スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次過去未来


2011年03月31日(木) 友人に言われたけど

昨日、友人にメールをしたことで

何か私自身が余計に落ち込んだ気がしている。

母が亡くなり

落ち込んでいる暇もなく

色々なことをこなした私は

思いっきり泣いた記憶もない。

そして、アズキが家に来て

毎日を笑って暮らすようになったが

本当の私の心の中では

母の居ない淋しさで悲鳴をあげている。

でも、このことを誰に助けてもらおうと思ったことはない。

友人は誤解しているのだ。

ただ、私には母がいかに心の支えになっていたかを

友人に話したかっただけなのだ。

どこへ行くにも母と一緒。

買い物も桜を見に行くのも

病院も、勿論旅行も・・

私は母と二人で出掛けることが普通になっていた。

だから、母が亡くなり

私の傍から居なくなって

たまに友人とランチをしたり

姉とどこかへ出かけることはあっても

それは私にとって一時的な慰めであって

母と一緒に居ることや

母と買い物に行くことや

母とランチをすることに比べたら

全く次元の違うことだ。

今年も桜の季節になった。

いつもなら母と何度もお花見に行ったものだ。

でも、今年からは母は居ない。

母と桜を見ることが出来ない。

当たり前のことだ。

分かっていることだ。

決して助けを求めていることでもない。

ただ、一生私の心を埋めるものは見つからないだろう。

私の心は死んでいるのだから。

まぎれることは一時的なことだけ。

母に会いたい。

母とご飯を食べたい。

母と買い物に行きたい。

母と話しがしたい。

母ちゃん、桜が咲いたねと母に言いたい。

遺骨の前でしか言えない私、

もう元気が出ない。


2011年03月30日(水) 私の性格

自分自身の性格が好きな人が羨ましい。

私は時々、何かがあると

自分の性格が本当に嫌になる。

嫌になっても同じことをするのだから

どうしようもないのかもしれない。

丁度一週間前

四か月振りに美容院へ行き

カットしてもらった。

前に相当短くしていたために

自分で前髪や横の髪を切ったものの

形が崩れることも少なく

なんとか4カ月保つことが出来た。

先週の水曜日に切ってもらったのだが

姉に言わせると何も変わってないとのこと。

横はほとんど変わらない。

前下がりのボブスタイルにしてもらったが

横の前下がりの髪の長さと

バックの長さがあまり違わないのだ。

髪自体、減らすことをしなかったみたいで

何かすっきりしない。

毎日鏡を見るたびに

もっと後ろと横の差をつけてほしいなあ・・と思い続けていた。

月曜日は休みなので

火曜日の朝、美容院へ電話した。

午後ならいつでも良いとのことだったので

12時半に行ってみた。

でも、駐車場が満車で入れられない。

13時半頃にまた来てくれというので時間をつぶして行った。

やはり同じ状態。

結局、昨日は埒があかなかった。

今日、再び行くことにしている。

それにしても、私の性格ってどうしてこうなのだろう。

髪なんて伸びるのだから

あとひとつき待ってから行けば良いのにとも思う。

でも、気なり始めたらやまらない私。

何をしていても鏡を覗いている。

今日、お昼前に行ってみて

自分が思っていることを伝えよう。

もし、私が思うようなカットをしてくれたら嬉しい。

でも、帰りに来るのじゃなかったと

悔やまねば良いが・・


2011年03月29日(火) 書けるようになった

昨日はこのつぶやきを更新しようと

朝から何度も試みたが

サーバーエラーのため書くことができなかった。

だから、スカーレットの部屋に当分更新できないと書き込んだが

今、開けてみると書くことができるようになっていた。

(だから更新できないという文は削除した)

