スカーレットの心のつぶやき
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私が尊敬している中村天風先生は
たとえ、体が病んでいても
心まで病む必要はない。
心は積極的で元気で居ようと仰っている。
だから、私もしんどくても心は元気で居たいと思っている。
私の場合は、寧ろ反対だ。
体はとてもしんどくて体調不要なのに
心だけが積極的になってしまうのだ。
夫の看護も
歩くことも
家事をすることも
会の活動や講演会への参加も
本当なら、今の体調ではできるはずがない。
それでも、やっている。
頑張るのだ。
自分で自分が時々わからなくなる時がある。
嘗て、痩せてしまっていた時
まあ、この時は拒食症という病気だったのだが
普通なら、あれだけ痩せれば動けるはずがないのに
活発に動き回っていたのだ。
動けば動くほど体力を消耗するのは分かっている。
でも、あの時には動くことが
私にとって生きることだった感がある。
今の私も少し同じような感じだ。
活動量計を購入し、身に付けてから
動き回っているのだから。
そして、何か用事を見つけたり
作ったりして、動こうとしている。
異常だ。
自分でもおかしいと思うのだから
こんな私を見て夫が呆れるのがわかる。
明後日の日曜日に
高知である阿比留さんの講演会に誘われた。
行ける体力ではないと思い
一度は断ったものの
阿比留さんの話を聞いてみたいから
行ってみようかと思ったりしている。
また、8日には娘の公演を見に大阪まで行く予定だ。
娘の公演を見るのは今度が最後になると思う。
そんな具合で
私の体と心のアンバランス、
これって大丈夫なのかな・・・と正直不安になる。
しんどい時は体を休めよと
亡き母がいつも言っていた。
私への忠告として動き回るなと言っていた。
母の気持ちがよくわかるだけに
今の私は自分で自分をコントロールできない所まで
来ているのだなあと実感している。
私の父方の従姉妹と最近パソコンメールで話すようになった。
従姉妹とは私が幼い頃は
姉よりも仲が良かった。
何となく色々似ている所もあったし
遊ぶ時も従姉妹と私対
姉と従姉妹の弟となることが多かった。
でも、お互いに結婚し家庭を持ち
それぞれの生活がある中で
会う機会も段々少なくなっていっていた。
五年前に父が亡くなった時も
昨年10月に母が亡くなった時にも
従姉妹は親身になって力になってくれた。
その従姉妹が、母の一周忌に来てくれることになった。
夫が入院中なので、一周忌は内輪で小さくすることにして
従姉妹には知らせていなかった。
でも、有難いことに参加してくれることになったのだ。
それをきっかけに話をし始めた。
携帯のメールは時々やりとりしていたが
従姉妹がPCを始めたので、PCメールで話すようになった。
勿論、私のHPも見てくれている。
従姉妹の母、つまり私の父の妹に当たる叔母が
生前川柳をしていた。
叔母の川柳は、世間一般の川柳とは違い
俳句にも似た、とても品のある味わい深い川柳だった。
選者にもなっていたし、賞ももらっていたし
作品集も作っていた。
そんな叔母の血を引いた従姉妹は
色々な趣味をしている中で
今、川柳がとても楽しいと話してくれた。
いつも傍に紙とペンを持っていて
何かをメモしたり思いついた句を書き留めるとか。
いつも川柳を考えているのだろう。
その従姉妹が作った川柳を教えてくれた。
「クリスタルで 人生の穴 埋めてみる」
なかなか味わいがあり意味深い。
従姉妹は送ってくれたメールに下記のように書いていた。
『「 クリスタルで 人生の穴 埋めてみる 」
意味分かりますか?
本当は、穴を埋めるのは、土やセメントや木材だよね。
でも、本当は、そんな物で埋めてもダメなんよ。
だって 穴の中に入っていた物がなんだったのか
見えなくなるもんね。
でも、ガラスで埋めたら、
さみしかったことや、辛かったことも、見えるよね。
それでいいんよ。
土台にしているものは、いつでも 心の中に持っているべきだし、
覚えておかんといかんのよ。
そうしておいて、自分を取り戻したり、
新たな生き方を創造していったりしながら、
人間って生きていける動物だと思うよ。』と。
人生哲学だと思った。
確かに、人生の土台を心の中に持っているものは
見えないものではなく
いつでも取り出して見えるようにすべきだし
その時々に取り出して反省しながら
また、自分を取り戻しながら
新しい自分の人生を歩んで行くのだ。
今の私にはこのクリスタルを埋めた穴があるのだろうか?
嫌なことや辛かったことを
思い出さないようにセメントで埋めてしまっていないか?
