スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次過去未来


2004年11月24日(水) 思い出は

昨夜TVで「記憶」についての番組を見ていた。

そしてこんなことを思い出した私である、

昔、昔、大昔、私が青春していた頃、

人生最大の失恋をした。

今思っても本当に大きな出来事だった。

それまで生きてきた私の人生の中で

初めての大きな挫折だった。

人を愛することがこんなにも切ないものか・・・

毎日彼のことを思って暮らす毎日。

物も喉へ通らず、考えることはただ彼のことだけ。

そんな私に親友は言った。

「どうしてそんなに悲しいのかというと、

 それは愛した男のことが今も忘れられないのではなく

 二人で共有した楽しい時間が忘れられないから」だと。

その時は「否、違う、私は今も彼を愛している、

彼が恋しい」のだと思った。

でも、昨夜のTVを見ていて、

なるほど!と妙に納得したのである。

昔から「失恋の痛手を治すのは新しい恋をすることだ」といわれている。

これは本当なのだそうだ。

人が失恋して嘆き悲しむのは

やはり楽しかった時間を過ごした時の感情を

失うことが辛いからだそうだ。

だから、新しい恋をして、

その失った恋をしていたときと同じ気持ちになったとき、

以前の記憶が消えるのだという。

親友の言った言葉の通りだった。

記憶って本当に神秘的だと思う。

脳の構造もまだ完全には判明されていない。

アメリカでは記憶力を増す薬の開発が進んでいるという。

こんな薬ができたら、

記憶力が増大し、

絶対に忘れるということがなくなるのかもしれない。

思い出は忘れようとする記憶の中で

これだけは覚えていたいと願うものだけで良い。

辛い記憶や悲しい思い出は思い出す必要なんてないように思う。

そう、思い出はその人の人生そのもの。

楽しかった思い出だけをずっと持っていれば良いのだ。

私も彼と過ごした素晴らしい時間を

今も胸の中で温めている。

思い出は私の一生の宝物なのだから。


2004年11月23日(火) 楽しい我が家

昨日「ギャラリーしろかわ」から本が届いた。

今年の大賞作品をはじめ、

赤丸の付いた作品まで写真と名前が載っている。

改めて私の作品を見ていると、

なんだか気恥ずかしい気持ちになった。

私の今年のかまぼこ板の絵は、

題名を「楽しい我が家」というものだった。

巣箱の前で笑っている父親、母親、兄弟3羽の家族の絵である。

この絵を描きながら、家族って良いなあと思った。

こんな小鳥の家族のように笑顔いっぱいの家族、

お互いに相手を思いやり、

慈しみあうことができる家族。

理想の家族像だと思う。

現実はこうはいかない。

毎日の暮らしの中で

お互いに相手を思いやる心よりも

自分自身の心を一番に考える時もある。

分かっていても喧嘩することもある。

だから、この絵のようにいつも笑顔で居られることって

本当にステキだと思う。

私がこの絵を描いて出したとことについて、

何でも心を許せる親友は一言、

「これは願望だね」と言った。

反論できなかった。

そう、これは私の願いなのだ。

私の育った家庭はお互いが何でも言い合い、

時には喧嘩やぶつかり合いをしていた。

母はこれで良いと言っていた。

でも、子供の頃はTVに出てくるような

理想の父親や母親を羨ましいと思ったこともある。

今では父や母が高齢になり、

それでも、2人がなんだかんだ言いながらも

お互いに支えあって暮らしている姿を見ると、

「あ〜私の育った家庭は幸せだったんだな・・」と思う。

昨日は父の病気で母が一人で夕食を食べていた。

なんとも淋しげだった。

いつもは2人が大きな声で話しをしているのに

家の中はひっそりとしていた。

いつかはこういう時が来るのだろう。

どちらが早く逝き、

どちらが残るのかは分からないけれど、