良かった。

だけど、このつぶやきを書くことが

いかに日常になっていたかを思い知った。

書けないと何か忘れ物をしたような

そんな気持ちになった。

大したことは書いてないが

それでも、私の心の動きや日常がわかると

言ってくれる人もいる。

メールも電話もしなくても

このつぶやきを読んだら

私が元気でやっているか?そうでないかがわかるとも言ってくれた。

だから、9年前から始まったつぶやきを

これからも続けていこうと思う。

27日は、本当は高松へ行きたかった。

高松市議選に、たちあがれ日本から立候補した

藤澤たけしさんが高松支部を立ち上げ

その支部結成大会があったのだ。

たちあがれ日本の平沼先生や西村先生

三宅博先生らが来られることになっていた。

でも、最近は朝起きるのがとてもしんどくて

高松まで往復運転していく自信がなかった。

その先生方の講演が動画になったのを知り

早速、聞きに行った。

藤澤さんの話では

藤澤さんがたちあがれ日本から立候補することになったのも

一年前、私が開催した

西村眞悟先生の講演会がきっかけとなったのがわかった。

私も貢献できたということだ。

それにしても

西村眞悟先生の話はいつものことながら素晴らしい。

まさに西村節だ。

良かったら是非動画をみてほしい。

http://orange-daidai-color.cocolog-nifty.com/orangeblog/2011/03/327-4bef.html


2011年03月27日(日) 毎日が

東北・関東大震災で被害を受けた人たち

また犠牲になった人たちのことを思うと

私がこの頃、もやもやとしていることなど

贅沢な悩みなのだということはよくわかる。

でも、私自身の心の問題だから

きっと誰にも理解できないことだ。

私は今、確かに幸せだ。

毎日食べるものにも不自由しない。

贅沢しなければお金がないと気苦労することもない。

家族は平穏な毎日を過ごしている。

寝るところもある。

暖かい環境の中で

家事以外は何もせず

のうのうと暮らしているのだから。

でも、何か満たされないのだ。

その満たされないものが何なのか?

私にもわからない。

私には忙しい環境の方が合っている。

母の看護で毎日自分の時間がないくらい

バタバタとしていたころが

妙に懐かしく思う。

専業主婦のありがたさ。

身に染みてわかっている。

夫にも心から感謝している。

でも、何かが足りないのだ。

アズキもいる。

掃除だって隅から隅までやれば

一日は働くことだってできる。

食事も家庭菜園から始まり

全てを手作りすれば一日なんてあっという間に過ぎるはずだ。

でも、そこまではやる気はしない。

たまにはお惣菜も買ってくる。

野菜や花を作ったりもしない。

アズキが居るからまだ気が紛れる。

もし、アズキも居ないで

母の死後、ぼうっとして毎日を過ごしていたら

私はきっと鬱病になっているだろう。

その意味でも感謝しないといけない。

わかっている。

わかっているのだ。

でも、何かが違うのだ。

だから、それを吐く行為にすり替えているのだ。

一日で1キロも体重が減少する。

こんな異常なことが当たり前となるのが怖い。

私は何?

何をして生きていくのか?

人生、残り少なくなった。

焦りか?

苛立ちか?

それともただのわがままか?


