スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次過去未来


2005年04月30日(土) 私流の愛し方

何故今まで、こんなにしんどくなるまで想い続けたのだろう。

何故自分が嫌になりそうになるまで好きになったのだろう。

適当にしてれば問題なんて起きるはずはない。

それなのにいつもいつも一生懸命になるから、

夢中になるから、

後でしっぺい返しが来るのだ。

あの人は人を当てにするなと教えてくれた。

人の言葉に左右されるということは

その人の奴隷になっているということだと言った。

冷たく突き放された気がして

その時はとても落ち込んだけれど

考えたらそのとおりだと思う。

人の言葉なんて気にする必要はない。

人の行動はその人の自由だから

どんな言葉を投げかけられても

どんな態度に出られても気にする必要はないのだ。

私は私であって誰でもない。

決して人に支配されない心を持っているのだから。

周りのせいにしない。

人の所為にしない。

あなたはあなた、私は私。

いくら無視されても良いじゃないか、

たとえ、一生私の想いは通じなくても、

どんな時でもどんなことがあっても、

相手のことを100パーセント受け入れることが出来たことを

私は後悔しない。

そして、それが私流の愛し方なのだから。


2005年04月29日(金) 感動

あの強さは何所から生まれたのだろう。

私が目にした彼の強さは

「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」という言葉が嘘だとさえ思えた。

下半身が不自由で歩くのも勿論困難な彼は

両方の手に杖を持ち、

その杖で全身を支えて歩いていた。

歩くという表現は適切ではないかもしれない。

足を踏み出すのがやっとの思いで体をねじるようにして

一歩、一歩をゆっくりとしたペースで進んでいた。

今にもグニャグニャとなりそうな歩き方だった。

両方の手に杖を持っているから、

手を使うときは地面に座り込むことになる。

そして一度座るとその姿勢から立ち上がることが

私達には考えられないほど本当に大変なことだった。

そこらじゅうに響き渡るほどの大声で

「ヨッシャ!」と彼は叫んだ。

そして、その叫び声と共に力いっぱい踏ん張って立ち上がったのだ。

これほどの気合いを入れなければ、

立ち上がるという行為も難しいのだった。

私たちは何気なく立ち上がる。

でも、彼にとっては大変なことなんだと気付いた。

こんな苦しい思いをせず。

車椅子に乗り誰かに押してもらったらどんなにか楽だろう。

でも、彼は人に甘えることをせず。

どんなことをしてでも、自分自身の足で歩こうとしていた。

周りに居た人が見かねて「座ったらどうですか?」と声をかけた。

でも、彼は「有難うございます。でも歩くのが僕のやり方です」と答えた。

そのいい方は決して人に不快な感じを与えるいい方ではなかった。

虚勢を張っているようないい方ではなかった。

寧ろ、「頑張って!」と声をかけたくなるくらいだった。

彼はずっとこういう風に強い精神を持っていたのだろうか。

それとも、何十年という年月の中で

自然に彼の精神は強靭なものになったのだろうか。

彼の態度は堂々としていた。

恥ずかしいとか、人目を避けるとか、そういった感じは全くなかった。

この場面は、たった10分ほどのことだったけれど、

私の心には強烈な印象で残っている。

感動で心が震えた。

彼のような強い精神力を持っていれば

どんな逆境の中でも自分を見失わず生きていけるのだと思う。


2005年04月28日(木) ふと・・こんな気持ちに

真っ青な海を見ていると

何故か引き込まれるような気持ちになるときがある。

真っ白な雪景色を見ていると

このまま雪の中に埋もれてしまいたいと思うときがある。

遠い異国の土地を旅する自分を想像して

物思いにふけるときがある。

私は私自身であることは間違いないのに

まるで他人のような気がするときがあるのは何故だろう。

部屋の中で雨の音を聞きながら

外との世界の断絶を感じるとき、

明るい日の下、街の喧騒の中で孤独を感じるとき、

どれも私であるはずなのに

色々な気持ちで時を過ごしている私が居る。

一体、どれが本当の私なのだろうか。

明るく笑っているときの私、

部屋の片隅で膝を抱えて落ち込んでいる私、

不安で胸をどきどきさせている私、

夜も眠れないほど一つのことに拘っている私。

その時々で全く違う顔を持っている自分自身に気付く。

誰も皆心の中に違う人格を持っているのだろうか。

それとも私だけがおかしいのだろうか。

気分がいつも一定していて

喜怒哀楽もあまりなく

淡々と出来る人も居るのに

私のようにその時の気分によって

人格そのものが変化しそうになる人も居る。

皆生きていることには間違いはない。

人の気持って本当に不思議なものだと思う。

さて今日の私は一体どんな心で居られるのだろう。


2005年04月27日(水) Shall we Dance?

昨日見た映画「Shall we Dance?」の中で

主人公が妻に言った言葉

「僕の人生で一番大事な宝物は、君が幸せになることだ」を聞いたとき、

あなたが私に言ってくれた言葉と同じだということに気付いた。

そんな言葉の意味をずっと忘れていた私だった。

あなたと過ごしてきた20年間は

私にとっていつも幸せな年月ではなかった。

もしかしたら、私はあなたを見ていなかったかもしれない。

空気のような存在になっていたから。

あなたが居ることが当たり前になっていたから。

あなたが私達のために働いてくれることが当たり前になっていたから。

私は一番大事なことを忘れていたのかもしれない。

あなたと築いてきたこの20年という年月が

これからの20年間に続いているのだと思う。

なんと私は我儘でいつも自分のことしか考えなかったのだろう。

あなただったからこそこうして無事に暮らしていくことが出来たのだと思う。

あなたは口数が少ないから、

いつも何を考えているのか分からなくて

私はあなたに問いただしていた。

そんな時でもただ黙って笑っていたあなた。

それはあなたのやさしさだったのね。

そんな簡単なことにも気付かずに居た私を許してほしい。

あなたとの時間をもっと大切にしたい。

あなたが居るから私が居るんだと改めて思う。

これからの私の人生のパートナーとして

ダンスのステップは踏めないけれど

心の中で一緒に踊ってね。

「Shall we Dance?」


2005年04月26日(火) 色々な気持ち

心って本当に複雑だと思う。

昨日はあんなに楽しくて明るく居られたのに

一夜明けると心がとても重く感じるときがある。

何があったというわけでもなく

誰のせいでもないのに

自分の心がまるで深い海の中に沈みそうになるような

そんな暗く憂鬱な気持ちになるときがある。

何故だろう・・

私だけがこんな気持ちになるのだろうか・・・

天風先生の言うとおり、

心はいつでも元気で居たいと思う。

元気な心で居たら何をしても楽しいし

何を食べても美味しいし、

誰とでも気楽に話すことも出来る。

心の中を覗いてみたら

どんな色になっているのかな?

