのは11時をすぎていた。
レントゲンを取り医者も夫の指を手に取り
色々調べてみたけれど
結局、原因と症状が合わない点が多く
医者も分からない・・と言った。
首の骨からきているのかもしれないとのこと。
もし、そうなら、何で急にこんなになったのか?
説明がつかない。
脾臓を摘出する時に何かが起きたのかもしれないが
これも、今となっては確かめようもない。
結局、来月のはじめに
MRIの検査をすることになった。
夫は今月末まで休職願いを出していたので
その延期の手続きもして帰った。
帰りに高島屋へ寄り用事を済ませお昼を食べたが
その時にも箸が持ちにくくて難儀していた。
もし、原因も分からず
治療法もない場合は、症状はずっと続くとのこと。
治る見込みのない、夫の右手、
不便だろうし、力も入らないだろうし
本当に可哀想だ。
医者が首をかしげるくらいだから
素人の私にわかるはずがない。
医者に任すしかないのだろう。
2011年11月13日(日) |
拉致被害者救出署名・募金活動 |
昨年の10月に母が亡くなり
その後、夫の病気が分かり入院。
一度は退院したものの
再度入院し、10月に退院。
結局、母を看護していた昨年のはじめから
二年足らず、私は余程のことではない限り
活動を停止していた。
北朝鮮に拉致された拉致被害者救出署名・募金活動も
心は参加したかったけれど
参加できなくなっていた。
毎月、第二土曜日に高島屋前で
救う会の活動があるのだが
昨日は、久しぶりに参加することが出来た。
私たちの会の人は参加しなかったが
他の団体の人や
県議や市議など十数名が集まって
通行する人たちに署名・募金を呼びかけた。
やはり、無視する人たちが多かった。
特に若者、カップル、中年の人たちは
知らぬ顔をする。
また迷惑そうな顔をした。
信じられない。
自分の娘や家族が拉致されていたら?
こんなに無関心でいられるだろうか。
歩いている人たちに大声で言いたかった。
署名してくれた人は年配の人が多かった。
そして、高校生も何人か署名してくれた。
署名してくれている時に話したのは
今の日本政府を動かすのは
私たち国民の声だということ。
声を大にして、取り戻すことを実現させねば
このままでは被害者の家族が年を取り
帰国してもあえなくなる可能性もある。
どうか、家族の人たちの思いを想像してほしい。
それを訴えた。
民主党ではダメですね、という人も居た。
ダメだと思って諦めるならもっとダメになる。
私たちが声を大にして政府を動かそう。
来月10日から16日は
「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」だそうだ。
10日には繁華街をパレードする催しがある。
16日には
荒木先生の講演会も予定されている。
15日は横田めぐみさんが拉致された日だ。
めぐみさんに関しては
最近生存情報が出ているが
その後、日本政府はどのような対応をしたのだろう。
政治家がそれぞれ、我がことのように考えれば
じっとしているはずがない。
政治家たちはそのことを想像できないのだろうか。
昨日は
私たちが頑張らないといけないという思いを新たにした日だった。
昨日は、夫と高島屋とエミフルへ行った。
夫が着る服が、やせたために合わなくなってしまって
この間から、下着やカジュアル的な服を買ってあげた。
でも、12月か1月から仕事復帰するかもしれない夫が
職場へ履いていくズボンのことが気になり、
また、羽織るブレザーも大き過ぎるので
丁度体に合うものをプレゼントしてあげたいと思った。
今までなら、私が買ってあげると言っても
要らないと言っていたが
やはり、着る服が合わなくなったのは嫌なのか
この頃では買い物に行くのを嫌だと言わなくなった。(*´∀`*)
高島屋の7階で紳士服のバーゲンをしていたのは
偶然見つけたもので
本来は私が予約していて
ドクターシーラボの化粧品と
新聞のCMに出ていた手作りの歯ブラシを買いに行った時に
7階でバーゲンをしていたのを知ったというわけ。
エミフルで買おうと思っていたが
まあ、試しに行ってみようということになり
結局、黒のレザーのブレザーと
やはり、黒の綿のブレザー、
そして、W73センチのズボンを買ってあげた。
レザーのブレザーは結構高価だったが
夫にとても似合っていて
十年は着れるというので
良いものは嫌にならないと思い
買ってあげた。
直すところは全くなかった。
着ると、かっこよかった。
ズボンは裾上げを頼んで帰った。
帰りに仕事用のズボンの代えを買おうと
エミフルへ。
