スカーレットの心のつぶやき
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2003年10月19日(日) 魂の震え

私は今までこんなにも一人の演奏家による演奏に感動したことがなかった。

勿論色々なコンサートを聴きに行き、そのたびに新しい感動は覚えていた。

ピアノの優しい、また力強い調べに心惹かれたし、チェロの無伴奏の演奏にも感激した。

演奏することの難しさを嫌と言うほど味わっているから
どんなコンサートも素晴らしいと思った。

娘の参加するピアノのコンクールや発表会でも本当に凄いと思う演奏を何度も体験してきた。

そして、この私が弾くつたないピアノでもその日の気分で、何とも言えない自己満足の世界を味わったこともある。

でも・・・

でも・・・

昨日聴いた「フジ子・ヘミング」のピアノほど、私の心に響く演奏はなかった。

まさに魂に訴えてくるものだった。

心が震えた。

涙が自然に出てきた。

何故これほど彼女の演奏が私の心に感動を与えるのか?

正直言って分からない。

理屈ではない。

只感動したのだ。

昨日の午後はずっと彼女の演奏する曲を聴いて過ごした。

本当に何もしたくない、ただずっと聴いていたい・・・

永遠にこのままずっと耳を傾けていたいと思った。

彼女のことは何年か前にNHKの番組で取り上げられていたけれど
その時には見なかったのが残念でたまらない。

彼女のピアノへの思いが私を揺さぶるのか?

彼女は彼女にしかないピアノを奏でて、それは聴く人の心を魅了する。

病で臥せっている人が聴いたらきっと病を忘れることだろう。

今全てのことに絶望し、生きていることの意味を感じず
死にたいと思っている人が、彼女の演奏するピアノを聴いたら
きっと生きる勇気が湧いてくるだろう。

そんなフジ子の演奏は世界中で今一番注目されるピアノかもしれない。

右耳は全く聞こえない、左の耳も40パーセントの聴力だという。

一時は両耳も全く聞こえなくなった。

それでも今不死鳥のように甦った彼女。

私は今とても幸せだ。

この間から私の前に現れて私を変えてくれた天風先生、そしてフジ子の存在に心からの感謝している。

生きる意味、生きる感動を知った私はこれからの私の人生を明るく楽しいものにしていきたいと心から思っている。


2003年10月18日(土) 姫京之助様へ

お久しぶりです、京之助様。

あなたに会わなくなって10年の月日が経ちました。

もう私の顔をお忘れになっているでしょうね?

でも、私は京之助様のことを忘れてしまうことはありませんでした。

今も同じ気持であるか?と聞かれたらNOと答える私です。

それは、私にとって生きがいができたからです。

あの頃の私には生きていく意味も、意義もありませんでした。

毎日が苦痛でしたしもうこれ以上今の苦しみを味わいたくないと思っていました。

その結果いろんなことがあり、人生に絶望していた時にあなたとお会いできたのです。

私は本当に生きていて良かった!と思いました。

そしてあなたにめぐり会うために生まれてきたのだとさえ思いました。

夢中になっていたあの頃がまるで夢の中の出来事のように思えます。

虚構の世界に生きていたのでしょうか?

