スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次過去未来


2011年10月31日(月) 久しぶりの高島屋

昨日は、本当に久しぶりに高島屋へ行った。

母が亡くなってから

それまではよく行っていた高島屋も

母の思い出が多すぎて

一人で行くといつも母を思い出し悲しくなるので

なかなか足を運ぶことができなくなった。

それでも、行かねばならない用事があると行く。

昨日は、母の一周忌に姉の友人から戴いていた御仏前への

お返しを送りに行ったのだ。

姉は年末で良いと言ったけれと

あまり時期がすぎるとおかしいと思い

昨日は、夫のお昼を義母に頼んで

早目に行った。

というのも、今、高島屋は北海道展をしていて

昨日は、雨の日曜日ということもあり

きっと駐車場が混んでいるだろうと思ったのだ。

思った通り、満車に近かった。

それでも、駐車場に入れることが出来て

地下の食品売り場へ。

モロゾフのチョコレートをお返しに送ろうとしたが

まだ温度の関係でメーカーから送るのは禁止になっているとかで

結局、プチケーキの詰め合わせにした。

用事も済んだので、帰ろうかと思ったが

せっかく来たので、ぶらぶらしてみた。

今度東京へ行く時に来ていくジャケットを見たが

やはりデパートは値段が高い。

買ってもあまり着る機会のないジャケットに

数万円も出すのは勿体ない気がして止めた。

母と二人でよく食べに行った中華料理店に入り

お昼を食べた。

あんかけ焼きそばはやはり美味しかった。

でも、母の姿がないことが寂しかった・・・

夫に何か美味しいものを買って帰ろうかと思い

七階の催し場へ行ってみた。

クリーム入りメロンパンが美味しいと聞いていたが

何と行列のすごかったこと。

並ぶのは嫌だから止めて、

結局、何も買わずに帰宅した。

数時間の気分転換が出来たが

車を運転しながらも

挨拶文のことが気になり

大きな声で言いながら運転。

自分で笑ってしまう。

まあ、なんとかなるだろうと緊張するのはやめることにした。

「なるようになれ」だ。

今日は夫の神経内科の検査の日。

もうすぐ家を出る。

病院では気分転換は出来ないな(#^.^#)



2011年10月30日(日) 大変なことになった

先月、ある手紙が届いた。

開けてみると、中には一枚のハガキと共に

お願いの手紙が入っていた。

何のお願いかというと

11月6日(日曜日)に

東京で「けんむの会」の国民大集会と国民デモが行われる。

集会会場は日比谷公会堂。

その集会に来賓として登壇・挨拶をお願いしたいというものだった。

テーマは「拉致された国民」「拉致された領土」「拉致された憲法」を

奪還しようというもので、同意できるものだった。

初めは何気なく読んでいたが

これは大変なお願いだと思うようになった。

来賓として登壇する人の名前を見て驚いた。

あの田母神俊雄閣下、西村眞悟先生、チャンネル桜の代表・水島社長の

名があるではないか。

このような先生方に混じって登壇などとんでもないと思った。

そして、夫がまだ入院していた頃なので

東京へ行けるかどうかもわからなかった。

幸い、夫は退院出来た。

行こうと思えば行けるようになったのだ。

でも、往復高速バスで行くとなると疲れる。

還暦を迎えた私にそんな体力があるかどうか

とても不安になった。

友人にも相談したら、止めたら?と言ってくれた。

ただ、夫と娘は行って来たら良いと言う。

会の仲間も是非行くべきだと言った。

一度はお断りしようと思って電話をしてみた。

すると、頑張れ日本!全国行動委員会の代表の方たちに

参加してもらいたいが、今のところ香川も岡山もダメだとのこと、

愛媛から是非参加してほしいと言われた。

姉に話すと、往復の飛行機代を出してくれると言う。

結局、行くことにして飛行機の手配も済んだ。

それがだ、

何とこの集会のことが吉水神社の宮司さんのHPに載っているのだが

その中に、来賓として登壇する人たちの名前が載っていて

私の名前も書かれていたのだ。

田母神閣下や西村先生だけではなく

専門家や保守の有名な人たちの名前があった。

急に怖くなった。

私のようなものが諸先生方と一緒に話をするなんて

とんでもないと思ったのだ。

でも、今更断るわけにはいかない。

この際、腹をくくるしかない。

何を話そうかと原稿を作り

覚えるように練習している。

娘に電話で読み上げて感想を聞き手直しもしている。

私の一生に一度の晴れ舞台となりそうだ。

怖いけど、これもまた人生の点だ。

ジョブズ氏ではないけれど

点が将来、線となることを信じて

頑張るしかないと思う。

それにしても、大変なことになった。


2011年10月29日(土) 脳ドック

昨日、先日夫がした脳ドックの結果を聞きに行った。

異常なしという結果に一安心。

夫の右手の痺れの原因は

神経内科の先生が言っていたように

尺骨神経の異常によるものなのだろう。

月曜日にははっきりする。

原因が分かれば治療方法はあると思うが

もし、尺骨神経が切れていたとしたら

もう痺れも指の動きの悪さも回復しないかもしれない。

神経をつなぎ直すことは不可能だと思うから。

もし、治らなかったら、職場復帰は難しいのでは?