2011年03月26日(土) 貴重な時間

昨日は私の知人に会いたいと言う人が居て

その人を迎えに行き

知人に会いに行った。

11時に待ち合わせ早めのお昼を済ませ

知人が入っている施設へ行った。

知人は高齢で一昨年、倒れられ

その後奇跡的に回復して

歩行以外は全く以前と変わらない。

戦争体験がありシベリア抑留の経験もある。

その知人から話を聞いた友人は

レコーダーを持参して聞きとっていた。

本当ならこれを文字起こしして

一冊のものに纏めたいと言っていた。

知人の幼少の頃から

入隊までの話を聞いた。

この中で

満州で生まれた知人が

馬賊と張作霖の話をしてくれたのが

とても興味深かった。

張作霖暗殺は日本軍のしたことになっているが

その後色んなことが判明し

ロシアが暗殺したと思うと言っていた。

この話をもう少し詳しく聞きたかったと友人は言った。

時間はあっという間に過ぎ

気が付いたら16時になっていた。

友人は続きの話を

来月また聞かせてほしいとお願いしていた。

知人はお土産まで用意していてくれて

恐縮しっぱなしだった。

知人がこうして元気になって

私たちに残してくれる

戦争経験談などを話してくれることは

本当に有難く貴重なことだ。

来月も友人と一緒に会いに行こう。

帰りの車の中でそう話した。

でも、知人に会いに行っている時に

会の仲間の一人のお父さんがお亡くなりになった

連絡が入った。

その知らせは辛いものだった。

年齢は93歳とのことだが

子供にとって親はいくつになっても生きていてもらいたいものだ。

私の母が亡くなった時に

お香典をいただいている。

会の仲間に訃報を知らせた。

会の人の中で2人が

私に一緒にお香典を送ってほしいと言われたので

今日、郵便局からご自宅に郵送するつもりだ。

心からご冥福をお祈りします。


2011年03月25日(金) ますます外出嫌いが

昨日は買い物に少し出ただけで

後はずっと家の中に居た。

この最近、外出する機会がめっきり減った。

元々、家に居るのが好きな私だから

一日中家に居ても平気ではあるが

それでも、少しは気分転換に外に出る必要があると

自分なりに考えて買い物に出て行く。

私には友人が一人を除いて居ないと言っても過言ではない。

だから、たまに会ってお昼を食べて

お喋りをする相手は彼女だけだ。

会の仲間たちとは私的なお付き合いはしていないから

何かイベントがある時以外に

会うことはないし話すこともない。

そう言えば、母も外より家の中が好きな人だったなあ・・

年をとって老人会から誘いがあっても

いつも断っていた。

母に聞いてみると

大勢でわいわいがやがやおしゃべりするのは嫌いだと言った。

一人で家の中で片づけや新聞を読んだり

本を読んだりTVを見たりしているのが好きだと言っていた。

私はまだまだ母の年にはならないけど

今年は還暦を迎える。

段々と付き合う人も減ってくるだろう。

そして、ますます外出嫌いになって来るに違いない。

昨日のように、

夫を除いて、

アズキと母に話しかけた以外

誰とも話さなかった日が

これから増えてくる。

私は私なりの毎日を送ろう。

淋しいと言えば淋しいし

気楽だと言えば気楽だ。


2011年03月24日(木) お参りに

昨日のつぶやきで少し嘆いたが

今はそんなことを思った私を反省している。

昨日は午前中、4か月ぶりにカットに行って来た。

母の四十九日の法要の前にカットしてから

ずっとそのままにしていた。

自分で横や後ろや前の長く伸びた髪をカットして

それなりにかっこうがついていたので

4か月も放ったというわけだ。

昨日はカットしてもらったが

自分でカットしていたために

出来栄えはあまり変わらない。

それでも、後ろは少しすっきりした気がする。

アズキのことが気になったが

美容院の帰りに父のお墓参りに行った。

姉がお彼岸に入って掃除をしてお花をあげてくれたいたので

とても綺麗で、私は線香を供え手を合わせただけだ。

帰ると、義母から電話があった。

義母は今年のお彼岸が母にとって新彼岸だと忘れていたとか。

悪気のない人だから本音だろう。

午後からお参りに来てくれた。

義母が居る間に二人の人がやはり母の新彼岸に来てくれた。

二人とも赤の他人だ。

母に世話になったと言って

お供えものを持って訪れてくれた。

本当に有難い。

いとこたちは知らぬ顔をしているが

それは気にしないようにしよう。

私がそんなことを気にしていたら

母が怒るかもしれない。

「直ちゃん、かまんのよ」という母の声が聞こえる。

でも、赤の他人が母の思い出を語って

母の遺骨の前で手を合わせてくれる。

まさに「遠くの親戚より近くの他人」だ。

いことたちは遠くはないのだが・・・


2011年03月23日(水) ちょっと後悔

お彼岸もお中日を過ぎた。

母の新彼岸のお参りに来てくれたのは

結局、姉一人だった。

親戚が亡くなったときには

母を連れて新彼岸にお参りに行ったのに

人ってこんなものなのだろうか・・と

すこし淋しい気もする。

夫の母、いわゆる私にとってのお姑さんも

母の家は近いのに全くお参りに来てくれる様子がない。

夫に言おうかと思ったがやめた。

きっと夫との関係が気まずいものになるから。

まあ、それはそれとして

昨日は親戚のお坊さんが居るのだが

その人が、私の住む市にも檀家があり

その檀家を拝みに行く帰りに

母の新彼岸のお参りに行きたいと連絡が姉のところにあったらしい。

私が母を祀っているのだから

本来なら、私に直接連絡してくれるものだ。

姉から連絡をもらって良い気持ちはしなかった。

昨日の夕方から夜にかけて来てくれるとのこと。

私にも私の都合がある。

今日は4か月ぶりに美容院へ予約しているので

昨日は夕方に髪染めをすることにしていた。

髪染めをしている途中に来られても困る。

母には悪いけど、その人へはお気持ちだけ有難うと言って

丁重にお断りをした。

断ってから少し後悔した。

あれでよかったのだろうか?

私の個人的な事情で断ったのは

あまりにも勝手だったかな・・と思った。

でも、断ったのだからもういくら考えても仕方ない。

お彼岸も明日で終わりだ。

今日は美容院の帰りに

父のお墓詣りをして来ようと思う。


2011年03月22日(火) 「こころ」と「思い」

「こころ」はだれにも見えないけれど

「こころづかい」は見える。

「思い」は見えないけれど

「思いやり」はだれにでも見える。

この言葉を東北・関東大震災の後の

TVで毎日流れるCMで知った。

そして、詩人・宮澤章二さんの詩「行為の意味」

の一節だということが分かった。

この詩に込められたメッセージ

「思いやりの気持ちを持っていても、

なかなか行動に移すことは難しい。

しかし、その美しい気持ちは、

行為になってこそ、初めて意味がある

ということに気づいてもらいたい。」が

私のこころに強く響いてきた。

ちょっとした心遣いが有り難く感じることがある。

昨日も、私が、

帰省していた娘が使っていた布団を片付け、

二階に持って行こうとしていた時、

近くに居た夫が傍に来て、

黙って布団を私から取りあげ二階へ運んでくれた。

無口でいつも何を考えているのか分からない夫だが、

その行為は私を労わる思いやりの表れだと分かった。

こころの中で思っていても

相手に分からないことがある。

私もあたたかいこころや思いを

やさしい行為にしていこう。

言葉に出来なくても行為にすれば、

相手に自分のこころや思いは伝わる。

それが人として生きる意味だから。


2011年03月20日(日) 娘が帰省

数日前から、アズキに会いに帰りたいと言っていた娘だが

就職活動の真っ最中で

19日は名古屋である会社訪問に行くかもしれないと聞いていたので

昨日の朝、やはり帰るという電話に良かったと思った。

東京での学会発表

(これは選ばれて院生と一緒に発表することになっていた)

