スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次過去未来


2011年08月31日(水) 疲れてて

先週の火曜日につぶやきを書いてから一週間になる。

火曜日の夜中に、娘が帰って来た。

夫の具合が悪いので、帰って欲しかったのもある。

それから一週間は、毎日がバタバタとすぎて行った。

夫の様子は、少しだけよかったり

また悪かったりしている。

腹水は今月の初め8日に抜いて以来溜まっていない。

これは嬉しいことだ。

でも、その他のことで心配なことが起きた。

今は少しは落ち着いたけれど

やはり、今日来てみると心配になった。

今、夫は介護の人にお風呂に入れてもらっている。

一人でも入れるというが

転んでもいけないので

傍で見守ってもらうことにした。

夫は、お風呂に入りたくなかったみたいだが

明日はまた前の病院に行くことになっているので

お風呂に入った方が良いよと私は言った。

土曜日に入ってから4日目だ。

昔の夫なら毎日必ずお風呂にはいり

髪も洗っていたが

何も言わなかったらひと月でも入らないだろう。

それだけ思考力も落ちているということか・・・

食事はまた少し食べるようになった。

これだけでも喜ぶ必要がある。

私は毎日、本当に毎日、

土日も祭日もなく夫の病院へ通っている。

体力は限界に来ているみたい。

朝は3時にアズキの吠える声で起きる。

それから、昼寝をすることもなく

夜まで休む暇もなく動いている。

正直、休みたい。

病院にも行きたくない。

義母から電話が入るのも億劫だ。

私の方が精神的に参ってしまいそう・・

休みたいよ!!