還暦を前にして、目からウロコの気がした。
従姉妹の川柳によって
心の目を開けることが出来た。
素晴らしい川柳だ。
これからも従姉妹が作った川柳を
教えてもらいたいと心から思う。
2011年09月28日(水) |
体調不良・・でも・・ |
この数日、体調が悪い。
暑くなったり汗をいっぱいかいたりしている。
残暑が厳しいからではないと思う。
夕方になるとだるく歩くのもしんどくなることから
バセドウ病の再発に違いない。
再発しても尤もなのだ。
理由があるのだから。
この病気は完治が難しいと聞いている。
数値が正常になっても
薬を飲まないとまた元に戻ってしまうことがある。
だから、治ったと思っても投薬はやめない方が良いと聞いた。
でも、薬は反対の作用もある。
怖い。
ということで、薬に頼らずに治そうと思っていたのだ。
しかし、やはり無理みたい。
まだ体重は減ってはないが
食欲があり何を食べても美味しい。
食べ過ぎることはないが
食後数時間(3時間くらい)立つと
すぐにお腹が空く。
間食はしないから
次の食事の前にはフラフラになりそうだ。
昨日も夫の病院でしんどくなった。
朝からしんどかったのを無理して行ったからかもしれない。
夫に毎日来れないかもしれないと言ったら
良いよと言った。
でも、洗濯物を取りに行ったり持って行ったりする必要があるから
やはり毎日は顔を出すことになる。
夫の様子も気になるから放るわけにはいかない。
朝もアズキの吠える声で起きるから
寝る時間があまりない。
アズキの世話も今の私には負担だ。
可愛いけどしんどい時はうるさく思える。
体調不良の時は何もしたくなくて
寝ていたい時もあるのだけど
そうも言っておられない。
今月から来月にかけては忙しい。
自分で休むことをしない限り治らないだろう。
それが出来ないのだから困ったものだ。
今日も一日頑張るしかない。
2011年09月27日(火) |
よく頑張ったと褒めてやりたい |
もうすぐ、母が亡くなった10月がやってくる。
10月は私の誕生月でもあり
アズキが生まれた月でもあるが
やはり、母が亡くなった月だということが
私にとっては大きな意味を持っている。
考えてみれば
母が亡くなるまえから看病をし
自宅で見送り、
母の四十九日を無事終え
初彼岸や初盆をすごしてきた。
一年になるのだ・・
母のお骨はまだ祭壇に飾っている。
いつかは納骨しないといけないと思いながら
母が居なくなる寂しさを思うと
いつまでも私の傍に置いておきたいと思っていた。
でも、夫が病気になり入院し
私にとって母のことばかり思う時間もなくなった。
父もきっと母を待っているだろう。
10月10日の一周忌の後で
納骨することに決めた。
今まで、よく頑張って来たと
自分で自分を褒めてやりたい。
納骨を終えたら私もほっとすると思う。
そして、私は還暦を迎える。
今まで生きてきた時間を思い
これからのことを思うと
なんだかとてもしんどくなって来ている。
何もかもしたくない気分になりつつある。
こんな時は心の思うまま
何もしないで過ごすのがいいのだろう。
できたら何処か遠くへふらっと行ってみたい気がする。
昨日は、久しぶりに親友とランチの約束をしていた。
夫の病院へは行かないことにして
一日、自分のために過ごすことに決めていた。
さて、何処でランチをするか?の話が出ると
いつも二人とも困ってしまう。
美味しいランチの店を知らないのだ。
探せばないはずはない。
でも、いつも同じような店になってしまう。
昨日はエミフルで待ち合わせた。
エミフルの建物の外に
美味しい餃子の店がある。
餃子の大将ではないが
関係している大阪大将という店。
以前にも一度行ったが
その時も何組かが待っていて
食べるまでに相当の時間がかかるみたいで止めたことがある。
昨日も11時半に待ち合わせ店に行ってみると
外に列が出来ていて
名前を記入する所と見て驚いた。
10組くらい待たねばならない。
余程美味しいのか?
焼き餃子がお薦めらしい。
結局、餃子をやめて建物の中に。
そして、ランチバイキングの店に行った。
ここは、娘と何回か来たことがあり
結構美味しいし、種類も豊富で満足している。
親友はバイキングはついつい食べ過ぎると言うが
それは皆同じだと思う。
迷ったがここに決めることにした。
制限時間は90分。
サラダを二回お皿いっぱいの取って食べた。
色々な種類のサラダがあり美味しい。
その後、メインの料理を一回取り
最後にデザートのゼリーを。
かき氷でしめた。
90分いっぱい使った。
お腹がいっぱいになった。
そして、昨夜
いつもの時間にカレーうどんとサラダを食べた。
胃が張って痛い。
こんなに胃の具合が悪くなったのは
久しぶりだ。
やはりバイキングはダメだな。
元を取ろうと食べ過ぎる。
夜中に下痢をした。
朝になってもまだ胃の具合はいつもと違う。
でも、6時に同じように朝ごはんを食べた。
お昼には治っていると思うが
もうバイキングは忘れても食べないと決めた。
親友のメールを見たら同じように
お腹がいっぱい状態が続いていて
バイキングはやめようと書いてあった。
笑ってしまった。
二人とも食い意地が張っていたのかな?