が中止になったと聞き、安心していたものの

名古屋は大丈夫かなあ・・という心配

これも今回の地震・津波・原発事故によるものだが

をしていた。

だから、帰ると知り安心したのだ。

でも、何時の飛行機に乗るか決まっていない。

まだ布団の中だとのこと。

あの子のことだからのんびりしているなあと思いながら

家の掃除をして布団の用意をしておいた。

結局、午後1時35分の飛行機に乗ると分かり

アズキをキャリーに入れて一緒に迎えに行った。

娘はアズキを見て、意外だったのだろう

とても喜んでいた。

それから家に帰った後の

アズキと一緒に遊んでくれた。

裏の芝生にも出して走ったようだ。

娘は明日の夜大阪へ戻る。

だから、帰っている間はできるだけアズキと一緒に居たいらしい。

今日はアズキのお腹にまくリードを買いに行くことになっている。

そして、明日は夫と娘と三人で

アズキのシャンプー・カットに連れて行こうと思う。

短い間だけど楽しく過ごせそうだ。


2011年03月19日(土) 色々な情報が

東北・関東大震災、福島原発に関して

TVは情報を流しているが

その情報を全て信用していいのか?私は疑問だ。

何が一番不足しているか?

それも取材する人、場所で違う。

ガソリンだ、水だ、毛布だ、薬だ・・

全てが不足しているのは確かだが

その中でも一番不足しているのは情報ではないだろうか?