2011年08月23日(火) 夫との時間

昨日は、病院で夫ととても良い時間を過ごすことが出来た。

話は私が一方的に話す方が多いが

それでも、静かな夫の返事が帰ってきた。

夫は今履く紙パンツにしている。

そして、パジャマの着替えも一人で出来ない。

本当は夫の体力をつけるために

一人でさせるのが良いのだろうが

どうしても私が手伝ってしまう。

それは、一人では転びそうで危なっかましいのだ。

それでも、昨日はメモ用紙に

尿と便の回数を記録しようとしていた。

前の大きな病院では

大きな紙に線を引き、毎日飲む水分量と

便と尿の回数を綺麗な文字で記入していた。

でも、今回は記憶さえおぼつかなくなり

記録も全くしようとしなかった。

私が小さなメモ用紙に簡単に区切り線を引き

毎日、便と尿の回数を書けるようにしてあげた。

夫の文字があまりにも弱々しく

力の入らないものなのは気になるが

自分で記録しようとしている気力が嬉しい。

昨日、話した内容は大したことではない。

返事もあまりなかったが

私は夫と静かないい時間が過ごせたと思っている。

もし、今後、夫が益々悪くなっていったら

夫との会話もできなくなるかもしれない。

今は私の話すことは聞いてくれている。

内容は大したことはなくても

お互いに夫婦としての存在を感じることができたら

こんな嬉しいことはない。

来月9月1日は私たちの26回目の結婚記念日だ。

夫と病院で心ばかりのお祝いをしよう。

小さなケーキでも買って行って

今まで有難うと夫に言いたい。

色んなことがあったし、別れようと思ったこともあった。

でも、今、私は夫の傍にいて夫を看護している。

やはりこうなる運命だったのだろう。

だからこそ、別れずに今まで一緒にいられたのだから。

夫との時間を大切にしたい。


2011年08月22日(月) 正直な気持ち

包み隠さず、私の気持ちを書きたいけど

きっと誤解を受けるだろうなあと思う。

でも、つぶやいてみる。

夫の母

つまり、私にとってお姑さんだが

ひとつの宗教に入信している。

それは「世界救世教」だ。

世界救世教についてはネットで検索してみれば出る。

岡田なんとかという人が教祖のようだが

その後内部分裂したみたい。

批判しているサイトもあるが

私は自分自身の考えの中で

義母が世界救世教を盲信しているのが嫌なのだ。

義母だけの範疇ならいい。

でも、今では毎日夫の病院で

手かざしなるものをして

夫の病気を治そうと必死だ。

そんなことで治るなら

世間に病気の人なんて居ないはず。

私は信じない。

確かにハンドヒーリングなるものの存在を知った時は

一時にせよ信じた。

そして、母の悪いところを治してもらおうと

以前は母を巻き込んだこともある。

しかし、結局治らなかった。

西洋医学だけを信じたいというのではない。

だからといって宗教それも狂信的な宗教で

治そうと思うのが嫌でたまらない。

夫は以前から母がすることだから

親孝行のつもりで黙ってさせている。

しかし、入信はしないときっぱり言った。

義母は私にまで入信を言ったこともある。

私ははっきり断った。

それなのに

さっきは電話がかかってきて

毎日夫の病院で手かざしをしないといけない

連れていってと言われた。

私にも私のしたいことがある。

義母を連れていけば連れて帰ることになる。

全く自由がない。

だから、はっきり行けない時もあると言った。

一人で行きたいのなら

電車で行ってくれと言った。

冷たいかもしれない。

こんな時だから

義母の言うとおりにさせてあげねばならないのかもしれない。

でも、私たちは夫婦だ。

私が嫌だと思うものを許したくない。

私の目が届かないところでするのは良い。

私が居るところではしてほしくない。

これが正直な気持ち。

なんて冷たい人間だろうと思うだろうが

私は自分の気持ちに素直になりたい。

自分自身の気持ちを殺して生きるなんて

この年になってごめんだ。

今日も明日も夫の病院へは行くが

義母を連れていく気はない。

私は一人で行く。

手かざしで治るなら医者は要らない。

宗教に狂っている人は大嫌いだ。


2011年08月21日(日) 虐待

この間、二歳10ヶ月の男の子に

食事を与えず餓死させた夫婦が逮捕されたというのに

今度は里親が三歳の女の子を殴り殺すという事件が起きた。

この里親は、声優もしているし

心理士としての活動もしていたらしい。

我が子は10代の子供がいるのに

何故、里親などをして

その子を殺してしまったのだろう。

女性は容疑を否認していると言う。

性格はとても感情的な人だったらしい。

その人の片面だけを見て判断は出来ない。

自分自身でも何故こんなことになったのか

その理由が分からないのではないかと思う。

子供の虐待事件が起きるたびに思うことがある。

それは死なせてしまった場合でもそうでない場合でも

子供たちにしたのと同じことを親にしてやればいい。

例えば、この間の餓死させた親には

同じように食事を与えず

ゴミを食べさせてやれば良い。

自分で体験して初めて

自分がしてきたことの重大さに気づくと思うから。

今回の女性も

髪の毛を引っ張りながら殴り殺せば良い。

ハムラビ法典ではないが

目には目をだ。

それにしても、弱い子供たちが可哀想だ。

大人に対して抵抗も反抗も出来ない。

嫌われてはいけないと思い

自分がこんな目に合うのは

自分がいけないのだと自分を責める。

そして、誰にも訴えることが出来ない。

近所の人や市は何もできなかったのだろうか。

児童相談所の権限を強くし

親が否定しても反発しても

子供を引き取ることができるようにしないといけない。