無印良品の店で、とてもはき心地の良いのがあり
これも買ってあげた。
買ってあげるという言葉は
ちょっと偉そうかもしれないけれど
家計から買わずに、私の貯金から買ったというわけ。
12月の夫の誕生日のお祝いのつもり。
夫は十年以上分のものだと笑っていたが
案外嬉しそうだった。
夫が入院していた時は
毎日個室代に4000円消えていたことを思うと
こうして、高くても着るものを買うことができるって
とても幸せだと思う。
お昼はにんにくやでランチをした。
夫が美味しそうに食べる姿を見て
私も本当に嬉しかった。
やはり、病気で入院するくらいバカなことはない。
貧しくても元気で過ごせることが一番だ。
夫がこれから、少しずつ体重も増え
仕事復帰出来たら最高。
焦らずボチボチ。
2011年11月11日(金) |
東日本大震災から8ヶ月 |
3月11日に起きた
東日本大震災から今日で8ヶ月になる。
行方不明者は青森、岩手、宮城、福島、茨城、千葉の6県で
いまだに3652人に上る。
9月は、宮城で50人、岩手で11人、福島で1人の
計62人が見つかったが、
このうち7割以上の47人は
海上や海中で漁業者などに発見された。
先日は壊れた倉庫の中や
埋もれた車の中から見つかった人も居る。
行方不明者の中には
同じように、誰かに見つけてほしいと
すぐ近くに眠っている人も居るだろう。
しかし、私たち日本国民の中で
多くの人たちが
自分たちの生活をしていく上で
被災者の方たちのことを忘れていることが多いのではないだろうか。
かく言う、私も忘れてはいないけれど
いつも頭の中にあるわけではない。
被災地の人たちの様子がTVで報道される度に
冬にむかって寒くなるのに
どうしているのだろう・・・と心配することはある。
でも、天皇陛下がビデオメッセージの中で
述べられたお言葉の中の
「国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、
被災者とともにそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを
心より願っています。」というお言葉を
どれだけの人が実践しているだろうかと思う。
野田政権は復旧・復興が一番と言いながらも
TPPはじめ、その他のことに目が行き
復興を本気でやろうとしているのかどうか疑問に思うこともある。
私たちは
3月11日を忘れはしない。
そして、被災者の方たちに思いを寄せ続けねばならない。
3月11日には
日本国民がこぞって日の丸国旗掲揚し
心をひとつにして
被災地の人たちのことを想い
復興への道を応援する日にすべきだ。
天皇陛下は今日ご退院される。
天皇陛下のご心労はいかほどかと思う。
どうか、今こそ、日本が心をひとつにして
国家のことを思い
日本を再興させねばならないと思う。
先日、八日目の蝉を見て以来
映画を見たくなり
昨日は、映画館に足を運んで見るつもりだった
「英国王のスピーチ」を
レンタルしてきて見た。
旧作となっているので
一週間借りて100円だった。
あらすじは映画のCMを見て知っていた。
吃音で小さい頃から悩んでいた
ジョージ6 世は、
幼い頃から吃音というコンプレックスを抱えていたた。
父、ジョージ5世の次男という華々しい生い立ちでありながら、
人前に出ることを嫌う内気な性格となり、
いつも自分に自信が持てないでいた。
厳格な父はそんな息子を許さず、
様々な式典のスピーチを容赦なく命じる。
ジョージ5世が病のため亡くなり
兄エドワード8 世が王位に就くが
米人女性シンプソン夫人との恋を貫き
退位したために彼が王となる。
因みに、兄の恋は、王位を捨てて人妻との結婚を選んだ
“王冠を賭けた恋”として知られる。
英王室の20世紀最大のスキャンダルとされている。
さて、王となったジョージ6世は
その前から吃音を治したいと想い
医者の資格はないが、今までの経験で
色々な人を治してきた経験のある
スピーチ矯正の専門家・ライオネルの元へ
夫人と共に通い、親交を深めながら治療をしていた。
この治療の過程で二人の間に流れる心の葛藤が
うまく表現されていた。
結局、ライオネルが傍に居ることで
戴冠式のスピーチをうまくこなすことが出来
その後のヒトラーの率いるナチスドイツとの開戦直前、
不安に揺れる国民は王の言葉を待ち望んでいた。
そして、彼は国民の心をひとつにするため、
素晴らしいスピーチに挑戦し大成功をおさめた。
簡単に言うと以上があらすじだ。
吃音で悩む人の気持ちはいかほどだろう?
