スカーレットの心のつぶやき
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デジカメを買った。
マイデジカメだ。
夫は持っているが借りるのも嫌なので自分専用のカメラがほしかった。
ホームページに載せている絵手紙は、 デジタルビデオカメラで撮影しメモリースティックをパソコンに入れ、 映像館で加工して載せていた。
勿論これで不便なことはなかったし、 写真は今までのカメラで撮れば良いと思っていたので、 デジカメの必要性に迫られることがなかった。
でも、先日の神戸一人旅と母たちと一緒に行った日帰り旅行をするときに 姉に借りたデジカメを持って行ったら、 とても便利なのが分かったのだ。
色々と考えたが結局ヤマダ電機へ買いに行った。
私は情けないことに、パソコンやデジカメのようなものに疎くて一人では買うのが不安になる。
パソコンは夫と一緒に行った時に見つけていたから後日一人で買いに行くことができた。
今回は思いついて私が一人で行ったので店の人に色々と質問をして、 一番使いやすくてかつ性能もまあまあのデジカメをみてもらうことにした。
メーカーも色々とあり、種類もいっぱいあったが、 今店で一番人気だというカシオの「EXILIM」にした。
値段は予定していたのより少しオーバーしたが、 買うならいっそ人気のいいものをと思い買った。
大きさは5X7センチほどで薄さも薄くて軽い。
説明書を一生懸命に読みながら設定は済ませた。
そしていよいよ初めての撮影。
丁度家に娘が居たので、モデルになってもらった。
グアムで買って帰ったクマの縫いぐるみとのツーショット写真が私の処女作になった。
何かとても嬉しい。
ワクワクしてきた。
画像でいっぱいのHPがあるのが分かった。
皆、このデジカメのお陰で簡単に撮影できパソコンに入れて載せることができるから使っているのだと思う。
明日からはデジカメを持ってデジカメ散歩としゃれこもうかな?
その前に説明書を隅から隅までちゃんと読んで、 せっかくのこのカメラを上手く使いこなすようにしよう。
頑張るぞ!!
人は物事を何で判断しているのだろう?
自分なりの物差しがあるのだろうか?
人の感じ方や思うことや考え方は千差万別だ。
だから、一つのことに対しても色々な意見が出るのが当たり前だと思う。
自分自身と同じ考え方をする人は付き合うには確かに楽かもしれない。
でも、普通世の中では自分と全く同じ考え方をする人を見つけるのは至難の業だ。
だから至るところで喧嘩や諍いが起きる。
小さなことから大きなことまで諍いは絶えない。
そしてその原因は殆どが自分と相手の考え方との相違である。
子供同士ではもっと単純な事柄が多いけれど、年を重ねるに連れて 人は色々余分な荷物を背負って生きていく。
そのためか、素直な意見やストレートな意見を悪だと思われることが多い。
確かにストレートに言うと、相手によれば毛嫌いされることもあるだろう。
そして、言った人のことを誤解して悪くとられる場合もある。
私も悪い癖で、つい自分の物差しで相手を測ってしまうことがある。
「わたしなら・・・なのに」と思ってしまうのだ。
そして、私と同じ意見や考えでない場合、 相手のことを悪くは思わないで 自分の方が間違っているのではないかと思ってしまう。
決して私自身を卑下するわけではないけれど、 人を攻撃するのではなくていつも私自身の内面に向かってくるのだ。
この頃は自分の物差しで相手を測るのを止めようと思っている。
相手がどうであれ、私自身がしっかりとした気持や意見を持っていればそれで良いのだと思うようになったからだ。
これも年を取ったお陰かもしれない。
若い頃は相手はイエス、私はノーと思って生きてきたから、辛いことや 涙することがいっぱいあった。
年を取るに連れて、精神がずぶとくなったのか、 それとも上手く生きていく力が持てだしたのかわからないけれど、 自分に攻撃をするのをやめようと思い始めたのだ。
このことが良いか悪いことかは分からないけれど、 私の物差しで人を判断するのはやめようと思うのである。
私が神経質なのだろうか?
私は相手の言葉や言葉遣いにとても敏感だ。
相手は別に悪気はなくても、言われた言葉が気になって仕方ない時がある。
それがメル友の場合は余計にそうだ。
相手の顔が見えないから、せめて言葉だけは丁寧にしたいと思う。
これは私の考えることだから、正しいとは思っていない。
人の考え方は様々だから、一概にこうだと言うといけないのも分かる。
でも、時に「もう少し気の使い方もあるな」という言葉に出会うことがある。
私ならこう書くのに・・・と思うのはいけないことかもしれない。
そして、相手は「言葉くらいで文句言われたらうるさくたたまらない、そんなことを言うのなら、ついていけない」と言うだろう。
でも、喧嘩をしている相手ではないなら、ちょっとした言葉遣いで相手の気持を良くも悪くもしてしまうということを知ってほしい。
最低のマナーってあると思う。
これはメル友に限ったことではない。
家族の間でもそうだ。
いくら気を許している夫婦でも親子でも言ってはいけない言葉や 相手を傷つける云い方があると思うのだ。
最低のマナーは家庭の中でも必要だと思う。
こんなちょっとしたことが誤解の元になる。
ひいては夫婦なら離婚の原因になることもある。
家族ならいつも顔を合わせているし、 親子の間は血の繋がりの良さか汚さかは分からないけれど、 たとえ悪いことを言ってもすぐに忘れて気にならなくなることが多い。
でも、これが近所同士のお付き合いやメールのお付き合いになると又話は違う。
お互いに分かり合えない部分があるから、どうしても相手の言った言葉で判断してしまう。
そして誤解をし合ってそのまま別れに繋がることもなくはない。
言葉って怖いなと思う。
あまり気にしすぎると何も言えなくなるけれど、やはり最低のマナーは必要だと思う。
メールは簡潔なのが一番で、挨拶は要らないのかもしれないけれど、 私は昔の手紙のやりとりだと思うので、文通と同じ感覚で書いている。
せめて、朝ならお早う、昼はこんにちは、夜はお休みの言葉を言いたいものだ。
疲れた。
本当に疲れた。
何もしたくない気分だ。
こんなときは体もしんどくなる。
きっと気持の張りがなくなって、ほっとしたのかもしれない。
こんなときは何にもせずに只ぼうっとしているのが一番かもしれない。
娘も疲れたみたいでよく寝ている。
9月に入ると第九の練習も始まるのに、こんな調子ではどうしようもない。
迷いがある。
私は一度決めたら前しか見なくて無鉄砲なことをするので 昔から母に心配をかけてきた。
結婚してからも夫にはひやひやさせたこともある。
でも、これが私の良いところなんて自分勝手に思い込んでいた部分もある。
今の私はその無鉄砲なところでさえなくなっている。
気持が弱くなったいるのがわかる。
これはきっと疲れているためだろうと思う。
第九のことも色々と考えてしまう。
絶対に歌いたいならどんなことがあってもやるとある人は言った。
私には歌いたくないと言う気持が働いているとさえ言われた。
でも違う。
そうじゃなくて私の体のことが気になるからだ。
人に迷惑をかけたくないから、始める前に断りをする方が良い気がするのだ。
ある人はもっと気楽にしたら良いと言う。
でも、それでは周りの人の迷惑になるから、やると決め手やりだしたのなら 最後までやり通したい。
だから迷っているのだ。
この頃は夜に疲れを覚える。
こんなにしんどくて練習に耐え切れるか自信がない。
ああ〜〜私ってどうして時々こういう風になるのだろう?