あのころの私は体は生きていても心は死んでいました。

だから、私にとって何が一番大切なのかにも気付かずに、只夢中であなたの後を追っかけていたのです。

でもあの頃の数年は私の人生の中で確かに輝いていたように思えます。

まるで、映画のシーンのように私の脳裏に焼き付けられています。

思い出というにはまりにも儚く、虚しい気もします。

今日本当に久しぶりにあなたの姿を本で見ました。

全然変わっていない京之助様の妖艶さに見とれていました。

あのときにまだ小さかった息子さんたちが今では立派に役者の道を歩いているのですね。

4人の息子さん達が皆あなたに憧れ、あなたを追い越そうと頑張っていることを知りとても嬉しく思います。

もうあなたの舞台を見ることはないと思います。

でもあなたと一緒に写した写真は私の宝ものとして大事に残っています。

あれからの京之助様には色々なことがあったのですね。

交通事故で九死に一生を得て再び舞台に立っていることを初めて知りました。

どうかこれからも見る人たちの夢で花を咲かせてください。
劇団の名前の通り、花をいっぱい乗せて皆の所へ運ぶ「花車」のように。


2003年10月17日(金) 自分でも信じられない

本当に私がこんなにも変われるものだったとは
自分でも信じられない。

夫が言ったように、三日坊主だったかもしれないのに、
本当に今の私の心はとても元気で、力がみなぎっている。

これほど急激に変わったのは、私がずっとずっと前から
今の私を求めていたからに違いない。

今までも何度も変えよう、変えて楽になりたい、楽しく生きていける私になりたいと思っていた。

でもいつも無理だった。

頭で分かっていても実践しないのではわかっていないのと同じだと思っていた。

ある人は「分かっているだけましだ」と言った。

確かに、何にも気づかず最後まで変わることなく終わる人も居るだろう。

それはそれでその人の人生だから良いと思っていた。

分からない人よりは頭の中では分かっている人の方が良いのだと思ってきた。

でも、やはり違う。

悟りとは物事の真実に気づくことだと分かった。

「あ、そうなんだ」と気づくこと、
分かること、これが大事だしこれが悟りなのだ。

何も釈迦やそのほかの偉い僧のように修行によってひらくのが悟りではないと知った。

だから今私が気づき良い方向へ気持を持っていくことができるのが悟ったということなんだろう。

本当に不思議だ。

こんなにも気持の持ち方で楽になるとは思いもしなかった。

体は病んでいても心さえ元気で積極的で居れば、周りは良い方に変わるのが分かった。

明るくなった私が居る。

勿論今までも私以外の人は私のことを明るくて前向きの人だと思っていた人も多い。

でも、本当の私は暗いし、悪いほうへ考える人だった。

中村天風先生の本に出会って、私は変われた。

楽に楽しく生きて行けると思うと毎日がとても嬉しくてたまらない。

感謝の心を持てば、天気も食べ物も何でも全てに有り難いという気持が湧いてくる。

小さなことに感謝し、良い方向に考えていく練習を積み重ねていくことによって自然にそういう考え方が出来るようになるのだと思う。

もっと早くに気づいていればよかったと思うけれど
今そんなことを言っても仕方のないことだ。

一生気づかずに不幸な人生になっていたかもしれないと思うと
50歳を過ぎた今気づいたことがとても素晴らしいことに思える。

気づいたときが変わるときだと思う。

悩んでいても解決はしない。

夜眠れないほどくよくよしても事態は変わらない。

それなら悩むのはやめよう。

諦めたり悲しんだり悩んだり怒ったりすればするほど解決への道は遠去かる
ように思う。

今日も良いお天気だ。

秋晴れだ。

私の心もの日本晴れ。

さあ、今日一日が良い日だったと思えるように楽しく明るく元気で居よう。


2003年10月16日(木) 城川行き再び

今日で今年城川へかまぼこ板の絵展を見に行くのは3回目だ。

何度行っても飽きない。

全てを見ようとしたら3回でも駄目だと思う。