明るい黄色やピンク色もあるだろう。

反対にグレーや深いブルーも見えるのだろう。

誰かのことを想っているときの心は

きっと薄ピンク色なんだと思う。

その気持ちが段々と高まってくるにつれて

薄ピンク色から深紅、真っ赤に変わっていくのかもしれない。

私の今朝の心の色は何色だろう?

私の好きな真っ白かな・・

それともちょっとグレーがかっているのかな・・・

色、いろいろ、心もいろいろ、

人の考え方も生き方もいろいろある。

それで良いのだと思う。

人は人、私は私なのだから。

そして私自身の心も色々で良いのだと思う。


2005年04月25日(月) 待ってみよう

あなたの返事をもう少し待ってみよう。

きっと忙しくて私のことどころじゃないのだろう。

前にある人に言われたことを

私はまた忘れてしまって

もう、私のことなどどうでも良いのだろうと思ってしまう。

私はいつもこうなんだなあ・・

「もっとゆったりとして、

心に余裕を持って」と言われ続けてきたのに。

返事が来ないことくらい

それがどうしたというのだろう。

そんなことたいしたことではないのに・・

ああ〜嫌になる。

でも、約束したことは確かなのよね。

約束は破るためにあるって言われる気がする。

そうか・・

そうなんだ。

と変に納得している私が居る。

もう少し待ってみよう。

後一週間、否、二週間待ってみよう。

それでも、その約束が守られなかったら

その時にははっきりと諦めよう。

喧嘩はしたくない。

でも、私が謝る必要もない。

無視するのが一番。

無視という言葉が悪いなら

気にしないようにしよう。

私の人生にとって取るに足らないことだから。

そしてあの人にとっては

もっともっと取るに足らないことなのだから。

でも・・・

でも・・・

待っている私が居る。

情けない、

そんな気持ちになる私がまた悲しい。

いっそ全てを白紙に戻すことが出来たら

どんなに良いだろう。

いっそ初めから居ないと思えたらどんなに良いだろう。

ため息ばかりついてないで

さあ、体を動かしてみよう。

待つという心の働きを

良いほうに向けてみよう。

待つということは楽しみが後になるということであって

決して淋しいことではないのだから。

待ってみようと思う。






2005年04月24日(日) 昔・・思ったこと

今の時間がこのままストップして

ずっと永遠に今のままで居ることができたら

どんなに良いだろう・・と思ったことがある。

そう、ずっとずっと昔、

あの人の側に居られる幸せを感じていた時。

ツルゲーネフの言葉に

「ある一人の人間のそばにいると、

 他の人間の存在など全く問題でなくなることがある。
 
 それが恋というものである。」がある。

まさに、あの時の私はこういう状態だった。

自分達の周りの人たちのことなど

全く気にならなかった。

世界は私たち二人だけのためにある。

そんな気持ちになっていた。

あの人と同じ空気を吸うことが出来る幸せ、

あの人の臭いを感じることが出来る幸せ、

あの人の体温を感じることが出来る幸せ、

あの人の側に居られるだけで幸せを感じることが出来た。

言葉なんていらなかった。

視線もいらなかった。

何も言わなくても良い、

私を見つめてくれなくても良い

ただ、黙って私の側に居てくれたら

それだけで私の心は満たされていた。

あの人の右の手を私の手に重ね、

あの人の爪の形を見つめ、

生命線を辿りながら、

私の心は幸せに満ち溢れていた。

ああ〜こうして今のまま時間が止まってくれたら

私は他には何も欲しくない、

あの人さえ私の側に居てくれたら

それだけで良い。

全てがあの人と私の世界。

そんな風に思った私が居た。

遠い、本当に遠い昔の恋物語。

でも、今でもあの人のことを思い出すと

何か胸の中が痛く甘酸っぱくなってくる。

まだ完全に終わっていない私の恋なのかもしれない。

現実の中で唯一私が遠い昔に帰ることが出来る思い出。

神様にお願いすることが出来るなら、

あの時のあの私に戻して欲しいと願っている私。

遠い昔の私の初恋を思い出しながら

そんなことを思っている今朝の私・・


2005年04月23日(土) 格差と不公平

「人は皆平等であらねばならない。

どんな人でも幸せになるべきである。」

こんなことは今まで言われてきたで別に目新しい言葉ではない。

実際に人権を守ろうとか、

差別をしてはいけないとか、

学校は子ども達に教えている。

でも、学校でのいじめや差別は一向に減ってはいない。

また、今の日本の中で皆が平等であるかどうかも疑問である。

確かに憲法で基本的人権の尊重は謳われている。

しかし、一方では教育を受ける側には格差が生まれているのは確かだ。

いくら、大学へ行きたくても

経済的に行けない子も居る。

親の収入で進学できるか出来ないか決ってくることって変だと思う。

今、東京大学へ進学する子ども達の親の学歴や収入は

一番高いという。

また、医者になれるのは医者の子どもたちだけに限られるのではないか。

結局、親が金持ちで経済的余裕のあるもでなければ

いくら子どもが優秀であっても

大学へ行くことは出来ないということだろう。

勿論奨学生制度はある。

しかし、それにも制限があり皆が皆受けることは出来ない。

世界中を見ても

親が子どもの教育費に使うお金が一番高い国は日本が一番だと言う。

親は子供を教育するためには

休みを返上して働き続ける。

母親も外へ出て働かなければ

やっていけない状態で

果たして健全な家庭での教育が出来るのだろうか?

