スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次過去未来


2011年12月31日(土) 終わりよければすべて良し

今年も残すところ今日一日となった。

年を重ねるにつれ、

月日の経つ早さをしみじみ感じる。

今年は、東日本大震災が起き、

未曾有の被害と犠牲が出て

人びとの心は押しつぶされそうになった。

でも、震災をきっかけに

人と人との絆、

家族の絆の大切さを

思い知らされたのではないだろうか。

私自身のことで言えば、

今年は大変な年だった。

10月に還暦を迎えた私は、

年のはじめに友人と二人で

厄除け祈願をしてきたから、

無事に一年過ごせると信じていた。

しかし、

夫が病に倒れ半年ほど入院生活を余儀なくされた。

休職扱いになり、

夫自身が一番不安だったであろう。

私も夫の心配と病院通いが続き、

心身共に限界まで来てしまった。

一時はどうなることかと思ったが、

幸い夫は10月半ばに退院し、

二ヶ月の自宅療養の末、

今月はじめに職場復帰することが出来た。

夫はまだまだ健康体とは言えないが、

仕事に行ってくれた。

私は夫の健康を祈りながら、

塩分制限食のお弁当を作っている。

また、大阪に居る大学四年の娘も就職が決まった。

29日に帰省した娘と三人、

アズキも入れて

家族揃って新しい年を迎えられそうだ。

平凡が一番良いと言っていた

亡き母の言葉の意味がよく分かる。

「終わり良ければすべて良し」

来年は良い年にしたい。

皆様、どうか来年もよろしくお願いします。

良いお年をお迎えください。


2011年12月30日(金) 手帳

今年も残す所二日となった。

秋を過ぎて初冬になると

今年も書店の店頭に、

大型のサイズから掌に乗るほどのミニサイズまで、

色もカラフル、

様々な来年用の手帳が並ぶ。

スマートフォンの普及で、

手帳の必要性も少なくなったかな

と思っていたので、意外だった。

見本を開いて見ると、

余白が広くスケジュール以外のことも書き込めるものが多い。

中には家族の予定が書ける家族手帳もある。

キャラクター物は使うには恥ずかしいが、

可愛いものが多い。

私は数十年つけている日記

とはまた違う意味で手帳が好きだ。

ここ数年、同じ手帳を使っている。

今年も真赤な表紙で掌サイズの手帳を、

夫が誕生日にプレゼントしてくれた。

過去の手帳を見るのは楽しい。

一昨年の今日は何をしていたか、

昨年の今日は何処へ行っていたかなど、

予定がメモされた手帳を見ると、

タイムスリップした気になる。

手帳のカバーの内側には、

娘が赤ちゃんの時の写真と、

今は亡き両親の写真を挟んでいる。

そしてもう一方には、

母が亡くなるひと月前に、

震える手で書いた私への言葉

「急ぐな、落ち着け、怪我するな」

の小さな紙が入っている。

私の宝物たちを、

そっと来年用の手帳に移し変えた。



2011年12月29日(木) 一日中

昨日は、一日中働いていた。

自分で自分を褒めてやりたい気分。

私が一人で住む実家は広い。

だから、掃除もやるところが多過ぎる。

普段は二階は使わないので、昨日はパス。

一階の南に面した掃き出し窓を

裏からホースで水をかけ

ダイキで買ってきたワイパーで拭き掃除をする。

網戸は外さないざっと掃除。

裏庭の雑草は鍬で抜いたので

落ち葉を集めて掃除。

玄関もドアとポーチに水をかけ洗って拭く。

これがなかなか大変だった。

お正月の玄関のお飾りをつける。

そして、一番しんどかったのは

父が亡くなり母が一人で生活していたころには

きっと掃除をしていなかったであろう

レンジフードから換気扇を外し洗ったこと。

頑固な油汚れを落とす洗剤では効果がなく

オレンジ系の固形のハード洗剤をつけてこすると

それが不思議なことにほぼきれいにのいた。

やはりこまめにしないとためているからダメなのだ。

レンジ周りも掃除。