今日は私が見て欲しいと思う人と一緒に見に行くことができる。

その友は本当のかまぼこ板の絵を見たことがないと言っていた人だ。

そして出来るなら見に行きたいと言ってくれていた。

私は本気で言ってくれているとは思ってなかった。

でも、友は本気だった。

休みを取ってくれた。

一緒に行こうと言ってくれた。

嬉しい。

今日のこの日を待っていたから。

絶対にこの展覧会の良さを分かってほしい。

そして私と同じ感動を味わってほしい。

でも、

人の感性は同じではないので、私が思うほど友は感じないかもしれない。

でもいい。

きっと何か感じてくれると思う。

何でもプラスに考えたい。

今日はお天気も良さそうだ。

今日も一日良い日にしたい。


2003年10月15日(水) 励み

昨日は良い日だった。

この頃は嫌なことがない。

これも私がちょっとだけ考え方をかえたお陰かなと思う。

来月に私と仲間達4人の絵手紙展が開催される。

今までは銀行のロビーを借りてしていたが、
今回は県の施設を借りての展示だ。

銀行の方が人の目に付く機会は多いと思うけれど、
センターを借りての展覧会も何だか楽しみだ。

でも、そのセンターの展示場所が今ひとつらしい。

借りるのだから文句は言えない。

貼る場所にも押しピンも両面テープも駄目とか。

何か良い方法を考えないといけない。

先月の末に姉からこの展覧会のための宿題をもらった。

私は葉書より大きな作品を描いたことがなかったので、少し戸惑いもあった。

でも、宿題を抱えたままは嫌なのである日描いてしまった。

昨日仲間から電話で、私の作品に感動したという嬉しい言葉をもらった。

そんなことは思ってもなかっただけに嬉しかった。

私が絵手紙を描くときは、本当に何かこころを動かされて描きたい!と
思う気持のときだ。

頭の中に描きたいものと言葉が浮かぶ。

そんな時は忙しくても道具を出し描き始める。

描きたくないとき、描くものがないとき、言葉も浮かばないときには描かないようにしている。

私が心を動かされて描くときはその感動や気持が相手に伝わると思う。

昨日の言葉もそうだった。

「感激した、心に訴えてくるものを感じた」と言われたのは本当に嬉しい。

こんな嬉しい言葉をもらうから、また描こうと言う気持が出てくる。

励みになるのだ。

絵手紙でお互いに元気を与え与えられ、励まし合っていく。

これがこうして絵手紙の交換をしている一番の意義だ。

さあ、今日もいい日にしたい。

心の感動、元気を少しでも感じる日にしたい。


2003年10月14日(火) 病は気から

昔から「病は気から」という言葉がある。

確かにそうだと思う。

病と病気は違うように思う。

病気は「気持でああだこうだと心配し、自分の体を悪くする」ものではないかと思う。

気持を元気に、またいらぬ心配をしないでいれば、病は逃げていくと思う。

一昨日の膝の痛みが消えた。

あれほど足の屈伸が困難で痛みもひどかったのに、何故か昨日の朝起きてみると治っていたのだ。

元々、治るはずのものだったのかもしれない。

今までの私と違って、全く心配しなかったからかもしれない。

夫にもらって貼った湿布のお陰なのかもしれない。

夫からもらったときに私は心からの「有難う」の言葉を言った。

何となく照れくさくて言えない「有難う」の言葉。

この言葉を何の抵抗もなく素直に口にすることが出来るようになった。

今こうして生きていることへの感謝、

私が外で働くことなく生活できる幸せ、

そんな私の小さな幸せに対して嬉しいと素直に喜ぶことができるようになった。

もっと前からこうだと今までの病も私から逃げて行っていたかもしれない。

私は気づかないうちに自分自身の心の醜さに気づかず、回りの人への不満や
愚痴や怒りなど、本当に情けない気持でいっぱいの人間だったような気がする。

いくら体は痛みや辛さがあったとしても、心まで痛める理由はない。

心は元気で居られたはずだ。

今の私の体調も良いとは言えない状態だ。

でも、体の調子と心の調子は違う。

心は元気!