次はネパール人のお店に行こうと誘ってくれた。
ナンが美味しいとか。
楽しみだ。
今日は親友とランチの約束をしていたが
そのまえに、布団の入れ替えと押入れの整理をした。
今、私が住んでいるのは実家。
自分の家には時々荷物を取りに帰るのと
PCのメールボックスの中のメールを整理するためだ。
日々の暮らしはここが慣れてきて
もう自分の家に帰る気持ちはない。
夫も外泊の時はここの方が居心地も良いみたい。
そんな事情で
生活基盤をここにうつすことになるかもしれない。
夫が退院してもしばらくはここで療養するだろう。
母の一周忌には娘も帰る。
この数日、朝が冷え込むので
タオルケットでは寒い。
布団も秋から冬用を用意しないといけない。
だから、今朝、待ち合わせ場所に行くまえに
押入れの整理と布団の入れ替えをしたのだ。
押入れの中には母のバッグがいっぱいあった。
母が書いたメモも見つかった。
整理している途中で
私は母のバッグやメモを見ながら
しばらく動けなかった。
急に母に会いたくなった。
母が生きていたころのことを思うと
胸が苦しくなった。
しばらく母のバッグを眺めていて
エイと声をかけて片付けの続きを始めた。
明日は水取りぞうさんの入れ替えもしよう。
私の一番嫌いな衣替え。
もう半袖は着ないだろうと思い
数日まえには衣類の入れ替えもした。
季節が変わる頃は忙しい。
待ち合わせ場所にしていたエミフルへ
着いたころには汗をかいていた。
ああ〜一年中出しっぱなしにできたらいいなあ。
やはり衣替えは苦手だ。
疲れた。
本当に毎日、毎日忙しい。
じっとしている時間って
こうしてPCに向かっている間と
寝ている間くらいしかない。
新聞も碌に読めない。
夫が外泊していたし
お彼岸も重なったし
お姑さんの用事もしてあげたし
勿論、アズキのこともあるし・・
休む暇もない毎日を送っている。
御陰で((#^.^#)活動量刑の歩数は上昇。
活動量はあまり変わりがないのは
きっと運動をしていないからだと思う。
まあそれは良いとして
少しはほっとする時間が欲しい。
例えば、ゆっくりとオシャベリする時間。
私は基本的には一人が好きだ。
一人で買い物をするのも好きだ。
だから、一人で居ても淋しいとは思わない。
でも、人と話をするのは楽しいし
人の気持ちを理解できるし
私自身の考え方を人がどう思うかもわかる。
気の合う人と何時間でも話ができるって
本当に幸せだ。
夫は無口、娘は大阪、アズキはしゃべれない。
だから、家に居たら一日誰とも話してなかった
なんてことも有りうる。
これは、私には悲劇だ。
いくら忙しくても、誰かと話がしたい。
メールではなく
顔と顔を合わせて話すのが一番。
明日は親友とランチをしてお喋りする予定。
楽しみだ。
昔の人はよく言ったものだと改めて感心する。
「暑さ寒さも彼岸まで」
この言葉の通り、昨夜から今朝にかけて
肌寒かった。
明日はお彼岸のお中日、秋分の日だ。
母が生きていた頃
秋のお彼岸は春のお彼岸より
気持ちの上で何か違う。
春のお彼岸の方が大事な気がすると言っていた。
お彼岸は春も秋も同じなのに
何故そんなことを言うのかな?と疑問に思っていたが
初彼岸は春にすることが多い。
昨年の10月に亡くなった母も
初彼岸は春にした。
だから、今年の秋のお彼岸は
祭壇にお団子や果物やおまんじゅうを
お供えしたが、お霊具膳は作っていない。
毎日のご飯とお茶とをしているから
それで良いと母が言っていたのを思い出し
母を見習っている。
でも、明日はお中日でもあるから
せめてお霊具膳はつくろう。
昨夜や今朝のように
肌寒くなると衣替えをしないといけない。
昨日も夕方から秋から冬にかけて
着るものをひっぱり出した。
夏物をしまった。
日中は暑いと感じる日もあるかもしれないが
やはり暑さが違う。
あまり夏っぽい格好をしているのも
なんだか季節外れのような気がする。
夏物のスカートから秋物のスカートに着替えた。
今日は夫が二回目の試験外泊をする。
二泊三日の外泊だが
前よりも動かると良い。
アズキを遊んでくれると良い。
涼しくなって食欲もわいて
いっぱい食べて太ってほしい。
「天高く馬肥ゆる秋」
私も昨年に比べると二キロは太った。
太るということは体調が良いということ。
ついでにアズキも太った((#^.^#)
明日のお中日は母の好きだった
おはぎをお供えしよう。
来年の6月で車検が切れる。
丁度9年目になる私のムーブは
半年ごとに点検に出しているからか
走りも良いし、故障もしたことがない。
今まで乗っていた軽の中では
ダントツに調子の良い車だ。
でも、走行距離が7万キロを超えている。
このまま行けば来年の6月には8万キロになるだろう。
もし、車検をして二年乗れば
確実に10万キロを超す。
10万キロを走れば色んな箇所に不具合が出るかもしれない。
そろそろ買い替える時期が来ていると思う。
買い替えるとして、次も軽にするかどうか迷っている。
コンパクトカーでエコカー減税がある
普通車にしようかとも考えている。
しかし、同乗する人も居ないし
遠出することもないから
やはり小回りがきいて
燃費の良い軽が良いかもしれない。
軽でもピンからキリまであり
最高級の軽は普通車よりも高価だ。
200万近くする車もある。
贅沢を言えばそんな軽にしたいが
そうも言っていられないから
まあまあ無難なものにしようとおもう。
さて、この秋ダイハツで発売される
第三のエコカー
名前はミライース
いつものダイハツのマークではなく
小文字のeを形どったマークになっている。
燃費が本当にいいとか。
これにしようかと思っていたが
役員会でこの話を出したら
車が好きで詳しい人が
やめたほうが良いと言って
説明をしてくれた。
どうも軽量化するために
色んな所を薄っぺらにしているみたい。
やはり重厚感も欲しい。
いくら、低燃費と
79万5000円からという低価格を両立した。