もしかしてこれは神様が私にこうしなさい、でないと倒れるよって言っているのかな?
本当にどうしよう・・・
私の父は今月31日で82歳、母はすでに82歳になる。
父は80歳まで働き通した。
警察官を定年退職した後も第二の就職をして働き通してきた。
そして母はそんな父を支えて家を守り姉と私を育ててきた。
そんな両親も最近は記憶力が落ち、耳は遠くなり理解する力も少しずつ減ってきているように感じる。
体力が低下するだけではなくて、頭、つまり脳の低下も来ている気がする。
こんなことを言っていると父はきっと怒るだろう。
今日も電車で芝居を見に出かけて行った。
母は先日一緒に日帰り旅行をしたが、やはり足腰の弱いのがとても気になった。
母はこの夏の暑さの中も、自分自身に気合をかけながら頑張っている。
整形外科へ物療に通っているのだが、私を頼ることをせずに毎日往復1時間の道を歩いている。
そんな母も時には「行きたくないな」と思うそうだ。
でも「頑張るぞ」と自分自身に言い聞かせながら歩くらしい。
父は警官という仕事柄若いときから歩いているので今も若い人と同じように歩く。
否、若い人以上かもしれない。
でも、そんな両親もこの頃は物忘れや理解力の低下が著しい。
父よりは母の方がしっかりしていて、 記憶も思考も勝っていると思っていたが、先日はつい声を大きくして母に言ってしまった。
「さっき話したのに覚えてないの!」と。
後でしまったと思ったが言ってしまった事は消すこともできない。
母の気持を考えると反省するばかりだった。
「子供怒るな来た道だから年寄り笑うな行く道だから」という言葉がある。
私は今はまだ若いがいずれは母と同じ年齢になるのは確かだ。
両親を嫌だなあとは思わないようにしよう。
父の物忘れも頑固さも母の思い違いも全て私に起こり得ることかもしれない。
もう少し年寄りの気持になって考えるべきだと反省の日々である。
8月17日からグアムへ行っていた娘が帰国した。
娘にとっては生まれて初めてこんなに長く家を離れたのだが、どうだったのだろう?と毎日気になっていた。
行き先が日本ではなくてグアムという海外であったことも又違うだろうと思う。
この娘の居ない期間は私の夏休みだったので、思い切りとは言えないけれど、それなりに私の夏休みも出来た 。 昨日はバスの着く場所へ夫と一緒に迎えに行った。
バスから降りてくる子供たちの顔は皆真っ黒に日焼けしていた。
違う学校の子供たち同士が仲良くなったらしくて、別れのショット写真を撮る子供たちが多かった。
絵葉書に「違った感じで帰るかも」と書いてあったように、何となく成長した感じがした。
いつもならしんどければ荷物も持たず、放り出すのが当たり前なのだが 大きなスーツケースを自分が持つと言って重いのに押して夫の車の所まで行った。
帰って洗濯物を出してというと、小学生の時の自然教室とは違い、選択済みのもの、そうでないものの把握ができていた。
私にはすることがあったので、娘の話を断片的に聞いたのだが、家に戻ってからは喋っぱなし、あんなに一生懸命に喋る娘に感激した。
お土産はショッピングセンターで買ったとか。
持って行ったお小遣いは殆ど使ってしまったらしい。
子供の小遣いにしては大きな金額だったから、きっと思う存分楽しい買い物が出来ただろう。
小物から食べるもの、自分の服とまあその数の多いこと多いこと。
私には宝物入れ、夫には孫の手、祖母たちにはクッキー&チョコ。
友人たちには可愛いアクセサリーと、お金を使ったのも納得した。
短い間だったけれど、娘は少しだけ大きくなったような気がする。
娘はもう一度グアムへ行きたいと言っている。
お父さん、お母さんと3人で行きたいと言っている。
私は海外への旅は苦手だけれど、貯金をして3人でいつかきっと行こうねと娘に言った。
娘が一生懸命に話すのを聞いていると、何となく行って見たい気もしている。
又、娘は英会話を習いたいと言っている。
英語は個人的に習っているのだが、英会話は又別のものだ。
習い事の費用も大変だけれど、英会話ができることは私でも夢のひとつだから娘が英会話を習いたいという気持はよく分かる。
出来るなら習わせてやりたいと思っている。
今娘はまだ寝ている、きっと疲れているのだろう。
荷物もまだまだ片付いていないが今日一日はゆっくりとさせてやりたい。
娘にとっては今日はまだ旅の続きなのだろうから。
今日の夕方にグアムへ行っていた娘が帰国することになっている。
17日に旅立って9日目だ。
何回かの電話では元気で楽しそうにしている様子が分かっていたが やはり顔も見ると安心するのは母親だからだろう。
家に居る時は本当に何もしない子で、せめて自分のことくらい自分でしてほしいと思うので、これが喧嘩の原因の一つにもなっていた。
娘の居なかったこの9日間はまるで嘘のように静かで落ち着く日々だった。
私も居なかった19、20日は夫はとても快適だったらしい。
短い間ならこうして一人静かに日を過ごすのも良いものだと思ったに違いない。
娘と仲の良い夫でさえそう思うのだから、普段喧嘩の絶えない私にとっては この9日間は天国だった。
娘は私がこんな気持で居ると知ったら又怒るだろうけれど、 本当にそう思ったのだ。
神戸への一人旅も出来た。
友人と遅くまで喋ることも出来た。
母との思い出つくりもできた。
もっとしたいことは会ったけれど、日は早く過ぎて行ったので、心残りなこともある。
映画に行きたかった・・・
カラオケで歌いっぱなしをしたかった・・・
こんなことを書くと、私が悪い母親に思われるかもしれない。
でも、普段の日には家事、育児と一生懸命にしているから 神様も許してくれると思う。
さあ、今夜は賑やかになるだろうな。
夕食は何か娘の好きなものを作って待ってやろう。
2003年08月24日(日) |
出会いを大切にしたい |
今の私達に一番大事なものって何だろう?
人それぞれ違っていると思うけれど、人皆に共通している大事なものは 人との出会いを大切に思うことではないだろうか?