我が家も後3年したら娘が大学へ進学する。

娘には県外へ出たいのなら

絶対に国公立でなければ駄目だと言っている。

仕送りだけでも大変だから

私立の大学へなど行かしてやりたくても無理な話だ。

お金、お金・・・

この世の中はお金次第で決るなんて本当に悲しいことだ。

でも、現実はお金のある人たちが住みやすい世の中になっている。

格差をなくして平等な社会を目指すのなら、

教育も平等に能力のあるものへ門戸を開く社会になって欲しいと思う。

本当の意味での平等な社会を願うのは所詮夢物語なのだろうか?


2005年04月22日(金) 運命と宿命

人には自分自身の力ではどうしようもないことがある。

それを宿命と言うのかもしれない。

生まれた国が日本だったこと、

女性で生まれたこと、

親が資産家でも高学歴でもなかったこと、

容姿端麗でなかったこと、

頭が優秀でなかったこと、

そして、先天性の心臓疾患を持って生まれたこと・・

これらは全て私の力でどうすることも出来ないし、

嫌だから変えたいと思っても不可能なことだ。

だから、愚痴をこぼしても仕方ない。

でも、生まれてからの自分自身の考え方や生き方は

良いように変えることは出来ると思う。

何でも悲観的に考えるのではなく

前向きに楽観的に考えることによって

生まれたときに決っている宿命とは違って

自分の運命は自然と良いものになってくるのだと思う。

運命論者は、何でもその人の運命だから

悪くても仕方ないとか、

その人に運がなかったのだから諦めようとか言う。

それは変だと思う。

自分の力でどうにかなることは

それが嫌なことであれば尚更立ち向かっていくことが大事だと思う。

こんな偉そうなことを言っている私も

若い頃はその運命を変えようと努力するタイプではなかった。

人生に対する諦観が強かったから

何とかして良いようにしようなんて思わなかった。

人生の半分を生きてきて残りの人生を考える時になって

初めてこんなことに気が付いたのだ。

遅いのかもしれないが

自分の人生を終えるまで気付かないよりはましだ。

諦めないこと、

辛抱すること、

投げやりにならないこと、

これが大事なことだと思う。

心に穴を空けず、

もっと気楽に明るく生きて行きたいと思う。

昨日のように自暴自棄にならないようにしたい。

自分自身の周りには支えてくれたり

力づけてくれる人がいっぱい居る。

また良い日もある。

運命を変えるくらいの力を持って生きようと思う。


2005年04月21日(木) 壊れていく心

どうしたの?

何があったの?

何か辛いことがあったの?

心の中にもやもやしたものがあるのではないの?

せっかく治っていたと思っていたのに、

またあの病気になりかけているのかな・・・

もう遠い昔のことだし

今は年を重ねて心の糸も大分太くなっていると思っていた。

でも、やはり不安定な心は存在したのね。

食べるのはかまわない。

決して太ることはないし

少しでも物をお腹に入れることって

普通のことよ。

吐かなきゃ良いのよ。

一度お腹に入れたものは消化するのを待てば良いのよ。

全てのものが吸収されるのではないから。

食べすぎない限り大丈夫よ。

いくら言っても通じないかな・・

ちょっと淋しい気がするな。

嫌なことがあっても

決して負けないでほしい。

体を動かしてごらん。

何かを忘れることが出来るくらい

忙しくしていてごらん。

そうすれば、食べることに執着なんてしなくなる。

そうか・・・

普段に色々なものを食べてないからね、

じゃあ、もっと普通に食べてみようよ。

人と同じくらいのものを食べていると

何があっても過食はしないと思うよ。

日頃食べてないから

欲求不満がつのるのよ。

それは良いことではない。

不自然なこと。

もっと気持ちを楽にして、

くよくよ悩まないで、前を見ようよ。

あなたの側にはあなたと共に生きている人たちがいっぱい居る。

みんな、あなたのことを思ってるよ。

だから、何でも話して。

そして悩まないで。

あなたの壊れていく心を見るのは辛い。

悲しい、淋しい・・・

もう良いじゃないの。

考えてもどうしようもないことを思うのはやめよう。

人生は自分の思うようにはいかないものだから。

もう頑張らなくても良いんだから。


2005年04月20日(水) 朝の心

朝の化粧のノリの良いときって嬉しいものだ。

毎朝、同じように洗顔し

下地をつけてファンデーションを塗り

眉を描いて口紅を引く。

これ以上のメイクはしない私。

濃い化粧はあまり好きじゃない。

しているかしてないか分からない程度の化粧が好き。

若い頃と違って

肌も段々と老化しつつある今日、

少しでも若く元気そうな化粧がしたい。

しましたよという感じの化粧ではなく、

素肌感覚の化粧が良い。

これからの季節は紫外線が怖いから

絶対にノーメイクでは外へ出るのは避けたい。

昔、昔、大昔、素顔の一番ステキな若い頃、

私は入退院の繰り返しをしていた。

そして、素肌で病院の内外をうろうろしていた。

今、考えると本当に怖いことをしたものだと思う。

勿論病院の中では化粧は駄目だ。

でも、せめて日焼け止めクリームくらいはつけるべきだったと思う。

後悔先に立たずという言葉の通りだと思う。

まあ、愚痴を言ってもどうしようもない。

今日のように何故かとても化粧のノリが良い日もある。

肌にしっとりとなじむというか、

透明感を感じるような仕上がりなった。

やはり良いものだ。

こんな日はちょっぴりお洒落をしてどこかへ出かけたい気分にもなる。

誰かに会いたい気分にもなる。

女心って面白い。

男の人が聞いたらきっと笑うだろうな。

こんな小さな幸せ気分って良いな。

化粧のノリの良かった日は心まで元気になれる。

本当に不思議だ。

今日一日が良い日になりますように!