私は喋ることに不自由はしない。
心に思ったことをそのまま言葉にすれば良いと思っている。
しかし、人前で喋る時は緊張するのは尤もだ。
普通に喋ることができる人でも緊張するのだから
吃音で悩む人には大変なことだろう。
私の知り合いにも話す時少し吃る人が居る。
言いたいことをすんなり話せないって
さぞ悔しいだろうなあ・・と思う。
これも、心の病だそうだ。
この王の場合も
父親の影響と小さい頃の乳母のいじめが影響していたようだ。
それを、克服し、素晴らしい言葉で
英国国民の心に響くスピーチをしたことって
本当に凄いことだと思う。
今年も年賀状の季節がやってきた。
昨日は、姉からタツノオトシゴを描いた
絵手紙年賀状の試作品が届いた。
例年、姉の絵手紙年賀状を印刷してあげている。
数年前までは、私も年賀状は絵手紙を描いていた。
それも、100枚手描きしていた。
しかし、
昨年は、母が亡くなったので
今年の卯年の年賀状は喪中で出さなかった。
正直、楽だった。
年賀状って結構負担になっていたのかと思った。
姉の絵手紙年賀状を印刷する時に
自分の分もすれば良いが
この間還暦を迎えたのをきっかけに
年賀状を出すのを止めようと思った。
でも、お付き合いは結構多い。
友人・知人以外にも
会の関係で年賀状をもらうことが多い。
計150枚は出している。
それを、一度にやめてしまうのもなんだか気が引ける。
来年の干支はタツだ。
龍は描きにくい。
描こうと思わない原因もそれにある。
今年は文章とイラストの年賀状にして
次年からは、年賀状を失礼しますと添え書きして
最後の年賀状として出そうかとも思う。
私のことだから、
こんな風に思っていても
また、描くかもしれない。
今の私は心身共に疲れているから
描こうという気持ちが薄らいでいるのかもしれない。
でも、年を取ったら
義理のお付き合いはやめたい。
なるべく身の回りを整理し
削れることは削ってすっきりしたいものだ。
だから、まずは年賀状を出すのを止めるのが
その一歩のように思える。
迷う・・・
昨日の朝は、久しぶりに何もかも嫌!って思うくらい
心身共に疲れを覚えた。
何故か?
それは、夫が少し体調不良を訴えたからだ。
一喜一憂してはいけないと思うが
夫が機嫌良くしていてくれたら
私も少々しんどくても頑張れる。
食事の世話も一生懸命にできる。
でも、また腹水が・・と心配してくると
私のつくる食事が原因なのか?
何でだろう・・・
と不安になり、
こんなに一生懸命にしているのに
何か虚しいなあと思ってしまう。
昨日の朝もそうだった。
一昨日の夜
夫が案外早く二階に上がって寝たので
調子が悪いのかなと思っていた。
昨日の朝もしんどそうだった。
おそるおそる尋ねてみるロ
腹水がたまっているような気がすると言った。
この言葉を聞いて
が=ん!!(;゚Д゚)!
ああ〜(´Д⊂モウダメポ
急にしんどくなったのだ。
ご飯をつくることは仕事だと思い頑張っている。
でも、それが何もなってないなら
虚しくてたまらない。
夫が一番つまらないだろうが
私も妻として生きがいがない。
生きがいなんて大げさだけど
私にとっては
夫が元気になることが
今の生きがいなのだから。
そんなこんなで午前中は落ち込んでいた。
昼前に友人に電話をして
城川のかまぼこ板の絵展のことを話した。
招待券があるから行ってみようと誘ったのだ。
お天気の良い日にドライブがてら行ってみようということになった。
夜、夫に話したら
夫も行きたかったみたい。
義母を連れて三人で行きたいみたいだった。
チケットは三枚。
姉に二枚もらうことにした。
夫が行きたいと思うことを喜ぼう。
義母も嬉しいだろう。
疲れも少し和らいだ。
ちょっとしたことで
私の気分も良くなったり悪くなったりする。
そんな自分が嫌になるけど
これも私なのだからと思うしかないね。
2011年11月07日(月) |
ランチ、でも期待外れ・・・ |
昨日、6日は本来なら東京へ行っていたはずだったが
色々あって結局取りやめることにした。
夫の食事を義母に頼んでいたこともあり