燃焼効率を改善した新エンジンや、
時速7キロ以下になるとエンジンが自動停止する
停車前アイドリングストップ機能も搭載しているらしい。
ということで、もう少しでこれにしようかと考えていた私は
またも迷ってしまうことになった。
来年6月までには決めなきゃと思う。
日曜日、久しぶりに役員会を開いた。
予定していたデモの日に一色氏の講演会があり
デモを中止することになったので
その代わりに何かしていと思い相談したかったのだ。
集まったのは一人来られなかったので4人。
それぞれ皆色んな事情を持っていて
なかなか活動もままならないのは事実だ。
私が考えていた講演会の話をしたが
他の人たちは今ひとつのようで
結局、私の提案は通らなかった。
それは良い。
講師の先生には事情を話して謝罪した。
先生は快く、また次回には声かけしてくださいと言ってくれた。
人が集まるとその人数分だけ意見が出る。
その意見をまとめることの難しさを
この数年感じている。
私が長として決めればいいのかもしれないが
それでは何処かの国のように独裁者となってしまう。
小さくても民主主義を取り入れたい。
というわけで4時間足らず話し合ったが
なかなか決まることはなく
それでも、最後に出した私の提案に
一人は賛成、後の二人も反対しなかったので
この線で進めようと思って解散した。
帰宅して今後のことを考え今できることからと思い
お願いの手紙を書くことにした。
普通私が手紙を書く時は下書きなどしない。
便箋に思うままを連ねていく。
しかし、今回の手紙は
ワードに打ち込みそれを整理しながら文章を作った。
そして、昨日の朝、起きてすぐに便箋に書いた。
便箋4枚になってしまったが
私の気持ちは伝えることができるだろうか・・
返事をいただけたら嬉しい。
そして、私が提案した講演会が実現できたら良い。
昨年の秋、10月14日に母が亡くなって
もうすぐ一年が来る。
あっという間の一年だった。
母の命日を前に、納骨をしてあげようと思い始めた。
母が亡くなったことの悲しみや寂しさが
納骨をしないで祭壇の上に遺骨があることで
とても軽減していたし
私も寂しさを感じなかった。
毎日、母の遺骨と遺影に向かって
おはようと声をかける。
ご飯とお茶を代え、シキミの水を代える。
そして祭壇の前に座って手を合わす。
これをしないと私の一日は始まらない。
でも、母はどう思っているだろうと思い始めた。
父の傍に行きたいと思っているかもしれない。
私にしっかりしろと言っているかもしれない。
この一年、母と共に過ごして
私は良かったと思っている。
何かの時に、急に母のことを思い涙が出ることがある。
でも、日々の忙しさの中で
母のことを忘れている時間の方が多いのは確かだ。
そろそろ、私もきりをつけねばならない。
母の遺骨をお墓に入れてあげて
父と母を安心させてあげたい。
来月10日に一周忌をする。
でも、夫がこんな状態だから
姉と娘と三人でお坊さんに来てもらい
簡単だけど一周忌法要をしようと思っている。
それが終わったら
三人でお墓に行き納骨してあげようか?
石屋さんに来てもらったら
納骨は出来る。
秋のお彼岸を無事に済ませたら
石屋さんに連絡してみよう。
私も心を強く持ち寂しでつぶれないように
日々を元気に生きていこうお思う。
昨日は、台風15号が近づいているため
私の住む四国も雨風がとても強い一日だった。
金曜日は姉が通っているジムが休みの日だ。
だから、よく姉に誘われて外出することがある。
昨日も姉に内藤あゆ美さんの個展を見にいかない?と誘われた。
行きたいのは山々だったが
ずっと以前から16日には私の用事が入っていて
個展を見に行くことはできなかった。
それでも、私にとってはとても有意義な一日だった。
昨日のように、自分の時間を自分で好きなように使えるって
本当に幸せだなあと思った。
時間を自由に使えること
誰にも束縛されることなく
好きなことができるって
普通なら当たり前のことだけど
今の私の状況の中では
とても有難く幸せだと思えた。
こんな日があってもいいのだと
自分に言い聞かせながら
好きな場所で思いっきり羽を伸ばすことが出来た。
今日からまた頑張ろうという力が湧いてきた。
そう、昨日は私の安息日だったのだ。
ネットで情報を得て
本で知識を増やし
人と話すことで人の心を知ることができる。
嫌なことや辛く悲しいことも
少しの間、忘れることができる。
議論の中でも不快感はない。
意義ある議論だからだ。
そんな時間を私は求めていたのかもしれない。
満たされない心を訴える人がいるが
それは満たされないと不満を言っているだけであり
自分自身で満たそうと思えばできることなのだ。
美味しいものを食べ
ぐっすりと眠り
楽しいことを思い浮かべること
それが小さな幸せなのかもしれない。
そんなことを思った一日だった。
アズキが毎朝2時から3時に間に
起きてわんわんと吠える。
前は、起きると癖になると思い
そのまま吠えるのを見過ごしていた。
しかし、一向に直らない。
益々時間が早くなってしまった。
昨日も今朝も3時前に吠えた。
行ってみるとウンチをしている。
ウンチをしたよと知らせてくれるのかもしれないが
その始末をしていたら20分はかかる。
トイレを綺麗にして
ゲージの中から出してやり
遊ばせてやるのだが
いつの間にか静かになったと思ったら
どうやら朝寝をしているようだ。
私はウンチの始末をした後
もう一度ベッドに横になり眠ることもあるが
今朝のように眠れないまま
起きてしまうこともあり
最近は頭が痛くなるほど不眠症状が出るようになった。
5時前にはアズキを散歩に連れていく。
その前に母の祭壇のお茶やご飯をかえる。
私のお弁当もつくるので
結局は二度寝しても4時過ぎには起きてしまう。
ああ〜ゆっくりねたい。
アズキが居なければそれもできるが
