スカーレットの心のつぶやき
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娘に心から謝りたいと思う。
こんなにも娘の心が不安でいっぱいだったということを
気付いてやれなかった私。
母親失格だとさえ思った。
娘は三月に高校受験を控えて今追い込みに入っている。
娘の勉強のことで今まで心配をしたことがない。
だから、高校受験も大丈夫だという気持ちだった。
そして、娘も同じ気持ちで居るとばかり思っていた。
でも、そうではなかった。
娘が昨夜突然泣き出した。
不安でいっぱいの心を泣きながら訴えたのだ。
自分自身が情緒不安定になっているということを認識しながらも
その自分の心をどうしようもないということが
娘を苦しめていたようだった。
私は今のままで大丈夫だという気持があった。
体調さえ気をつけて
当日熱を出したり下痢をしたりしなければ
合格すると思っている。
だから、心配も不安もなかったのだ。
でも、娘にしたら生まれて初めての受験である。
いくら親や先生が大丈夫だと言ってくれても
不安な気持ちでいっぱいになっていたという。
娘の泣きながら訴えることを聞いていると、
確かに甘えがあるという思いはした。
でも、母親にもっと自分のことを見て欲しい、
干渉してほしいという気持ちも分かる気がした。
私は娘を信じて良い意味で放るのが良いと思ったいたから
正直驚いた。
娘が小さい頃、私はまるで教育ママのように
娘の勉強や習い事に一生懸命になっていた。
そして、娘を過保護と過干渉に育てたという反省もあった。
だから、娘が中学生になったとき
今までの私と180度変わろうと思った。
干渉をせず見守ろうと思ったのだ。
娘の力なら大丈夫だという気持ちもあったし、
やはり自分自身の足で歩いて行って欲しいと思ったから。
でも、それが娘には少し物足らなかったのだろうか・・・
確かに、この一ヶ月あまりは
両親の入院で娘のことを放ってしまった。
気にはなっていたのだけれど、
私に気持ちの余裕がなかったのだ。
もっと娘の心をわかってやるべきだったと思う。
娘は大好きなPCを封印した。
自分の弱さを知っているから
誘惑を取り除こうと思ったと言う。
願掛けの意味もあるのかもしれない。
そんな娘のいじらしい気持ちを思うとき、
私も母親としてやはり考えないといけないのではないかと思った。
私も父の再入院でこれからまた忙しくなる。
この機会にPCを春まで休もうと決心した。
HPは勿論のこと、
メールもしばらく休もうと思う。
メル友たちには知らせて分かってもらいたいと思う。
心あるなら携帯へメールをしてくれるだろう。
それがなければないで仕方ない。
しばらくの間PCとさようならしよう。
春になって娘も無事合格し、
父の病気も落ち着いたら再開すれば良い。
今の私はたった一人の娘の心をもっともっと
大事にしてやることが一番大切なことのように思う。
心からのエールを娘に送りたい。
笑ってしまった。
自分の心がおかしかった。
分かっているのにまたやってしまったのだ。
昨日は疲れもあったのか
最近伸ばしはじめていて髪にいきなりハサミを入れたくなった。
前髪はよくカットすることはある。
でも、横や後ろは切ったことはない。
それが昨日は鏡を見ていて
突然ハサミを持ち
横の髪を5センチばっさり切ってしまった。
切ってしまった髪はもう元には戻せない。
分かっているのにやってしまった私の心が不思議だ。
ストレスがたまっていたのだろうか?
最近の私の心の疲れがここに出たのだろうか?
切った後で笑ってしまった。
このままではやはりおかしい。
早速いつもの美容院へ電話して
今日髪を綺麗にカットしてもらうことにした。
横の長さに合わせて短くしてもらおうと思う。
本当は冬ソナのショートカットのユジンの髪型がしたかった。
TVで見るたびに思い続けていた。
娘に話したら笑われた。
でも、良い。
今日は先生に話してみようと思う。
気分転換。
イメージチェンジ。
心も明るくなるかもしれない。
さあ、行ってこよう。
先生、上手にカットしてよ!