友人とランチをすることにして
タウン誌やネットで評判だった店へ行ってみた。
私の家から遠くはないので
友人にここまで来てもらい友人の車で行った。
店の評判も良いと聞いていたので
予め、昨日のランチを予約して行った。
店の中はとても雰囲気があって
女性が落ち着いて食べることができる店だった。
厨房が見えるのも何となく良い。
定年後の夫婦と娘さんとの三人(これは私の推測)が
やっているように思えた。
ランチは1000円。
ご飯は玄米ご飯。
友人は普段から玄米ご飯を食べているが
私には初めての玄米ご飯。
何かパサパサしていて美味しいとは思わなかった。
私はご飯の量が少ないので、できたら美味しい白いご飯がいいなあ。
魚料理はアマギの煮付け。
肉料理は野菜入りのオムレツ。
それにつくね入りの素麺のお汁、
お豆腐の白味噌味噌汁、
ごぼうの天ぷら。
ネギのぬた、
焼き豆腐とこんにゃくの煮物
胡瓜の糠漬け
オムレツにはデザートとして
バナナがひと切れとブルーベリージャムが乗ったヨーグルト。
赤豆煮が少し。
以上だから量としては丁度良い量だった。
ただ、1000円にしては
材料にお金がかかっていないなあと思った。
味はまあまあだった。
食後の飲み物が100円。
アイスティーを注文。
テーブルは6つほどなので
お客さんが来るとすぐいっぱいになる。
長くは居られない。
新しいお客さんが来たのをきっかけに
席を譲って店を出た。
正直、期待していただけに
期待外れだった。
再度行きたいとは思わない。
新しい店へ行くのはこんなことがあるから気が進まない。
お馴染みの店は出てくる料理も
値段も分かっているから
安心して行ける。
味付けに不満があっても同じ店に行くこともある。
昨日行った店は姉には勧めないなと思う。
夫を誘うのもやめようと思う。
でも、どこか落ち着いて話せる
美味しいランチを食べさせてくれる店って
何処かにないかな・・
DVD「八日目の蝉」を借りて見た。
直木賞作家・角田光代の原作小説を、
井上真央、永作博美の主演で映画化した
ヒューマンサスペンス映画だ。
角田光代さんの原作を読もうと
Amazonで購入したが、
先にDVDを見ることになった。
何故見たくなったか?
それは、先日見た新聞広告による。
そこには井上真央の厳しい顔と永作博美の悲しげな顔があった。
女優としては二人とも好きな女優だ。
井上真央はこの間までNHKの朝ドラ「おひさま」で
毎日顔を見ていた。
そして、永作博美の演技は前から惹かれていた。
この二人の共演になる映画だから見逃すわけにはいかない。
映画館では見る機会がなかったが
原作を読み、DVDを見ることが出来て嬉しい。
これは、1985年、自らが母親になれない絶望から、
永作演じる希和子の証言から始まる。
彼女は不倫相手の子を誘拐してわが子として育てる。
4歳になり初めて実の両親の元に戻った井上演じる恵理菜(薫)は、
育ての母が誘拐犯であったと知り、
心を閉ざしたまま成長する。
やがて21歳になった恵理菜は妊娠するが、
その相手もまた家庭を持つ男だった
現実としてはありえることかもしれない。
そして、この映画は女として生きる性と悲哀を含み、
しかし、また女の強さをうまう表現していた。
映画の中に流れる母親と娘との関係、
男の卑怯さと女の強さ、
そして、悲しい最後、
最後の方では涙が出てきた。
そして、子供を産むこと、
育てること
育てられない母の苦しさなどが
胸に迫ってきた。
久々に見た良い映画だった。
映画では隠れているが
産みの母の心、行動に関心があった。
4才まで離れていたために
娘は自分が産んだが心を寄り添えてもらえない。
そのために暴言や荒れた行為をしてしまう。
そして、ますます娘に嫌われる。
娘に嫌われるのではないかという恐怖は
私にはよくわかる。
幼い頃の娘に対する私の気持ちが
激しく誇張された姿ではないかと思ったからだ。
娘に嫌われたくない、好かれたいと思うが
娘の心が夫にむいていると感じて
余計に娘との接し方がまずくなった私は
この母親と同じような母になっていたかもしれない。