昨日、親せきの叔母と母と私の3人で旅行会社の日帰りツアーに参加した。
一台のバスに満席状態計45人が乗り合わせた。
生憎私達の席は最後部席だった。
叔母も母も高齢なので、出来れば前の方の席にしてほしかったけれど、 そんなことを言うと皆が我儘を言うことになるので、 叔母たちにはすまないけれど、辛抱してもらった。
来ている人たちは大体が二人連れだった。
夫婦、姉妹、友人・・・
隣の席に座って楽しそうに歓談しているのは 見ていてもとても嬉しいものだった。
私の前に座っている人は姉妹二人で来ていた。
私にも姉が一人居るのだけれど、姉と二人の旅は想像もできない。
気が合わないというかお互いに気を使わない人と一緒に行ったほうが 良いように思う。
夫と二人で行くのもちょっと気がひける。
やはり気の合う友人と行くのが一番良いように思う。
昨日の添乗員の女性との出会いは、私にとっては本当に良い出会いだったと思う。
普通は添乗員さんはガイドさんと違って、一通りの説明が終わると 前を向いて座って運転手と同じように必要以外のことは喋らない人が多い。
昨日の方は乗った人一人一人に気配りをしていた。
話しかけは勿論のこと、冷房の効き具合、車酔いを下人への心配り、 時間厳守の説明にも角がなく、とても良い人だった。
彼女と居ると何でも許せるようなそんな気がした。
人はどんなところで誰と出会うかもしれない。
昨日の添乗員さんと又いつかツアーでお会いするかもしれないけれど、 一期一会の言葉のように、もう二度と会うことがないかもしれない。
彼女の気持のさりげなさ、優しさ、これらは私が見習うべきものでもあろう。
反対に昨日乗り合わせた人の中にも私から見るとちょっと我儘な人も居た。
自分だけが良い思いをしても絶対に後味は良くないと思う。
皆がそれぞれの気持を全部出していれば、楽しくなるはずの旅も不愉快なものになっていただろう。
彼女に心から感謝している。
帰りのバスの最後に降りるとき、私は彼女にそっとお土産にと「土佐日記」のお菓子をあげて別れた。
又今度行く時も彼女が居るツアーなら良いのにと思っている。
どんな時でも人との出会いを大切にしたいと心から思う。
人には誰にでも思い出がある。
もう二度と思い出したくない思い出、
誰にも言わず自分だけの心のアルバムに残している思い出、
家族と共有している思い出、
懐かしく輝いていた青春時代の思い出・・・
本当に人様々な思い出があるはずだ。
小さい頃の思い出は、それ記憶の不確かさでぼやけたものであっても 妙に懐かしく感じるものだ。
記憶っていうものは不思議なもので、時が経つに連れて嫌で思い出したくない悲しみや苦しみを消してくれる。
そして、いつの間にかその辛かったであろう思い出さえも懐かしく感じさせてくれる。
私の両親は高齢で82歳だ。
後どのくらい私の側に居てくれるのか分からないけれど、 娘として思うことは、母たちとの共通の思い出をいっぱい作りたいと思うことだ。
これからの毎日の普通の暮らしの中の出来事が、後何年か後には 私にとって、とても大切な思い出になるだろう。
だから、それらを大切にしたいと思う。
今日はここにも書いたけれど、母と叔母と3人で読売旅行の日帰りの旅に 参加することになっている。
道中の長さのことを思うと少し不安もあるけれど、母たちがとても楽しみにしてきてくれたので、今日は心に残る良い思い出になってくれれば嬉しい。
大歩危の川くだりはしたいけれど少し怖い。
桂浜は今までに何回も訪れているけれど、今日は真っ白い綺麗な貝殻を 一つ思い出の品になるように持って帰ろうと思っている。
モネの庭は想像がつかない。 絵と同じような庭だそうだが、今から楽しみに胸がわくわくしてくる。
今日も真夏のような一日になりそうだ。
元気な笑顔をお土産に帰ってきたい。
そして、私の心のアルバムに新しい1ページをふやしたいと思う。
娘がグアムへ行っている間に「○の居ない間の洗濯」気分で 私の夏休みを楽しんできた。
元々私は神戸が大好きなので今回もその大好きな町へ行った。
松山から神戸の三ノ宮までの直通バスが出ているのは知っていた。
今まではいつも関西汽船の船での往復をしていたのだが、 今回は絶対にバスの旅にしようと思っていた。
やはり、バスは楽だった。
車に酔う人は苦手だろうけれど、幸いなことに私は車酔いはしない。
松山から走ったことのないコースを走るのも又一つの楽しみだった。
高速徳島道ができても、行く機会がなかったので今回は徳島から鳴門 そして淡路島を縦断して神戸へ。
長くて美しい明石海峡大橋も通ることが出来た。
今度の旅は一人旅だったので、2日共定期観光バスに乗って回った。
1日目は六甲山へ行った。
神戸は今までにも数回訪れているのに、六甲山だけ行ってなかったので 六甲山のコースにした。
ケーブルカーで上がると空気も心なしかひんやりと感じた。
周りの緑に心を癒され、頂上からの景色にため息をついた。
残念ながら、くっきりとは見えなかった。
晴れていると海水からの上がる蒸気のためにもやがかかり景色がはっきりと見えないそうだ。
でも、900メートルのところからの眺めは又良いものだった。
頂上にあるオルゴール館「オルゴールミュージアム」もコースに入っていた。
今頃は観光地にはこのオルゴール館がよくあるので、今回のこの六甲山の オルゴール館も同じようなものかと思っていた。
でも、入ってみると違っていた。
オルゴール演奏の時間もあり私は30分の演奏を続けて2回見せてもらった。
オルゴールだけでなく、欧米を中心に100年前に全盛だった アンティーク・オルゴールをはじめ、 20世紀前半に活躍していた自動演奏ピアノ、オルガン、バイオリン、アコーディオン、バンジョーや自動人形の貴重なコレクションもあった。
そして、時間を決めてその大きな自動演奏楽器の演奏や、コンサートを聴くことができたのは、本当に嬉しかった。
姉がオルゴール収集の趣味があるので、今回も2個買い求めた。
ここへは母や娘を連れてきてあげたいと思った。
1日目は六甲山へのバス旅だったが次の日は「明石海峡大橋」を渡り淡路島へ。
橋の全景を見て舞子へ行った。
ここの「シーサイドホテル舞子ビラ」での昼食は中華料理だった。
多くては?と心配してれどそうでもなく、美味しく食べることができた。
一人旅は自分の写真を撮る事ができないのだが 今回はバスで乗りあわせた人にお願いして撮ってもらうことができて 良かった。
人と人との出会いを大切にしたいと思っている私だから 見知らぬ人との会話もでき、心温まる良い旅ができた。
これからも機会があればこうした一人旅をして心のリフレッシュをしたいと 思っている。
ああ〜〜〜やっと私の夏休みがやってきた!!
昨日の夜娘がグアムへ旅立った。
不安と緊張と期待の入り混じった気持で空の人となっていった。
娘が搭乗手続きを済ませゲートをくぐる前に私達の方を振る返り、 ちょっぴり淋しげな表情を浮かべて、手を振っていた姿が今も目に浮かぶ。
あれほど、娘の旅立ちを私自身の気持としては喜んでいたのに、 あの娘の姿を見たとき、何故か涙が出そうだった。
絶対にないとは思いながら、これが今生の別れになるのではないかと思ったのは確かだ。
娘を見送り帰り道、夫と二人で夕食を済ませ我が家へ戻った。
娘の部屋は色々なものでいっぱいに溢れていて、足の踏み場もない状態だった。
本当は娘の留守の間にきちんと片付けて大掃除もしたいのだが、 これはしてはいけないことなので、今回は目を瞑ることにした。
さすがこの一週間、色々と忙しくまた気も張っていたのだろう、今朝は私としては珍しく寝坊をしてしまった。
目が覚めたのは7時をまわっていた。
幸い、夫は月曜日は休みなので焦る必要もない。
ゆっくりと朝食を用意し、娘の居ない間にシーツやタオルケットの洗濯をして、一人で朝食を済ませた。
夫はまだ寝ているので起こさずに放っておくことにした。
今日から来週の月曜日に娘が帰ってくるまで私の夏休みだ。
こんなに長く自由な時間が過ごせるのは初めてだし二度とないことだと思う。
さあ、何をしよう?