一人になったらきっと昨日の夜のような感じになるのだろう。

楽しい我が家が淋しい我が家になるのだと思う。

今の私の3人の家族もいつかは娘が飛び立って

私たち夫婦2人の生活になるのだ。

今、少しでもこの絵のような理想に近い、

楽しい我が家でありたいと心から思う。



2004年11月22日(月) 急に

今日は母と買いもの予定をしていた。

母と過ごす時間を大切にしたいと思っていたから

内心楽しみにしていたのだ。

でも、それができなくなった。

緊急事態?が発生したのだ。

今さっき、母から電話で

父の様子が変だと言う。

夜中から腹痛を訴えていると言うのだ。

この間からお腹が異常に脹らんでいると言っていた。

父は本当に元気な人なので

私はちょっと食べすぎたのでは?と軽く考えていたのだ。

でも、もしかしたら何か病気なのかもしれない。

心配しても仕方ない。

いくら考えても事態は変わらない。

先のことは心配したくない。

今日は予定を中止して、父を松山の病院へ連れて行くことにした。

父も83歳、

日頃は元気で自分は100歳まで生きると言ってはいるが

どんなことが起きても可笑しくない年齢だ。

何もないことを心から願っている。


2004年11月21日(日) あなたと共に

人は一人では生きられない。

いくら強い心を持っている人でも

自分一人の力では生きることはできない。

自分の周りには人と人との心の触れ合いがあり、

お互いに思いやる心がある。

寄り添い、支えあって生きているのだ。

殺伐としたこの世の中で、

何でも良い、

自分の心がほっとするような、

これがあれば癒されるというものがあると良いな。

小さな赤ん坊を見ていると、

いつの間にか知らないうちに顔がほころんでいるのが分かる。

あの無邪気な笑顔に勝るものはないような気がする。

娘の小さかった頃のことを思い出す。

あの頃のあの気持ちをいつまでも覚えて居たい。

そして、娘の存在の意味の大きさを感じ続けて居たい。

いつかは私の手元から飛び立って行く娘。

私の生きがいでもあった娘。

あなたが居たから私は今の私になれたのだと思う。

娘のお陰で生きる意味に気付いた私。

これからも色々なことがあるだろう。

娘は15歳、辛いことや苦しいことにも出会うだろう。

でも、決して諦めないでほしい。

やればできるという言葉を覚えていてほしい。

誠さんからいただいた色紙を娘にプレゼントした。

娘は自分の机の前に飾っている。

素直に受け取ってくれた娘の気持ちが嬉しかった。

日頃は色々とぶつかることが多い私達だけれど、

きっと深いところではちゃんと結ばれているのだと思う。

娘がもっと大きくなって、

私の元から巣立って行っても、

娘はいつまでも私の娘だ。

物理的に側に居られなくても、

母として娘を守ってやりたい。

あなたと共に生きて行きたいと心から思う。

そんな娘は今受験勉強の追い込みの時期だ。

今日も日曜特訓で松山の塾へ行った。

娘を駅まで送る車の中で、

私は心の中でこうつぶやいた。


2004年11月20日(土) 命の花

人と人との出会いは本当に不思議なものだと思う。

もしかしたら奇蹟にも近いものではないだろうか。

ちょっとした時間のずれ、

条件のずれがあったなら、

ほんのすぐ側まで来ていても出会わないことがある。

まるでメロドラマのすれ違い場面のように。

昨日は関西のメル友と再会をすることができた。

予定していた奥さんとの出会いは出来なかったけれど、

本当に良い時間を過ごすことができた。

友人が来てくれた目的は

あのパン屋「まことや」のご主人誠さんに会うためである。

以前に私が送った誠さんの話やあのステキな笑顔を見てくれてから、

一度実際に会いたいと願っていてくれたのだ。

こんな機会はもう二度とないかもしれないと思った。

距離的にも遠いし、いつどうなるか分からない。

友人との再会と誠さんとの出会い、