お風呂場の掃除には重曹とクエン酸を買ってきたが

思いの外綺麗にならなかった。

TVでやっていたのに・・ちょっと後悔する。

二階のベランダの掃除をしようと

バケツに水を汲み持って上がった。

でも、ここも母が掃除をしていなかったので

泥がこびりついていて一筋縄ではいかない。

ここは諦めた。

年を越して、また掃除する機会もあるだろう。

でも、折角だから一応ざっとだが洗い流した。

泥はなくなった。

あとは磨くだけ。

台所のシンクの掃除はこまめにしているので

そんなに汚れていない。

掃除をする前にと思い

黒豆を煮て、数の子を作り

蕪の酢の物を作り栗きんとんを作った。

田作りも造っている。

お節は注文しているが

やはり、私には自分の味のこの五品がほしい。

美味しく出来た。

今日は29日、娘が夜帰って来る。

31日までは毎日の三度の食事作りで忙しくなりそう。

夫も今日から休みに入る。

お正月をお盆が嫌いな理由は主婦にはわかると思う。

そんなこんなで一日中働きっぱなし。

疲れたよ〜〜〜

体重が減っているのと

食後のむかつきがあるのが気になるが

私は癌でも治療しないと決めているから

どんな状態になっても平気だ。

今日も忙しくなるが頑張ろう。


2011年12月27日(火) 忙しい

年末になると何でこんなに忙しくなるのだろう。

一日明けるとお正月だから

一年の締めくくりの意味でも

家中の大掃除をするのだろうけど

体力的に一人では無理。

昨日は台所周りの掃除をする洗剤

今頃は良いのがあってオレンジ果汁の入った

何でも綺麗になるというものを買って来た。

そして、何より、昨日は裏庭の花壇の雑草を綺麗に抜いた。

雑草抜きの小さな道具では間に合わないと思い

鍬を買って来て、それで地面をおがして草を抜いた。

汚くはなったけど早く抜くことが出来た。

チューリップの球根が残っていて

可哀想にそれもおがしてしまったので

また改めて植え直した。

芝生の雑草は鍬では無理なので

また一本一本抜くことになりそう。

ベランダの掃除

玄関の掃除をして

お正月のお飾りをしよう。

細かなところまでは一人では出来ないけど

見た目だけでも綺麗になればいい。

父が生きていた頃は

一週間に一度は網戸を外して掃除をしていた。

外まわりも家の中もピカピカだった。

父が死んで母ができなくなり

外まわりも随分汚れて来た。

私は勿論外の掃除も目に付くところしかしない。

サッシや網戸の掃除まで手が回らないのだ。

夫の入院もありそれどころではなかった。

父も母も分かってくれるだろう。

忙しくしていたためか

体重が減ってしまった。

そして倒れそうになるくらいしんどい。

夜ぐっすり寝れば疲れも取れる。

今のところは大丈夫だけど

これ以上は無理かな・・・

倒れない程度に忙しくしないと。


2011年12月25日(日) 奉仕清掃

昨日は寒い一日だったが、

会の仲間から誘われた護国神社の清掃奉仕に参加してきた。

護国神社は靖国神社に次ぐ大事な神社だと思っている。

それに、私の娘がお宮参りをした神社でもあり

氏神様だから、私にとってもとても意味のある神社だ。

その護国神社をお正月を前に綺麗に掃除することは

私にとって公のための活動として今年最後のものであり

参加できることはとても光栄だと思った。

9時前に到着すると

もうすでに清掃をしている人がいた。

男性は力仕事の玉砂利の敷き詰めを、

女性は慰霊碑の周りの落ち葉を掃く仕事だった。

慰霊碑は何塔も立っている。

それも裏が直ぐ山で木々が迫っているため

秋の落葉がそれはそれはすごかった。

一目見た時一瞬固まってしまった。

茫然としてみたものの

掃き始めないとことば始まらない。

意を決して掃き始めた。

掃いては大きな入れ物に移し替え

それを下の焼却するところに運ぶ。

この繰り返しを3時間ほどする。

寒いから厚着をしていたが

汗をかいてしまった。

右の腕も痛くなった。

でも、これも英霊のためと思えば痛くない。

頑張ろう!