明日、あさっての2日間は一人で神戸へ行くことにしている。
神戸は大好きな町だ。
六甲山へ行ったことがないので行ってみよう。
定期観光バスの予約をしているので、一人でも安心だ。
ホテルの予約もインターネットで出来た。
翌日は時間の関係で観光バスのコースを明石海峡大橋方面のにした。
娘の荷物造りで大変だったので、今日は私の荷物を作らなくっちゃ。
でも、1泊だから大した荷物にはならないだろう。
私にも神様が日頃の仕事のご褒美として、この休みをくれたのかもしれない。
土曜日は母と叔母との3人での日帰り旅行を予定している。
その間には友人との約束もあり、あっという間に一週間が過ぎてしまいそうだ。
この夏休みを充分に楽しもうと思っている。
昨日に引き続いて今日も娘のこと。
本当にまだまだずっと先のことと思っていた娘の旅立ちが今日になった。
月日の経つのは本当に早いものだ。
申し込んだ時ははるか彼方の出来事だと思っていたのに、準備も後で良いやと思っていたのに。
とうとう今日になった。
今日一日は何処へも行かず家で待機していてほしいといわれている。
この時期は台風の時期なので、もしも予定と違って出発時間が変わることも あるのだそうだ。
昨年も何かトラブルがあり困ったと聞いている。
だから今日は朝から出ないで家にいなければならない。
幸い夫が休みで家に居るので私がちょっとした買い物くらいは出来ると思う。
今日の夕方に空港に集合することになっている。
飛び立つのは6時半頃だ。
今の娘の気持ってどんなのだろう?
はしゃぐこともないし、不安がることもない。
もしこれが私だったら、きっと不安ばかりで色々と悩んでいたに違いない。
否、初めから申し込みをしていなかったかもしれない。
私の場合は心臓のことがあるから、母だって心配するし、学校側も私の参加を遠慮してほしいと言うかもしれない。
私は小学校から高校までの修学旅行に参加したことがないのだ。
勿論私の心臓のことが原因だ。
毎日寝込むことなく登校していたけれど、学校はもしものことを考えたのだろう、行かせてもらえなかったのだ。
クラスの皆と一緒に行って見たいと思うのは当たり前で、 それができなかったことは今も私にとってとても淋しい思い出になっている。
現代ではそういう風に禁止するとPTAや私の親からクレームが入ると思うけれど当時は親も仕方ないと思ったみたいだった。
そんなこともあるから、今回の娘のことに私は諸手を揚げて賛成したのだ。
娘にとって一生の思い出になると思う。
家で何にもしなくて全て親に任せていることを自分自身でしなければいけない状況の中で、娘がどうするか?
良い勉強になると思う。
どんな顔をして帰ってくるか?
今からとても楽しみにしている私だ。
この夏娘がグアムへ旅立つ。
まだまだと思っていたがもう明日のことになってしまった。
17日から25日までの8泊9日のホームステイだ。
勿論生まれて初めての海外だ。
海外派遣と言う形で行くことになっているが、 半分は楽しむことがあるので娘にとっては夏休みの 良い思い出になるはずだ。
3回の説明会があったが、私には海外の経験がないのでまごつくばかりだった。
一番心配したのが持っていくものをどうするかということだった。
持って行くものを入れるスーツケースは従姉が貸してくれた。
そしてこの間から荷物をこしらえている。
この荷物が馬鹿に成らないほど多いのだ。
旅なれた人ほど手荷物は少ないと聞く。
確かにそうだと思う。
旅なれた人は荷物が決して重くまた、多くならないように心がけると聞いた。
私も身軽なのが一番だと思う。
でも、女性は化粧品や衣服の替えが要るので、男性より大荷物になる。
娘はまだ中学生なので、化粧道具はないけれど、 それでも8泊9日なので、荷物は多くなる。
勿論洗濯をすると言っているので9日分も持たすことはないと言われた。
それでも説明会の時に最低4日分は必要になると言われたそうだ。
こうして荷物を作っていると段々と大荷物になってきた。
バスタオル、普通のタオル、パジャマ、水着、下着、Tシャツ、短パン・・
他にも色んなものが要るというので全部入れようとするとそれは凄い荷物になった。
いくら貸してもらったスーツケースが大きいと言っても、入る容量がある。
この大荷物をどうしよう?
悩むなあ・・・
私ならある程度で諦めるけれど、娘は不安になるらしくて5日分持っていくという。
娘の言うとおりしていると、これは入りきれなくなりそうだ。
今日もう一度本当に要るものと要らないものとを検討してみようと思う。
そしてなるべく少ない荷物にしたいと思う。
旅は身軽なのが一番良い。
経験者の人からの意見も聞いてみたい。
私はこの秋で52歳になる。
私くらいの年になると、これからの自分がどうなるか大体見当が立つ。
何もなく平凡に年を取っていくのだろうな?と思うと、何かとても淋しい気がしてならない。
勿論、母が言うように毎日が平凡に過ぎるということはとても有り難いことだと思う。
今までの50年を振りかえってみても、非凡が必ずしも良いとは言えないから。
でも、こうして人生の折り返し地点を過ぎたときに思うことは、 これからの私に残された時間の使い方を充実したものにしたいということである。
何でも良い。
何か目標を立てて、それに向かって少しずつ近づけたらこんなに幸せなことはないと思う。
何もしなくても時間は同じように過ぎていく。
何もしないで年老いて行きたいか?
それとも毎日を充実さいた気持ちで過ごしたいか?
私は後者の生き方がしたい。
毎日が楽しく過ごせることが一番だけれど、それはきっと無理だろう。
でも悪いことばかりでもないはずだ。
仕事に燃えるのも良いかもしれない。
趣味に没頭するのも良いかもしれない。
又何か学ぶことも良いだろう。
でも、今私が思うことは、毎日を心豊かに暮らしたいと思うことだ。
こんなことを言うと笑われるかもしれないけれど、私は誰かを想う心を忘れずに居たいと思う。
「恋に落ちて」の歌ではないが、誰かを好きになってこころをときめかせて生きていければこんなに嬉しいことはないと思うのだ。
私は恋に恋しているのかもしれない。
いつでも夢を持って生きることは素晴らしい。
その夢が恋心に代わっても良いのではないだろうか?
いつまでも若く居たいと思う心は、誰かを想う心に比例して大きくなると思うから。
こんなことを思っている私のことを夫が知ったらきっと笑うだろう?