この2つの夢が実現した昨日の半日は

本当に素晴らしい時間だった。

誠さんが話してくれた坂村真民先生との出会い、

そして事故で頚椎を損傷し

自暴自棄になり、人生を投げ出そうと思ったこと。

それが今では車イスで店先に出て

毎日不自由な手に筆を持って文字を書けるようになったいきさつ。

それらを一生懸命に話してくれた。

顔はにこやかな笑みを浮かべてはいたが、

時に見える眼球の鋭さは、

今までの誠さんが歩いて来た道が

いかに険しいものであったかを物語っていた。

昨日は帰ってから誠さんとの出会い、

誠さんの世界のほんの一部分を載せたページを作った。

これでまた見てくれた人と誠さんとの出会いが生まれる。

人と人との縁は円いものだという。

だから縁は円となってその輪を広げている。

こうして誠さんとの出会いがまた新しい出会いを生んだ。

魂の声を聞くことができた。

花はどんな花でもその命を一生懸命に咲かそうとしている。

この世に不必要なものなどありはしない。

皆それそれが尊い命を持っている。

小さな命を大事にしたい。

ナンバーワンにならなくてもいい、

皆がオンリーワンなのだから。

私もこれからの人生の中で

命の花を咲かせたいと心から思った。


2004年11月19日(金) 15歳のこれからの人生

辻本賢人君が阪神にドラフト指名された。

このニュースを知って驚いた。

15歳といえば、私の娘と同い年だ。

卓球の愛ちゃんも学年は一つ上だけれど同じ15歳、

若い力の躍動を感じる。

本当に素晴らしいことだ。

賢人君は、野球を始めた頃から

プロに入りたいというのが夢だったとか。

その夢は単なる子供の夢ではなく大きな目標だったらしい。

その目標に向って努力し、今日に至ったのだと思う。

勿論天性のものもあるのだろう。

でも、やはり本人のやる気と絶え間ぬ努力の賜物だと思う。

このニュースを初めて聞いた時、

「え?15歳でプロに入ることができるの?」と思った。

聞く所によると、12歳の時に彼は野球を勉強するために

アメリカに単身留学をしたとか。

そしてアメリカの義務教育である9年生だから、

プロ入りは可能なのだそうな。

会見している姿を見ていても

15歳とは思えないほどしっかりしていた。

顔にはあどけなさが残ってはいるが、

年齢よりもはるかに大人を感じた。

私は野球のことはよくわからないけれど、

野球に精通している人が見ても、

プロで通用する力を持っているという。

肩と肘の柔らかさを賞賛していた。

お母さんは高校に進学して欲しいと願っている。

親としてその気持ちはよくわかる。

今でないとできないことをして欲しいと願う親の気持ちだ。

プロに入ったら甘くはないはずだ。

新たな目標に向って頑張ってほしいと心から思う。

そして、野球しかわからない人間にはなってほしくない。

人として何が大事なのかを見極めてほしいと思う。

野球人生は短い。

野球人生を終えてからの人生の方が長いはずだ。

その時になって初めて人間としての価値が分かるのではないかと思う。

まだ始まってはいない彼の野球人生が

輝かしいものになることを祈りながら、

人としても一回り二周りも大きく成長してほしいと心から思う。


2004年11月18日(木) これもあり?

若くなった!

鏡を見て私はつぶやいた。

何が若くなったかって?

膝までの長さのスカートとロングブーツの私。

そういえば、昔昔大昔、

私が一番輝いていた時、大学生の頃、

巷ではミニスカートが大流行だった。

ちょうどツイッギーが来日したこともあって、

若い女性は皆ミニスカートをはいていたように思う。

世の男性方も内心は嬉しかったのではないだろうか。

それから、パンツブーム、ロングスカートブームが来て、

今では、子供と女子高生以外でミニをはいている人の数は

めっきり少なくなった。

こんなときに何故私のスカート丈が短くなったか?