虐待は今後も起きると思う。

でも、罰し方が甘い。

さっきも書いたように

虐待されたのと同じことをしてやることができれば

虐待も減る可能性も大きい。

飼っている犬が異物を飲み込まないようにと

注意し、病気になれば医者に連れていき

熱中症にならないために

特別にエアコンをつける・・

そんな私だ。

ペットでもそうなのに

やはり、虐待する親の気持ちが理解できない。

忙しいとか疲れたとか理由付けしてもダメだ。

みんな疲れているのだから。

それでも、一生懸命に子育てしている親はいっぱい居るのだから。


2011年08月20日(土) お葬式

5年前に私の父が亡くなった時

父や母がまとめてかけていた

冠婚葬祭会社でお葬式をしたのだが

費用も結構かかるのを実体験した。

それで、一口30万円のコースに

夫と二人で入会した。

まとめて払えば割引になるが

毎月3000円二人分で6000円をかけることにして

10月で5年が経つことになる。

その会社が

15万円コースを始めたと言う。

家族葬を望むひとたちが多くなったため

派手にしないで小ぶりの祭壇にして

毎月1000円を15回かけることになるそうだ。

その案内のハガキがポストに入っていた。

今までも入っていたことはあったが

今回は時間もあったので、昨日その説明会に行って来た。

色々な説明を聞き

今、入っている30万円のコースは

娘の結婚式にも使えるので

新しく15万円のコースに入会してはどうかと言われた。

確かに、私は夫と違って無職で専業主婦で

お付き合いも少ないから

私が亡くなっても葬儀に来てくれる人は

数人くらいだろう。

親戚もそう多くない。

何より、親戚や従姉弟たちも私より年上ばかり。

私が亡くなる頃には誰がどうなっているか分からない。

もし、夫が私よりも先に亡くなれば

私の葬儀は娘がすることになる。

娘に負担もかけたくないから

葬儀費用くらいは残しておきたい。

だから、今、かけている30万円の範囲の

派手でない小さなもので良いと思う。

お葬式はしなくても良いと思うが

それは残った娘の考えることだ。

入会するかしないかについては

一旦考えさせてほしいと言って会館を後にした。

姉に相談したら、「止めとき」と言われた。

娘に電話したら「結婚式ではなくお母さんのお葬式に使って」と言った。

ということで、私に説明をしてくれた女性に

断りの電話をかけた。

将来のことはどうなるかわからない。

自分が死んだ後のことはどうなっても良いと思う。

今から心配してもどうしようもないのだから。

それにしても、昨日の会館にはたくさんの人が来ていた。

それも70才くらいのひとたちが多かった。

若い人はゼロ。

私が一番若いくらいだった。

皆、お葬式のことを真剣に考える年齢になっていた。

私が昨日、ハガキにつられて行ったのも

今の夫のことを考えたからかもしれない。

関係ない事柄に思えなかったのだ。

そんな夫がもし亡くなったら

以前はお葬式はしないで良いと言っていた。

でも、そうもいかない。

なんてことも考えるようになった。

ああ〜〜嫌だ嫌だ・・


2011年08月19日(金) お休み

今日は夫の病院へ行くのを止めた。

本当は今がとても大事な時だから

今まで通り、毎日行くのが本当だ。

でも、ちょっと夫との間で

気持ちのすれ違いがあり

どうも今日は行く気になれない。

だから、夫の携帯へ今日は行かないとメールした。

夫からの返事は来ない。

予定では義母を連れて行くことになっていた。

昨夜、義母に電話して事情を話した。

義母は分かってくれて

少し冷却期間を置いてからにしたら良い。

一人で行けるからと言ってくれた。

夫との気持ちのすれ違いは

私が悪いのではない。

夫の病状がさせているのだ。

だから、夫が悪いのでもない。

こんな時に小さなことにこだわる私を

他人は批判するかもしれないが

どうしても、私には私の言い分もある。

たとえ、誰が分かってくれなくても

私は自分自身を恥じてもいないし

悪いと思ってもいない。

明日、明後日としばらく行けないかもしれない。

洗濯物は義母がしてくれるだろう。

入院しているのだから

看護の手は看護師の手であり

家族は看護師の代わりをするわけではない。

だから、

毎日毎日いかなくても良い。

と自分で理由をつけている。

今日は家で少しゆっくりしよう。

体調不良に関わらず

毎日毎日、本当に休む日も全くなく

夫を支えようと頑張って来た。

でも、私も未熟な人間、

腹が立つこともある。

今日、もし夫の病院へ行ったら

きっと蒸し返すことになり

病院で嫌な思いをするのは分かっている。

だから、今日は休む。


2011年08月18日(木) 新たな不安

夫が5月に入院し、手術をしてから

今日で丁度三ヶ月が経つ。

この三ヶ月、夫の容態は段々悪くなっている。

今では、何を考えているのか

私が病院に行っても、じっと寝ていることが多い。

先日のセカンドオピニオンで

少しホッとした点もあったは確かだ。

でも、実際の夫の様子は

日に日に鬱となり、今では何事にも興味を示さなくなった。

病院を変わってから

前の大きな病院よりも今回の個人の病院の方が

出される食事が美味しいと言っていたのは

初めの頃で

この数日は、前と同じように

半分も食べなくなってしまった。

腹水は嬉しいことに前より溜まるスピードが遅くなっている。

だから、体調も少しはましだと思うのに

夫の様子を外から見る限り

良いようには思えない。

気分的なものも作用しているはずだ。

私も病院へ行くのがとてもしんどくなった。

夫の傍にいるのが苦しくなって来ている。

そのことでまた自分を責めている私が居る。