今朝は何故かとても虚しい気持ちでいっぱいだ。
体も心も元気なはずなのに・・
何故だろうか。
楽しさが過ぎ去った後の
あの空虚さに似ている。
祭りの後の淋しさにも似ている。
両親が今は変わりない状態なので
気持ちのハリが抜けてきているのだろうか。
私には暇な時間はない方が良いのかもしれない。
忙しいとつまらぬことを考えず
ただ今置かれていることだけに目を向けていれば済む。
忙しい方が良い。
そして、楽しみは先延ばしになるほうが良い。
後何日と指折り数えて待つあの楽しさを味わえるから。
過ぎ去った後のこの虚しさに比べたら
あの待っている間のなんと楽しいことか。
これでよかったのだと思おうとする。
楽しい時間は楽しい時間に間違いはないのだから。
でも、やはり虚しい・・・・
まるで空気の抜けた風船のような気がする。
もう青空に向って上がっていく力もなくなった風船。
はちきれんばかりに脹らんでいた
あの喜びと期待感は何所へ行ってしまったのだろう。
赤い風船はもう私にはないのかもしれない。
でも、まだ良い。
しぼんだままの風船に
また新しいガスを入れて空高く
舞い上げることは出来るから。
まだ良い。
破れてしまってはいないのだから。
さあ、もう馬鹿なことを思うのはやめよう。
また次の旅立ちに向って
今手元にあるしぼんだままの風船を
大事にしまっておこうと思う。
父が病気になって初めて
父との時間が持てるようになった気がする。
警察官だった父にとって
仕事が一番の生き方だった。
私が幼い頃、父と一緒に遊んだ記憶はほとんどない。
日曜祭日もなく召集がかかれば
どんな時でも出て行った。
たとえ、それがどこかに遊びに行こうと言っている時でも
電話がかかってきたらそれで予定は終わりになった。
父のことをどれだけ恨んだことだろう。
父を信じることができなくなったこともある。
そんな仕事一途な父が80歳で現役を退き
家に居るようになってから
父の長所も短所も見えるようになった。
そして今回の父の入院で、
私は父と接する時間をたくさん持つことができた。
知らない父の一面を見ることもできたし
やはりなあ・・と再納得する面も見えた。
父はやはり良い人だと思う。
子どものような人だと思う。
素直で人にやさしく、
真面目で几帳面で、
少し融通がきかなくて・・・
こうして考えていくと
私は父にそっくりなのだと思う。
顔も似ているとよく言われる。
父親に似ると娘は幸せになると言う。
だから、私は幸せ者だと思う。
残された父との時間を大切にしたいと思う。
今まで母しか見て居なかった私に
神様が父を見るようにと言っているような気がする。
どんなことでも受け入れるようにしたい。
父の我儘も頑固さも皆、
私の心で受け止めてあげたい。
それが私の父に出来る唯一のことなのかもしれないと思う。
お正月三が日も過ぎ今日は四日、初仕事の人も多いと思う。
今年のお正月はいつになくのんびり出来た。
毎年お正月は実家に行くか
両親達と旅行に行っていたので
今年夫と娘と三人だけのお正月を過ごしたのは初めてのことだ。
普通のことなのに何故か私にはとても珍しいことに思えた。
両親が年を取りいつか居なくなれば
こういうお正月を迎えることが当たり前なのだろう。
でも、私には想像できなかった。
両親が居なくなるといいうことは
私の頭の中にははないことだから。
実際はいつか居なくなるのだとわかっている。
でも、そう思いたくない気持の方が強いのかもしれない。
それが昨年の突然の両親の入院。
実家に泊まりに行くことも出来ないことは分かっていた。
確かにわかっていてもやはり淋しい気がした。
でも、こうして三が日を家族三人で過ごすことは
当たり前のことなのだろう。
そして、淋しいと思っていたにも関わらず
案外楽しかった。
娘が居なかった時間は夫との時間が持てた。
話も出来たし一緒に初詣にも行けた。
こんな時間が夫と持てるなんて思ってもみなかったから
正直嬉しかった。
やはり私の居るべき場所はこの家なのだと思った。
両親が元気でいつものように実家に行っていれば
今年のようなお正月を過ごすこともなかったはずだから
両親の入院のお陰かもしれないと思う。
何でもものは考えようだ。
良いように良いように考えると
物事は全て上手く行く。
同じ生きるなら明るく楽しく生きたいものだ。
当たり前のことが一番良いのかもしれない。
感謝する気持ちを持ってさえいれば
どんなことでも楽しく幸せに感じるのだと思う。
今年も動き始めた。
私の一年もきっと良いようになると信じている。
本当に当たり前のことに感謝したいと心から思う。
人の命の重さに変わりはない。
たとえそれが生まれたばかりの元気な赤ちゃんであっても
また反対に年老いて病に臥せり、
残り少ない命の炎を燃やしている人であっても・・・