今までは腹水が溜まることが心配だったのに

腹水が溜まらなくなったら

今度は次のことを心配する。

人間でおかしいなあと思う。

腹水が溜まらなくなったことだけでも

本当に有難いことなのだから

指の痺れのことを思い煩うことをやめなければならないのかもしれない。

病院の帰りにケーズデンキにより

ファンヒーターを一台買って帰った。

去年まで使っていた小部屋用のファンヒーターの調子が

しまうことからおかしくなっていた。

アズキが居る部屋で、私がいつも使う部屋で

小さい部屋なので、すぐに暖まると思う。

値段も案外安価だった。

対面式のストーブは不安がある。

火事にもなりやすいしやけどもしやすい。

少々の電気代がかかっても

ファンヒーターの方が良いと思った。

お昼ご飯は、夫がちゃんぽんを食べるというので

久しぶりに長崎ちゃんぽんの店に入った。

私は皿うどんの小と餃子3個のセット、

夫は長崎ちゃんぽんと餃子3個とデザートがついたセットを注文。

美味しかった。

午後から姉が来た。

母の一周忌以来だった。

アズキとも遊んでくれたし、短い時間だったが

夫とも話をしていた。

姉とリニューアルオープンしたマルヨシへ買い物に。

楽しかった。

やはり夫と二人だけではなく

誰かと喋るっていいなあと思う。

それにしても、夫の脳ドックの異常なしは良かった。


2011年10月28日(金) 忙しかった

今週は夫の病院通いで毎日忙しくしている。

火曜日は日赤の脳ドックがあった。

昨日は県病院の受診の日で

朝9時に家を出て病院へ。

予約時間より早目に行ったが

診察の時に色々な話をし

エコーと血液検査をしてまた診察椅子に。

夫の経過はまあまあ順調だった。

腹水は少しは残っているが

自然になくなるだろうと言われてほっとした。

体重はひと月に一キロくらいの割合で

増えるだろうし、あまり急激に増えると

腹水がたまっていることになるので

あまり焦らないようにと言われた。

夫の復職はまだ難しいみたい。

今年の5月に手術をしてから

右の手の指が痺れて

箸を持つのも難儀していると訴えた。

神経内科の分野なので紹介してもらい

午後受診することになった。

昼ご飯となったが、何を食べたら良いか・・

病院の中にある食堂に行ってメニューを見たが

薄味のものはあまりない。

結局、夫は親子どんぶりを注文した。

私がつくる食事が薄味で慣れているから

病院の食事はちょっと味が濃いと言っていた。

食事が終わって神経内科を受診。

色々先生と話しをしたが

尺骨神経が原因だろうとのこと、

だから、右の親指の根元の肉がなくなり

力も入らないとのこと。

来週の月曜日に

尺骨神経の走るはやさを検査することになった。

帰宅したのは午後3時をすぎていた。

家事をしたり、アズキの散歩をして

夕方となり、バタバタしながら夜を迎えた。

正直疲れた。

夫も疲れたようだ。

今日は日赤へ脳ドックの結果を聞きに行くことになっている。

今日は近くのマルヨシがリニューアルオープンするので

買い物にも行きたいが行けるかな・・


2011年10月26日(水) 寒い朝

今朝は寒かった!

いつもなら、遠赤外線毛布を着ているので

朝、起きる時は汗ばむような感じなのだが

今朝は、いつの間にか、毛布を肩まで引き寄せて着ていた。

アズキも昨夜は毛布をかけて寝させたが

風邪を引いてないかと心配になり

4時に起きて見に行ったりした。

二階で寝ている夫の様子を見に行くと

せっかくの遠赤外線の毛布を布団の上にかけているではないか。

これでは何もならない。

でも、寝ている布団をはがすわけにはいかず

そのままにしておいた。

夫は7時半に起きたが

とても寒そうだったので

冬物のパジャマを出して着替えてもらった。

夫は痩せたので寒さが骨身にしみると思う。

今までも、結構寒がりだったから

今年の冬は風邪をひかねば良いが・・・

というわけで

さっきまで洗濯や入れ替えをしていたが

窓の外からは暖かそうな日差しが差してきた。

寒いのは朝晩だけで

日中はきっと暖かいと思う。

こんなに朝晩と日中の寒暖の差があると

余計に体調を崩しそうになる。

それでも、晴れは有難い。

大きなものを洗濯しても乾く。

今週いっぱいはお天気は良いみたい。

日曜日はもう今月の最後の30日になる。

11月が目の前だ。

長期予報によると

今年の11月は例年よりも暖かいらしい。

初めの頃は暑いと感じる日もあるかもしれない。

外出の時には自由になるものを

一枚持って行くのが良いかも?

明日は、夫の県病院受診の日だ。

休職の延長をすると思うし

診断書を書いてもらわないといけないだろう。

今年、いっぱい休んで復職できるのだろうか?