2005年04月19日(火) 絵手紙

昨日、本当に久しぶりに絵手紙を描いた。

考えたらお正月の年賀状を描いてから

後一枚描いた気がするけれど、

本当に久しぶりの絵手紙だった。

父の入院、そして退院後も時間的な余裕がなくて

なかなか描けなかった。

昨日は近所の方からお花をいっぱいもらったので

これは描いてみたいと思ったのだ。

いただいた花は、

黄色のフリージア、

薄ブルーのアイリス、

白と深いピンクのクリスマスローズ、

真っ白なカラー、

クリスマスローズはちょっと季節外れかな?と思ったが、

あの深いなんとも言えない色合いに惹かれて描いた。

フリージアは春の花で

今までもよく描いた花だ。

昨日描いたのは9枚だった。

この中で一番描きにくかったのがアイリス。

難しかったな・・・

この花は姉に描いたのだが

偶然にも昨日姉からアイリスの絵手紙が届いた。

フリージアは父へ退院おめでとうの気持ちで描いた。

真っ白なカラーは

来月の母の誕生日に送ろうと思っている。

それとメル友さんのHPからいただいた

カタクリの花。

実際にこの目では見たことはない。

でも、清楚で凛とした姿に心惹かれた。

彼女の写真には到底及ばないけれど

カタクリの花を描いて彼女に送った。

忙しくて時間がないと言っていても仕方ない。

昨日のように描こうと思って時間を作れば出来るのだと思った。

これからも忙しくても

少しでも自分の時間を作って

気分転換のつもりで描いてみたいと思う。


2005年04月18日(月) 小さな夢

父が退院したら親友と神戸か京都へ小旅行へ行こうと話していた。

でも、今の父や母の様子を見たら叶いそうもないのが分かった。

退院しても完全に元気になったわけでもなく、

父のことが母に負担になっているのだから

いくら二三日のこととは言え、

今の私にはそんな時間もなく、

また気持ちの余裕もない。

別に辛いとは思わない。

多分、こうなるであろうことは初めから分かっていたから。

ただ、あの看病の毎日の忙しさの中で

先に何か明るい希望のようなものが欲しかったから

親友と一緒に旅行をしたいと願っていたのだ。

関西には私のメル友たちが居る。

前にオフ会を松山でしようと言って来てくれた

大事なメル友たちが居る。

あれからまたいつか会いたいねと言いながら

こうして月日が経ってしまった。

親友との旅行がメル友たちとの再会に

繋がれば嬉しいと思っていた。

今回は実現出来そうもないけれど、

またいつかきっと行きたいと思っている。

それまでは頭の中でその計画をふくらませ、

夢の実現を願って過ごしたいと思う。

現実の厳しさを見つめて

足元を見つめて、

一歩、一歩歩いていかなきゃと思う。

それが私の人生だから。

それが私の幸せなのだから。


2005年04月17日(日) 難しいな・・

こうなることは予想していたこととは言え、

こんなに早くにあらわれるとは思ってもみなかった。

父が退院してまだ三日目だというのに

母がとてもしんどくなってきている。

父が退院したために

母に負担がかかるようになったとは言いたくない。

でも、確かに父の入院中の母は楽だった。

自分のことをするだけでよかった。

食べるものでも母は好き嫌いがないから

どんなものでも食べることができる。

私が作って持って行ったものでも

美味しいよ、有難うと言って食べてくれた。

父が退院してからの母は、

とても一生懸命にしている。

そんなに気を張って頑張ったらいけないと言っても

性分でやってしまう。

このまま行けば母が倒れるのは分かっている。

私が父や母の所へ住んで面倒をみることができたら

これに越したことはない。

夫は理解してくれるが入学したばかりの娘は嫌だろう。

頭では分かっていても、やはり私には居て欲しいと思うだろう。

これからの日々をどうすれば良いのか・・

姉は松山に住んでいるから

すぐに来てと言ってもなかなかそうはいかない。

やはり側に居る私が父たちの世話をするのが一番だと思う。

朝、こちらの用事を済ませ、

夫や娘を見送ってから父たちのところへ行こうと思う。

そして、二人が帰宅するまでにこちらに帰れば良いのだ。

勿論、どうしてもしなければいけないことがあるときは

姉に代わってもらおうと思う。

私自身の体調のこともあるし無理はしないようにしたい。

家族が助け合っていかないと長く続けることは出来ない。

今まで散々心配や迷惑をかけてきたのだから

私がすることくらい簡単なことだ。

そう思おうと思う。

よく介護に疲れて・・という事件を耳にするが

分かりたくなくても何となく分かる気がする。

悲劇が起きるのはその人が一生懸命になりすぎるからなのだ。

良い意味で気楽にすればなんとか乗り越えることが出来るはず。

父の退院で私も自分自身の時間が持てる・・と思っていたけれど、

これは当分難しいな・・・と思う。

今一番大事なことは何かと考えると、

私の時間など問題ではないような気がする。

まあ肩の力を抜いて気長に気楽にやっていきたいと思う。


2005年04月16日(土)