仲間の一人と色んなことを話しながら掃き続けた。

時間が来たが勿論全て掃くことはできなかった。

途中でやめるのも嫌だけど

続きは他の団体がしてくれるらしい。

掃除の手をおき

下で温かな豚汁とお釜で炊いた白いご飯をいただいた。

美味しかった。

冷えたからだに沁みとおった。

帰宅したら午後1時。

掃除用の服装をしていたので

私が住んでいる実家の裏の芝生の枯れ葉の掃除と

雑草抜きを始めた。

正直しんどかった。

だから、半分ほどで中止。

姉に電話したら

手伝うからやめよと言った。

昨日に続き今日も寒い。

一気にしようとするかたしんどいのだから

毎日少しずつすれば良い。

でも、枯れ葉毎日落ちる。

まるでいたちごっこをしているようだ。

いっそ、裏の芝生にコンクリートを流そうか・・・

でも、父や母が好んでいた芝生だ。

それはやめないといけない。

やはりぼつぼつするしかない。

昨日は一日清掃に明け暮れた気がする。

姉が電話で無理するなと言った。

母は私に掃除しろとは言わないよとも言った。

父も同じだろう。

私が疲れて寝込んだら父も母も喜ばない。

無理はしないようにしよう。


2011年12月24日(土) 百地章さんの講演会

昨日の天皇誕生日に

日本会議が主催の奉祝行事でもある

憲法学者・百地章さんの講演会を聴きに行ってきた。

百地さんは本でも講演でも

とても分かりやすい内容なので

知識のあまりない私でも理解できるのが嬉しい。

昨日の講演の演題は

「今の日本にとって大切なこと−『愛媛玉串料訴訟最高裁判決』の呪縛から

の脱却を」というもので

堅苦しい内容かなあと思っていたが

首相の靖国神社参拝は、

「合憲」であり、

「県知事や市町首長の愛媛縣護國神社参拝は、

憲法上なんら問題ない。

堂々と参拝していただきたい」と主張された。

また女性宮家創設は絶対に反対である。

男子男系ではなく女系になるとも話された。

皇統は男子男系ではじめて可能なことであり

内親王が一般男性と結婚して

その子供(男の子)が天皇陛下になったとしたら

それは女系天皇であり

今まで続いてきた皇統が途切れる。

断固反対だという意見には

納得できた。

日本の政教分離は厳格分離であり

国家感の欠落した考え方であるとの話も納得した。

ある小学校で給食を食べる前に

合掌させたら

政教分離の憲法に違反すると言った父兄がいたとか。

合掌はマナーであり躾であると思う。

馬鹿な親、こんな人が靖国参拝に反対するのだろう。

最後には天皇陛下万歳をして終わった。


2011年12月23日(金) 新車

新車が来た。

昨日、新車を取りに行った。

自宅に持ってきてくれることになっていたが

丁度車屋さん方面に用事があり

ついでに乗って帰ることにしたのだ。

何か、恋人に会いに行く時のように

胸が高鳴り、わくわくした気持ちで行った。

やはり良い。

新しいだけではなくグレードも一つアップしてので

豪華感がある。

新車は今までの車と違う点が多々あり

慣れるまで緊張しっぱなしだった。

乗って帰って来たのだが

運転にとても神経を使い

肩が凝ってしまった。

スタートも今までと全く違う。

ナビもワンセグもついている。

座席の高さや深さも調節できる。

何といっても走りが良い。