見た目ではまだ無理な気がする。

昨夜もそのことを考えていて目が冴えてしまって

眠れなかった。

やはり、将来のことが見えない分

不安もあるし、考えてしまう。

寒さは心の中にまで影響するみたい。


2011年10月25日(火) 脳ドック

今日は、夫が以前に予約していたが

入院のため延期になっていた

脳ドックを受けるために日赤へ連れて行った。

夫は毎日、少しずつ元気になってくれると嬉しいが

なかなか体重も増えない。

こんな状態でドック検査をして良いのか?と不安もあったが

脳のドックだから、体に負担も少ないみたいなので

朝8時までに健康管理センターへ行った。

ここは、一日コース、二日コースで

検査を受ける人たちでいっぱいだった。

検査を受ける人はその人の考えがあるのだろう。

仕事場から行けと言われて来たような人も居たが

正直、えらいなあと思った。

私は、心臓の病院を60日毎に受診しているが

その病院で血液検査を受けるだけで

他の検査は全くしていない。

胃カメラも何年もしていないし

子宮癌検診は5年以上していない。

乳癌検診はしたことがない。

下剤を2リットル飲んでする大腸カメラもしたことがない。

でも、私は癌にはならないと思っている。

検査を受けないのだから

癌になっていても分からない。

分からないから癌になることはないのだ。

もし、最悪、癌が見つかったとしても

治療は全くしないつもりだ。

後、何年生きられるか分からないが

後悔のないように毎日を過ごしたら良いと思っている。

だから、検診は受けないしドックなどもっての外だ。

夫の脳ドックの結果は

金曜日にもう一度行って聞くことになった。

内科の簡単な検査では

やはり肝臓が悪いことが影響しているようで

数値で心配な点もあった。

夫は検査を受ける気持ちになれるのだからそれはそれで良い。

今日、検査に来ていた人たちもそれで良いと思う。

でも、私は絶対に検査はしない。

検査してもしなくても

なるようにしかならないのだから。

父や母のように癌になり

放射線治療や抗がん剤治療をしても

全く良くならなかった。

だから、私は治療は無駄だと思っている。

ただ、この間亡くなった

ジョブズ氏が、初めて膵臓癌が分かった時

もっと早く手術をすべきだったと

言っていたと聞いた。

後悔したのだろう。

ジョブズ氏にしたら珍しいことだ。

私は後悔はしない。

だから、私は癌にならない。

夫の脳ドックの結果は多分大丈夫だろう。

それより、退院して二週間になるが

体重が増えないのが心配だ。

今日もきっと疲れただろう。

明後日は県病院の受診があり

金曜日はもう一度日赤へ行かねばならない。

夫の体に負担にならねば良いが・・


2011年10月20日(木) 限界

もう限界だ。

生きる意欲がなくなりつつある。

何もかも嫌になった。

消えたい・・・

消えてしまいたい・・・

疲れた。

何も考えず

何もせず

何もかもから遠ざかりたい。


2011年10月19日(水) またも・・・

またも体調不良になってしまった。

昨日の午後から夜にかけて

歩くのも辛いほどしんどくなった。

いつもなら、エミフルへ歩きに行く私が

流石行く気にもなれなかった。

体重が減少。

服を着て、38キロを切ってしまった、

今朝は37.7キロにまで減少。

これはしんどいはずだ。

夫が退院して一週間。

休む暇もない時間を過ごしている。

やはり、食事作りが一番の負担になっているのは確か。

食事をつくるには食材を調達しないといけない。

私一人なら、めったに食材を調達する必要もなかったが

野菜や肉や魚や、主食となる米等

私があまり食べないものまで買いに行かねばならない。

そして、夫が二階にいるので

二階の部屋の掃除も増えたし

二階のトイレも掃除が増えた、

他のことでも、何か落ち着かない。

私一人なら何でも良い食事、

夫が食べるものと違うものをつくるのも面倒で

ついつい簡単に済ますから

私の体力が落ちるのも当然だ。

今日は心臓の病院の診察日。

心臓は変わりないと思うけど

このしんどさは長く続きそうだ。

言っても仕方ないけど・・・

積極的な心になれない。

来月に行くつもりだった東京も

きっとダメになるだろう。

やはり、夫を放っておくわけにはいかないから。

自由がない。

そう、自由がありそうで無いのだ。

一日、ご飯に縛られている感じがするのだ。

アズキのことでも拘束されるし

夫のことでも拘束される。

早く夫が元気なって

毎日仕事に出て行くようになってほしい。

それまで、私の体はもつだろうか?

こんな悲観的な思いをしていたら

ますます悲観的な人生を送ることになるかもしれない。

でも、今の私には余裕がないのだ。


2011年10月18日(火) アズキの1才の誕生日

今日、10月18日は

昨年12月31日に我が家にやってきた

愛犬・アズキの1才の誕生日だ。

犬が1才というのは

人間で言えば17才だそうだ。

つまり、アズキは花も恥じらう乙女

女子高校生・ギャルなのだ(#^.^#)

今朝は、いつものように3時過ぎにわんわんと吠えた。

私が起きていき、灯りをつけると

眠そうな顔をして私を見た。

まだ、早いから寝てねと言って小さい灯りにして

私もベッドに入った。

再び、アズキが吠えるので行ってみると

やはり、これもいつもの通りウンチをしていた。

これをきっかけに私も起床。

アズキを抱いて体重測定を。

アズキも私も減っていた。

アズキは2.75キロ。

私は37.7キロだった。

アズキはこのくらいで大きくはならないみたい。

だから、成犬では小さい方だ。

避妊手術をしているので

太りやすいと言われているので

毎日の食事に気をつけている。

50グラムから100グラムの範囲で誤差はあるものの

ほぼ定まったようだ。

それから、散歩に連れていった。

草むらを見ると走り出した。

きっと臭いの宝庫なのだろう。

クンクンするのはあまり好きじゃないけど

犬は他の犬の排泄物の臭いにも

敏感になるのかもしれない。

アズキは決して外でウンチをしない。

おしっこも家でしかしない。

だから、自分の排泄物の臭いではないのだけな・・・

アズキの1才の誕生日に

何をプレゼントしてやろうかと

前々から考えていた。

大きなデコレーションケーキを買ってやろうと思ったが

値段もバカにならないし

アズキは分からないだろうからやめて

アズキが喜ぶお菓子やおもちゃにすることにした。

今日、夫と私がお昼を食べる時に

そのお菓子やおもちゃをアズキに与えた。

嬉しそうに食べていたし遊んでいた。

アズキ日記に写真も出したので見てみてね。

http://blog.livedoor.jp/azukichan1018/

そして、今日はおっしこの失敗をしていない。

もしかして、これからトイレがうまくいくのかな?

そうなら(#^.^#)けど。




2011年10月17日(月) ユニクロへ

夫は結婚した時も痩せていたが

今ほどではなく

ウエスト73センチのズボンを履いていた。

それが、結婚後

私がつくる料理が美味しいのか

段々太って来て、最高ウエスト83センチの

ズボンを履いていた時もある。

体重も60キロに満たなかったのが

最高で64キロほどになり

メタボだと気にすることもあった。

今ではとても懐かしく思える。

夫は、今回の病気で痩せてしまった。

体重は45キロ。

ウエストを測ってみると

何と65センチしかなかった。

スタイルの良い女性の体重と

女性にしては少し大きめのウエストだ。

入院しているときや

自宅で寝ている時は

パジャマで良いが

退院して、寝るばかりではなく

一日置きに、近くの病院へ注射に通うようになった。

パジャマやリラックスウェアで行くわけにはいかない。

でも、一本を残して

全てのズボンが大きくなってしまった。

これは困った゚(゚´Д`゚)゚

夫はウエストを何かで縮めれば良いと言ったが

そうは言ってもなかなかうまくいかない。

そこで、今の時点でぴったり合うのはないかもしれないが

それでも、少しはましではないかと思い

この間から、エミフルで夫のズボンを探していた。

ビジネスズボンは最低73センチがほとんどだった。

73センチは大き過ぎる。

エミフルにあるユニクロへ行ってみた。

ここは、若者も買うので細身のズボンもあるだろうと思っていたが、

やはりあった。

一番ウエストの細いズボン(パンツ)が

70センチだった。

タックなしのコーデュロイのグレーのパンツと

暖パンというジーンズで冬用の暖かいのを一本買った。

試着して裾上げをしてもらったが

ウエストも足の幅もブカイ。

でも、これ以上小さいのはないから仕方ない。

冬は上に何か羽織るから少々ブカクても大丈夫だろう。

今まで、痩せてはいたが

いつもLサイズの上に着るものを買っていたが

今はMサイズになってしまった。

だから、昨日、ダウンジャケットの軽い軽いのを

一枚買った。

これで、冬になっても医者通いもできるだろう(#^.^#)