情報は言論統制されているわけではないが

同じ意見を言う学者ばかりが出て

原発に関してなら大丈夫だという言葉しか発しない。

福島に住む人たちが一番欲しいのが

原発に関する情報だという。

何故、危険なら危険だと言えないのだろう。

政府は把握できないのだろうか。

それとも国民がパニックになるのを恐れているのか。

何でも良い本当のことを知らせてほしい。

昨日は頑張れ日本!から流れてきた支援物資の件で

家にあったものや新しく買い足したものも入れ荷造りした。

今日は郵便局へ行って送ろう。


2011年03月18日(金) お彼岸

今日は春のお彼岸の入りだ。

昨年10月に亡くなった私の母の

初彼岸でもある。

四十九日まで毎日作り続けていた

お霊具膳やお団子は

最近は全く作っていなくて

毎朝ごはんとお茶を代えるだけだった。

今朝は3時40分に目覚ましをセットしておいて起きた。

毎日作っていた時は慣れていたので

手間取ることもなかったが

今朝は、久しぶりだということもあって

お霊具膳やお団子を作るのに1時間もかかってしまった。

それでも5時にはちゃんときれいにでき

母の祭壇に供えた。

線香立てを掃除し、お花の水を代え

お経を唱えたら気持ちが落ち着いた。

数日前から気になっていたのか

母のことを思い出すことが多く

母の顔や姿が頭を駆け巡り涙を流すこともあった。

もしかしたら、今日は誰かがお参りに来てくれるかもしれない。

いつもと同じだけど

何かが違う気がする。

さあ、掃除をしよう。


2011年03月17日(木) 草抜き

母の家に住み始めて半年になる。

母の介護をしながら寝泊りしていたとき

外回りの掃除などは姉が来たときにしてくれていた。

私は家の中のことをするのは大丈夫だけど

外回りの片づけなとをするととても疲れる。

だから、母は私にしないでと言っていた。

でも、母が亡くなり、母を祀りながら母の家に住むようになると

姉に頼るだけでは済まなくなった。

母に頼まれて一昨年にチューリップの球根を植えた

裏庭の広い花壇に雑草が生えはじめ

寒いからと冬の間そのままにしていたら

せっかくチューリップの芽が出て葉も大きくなり

4月になったら花が咲くようになったときに見苦しいと思い

昨日は思い切って花壇の雑草の草抜きをした。

ガーデニング用の手袋を買って来た。

汚れても良いカーゴパンツに履き替え

座り込んで抜き始めた。

雑草ってどうしてこんなに根を張るのだろう。

逞しい。

根っこを抜かないとまた生えてくる。

幸い、草取りようの道具があったので

それを利用して面白いように抜いて行った。

西から冷たい風が吹き、鼻水が出始め

もしかしたら風邪を引いたかもしれないと気づき

大きなゴミ袋いっぱいになったときにやめた。

正直疲れた。

夕ご飯の支度をしていたら

寝込みたくなるほどのしんどさを覚えた。

でも、明日は春のお彼岸の入りだ。

母も喜んでくれるに違いない。

後は芝生の草取りが残っている。

これは昨日みたいに簡単にはいきそうもない。

どうしようかな・・


2011年03月16日(水) 義捐金

今回の東北関東大震災は未曽有な被害を及ぼした。

まだ行方不明になっている人の数は死者と会わせて

一万人以上に上る。

避難している被災者たちの気持ちを思うと心が痛む。

物資が不足している。

ガソリンや水や毛布や衣類・・・

送ってあげたいのは山々だが

個人的な物資は断られている。

地方自治体として送るしかないようだ。

物資を送ってもらっても有難迷惑なこともあるらしい。

やはり現金が一番だと思う。

色々な団体や放送局や日本赤十字などが

義捐金を募集しているが

私が所属している「頑張れ日本!全国行動委員会」も

義捐金を募集することになった。

「東日本大震災」救援のための義捐金募集

御支援先
三菱東京UFJ銀行 高円寺支店
普通口座 0038464
草莽全国地方議員の会

ゆうちょ銀行
記号 10180 番号 90624091
草莽全国地方議員の会

※必ず、送金者のお名前の前に 「サイガイ」 と明記願います。
 「ゆうちょ」で明記できない場合は名前のみで結構です。

というメールが来たので

昨日、郵便局から気持ちだけだが五千円を振り込んだ。

芸能界でも寄付がされている。

韓国の俳優たちや歌手らも

多額の寄付をすることを表明している。

日本人一人が1円だけ出しても

一億円は集まる。

一人が気持ちだけでも寄付してあげてほしい。

助け合う気持ちが大切だ。

ボランティア活動も出来ない私には

祈ることと気持ちだけでも寄付するしかない。


2011年03月15日(火) 日本はすごい


今回の東海・関東大震災は未曽有な被害をもたらし、

犠牲者の数は日毎に増し

関東大震災に次ぐ激甚災害となった。

被災地の様子をテレビで見ていて、

改めて思ったことがある。

それは被災者たちのマナーの良さだ。

このような惨状でも冷静さや礼節を忘れない。

人のせいにしたり、恨み言を言ったり

抗議する姿は見られなかった。

どさくさに紛れての略奪や盗難は皆無だ。

待合所では並んで割り込むことをせず

配給のパンやおにぎりを受け取っていた。

「お先にどうぞ」「いえ、まだ大丈夫です」の声が聞こえた。

これらは、日本人にとっては当たり前のことだが

外国から見たら驚くことらしい。

中国や韓国、アメリカからも

日本人の倫理観の素晴らしさを称賛する声が聞こえてくる。

これが日本人なのだ。

どんな苦境におかれても他人を優先する気持ちを持ち、

落ち着いた行動がとれるのは、

生まれ持った日本人の特質だ。

日本の倫理観や道徳観の高さを誇りに思おう。

日本人が力を合わせれば、きっとこの苦境を乗り越えられる。


2011年03月14日(月) 言葉がない

犠牲者の数がますます増えている。

昨日は宮城県警が死亡者は1万人を超すだろうと言った。

まだ行方不明になっている人が

もしも皆亡くなったとしたら

数は万単位となるのは間違いない。

夕方、二人を救出している模様がTVで中継されていた。

救急車で運ばれて行ったのを見て

どうか生きていてほしいと心から願っていた。

でも、今朝のニュースでは

19歳と22歳の姉妹が救出されたが亡くなったと聞いた。

町が破滅している状態を見て

まるで爆撃されたようだと思った。

大東亜戦争が終わった時も

同じような光景が見られたのだろう。

あの時は日本中の人たちが茫然としながらも

頑張って復興していった。

今回も同じようにきっと復興すると信じている。

それにしても蓮舫の仕分けの結果が

今回の大被害につながるとしたら

それは許せるものではない。

200年に一度起きるかどうかわからない

地震への対策費など勿体ないと思ったのだろう。

そして学校の耐震工事の費用も仕分けした。

災害の時に使う埋蔵金も仕分けした。

今、彼女は節電に携わっているようだが

何をしようとするのだろうか。

辻元と一緒になって

台湾からの支援を断ったというのは本当だろうか。

被害の大きさ以上に彼女たちの頭の中は壊れている。

言葉もない。


2011年03月13日(日) 無事の知らせ

今回の東北・関東大震災で

仙台市に住むメル友さんの安否を心配していたが

今朝、携帯に無事だという知らせが届いた。

良かった!本当に良かった。

ご家族も無事だとのこと。

早速、心配していた人達にメールを転送した。

それにしても、今回の大震災・津波の被害の大きさに驚いている。

津波の恐ろしさを全く経験していないから

テレビの映像を見てその恐ろしさを想像している。

一瞬のうちに家が車が工場が・・流されていく。

その様子をビデオに撮っていた人がいたようだ。

きっと自分の家が流されるのを見ていたのだろうが

どんな気持ちで眺めていたのだろう。

家も家財も何もかもなくして

これからどうして生きていったら良いのか?