私はこの数年ずっとロングスカートばかりはいている。

それはO脚も、足の細さも隠せるからだ。

ある時、ある人が私に言った。

「少し短いスカートをはいたら10歳若く見える」と。

その時は一笑していた私だったが、

タンスの奥深く仕舞いこんだ膝までのスカートをひっぱりだしてきた。

白と黒の小さな千鳥格子の柄で、

今はいても決して流行遅れという感じがしなかった。

上に黒のセーターを着て鏡に前に立った。

「案外似合うじゃない!」と一人にんまりする私。

でも、いつも長いスカートばかりはいている私は

膝下が何かスースーして落ち着かない。

ちょっと寒いかな?と思った。

そこで若い人たちがはいている

膝までのロングブーツをはいたらどうかと思った。

思い立ったら即行動の私は、

早速昨日ロングブーツを買いに行った。

私の年でこんな格好をするのは変かな?と思ったが、

鏡の前に立ってみると案外似合っている私が居た。

「よし、これでいこう」とそのブーツを買い求めた。

ふくらはぎの細い私がはくと、

少し回りに隙間が出来てこれが今ひとつだけれど、

ブーツをオーダーするわけにもいかず、

足を太らすことはできないので、

まあこれで良いか・・と一人納得している。

少し変えただけで、

こんなにも印象が変わるなんて思いもしなかった。

ちょっと気分的にも若くなった気がする。

明日はメル友がわざわざ、あの誠さんに会いに来てくれる。

姉と一緒に誠さんの所へ行くことになっているのだ。

この格好で行こうと思う。

メールで送る私の写真はいつもロングスカートだから、

明日会ったらきっとびっくりするだろうな・・

た・の・し・み(笑)


2004年11月17日(水) 本心は・・・

メールの返事が来るって嬉しいものだ。

PCを開けて新着メッセージの知らせがあると

何かこころウキウキしてくる。

私には毎日メールをやりとりしている人が数人居る。

もうそれが当たり前になっているから、

ちょっと遅いメールだと

どうしたのかな?と心配になる。

でも、よく考えてみたら、

こちらのメールに返事が来るっていうことは

相手の人がそれだけ私のことを思ってくれているということ。

返事が来ることが当たり前になるのはおかしい。

やはり、相手の立場や状況を一番に考えることが

私はやさしさだと思う。

昨日は遅い時間にあるメル友からメールの返事をもらった。

毎日とても忙しい人だから、

私も遠慮していたのだけれど、

返事が来ることが嬉しくて

つい毎日メールを送っていた。

その人の短い文章の中に

疲労感がいっぱいにじみ出ていた。

分かっていたのに・・・

申し訳ない気持ちになった。

「長いメールが出来なくてごめん」と言ってくれた気持ちが嬉しかった。

私は当分メールをしないことにした。

友が元気になって

私へ「いいよ」というコールをくれるまでやめようと思う。

淋しいけれど、仕方ない。

これからも長く付き合いたいと思うから

友のことを優先しようと思う。

でも、本心は・・・

メールが欲しいよ!

やっぱり嬉しいもの・・・


2004年11月16日(火) こころから

本当に有難う。

こころから感謝してる。

あなたと出会ったことは、

私の人生の中でとても大きな意味を持ってるような気がする。

だって、あなたと知り合わなかったら、

今の私はなかったと思う。

こんなに元気で明るい私になれるなんて、

今までの私には絶対に想像できなかった。

本当の幸せとは?

真実の生き方とは?