予算をオーバーしてしまったが

必要経費だと思おう。

でも、家計から出すのはちょっと苦しいから

私のお金から、退院祝いのつもりで買ってあげた。

これらのパンツが履けなくなって

買ったのが無駄になる方が嬉しい。

早くせめて50キロにまで太ってほしいな・・




2011年10月16日(日) 何だかな・・・

毎日があれよあれよという間にすぎていく。

そして、気が付けば還暦。

これからの10年もまた

同じように忙しい日々と共に過ぎるのだろう。

私の欠点は

なるようになれと思えない点。

こうしなければならないと考える点。

自分で自分の首をしめていると

親友にはいつも言われるが

本当にそうだと思う。

つまりは、しんどい生き方しかできないのだ。

自分自身にノルマを課せ

そのノルマが達成できなかったら

自分を責める。

だから、何事も楽しめない。

例えば

娘が身に付けていた活動量計

私も買って身につけるようになった。

この間、娘が帰省していた時に

つけていないので聞いてみた。

娘は「ああ〜忘れてた」と言った。

私は忘れるなんてことが出来ない。

毎日、自分がどのくらい活動しているか?を把握したい。

何歩歩いているか知りたい。

そのために、要らぬ活動をしている。

一度に済ませれば良いものを

何回にもわけてやっている。

そして、あれ以来エスカレーターを利用することはない。

4階までも、それも重い荷物を持ちながら

一段一段歩いて上がっている。

ちょっとそこまでという時にも

車を出していた私が

重いゴミを持ってゴミ捨て場まで歩いている。

そして、歩く用事がないときは

何となくイライラして

必要もないのにウロウロするのだ。

午後からは、用事はないくせに

エミフルまで行き

二階と一階を歩く。

そして、一万歩以上歩いた時点で

気持ちがほっとしているのだ。

活動量はたまに2000カロリーを超すことがある。

普通は1700カロリーから1800カロリーの範囲だ。

基礎代謝が少ないから

いくら動いても増えない。

2000カロリーを消費していた日は

流石、夜になるとしんどくてしんどくてたまらなかった。

私が食べる量に比べて消費した量が多かったということだ。

以上のように

どんなことでも一生懸命になってしまう。

そんな自分が分かっているから

何かをし始める時に躊躇してしまう。

従姉妹に川柳を勧められた。

その気にもなったが

自分がどうなるか?想像できるから

やるのが怖くなった。

何をしていても、一日中

寝ている時でも川柳のことばかり考えて

自分を見失う気がするからだ。

のめり込んでしまう私がわかるから

やるのは止めることにした。

なんでだろう?

(?_?)

\(◎o◎)/

自分を笑ってしまう。

きっと、完璧にしたいと思うからだ。

適当に、いい加減に出来ないからだ。

こんな性格を変えないと

後10年たっても同じことをしているかもしれない。

ああ〜ため息が出る。


2011年10月15日(土) 食事作り

夫が入院している間、

私一人の食事は

本当に簡単なものだった。

お金もかけないようにしていたし

時間もかけない簡単なものだった。

冷凍のスパゲティをチンしたり

チャーハンの元を使って作ったり

うどんを温めて

その上にレトルトカレーをかけたり

もやしと焼きそばに味をつけて

もやし焼きそばにしたり・・・

とにかく、簡単なものになっていた。

お昼は毎日お弁当を作って

夫の病院で食べていたし

朝食はこの数十年

同じメニューだし・・・

それが、夫が退院して

毎日、朝昼晩の食事作りをするようになって

忙しいことと言ったら・・

食材の調達に始まり

三度三度の食事のメニューを考えるだけで大変だ。

朝は大体、同じものにしているが

昼も夜も同じものではダメだ。

そして、夫の場合は

肝硬変があるので

塩分制限と水分制限が必要だ。

味噌汁やスープなどは除外。

肉と魚を一日に摂ることが必要。

病院食を見ていたから

どんな風にしたら良いかはわかる。

でも、味付けが問題だ。

そして、栄養のバランスを考え

また、食費も考えながらの

食事作りなので

退院して三日経つが

何か少し負担になってしまっている。

昨日の昼は薄味の鍋焼きうどんとサラダと

塩気のない小さいおにぎり。

夜は、鯵のタタキに里芋等の芋だき風、それと

オクラの胡麻和えを作った。

今日は

お昼は豚肉とピーマン、玉ねぎ炒め

トマトときゅうりのサラダ

さつまいもの甘煮を作った。

夜は、手羽元と大根とゆでたまごの煮付け

ほうれん草のおひたし

それと後一品がまだ決まっていない。

湯豆腐にしようか

それとも大豆を炊こうか・・・

胡瓜の酢の物にしようか・・

迷っている。

三度三度の食事作りをしていると

自分の時間もほとんどなくなってしまった。

新聞も夜になってやっと目を通す程度だ。

こんな日がこれからずっと続くと思うと

私自身の体力が持つかどうか

不安になる。

一日、一日が無事に済めば良いと思うが

それでも、しんどくなる。

お金さえ言わなければ

なんとかなるけれど

食費のことも考えながら

栄養も考えてつくるって大変。

でも、止めることはできない。

頑張らないと。


2011年10月14日(金) 今日が母の一周忌

今日、10月14日は

昨年亡くなった、私の母の命日

一周忌だ。

先日10日に少し早いが

姉と従姉妹と娘と私の4人で

ささやかな一周忌法要を済ませ

納骨をすることが出来た。

今は母は父と並んでお墓の中に居る。

仏壇には父と母の戒名が並んでいる位牌と

写真と分骨して小さな袋に入った

た父と母の遺骨が飾られている。

法事を済ませ、祭壇を片付けたので

今は、毎朝仏壇のお花とお茶、ご飯を代え

線香を立てて手を合わす日々だ。

納骨の時にお墓参りにも行ったので

姉は今日の命日はもう良いねと言ったが

私は今日の母の命日にはお墓参りに行くつもりだ。

ひと月に一回くらいしかお墓参りに行けないから

可哀想だし、私自身の気持ちも落ち着かない。

今日は、雨が降ると言っていたが

今は晴れ間が出ている。

午後は雨と風がひどくなるらしい。

午前中に行けたら行こう。


2011年10月13日(木) へとへと・・(´;ω;`)