そして、また新たな問題が出てきた。

昨日はこの件で色々考えた。

考えても結論は出ない。

考えれば考えるほど

不安になって眠れなかった。

しかし、私が生きていく以上

大きな問題であることは確かだ。

どうなるのだろう・・・


2011年08月17日(水) 咳き

数日前から、息をするとゼーゼーと音がして

咳き込むようになった。

風邪を引いた覚えはない。

喉も痛くないし熱もない。

ただ、咳き込むのだ。

それと昨夜あたりから痰が出始めた。

体も何となくだるく食欲もない。

やはり風邪だろうか・・・

こんな時は涼しい部屋で

寝ているのが一番良いと思う。

でも、今の私にはそんな余裕はない。

今朝も4時前に起き

小豆を散歩に連れて行った。

途中でとても咳が出てきて

アズキが不思議そうな顔をして

私を見上げた。

アズキに大丈夫よと言ったものの

脂汗が出てきて歩くのもしんどかった。

今日は夫の病院へ行くのをやめて

家にいるのが良いと思うが

そうはいかない。

午後から予定していることもある。

せめて、発熱しないように願うばかりだ。

熱が出ると心臓に影響もある。

風邪なら病院に行くことはしないで

時間がかかっても治そう。

しばらく様子を見てみて

風邪でもないのに

いつまでも咳が出るなら

来月の半ばに心臓の病院の受診があるから

その時にレントゲンでも撮ってもらおう。

今の私に病気になる暇はない。


2011年08月16日(火) セカンドオピニオン

昨日、予約していた病院へ

夫のセカンドオピニオンで行ってきた。

夫は行く数時間前から緊張していたのか

今何時?もう行く?と何ども聞いてきた。

そして、僕は話さないから○○子さん(私のこと)が

先生に説明してねと言った。

今の夫は会話が難しい。

言おうとしているのはわかるが

なかなか言葉に出てこないのだ。

元々無口な人なので、

しゃべらないのは分かっているが

それでも、自分の言いたいことを相手に伝えることが

少し難しくなって来ているのは可哀想だ。

予約時間の30分前に病院に着いた。

車椅子に夫を乗せ、受付へ。

二階に診察室がある。

夫は歩けると言うが歩く足元が覚束ない。

二階の診察室まで押して行った。

セカンドオピニオンを申し込んだ医者は

全国でも有数の名医だと聞いていたが

診察室の前にはそれを裏付ける新聞記事のコピーが貼られていた。

夫はネットで先生のことを調べて

一筋縄ではいかない人みたいと言っていたが

そんなことはなく

とても丁寧で、話も聞いてくれるし

きちんとした説明もしてくれた。

いい医者だと思った。

今、夫が入院している個人の病院の医者が

最悪のことを話してくれた時から

不安でいっぱいだったが

昨日の医者は私たちにちょっとだけ

希望の光を見つける勇気を起こしてくれた。

今すぐの問題ではない。

やはり、気長に養生することが必要だと言われた。

夫は精神的に参っているから

うつ状態に入っているようで

これを解決するためには

家族がそれぞれ考えて

夫を支えてあげないといけない。

そして、私が明るくしていないといけない。

夫のことばかり考えるのは良くないと娘は言う。

病室を出たら、気持ちの上で区切りをつけて

自分のしたいことをしたら良いとも言ってくれた。

そうすることで私自身が楽になれば

夫に対する態度も、

今以上に優しくなれるだろう。

色んな意味で、昨日のセカンドオピニオンは成功だったと思う。


2011年08月15日(月) 今日は何の日?

みのもんたのTVで長く続いたお昼の番組があった。

その番組の中で、「今日は何の日?」というコーナーがあり

何年か前の今日、日本で何があったのかを放送していた。

今日は8月15日

今日は何の日?と誰かに尋ねようか。

若い人なら何?(つд⊂)と答えるかな?

お年寄りは終戦の日、

お盆と答えるだろう。

そう、今日は一応戦争が終わった日であり

お盆だ。

ご先祖様が一年に一度帰ってくる日、

迎え火を焚き

お墓参りに行き

お霊具膳を作ってお迎えする。

お盆って日本だけのものなのだろうか。

仏教国なら皆お盆の行事をするのだろうか。

何故、8月15日の戦争が終わったとされる日が

お盆なのだろう?

この思いは小さい頃からあった。

偶然ではあるにしても

あまりにもぴったりしている。

大東亜戦争で亡くなった人たち

靖国神社に祀られている英霊たちの

魂が、お盆に帰ってくるのに

今日8月15日はぴったりだと思ったからだ。

戦没者追悼式もある。

日本国民が皆、心を寄せる日だ。

3月11日の東日本大震災で被災した人たちは

家族が亡くなり、遺体もまだ見つかっていないにも関わらず

今日のお盆には手を合わすのだろう。

戦争で亡くなった人たち

震災で亡くなった人たち

それぞれの魂が今日、日本に帰ってくる。

黙祷を捧げたい。


2011年08月14日(日) 先々のことばかり

このまま一体どうなるのだろう・・・

夫は元気になれないのではないか・・・

夫は何を考えているのだろう・・・

今では何も考えいないのではないか・・

あれほどしっかりしていた夫が

まるでボケてしまったような

そんな目と顔をしている。

返事も的を射ていないし

私の話にはあまり興味を示さない。

それほど夫の体調が悪いということなのだろう。

今、私は何をすべきか?

ただ、夫の傍にいて見守っているのがいいのだろうか?

もし、もし、もしも・・

夫が逝ってしまったら

残った私はしっかりしないといけないのに

その自信が全くない。

母の時には喪主をつとめ今も母を祀りながら

生きていけているのに

夫がもしもの時も

母の時と同じようにできるのだろうか?