今はまだ考え炊くないだろう。

命が助かっただけで良かったと思うしかない。

でも、数日経って現実を目のあたりにした時

自分が今どんな状況の中に居るのかを

改めて考える時が来た時

どうするのだろう・・・

阪神大震災の時にも同じように生きる意欲を失った人が居たと思う。

でも、神戸は復活した。

今回の東北地方もいつかきっと元のように復活する。

今はそう信じるしか仕方がない。

電力が不足しているそうだ。

原発の事故もあり被爆者も出た。

町の半数以上の人たちが行方不明となっている町もある。

今後被害が拡大し被災者や犠牲者の数も増えるだろう。

祈るしかできない私自身が情けない。

政府は国際支援を受け入れた。

一日も早く行方不明の方たちを救出してほしい。

自衛隊と米軍の有難さを民主党政権も確認したに違いない。

菅政権は命がけで頑張ってほしい。


2011年03月12日(土) 東北地方の地震・津波

昨日の午後、NHKの国会中継を見ていたら

地震速報がはいってきた。

津波の怖れがあるので注意をと呼び掛けていたが

いつものようにオーバーに言っているのだろうと思い

用事をするために家を出て帰ったのは4時半頃だった。

友人から電話が入り

地震・津波の被害が凄いと教えてくれた。

早速TVをつけてみると

どの局も地震・津波の報道をしていた。

画像を見て言葉が出なかった。

車や家が流されている様子を見たのだ。

私のメル友さんが仙台に住んでいる。

一人暮らしをしている彼女の住所は

若林区だ。

今朝のニュースでは

若林区で200人くらいの遺体が・・と聞いて

心配でたまらない。

昨夜から携帯へメールをしているが

勿論返事はない。

無事を祈るばかりだ。

それにしても、やはり地震は起きるのだ。

今回の地震は100年に一度の規模で

観測史上最大の規模の地震だとのこと。

阪神大震災の時の方が被害者・死者の数は多いと思うが

それでも、死者・不明者合わせて1000人を超すという。

日本に対して中国・ロシア・国連・アメリカ・EU等が

支援をすると言ってくれている。

緊急事態だから政治的なことは置いておいて

救出作業を早く力を合わせてしてほしい。

一人でも被害者の数を出さないためにも。

明日予定していた大阪デモも中止となった。

当然のことだ。

被害者の方々に心からお悔やみ申し上げます。


2011年03月11日(金) 辞職せよ

菅首相が主宰する政策グループ顧問で、

衆院政治倫理審査会会長だった土肥隆一衆院議員が

「日韓キリスト教議員連盟」の日本側会長として、

日本政府に竹島の領有権主張中止などを求める

同議連の日韓共同宣言に署名していたことを反省し、

責任を取って同会長と党常任幹事会議長を辞任した。

しかし、議員辞職は否定した。

宣言文を精査しなかったというが、

あまりにも無責任過ぎる。

謝罪したと言ってそれで済む問題ではない。

署名は失言と違って重みがある。

土肥氏の行動は韓国側に

「日本政府が韓国の領有権主張を認めた」

と解釈されるおそれがありとても軽率な行動である。

国民を欺く行為であり国会議員としての資格はない。

土肥氏が署名した宣言には、

竹島のことだけではなく、

日本がおかした過ちに対して謝罪と賠償を求めると書かれている。

また、日本国憲法改正を阻止し、

真実の歴史を書いている新しい教科書の発刊を禁じることも書かれている。

土肥氏の責任は重い。

そして、菅首相は土肥氏に対して辞職勧告すべきである。


2011年03月10日(木) 腹の立つこと

昨日の愛大病院の医者に続いて

今日も朝から新聞のニュースを読んで腹が立って立って・・

民主党議員の土肥がソウルで

日本政府に竹島の領有権主張中止などを求める

同議連の日韓共同宣言に署名していたのだ。

国会議員として信じられない行為だ。

どこの国の議員だ?

韓国か?

在日か?

色んな思いが募って新聞に投稿した。

誰かにこの思いを伝えたくて

電話をしてしまった。

そして、思いをぶちまけて少しすっきりした。

それにしても、こんなに腹を立てていたら

体がもたないよ・・・

私の座右の銘である「和顔愛語」はどこへ行ってしまったのか?