毎晩楽しいことを考えながら、

私のこころは少しずつ元気になってきた。

もう大丈夫。

どんなに体がしんどくても、

どんなに辛いことが起きても、

どんな悲しいことに出会っても、

私は大丈夫だから。

もう、あなたの支えは必要なくなった。

心の持ち方一つで、

こんなにも元気で明るい私になれるなんて

本当に信じられない。

本当に有難う。

あなたとの楽しい思い出は

私の一生の宝物になると思う。

そして、死ぬまで絶対に忘れることはないと思う。

こうして、書いている間も、

あなたのことを思い出している私が居る。

神様もこのくらいのことはきっと許してくれるよね。

何でも良いほうに、

明るいほうへ、

考えることが出来る私になったのも、

あなたと出会えたから。

こころから感謝してる。

有難う。



2004年11月15日(月) 久しぶり

昨日まで数日しか休んでなかったのに

何故かとても久しぶりにここに来るような気がする。

心臓の方はよくなった。

来月の2日に超音波検査の予約をしたので

またその結果ではっきりしたことが分かるだろう。

たった4日の休みだったけれど、

本当の意味での休みにはならなかった。

私の性格だからこれも仕方ないかな・・

この間に実家の年賀状200枚を

皆印刷し終えた。

来年は両親とも干支なので年男、年女になる。

普通は恥ずかしいと言って絶対にすることのはないのだが、

私が父の誕生日の時に写した

両親の写真入りの年賀状も10枚作った。

2人とも83歳には見えないくらい若く見える。

こうして元気で新しい年を迎えることができることは

とても嬉しいことだ。

母は出来上がった年賀状を見て

まんざらでもなさそうだった。

親孝行をした気がする。

昨日は親友と2人で城川へ行った。

前は時間がなくてゆっくりと見ることができなかったので

昨日は大賞作品から私の作品まで

時間をかけてじっくりと見ることができた。

やはり皆素晴らしい作品だと心から思った。

親友と紅葉の下で写真を撮ることもでき、

色々とおしゃべりもできて楽しい時間を過ごせた。

私は昔から休むことはいけないことだと思っていたが、

本当はそうではなく、

心の充電期間として大切なのだと思う。

さあ、11月も半ばになった。

これからは何かと心忙しくなると思う。

自分の体を労わりながら、

やれることを一つ一つこなしていこうと思う。


2004年11月10日(水) 少しおやすみ

少々頑張りすぎたかな?