全く自信はない。

悪いように考えてもダメだ。

悪いように考えたら

そのようになってしまう。

だから、治ると信じなきゃ。

私が諦めたらどうしようもない。

先々のことばかり考えてしまうが

今は今だけを見て生きよう。

奇跡が起きる可能性も大だ。

きっと明るく笑える日も来る。

私はあきらめないで居たい。


2011年08月13日(土) 犬の消えた日

昨日の夜午後7時から9時まで

南海放送(日本テレビ系)でドラマ「犬の消えた日」を見た。

http://www.ntv.co.jp/inu/intro/index.html

これは戦争中、軍用犬として召集された犬や

また供出という形で殺された犬が居た話だ。

私は、軍用犬のことは知っていた。

でも、人間が着る(兵隊が着る)ために

毛皮が必要で、その毛皮をつくるために

多くの犬が殺されたことは初めて知った。

ショックだった。

犬は家族と同じだ。

犬を飼っていない人にとっては

なんで?と思うかもしれないが

私も昨年12月31日に

二ヶ月になるポメラニアンを飼い始めて

初めて犬の可愛さや愛しさを知った。

今では私にとって子供と同じくらい大事な存在となっている。

犬は昔から人間の友達だった。

今はセラピー犬も居る。

犬だけではなく猫も同じだ。

飼い主の心を癒してくれる。

また、愛情を裏切ることがない。

だから、犬を飼うものにとって

犬が毛皮のために殺されるなんて

絶対に許せないことだ。

軍用犬も同じだが

これはその当時なら仕方ないことかもしれない。

人が兵として召集されるのだから

犬もお国のために戦うというわけだ。

それにしても、戦争は本当に酷い。

戦後生まれの私には戦争を実体験していないから

その惨さも厳しさも正直分からない。

頭で想像するだけだ。

日本にとって平和が当たり前の今の時代

戦争とは何かについて真剣に考える時が来ている。

今回のこのTVを見て、

今のこの平和な時代がいかに有難いかを改めて思った。

それにしても、本当に可哀想な犬たち。

3月11日の東日本大震災においても

多くのペットが死に、

また飼い主とはぐれてしまっている。

彼らは今どうしているのだろう・・・


2011年08月12日(金) 嬉しいこと(#^.^#)