娘には馬鹿にされるかもしれない。
でも良い。
私の人生は私のものだから。
誰のものでもない、私自身のものだから。
神様だって、この恋心を持つくらいは許してくれると思う。
それで私が幸せな気持になれるのなら、そして、その幸せな気持を私の周りに居る人たちに分けてあげることが出来れば、神様も笑って見守ってくれるのではないかと思う。
メル友さんにもらったアサガオの種を蒔いて、 双葉が出て本葉が出て ツルが伸びてきて・・・蒔きついて・・・
私が本当に初めてタネから花を育てたアサガオ(ヘブンリーブルー)。
8月に入っていっそう背丈も伸びた。
もらった人からもう花が咲きそうとの連絡があった。
母にももらった種を3個上げたのだが、 母が昨日花が咲いたよと言ってきた。
「えッ,良いなあ」
私のところのヘブンリーブルー(ヘブン君)は全く咲かないよって返事した。
蕾もついていない。
葉は本当に大きくなって、掌ほどにもなったのに。
何故だろう?
肥料のやり方が足らなかったのだろうか?
それとも、私の育て方が悪かったのだろうか?
花を育てるということは、まるで自分が産んだ子どもを大きくすることと 同じだと思う。
私は正直言って自信がない。
たった一人しか居ない娘に振り回されている母親だ。
子育ても私は良かれと思ってしてきたことだ。
アサガオもそう。
水をやりながら毎日声を掛けてやった。
一生懸命に見守り手入れもした。
これで綺麗な花を見ることができないなら、本当に残念でたまらない。
もう少し様子を見てみよう。
そして、どうしたの?と聞いてみよう。
蕾だけでいいから私のヘブンよ、頑張ってね。
先日娘とその友人を映画館へ送って行った。
「踊る大捜査線 2」を観るのだそうだ。
私は今年になって映画はまだ一本も見ていない。
昨年の春にはあの「ビューティフルマインド」を5回も観たのに、 今年は全く見ていなかった。
新作の情報を知ると行きたくなる。
新作映画も数ヶ月するとビデオになって、レンタルビデオ屋さんに並べられる。
勿論画面の大きさ、迫力の点では映画に叶うTVはない。
ビデオを見るのと本当に映画館に足を運び座席に座って見るのとでは全く違う。
でも、時間のことや距離のことを考えると、 ついもう少しすればビデオで観ることができると思ってしまう。
今日娘たちが見に行った映画は前評判が高い映画だ。
きっと面白いだろう。
去年はラッセルクロウの虜になってしまって、 彼のことを思うとまるで昔初めて人を好きになった時のような気持になったものだ。
ビデオの購入を考えたほどだ。
それからしばらくして夫と一緒に見に行った「アイアムサム」も良かった。
あれは多分結婚記念日の頃だったと思う。
やはりもう1年経っているんだなあ・・・
ずっと昔夫と映画を一緒に観たのが初めてのデートだったから 今もその映画「野麦峠」のシーンを覚えている。
まだ初々しい「大竹しのぶ」の姿が目に浮かぶ。
今年はまだ一本も見ていないということに驚いている。
娘の居ない8日間に一人で映画を見に行ってみよう。
日帰り旅行や映画が良いな。
カラオケ(そうだ、一人でカラオケに行くのも良いな)で時を過ごすのも良いだろう。
映画を観る時は一人かよほど気の会う人でないとしんどくなる。
気を使って見るのなら、見ないほうがましだ。
夫とはもう行きたくないな。
面白くなかったし気疲れしたから。
見た後で一人が感動を味わうのも淋しいけれど やはり気の合う人でなければ一人が良いと思う。
私が住む地方では旧暦のお盆をすることになっている。
都会へ行っている人たちは家族と一緒に故郷へ戻り、 楽しい夏の思い出を作って又帰っていく。
その人たちの帰郷する目的の一つが先祖のお墓参りであることは確かだ。
お盆の入りには迎え火を炊いて迎え、お盆が済む16日には送り火をたいて さようならをするのだ。
昨日実家のお墓掃除に行ってきた。
本当は今朝早起きして行く予定にしていた。
早起きって半端じゃないよ。
毎年4時起き。
まだ外は薄暗く、車は勿論点灯して走る。
昨年もそうだった。
クーラーをつけなくても車の中が涼しい時間のドライブ気分。
今年もそうしようと思っていたのに、天気予報で今朝は雨と知った。
雨のお墓掃除も大変だ。
私は濡れるのが嫌いな人なので、どうしようと思っていて結局昨日行ったのだ。
父はお墓の汚れを落とすのだと言って、一生懸命掃除していた。
やはり手入れをちゃんとしていると綺麗だ。
家もそう。
父の掃除好きのお陰で実家はぴっかぴか。
玄関なんか建てたときと一緒だ。
お墓も去年掃除してもらい、今年の春には少し改造したから まるでまっさらみたいに綺麗だ。
お墓も家もそこに住む人によって綺麗にもなり汚いままにもなる。
これって自分自身の人生にも似ているのではないかな?
ありのままの自分を出して気取らず生きるのもその人の生き方。
自分を綺麗に飾った気取った生き方をするのもその人の自由。
なんて色んなことを考えているうちに父は掃除を終えていた。
母と一緒にお花の水を代え、花を活け直した。
お線香の火をつけて立てて拝む。
お願いはしないほうが良いのだそうだが、どうしても両親のことを願っている私が居る。
私の横で一生懸命に拝んでいる父と母の横顔を見ていて急に涙が出てきた。
こんな風に一緒にお墓参りが出来るのは後何回あるだろう?