だから、痛みも逃げていくだろう。

病気は自分自身が作るものだ。

心を元気に積極的に前を向いて歩いていこう。

きっとそのうち今の私の口の中の痛みや喉の違和感も消えると思う。

病院へ行こうと思っていたが、もう少し様子を見てみようと思っている。


2003年10月13日(月) 膝の痛み

私の母は82歳。

でも、端から見ても決して82歳には思えない。

ただ、歩く時に杖をついているのを見ると年を思う。

もしも、母が杖もつかず、背筋もまっすぐになっていたら
絶対に82歳には見えないと思う。

母の持病は腰痛だ。

腰の痛みがなければ、普通になんでもできるのに・・・という母の言葉を聞く。

本当にこれは年を取ったということの表れだから、仕方ないことだと言えばそうだ。

それでも杖をついて自分の足で歩けることは素晴らしいことだ。

車椅子に乗ってでも外出できることは幸せだと思うから。

杖をついて私と歩く母の姿は私が知っている母とは違う。

これを悲しむのか、受け入れるのかで私自身の心も違ってくる。

前の私なら、母の辛さや不便さを思って同情していただろう。

でも、今は違う。

母がこうして杖をつきながらも私と一緒に出かけることのできる有り難さを感じるから。

有り難いと思う。

そして幸せだと思う。

母が寝たきりにならず、今のように杖助けを受けながらも
一緒に色んなところへ行けることを願っている。

昨日私の右の膝が急に痛くなり、曲げたり伸ばしたりが痛みのために出来なくなった。

そして母のことを思ったのだ。

私の痛みは少し様子をみてみようと思う。

夕べは夫に湿布をもらって貼って寝た。

夜は動かさなかったので、朝起きても痛みはない。

大丈夫!

私の痛みも和らぐと思う。

今日は雨。

雨の日もまた良しと思う。


2003年10月12日(日) 私の好きな時間

私は早寝早起きの人だ。

否、人だったと言うべきか?

一年半前までの私は確かにそうだった。

PCを始めて、HPを立ち上げてから夜に時間を使うことが多くなって
遅く寝るようになった。

私が花の20代に入退院を繰り返していたとき、9時就寝が当たり前の病院生活だったから、その後の私の暮らしも9時就寝が普通になっていた。

娘が生まれ寝るときに本を読み聞かせ、歌を子守唄として歌いながら寝かしつけていた。

だから、娘が夢の世界に入る時間が私の就寝時間になっていった。

昔から早起きが大好きだったから、PCやHPに時間を取られ就寝時間が遅くなった今も、朝は早く起きている。

夏場は4時半、これから冬になっていくと少し時間は遅くなって5時前になる。

それでも早いかな?

朝は本当に気持が良い。

外へ新聞を取りに出ると、まだ薄暗く空には黄色に輝くお月様と満天の星に出会うことがある。

まだ夜明け前の空を見上げては、今こうして私が元気で生きていることへの感謝の気持が湧いてくる。

この壮大な宇宙の中の、ほんの小さな存在である自分を思う時、涙が出そうになることもある。

毎日の生活の単純さがとても貴重に思えるのは何でだろう?

平凡を嫌っていつも刺激と変化を求めていた青春時代、
母が毎日言っていた「平凡が一番」という言葉の意味が分からずに、
反発を感じていたあの頃。

人生の終盤が近づいてきて思うのは、母が言っていたその言葉の大切さ。

本当に心からそうだと思えるようになった。

刺激も良いだろう・・・

変化も良いかも知れない・・・

でも・・・

でも・・・

当たり前の生活、平凡で単純な時間の尊さを感じられるようになった。

人は過去を背負い、未来への希望を持って今を生きている。

確かに過去は消え去るものではないし、
未来も漠然としたものだ。

でも、過去にこだわってセンチメンタルな気分で居たって何も生まれない。

また、漠然とした未来への不安を持っていても何も始まらない。

過去は過去、未来は未来。

逃げることは出来ないものだけれど、今というこの一瞬、今日という一日を
大事にすることが一番ではないかと思う。

生きているということへの感謝、
心を消極的ではなく積極的なものにして、毎日を生きていきたいと思う。

そのためにはこの朝を大切にしたい。

一日の始まりである朝という時間を好きなように使いたい。

私の一番好きな時間である朝。

今日一日が好い日になるようにと願って、さあ朝ご飯を作ろう。


2003年10月11日(土)

今日は雨が降るらしい。

天気予報ではずっと晴れていたはずなのに・・・

昨日は愛車をピカピカに磨き上げて、中も掃除機で綺麗にした。

神様が私に何かの暗示をくれたのかな?

雨の前に掃除して、昔は自分に腹が立っていたのに今は笑って居られる。
アハハ・・・(^0^)

なんと成長した私!!

なんて言っているけれど、これも心一つの持ち方で物事は変わるという証拠。

今までの私には考えられなかったこと。

私って偉いね!

なんて自画自賛している。

今日は雨、でもお出かけの予定。

今日一日が無事に過ぎますように!