怖いと思った。
ここまで母の気持ちを推し量ることができた
監督に敬意を払いたい。
原作を読み始めたが
やはり映画の中では描かれていないシーンや
心の変節をうかがうことができそうだ。
夜、ベッドに入って原作を読んでいたら
娘から電話が入った。
偶然とは言え、不思議だった。
娘とのつながりがいかに大事なのかを
改めて知った。
「八日目の蝉」を見ていない人は是非、見て欲しい。
先日、友人からプレゼントしてもらった
ダイヤのついたペンダント、
そのチェーンはホワイトゴールドで細いチェーンだった。
前に、母が私に買ってくれた
ブラックパールのペンダントも
細いプラチナのチェーンがついていた。
ネックレスを身に付けているのを忘れる私は
着ているものを脱ぐ時に
そのまま脱いでしまって
ネックレスのチェーンが切れてしまうことが
何回もあった。
今回、プレゼントされたペンダントは
そんなことがないように大事に扱おうと思う。
昨日はキレたチェーンを修理に出していたのを
エミフルにある宝石店へ取りに行ってきた。
プラチナチェーンが綺麗に治っていた。
ブラックパールをつけて元に戻った。
修理代は1300円と案外安かった。
取りに行ったついでに
今まで切れたまま家に置いていた
チェーンを二つ持って行った。
どちらもホワイトゴールドでプラチナではなかったが
今はゴールドの価値が上がっているので
修理しておいた方が良いと言われた。
一つは業者に出して直してもらうことになった。
ホワイトゴールドはプラチナではないので
18金の上に白くメッキしないといけないので
メッキ代が+され2600円かかるとか。
もう一つはプレートもなくなっていたので
それを付け足して直してもらった。
これもプレートが2000円
チェーンが600円で系2600円。
この数日でネックレス修理のため
1万円近い出費。
まあ、これも仕方ないか・・・
私が本物を持っていたら
娘に残してやれる。
ダイヤやパールの指輪、
18金のチェーンネックレス
ダイヤのペンダント
カナダのメイプル金貨のついたペンダント
母の形見のエメラルドの指輪等々・・
私が普段には身に付けないものばかりだが
値打ちはあると思う。
若い頃は宝石類には全く関心もなく
本物でも偽物でも
身に付けたいと思ったことはない。
でも、何かの時には本物をつけたいと
年を取るにつれて思うようになった。
最近では男性も宝石類を身に付けている。
気持ちもわかる気がする。
やはり本物は良い。
直してもらって良かった。
2011年11月04日(金) |
6日の東京行きが中止 &ドックランへ |
6日に東京の国民大集会へ来賓として参加し
挨拶することになっていたが
参加中止となってしまった。
理由はここでは書けない。
しかし、上の指示には従うのが本当だから
中止になったことは当然だと思う。
飛行機のチケットをキャンセルした。
キャンセルしないで、東京へ行き
参加しなくても東京観光してもよかったが
お天気が☂ということで
きっと観光も楽しくないだろうと思い中止にした。
今は何も思わない。
&楽しいニュースを。
昨日、夫とアズキを連れて
伊台にあるドッグランに行って来た。
前に姉と娘とアズキとで一度行ったが
夫がドッグランなるものを知らないので
気分転換に行ってんみようということになった。
車を走らせること40分。
昨日は祝日ということもあり
十数組みの家族が来ていた。
犬の数も十数匹居た。
アズキのリードを放してやると
他の犬たちがアズキの方へ集まって来た。
アズキは数匹の犬たちに追いかけられた。
必死で逃げるアズキ。
その逃げ足の早いこと早いこと・・
来ていた人たち皆が凄い早いねと驚いていた。
中でチワワのオスがアズキを気に入ったのか
いつまでも追いかけるしクンクン臭いを嗅ぎながら
アズキの後を付いてくる。
アズキは逃げるし、チワワは追いかけるし
その光景はまるで漫画だった。
アズキは最後には夫や私に助けを求めて
膝の上に乗って来た。
どのくらいいたかな・・1時間20分ほどかな?