今の状況ではこんな毎日が続くはずだ。
昨日も夫の病院でうとうとしてしまった。
中途半端な寝方をしたので
余計に気分が悪くなり、頭も痛くなった。
寝不足はからだに悪い。
交通事故でも起こしたら大変だ。
アズキの習慣を変えたい。
そして、朝はせめて5時まで寝ていたい。
昨日は、友人のお葬式だったけれど
半年前に予約している
私のバセドウ病の再診予約の日だったので
お葬式には参列しなかった。
その代わりに前日、御通夜の前に昼間に行き
友人をお別れをすることが出来た。
安らかな寝顔のような友人の顔を見て嬉しかった。
昨日は、予約時間は9時半だが
その前に血液検査があり
結果が出るまで一時間はかかるので
家を7時過ぎに出て病院へ行った。
大学病院なので患者の数が多い。
早く行ったつもりだったが大勢の人がすでに来ていた。
診察まで2時間ほど待った。
そして、診察。
バセドウ病はまだ治ってないらしい。
血液検査の値が正常値ではないとのこと、
まだ薬を飲む必要があると言われたので、
これまでずっと思っていたことを医者に言った。
それは、別の病院へ移りたいから
紹介状を書いてほしいと言うことだ。
前からこの医者には不信感と嫌悪感を持っている。
話し方も態度も偉そうで
喧嘩しそうになったこともある。
めったに顔を合わすことはないが
私のストレスになっているのは確かだ。
夫の入院を理由に
県病院へ行きたいので紹介状を書いてほしいと言った。
医者は出来ないみたいなことを
ブツブツ言っていたが
怒ったようにキーボードを叩きならがも
紹介状を書いてくれた。
私はお礼を言いたくなかったが
お世話になりましたと一応お礼を言って
診察室を出た。
清々しい気持ちだった。
ああ〜これでこの医者と会うこともないだろう。
すっきりした気分になった。
薬を半年分出してくれたので
半年後の来年の二月頃に
紹介状を持って県病院へ行ってみようと思う。
それにしてもこの数年は本当に嫌な思いばかりをしてきた。
もっと早く、医者を変われば良かったと思うが
それでも、今回紹介状も書いてくれたのだから
もう医者のことを思うのはやめよう。
昨日の夕方、親友から電話があった。
三年前から意識はあるものの
話すことも食べることも
自分の体を動かすこともできない友人が
昨日の午後亡くなったという知らせだった。
ショックだった。
最近は、気になりながらも
夫の入院もあり、お見舞いに行くこともしていなかった。
親友は家族同様に彼女のことを思い
お見舞いも欠かさなかった。
私は亡くなった友人とは
小学校から高校まで一緒だった。
でも、お付き合いはほとんどしていない。
親友とは違う付き合い方だ。
ただ、彼女が悪くなる前に会って話をしたし
親友からも彼女の話をよく聞かされていたので
付き合いはなかったにしても
私にとっては友人としての彼女の存在の大きさは大きい。
そんな彼女が亡くなったと聞いて
言葉にできない悲しい思いをしている。
今日がお通夜で明日がお葬式だとのこと。
本当ならお葬式にだけでも参列したい。
でも、明日、半年振りのバセドウ病の病院の受診予約が入っている。
お葬式が午後からなら参列できるが
午前中だとのことで、参列できなくなってしまった。
本当にすまない気持ちでいっぱいだ。
せめて、明日は心の中で彼女のご冥福をお祈りしよう。
親友には私からのこころばかりのお香典を託したいので
立て替えておいてほしいと頼んだ。
この三年間あまり、
辛くしんどかったであろう彼女が
亡くなったことは悲しいけれど
彼女が楽になっただろうと思うことが
せめてもの慰めだ。
合掌
人の心理って面白い。
私が欲しいと思っていた
還暦に自分へのお祝いで買いたいと思っていた
あの真っ赤なプルオーバー、
昨日もエミフルへ歩きに行って
見に行って来た。
なんども手に取って買おうかどうしようか迷い
そのまま元の場所に戻して歩きに行った。
2時間ほど歩いてお昼も食べて
その後で店に行ってみたら
あの私が欲しかったプルオーバーがないのだ。
ショック!
(;゚Д゚)!
ないとなると悔しくなった。
ふと近くの試着室の前を見ると
誰かがそれを手にもって居る。
そして、試着室に入って行った。
若い女性だった。
母親と一緒に買い物に来ていて
母親が手に取り娘に渡したみたいだ。
娘さんの年齢は私の娘よりちょっと上みたい。
でも、20代には違いない。
しばらくして娘さんが試着室から出てきた。
私は他の品物を見る格好をして
彼女の様子を見ていた。
彼女は満面の笑顔でそれを店員に渡した。
売れてしまったのだ。
買って置けば良かった・・・
買われてしまったと思うと
余計に欲しくなる。
人間の心理っておかしい。
あのまま売れずにいたら
私は買わなかったかもしれない。
そういえば
先日一回目に試着した時
昨日の店員とは違う人が
在庫があるからと言っていた。
それを思い出して、彼女と母親が店を出たあと
店員さんに、あのプルオーバーはありますか?と聞いてみた。
在庫があるとのことで出して来てくれた。
やはり色が良い。
真っ赤と言ってもオレンジ系ではなく
深みのある赤。
上品で他にはなかった色だ。
試着させてもらった。
似合っている。
結局、買ってしまった。
お金を払いながら私の年齢を言い
還暦のお祝いに買うのですと要らぬことを言った。
若い人が買った後だから
弁解がましかったかもしれない。
家に帰って着てみるとやはり良い。
買って良かった。
服は買わないと決心していたが
これだけは違う、
私の私へのお祝いなのだから。
そう言い聞かせながら
自分の中で納得している。
変なの・・
試験外泊していた夫が
昨日の午前中、病院へ帰った。
外泊中は気が抜けなかった。
夫はまだまだ体力がない。
自分では大丈夫だと思って動こうとするが
見ていて危なっかましいのだ。
今回の外泊の時も二、三回転んだ。
怪我はしなかったが
やはり足に力が入らないみたいだ。