小さな穴から大きな悲しみが押し寄せることがある。

小さな穴だから見逃すこともある。

小さな穴から吹いてくる風の音は

大きな穴から吹く風の音よりもひどく聞こえる。

穴は心の穴でも体の穴でも良いものではない。

昨日、行った循環器センターでのエコー検査で

私の心臓の壁に小さな穴が空いていると言われた。

私は先天性の心臓疾患のために

今までに二回の心臓の手術を受けている。

一回目の手術は私が19歳の時だ。

この時に三つの悪いところの手術をした。

「心室中隔欠損症」の手術もその一つだった。

その時に完全に塞いでいたと思っていたのだが

その壁の穴が少し残っていたのか

今も空いていてそこから血液が漏れているというのだ。

今のところ、自覚症状もなく元気だから意外だった。

このまま段々とその穴が大きくなればまた手術ということになるだろう。

でも、あれから数十年の月日が経っていることを考えると、

私が後何年生きるか分からないけれど

きっと大丈夫だと思う。

最近の私は先のことを心配しなくなっている。

だから、昨日医者にそう言われても全然ショックではなかった。

その時はその時のことだと思っている。

今は私に出来ることをすれば良いと思う。

今日は父や母の所へ顔を見せて手伝いをしようと思っている。

穴は穴でも心の穴でなくて本当に良かった。


2005年04月15日(金) 退院

今日父が退院する。

一時退院はしたものの去年の11月からだから

足掛け5ヶ月の入院になった。

まさかこんなに長くかかるとは夢にも思ってなかった。

姉も私もこの数ヶ月間毎日父の病院へ行き、

出来るだけのことはしたつもりだ。

でも、まだまだ何か足らなかったような気もしている。

父は完治して退院になるのではない。

これから家に居て悪くなっていくのは分かっている。

だからこそ、今日の退院がとても意味のあるものだと思う。

父は明日にでも芝居見物に行きたいと言っているが、

まだ血液状態が本当ではないのでそれは無理のようだ。

好きな掃除も少し控えてもらいたいと思う。

でも、後は父の好きなことをしてほしい。

母と二人だけの生活はほっとするものがあるだろう。

数ヶ月の病院での生活は

きっと精神的に大きなストレスになっていたと思う。

今は一番良い季節だ。

一緒に行きたいと思っていたお花見は出来ないけれど、

家の庭にあるハナミズキの花ももうすぐ咲く。

白とピンクの可愛い花を見て父もほっとするだろう。

チューリップも赤、白、黄色と咲いている。

寝ながら庭の花を見て心和むと思う。

本当に長い間お疲れ様でした。

そして、退院おめでとう。

後は無理をせず、気ままに家で過ごしてね。


2005年04月14日(木) 疲れ

疲れには体の疲れと心の疲れがある。

どちらの疲れがその人にとって苦しいものだろう。

毎日の忙しさで眠る時間も少なくなり、

疲労困憊しているときは

何もしたくない気がする。

ただ、ひたすら眠っていたいと思う。

そして、思考力も薄れるから

面倒なことを考えたくなくなる。

ただ、何もせず疲れた体を休めたいと思う。

お酒の飲める人ならアルコールで気分転換をすることもあるだろう。

「ああ〜良い気持だ」と思える時もあるだろう。

また、ゆっくり寝ることが出来たら

体の疲れも少しは楽になると思う。

でも、心の疲れは体を休めただけでは修復できない。

心が辛いときや苦しい時は

何もする気がしないだけではなく、

人と会うのもいやになり、

食べることも寝ることもしたくなくなってしまう。

どちらの疲れの方が良いかと考えると、

私は体の疲れの方がいくらか楽なように思う。

精神的に追い詰められ、

ダメージを受けた心を元に戻すのは容易いことではないと思うからだ。

私も今まで色々な心の疲れを覚えてきたけれど、

一番の疲れは人間関係が不味くなったときに起きる疲れだ。

本当に参ってしまう。

生きていたくないと思うときさえある。

心が元気なら少々の体の疲れなんてクリアできる。

だから、朝起きたときに鏡を見てにっこり笑う。

笑うことによって心の疲れがちょっとだけ取れるから。

今日も起きて直ぐに鏡を見てにっこり笑った。

今日も良い日になるように。

心元気で過ごしたいと思う。


2005年04月13日(水) 娘の誕生日

今日、4月13日は私の一人娘の誕生日だ。

今日で16歳になった。

今から16年前のあの日のことを思い出している。

子どもを産むことを禁止されていた私、

でも、どうしても一人だけ、

それも女の子が欲しかった。

夫にも両親にも姉にも、そして医者にも反対されたけれど、

死んでも良いと思って産む決心をした。

16年前の今日無事生まれるまでの10ヶ月、

正直言ってとても苦しい日々だった。

何度お腹の娘に恨み言を言ったことだろう。

胎教なんてどこかへ飛んで行ってしまっていた。