ちょっとアクセルを踏んだだけで

70キロまで出てしまう、

気をつけなきゃ。

そして、信号等で止まったら

自動でエンジンが止まる。

はじめは大丈夫かな・・と思ったが

すべてコンピューター化されているので

故障もトラブルも起きないと言われた。

古い車に思い出も多いが

昨日のからの車も、また思い出が作れると思う。

幸い、昨日はお天気が良かったが

今日と明日は雨が降るみたい。

せっかくの新車が雨にぬれ

汚れるのって嫌だなあと思う。

とにかく、安全運転をしよう。

事故だけではなく違反もしないで

またゴールドカードがもらえるようにしたい。




2011年12月22日(木) 生きる意味

昨日は知人と二人で年忘れ会をした。

忘年会ほどではない

お昼を食べながら色んなことを話した。

この間、大阪デモで私が演説したのが

ユーチューブで流れていると言われた。

まだ、見てなかった。

自分の顔や姿を見るのは恥ずかしい。

でも、5分話したうち2分くらい放映されたとか。

そして、私も全国区だねなどと言われた。

今回は特別。

幕末のTPPについてどうしても皆に知って欲しかったから。

話す機会をもらえて有難いと思う。

金正日の話もした。

教科書の話もした。

そして、人生の生き方についても色々話した。

私が先天性の心臓病で生まれて来たのも

色々親不孝して親に心配ばかりかけてきたことも

全て、私の家の借財を返したのだと言われた。

父と母を看護し見送り祀っていることで

私は借財を返済して済んだとも。

なんだか心が軽くなった。

今の私が元気で活動できるのも

夫の御陰だと思えば

昨日の朝のことなどくだらないことだと思える。

生きている、否、生かされていることに感謝したい。

色々話している間に三人の人から電話が入った。

24日は護国神社の清掃奉仕に行こう。

私が公のために頑張れるのも

こうして、支えてくれる人たちが居る御陰だ。

本当に有難い。

心からそう思う。

良い一日だった。


2011年12月21日(水) 要らぬことは言わないでも要ることは言え

朝から、腹が立つ。

怒らないで居られたらどんなに良いだろう。

私は朝4時に起床して

朝できることは全てしてしまおうと

夫のお弁当と夕食を作る。

また、6時半までには夫の朝食の支度のために

自宅に帰る毎日だ。

正直寒くなってくると

朝4時起床は辛い。

もっと布団の中に居たいと思う。

でも、4時起床でちょうどいいのだ。

今朝も4時に起き、身支度、

父と母の仏壇のお花とお茶を換え

アズキの世話をしていると4時40分になる。

それから、自分の朝ごはんを作り

夫のお弁当を作り

夫の晩ご飯を作って

6時前になる。

私の朝ごはんをアズキと共に食べ

化粧をし、トイレの掃除をしゴミ出しをした。

7時前になっていた。

急いで自宅に戻ったら台所に灯りがついていた。

夫が起きてPCをしていたのだ。

朝の用意を殆どし終えた時

夫は朝ごはんを食べたと言った。

何で、私が帰った時に直ぐに言ってくれないのか?

なんのために帰っているのか、分かってないのだろうか。

洗濯したカッターシャツをアイロンかけしようと思ったら

自分ですると夫が言った。

じゃあ、私の存在は何なの?

朝の忙しい思いは何のためにしているの?