昨日は、朝から晩まで

座ったのは、運転の時

ご飯の時、トイレの時くらいだった。

娘を送って行き、夫を迎えに行き

帰宅して、入院時の荷物の片付けをしたら

もうお昼ご飯の時間だった。

急いで有り合わせの

でも、塩分を少なくしたメニュー

(焼き飯 サラダ)を作り済ませる。

夫が自分の家に帰るというので

連れて帰り、迎えに行くまでの

二時間あまりを

内祝いや食材を買うために

エミフルへ。

ついでに歩く。

一つのコーナーでブーツのいいのがあり

また、私の靴好きの悪い癖が出て

止めようか、どうしようか・・と迷った挙句購入。

娘に頼まれていた

フォトアルバムをビレッジに買いに行く。

そして、食材を買うまえに

内祝いを。

午後4時に人が来ることになっていたので

夫を迎えに行き、帰宅。

ギリギリ間に合った。

来客の用事を済ませ

アズキの散歩に。

帰ってシャワーして晩ご飯の仕上げ。

薄味のすき焼き風の卵とじと

もやしとりんごの酢の物

冷奴

ホーレンソウのしろあえを。

食べて片付けると午後7時。

8時までアズキと遊ぶ。

本を持ってベッドに入ったが

一頁を読んだところでダウン。

従姉妹からの携帯メールや

友人からのメールに返信するのがやっとだった。

本当に心身共に限界みたい。

でも、思い直す。

動けることに感謝。

元気に感謝。

そして、今朝も4時前に起床して

今まで、の三時間

しんどいが頑張っている。

駄作川柳一句。

「つぶやきて 心の窓に 光さす」


2011年10月12日(水) 夫が退院する

今日、夫が退院する。

母の一周忌のために帰省していた娘を

空港へ送って行った後で

夫を病院へ迎えに行くことになっている。

退院は喜ぶべきことだ。

5箇月に渡る入院生活は

夫から健康も自由も奪い

本当に病人にしてしまった。

肝硬変は依然残っている。

腹水が溜まらなくなったことだけが

唯一効果が出たことだ。

一時はもっと酷い状態になっていたので

私自身どん底に突き落とされた気分だった。

あの時のことを思うと

今日、こうして退院できるようになったことを

両手を上げて\(^^@)/して喜ぶべきだと

皆揃って言うに違いない。

しかし、私はそう思えないのだ。

自分のことを自分でできる状態になり

仕事復帰も一ヶ月くらいなら良い。

それがいつに復帰できるかわからない状態であり

家の療養生活がいつまで続くかわからない。

その分、私の負担が増える。

正直言って、

24時間夫と一緒の生活も気詰まりだ。

悪妻だと言われるだろう。

愚かだとも言われるに違いない。

分かっている。

私が一番知っている。

それでも、敢えてしんどいと言う私

夫の前ではこぼせないことだ。

夫にはよかったねと言っている。

私のことは二の次でいいのだ。

私さえ我慢したら良い。

私さえ努力したら良い。

私さえ自由を奪われれば良いのだ。

そして、夫のことを一番に考え

夫中心の生活をし

夫を見守り

夫のためにご飯を作り

夫がしたいようにしてあげることが

私の妻としてのつとめなのだから。

しかし、それは理想だ、

私にとっては苦業の日々になるのではないだろうか。

今から身構えてしまう。

私が身動きできなくなるような気がする。

私自身が潰されてしまいそうになる。

私自身が倒れるかもしれない。

ああ〜本当に不安でたまらない。

退院は嬉しいことだが

それを素直に喜べない

私は自分で自分が本当に嫌になってしまう。


2011年10月11日(火) 顛末

昨日の母の一周忌&納骨顛末。

10時半前に従姉妹が娘を連れて帰って来てくれた。

姉も来た。

家の外・裏の草ぬきや家の掃除は終了していたので

後は11時にお坊さんが来るのを待つだけ。

少し喋っていると知らぬうちにお坊さんが来ていた。

挨拶をして読経が始まる。

約40分ほどの読経の後

御布施等をお渡しして、お坊さんはお帰りになった。

その後、姉が予約していたお昼のお弁当を取りに行ってくれた。

4人で色んなことを話しながらお昼を済ませる。

値段の割に豪華だったので、残してしまった。

納骨は午後3時前の予定なので

3台の車でお墓へ。

私の高校時代の友人が石材屋さんに務めているので

彼が待っていてくれた。

揃ったところで、納骨。

父方の祖父母、曾祖母が眠るお墓の納骨場所は

なんだかとても淋しい。

寂しくてこんなところに入っているよりも

私の傍に居る方が

母は嬉しいのではないかあと思ったが

父のお骨の傍に並んで納骨された母を見て

やはり納骨してあげて良かったと思った。

これからは、お墓に行けば母と話せる、