食べられない状態が9ヶ月まで続いて、

私はやせ細ってしまった。

食べても直ぐに吐いてしまう状態で、

これほどに苦しいものだとは思ってもみなかった。

それでも無事出産することが出来た。

帝王切開だったから皆が経験する痛みを知らない。

私の心臓ではその痛みに耐えることが出来ないと医者が言った。

痛みは分からないけれど、

それまでの苦しみは本当に辛いものだった。

だから、お腹から娘が取り出された瞬間のことは

今も頭の中から離れることはない。

感激という言葉では表せないほどの感動だった。

あれから16年。

色々なことがあったけれど、

今年から娘も高校生になった。

後3年もすれば私の元から飛び立っていくだろう。

家で色々な話をしたり

たまには喧嘩をしたりすることも

後3年ほどになってしまった。

娘が元気で明るく毎日を過ごせることを心から祈っている。

そして、自分の夢に向って歩いて行って欲しいと心から願っている。

「お誕生日(*^^)/。・:*:・°★,。・:*:・°☆オメデト!!」

さっき、娘のPCにお祝いのカードを送った。

今日の夕食は娘の好物を作って、小さなケーキを買って

ささやかなお祝いをしてやろうと思っている。


2005年04月12日(火) 親子で留学

働く父親を日本に残し、

子どもの留学に母親は同伴する

「親子留学」がブームだそうだ。

生後数ヶ月の赤ちゃんから2,3歳の子ども、

そして幼稚園、小学校生まで居るそうだ。

今の日本の子ども達の教育がいかに家庭の中で最優先させているかがわかる。

父親は大変だと思う。

一生懸命に働いて帰宅しても

その父を迎えてくれる妻や子ども達は居ない。

それでも、子ども達のために頑張っているのだ。

確かに幼児の頃から英語に親しむのは良いと思う。

これからは英語を話せることはとても必要になってくる。

私も娘が幼稚園に通っている時、

幼稚園の外国人の先生が保護者に英会話を教えてくれると聞き

参加したことがある。

でも、いくら勉強しても継続しないと何もならないと気付いた。

特に日本の中に居たら英語を話す機会ってないに等しい。

英会話教室で話すことが一番の近道だ。

でも、さび付いた頭では覚える側から忘れてしまって、

結局英会話は夢で終わってしまった。

この親子留学ならきっと本物の英語をマスターできるだろう。

一ヶ月のホームステイの料金は40万円かかると言う。

一年居たとしたら相当の額になる。

それでも親子で留学しようとする人は

親自身が留学してみたいという気持ちが多いのだと思う。

私には無理だと思う。

夫を一人残しては行けないと思うから。

父親の理解が大きいのか、

それとも母親の力が大きいのか、

どちらにせよ、今の日本の教育熱心さが現れていると思う。

幸せなことだと思う。

せめて高校生になった娘が留学したいと言った時に

経済的に許せるなら好きな英語の勉強をさせてやりたいと思っている。

その前に夫への感謝の気持ちを忘れずに居たい。


2005年04月11日(月) お弁当作り

今日から娘の高校への通学が始まった。

小学校から中学までは給食があったので、

運動会や遠足など特別の時以外は

お弁当作りをしなくて済んだ。

でも、今日からは毎日お弁当を作ることになる。

元々、お弁当を作るのは好きだった。

私が中学生の頃から母にお弁当を作ってもらったことはほとんどない。

それは母を気遣ってのことではなく、

母に作ってもらうのではなく、

私自身が作りたいと思ったからだ。

私のお弁当作りは高校生までずっと続いた。

その後、仕事に行く姉のお弁当作りを長くして、

結婚してからは夫のお弁当を数年作った。

そして、今日から久しぶりの毎日のお弁当作りが始まった。

嬉しいことに冷凍食品にも良いものがある。

昔には考えられなかった煮物まであるのには驚く。

出来るだけお手製のものにしたいとは思うけれど、

時には冷凍のものを使うかもしれない。

娘には内緒だけれど、手抜きもさせてほしい。

気楽なお弁当作りを続けたいと思う。

今朝のお弁当は定番の玉子焼き、ウインナー、

小さなコロッケ、焼いた塩鮭、枝豆、

黒豆、きんぴら、苺だった。

娘が残さずに全部食べて帰ってくれると良いのだけれど・・


2005年04月10日(日)

この数日の暖かさで桜が満開になった。

お天気も良くて昨日はお花見の人が沢山居たと思う。

何故日本人は桜を好むのだろう?

あの花の美しさのせいもあるけれど、

散る時の潔さに心惹かれるのだと思う。

春になるとこの桜の木の蕾のことが気にかかるようになる。

段々とピンク色になってきて、

一輪、二輪と咲き始めると

まるで幼子が歩きだした時のように

心が嬉しくなってくる。

そして、毎日同じ桜の木を見に行き、

今日はどのくらい咲いているか?