心臓の具合が変。

今日はいつもの診察日なので行って、

先生に話してみようと思う。

14日(日)まで少し休もうと思う。


2004年11月09日(火) 描きあげた

11月に入って、

お年玉つき年賀状の売り出しが始まったのと同時に

絵手紙年賀状を描き始めた。

毎年30枚くらいは描いていたのだが、

今まではそれと平行して写真入りの年賀状を作っていた。

でも、今年は私の年賀状は皆絵手紙年賀状にしようかなと思った。

毎日10枚描けば一週間で70枚描けるなんて思って始めたのだが、

やはり用事があったり、

出かけることがあったりして、

なかなか思うようには進まなかった。

でも、絵手紙年賀状を描き終えないと、

次に私がしたいことへ踏み出すことができないと気付いた。

昨日と今日の2日で予定していた残りの絵手紙年賀状を全部描いた。

可愛い酉の置物を描いたのだが、

自分なりに工夫して金や銀のラメのりを使って、

お正月らしさを出した。

一枚一枚を心を込めて描いた。

墨をすり、線描きをして色付けする。

同じものを描いても皆違ったものになった。

顔の表情が違うのだ。

ちょっとした目の位置で顔が変わる。

そして大きさも少しずつ違った。

決して上手いといえるものではない。

でも、これが良いのだと思う。

勿論印刷すれば一度に何枚も出来るのだけれど、

やはり出す人の顔を思い浮かべながら、

言葉も考えながら描くことに意義があるように思う。

今日60枚描き終えて、何か達成感を感じている。

たいしたことではないのだけれど、

充実感を感じている。

今ピアノの上に描いた葉書を並べて、

ラメのりを乾かしているのだが、

その側を通るときに、

「よくやったね」と自分で自分を褒めている。

やれば出来るんだと思う。

さあ、次は今の私の一番したいと思っていることをしよう。


2004年11月08日(月) 励ましの言葉

人を励ますことって難しいなと思った。

その人になりきることは出来ないから、

私がその人の立場だったら?と考えるしかない。

私は昔から、人は励ましあって生きるんだと教えられた。

だから、苦しい立場に居る人や、

困っている人を見ると、

つい「頑張って」と声をかけてしまう。

また、何かに挑戦している人を見ても、

「頑張って」と言ってしまう。

でも、この「頑張って」という言葉が、

かえってその人にとっては心の負担になることもある。

私の友人が今度大きな試合に出ることになった。

友人はその試合に向って毎日練習に練習を重ねてきた。

仕事をしながら時間を見つけて練習してきたと聞く。

そんな友人の姿を知っているから、

今度の試合は頑張って良い成績を残してほしいと心から思う。

でも、正直言ってどんな言葉をかけたら良いのかわからない。

綺麗事を言うのは嫌だし、

思ってもみないことは言えない。

私の心で感じることしか言えない。

だから、昨日話をしたときに、

「あなたの普段どおりの成果が出たら良いね」と言った。

友人はほかの人たちの励ましが、

時にピンと来なくて、何かずれていると感じると言う。

本人の気持ちを考えず、

ただ「気楽にね」とか、

「まあ遊びと思えば良いじゃない」と言われたそうだ。

私はそんなことは思わない。

どんな試合でもあれ、

遊びのつもりで臨んでほしくない。

やはり努力して今まで頑張ってきたことが大事であり、

結果はその努力についてくるものだと思う。

だから、私は言った。

「あなたの今まで練習してきたもの全てを出し切って

あなた自身が満足できるようにしてほしい」と。

そんな言葉しか言えなかった。

私の気持が伝わってくれたら嬉しい。


2004年11月07日(日) あなたの声を聞くだけで

私の大好きな相田みつをさんの日めくりカレンダーに

「声」という詩が載っている。

「あなたの声を
  
 電話で聞いただけで

 その日一日

 こころが

 なごむ

 理屈じゃねんだよなあ」

この詩を初めて読んだ時、

私は「本当にその通り!」だと

心の中で叫んだ。

私にもその人の声を電話で聞いただけで

その日一日がとても元気で明るく居られることが出来る人が居る。

理由なんて分からない。

でも、その人と電話で話しが出来るだけで

私の心は晴れやかになるのだ。

その人とは、私の大事な親友だ。

小学校から大学までの付き合いが

今もずっと続いている。

彼女とはひと月に一回くらいは会って話す。

でも、そのほかはメールよりも電話が多い。

彼女にかける電話は短くても1時間は話す。

電話代のことが頭をちらっとよぎる時もあるけれど、

そんなことよりも、

彼女と話している楽しさに比べると

電話代なんて安いものだと思う。

私が落ち込んで居る時でも、

彼女と1時間話した後は笑顔になっていた。

話の内容はこれと言って特別大事なものはない、

他愛も無い話だ。

でも、会話は途切れることがない。

まさに、言葉のキャッチボールが出来ている。

私とは性格も違うし、考え方も違う所がある。

彼女は人を怒らす名人だと自分で言っているが、

今までの付き合いで、