私にとって一番考えたくないことだけれど、近いうちに必ず来るであろう両親との別れ。
お盆がやってくるたびに淋しい気がする。
一日でも長く生きていてほしいと心から願ってお墓を後にした。
この夏休みに娘がグアムへ行く。
一週間後の17日から25日までの間、本当に二度とないチャンスがやってきた。
正直言って、とても嬉しい。
人は「娘さんが居ないと淋しいでしょう?」と聞く。
私は「いいえ、せいせいしていますよ。」と答える。
本当にそう思っているから。
嘘ではないから。
でも、この私の気持を娘に言うと怒るだろうなあ・・・
だから、口では淋しいと言っている。
実際、娘が一週間家に居ないことは初めてのことだから、夫はきっと淋しいだろう。
この8日間を有効に使わないといけないと思っている。
娘に振り回されることもなく、自分の時間がいっぱい持てる。
夫は仕事に行くから、後は私のオンリータイムだ。
この8日の間にどこかへ旅行に行こうと思っていた。
友人と一泊旅行に行こうと計画し、準備もしていたのだけれど、 彼女の都合が悪くなり、中止になってしまった。
だから、予定はない。
でもどこかへ出かけたい。
そう思っていたら、先日旅行会社からのパンフレットが届き、 前から行きたいと思っていた、高知にある「モネの庭」を見に行くツアーがあるのを知った。
母に話してみるとまんざらでもなさそうな返事がかえってきた。
去年一緒に船から花火大会を見るツアーに行った叔母に声をかけてみたら 叔母も行きたいという返事。
叔母は88歳、母は82歳、高齢だ。
でも、二人共元気で年には見えない。
日帰りのツアーで、大歩危峡にも寄るそうだ。
桂浜にも行くようになっている。
夕食はホテルでバイキングだそうだ。
本当は一泊くらいの旅がしたかったのだけれど、こうしてまた叔母や母と一緒に楽しめることは嬉しいことだ。
暑いだろうが、きっと良い思い出になるだろう。
私の願いでもある母との思い出のページがまた一つ増えそうだ。
夕べNHKで懐かしい歌を集めた「思い出のメロディ」があった。
私がまだ若い頃から、夏、お盆が近づいてくると必ずNHKのTVで 「思い出のメロディ」放送され、両親はいつも懐かしそうに歌を歌っていた。
時が流れ、段々と私の思い出の歌が流れるようになったのには、少々驚いている。
父や母が好きで良く歌っていた歌を今は聞くことがなくなってしまった。
両親は古賀メロディが好きだった。
私も一緒に聴いているうちに自然に古賀メロディを覚えてしまった。
中でも、父がギターを爪弾きながら歌っていた 「影を慕いて」や「酒は涙かため息か」などは 本当に知らないうちに覚えてしまった。
私にとっての懐かしい歌は、やはり高校から大学、 そして大学を卒業した頃の歌は今も私の心に残っている。
20代が入退院の繰り返しで、病院暮らしが多かったので、 いつも枕元にラジカセを置いて、さだまさしの歌を聞いていた。
ベッドの上で聞く彼の歌にどれほど慰められたことだろう。
時には昔を思い出し、懐かしさで胸がいっぱいになったこともある。
又気持が弱っている時に、何気ない優しい言葉を聞くとどれほど心癒されたことだろう。
彼の歌は私の気持をそのまま表してくれているように、 また私の心を代弁してくれているようだった。
失恋の心の痛み、憧れる人への想い、母への気持、 別れた恋人への惜別の思い、 全ての私の心の中の思いを歌ってくれていた。
今もさだまさしの歌を良く聞く。
彼の澄み切った高音の響きはいつ聞いても良い。
両親が昔歌っていた歌が忘れられないで、今も歌っているように、 私にとっては20代に歌ったり聴いたりした歌が 「懐かしのメロディ」となっていつまでも私の心の中に聞こえてくるに違いない。
皆もきっと何か一曲は、心に残っている歌があるはずだ。
悲しいとき、辛い時人は音楽によって心が和むものだ。
聴いたり、歌ったりしている人全ての心の中のオアシスに違いないと思う。
毎日の献立に悩まない主婦はないと思う。
毎朝起きると、早くも「今晩は何にしようか?」と考えてしまう。
買い物に行く時に2,3日の献立を考えてそれに合わせて食材を買うことにしている。
朝スーパーのチラシを見ては、少しでも安くて美味しいものが作れるように 頭をひねる。
すぐに献立が決るときは嬉しい。
なるべく、安くて栄養価のあるものをバランスよく食べさせてあげたいと思うので頭が痛い。
私の家族は夫と、中二の娘との3人家族だ。
男の子が居ないので、毎日肉料理をしなくても済む。
食べ盛りの男の子が居る家では、炊くご飯の量がすごいと聞いた。
例えばカレーを作ろうとしたら、かれーのルーを一箱全部使うのだと聞いて 驚いたことがある。
私の娘は今が食べ盛りだとは言え、女の子だから食べると言っても量はしれている。
幸いなことに、夫は食べるものについて文句を言ったことがない。
何でも食べるし、たとえその味が美味しくなくても何も文句を言わないのだ。
文句を言わないのは良いのだけれど、美味しいときにも何にも言わないので 作る私にとってはちょっと不満だ。
だって、この暑い時期に買出しに行き、献立を考え一生懸命に作って 私は美味しく出来たと思っているのに、 口に入れても何にも言わないのはやはりは腹立たしいものである。
「美味しいね」のたったこれだけの言葉を言うか言わないかで、作った人は どんなに違う感じがするだろう。
今の暑い時期は口当たりの良いものが好まれる。
この最近は冷奴が必ず入っている。
それと野菜の料理は毎日作る。
私とメル友になっている人とは毎日のように「昨日の晩の献立」の話題が出る。
思わぬヒントになったりすることもあるから、よそ様の献立を知ることも 勉強になるということだ。
毎日のメールの最後に献立を話し参考にさせてもらうこともある。
主婦としては、毎日の食事を考え家族の健康管理をすることも立派な仕事だ。
ちなみに、夕べの献立は「しめじと豚肉のしょうが焼き、冷奴、野菜サラダだった。
今晩は「鯵の南蛮漬け」「胡瓜の酢の物」「温泉卵」にした。 さあ、明日の献立はどうしよう・・
迷っている。
本当にどうしようか・・・・
迷っている時は思い切って前に進むか、後戻りするか、その時点で止まるかの3つの選択肢がある。
でも、今の私はそのたった3つの道さえ選べないでいるのだ。 本当に情けない。
自分が決めることなのに何故か決断が出来ないのだ。
迷っているのはあの第九のこと。
年末の第九合唱に参加したいと思って、直ぐに申し込んだのはいいけれど、こうして現実に練習日が決まって知らせてくると、迷いだしたのだ。
思い切ってやってみようか?
それとも今回は止めておこうか?