満開になるのはあとどのくらいだろう?とか

色々なことを考えてしまう。

毎年母は言う。

「今年の桜が最後になるかな・・来年も見えるかな・・」

この言葉を耳にするととても淋しくなる。

その母と一緒に花見に行くのが私の楽しみだった。

でも、今年は父の入院のこともあり、

その機会もなく花は満開になってしまった。

一昨日、娘の晴れ姿を父に見せたくて

母も一緒に病院へ行った。

その行きの石手川の土手の桜が素晴らしかった。

毎日見ている私でも感激したくらいだから

今年初めて桜の満開の姿を見た母は

本当に嬉しそうだった。

母の「わ〜綺麗!」という言葉を聞いて私も嬉しかった。

今年も母に桜を見せてあげることが出来たことを喜びたいと思う。

父が退院できたらもう一度母と三人で桜を見に行きたいと思う。

桜がそれまでに散っていなければ良いのだけれど・・


2005年04月09日(土) 広がる未来へ

昨日は娘の高校の入学式だった。

15歳の子ども達440人の姿を見ていて、

この子たちの未来は限りなく広がっているのだあ・・と感じた。

自分自身の時には何も感じなかったのに、

今になってこんなことを感じるのは、

やはり、私自身が年を取ったということなのかもしれない。

自分自身の未来が無限に広がっているって

なんて素晴らしいことだろうと思う。

自分が努力して頑張ればそれなりの成果が出るだろう。

期待するほどのものではなかったにしても

何か一つの目標に向って

努力することってとても大事だと思う。

叶う叶わないに関わらず、

何か一つの夢を持ち、

その夢の実現に向けて頑張れるって、

本当にステキなことだと思う。

私には人生の目標なんてものが何もなかった。

自分が何になりたいか、

どんな仕事に就きたいか、

そんなことを考えたことがなかった。

考えたくても考えられない状態に居たからかもしれない。

愚痴になりそうだけれど、

私には未来はなかったように思う。

どうせ・・無理・・

私が仕事なんて出来るはずがないから・・

いつもこんな風に思っていた。

だから、昨日の440人の背中を見ていて

是非自分達の夢を叶えるように頑張ってほしいと思った。

娘にも娘なりの夢がある。

その夢を実現させてほしいと思う。

広がる未来、

限りない未来、

これからの日本のために、

そして自分自身のために、

夢に向って、スタートを切ってほしいと思う。


2005年04月08日(金) 懐かしさ

あれは、私が中学生の頃、私には一人の文通相手が居た。

相手は同じ学年の男子で隣の県に住んでいた。

中一の頃に友人の紹介で知り合い、

それから大学生になるまで文通は続いていたように思う。

高校生になる頃、私は彼が住んでいる町が見たくて行ったことがある。

でも、結局は家を訪ねる勇気もなくて行けなかった。

彼と手紙で話した内容や彼の写真まで今も覚えている。

彼との文通が途絶えたのは、

私が心臓の手術をした19歳の頃だった。

私にはその頃付き合って居た人も居たし、

彼が東京の医大へ通っていたせいもあって

自然消滅してしまった。

それから30年が過ぎた。

その間、時にふと彼のことを思い出すことがあった。

顔は勿論中学生の頃の彼の顔だし、

今53歳になっている姿は想像できない。

そんな彼のことを思っていたからか、

偶然彼の名前を打ち込んで検索してみたら

彼が故郷で医者になっているのが分かった。

ネットって怖いなあ・・・と思っていたけれど、

こんな感じでまた彼の存在を確かめることが出来るなんて

本当に凄いと思う。

彼が脳神経外科の医者になり、

スポーツドクターになって活躍しているのが分かった。

本当に懐かしさでいっぱいになった。

でも、それ以上の気持ちは湧かなかった。

あの中学生の頃の気持ちを大事にしたいと思ったからだ。

元気で居てくれたことが分かっただけで嬉しい。

一生会うこともなく

文通相手だけの関係で終わる男女の仲も良いものだと思う。

これからも彼が益々の活躍をされることを心から祈りたいと思う。




2005年04月07日(木) 新聞に載った

「春よ来い」

 一月から三月はあっと言う間に過ぎてもう四月になった。

石手川沿いの桜はちらほら咲いている。

吹く風はまだ肌に冷たい気もするけれど、

日差しはめっきり春らしくなっている。
 
 昨年十一月、元気で病気知らずだった父が突然の病に倒れ、

もう四ヶ月あまりになる。

毎日芝居見物を楽しんでいた父を思うと、

ベッドの上にいる姿がうそのようだ。

姉も私も毎日顔を見せるようにしている。

 警察官だった父。

共に過ごす時間が少なかった分、

今一緒にいられる時間をとても大切に思う。

父の性格は分かっていたつもりだったけれど、

この四ヶ月余りでいろいろなことを知った。

 優しさは人一倍、

神経のこまやかさは天下一品。

看護士さんにも気配りを忘れない。

「そんなに気を使っていると治る病気も治らないよ」と言っても通じない。

病人でありながら母や私たちのことばかり心配する父でもある。

でも、それが父の良いところなのかもしれない。

元気になってほしい。

そしてまた好きな芝居を見に行ってほしいと思う。

 父の病院へ行く途中の土手の桜はもうすぐ満開となり、

目を楽しませてくれるだろう。

病院のベッドからも桜が見える。

退院できたら是非一緒にお花見をしたい。

「春よ来い」の歌を口ずさみながら、

春の風を感じて、

今日も病院へ車を走らせる私である。


2005年04月06日(水) 何事も経験

一昨日の夜から本当に生きた心地がしなかった。

自分で蒔いた種だから・・と思えばそれで良いのかもしれないけれど、

それにしても私がああいう詐欺まがいのことにあうなんて

思ってもみなかった。

以前からメールボックスに迷惑メールが沢山来ていた。

いつもなら見ないで削除するのだが、

あの時は魔が差したというか、

何かそんな予感はしたのだが、開いてしまった。

すると本当に変なサイトに接続してしまった。

これでやめればよかったのに、

またしても私の操作ミスで入ってしまったのだ。

すると何とそれだけで入会したことになり、

¥50000を三日以内に振り込むように書いてあるのだ。

本当に驚いた。

心臓が破裂するのではないかと思うほどドキドキした。

何も考えられないほどパニック状態になった。

そして、これは何としても支払わねばならないと思った。

馬鹿なことをしてしまった勉強料として払おうと思ったのだ。

直ぐに親友に電話した。

彼女は生活センターに相談したら良いと言ってくれた。

夫に話すことができたら良いけれど、

何か恥ずかしくて話が出来ないと思った。

怒られるのを覚悟で思い切って話をした。

そうしたらそれは今流行の詐欺のようなものだと言った。

無視したら良いと言った。

でも、私にも落ち度があるような気がしてとても不安になった。

昨日の朝早速県の生活センターに電話して相談してみた。

相手の方も無視するように言った。

裁判までは行かないから心配しないようにとも言ってくれた。

ネット法があり、私のような場合大丈夫だと言ってくれた。

それでもこれからも催促は続くから

メールアドレスを変更したらどうかと教えてくれた。

そこでブロバイダに電話してアドレス変更の手続きをした。

新しいアドレスになるまでには一週間ほどかかるらしい。

それまでの間メールのアカウントを削除した。

当分メールの送受信が出来ないけれど仕方がない。

本当に良い経験をしたと思う。

TVでよく言われている振込み詐欺なんて

絶対にあうことはないと自信があった私だけれど、

今回のことで自信を失った気がする。

本当に気をつけようと思う。

何事も経験とはいうけれど、

やはり経験しないで済むことはしない方が良いような気がする。

皆さんも気をつけて!