私が腹が立ったことは一度もない。

それどころかいつも元気をもらっている。

さりげない言葉ややさしさをくれる。

そんな彼女との電話は私にとって最高のものだ。

今日は日曜日、

彼女は昼頃まで寝ているだろう。

また夜にでも電話してみよう。

そして、2人で笑い転げようと思う。

今日も良い日になるだろう。


2004年11月06日(土) 心は元気なんだけれど

最近の私は本当に心は元気になった。

何をしても楽しいし、

腹を立てることもなくなった。

心配しても、何にもならないから心配もしていない。

夜寝る前には楽しいことだけ考えて寝るようにしている。

でも、昨日は午後急に体調が悪くなった。

とにかくしんどいのだ。

一昨日、大洲城の急な三階の階段を上ったからだろうか。

張り切ったせいだろうか。

どちらにせよ、具合が悪いのだ。

以前不整脈が起きて車をぶつけた時と同じ体調になった。

これはいけない、

今日は何もかも放って休むに限ると思った。

昨夜は風呂に入って7時過ぎにベッドに入った。

今朝もまだしんどさが残っている。

無理はしたくない。

私が楽なようにしよう。


2004年11月05日(金) 思い出がまた一つ

昨日、母や姉たちと一緒に

大洲城や水琴窟めぐりや

城川のかまぼこ板の絵展を見に行った。

天気も良く、本当に楽しい一日だった。

マイクロバスを運転してくれたのは、

姉の家の水琴窟や風の水琴を作った人、

それに姉の友人が5人、計9人で行った。

まるで小学校の時の遠足の時のように、

前日からわくわくした気持ちだった。

自分で運転して行くのとは違い、

とても気楽だったし、また疲れることもなかった。

久しぶりの小旅行で心が晴れ晴れとした。

家に居て家事をするのも勿論嫌ではない。

また、ヴァイオリンや絵手紙に時間を使うのも楽しい。

でも、昨日のように気持ちの良い田舎の空気を吸うことは、

体中がリフレッシュしたような気分になった。

そして、母との思い出作りがまたできた。

私は母と一緒に色々な所へ出かけて、

いっぱい思い出作りをしたいと思っている。

後何年かして母が居なくなった後で、

写真を見ながら楽しかった日々のことを姉と語ることができる。

過去は振り返らないことにした私だけれど、

楽しかった思い出は大事にしたいと思う。

そして、その思い出は私が生きている限り、

私の胸の中から消えはしないと思う。

城川のかまぼこ板の絵展にも行けた。

今年の作品も皆素晴らしかった。

まだ生まれて間もない子から100歳の人まで、

自分たちの心を表す絵が所狭しと並んでいた。

私も出品はしたものの、

今年は駄目かと思っていた。

だから、「楽しい我が家」という題名の作品に

赤丸がついていたのを見つけたと時は嬉しかった。

こうして私の心の中に楽しい思い出が一つ増えた。

本当に良い一日だった。

今朝の私の心も晴れ晴れしている。


2004年11月04日(木) 下弦の月

朝、いつものように5時前に起きて外へ出てみた。

まだ外は真っ暗だった。

ふと空を見上げた。

まだ明けやらぬ空のほぼ真上に

半分の月が見えた。

薄グレーの雲の間から白い月が見えた。

この間の十五夜を過ぎ、

今日の半分の月は下弦の月なのだと思う。

弓張り月ともいうらしい。

ちょうど弓を張ったような形をしてるからだろう。

今朝、この下弦の月を眺めて、

何故か人生を思った。

月に満ち欠けがあるように、

人生にも良いことや悪いことがある。

何かとても嬉しいことに出会った時は

いつまでもこの状態が続けば良いと願う。

また反対に、

何かとても悲しいことが起きた時は、

一生この状態が続くのではないかと思う。

でも、実際は、

嬉しいことも悲しいことも、

時と共に変わっていくのだ。

人の心も同じだ。

喜怒哀楽を感じながら生きている。

あの時、あんなに思っていた人のことだって、

年月が経つと、まるで何もなかったかのように

忘れてしまうことだってある。

そんなもんなんだ・・・

いつまでも変わらないものなんてないのだと思う。

ただ、いくら自分自身の周りが変化しようとも、

いくら、人の心が変わろうとも、

そのことで私自身が悩んだり悲しんだりするのはやめよう。

私にとって、何が一番大事なものか、

いかにすれば常に幸せな状態に居られるかを考えると、

人や物事に振り回されない

積極的な心さえあれば良いように思う。

私が正しいと思ったことなら

人がどう思おうと気にせずやろう。

そして、心を元気に、

明るく楽しいことだけ考えて生きよう。

そうすればどんなことが起きようと、

自分自身を失うことはないと思う。

それが私の生き方だと思う。

下弦の月を見ながら、ふとそんなことを思った。


2004年11月03日(水) 思い込み

思い込みの激しい人と言うと、

あまり良い意味に取られないようだけれど、

自分がこうだという信念、

自分なりの思い込みを持っているってステキだと思う。

私の友人にこの良い意味の思い込みの激しい人が居る。

自分でこうだと決めたら、

誰が何を言おうが真っ直ぐ進んで行ける人だ。