朝、帰らないで済んだらどんなに楽だろう。

それにしても

夫は要ることを言わないのだ。

要らないことは言わないで良いが

要ることは言えと言いたい。

腹が立ってきたので、そのまま帰った。

ああ〜一日の始まりが嫌な思いで始まった。

一日悪いことが起きるのではないかと思う。

今朝の占いは、天秤座は7位だった。






2011年12月20日(火) 大阪デモ

18日の日曜日

「頑張れ日本!全国行動委員会・大阪支部」主催の

大阪大行動・デモに参加してきた。

大阪デモには今まで何回か参加してきた。

3000人集まった時のデモは壮観だった。

18日の朝一の高速バスで10時半に梅田に着く。

この間号外を配布した時に

手伝ってくれた大学生にデモのことを話したら

行きたいというので一緒に行った。

西梅田から四つ橋線に乗り

新町北公園へ。

10時から準備が始まっていたみたいで

チラシ・桜新聞配布の用意の手伝いをする。

私のメル友さんが公園に来てくれた。

デモなど初めての経験で

嫌ではないかと心配していたが

良い経験をしたと言ってくれた。

13時に集会が始まる。

西村眞悟先生や三宅博先生

東京からは幹事長の水島社長やスタッフが来られた。

先生方のご挨拶の後で

私も少し挨拶する。

この日のために

寝ても覚めても幕末のTPPについての話を

練習していたが

集会の時には時間がないので

最後の街宣で話してほしいと言われた。

13時半から15時まで1時間半歩いた。

林立する日の丸国旗を見ながら

日本を解体してはならないと改めて思った。

街宣は15時半から始まった。

先生方のお話は皆力強く本当にその通り!と拍手を送る。

三木けえさんの話しもとてもよかった。

私の番になり、皆を前に思いのたけを話すことが出来た。

途中で少し詰まったけど

まあ初めての街宣での話しなのだから良しとしたい。

17時過ぎから移動し懇親会へ。

西村先生はお帰りになってしまったが

三宅先生や水島社長、スタッフの皆さんと

和気あいあいの良い時間を過ごすことが出来た。

飲めないのに喉が渇いていて

カルピスサワーを飲んだら大変なことになった。

頭がくらくらして胸がむかむかしてトイレで吐いてしまった。

一緒に行った大学生に心配をかけてしまった、申し訳ない。

帰りのバスは23時10分。

それまでどんなにして時間をつぶそうかと思っていたけど

バスセンターで大学生と話していたら

時間は直ぐに経った。

夜行バスの中ではなかなか眠れない。

朝、6時に営業所に着いて運転して帰宅。

疲れていたはずだけど

しなきゃならないことがいっぱいあって

昼寝はできなかったからか

夜は8時には布団の中で爆睡。

長い長い一日だった。

でも、参加して良かった。


2011年12月17日(土) 拉致問題研修会

昨日は、拉致問題の研修会に参加してきた。

10日から16日までが拉致週間だったので

10日はパレードをし

昨日は研修会があったというわけだ。

午後3時から県庁第二別館で始まった研修会には

東京から特定失踪者調査会の代表の

荒木和博さんや副代表の岡田さん

そして、大阪から三宅博先生も出席された。

地元愛媛には特定失踪者と指定されている人が三人いる。

その三人のご家族と徳島県の特定失踪者のご家族二人が

娘や息子や妹が居なくなった状況を話し

支援をよろしくお願いしますと話した。

「特定失踪者」とは

北朝鮮による拉致の可能性を排除できない

失踪者を指す言葉だ。

現在日本政府が認定している拉致被害者は

17名に過ぎないが、

実際はそれより遙かに多くの人が拉致されている。

特定失踪者問題調査会は

その特定失踪者について調査し、

救出を目指す民間団体だ。

国民の力で拉致被害者をすべて奪還するため

頑張っている姿に頭が下がる。

費用など会の存続にはお金がかかる。

国民一人ひとりが少しでもカンパしてあげることによって

会の活動は存続できる。

拉致被害者救出のために

今こそ、国民が一丸となって頑張らねばならない。

皆の協力が必要だ。

昨日の会に参加して

この気持ちを新たにした。

それにしても、ご家族の話を聞くと

胸が痛み、涙がにじむ。

昨日、今日ととても寒い。

でも、北朝鮮の寒さはこんなものではない。

家族と引き離され北で暮らしている

人達のことを思うと

日本で、暖かい環境の中で

毎日過ごしていることが

とても幸せだと思うし

それだけに、一日も早く

救出してあげないといけないと思う。

政府は何をしているのだ!

北が拉致被害者を返すなら

それに見合った援助もすると言え。

結局はお金で取り戻すしか方法はないのかもしれない。

終わったら午後5時を過ぎ

外は真っ暗、帰宅したら

部屋も暗く寒かった。

寒さが胸にこたえた。


2011年12月16日(金) ようやく

やっと出来上がった。

18日の頑張れ日本!関西本部主催の

大阪大行動・デモで挨拶する

挨拶文がようやく出来た。

東京での集会・デモの時にも

登壇して挨拶をしてほしいと頼まれ

拉致問題について話そうと思い

色々考え、A4用紙一枚の挨拶文を作って

毎日練習して暗記できるようにしていた。

東京での集会は結局不参加ということになり

挨拶しなくて済んだ。

18日の大阪デモの挨拶は

TPP参加反対に関連するもので

私が皆に聞いてもらいたいと思っている

幕末のTPPについて話すことにした。

本を二冊読み終えた。

そして、私なりに頭には入った。

でも、聞いている人に分かるように

簡単で明瞭な話しにするために

この数日かかりっきりだった。

そして、昨日やっとできたのだ。

A4用紙二枚弱。

フォントを14にしたので

4枚になった。

老眼鏡をかけずに読める文字の大きさにしたから

アズキの散歩の時も

台所で家事をする時も

車の中でも

ベッドの中でも

挨拶文を覚えているが

これがなかなかうまくいかない。

娘ならセリフを覚える力があるから

このくらいの挨拶を覚えるのは簡単に違いない。

今日と明日の二日で覚えよう。

今日は拉致問題の研修会に参加。

荒木代表の講演会を聞きに行く。

そのほかの時間を利用して

なんとか頑張って

紙を見ないで挨拶できるようにしたい。


2011年12月14日(水) 過保護?