両親と姉夫婦との一緒の外出、久しぶりだからきっと良いことがあると思う。

楽しみだ。


2003年10月10日(金) 夜寝る前には

ずっと、ずっと昔、私は夜が怖かった。

夜、寝ようと思うと頭が冴えて眠れなかった。

だから、今日あったことや、明日のこと、また過去のことなど色々と考えた。

考え出すと堂々巡りで、まるで終わりのない旅に出た旅人のように意識だけが放浪しだす、そして帰る場所のない意識は宙を舞っていた。

当然のごとく薬に頼った。

寝る前に薬を飲むと安心して眠ることができた。

「こんなことをしていてはいけない、止めなきゃ」と思いながら、飲まずに居られなくなっていった。

いつから寝ることが苦にならなくなったのだろう?

今は薬なんて飲まなくても寝つきがおっても良い私だ。

夜は考えると駄目だと思う。

夜に考えることで良いことはめったにない。

子どもの頃、明日は遠足だと思うと嬉しくて眠れなかった思い出はあるけれど、大人になって夜思うことにろくなことはなかった。

夜は誰でも暗い気持になり、もしも不安や心配事があるとその不安や心配はますますひどくなる。

良い方に思えることなんてめったにない。

だから、夜悩むのはやめたのだ。

夜はただ眠るためにだけあるものだと思う。

そして蒲団の中に入ったら即眠れるようになった。

夜眠れることの素晴らしさを思う。

不眠症の経験のある人なら皆そう思うはずだ。

心理学の分野の言葉に「特別無条件同化暗示感受習性」と言う言葉があるそうだ。

昼間起きているときはこの「暗示感受習性」は自分だ良いなあと思うことでなければ潜在意識の中には入ってこない。

でも、夜の寝がけは考えが嘘でも本当のことでも、私達の潜在意識の中にすっと入ってくるのだそうだ。

昼は良いことだけしか入ってこないのに、夜寝る前には何でもかんでも、良いことも悪いことも全て心のアンテナでキャッチしてしまうのだ。

だから、考え出すと眠れない状態になるらしい。

夜は穏やかな気持で心配しないで寝ることが一番。

そうすれば、朝起きたときにも頭も心もすっきりとして気分爽快状態で起きることができる。

皆さんも試してみては如何かな?


2003年10月09日(木) 私だけが

今日は本当に素晴らしい秋晴れの日だ。

雲ひとつない青空を見ていると、とても幸せを感じる。

私の心も快晴。

こんな日は一年で数日しかないような気がする。

いくらお天気が良くても私の心が暗くなっている時だってあるから、
今日のように私の心もお天気も快晴の日が嬉しくてたまらない。

みんなにこの小さな幸せを分けてあげたいなんて思ってしまう。
こんなところが私の悪いところかもしれないな。

この間からちょっとだけ考え方を変えたら今日の私になれた。

ネガティブな私をやめ、ポジティブな私になろうと思って、前を向いて歩こうと思った。

勿論思い出は思い出としてとても大事にしている。

でも、過去は過去、過ぎ去って行ったもの。
二度と戻っては来ないもの。

だから、昔はああだった、こうだったと言うのはやめよう。

懐かしむ気持はいいけれど、それだけの人生って悲しいと思う。

まだまだ残された私の人生は長い。(と思っている・・・)

だから、前を向いて積極的な心で生きて行きたい。

気持はどうにでもなるものだ。

体を元気にするのも良いが、本来は心身統一が一番大事だと思う。

心を前向きにしていれば自ずから体も元気になると思う。

自分のための自分の人生、悲しいものにしたいならそれも良い、でも誰もそんな考えの人は居ないと思う。

私だけが幸せだと感じても良いんだ。

私が幸せなら、私の周りに居る人たちもきっと幸せな気分になるはずだから。

病は気からと言う言葉の通り、病気という字は気持が病んでいるということだ。

私は元気!

私は幸せ!