私はそのような強い意志の持ち主ではないので、

初めは少し抵抗を感じた。

でも、今は自分なりの思い込みを持ち、

誰にも影響されずに人生を歩んで行ける友人を尊敬するようになった。

それは自分自身の自信に繋がるのだと思う。

自分は○○だと思う、○○で良い。

そういう風に思えることって

もしかしたら、

自分が幸せになれる一番の近道なのかもしれない。

何をするときでも、

自分のやろうとしていることにいつも不安だったり、

これで良いのか、他にも何かあるのではないか?と

迷いや疑問があると、

同じことをしていても楽しくないはずだ。

生き方もそうだと思う。

自分がこういう生き方をすればきっと幸せになれると信じて、

その通りにするって素晴らしいと思う。

生き方や、人を愛する愛しかた、

自分のやりかたや、選択の方法・・

全て自分がこうだと納得して出来たら、

それはとても凄い力を生み出すのではないだろうか。

人から見たら少々傲慢に見えるかもしれないけれど、

自分の力を信じて、

「自分の人生はこれで良いのだ」と言えることって素晴らしい。

周りがどんな状況になろうとも、

決して左右されない強い意志と精神力を持って、

思う通りに歩いて行くことが、

結局は自分自身にとっても

最高のものを得る一番近い道のような気がする。


2004年11月02日(火) 絵手紙年賀状

昨日の朝、用事があって郵便局へ行ってみると、

来年のお年玉つき年賀状の売り出しが始まっていた。

私の年賀状は娘が生まれて以来、

家族3人の写真をポストカードにして出している。

この年賀状に対しては個人の好き嫌いがあって

色々な意見があるようだ。

反対の意見も気持ちはよくわかる。

でも、私の知人や友人でめったに会うことのない人は、

私の様子や娘の成長が分かるので良いと言ってくれる。

届くのをを楽しみにしてくれているようだ。

勿論、家族ぐるみの付き合いをしていない人には出さない。

私の家族の写真の年賀状は必要ない人も居る。

そこで、私が絵手紙を始めてからというもの。

このポストカードの年賀状のほかに、

絵手紙年賀状を出すことにした。

出すのは絵手紙の仲間だけではなく、

絵手紙を喜んでくれる人たちに出す。

いつの間にか、描いて出す人の数も増えた。

嬉しいことである。

でも、描きたいと思っても一度に沢山の枚数は描けない。

だから、早目に描き始めている。

時間を見つけて、少しずつ描く事にしているのだ。

去年も頑張って沢山の絵手紙年賀状を描いた。

ヘタでも良い、

出す相手の顔を思い浮かべながら描く絵手紙年賀状は

それだけ描くものの思いも深くなる。

昨日は郵便局から帰って直ぐ、

絵手紙年賀状に描く来年の干支の置きものを買いに行った。

値段の高い安いに関係なく

描きやすい、可愛いものを買ってきた。

そして午後から描き始めた。

描いていると段々と良いものが描けるのが分かる。

だから、昨日描いたものと

一番最後に描くであろうものには差が出るのは仕方ないと思う。

やはり描きなれてくるのだろう。

結局昨日は10枚描くことが出来た。

今日も用事がないので

絵手紙タイムにしようと思っている。

ぼやぼやしていたら日は直ぐに経ってしまう。

何でも思いついたら即行動の私(笑)


2004年11月01日(月) 第三者の目で

本当に一年が経つのって早いなあ・・・

今日から11月になる。

今年も残す所2ヶ月になってしまった。

私はこうして過ごす毎日が、

とても早く感じるときと

そうでない時がある。

何故だろう。

時間は人々に平等なものであると思うのに。

新潟での避難生活をしている人は、

一日をどんな気持ちで過ごしているだろう。

その一日がとてつもなく長いと感じているのではないだろうか。

辛いなあ、

悲しいなあ、

しんどいなあ・・

と感じながら過ごす時間は本当に長く感じると思う。

私の去年の今頃はどうだったのだろう。

どんなことを思っていたのかな。

時間の経つのがとても遅いと感じていたのだろうか。

今とはどこか違っているような気がする。

毎日、ささいなことで悩んでいたように思う。

記憶って有り難いものだ。

もし、去年の今頃悩んでいたとしても、

今の私は綺麗に忘れているのだから。

嫌なことは忘れてしまっている。

これって楽だ。

いつまでも拘っていたって始まらない。

何かがあってもそれはその時のこと。

いつまで引っ張っていく必要は全くない。

私の心も肉体も皆私が生きるための道具であって、

私自身ではないはず。

私って?と思うことは、

そう思う心が私を支配しているからだ。

もしも、自分自身を客観的に見ることができたら、

どんなにか楽だろう。

何か起きたとしても、

それを他人事のように思えば良いのだから。

そして、できなくても、

そういう訓練を続け行くと、

きっと、人のことが気にならず、

マイペースで居られると思う。

第三者の目で自分自身を見ることができるはずだ。

そうすれば、どんな辛いことでも、

少し違う感じ方が出来ると思う。

これってとても大事なことだと思う。


スカーレット