私ってやはり過保護なのかな・・・

娘が小さい時

他の子供たちは薄着だったのに

娘にいっぱい重ね着をさせ

もこもこ状態にしていた。

私の感覚で娘に服を着せていた。

だから、かえって抵抗力が小さくなって

風邪をひきやすい子になったかもしれない。

これは反省している。

でも、また同じことをしようとしている私が居る。

それはアズキのことだ。

この数日、とても寒かった。

散歩の時に風が強く余計に寒さを感じた。

私は暖かいコートを着ているのに

アズキは何も着ていない。

だから、きっと寒いだろう

風邪を引かないようにしないと

そう思ったので

アズキにコートを買ってやろうと思った。

でも、アズキは服を着るのが大嫌い。

着せようとすると抵抗して指を噛む。

服を着せるのは犬にとって迷惑なのだろう。

それは分かっている。

それでも、なんとか寒さ対策でコートを着せてやろうと思ったのだ。

アズキを連れて

エミフルのペット用品店へ行った。

カラフル、素材も色々のコートがいっぱい並んでいた。

軽くて暖かくて着せやすいものを選んでもらった。

オレンジ色でエアー入りの暖かなコートだ。

値段は3200円もした。

私はユニクロで安いものを買うのに

アズキには平気で買ってやる。

自分でもおかしい。

二枚試着させてくれるとのことだったが

一枚試着してこれに決めた。

昨日の朝はちょっと冷え込んでいたので

コートを着せて散歩した。

散歩の時にやはり服を着た犬に会った。

皆、思いは同じなのだろう。

過保護だと笑われるかもしれないが

小さい犬は風邪をひきやすいかもしれない。

アズキにはオレンジ色がとても似合う。

写真を撮って娘に送ったら

可愛い!と返事が来た。

今日は暖かそうなので

また寒さが厳しくなってから着せよう。


2011年12月12日(月) 何で忙しいの?