それはよくわかっているのだが、
やはり赤ちゃんを見ていると
私自身の中にとても強い力が沸いてくるのを感じる。
昨日夫の実家に新年の挨拶に行った時、
ちょうど夫の姪が生まれて4ヶ月になる赤ちゃんを連れてきていた。
本当に可愛い女の子だった。
無邪気な笑顔を見ていると、
私の娘が赤ちゃんの時のことを思い出していた。
あの頃の私は自分が母親になったばかりで夢中だった。
それまでは自分のことばかり気にしていて
人のことなど二の次に考えていた私が
まるで嘘のように変わった。
私の体のことなど何も気にならなくなった。
母親になるということが
こんなにも女の人を強くするものかと不思議に思ったものだ。
昨日の姪を見ていて同じことを思った。
ついこの間までのあの甘えた姪の姿からは想像も出来ない姿だった。
まさに母は強しの言葉どおりだった。
新しい命というものはこんなにも周りの者たちを強くするものなのだ。
明るくするものなのだ。
命の尊さ、命の強さ、
今、私は父は命のことを思う。
あの元気だった父が見せる気弱さ、
淋しげな横顔を見るたびに
もう一度あの元気だった頃の父に戻って欲しいと心から思う。
私の今のこの元気な心を父に上げたい。
命の炎をもっともっと強く燃やしてあげたい。
命の輝きを父にも感じて欲しい。
父との時間を大切にしたい。
父の命に私の命の炎を足すことが出来るならば
私の命が短くなっても何も後悔はしない。
父のためにできる限りのことをしてあげたいと心から思う。
私の心がこんなにも強いなんて今まで気付かなかった。
今の私は本当に強くなったと思う。
昨年の今頃の私がまるで嘘のようだ。
心の持ち方一つでこんなにも変わることができるなんて・・・
何物にも捉われず居ることの大切さ、
たとえ体は病んでいても心さえ元気で居れば
どんなことでもクリアすることができる。
考えてもどうしようもないことなど
くよくよしてみても仕方ないことだ。
心配してどうにかなるなら
大いに心配すれば良い。
でも、心配という大きな荷物を抱えて歩くのは疲れる。
いらぬ心配など必要ない。
心を元気に明るく溌剌として生きることが一番だ。
私は変わった。
本当に昔の私からは考えられないくらい強い私になった。
生きるエネルギーに満ち溢れている気がする。
心が元気だと体の疲れさえ感じない。
大丈夫だという気持ちが大事なのだと思う。
安心するということは
体から湧いてくる力を倍増してくれる。
積極的な言葉、
明るく元気で前向きな言葉、
この言葉を口に出すことによって
本当に力がみなぎってくる。
悲しい、苦しい、もう駄目だ・・
こんな言葉は言わないようにしたい。
私が経験したあの昔のことだって、
今の私なら心の病気にまではなっていなかったと思う。
あの頃の私の弱かった心、
人に頼り、何でも人のせいにしてしまう醜い心。
そんな心は今の私にはない。
何でもに感謝する心と、
素直な心と強い心。
今を大事にありがたいと思う気持ちを持って
これからの日々を過ごしたい。
そうすればきっと私は幸せになれる。
心からそう思う。
新しい年を迎えた。
昨年の秋の終わりに入院した両親も
お正月を前に退院することができ
自分の家でお正月を迎えることができたことは本当に嬉しい。
本当に思ってもみなかったことだった。
あんなに元気で病気一つしたことのなかった父が
突然の腹痛を訴え、あれよあれよと言う間に入院してしまった。
悪いことは重なるもので
腰痛の持病のある母までが激しい痛みのために
身動きも出来ない状態になり入院してしまったのだ。
私は生まれてから病気ばかりしてきたから
両親に看護されるのが当たり前だった。
そんな私が今度は両親の看護に明け暮れた。
父と母の病院は違っていたので
朝から晩まで両方の病院につめていて
本当に自分の時間もないほど忙しい毎日だった。
年末に両親が家に戻ってからは
病院への往復がいらなくなったけれど、
まだ家のことができない母に代わって毎日している。
でも、やはり両親が家に居るということは嬉しいものだ。
父は今月の半ばに再入院する予定になっている。
私もまた毎日忙しい日々になるだろう。
でも、私は元気だ。
心が元気だとこんなに何でもできるのか!と自分でも不思議に思う。
たとえ体は病んでいても心まで病むことはない。
父に私の元気をわけてあげようと思う。
そして、私の出来る限りのことをしようと思う。
私にとって親孝行をする良いチャンスだ。
後悔のないように父のことを看てあげたいと思う。
父はきっと元気になって帰ってくる。
心からそう信じている。
今年も明るく笑顔で溌剌と過ごしたいと思う。
スカーレット
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