シャワーをした時も
お風呂場の外から大丈夫?と声をかけて
夫の無事を確かめないと心配でたまらなかった。
食事は私の作ったものを全て食べてくれたが
塩分については神経質になり
いつもより献立を考えたり作ったりするのが
緊張の連続だった。
夫が病院へ戻り、夫の病院を後にして
エミフルへ寄っていつものように歩いて帰宅したら
どっと疲れが出た。
夕食は冷凍のスパゲッティにした。
サラダだけ作って後はチンしただけの夕食。
夫と一緒の食卓とえらい違いだ。
娘が帰省していた時にも思ったが
やはり食事は自分のためではなく
誰か食べてくれる人がいるから
一生懸命につくるのだと思う。
正直言って一人なら何でも良い。
気が楽だ。
好きな時に好きなことをしても
誰も何も言わない。
一人暮らしって本当に楽だ。
夫には申し訳ないが、当分一人が良い。
来月4日で還暦を迎える。
人生60年か・・・・と思うと妙に感慨深い。
還暦は赤いものを身につけると良いらしい。
姉は二年前に還暦を迎えた時
自分で真っ赤な石のネックレスを買っていた。
スワロフスキー製のもので、
とても素敵なネックレスというかペンダントだ。
私も何か赤いものを一つ自分のために買いたいと思っている。
もし、母が生きていたら
きっと私の誕生日に還暦のお祝いをしてくれるだろう。
夫は入院中だし、娘はまだ学生だし
誰かが買ってくれるということは期待出来ない。
というわけで
この最近、夫の病院の帰りにエミフルへより
何か赤い身につけるものはないかと物色している。
赤いバッグや靴、
そして、姉のように装飾品、
下着も良いかな・・・
という風に売り場を見て回っている。
今まで目についてこれは?と思ったものがある。
それは真っ赤な(同じ赤でも深紅色だ)な
ドルマンスリーブになっているニットのセーター。
今年はゆったり系のものが多いが
それも、ゆったりとしてドルマンで
ニットで模様編みがとても素敵なものだ。
試着したら似合っていた。
買いたいなあと思っていると言う話を姉にした。
姉は私の還暦の祝いに買ってあげると言った。
でも、磁気ネックレス、それも高価なものを
先日買ってもらっている。
これ以上、姉に買ってもらうのは気が引ける。
その話を姉にしたら
昨日、そのセーターを買って上げると言ってくれた。
午後、二人でエミフルへ行った。
私は歩くのが目的でエミフルへ行く。
昨日も本当は歩きたいと思っていた。
姉と歩くのが半分、ウインドウショッピングが半分
そんな目的で歩き回った。
私のセーターの店に行く前に
姉が見てみたいという店に入った。
そして、ここに居ること40分。
結局、赤いものは買えずに終わった。
姉はとてもスタイルも良いし美人だ。
身長も高い。
だから、何を着てもうまく着こなす。
62才になっているなんて思われない。
だから、昨日姉が買った服もとても似合っていた。
姉が試着している時に
私も一緒に試着してみた。
私は痩せているので普通サイズは合わない。
7号でもウエストは大きい。
一つとても気に入ったスカートがあった。
洒落ていて長さはロング、色もいい色。
試着してみたらとても似合う。
店の人におだてられ姉にも良いねと言ってもらって
結局、姉がプレゼントだと言って買ってくれた。
有難う!
還暦の赤とは違ったものになったけれど
姉の好意が嬉しい。
あの素敵なスカートを履いて
出かける機会があるといいなあ・・
2011年09月09日(金) |
のんびりしているのかな? |
夫は外泊してどうなのかな?
聞くのが怖いから聞いていない。
病院に居る時に比べると
動く量はやはり多くなっているから
もしかして、体がしんどくなってはいないだろうか?
食事は、私がつくるものを全て食べている。
味付けは薄目にしているけど
どうしても、病院より味は濃いかもしれない。
昨夜は牛肉とピーマンとじゃがいもとトマトを炒めて
ケチャップ味で整えた。
私も食べたら案外美味しかった。
もう少し濃い味だったらもっと美味しいだっただろう。
オクラの胡麻和えはゴマをいっぱい添えたので
醤油が少な目でも味は良かった。
今夜は、鯵のたたきに焼き茄子、
里芋の芋たき風を作った。
お昼は肉うどんにするつもりだ。
私としては、やはり食事の用意が
一番苦労する。
私一人なら何でもいいから
食費もかからないし手間もかからない。
夫が居ると、やはし気も遣うし
それ以上に食事作りに気を遣う。
外泊だから明日は病院に帰るけど
退院したら、こんな日々が続く。
私が留守したくても、食事の用意をどうしたら良いだろう。
夫のリハビリの意味でも
自分が食べるものを作れるようになったら良い。
でも、それまでには時間もかかるだろう。
まあ、外泊している間だけでも
夫にのんびりしてもらいたい。
のんびりしてくれているかな?
今日から土曜日まで
夫が試験外泊することになり
今朝、10時に迎えに行き
先ほど家に連れて帰った。
一時、どうなることか・・と心配したが
その事は普通に戻ったので少し安心している。
でも、やはり病状は良いのではない。
腹水は少し溜まっているものの
自覚症状もなく、抜くほどではない。
これが唯一の救いだ。
でも、痩せている。
本当にやせ細っている。
夫の身長を思うと
今より10キロ以上太っても痩せていることになる。
だって、44キロしかないのだから。
男の人は骨格が太いから
夫の体重は骨の重さしかなく
肉や脂肪はゼロかもしれない。
それでも、気持ちは帰りたかったのだろう。
会話もままならないし
傍目にもあまり良い姿ではない。
段々太るとは思うが
一年かかるかもっとかかるか分からない。
気長に太れば良いと思うものの
何だかとても弱々しすぎるから
大丈夫かな・・と思ってしまう。
夫は退院したいのだろうが
私はまだまだ退院はしてほしくない。
でも、これは私の気持ちだから
夫の気持ちを優先しないといけないのかも?