お昼を食べて、友人と話していると携帯へ電話がかかった。

前に私に会いたいと言って母の家に来てくれた

警察官からだった。

転勤で伊予市からいなくなるので

私に挨拶をしたいという。

後任の警察官を連れて行くからとのこと。

午後、二人が来てくれた。

早速、土肥の話をした。

警察官は知らなかったみたいで

私が印刷した宣言全文を渡したら

読んで勉強しますと言って帰って行った。

私だけではなく

日本人なら皆腹を立てて当たり前のことだ。

土肥は政倫審の会長を辞任したが

議員辞職すべきだ。

今夜は何も考えずに寝よう。

でないと眠れなくなる。


2011年03月09日(水) 治っていなかった

今日はバセドウ病の再診の日で

愛大病院へ行ってきた。

予約は9時半だったが

血液検査に1時間かかるので

7時に家を出て病院へ着いたのは7時40分。

血液検査をして結果を待ち

診察は10時を過ぎていた。

この前来てから6か月経っているし

症状も全くないので治っていると思っていた。

でも、血液検査の結果、数値は正常値より高く

これからまた半年々ように薬を飲むことになった。

主治医は前にも書いたことがあるが

私とは気が合わない。

というか物言いがエラそうなのだ。

頭に来て相談センターに訴えたら

次に行ったときは少し優しくなっていたのに

今日は前と同じにエラそうな物言いをした。

本当に気分が悪く腹が立った。

処方箋を持って薬局へ行き

主治医のことを話した。

かゆみは薬の副作用なのに

主治医は私の訴えに対して違うと断言している。

そのことも話したら

ストレスとなるから病院を変えた方が良いと言った。

次回は9月の半ばの予定だ。

それまでに他の病院へ行ってみようか・・

でも、大きな病院は紹介状がないとなかなか診てくれない。

今の主治医にあなたはいやだから他に変わりたいので

紹介状を書いてくれと言ってみようか・・

本当に腹立たしい医者だ。

医者として失格だと思う。


2011年03月08日(火) 眠い

「春眠暁をおぼえず」という言葉があるが

最近の私はいつも眠くてたまらない。

睡眠時間は十分とっていると思う。

ベッドの中に入るのは

大体いつも午後9時だ。

と20分くらいしたら布団の中に潜り込む。

それからメガネをかけて本を読む。

TPPの本や在日論の嘘という本を読んでいるが

数ページ読むと眠くてしかたなくなる。

読んでいる時間はせいぜい15分。

本が眠り薬のようなものだ。

夜中に一度か二度は目が覚めるが

起きることはなくまた眠る。

朝は5時に携帯のアラームが鳴るようにしているので

鳴るか鳴らないの時に起きている。

癌にならないための睡眠時間は7時間だと聞いた。

もし、朝5時に起きるのなら

就寝時間は午後10時だ。

じゃあ、私はいったい何時間くらい寝ているのか?

8時間から7時間の間を行ったり来たりしている感じ。

まあ健康的なのは間違いない。

8時間寝ていても眠い時間帯がある。

朝10時ころと昼3時前。

頭が変になりそうだ。

ああ〜たまらな九眠たい。

日記を描いたら寝よう。


2011年03月07日(月) 映画「太平洋の奇跡」

夫と映画「太平洋の奇跡ーフォックスと呼ばれた男」を観てきた。

前評判が高かったので映画館が混んでいるかと思ったが

月曜日ということもあって、観客は私たちを入れて8人だった。

この映画は日本人なら是非観てほしい映画だとのことで

私なりに相当期待があった。

涙、涙で感動すると聞いていた。

しかし、私が感動して泣くシーンはなかった。

ああ〜こんなことがあったのか・・とう気持ちで観た。

戦争末期のサイパン島で、

わずか百数十人の兵を率い、

最後は47人の兵の数になったが

圧倒的な米軍を神出鬼没の作戦で翻弄した、

と製作委員会は大場栄大尉らを称えている。

題名にある奇跡とはいったい何だったのだろう?

正直、私には理解できなかった。

大場大尉と異なり、玉砕・自決した軍人や

投降を拒みバンザイクリフから身を投げた民間人は多い。

そして、それは当たり前の行為だった。

大場大尉の本心は

投降せず最後まで戦い、民間人は助けることだったのではないだろうか?

しかし、極限状態に追い込まれ

日本が降伏したという事実を知り

玉砕せず、民間人200人を無事に収容所へ送り

そのあと、一人を除き毅然とした態度で投降した。

この映画の本質は、

日本人の知らないサイパン島での戦いを知ってほしいということと

大場大尉の変遷していく心の動きを描いたものだったのではないだろうか?