また40分かけて帰宅。
さすがのアズキも疲れたのか
夜は遊ばないで自分のベッドに入って寝た。
夕方の散歩もしなかった。
夫が一緒に行けたことが嬉しい。
やはり、家族っていいなあと思う。
犬を連れた人たちを見て夫が一言
「やはり余裕のある人たちだなあ」
でも、私たちは余裕なんてない。
ただ、アズキが可愛いだけ。
東京行きの中止とドッグラン行き
関係ないけど、日記に書きました。
先月4日は私の誕生日だった。
誕生月だから、色々な所からサービス券が送られてきた。
お菓子屋さんからは割引券、
飲食店からはサービス&割引券
その他、美容院からの割引券や
メガネ屋さんからの割り引券等々・・・
有難いことだ。
期限が10月末までの分は
数枚で、残りは半年やひと月間猶予期間があった。
その中の一枚は
持参して食べに行くと
1000円割り引いてくれるとのことだった。
自宅近くのレストラン、
イタリアンのお店だ。
友人や姉や娘と何回か行ったことがあり
会員登録していたから
誕生月に割引券が届いたのだと思う。
数日前、夫に割引券の話をしたが
夫は塩分制限の食事をしているから
外食は余程のことがないと出来ない。
病院へ行った時、お昼になって病院の中の食堂に入る以外は
退院後は行ったことがなかった。
だから、私もこのサービス券は無駄にしてしまうだろうと思っていた。
昨日、いつものように朝早く起き
昼と晩のご飯の用意をしていた時
夫が「今日のお昼に高坂へ食べに行こうか?」と言った。
良いのかな・・と不安もあったが
夫がスバゲティを食べるというので
行くことにした。
お昼前だったのにもう満席だった。
10分ほど待って禁煙席に座ることが出来た。
さて、何を食べようかということになって
私は本日のランチにした。
夫はガーリックと野菜とベーコンの入ったスパゲティを注文。
それにサラダと飲み物セットを追加。
やはり味は濃い目だった。
でも、夫は殆ど食べることが出来た。
私のランチは鶏肉の唐揚げあんかけと
ホタテのピカタ
それにスープとサラダとドリンクがついていた。
私は20才の頃から貝とタコとイカは食べられなくなっていた。
それでも、思い切ってホタテのピカタを食べてみると
案外すんなり食べることが出来た。
美味しかった。
というわけで、夫とランチが出来たことは
私の生活の中で一つの進展でもあり楽しいひとときだった。
普通の生活をして普通に食事ができる人たちにとったら
これがどうしたということだが
私たちにとっては特別なことなのだ。
改めて健康のありがたさを思った。
6日の東京行きが微妙になった。
明日3日になったらはっきりする。
飛行機をキャンセルしたら
50パーセントのキャンセル料金を取られる。
何か損した気がする。
それにしてもおかしい。
あれほど一生懸命に挨拶文を覚えようと
車に乗っていても
寝る前にも
一人になった時には必ず
挨拶文を見ながら大きな声を出し
練習していたのに
昨日、6日の集会参加が危うくなった途端
覚える気が失せてしまった。
こうなったらどうでも良い。
行っても行かなくてもどちらでも良い。
娘は行って来たら?と言う。
夫は行って自分の思うようなことを言ってきたら良いと言った。
飛行機代を出してくれた姉に
返還しようと思うとメールしたら
一度、あげたものだから、好きなようにしたら良いと
返事が来た。
でも、行かない時は半分は返そうと思う。
6日は☂みたい。
☂の外出は好きじゃないから
止めようかな・・・
まあ、明日まで待ってみよう。
昨日の、夫の手の痺れの検査をした結果
原因はやはり尺骨神経の異常だと判明。
しかし、何故尺骨神経が異常になったかの
そもそもの原因はわからなかった。
神経伝達時間はそんなに遅くないが、
波として表れる形が
他の神経(親指)に比べると
とても平坦になっていた。
専門的なことは分からないが
見た目にも夫の右手の親指と人差し指の間の
筋肉がなくなっている。
尺骨神経に異常があるとそういうことが起きるらしい。
箸を持つのも難儀する。
うどんなど箸で挟めない。
鉛筆を持つのも難しい。
だから、文字がなかなかうまく書けない。
仕事上、文字を書くことが多いので
仕事復帰した時のことを考えると
早く治しておきたいものだ。
神経内科の医者は整形外科を受診するように言った。
14日に整形外科を受診する。
もし、整形外科でも原因がわからなかったら
治療方法もないということか・・・・
夫は少しずつ元気になっている。
食事も残さず食べている。
体重の増加はなかなかだけど
精神的にも落ち着き話もするし
表情も明るくなった。
後は体力の回復と手の指の回復だ。
夫の指の痺れが治れば良い。
時間がかかっても、普通に指先が使えるようになると良い。
車のエンジンをかけるのも難しいらしい。
私が以前、バネ指で苦しんでいたとき
左手でギアチェンジができなくて
右手でした経験がある。
夫も発進の際のエンジン始動を
右手ではなく左手ですればできるのではないかな?
早く原因が分かって治療ができれば良い。
スカーレット
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