2005年04月05日(火) 娘に伝えたいこと

今年高校生になる娘は思春期真っ只中に居る。

最近はファッションや髪型や顔についてとても気をつかうようになった。

娘の洗顔は私よりも丁寧で時間もかけている。

その後の化粧水も色々と拘っているようだ。

娘が未熟児に近い状態で生まれたので

私は大きくすることに必死だった。

食べさすことに無我夢中になり、

そのために今ちょっとふっくら目の女の子になってしまった。

TVを見てもどんな雑誌を見ても、

今の若い女性は皆スタイルがとても良い。

痩せすぎと言う気さえする。

こういう状態が今では当たり前になっているのが怖い。

最近では若い女性のダイエットのために

低体重の赤ちゃんが増えているという。

女性にとって大事な体を作る機能も劣っているようだ。

皆が皆ではないけれど、

こんな状態が続くと良いことはない。

「拒食症」になった経験のある私は

娘に「もう少し痩せたら良い」と言う言葉は言えないし、

絶対に言いたくない。

今はちょっとふっくら目が良いのだ。

もっと本当の女性になったら痩せると思う。

それまでは元気が一番。

今で充分だ。

私が娘にしてやれることには限りがあるけれど、

このことだけは娘に伝えたいことだ。

青春時代を楽しむことがなかった私が一番よく分かる。

健康が一番だと思うから。

見た目の美しさよりも内面の美しさを磨いて

ステキに輝く女性になってほしいと心から願っている。


2005年04月04日(月) 出会いは宝物

春は別れの季節でもあり、また出会いの季節でもある。

人生の中で誰かと別れることはとても辛い。

もう二度と会えないのかと思うと悲しくなる。

でも、神様は忘れるということと、

思い出に変えるという二つのものをプレゼントしてくれた。

今までの私の人生の中でも色々な別れがあった。

一生の心の傷に残るものもあれば、

薄っすらとしか覚えていない別れもある。

正直言って忘れていることの方が多いような気もする。

その時は悲嘆して食事も喉に通らないこともあった。

二度と外へ出たくない、

蒲団の中に入っていつまでも居たい・・

なんて思ったこともある。

でも、私は立ち直りが早いのかな?

それとも神様が私を見捨てないのかな?

すぐに違う出会いのチャンスが訪れるのだ。

一生のうちでとても大事な出会いというものがある。

生まれてきて両親と出会うこと、

幼い頃に出会った近所の幼馴染、

学校で知り合った友人、

そして、人生を左右することにもなる先生との出会い。

私には幸か不幸かそんな先生との出会いはなかったけれど、

この先生に出会ったからこそ、今の自分が居ると感じる人も居るだろう。

そんな人ってとても幸せな人だと思う。

若い頃に経験した恋人との出会いは、

人生の中で一番華やかで、ステキな出会いかもしれない。

たとえその恋が実らなかったにせよ、

今でも私の心の中ではとても大切な思い出になっている。

そして、夫との出会い。

今思うとこの出会いこそが

私にとって一番大切な出会いだったのだ。

それが、年月を経る毎に段々とそんな思いが消えているような気がする。

淋しい気もするが、

これが同化したということなのだろう。

居て当たり前の人になってしまったことは

私には新鮮には感じられない。

もっともっとステキな人が居るのでは?と何度思ったことだろう。

夫もきっと同じように感じているに違いない。

出会いは人生の宝物だと思う。

あなたと出会えたからこそ今の私が居る。

そんな風に夫の前で言える私になれたらどんなに良いだろう。

父の病院へ行く途中の桜の木を見ながら

ふとこんな出会いについて考えてしまった。


2005年04月03日(日) 再スタート

心に思っていることを書くということは、

今、自分自身が生きているということの証にもなると思う。

多くの人たちが自分自身を見つめながら、

自分史をいうものを書き残そうとしているのもそのためだと思う。

私は書くのが好きだ。

心に思い浮かぶことを言葉にしていくことは、

私にとって一番楽しいことなのかもしれない。

親友に「あなたは趣味が多いね」と言われた。

私は「そうかな・・・」と思った。

確かに、絵手紙を描いたり、

ピアノやヴァイオリンを弾いたり、

本を読んだり・・色々としていることはある。

でも、本当に何が一番したいのか?と聞かれたら、

こうして文章を書くことなのではないか?と思うようになった。

とにかくこうして書いていると心が落ち着くのだ。

思いのままを言葉にして書く事、

これこそが私の一番の趣味なのではないだろうか?

昨日、父の病院で新聞を読んでいたとき、

一面にカルチャースクールの紹介と募集が載っていた。

時間もあったので隅から墨までゆっくりと見た。

皆とてもステキなことばかりだったけれど、

私の目に留まったのは、「文章講座」だった。

三ヶ月間の受講期間で、費用もそんなに高くなかった。

「これだ!」と思った。

やろうと思った。

早速帰宅して申し込もうと思った。

でも、待てよ・・

今は父のことがまだなんとも分からない状態だ。

7月になったら目途も立つだろう。

その時でも遅くはないのだから今は待とうと思った。

書くということをきちんと基礎から学んだら、

私のこのつぶやきももっと良いものになるのではないかと思う。

新聞への投稿もしてみたいし、

私の夢でもある「エッセイ出版」も夢に終わらないかもしれない。

そんなことを思っていると何だか楽しくなった。

でも、その前にヴァイオリンを再開しなきゃ!

春はもう来ている。

再びスタートを切るときなのかもしれない。


2005年04月02日(土) 春が来た

あっと言う間の三ヶ月だった。

やっと一休みって言う感じがする。

娘は第一志望校の合格した。

今日その高校の制服が届いた。

教科書や参考書や辞書や靴、カバン・・

そのほかの色々なものも購入した。

入学式に持っていく書類も整えた。

後は8日の入学式を待つばかりだ。

でも、父はまだ入院している。

退院の予定もまだはっきりしない。

完治して退院するのではないから

諸手を上げて喜ぶことが出来ない。

でも、父にとっては家に帰ることはきっと嬉しいだろう。

そんな父に桜の花が満開で迎えてくれると思う。

最近の私は今までの生き方を変えようとしている。

何でも一生懸命にしてきたのをやめた。

肩の力を抜いて、気楽に生きようと思う。

真面目に何でも一生懸命にするのが良いと思って

今まで50年間生きてきた。

勿論それはそれで良いこともあった。

でも、反対にしんどいこともあったことは確かだ。

良い意味でどうでも良いと思おう。

私が楽に生きていったら

私の周りの者達も皆楽になると思う。

結局、自分自身のための人生なのだから、

私が幸せならそれが一番良いのだと思う。

父のこともあまり気負わずに居ようと思う。

なるようにしかならないのだから・・

父の病院へ行く途中の土手の桜が咲き始めた。

後一週間もすれば満開になるだろう。

確実に日々は過ぎている。

一度しかない人生なら

思いっきり楽しいものにしたいと心から思う。


スカーレット