原作とは違うのかもしれないと思い

「タッポーチョ 太平洋の奇跡(ドン・ジョーンズ・中村定・訳)」を

amazonで注文した。

届いたら、映画を思い出しながら読んでみようと思う。


2011年03月06日(日) 気持ちと行動が裏腹

自分でもわからないときがある。

思っていることと現実と行動が伴わないことだ。

映画に行きたいと思う私もいるが

いざ、行こうと思っても行動しない私もいる。

現実を考えれば行けるはずもない大阪へも

行きたいと思いはじめ

バスのチケットの予約もした。

でも、今朝起きるときにとても強い疲労感を覚えた。

かまぼこ板の絵を仕上げほっとした途端に

肩の凝りがまた襲ってきたのがわかった。

磁気バンを貼って少しずつよくなっていたのに

はがした途端にまた肩の凝りがひどくなってしまった。

こんな状態でバスに5時間もゆられ

大阪などに行けるはずもないのに・・

それでも、13日の大阪行きを考えている。

もっと自分の気持ちと行動を一致させねば。

だから、うまくごはんも食べれないのだ。

心療内科行き?

何か自分でもおかしいと思う今日この頃、

母の死が影響しているのだろうか?


2011年03月05日(土) 映画

この間からずっと観たいと思っている映画がある。

それは「太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男」だ。

大東亜戦争の激戦地・サイパン島で

たった47人で多勢の米軍と戦い

多くの民間人を守り

最後には米軍から賞賛された

大場栄大尉を描いた作品だ。

この映画を観た人からは涙なしでは観られない

日本人なら絶対に観るべき映画だとの声もある。

正直、大場栄大尉については知らなかった。

日米開戦から70年が経とうとしている。

戦後生まれがほとんどを占め

大東亜戦争については間違った認識を持つ人たちが多い。

そんな意味でも、若い人たちに観てほしい。

私も観に行こうと思いながら

アズキのことや肩凝りがひどくなったこともあり

なかなか行く機会がなかった。

友人を誘ったが

戦争ものは観たくないとのこと。

一人で行くしかない。

いつか行こうと思っていたら

いつのまにか終わっていたということになりかねない。

ただ、肩凝りと喉の痛みがまだ完治してないし

かまぼこ板の絵も完成させないし・・・

どうしよう・・


2011年03月04日(金) バイキング

バイキング料理は苦手だ。

食べ放題なのは嬉しいけど

ついつい食べ過ぎてしまって後悔することが多い。

今日は、姉がお昼前に来て

昼を近くの元厚生年金センター(今は名前が変わっている)の

お昼のバイキングに行こうと言った。

先に書いた心配もあったが

久しぶりのバイキングだし

食べれるものだけ食べたらいいわと思い行ってみた。

値段は980円。

65歳以上の人は100円安い。

そのためかお客は65歳以上の人たちが多かった。

料理も飲み物もデザートも自由。

90分という時間制限があるが

それでも和風、洋風、中華

そしてカルピス、紅茶、コーヒーをいっぱい飲食した。

なんといっても嬉しかったのは

自分でパフェを作ることができることだ。

果物や数種類のアイスクリーム、

小さなシュークリームもあったし

ガラスの入れ物に

コーンフレークスを一緒に盛ったら

立派なパフェとなった。

姉は、私よりも多く食べていたが

私も私なりに色んなものを食べることができた。

90分は話をしながらだとアッという間だった。

いつもは友人とランチをする場所を迷うが

今度は友人を誘って行ってみたいと思う。

でも、彼女は甘いものが苦手だから

パフェは食べないだろうな・・

その分、コーヒーをお代わりできるし

値段のことを思うと

絶対得だと思う。

姉とこうして一緒にランチをするなんて

母が生きているときには考えられなかった。

やはり母が亡くなり

二人になったから行動を共にできるのだろう。

バイキングも良かったが

姉と時間を共有できたことも嬉しかった。


2011年03月03日(木) アイデア

かまぼこ板の絵は、今まで3枚描いた。

ピンクのチューリップと

母が植えた赤いチューリップと

アズキを描いた三枚だ。

昨日は、午前中、アズキを病院へ連れて行き

ニキビダニの治療をしてもらった。

家のことをして、午後は時間が出来たので

もう一枚かまぼこ板の絵を描いてみようと思った。

でも、板の良いのがない。

今までたくさんの板を買っていたのに

残っているのはさいず小さなものばかり。

これは困った・・・

せっかく良いアイデアが浮かんだのに・・・

題名も面白いし、きっと楽しい絵になるはずだ。

練習用に捨てても良い板を選び

下地を塗り描き始めた。

でも、何か納得できない。

アイデアと下地の色が合わないのだ。

三つにしきって色を変えて塗ってみたが

どうも変だ。

練習用だから再び描きなおすつもりではあるが

板がないのでは話しにならない。

姉に電話して板が余っていたらほしいと言っておいた。

夜一枚だけあるとのメールが来た。

明日、持ってきてくれることになった。

今日は昨日の続きの練習用の板に描いてみよう。

せっかく良いアイデアが浮かんだのだから

赤丸がつくような作品にしたい。


スカーレット