私の悪い癖で、誰かが後押ししてくれたら・・・などと甘い考えをしてしまうのだ。
思い切って第九合唱を経験した友人に今電話をしてみた。
彼女曰く、「観客席で聞くのと、自分が実際に舞台に立って歌うのとはその感激度は全く違う。
初めから100パーセントを目指さずに、半分でも出来たら良いやというくらいの気持で参加してみたら良い。
絶対に達成感が味わえる。一生の思い出になる。」と。
そうだ、何もかも完全にしようと思うからいけないんだ。
もっと気軽にやってみよう。
駄目だったらその時に考えれば良いじゃあないか。
迷わずに一歩を踏み出してみよう。
9月から始まる練習はきっと想像しているより大変だと思う。
私が参加しようと思ったきっかけを思い出してみよう。
今までずっと長い間、胸の中で暖めていた思いではないか。
失敗を恐れないで自分の歩きたいと思う道へ足を踏み入れてみよう。
彼女に励まされて少し勇気が出てきた。
有難う、持つべきものは友だね。
今年の年末は今までとは違った感動を味わえる素晴らしい年末になるかもしれない。
申込書に署名捺印して封筒に入れて郵便局へ出しに行こう。
一昨日の夜小澤征爾さんが指揮する新日本フィルハーモニ交響楽団のコンサートを聴きに行った。
今までにもオーケストラは何回か聴いているが、 小澤さんの指揮を見ることができたのは生まれて始めてのことだった。
このコンサートを知ったのは、3ヶ月前にたまたまヤマハへ楽譜を買いに行った時だった。
その日はチケット発売2日目だったのに、 もう良い座席は皆売り切れていて 私が手に入れることができたのは、5階のそれも一番後部座席だった。
オーケストラを聴くときは、ピアノや室内楽とは違って前よりも少し後ろで、音が集まるところあたりが良いと思っていた。
そしてティンパニーをたたくのは上から見ると見やすいということもあり、いい席ではなかったが、まあ良いかと思っていた。
一緒に聴きに行く友人は「小澤征爾さんの居る会場の雰囲気だけでも味わうことができたら幸せだ」と言った。
私も確かにそうだと納得。
午後7時からの開演だったので少し早めに行った。
丁度リハーサルが終わったところだった。
小澤さんはこのリハーサルに小中高生を招待していたらしい。
出てくる子供たちの顔は皆輝いていた。
顔を真っ赤にしている子、感動したのか言葉が見つからないのか黙って出てくる子。
小澤さんの先生でもある斉藤秀雄さんの意思を受け継いで、 これから音楽を目指す若い人たちを育てているのだなあ・・・と思った。
演奏は勿論素晴らしかった。
一人の指揮者と100人の演奏者の息がぴったりと合っていた。
体全体を動かして指揮をしている小澤さんの後姿がまぶしかった。
会場が一つになっていた。
感動は感動を生み、拍手はなりやまず、客席からは「ブラボ!」の歓声。 私は言葉を失っていた。
終わっても直ぐに席を立ちたくない気分だった。
一緒に行った友人は帰りにサインがほしいと言って、一緒に出口で小澤さんを待った。
1時間半も待った。
でも、小澤さんは別の出口から帰られたらしくサインはもらえなかった。
一緒に待っていた10人あまりの人から大きなため息が出た。
これはこちらの希望だったが仕方ないなという気持もあった。
もしも、サインがもらえたらラッキーだと思っていた。
帰りの車の中では友人も私も黙っていた。
言葉に出すと感激が薄れそうだったから、私は只前を見て運転した。
「今度は是非松本の「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」に行きたいね」と思う気持はお互いに分かっていた。
夢ではなく本当にこの友人と二人で訪れたいと思った。
新聞の広告欄を何気なく見ていたら、 外人の女性が三つ指をついて笑顔で座っている写真が目に止まった。
公共広告機構の宣伝だった。
今の日本は昔からあった日本人の良さや日本の風習がなくなりつつあるような気がする。
控え目で謙虚で自分を抑えるという昔の日本人が持っていたものを今の若者には見えないのが残念だ。
前に出よう、出よう、人に勝ちたい、人よりも目立ちたい・・・
皆がそうではないけれど、確かにそういうような人が増えていると思うのだ。
私の周りの人たちの中にもそんな人が居る。
どうしてだろう?
人に勝ちたいと言う気持はスポーツをしている人には必要だと思う。
又良い意味で人よりも目立とうと一生懸命になっている姿は尊い。
でも、果たして人を押してまで自分が出る必要はあるのだろうか?
受験戦争は私もくぐり抜けてきた。
勿論合格することを目標にして頑張ってきた。
でも、それで友人よりも突出したいとは思っていなかった。
結果的には私が合格することによって落ちる人も居たから、人に勝ったことにはなるのだけれど・・・
私が見た公共広告機構のコピーは「ニッポン人には日本が足らない。」だった。
誰もが何気なく見に付けていたはずの、思いやりや心配り。
それが今の日本人には足らないということなのだろうか?
もしそれが本当なら淋しい気がする。
日本の本当の良さを忘れているのは、日本に生まれ日本で育った私たち自身だと言っている。
まず日本人が、日本を知ること。
これが大事な事なのだろう。
私が月一回日本語教師のボランティアの仕事を勉強していても、 今一番日本語の良さが忘れられていることに気づいていた。
古典を読んでいると余計にそのことを感じる。
昔の日本語は綺麗だった。
でも、今の流行言葉は全く日本語の良さを感じない。
なんでも省略して短い言葉にして話している若い人を見ると、「ちゃんとした日本語で話そうよ」と言いたくなるのだ。
風習も、言葉も昔からある伝統文化を後世へ残そうと思うのなら、 今一度見直して日本や日本語の良さをもう一度考えてみる必要があるのではないだろうか。
皆さんは焼き茄子はお好きだろうか?
食欲の落ちるこの夏場の時期に、 私が美味しいと思って食べることが出来るものの中に 「焼き茄子」がある。
昨夜も黒光りしてつやつやしている茄子を3本焼いた。
焼いている時のあの独特の香りが又良い。
同じ茄子でも煮付けると1本全部を一人では食べきれないが、
こうして焼くと一人が2本くらいペロリと食べてしまうことができる。
ガスコンロの魚を焼くグリルに水をはり、 そこへ並べて焼くのだけれど、 今日も「バーン」という大きな音がして、 茄子の一番太い所が爆発してしまった。
皮が焦げてポロポロと剥がれる良いのだけれど、 時にまだしっかりと火が通っていなかったりすると、 皮と中の身がくっついて、上手く皮を剥ぐことができないことがある。
だから、焼きすぎるくらい焼くと良いように思う。
子どもの頃にはこの焼き茄子の美味しさが全く分からなかった。
父や母が何故美味しそうに食べているのか?
不思議で仕方なかった。
私が、焼き茄子の美味しさを分かるようになったのは、 大人になって、それも年をとってから好きになったような気がする。
焼きたての茄子の皮を「熱い・・・熱い・・・」と言いながら、 時々手を冷水につけながら剥いでいく。
そしてそれを細く手で裂いて、 長さも食べやすい長さにして器に盛り付け その上にしょうがのすりおろしたのをおき、醤油をかけて食べる。
本当に素朴な食べ方だ。
焼き茄子はこうして食べるものだと思っていたが、 他にも一工夫すれば又違った美味しい食べ方があるみたいだ。
例えば、焼いた茄子にやまいものすりおろしたのとオクラの刻んだのを焼き茄子にかける。
そして、それに生姜のすりおろしを乗せ、梅干の身と醤油で食べると とてもさっぱりとして、食欲のない人でもいただけるそうだ。
又フライパンで茄子を半分にしたものを焼き、 それをオリーブオイルにつけると美味しいらしい。
焼き茄子のマリネだそうだ。
シンプルで食べるか、一工夫して食べるか、それは個人の自由。
私はどちらかというと、昔からある生姜を醤油をかけたままの食べ方の方が 好きだ。
昨夜はこの焼き茄子で少しご飯を美味しく食べることができた。
今、私の横で娘がネイルカラーをしている。
娘は今中学二年 14歳。
昔と時代が違うから、爪におしゃれをすることがいけないとは思わない。
夏はサンダルを履いた素足の爪に綺麗な色を塗って楽しむのも良い。
娘は自分が着ている服の色に合わせて爪に塗る色を決めていると言う。
いつの間にこんなお洒落心を持つようになったのだろう?