2003年10月08日(水) 病院

今日はいつもの心臓の病院の診察予約日だった。

夏は朝いくら早くても明るくなっているし、涼しいので割りと早く家を出ても平気だった。

今日は7時前に出た。

渋滞もなく30分で着いた。

この病院は松山から離れていて山手にあるので、気温も少しは違うと思っていたが、今朝は車から降りてみると冷たい風も吹いていて寒さを感じた。

考えてみたら、私が一番初めにこの病院に来たのは18歳の春だった。

先天性の心臓疾患があるのは分かっていたが、病院へはかかっていなくて、その春に初めて詳しい検査をしてもらったのだ。

そしてその夏に心臓手術前のカテーテル検査を受けた。

その時に診断された病名と実際に手術した時に心臓を開いた時に分かった病名は違っていた。

初めは大したことはないと思って気軽に受けようと思っていたのだが、本当は3つの病気が重複していたのだ。

両親は阪大から偉い(?)先生を呼んでもらっていたらしいが、その時には弁を用意していなくて出来なかったらしい。

それから今日までこの病院にはずっとかかっている。

もう古株になってしまった。

待合室でおなじみになった人の顔ぶれも変わり、看護士も医師も入れ替わっている。

だから、昭和46年の初めての手術の時にお世話になった医師も看護士も居ない。

でも、医師が変わろうがどうしようが私は一生通わねばならない病院なのだ。

昔「無病息災」と言っていたが、最近はものの考え方も変わり、「一病息災」という言葉が本当のようだ。

私はヒビの入った茶椀だと言われている、だから取り扱いには細心の注意が必要だといわれて来た。

でも、最近の私は無理でもなんでもしてきた。

後であんなことをしなければ良かったと後悔しないように、充分気をつけよと思う。

体が元気なだけでは駄目だ、心の元気も作らないといけないと思いながら今日の診察は済んだ。


2003年10月07日(火) 季節の移ろい

ついこの間まで挨拶が「暑いですね」だったのが、昨日辺りから「急に寒くなりましたね」に変わった。

これは季節が確かに移っているということの証だと思う。

今年は9月が異常な暑さだったので、例年に比べると冬に向けての準備が遅くなっていた。

でも、昨日の朝は寒かったので、思い切って夏物をすべてしまい、冬物へと衣替えをした。

毎年夏が来る前の6月と冬が来る前の10月は私にとってはとても気の重い期だ。

一年中同じような気候の場所があればどんなに良いだろうと思う。

仕舞っては出し、出しては仕舞う。

この繰り返しをするたびにそんなことを思うのだ。

今日も午前中はこの衣替えとタンス、押入れの片付けで忙しかった。

扇風機を掃除してしまい、その代わりにファンヒーターを出してタンクを満タンにした。

夏の間敷いていたい草のカーペットの代わりに暖かいボアの敷物を出した。

座っていると何かほんわかとした暖かさを感じる。

秋は春に比べると夏の暑さが来るよりも冬の寒さが来る方が早いような気がする。

私は夏も冬も嫌いだ。

でも、一番好きなこの秋は直ぐに行ってしまう。

もう少し長く居てくれたらどんなに良いだろう。

秋の夜長は読書三昧、美味しい物は店先に溢れている。

外で動いても汗をかかずに済むし、歩くのは最高の季節だ。

さっきは常秋の場所があれば良いと思ったけれど、考えてみたら日本の四季があるからこそ、春の桜が美しく感じるのだろう。

そして、秋の紅葉を楽しむことができるのだ。

やはり四季の良さ、有り難さを思う。

春の息吹に心が弾み、秋の枯れ葉舞う姿に感傷的になる私。

季節の移ろいは私を少しだけロマンティックにしてくれるようだ。



2003年10月06日(月) 私の人生

私って?何だろう?

なんて、ふと思うことがある。

今こうして呼吸をし、心臓の鼓動を聴いていると確かに生きているんだなあと思う。

転んで体を打つと青あざが出来、包丁で指先をちょっと傷つけると赤い血が出る。

でも、いくら生物的には生きていても、私の心が死んでいたら生きていることにならない気がするのだ。

何でも良い、今私が一番したいことは何か?