普通、外で仕事をしていない主婦なら

それなりに時間もあると思うのに

私って本当に忙しくて

じっとしている暇もない日々が続いている。

昨日も朝4時半に起き

夜9時半に寝るまで

座ったのは食事をする時と

本を読み勉強した時間くらいだった。

午前中も買い物で時間が過ぎ

午後もやはり買い物で忙しかった。

本当は年賀状も書かないといけないし

18日のデモのあいさつを考えないといけない。

ようやく夜になって

今、勉強をしている本をほとんど読み終え

それなりに挨拶文を考えて書いてみた。

でも、まだまだ満足できない。

言いたいことがいっぱいあって

短くまとめることが難しい。

今日こそ、完成ささなきゃ。

そして、年賀状も書き終えないといけない。

16日は午後から研修会へ顔をだす。

これは拉致問題の研修会で

特定失踪者の会の荒木先生や

大阪から三宅先生が来られる。

17日大阪行きの前日だから

落ち着いて家のこともしておこう。

明日は父の月命日

明後日は母の月命日。

お正月前にお墓掃除をすることにして

今回はパスしようか・・

明日はどうしても用事があるので

父の月命日はパスする。

14日は姉が用事があるとか。

私が行けたら母の月命日にお参りに行こう。

ああ〜体が二つほしい。

時間が倍ほしい。

さて、掃除をしてアズキの散歩に行って来よう。


2011年12月11日(日) 寒かった

昨日は、朝9時にいよっこらへ行き

姉に頼まれた買い物をし

その足で、新しい車を買う手続きのために

車屋さんへ行った。

昨日は、この冬一番の寒さだった気がする。

車屋さんで温かなコーヒーを出してくれて

ほっとした。

車は今年中には納車できるとのこと。

それまでは事故を起こさないように運転しよう。

その後、姉の家へ。

姉は風邪をひいたみたいだった。

いよっこらで買った野菜が重くて重くて・・肩凝りがまたひどくなった。

でも、姉が喜んでくれたので良かった。

先日雨の中、三回並んでもらった

フジのカレンダーを姉にもあげた。

午後からは

拉致問題に関する街頭啓発ミニパレード・署名活動があるので

早めに帰宅。

ちらしずしのお昼を食べ高島屋へ。

頼まれていた姉の用事と

18日の大阪デモへの往復切符を購入。

14時に坊っちゃん広場に集合した。

30人くらいの人たちが集まっていた。

拉致議連の県議や市議は勿論

民主党の衆議院議員の先生も来ていた。

チラシを手に

募金箱を首にかけて出発。

銀天街から大街道を歩いた。

チラシは受け取ってくれる人と

全く無関心な人に分かれる。

署名や募金をしてくれる人も居た。

3時半に三越前で解散。

その後、私たちの会の人たち4人で

近くの喫茶店でお茶をして話しをした。

一人の大学生が

国民保護法について語ってくれた。

私の知らないことだったので勉強になった。

車を置いていた高島屋まで

仲間の一人の女性と歩いて帰る。

4時半に出たが帰りの道が混んでいて

帰宅したのは17時を過ぎていた。

少し雨が降っていたし

風も強く寒かったけど

アズキを散歩に連れて行った。

本当に寒かった。

お風呂に入りほっとした。

一日がアッと言う間に過ぎた気がする。

夜は18日のデモの時に挨拶する文を作ろうとしたが

眠くて9時半に寝てしまった。

今日の日記って子供の日記見たい・・・


2011年12月10日(土) これも何かの縁か・・・

昨日は、親友に印刷した年賀状を渡すため

会ってその後ランチでもということになり

私が車の半年点検にダイハツへ持って行くから

店で会う約束をしていた。

私が乗っている車はダイハツムーブ。

前の車もムーブだった。

一番のお気に入りの車でもある。

その車が来年6月で9年目の車検を迎える。

7年目の時にも買い替えの話が出たが

母も病気だったし

買い替えなどという気持ちにもならなかった。

9年目の車検の時には買い換えようと思っていたのだ。

最近、タイヤがすり減っている気がしていた。

昨日半年点検に出した時に

タイヤの話をしたら

何と4本共換えねばならないとのこと。

(;゚Д゚)!驚いた。

4万はする。

点検に1万、計5万ということだ。

私の担当の営業マンが来て言うには

今ならエコ減税で5万円キャッシュバックがある。

だから、買い換えませんか?と。

そうよね・・

色々考えたが

結局半年待つのをやめ

この際、買い替えることにした。

さて、何にしようか・・

軽か普通車か?

母も娘も乗ることがなくなったから

大きな車は不要だ。

軽で良い。

軽なら何に?

娘はココアが良いと言っていた。

私もココアは可愛いし茶色の色も良い。

ココアにしようかなと思ったが

結局、エコ的でもあり乗りやすさでも一番のムーブにした。

ムーブにもピンから切りまである。

買うならやはり良いのが欲しい。

私のそんな欲が出てしまった。

ムーブカスタム・リミッテッドに、

そして色はパールホワイトにしてしまった。

思い切った大きな買い物をしたが後悔はしていない。

これも何かの縁だろう。

今年中には新車に乗れそう(#^.^#)