否、家の位牌に話しかけるのか・・

母はお墓には居ないかもしれない。

千の風になって

いつも私の上に居てくれるのではないか。

そんなことを思いながら

母にさようならを言った。

帰りに娘と夫の病院へ。

でも、アズキが一緒だったので

差し入れを持って私だけが病室へ行った。

夫はその時間、リハビリの時間で留守だった。

伝言メモを残して、帰宅する。

夕ご飯前に娘とアズキの散歩。

そして、夕ご飯の後は

母の祭壇を片付け、

仏壇を掃除して母たちを仏壇へ。

祭壇の下を掃除、

ついでに絨毯をずらして家具を動かす。

こんなことだけなのに

二時間もかかってしまった。

終わったら9時前になっていた。

本当に疲れた。

一日がとても長かった。

でも、一周忌と納骨を終えホッとしている。

今朝は仏壇のシキミの水を代え

ご飯とお茶をあげた。

そして、母達に手を合わせて

今日からはここで話すねと言った。

娘は明日の朝の飛行機で大阪へ帰る。

そして、その足で夫を迎えに。

まだまだ忙しい日々が続きそう・・




2011年10月10日(月) 母の一周忌

今日は、昨年10月14日に亡くなった

私の母の一周忌をすることになっている。

本来なら、親戚の人たちにお寺に集まってもらい、

お坊さんにお経を唱えてもらい

皆で母の法要を済ませた後

ホテルでの会食にするのだが

今年は、まだ夫も入院しているので

内輪で済ませることにした。

姉と私と大阪から帰ってくれる娘との三人で

母の家(今、私が住んでいる家)に

お坊さんに来ていただいて拝んでもらうことにしていた。

でも、有難いことに父方の従姉妹が来てくれることになり

4人で法事をすることになった。

昨日は、祭壇に飾る果物やお供物

シキミを買いに行った。

母が白いカサブランカが大好きだったので

いよっこらでカサブランカと白い百合を買ってきた。

今朝は、3時過ぎに起床。

お霊具膳を作り

さっき、お団子40個を作って

祭壇にお供えした。

これで、準備はOK。

後は家の内と外を綺麗に掃除をすれば良い。

法事は11時から。

娘が9時45分着の飛行機で帰ってくる。

従姉妹が迎えに行って連れて帰ってくれることになり

私も忙しいから一安心。

11時の法事の後、予約しているお弁当をもらいに行き

4人で食べてお喋りなどした後

納骨をするためにお墓へ行くことにしている。

母の遺骨が私の傍から居なくなると思うと

なんだかとても淋しいけれど

いつかはキリをつけないといけない。

一周忌がひとつの区切りでもある。

きっと母も、お墓で待っている父も

安心するだろう。

明日からは父と母の位牌をいれた仏壇に向かって

毎朝、お茶とご飯とシキミの水を替えながら

話しかける日々になる。

今日の一周忌の続き

顛末は明日のこのつぶやきで。

無事に終わりますように・・


2011年10月09日(日) 娘の公演を見に

昨日は、大阪の大学に通っている娘の

最後の演劇公演を見に行ってきた。

卒業公演もあるはずだから

もしかしたら最後にならなかったりするかも・・

まあ、でも、夫が入院中で、

自宅に居るよりも私の自由な時間があるので

思い切って行くことにしたのだ。

昨日の朝は3時に起床。

アズキの世話をしたり支度をしたり

アズキも私も4時に朝食を食べて

5時に家を出て5時35分の始発に乗った。

バスの中では9時過ぎまでうとうと眠った。

梅田についたのは11時前。

地下鉄谷町線に乗り換え阿倍野駅へ着いたのは

11時20分頃だった。

娘の公演をこれまでも見に来てくれた

メル友さんが、今回も見に来てくれた。

本当に有難い。

誰が見に来てくれるだろう。

久しぶりにお会いして、近況報告などしながら

阿倍野駅の前に出来たモールでお昼を食べた。

公演会場は直ぐ近くだった。

午後1時半に開場。

2時から3時20分までの80分の公演だった。

見たのはうんこなまずという劇団の二回目公演。

http://unkonamazu.exblog.jp/

一言で言えば若さに驚き、

その運動量にも感服。

うんこなまずのツイッターに

下記のように返信した。

「お疲れ様です。

昨日見に行った○○○の母です。

題名を見た時はうん?と思いましたが、筋は単純明快。

男女のわかれの中にあるそれぞれの思いを

、役者を取り替えながら、

肉付けした脚色、激しい動きと演技。

あれよあれよという間に時間が過ぎました。

皆さんの熱演に感動しました」と。

娘の公演はほとんど見てきたが

これできっと最後になるだろうと思うと

なんだかとても淋しくなった。

これから、娘は演劇は続けるのだろうか?