元々鬱的な人だったから
余計に暗い人になってしまった。
私も夫に影響されそうになる。
いやいや、影響されたらダメだ。
私は私らしくしないと。
今日から三日間の食事に頭が痛い。
無事外泊が終わることを祈っている。
この数日、朝が涼しくなった。
昼間はまだエアコンをつけたくなるくらいの暑さだが
夜、寝るときにエアコンは勿論
扇風機なしで眠れるのはとても有難い。
そのためか熟睡できるようになった。
真夏の頃は
暑くて目覚めることもあった。
3時にはアズキも起きるので
私も眠い目をこすりながら起床していた。
でも、この二三日
朝4時半過ぎまで眠れるようになった。
今朝は4時にアズキがウンチをしたよと
わんわんと知らせてくれた。
ウンチの始末をしてまたベッドへ。
そして4時半になって起きた。
今では5時は真っ暗だ。
段々、朝が来るのが遅くなっている。
アズキを散歩に連れていく時間も
自ずから遅くなり
5時を過ぎ5時15分頃に出るようになった。
ワンピースを着て寝ているので
今まではその姿で散歩に行っていたが
どうも肌寒くなってしまい
今日は短パンにTシャツ、その上にカーディガンを羽織った。
素足でいると足が寒い。
なんだか喉まで痛い気がする。
風邪を引いたらいけないから注意しよう。
今年の秋は案外早くくるかもしれない。
秋のお彼岸を過ぎたらきっと秋っぽさが増すだろう。
そして、私の生まれ月、10月がやってくる。
秋の朝は良い。
清々しくなる。
普通ならベッドの上で布団にはいり
寝ている時間に
起きて綺麗な空気を思いっきり
吸うことができることを感謝したい。
やはり、朝は良い。
大阪の大学に通う娘が帰省したとき、
胸元から小さな長方形の器械を取り出した。
聞いてみると「活動量計」だと言う。
万歩計の進歩したもので、
デスクワークをしていても、
寝ていても、
消費したカロリーがわかるものらしい。
娘は今、ダイエット中だ。
一日に消費したカロリーと摂取したカロリーを把握して、
食べ過ぎないようにしていると言う。
この活動量計は万歩計の機能もついているので
、一日に歩いた歩数もわかる。
そして、7日間のデータが保存されているので
管理もしやすいとのこと。
自分が一日にどのくらいのカロリーを消費しているか
知りたいと思った私は、
早速、活動量計を購入した。
勿論、ダイエットのためではない。
入浴時だけ外すが、
後は一日中身に付けている。
表示される数字が気になって
何度も何度も取り出しては数値を確かめている。
自分でも笑ってしまうが、
つける前よりも動いている私が居る。
ちょっとそこまで行くのも車だったのに、
今では用事を作って歩くようにしている。
あまり神経質になってはいけないと思うが、
毎朝、夜中の0時に新しくなる一日分の数値が
今の私の健康のバロメーターだ。
さあ、明日も歩くぞと気持ちを新たにして眠りについている。
2011年09月05日(月) |
被災地とかまぼこ板の絵を結ぶ絆 |
普通に暮らしていた人々から、
家族や財産や命までも奪った
東日本大震災から半年。
TVに映し出された被害の様子に、
恐怖感、喪失感、無力感を覚えた人は多かったはずだ。
言葉に出来ないほど辛く悲しい出来事だったが、
この震災が新たな出会いと感動を生んだ。
毎年、西予市の「ギャラリーしろかわ」で
「全国かまぼこ板の絵展覧会」が開催される。
捨てられるはずのかまぼこ板に描かれた絵には、
描く人の人生と感動の物語がある。
そのかまぼこ板の絵と
被災地とを結ぶ絆を紹介した
南海TV制作のドキュメント番組を見た。
番組は今年の大賞作品、
東日本大震災の犠牲者を悼む鎮魂の絵から始まった。
津波の恐ろしさや
言葉にならない思いを描いた作品の数々から
目を離すことができなかった。
震災当日に投函した
岩手県田老小学校の子供たちの作品は
奇跡を呼んだ。
そして、
被災地の人たちを励まそうと
全国から集まった作品が映し出された。
どの作品にも祈りと願いがこめられていた。
きっと被災地の人たちの心を癒やし、
生きる勇気と元気を与えることが出来ただろう。
こころに残る良い番組だった。
亡き、父と母がこよなく愛した花、ハナミズキが
今春は花をあまり咲かせなかった。
私が今住んでいる父と母の家の裏庭に
ハナミズキの木が5本ある。
そのうちの1本は葉が全く出てこなかった。
そして、残りの4本は
かろうじて少し花をつけたものの
その後、葉が茶色に変色し
病葉のようになってしまった。
義兄がハナミズキは水をたっぷりやるようにと言った。
私は知識がないから
言われた通り、昨年の夏から今年の夏まで
冬場を除いて毎日朝晩水をたっぷりやっていた。
でも、植木屋さんに聞くと
水を遣りすぎて根っこが腐ってしまったのだと言った。
そして、木を根元から切ってしまうことになった。
父と母に申し訳ない。
遺影に向かってごめんねと謝った。
母が平成10年に大腸癌の手術をした時
(母には病名を言わなかった)
母が退院したらハナミズキが待っているから
頑張ろうねと励ましたものだ。
あの頃は真っ白やピンクの花たちが
青い空に向かって大きな花を咲かせていた。
母は5月に退院できなかったから
結局花を見ることはできなかったけれど
私が絵を描いて母の枕元に持って行った。