これも、夫のことが落ち着いた御陰だ。

元気で新しい車に乗れることに感謝したい。


2011年12月08日(木) 来年のお節

今年も残すところ後20日程になった。

まだ師走と言った気がしないし

街はクリスマスにむけての商戦たけなわ。

クリスマスでも終わったら

お正月に向けての品々も店頭に並ぶのだろう。

昨日は、今年最後の心臓の病院の診察日だった。

診察の結果は

薬が効きすぎていること以外は

変わったことはなかった。

薬の処方箋を薬屋へファクスしてくれる人に

今年もお世話になりました、

来年もよろしくお願いしますと言ったら

はじめ怪訝な顔をしていて

すぐにアッという顔をした。

年末が近づくとお節のことが気になる。

今年のお正月は、母の喪中でもあり

派手なことも出来ないし

お節も全て手作りした。

いつもはお重を買っていたのだが

自分で作ると結構楽しかった。

娘も買ったのより美味しいと言ってくれた。

さて、来年はどうしよう・・・

娘は忙しくて帰省できないと言っていたし

夫も塩分摂取が規制されていて

私が作るお節は夫には味が濃い。

いっそお節はなしにしようかと夫と話もした。

夫は別に要らないと言った。

でも、何か淋しい気もする。

犬用のお節料理まである時代だ。

結局、夫の塩分制限されている一人用のお節を注文した。

値段は¥9000円。

一人前としたら高い。

でも、薄味でヘルシーで

栄養士が作ったメニューのようなので

安心して食べることができる。

大阪で一人でお正月を迎える娘にも

美味しい一人用のお節を注文してやろうと思っている。

私は黒豆と田作りとナマスと数の子があれば

他は要らない。

この四品は母がいつも作っていたもので

私も母の味を受け継いでいる。

来年のお節はこれで決まり。

後は大掃除。

まあボツボツすることにしよう。

夫の家と私の家の二軒分はちょっと大変・・・


2011年12月06日(火) 落ち着いた

29日に帰省していた娘は

12月1日に無事卒業写真の前撮りを済ませ

4日の16時の飛行機で大阪へ帰って行った。

娘が帰省している間

卒論作成のため

私のPCを使っていたので

私はほんの少しの時間しか使うことができなかった。

そして、

昨日、夫が整形を受診し首のMRIの検査を受けた。

結果は首にはこれと言った異常はないとのこと。

やはり肘に何らかの原因があるのだろう。

でも、医者は所見と症状とが矛盾しているので

原因はこれだと言えないと言う。

数ヶ月様子を見て

今以上に悪くなれば肘の手術を考えるが

手術しても効果はあまりないかもしれないとのこと。

夫の痺れとへっ込みと指の動きは全く改善されていない。

でも、少し右手の握力が回復した。

日が経つに連れて段々と良くなる可能性もある。

経過を見るしかない。

夫は仕事復帰の許可診断書を出してもらった。

明日7日から仕事復帰する。

お昼ご飯はどうするのか?

仕事復帰しても慣れるまではしんどいかもしれない。

色々不安もあるが

仕事復帰したいと思ってくれただけでも嬉しい。

どうか、無理をしないで欲しい。

というわけで

夫のここでの生活も今日が最後だ。

やはり自分の家に帰る方が

職場にも近いし、便利なのだ。

でも、本当はここの方が環境も良いし

夫もゆっくりできると思うのにな。

まあ、夫が好きなようにするのが一番。

お昼のことも自分でなんとかすると言う。

夫が困った時にはまたこちらで生活するも好し

私がお弁当をつくるのも好し。

とにかく、明日からは少し落ち着くだろう。

夫は、今年の半分以上を入院・休職生活をしたが

私も夫と同じように落ち着かない日々だった。

年末は娘も帰省しないという。

夫と二人で迎える初めてのお正月になりそうだ。


2011年12月01日(木) 姉の投稿

この間、NHKの番組「鶴瓶の家族に乾杯」を見て

姉が新聞に投稿した文章が昨日の新聞に掲載された。

下記がそうだ。

「家族に乾杯」見て心和んだ


二週に渡わたり

大洲と長浜を舞台にした

NHKテレビ「鶴瓶の家族に乾杯」を見た。

情緒あふれる家や町並みは、

タイムスリップしたかのようで、

袴姿のおはなはんと出会えそうだった。

番組は、ぶっつけ本番なので思わぬハプニングが起きる。

飾らない普段着の人たちの姿と

気取らない本音がまた魅力だ。

番組で紹介された家族の中で、

長浜のパン屋さんの誠さんとは交流があるので

余計に親しみを感じた。

誠さんの体調を気にしていた私は、

元気な様子を見ることが出来て嬉しかった。

いつもの穏やかな顔と、

心を和ませる笑顔が映し出されていた。

鶴瓶さんの掛け合い漫才的トークには大笑いした。

誠さんのハーモニカ演奏途中で入れ歯が外れる

大ハプニングが起きたが、

鶴瓶さんの入れ歯を片手に拍子を取ると言う対応は、

その場の雰囲気を和らげ笑いを誘った。

東日本大震災の後、

私達は家族の絆の大切さを思い知らされた。

家族って素晴らしい

以上

心温まる良い文章だと思う。

誠さんもきっと喜んでいるだろう。

家族に乾杯!


スカーレット