何かしたいことがあれば即行動に移らないと、頭の中だけで考えていても何も始まらないような気がする。

朝起きて一番に鏡を見てにっこりと笑う。

そして今日一日が良い日になるように願う。

でも、していることは毎日の決った家事をこなすこと。

何がしたいのか分からずに一日が終わる。

この繰り返しでは何も変わらないし何も生まれない。

もしも、今私自身がしたいことがあるのならそれを紙に書いてみよう。

そして、実際に行動するためには何が必要かを考えよう。

そのための手段を得よう。

そして少しでも躊躇しているなら、迷わず前に進もう。

途中で引返しても良い、まず進もう。

そうすればきっと良いことがあると思う。

私の人生は私のもの。

そして、私が歩くもの。

誰のためのものでもない私自身のものだから。

私が行動しないで代わりに誰がしてくれるだろう?

悔いのない人生にしたいなら、完璧な人間になるのではなく完璧な自分になろう。

人生は絵のようなものだ。

デッサンも自由なら色づけするのも自由だ。

この描きかけの絵を如何に完成させるかは私自身にかかっているのだ。

明るいタッチで仕上げるか、暗い色で仕上げるか?

私は私にしか描けない人生という絵を完成させるまで、前を見て歩いていかなくちゃ!!


2003年10月05日(日) 癒し

今日は、朝から高校時代の親友と二人で先日母と一緒に見に行った秋桜畑に行ってきた。

友人が仕事中に左手首の怪我をして、気持も落ち込んでいるのではないかと思って誘ったのだ。

この間に比べると大分散りかけていたが、それでも日曜日ということもあってか、大勢の人たちが見に来ていた。

家族で、友人と、恋人同士で・・・

色んなグループで秋の一日を楽しんでいたようだ。

秋桜は今日のように花をゆらゆらと風に揺らせているのが一番綺麗だ。

風と青空が秋桜には似合う。

そして少し向こうの土手にはすすきがやはり風に揺れていた。

逆光に映えて揺れるススキの姿もまた良かった。

私はやはり秋が好き!

そして秋桜が大好き!

    秋桜に母の背想う青い空


2003年10月04日(土) 生まれ変わりたい

今日は私の52歳の誕生日だ。

年を重ねるってことはそれだけの経験を積んで酸いも甘いも味わって大人になっていくことだと思うのに、私はいつまでたってもそれが出来ない。

もっと自分をしっかりと持って生きて行きたいと思う。

自分の周りの人たちの感情や言葉や態度にいちいち反応して右往左往している私は情けない。

人は誰でも最後は一人。

もっと強くならなくちゃと思う。

いつまでも甘えていては駄目なんだ。

しっかりしないといけない。

私さえ自分というものを持っていれば、たとえ周りも者達がどんなことをしようがそれに振舞わされることはないはずだから。

HPの新生と一緒に私も生まれ変わろうと思う。

過ぎたことを悔やむことなく、振り返らず、前を向いて歩いていきたい。


2003年10月03日(金) 入院

この数日、パソコンの具合が悪く入院していた。

そしてさっき退院したのだ。

パソコンが入院する前から私は考えていた。

私は自分がパソコンに支配されている気がしていたのだ。

これは変だ。

何かが間違っている。

そう思いながらも更新を続けてきたが、もう限界に近かったように思う。

この数日パソコンができなくてほっとしていた自分が居た。

新聞を読み、好きな本を読み、ピアノを少し弾く時間が持てた。

そして昨日は母を見奈良にある秋桜畑に連れて行ってあげることができた。

今日はやはり母と一緒に城川へ「かまぼこ板の絵展」を見に行くことができた。

こんなにも時間を有効に使うことができるとは!

明日は私の誕生日だ。

これを機会に生まれ変わろうと思った。

そのためには今持っているHPを縮小することだと思った。

ずっと前からそう思い続けていて新しいHPを作成していたのだ。

今のHPに比べると本当にちゃちなものになった。

でも、私はこれで良いと思う。

私が楽しんでいけることが一番大事なことだと気づいたから。

そして今日パソコンが帰ってきたことをきっかけに新しいHPに切り替えたのだ。


スカーレット