ついこの間まで私と一緒にお風呂に入り洗髪してやっていたのが嘘のようだ。
子供は親の知らない間に色んな意味で成長するのだなあ・・・と感無量。
ところで、私は手がとても綺麗とは言えない手をしている。
冬になると荒れがひどくて指先が割れて痛くてたまらなくなる。
今は夏だからまだましだけれど、 娘が塗っているのを横目でちらっと見ながら ふと自分の手を見てみた。
すると、指の関節の節が太く、 指のサイズはとても小さくて細いのだけれど お世辞にも綺麗な手とは言えない。
娘の手はまるで白魚のような指をしている。
これは家で何も手伝いをしない手だということを表している。
如何に何もしていないか?が一目瞭然だ。
勿論このように綺麗な指でピアノを弾いていると様になる。
私のように節くれだった指で弾くのとは雲泥の差だ。
娘のように綺麗な指にはネイルが良く似合う。
でも、私が爪に綺麗にアートしても笑われそうだ。
アートするほど爪の大きさもない。
爪を伸ばすのが大嫌いな私は短く切りそろえているから。
ネイルは絶対に似合わない。
爪でその人の健康状態がわかると聞くがあれは本当だろうか?
三日月が出ていないといけない。
縦に筋が入っているのはいけない。
否、横に筋が入っているのはどこかが悪いのだ・・・ と言うような話を聞く。
これらの話が本当かどうかは分からないけれど、 色が白っぽいのは貧血だと言う話は信じることができる。
娘が生まれたときに手の指先の爪の色の綺麗だったこと!
まるで桜の花びらのようなピンク色をしていた。
あの時の感動は今も私の心に残っている。
あの綺麗な爪を持っているのに、今横でネイルしているのを見て驚いた。
娘の両の手の10本の指の先は真っ黒に塗られていた。
「ガ〜〜〜ン!!」
でも文句を言うのは止めよう。
これもファッションなのだろうから。
「時代が変わったのだ。」とつくづく思う。
私は今人の気持が分からなくなりそうだ。
人の気持はその人が置かれている環境や状況で変わるものなのだろうか?
つい数ヶ月前まではお互いに気持も通じていて、 話していても楽しくとても良い関係だった。
でも、その人が忙しくなり心に余裕がなくなったのかもしれないが、 最近はとても関係がギクシャクしている。
人は自分と同じ考えではないということは、 今までの苦い経験から分かっているつもりだった。
だから、決して私一人の思い込みで言っているのではない。
多分、今の私の気持をその人に話したら、頷いてその通りだと言うだろう。
でも、その返事を聞きたくないので私ははっきりしないまま、 グレー色の状態のままで居る。
私は元来、白か黒かの二つの選択しかしない性格だから、 今のようにとても曖昧でぼやけている状況は辛い。
どういう結果になろうとも、白黒をつけたいと思っていた。
人は私とは違う。
違っていて当然だと思う。
でも、反対に前のように私にとってはとても楽で気持の良い状態へ戻りたいと思う気持があるのも事実だ。
さあ、どうすれば良いのだろうか?
疑問符ばかりで回答が出てこない。
人の気持なんて皆そんなものなのかもしれないな。
数学の試験のように解答は一つしかないというわけにもいかないだろう。
このままあやふやな状態で居ることの方は結果的に見れば私は幸せなのかも しれない。
白黒をはっきりさせて、もしも私が想像している通りになったとしたら 又落ち込むかも知れない自分が想像できるから。
もう少し時間をおいてみようか?
時は有り難いものだから。
その人の気持も、私の気持も時間が経てば変わって行き、 今こうして悩んでいる私を笑えるときがくるかもしれない。
人の気持は私の思うようにはならないことだけは覚えておきたい。
又私の悪い癖が出そう。
しんどくて、しんどくて・・・ ものを言うのも大儀なくらい疲れている。
体の疲れは心の疲れ。
いつもそうなのだ。
私の体が元気な時は、心も元気で外へ、外へと向く。
夏の暑さにやられたのかな?
胃の具合が悪くて、又食べられなくなっているからかな?
ちょっと体重が増えてきて良かったと思っていたら、こうなるのだ。
この暑さだから、皆同じように食欲は落ちると思うけれど、 私は極端だから一日に一食もまともに食べることができなくなるのだ。
昨日は朝パン一枚とヨーグルトを少々。
昼はソフトクリームを一つ。
夜はご飯を本当に一口とお漬物とスイカ一切れ。
一日に摂ったカロリーはどのくらいなのだろう?
これなら素麺をゆがいて食べた方が良かったかもしれない。
でもこのしんどい時にはお湯を沸かして素麺を湯がいて・・・という手間が嫌になるのだ。
だから冷蔵庫の中にある直ぐに口にできるもの、 例えばヨーグルト、アイスクリーム、牛乳、ゼリー、果物・・・などを食べるのがやっと。
今月の中旬過ぎには予定していることがいっぱいあるから、 それまでには元気にならなくちゃ!!
夏の思い出を作らなきゃ!
誰のためでもない、自分自身のために。
残りの人生を私が私らしく生きていくことができるように、 楽しく人生を終えることができるように。
同じ過ちは犯したくない。
失敗を恐れてはいない。
でも、この年になってあの若い頃に経験した苦い思いを再び味わうのは辛い。
無責任だと思われても良い。
もう人のために生きるのはやめよう。
私が幸せなら家族も幸せに違いない。
私は家の中で太陽にならなくちゃ。
笑顔、笑顔、笑顔を忘れないで!!
何と言っても私は母親なのだから。
私の家の駐車場の隣のマンションの入り口に、 このマンションの管理者が植えた オシロイバナが今咲き乱れている。
色は濃いピンク、白色、黄色と様々だ。
このオシロイバナを見るたびに、昔遊んだ小さい頃のことを思い出す。
今からもう40年以上も前のことだから、 記憶ははっきりせず、 まるでセピア色になった写真を見ているような、 そんな記憶しかない。
女の子はよくままごと遊びをする。
自分たちの周りにあるものを取ってきて、 ご飯を作る「ごっこ遊び」をしたものだ。
この「オシロイバナ」の花が咲いた後にできる黒い種子を割ると 中からおしろいのような白い粉が詰まっていて、 それを手や足に塗って遊んだものだ。
子どもの頃の懐かしい夏の日の思い出だ。
オシロイバナの英名は「Four o’clock」と言うそうだ。
オシロイバナは、夏の夕方4じ頃に花開くのでこの英名がついたらしい。
別名は「ゆうげしょう」という。
漢字で書くと「夕化粧」と書く。
夕方ほの白く咲くことから付いた名前だ。
色は、赤、白、ピンク、黄色など色々な色の花が咲く。
そして清楚な感じのする花は、まるでゆかた姿の少女のような清純さを呼び起こす。
このオシロイバナを見ていると、昔を思い出し胸が何となく切なくなってくる。
オシロイバナを絵手紙に描こうと思い 隣のフェンス越しに3つほどの花をもらって 水を入れた小さなコップに挿していたのだけれど、 いざ描こうと思った時には、もう枯れていたのには驚いた。
切花には向かない花なのだとわかった。
今年はまだ描いていないので、 上手く花が開いて居る時を見つけて描いてみようと思っている。
オシロイバナは押し花には良いのかもしれない。
押し花にして額に飾っていたのを見たことがある。
夏の日の私の思い出の胸の中に、今もオシロイバナは咲いている。
スカーレット
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