このところ、私にとって気持ちが暗くなることばかりが起きていた。

でも、昨日は私にとっても、

とても嬉しいニュースが入ってきた。

大阪に居る娘が

昨年から就活をしていたが

なかなか思うようにいかなかった。

演劇活動をしていたので

映画会社やTV放送局などを受け

最後まで残るのだが

最後でダメになることが続いていた。

娘は大学で専攻していた学問の分野で

それを今後も続けていこうと決心し

新たに就活を始めた。

そして、昨日、娘が一番望んでいた

就職先が決まったのだ。

他県ではあるが

地方公務員上級専門職の試験に合格した。

発表までは不安もあったようで

合格が分かり私に電話してきた時には

涙声になっていた。

私も心からおめでとうと言ったが

それまでの娘の苦労を思うと感極まってしまって

涙が出てきた。

夫にも報告。

お墓参りをして父にも報告した。

勿論、母の遺骨にも報告。

姉もとても喜んでいた。

後は体に気をつけて無事卒業してほしい。

一筋の光がさしてきた気がした。

これで、夫の病状が少しでも良くなってくれると良い。

今は最悪の状態に居る夫。

支える私も正直言って気持ちが重い。

母の時には期限がきられていたし

私なりに覚悟も出来ていた。

でも、夫は若い。

そして、後6年したら定年となり

その後は好きなことをできるはずだ。

だから、夫には治って欲しい。

私も夫と色んなことがあり

一人ならどんなに良いだろうと思ったこともある。

でも、やはり年老いて

夫と二人で歩む人生を選びたい。

どうか、娘の朗報が夫の回復のきっかけになってくれることを

心から願っている。

来週は夫はセカンドオピニオンを受けることになっているが

今言われていることと違って

何か回復の展望が開けるといいなあ・・・


2011年08月11日(木) 茄子

野菜なら何でも好きだが

特に夏野菜では胡瓜と共に茄子が大好きだ。

紫色でムキムキと固くなった茄子は

どんな風に料理しても美味しい。

一番好きなのは焼き茄子。

ガスレンジで茄子の皮が柔らかくなるまで焼く。

焼いている時の香りがまた良い。

焼けた茄子をお皿に移し

熱い間に皮を剥く。

やけどしそうなくらい熱いので

時々水で手を濡らしながら剥いていく。

焼き方によって

するっと皮が剥ける場合とそうでない場合がある。

焦げた皮が実にくっついて取りにくい。

それを何等分かにして縦に割って小鉢に入れる。

生姜をたっぷりすりおろして出来上がり。

食べる時に醤油をたらして食べると

一本ではものたらないほどだ。

お酒を飲まない私だが

お酒のあてにはきっといいだろうなあと思う。

熱々が食べられない時は

冷蔵庫で冷たく冷やして食べるのも美味しい。

昨夜も焼き茄子、今夜も焼き茄子が食卓に登る。

また、茄子は油と相性が良い。

豚肉やピーマンと一緒に炒めて

味噌味で味付けすると栄養満点

夏バテ予防のスタミナ料理となる。

また、味噌汁に茄子を入れると

甘さも出て美味しい。

母は茄子の味噌汁が大好きだった。

今年の母の新盆のお霊具膳の味噌汁も

茄子の味噌汁を作って供えている。

茄子のぬか漬けも母がよく作ってくれた。

食べるころには色が変わっているが

大根や胡瓜の糠漬けとはまた違った食感があり美味だった。

もうひとつ茄子料理で美味しいのは

天ぷらだ。

最近は家ではつくらないが

私が小さいころは母がよく作ってくれた。

いわゆる精進揚げだ。

揚げたての茄子の天ぷらは

どんなおかずよりも最高のおかずとなる。

時にあまりの熱さに口の中をやけどしそうになったこともある。

茄子の栄養はどうなのか分からないが

きっとこれだけ美味しい野菜なのだから

栄養もあるに違いない。

幸い、隣の奥さんが作っている茄子をいただく。

無農薬なので安心だ。

先日もらった茄子が一人暮らしの私には

一日では食べられずまだまだ残っている。

明日はそんな茄子の料理をしようかな・・


2011年08月10日(水) セカンドオピニオン

昨年、母が末期の癌で

手術はできない、放射線治療だけと言われた時

私は診てもらっている病院だけの話ではなく

別の病院の医師の話を聞きたいと思った。

いわゆるセカンドオピニオンだ。

しかし、母が診てもらっていたのは

癌の専門の癌センターだった。

だから、他の病院へ行ったとしても

癌センターよりも何か良い方法があると

言ってもらえる自信がなかった。

だから、母はセカンドオピニオンを受けることはなかった。

でも、今回、夫のことで受けようと思っている。

夫の癌は完治している。

しかし、その後脾臓を摘出した後から

腹水がたまっていてなかなかたまらないようにならない。

そして、益々溜まる速度が早くなっている。

先日、今診てもらっている医者から

あとは生体肝移植しか命を救える方法はないと言われた。

ショックだった。

今の夫は転院していらい

出される食事は完食しているし

他の悪い症状も全くない。

ただ、腹水が溜まるだけなのだ。

だから、移植なんて必要ないと思っている。

ただ医者の話によると

このまま何回も腹水を抜いていると

命にかかわることになるらしい。

そして、その時になって移植をしたいと言っても

ドナーを探すことも難しくなる。

今のうちに提供してくれる人を特定し

ドナーとして適合するかどうかの検査を

しておいた方が良いと言われた。

私でよければ夫に肝臓をあげようと思う。

でも、今の夫の血液検査の結果が良いので

移植の対象にならないとのこと。

これは嬉しいことだ。

今回の医者の話も

一人の医者の判断を聞いているだけなので

もう一人誰か名医に診察してもらいたい。

そう思ってセカンドオピニオンを申し込んだ。

来週の初めには受診できるみたい。

保険外で費用もかかるが仕方ない。

もし、同じような診断を受けたら

辛くとも納得しようと思う。

そうではなく、また別の方法があるとなったら

転院しても良いと思っている。

とにかく、来週には夫の今後の道が決まりそうだ。


2011年08月09日(火) 試練

私の今までの人生に置いて

何度も試練の時はあった。

私自身の命が無くなる場面さえあった。

それでも、今日まで生きている。

父や母を見送った時も

その前の看護を含めて

私に献身という言葉を実行させてくれた

神様が与えてくれた機会だと思えた。

しかし、今回は違う。

神様を恨みたい。

何故、夫がこんな目に合わなければならないのか。

夫は真面目で仕事に生きてきた。

仕事面だけではなく

一人の人間としても尊敬できる人だ。

他人を傷つけたり泣かしたりする人ではない。

親を大事にし、子供にとってもとても良い父親だ。

夫婦の問題はまた違うけど

それでも今までお互いに心の中では感謝しあって来たと思う。

そんな夫が今、人生最大のピンチに遭遇している。

夫の責任でなったのではない病気と闘っている。

治るか治らないか、誰にもわからない。

今の状態から抜け出すことができるかどうかも分からない。

それでも、必死で生きている。

神様は本当にいるのだろうか。

私には神も仏も居ないと思える。

夫と代わってあげることができるなら代わりたい。

悲しいかな・・それは出来ない。

夫が今より少しでも良くなることだけを

祈ることしか私には出来ない。

でも、祈るって誰に祈るの?