帰りに娘に会って一声かけた。

差し入れはクリスピードーナツ20個。

メル友さんと二人の連名で差し入れた。

終わって近くの喫茶店でアイスティーを。

もっと色々話をしたかったが

時間もあるので別れる。

梅田に戻り、予定より一つ早いバスに乗れたので

帰宅も23時になって、良かった。

帰るとアズキが待っていたように

飛びついて来て顔を舐めまわした。

姉にアズキの夕食とウンチの世話を頼んで行ったので

とても助かった。

寝たのは12時。

疲れたけど、行って良かったと思う。

来年3月の卒業公演に娘が出演するなら

夫の様子次第で、また見に行ってもいいなあと思う。


2011年10月07日(金) 夫の退院が

5月に県病院に入院し

脾臓・胆嚢摘出手術をした後

腹水が溜まって回復が段々遅くなり

県病院から市内の私立病院へ転院したのが7月。

あれから3箇月が経とうとしている。

通算5箇月に渡る入院となっていたが

夫の退院が今月12日に決まった。

腹水は溜まらなくなったものの

相変わらず下剤をかけているので

太れず痩せたままだ。

体力もまだまだ回復しそうにない。

四肢の力がなくなってしまって

歩いたり指先でものを持つことが困難となった。

夫は病院でリハビリをしている。

今の夫の外見は、まるで末期癌の患者のようだ。

ここまで痩せてしまったら

筋肉も無くなり、力も入らないはずだ。

病院食は皆食べているが

下剤をかけるため下痢をする。

いくらアンモニア脳症を防ぐためとは言え

こんなに下剤をかける必要があるのだろうか・・・

食べても即出るといった感じでは

身につかないのは当たり前。

食事内容も自宅とは違い

タンパク質があまりにも少ない。

これで良いのか?と不安になる。

退院しても塩分制限・水分制限は同じで

これは一生続く。

私が食事作りに不安を感じるのはいけないことなのだろうか。

一ヶ月とか期限が決まっていれば頑張れる。

でも、これからどのくらい長く続くかと思うと

ノイローゼになりそうだ。

こんなことは口がさけても夫には言えない。

だから、外見からは平気そうにしている。

夫が退院だと決まって嬉しそうにしているから

私が夫を支えないといけないと改めて思う。

夫の退院を心から喜ぶべきなのに

それを喜べない私が居る。

自分勝手な私が居る。

だから、よけいに自分が嫌いになる。

夫にはおめでとうとメールを送りながら

心の中で本当に嬉しいのかと自問自答してみると

そうではない私が居る。

私ってやはり嫌な人間だ。


2011年10月06日(木) 自分がわからなくなる

わからない。

私自身がわからない。

一日前は気分が躁だったのに

一夜開けると鬱になっているのだ。

昨日はとてもいい日だった。

思ってもみなかった人から

一日遅れの誕生日プレゼントをもらった。

小さなダイヤモンドがキラっと光る

ハート型のペンダント。

綺麗な真っ赤な包装紙にピンク色のリボンがかけられていた。

何だろう?と思いながら開けてみると・・・

ワーっ!と思わず声を上げてしまった。

喜びが大きくてうまく言葉にできなかった。

誕生日を覚えていてくれたことだけでも嬉しいのに

還暦祝いだとは!

それだけで、一日がとてもハッピーで

元気になれたというのに

一晩寝ると今朝の気分の悪いこと悪いこと

何もかも嫌になり

何もしたくない気分で

アズキの顔を見ても鬱々気分だった。

我ながら呆れる。

これって何だろう?

原因は本音を言えない自分にある。

本音を言うのが怖いのだ。

何に対して恐れているのか?

それは世間の私への評価?

多分、本音を言うと

皆が私を嫌いになり

去っていくだろうなと思うからだ。

本音を言えば

誰からも相手にされなくなるだろうなと思うからだ。

でも、本音を言わない限り

私はいつも心の中で本当の私と

そうでない私が葛藤し続けるだろう。

そして、私の精神は崩壊するだろう。

何もかも分かっている。

分からないのは

そんな自分を見つめている私自身の姿だ。

気味が悪いじゃないか。

もっと本音を出せば良いじゃないか。

私を守るものは私しか居ないのだから。

誰も崩れた私を支えることはできない。

ああ〜ここでつぶやくことができたらどんなに楽だろう。

誰にも言えないことを。

誰にもわかってもらえないことを。

自分が情けないし

自分自身が嫌いになりそうだ。


2011年10月05日(水) 誕生日の顛末

結局、昨日の私の還暦の誕生日は

想像していたのとは違って

皆からお祝いの言葉をもらった

嬉しい日になった。

朝、起きたら数人の人から

お祝いのカードやメールが届いていた。

娘からは「お母さん、お誕生日おめでとう」の

携帯電話がかかってきた。

病院へ行くと、夫は何も言わなかったけど

お祝いに赤い手帳を買ってくれることになっているから

まあいいかと思った。

娘にこちらから催促しないでよかった。

夜になると

会の仲間の女性からおめでとうございますの電話が入った。

本当に有難く嬉しかった。

昨日は、夫の病院の帰りに

高島屋へ寄った。

母の一周忌に来てくれることになっている

姉と従姉妹に持って帰ってもらうお土産を買いに行ったのだ。

モロゾフの小さな色々な味のケーキの詰め合わせを買った。

前に夫に買って行った時

娘が一口食べて美味しいと言っていたからだ。

高島屋へは母が生きていた頃はよく行っていたが

今では何かの用事がある時しか行かない。

久しぶりだったので七階に上がってみた。

手作り作品の展示即売会をしていたので

ぶらっと見てみた。

布で色々なものを手作りしているコーナーで

とても可愛いお雛様を見つけた。

来年1月の姉の誕生日プレゼントにしようと思い

そのお雛様を買った。

隣は布や皮で花を造っているコーナーで

黄色い小さな花の植木鉢があった。

花の名前は昼咲き月見草。

施設に入っている姉の恩師へのプレゼントに買った。

それからぶらぶら見て歩いていると

真っ赤な粘土で出来たペンダントがあり

以前に失さしたものに似ていて

思わず手に取ってしまった。

首にかけてみるととても可愛くて素敵だった。

私の還暦の誕生日祝いに

この赤い粘土で出来たペンダントを買った。

なんだか心がほんわかしてきた。

高島屋を出てエミフルへ。

サンタカフェに行き

私のためのケーキを買った。

私はケーキは嫌いだ。

一年に一回くらいしか口にしない。

でも、ここのタルトは論外。

娘も大好きで帰省した時はよく買ってやる。

そこにあるタルトの中で

迷った結果、モッツレラチーズのタルトを一つかった。

私の誕生日に一人で祝うと店の女の子に話すと

サービスでローソクとチョコの板に

お誕生日おめでとうございますと書いたのをつけてくれた。

帰宅し晩ご飯の後で

ケーキのローソクに火をともし

♫ハッピバースディ○○ちゃん♫と

自分に\_(^◇^)_/\(*^^*)/ おめでとっ!を言って祝った。

最近は体調も今ひとつで

足は鉛をつけたように重い。

夜も早くから眠くなる。

9時に消灯してベッドの中に。

大したことはない平凡な一日だったが

私にとっては還暦祝いの一日だった。

きっと母もおめでとうと言ってくれているだろう。

良い一日だった。




2011年10月04日(火) 違ったことを

亡き母から話を聞いていたが

私は4日になって直ぐに生まれたそうだ。

だから、今朝は目覚ましをセットしておいて

夜中の0時10分に起きてみた。

母が苦しい思いをして、私を産んでくれた

60年前の時間に、母への感謝の気持ちを新たに

また、これから死ぬまでの私の生き方に思いを巡らせた。

昨日までの私と違う生き方なり

考え方をしようと思う。

これは敢えてしようと思っている。

何かを変えたい。

私自身が残りの人生を楽に生きられるように

残された時間を無為に過ごさないように

人から見たら馬鹿らしいことかもしれないけれど

一つずつ変えていこうと思う。

何を変えるか?