写真も撮って見せてあげた。
母はとても喜んで嬉しそうに笑っていた。
そんな思い出がいっぱいつまったハナミズキの木が
枯れてしまったり
切り倒されてしまう。
やはりなんでもそうかもしれない。
世話をする人が居なくなったら
花もわかるのだろう。
私ではダメだったということだ。
悲しいけれど仕方ない。
来年の春にチューリップは咲くだろうか。
チューリップの球根も地中にある。
年を重ねる毎に咲く花の数も減っている。
来年はハナミズキもチューリップも花を咲かせることもなく
淋しい庭になってしまうかもしれない。
台風12号が四国に上陸しそうだ。
昨日から、瀬戸内地方も
風と雨が強くなってきている。
網戸もしっかりと締切り
部屋の中がムッとする感じもするが
こんな時に窓を開けるわけにはいかない。
有難いことに
今までは四国山脈の御陰で
愛媛県、特に中予地方は台風の被害が少ない。
同じ四国でも
太平洋に面した高知や徳島は
台風をもろに受けてしまう。
だから、被害も大きい。
TVやラジオで台風情報を聞いていると
今日は家の中に居て
台風が通り過ぎるまでは
外出しない方がよさそうだ。
でも、夫が今日はお風呂の日なので
病院に早めに行かないといけない。
今は外は静かで嘘のように穏やかだ。
でも、これから上陸したら
今のままではすまないだろう。
香川でも大雨の被害が出ている。
高速も不通をなっている。
船も飛行機も運休している。
今日は家に居るのが賢明みたいだ。
夫の病院をどうしよう・・
昨夜の私は最悪だった。
昼間に夫を県病院受診に連れていったこともあったのか
それとも今までの疲労がピークに達していたのか
帰宅してから、ご飯を食べる意欲もなく
(お昼が診察が遅れたこともあり午後2時過ぎになった)
シャワーをして、アズキにご飯を食べさせて
何もしたくなくて
ぼうっと座っていた。
頭がとても痛い。
涙が自然に出てくる。
アズキを遊んでやるのも億劫だった。
午後6時頃から電話が次々と鳴った。
固定電話だけではなく
携帯へもいっぱいかかってきた。
皆、夫のことを心配して
昨日の県病院受診の結果がどうなったのかを
問い合わすものだったに違いない。
正直鬱陶しかった。
電話に出たくなかった。
だから、鳴り響く電話に出なかった。
相手は誰か分からない。
携帯へは義母から何どもかかった。
出たくない。
耳を夫塞いで戸を締め切った。
それでも、あきらめないで何どもかかってくる。
もうやめて!と叫びたかった。
放っておいて。
誰とも話したくない。
携帯の電源を切った。
固定電話をつながらないようにする方法が分からない。
色んなことをしてみたがかかってくる。
家中の電気を消し真っ暗の中で
やっと落ち着いた。
落ち着いたと思ったら姉が車でやってきたみたいだ。
でも、鍵をかけているので開けることが出来ない。
玄関のドアフォンを鳴らす音や
窓ガラスの向こうから呼びかける声。
無視していたが
たまらなくなり「いい加減にしてよ、疲れきっているから
誰とも話したくないのよ」と言った。
姉には申し訳ないと思ったが
昨夜は私の気持ちを優先した。
姉は帰って行った。
娘からもかかってきていたようだ。
携帯の電源を入れてみると
留守にかかってきた電話番号が示されていた。
自分でしてはいけないことをしたという認識はある。
でも、昨夜はどうしようもなかったのだ。
メールをくれた人にも返信する気持ちになれないで居る。
このまましばらく静かにしてほしい。
今日は夫の病院へは行かないことにした。
それほど疲労困憊している。
今日、9月1日は
私たち夫婦の結婚記念日だ。
今年で26年目になる。
今年は夫が入院中なので
お祝いもできないが
心ばかりのものを持って行こうと思っている。
26年前の9月1日は暑かった。
結婚式は富山の立山連峰でしたから
涼しかったが
降りてきた信州・松本は34度だったのを覚えている。
先日、夫の具合が最高に悪くなった時
正直、夫は長くないと思った。
結婚式のことが思い出された。
あの時に、もっともっと良い思い出をいっぱい作って置けば良かった。
あの日に戻りたいと思った。
立山の山頂のホテルの外で写した写真がない。
式の様子を写してくれた写真が残っているだけだ。
もうあの日から26年が経った。
色んなことがあったけれど
こうして今も夫婦でいられるということは
縁があったということだろう。
夫も、今ではきっと私と結婚して良かったと
思ってくれているに違いない。
先日、病院のベッドに寝ている夫の手を握り
元気になって
約束した通り
ホテル立山に家族三人で泊まりに行こうと言った。
可能性は少ないが私がずっと心に思っていることだ。
娘も来春から社会人になる。
だから、休暇もままならないだろう。
夫が元気になれるかどうかも分からない。
でも、私にも少し希望が欲しい。
夢で終わるかもしれないけれど
小さな小さな幸せ再発見の旅がしたい。
夫も私もケーキは好きじゃないけれど
今日は小さなケーキを買って行き
夫とお祝い気分で食べることができたらいいなあ・・
「○○さん、今まで本当にありがとうね。
元気になって立山へ行こうね。」
スカーレット
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