神も仏もないのに。

試練だと思ってここは耐えるしかない。

一日も早く夫が元に戻ると良い。


2011年08月05日(金) お盆の棚経

昨日は、母の新盆のための棚経のために

お坊さんが家に来てくれた。

姉と帰省している娘と三人で

お坊さんを迎えて御経を唱えてもらった。

今年は母の新盆なので、

ご先祖様の位牌と両親の位牌の両方に対しての御経だった。

お坊さんが来てくれるので

朝のうちに家の内外を綺麗に掃除した。

朝は3時半に起きて

久しぶりにお霊具膳を造った。

ご飯に味噌汁に煮物に和え物に煮豆。

お団子も40個作った。

母の祭壇にお備えしてお坊さんを待った。

母のための御経から始まり

計40分ほど唱えてくれた。

私から姉、娘と焼香をして終わった。

娘がその間ずっとアズキを膝に乗せていたが

アズキは一度も吠えることなく

お坊さんにも嬉しそうにしっぽを振っていた。

お盆のことがとても気になっていたので

昨日は一つクリアした気がする。

後は11日のお施餓鬼とお墓掃除だ。

何でも先のことを思って苦にする性格の私。

でも、ひとつひとつをこなしていけばいいのだと

改めて思った。

お昼は姉と娘と三人で

近くの厚生年金会館のバイキングに行った。

今回は料理の数も増えていて

味もよくて美味しく食べることが出来た。

母もきっと喜んでいるだろう。

姉とも話したのだが

10月に予定している母の一周忌も

お盆と同じように三人だけでしようと思う。

夫も退院しているかどうか分からない。

それに、母のことを真から思ってくれる人って

どのくらい居るのかと思うと

親類など義理で来てくれるのかもしれないから

身内だけですませば良い。

母もそれで良いと思ってくれるに違いない。

何となく気持ちが楽になった。

食事から帰って三人で夫の病院へ。

夫は姉や娘が居たからか

私一人の時と違って話もしたし

元気そうに見えた。

気持ちの問題もあるのだろう。

私も同じように気持ちを落ち込まさないようにしよう。


2011年08月04日(木) ドッグカフェ

この前、娘が帰省していた時

姉が伊台にあるドッグランへ連れていってくれた。

「カニスアレア」という店で

犬も一緒に食事ができる

いわゆるドッグカフェである。

初めてドッグランを経験し

アズキもレストランで食事も出来て楽しかった。

先日は、やはり姉が久万のドッグランへ連れていってくれた。

ここは食事は出来ないドッグランだけ。

でも、お友達も沢山来ていて楽しかった。

そして、娘がまたどこかへ行きたいと言うので

昨日は砥部にあるドッグカフェkuuへ行った。

ネットで調べて行ったのだが

サマータイム導入で営業時間が変わっていたのに

気付かなかった。

だから、11時前に着いたらもう営業は終了とのこと。

でも、30分レストランを使わせてもらうことが出来た。

ドッグランは日中は暑くて犬も熱中症になる。

だから、朝と夕方の営業となっていた。

私はピラフランチを

娘はロコモコランチを注文。

アズキにはワンちゃんプレートを頼んだ。

ジャーキーやボーロや野菜が

少しずつお皿に盛られていたが

アズキはプチトマトだけは食べなかった。

それでも、お腹がすいていたのか結構食べた。

デザートをヨーグルトアイスを注文。

これはワンちゃん専門のもの。

アズキは美味しそうに食べた。

ここは服を着た犬しか入れない。

初めてのお客は着ていなくても良かったが

次回からは着ないといけない。

アズキは服を着るのが嫌いだから

kuuへはもう行けないと思う。

まあ、ランチも値段の割には大したことなかったし

二度と行けなくても良いかなと思う。

外でも遊べなかったから

アズキはものたらなかっただろう。

次はまた久万など広いドッグランに連れていってやりたい。

ドッグカフェkuuへ行く前に夫の病院へ。

夫はやはり鬱的だった・・

夫と一緒にアズキを連れてドッグカフェに行ける日は

来ないかな・・来るかな?