例えば、今までの私なら

娘や夫から、「お誕生日おめでとう」の言葉が

今日の私の誕生日が終わるまでに

一言もなかったら、

なんで言わないの?と少し腹立たしい思いをしていた。

今朝も娘からも夫からもおめでとうのメールはない。

友人達はお祝いの言葉やカードを送ってくれたのに・・

今までなら、きっと娘にメールをして

嫌味っぽく言っていただろう。

夫にも私から「今日は私の誕生日よ」と言うに違いない。

でも、今日からの私はそういったことをしないし言わない。

簡単なことだ。

たったこれだけのことでも

私が違う生き方をしている証拠になる。

結局

今までの私は物事に囚われすぎていたのだ。

だから、苦しかった。

自分の首を自分で締めるようなものだった。

馬鹿らしい。

自分自身が楽になるような

考え方をしようと思う。

考えたら後何年元気で生きられるか分からない。

楽しく生きなきゃ損だ。

こうしないといけないという考えかたをやめよう。

できたらしようというくらいにすれば

きっとしんどくないだろう。

違った私になりたい。

今夜は一人で美味しいケーキを買ってきて

自分に\_(^◇^)_/\(*^^*)/ おめでとっ!と言って

私一人のパーティーをしよう。

アッ!アズキが祝ってくれるか・・(#^.^#)




2011年10月03日(月) 還暦

明日4日は私の60回目の誕生日、

還暦を迎える。

月並みな言葉だが、

「長いようで、あっという間の60年」だった。

先天性心臓疾患を持って生まれ、

医者に19才までしか生きられないと言われた私が、

こうして還暦を迎えることが出来たことは、

奇跡にも近いことだと思う。

五年前に亡くなった父も、

昨年10月に亡くなった母も、

生きていたら本当に喜んでくれただろう。

父と母の位牌の前で、

還暦の報告をしよう。

まさに「人生、泣いたり笑ったり、山あり他にあり」

他人様には話せないような経験もした。

生死をさまよう体験もした。

それでもこうして生きているといいうことは、

私には生きてなすべきことがあると

神様が生かしてくれたのかもしれない。

神様はその人に背負えない荷物は与えないと言う。

先のことを思い悩むことは止めた。

還暦には赤いものを身につけると良いのこと。

夫は来年用の赤い手帳、

娘は赤いセーター、

姉は赤い手袋をプレゼントしてくれた。

そして、私は自分のために

真っ赤な唐辛子の魔除けのストラップを買った。

一病息災、父や母のように

「何も思い残すことはない、良い人生だった」

と言える最期を迎えるためにも、一日一日を大切に生きて行こう。


2011年10月02日(日) これが本当の私

この数年間の私は

私であって私でなかったのかもしれない。

妙に頑張りすぎていた。

それも、日本のためになどと

だいそれた大義を掲げて。

知識も教養もない私が

会のリーダーになり引っ張っていくことすら

本来なら不可能だった。

それを、神輿を担がれて

その上に乗って

さも、リーダーのように振舞っていた。

でも、母が昨年10月に亡くなって以来

私の心の中で微妙に変化が生じた。

それは、分相応なことをすべきではないのか?ということだ。

私の分にあったことは

日々の暮らしを平凡に終えること。

大した趣味もないのに

大きなことを掲げる資格などないのに

気分がハイになっていたのだろうか。

躁状態になっていたのかもしれないが

私は勉強してやれることをやろうなどと

今、思うと恥ずかしいようなことを考えていた。

夫が病に倒れ

母の死後、夫の看護を続けているうちに

私自身の本来の姿が見えてきた。

私には能力がない。

体力もない。

あるのは気力だけだ。

その気力も

たまに消え去ってしまいそうになる。

今年の末までには結論を出そう。

そして、一旦出した結論を

決して撤回しないようにしよう。

そのために

後の二ヶ月を考える時間にしたい。

考えることと悩むことは違う。

考えに考えを重ねて

こうすると決断したなら

実行するのみ。

そして、後悔しないようにしないといけない。

本当の私を見つけるために。

後数日で還暦を迎える。

そろそろ、自分の今後の生き方や

始末の仕方を視野にいれた

生活を考えねばならない。

本当の自分の姿に戻るためにも。


2011年10月01日(土) おひさまが終わった

NHK朝ドラの「おひさま」が終わった。

最終回は良かった。

ハッピーエンドも良いものだと思う。

最近の朝ドラの中では視聴率はどうだったのだろう?

あまりテレビを見ない私だが

NHKの朝ドラは、見ないと一日が始まらない気がして

朝8時が来るのを楽しみにしていた。

「おひさま」に登場する人物は

嫌な意地悪な人が居なかった。

主人公の回りには、良い人ばかりだった。

こんなことはない、これはお話だと思うくらい

明るく、優しく、思いやりのある人たちばかりだった。

そして、夫婦、兄弟、親子の仲も良く

喧嘩のシーンは出てこなかったように思う。

若尾文子の語りに味があった。

時代を行き来して、時間の落差があるのも良かった。

戦時中は、NHKだから

日本軍を悪しきものとして描くかと懸念していたが

主人公にはそんな影響はなかったし

軍人さんをたたえる歌も歌っていた。

朝ドラの中に政治を持ち込むことはないと思っていたし

もし、何かあったとしても

脚本家の意図が表れているのだろうと思っていた。

自然も美しかった。

安曇野は結婚式の後の旅行で立ち寄ったことがある。

あの時の清々しい空気や

綺麗な水は変化していなかった。

女性は輝く太陽だ。

嘗て平塚らいちょうも言っていた。

母親が家の中で、中心にいて

明るく輝いていたら

家庭は円満であり幸せなのだと思った。

月ではなく太陽、

強いイメージがあるが

おひさまという言葉にはやさしさ、癒やし、温かさがある。

次の朝ドラは大阪制作の「カーネーション」

デザイナーコシノ一家を描いたものらしい。

ちょっと変わった母親像が見えるかもしれない。

また明るく笑って一日がスタートすれば良い。


スカーレット