2011年08月03日(水) きっと落ち込んだだろう

昨日は、午後から夫の病院へ行った。

食べたいと言っていた芋菓子を持って。

病院の駐車場に着いた途端に激しい雨が降り出した。

傘を持っていたから濡れなかったけど

天気予報では何も言っていなかったから

病院の待合室で待つ人たちは傘を持っていないようだった。

雨はどのくらい降ったのだろう。

私が二時間後に病院を出た時は止んでいた。

夫は芋菓子をつまんだ。

夫のことだから美味しいとも不味いとも何も言わない。

普段から何も言わない人だから仕方ないが

私としては美味しい、ちょっと高目の芋菓子を持っていったのだから

美味しいなあと言ってくれると嬉しかった。

二時間居る間に夫とまあまあ話をすることが出来た。

話と言っても私が話しかけることがほとんどで

夫から私へ話す時は用事のある時だけだ。

その夫が用事以外の話をした。

それは職場の女の子のお祖母さんが

肝細胞癌で亡くなったという話だった。

生前からその人の様子を女の子から聞いていたみたいだった。

夫も肝細胞癌、

そして、その人も夫と同じく

ラジオ波で治療をした。

その人が腹水がたまって大きな病院に入院していたらしい。

夫が自分がその人と同じだ・・と言ったのだ。

確かに肝細胞癌もラジオ波治療も腹水も同じだ。

でも、夫の癌は完治している。

今、腹水がたまっているのは

癌のためではなく

脾臓を摘出したためのものだ。

だから、違う。

私はそのことを強調したけれど

夫はやはり気にしているみたいだった。

夫の気持ちはわかる。

自分も同じようなことになるのでは?と不安に思っているのだ。

どんな慰めの言葉を言っても

夫の気持ちが変わらない限り何もならない。

下手に話をするとかえって不安になるかもしれない。

だから、もうそのことに関しては触れるのをやめた。

そして、娘のことやアズキの話をした。

今日は午後から職場の上司と同僚がお見舞いに来てくれるとのこと。

私は午前中・昼前から用事があるので

早目に夫の所へ行こうと思う。

夫は眠れただろうか・・

落ち込んではいないだろうか・・・


2011年08月02日(火) 夫の病院で

昨日も、娘と二人で夫の病院へ行った。

一昨日は行けなかったから一日置いたことになる。

夫は丁度氷を取りに行くところだった。

無料で食べることのできる氷をもらえるとのこと。

水分摂取が制限されているので

どうしても喉が乾くのだろう。

氷と言えば

私は平成6年に心臓・大動脈弁の置換手術をした時

ICUで目覚めた時に発した一声は

氷がほしいだった。

本当はまだ飲食禁止だったが

喉が乾いて死にそうだった。

神様にお願いするように

氷を一個もらって口の中に入れてもらった。

地獄に仏とはこのことかと思うくらい

嬉しくて美味しかった。

だから、夫が氷が欲しい気持ちはよくわかる。

娘はアズキの話をしたが

夫はあまり関心を示さなかった。

私も娘が卒業式で着る着物と袴を

レンタルする店で予約したのよと

話をしたが同じように興味を示さなかった。

そして、自分の体の話や病気の話になると

口を開く。

夫がぽつっと言った。

夜食に何か食べたいと。

塩分の含まれていないもので

あまり胃にもたれないものが良い。

芋菓子が食べたいと言った。

これなら塩分も入ってないだろう。

夫が何か食べたいと言えば

即調達してきた。

だから、昨日も帰りにいよっこらへより

岩城村の芋菓子を買って帰った。

今日はいけないかもしれないが

明日には持って行ってみよう。

少しでも食べる気持ちになっただけでも(#^.^#)。

それにしても、夫の様子を見ていると

退院などできるようではないし

試験外泊もまだまだ先のように思う。

二ヶ月の療養休暇をもらっているが

足らないのではないかと思う。


2011年08月01日(月) 新盆

昨年10月に亡くなった母の新盆を迎えた。

迎え火を焚き、

盆提灯の代わりに

祭壇の横に回り灯篭を置いて灯りを灯した。

灯りを頼りに母が帰って来ると言う。

母の死後10ヶ月が来るが

まだ納骨を出来ないままでいる。

母の魂は何処に行けば良いのか

迷っているかもしれない。

父と会えただろうか。

生きていた頃と同じように、

私の体のことばかり心配しているのだろうか。

母が亡くなってすぐに夫の癌が見つかり手術をした。

癌は完治し退院したものの、再入院。

今も長期療養で病院に居る。

母の死を悲しむ暇もないくらい

忙しい日々を送って来た。

気持ちの休まる時もなかった。

心身共に疲れ果て、

時には逃げたくなったこともある。

心が折れそうになったこともある。

母の祭壇の前に座り、

遺骨を前に涙したこともある。

そんな時、母が「大丈夫よ」と言ってくれた気がする。

新盆は普通のお盆より長い。

父より先に帰ってきて遅く戻る。

父がちょっと寂しがっているかな・・・

母が好きだったおはぎを供えて、

母とゆっくり話をしよう。

「母ちゃん、心配ばかりさせてごめんね、

もう少しだけ私の傍に居てね」


スカーレット