スカーレットの心のつぶやき
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2003年07月31日(木) 全国「かまぼこ板の絵」展覧会

今年もあの、全国「かまぼこ板の絵」展覧会が始まった。

今年で第9回目のかまぼこ板の絵展だ。

全国、否、世界中から、愛媛県のあの山の町城川町に
ぞくぞくと集まってきたかまぼこ板の絵、
総数13007点にものぼるそうだ。

私も今年もまた作品を送って展示してもらっている。

スタッフの方から丁寧なお手紙と招待券が届いた。

毎年スタッフの浅野さんの書かれた手紙に心打たれる。

ここに引用させてもらう。



ハーイ、お待たせいたしました。

「かまぼこ板の絵」の季節です。

――――――プロローグは蛍の乱舞・・・
「東京のネオンより100倍きれい!!」・・・
だと思ったほどです。

ホタルブクロの花と宵待ち草が拍手をおくっていました。

お元気ですか?

先日はかまぼこ板のステキな作品を送っていただき、ありがとうございました。

あなたの作品はただいま、全国各地からやってきた
13007点の作品たちと
お国自慢もにぎやかに、展覧会の準備をしています。

・ ・・・てんこ盛りの作品に添えられた、たくさんのお手紙。

ホスピスで末期がんと戦いながら、ふるさとを描いてくださった井岡延国さん(横浜在住)からは
「――――――作品を描いている間は楽しくて、充実した毎日でした。私も仲間にいれていただければ幸せです。」と。

絶対に見てほしい作品です。

合併を目の前に控え、「城川町」としては最後の展覧会。

第9回全国「かまぼこ板の絵」展覧会は7月20日(日)から11月24日(月)までです。

ご招待券を同封してあなたに会える日を待っています。お元気で!


以上がその手紙だ。

昨年は私は3回訪れた。

この「ギャラリーしろかわ」に入るとほっとする。

スタッフの皆さんのやさしいお出迎えにあって、
遠く時間をかけてきた疲れもふっとぶことは間違いない。

どうかこの日記を読んでくれた方で、
見に行きたいと思われた方は是非見に行ってください。

きっと心が癒されるでしょう。

生きる勇気がわいてくるはずです。

「こころの天使」さんが今年もあなたにステキな感動をくれると思いますよ。



















2003年07月30日(水)

虹が見たい・・・とふと思った。

理由は分からない。

でも見たい、無性に見たくなった。

昔、私が子どもの頃には良く見てた。

雨が上がると東の空に虹がかかっていた。

綺麗で、まるで夢を見ているようだった。

虹がどうしてできるのか知らないころだったから、本当に不思議だった。

あの7色の色が何故違って見えるのか?

もしかしてあの虹は空にかかる橋なのかもしれないと思っていた。

今では虹を見ることはめったにない。

何故だろう?

やはり今の地球環境が影響しているのだろうか?

まるでおとぎの国に行ったような幻想的な虹が見たい。

それにしても、自然って凄いな。

虹は人工的に作られたものじゃないのに、あんなに綺麗な7色になっている。

昔、昔、大昔、母に聞いたことがあった。

「あの虹を歩いて行ったら何処へ行くの?」と。

あの時、母はなんて返事をしてくれたのだろう?

今思うと、子供の夢を壊すような返事ができないから、困っただろうな。

きっと返事できなかったのだと思う。

理屈じゃないもの・・・

あれは夢の世界だもの・・・

絵手紙に空にかかる虹を描いて、「心の虹をかけよう」と添えた。

今の世の中は殺伐とした事件が多い。

人と人との関係も昔比べたら、とてもシビアになっている。

もっとゆったりとした時間の中で、
相手のことを思いやる気持を持ちたいものだ。

人の心はこちら次第で変わるはず。

いくらきつい言葉しか言えない人でも、
こちらが真心で接しているときっと分かってくれるときがあると思う。

皆がイライラした気持を捨てて、
空にかかる虹を見て心がほっとした優しい心になってくれたら
どんなに良いだろうか。

本物の虹は見えなくても、目を瞑ったら私には見える。

心に虹をかけたいものだ。











2003年07月29日(火) 夏祭り

今年は梅雨明けが遅く、関東以北はまだみたい。

そして気温も上がらず冷夏のようだ。

私は暑いのが苦手なので今年のように冷夏は嬉しい。

でも、お米はやや不作になりそうだとか。

お米作りは水と夏の暑さが条件だそうだ。

東北地方の人たちはさぞ心配なことだろう。

今はお百姓さんたちの仕事の労いのために始まった夏祭りの時期だ。

秋には収穫を祝って色んなところでお祭りが催されるが、
夏に行われる夏祭りもある。

私が住むところでも昨日と今日が夏祭り「住吉祭り」だ。

昨日は踊りの連が出てその踊りが競われた。

又小中学校の金管パレードもあった。

子供たちはこのために夏休みに入っても一生懸命練習をしていたようだ。

踊りはそれぞれの団体、学校のPTA、そして子供たちも踊ることになっている。

浴衣を着て団扇を帯に挟み、賑やかに踊って商店街までパレードをするのだ。

昨年は娘が学校のクラブ活動の一環として踊りに参加した。

着物は七五三以来着た事がなかったし、
いつもGパンで動きやすい格好をしているので、
浴衣を着ての踊りは大変そうだった。

今年は踊らないけれど、夜市も出るので友達と一緒に行くことになっているらしい。

まだ娘が小さかった頃は夫と3人一緒に夜市へ行っていた。

今は親と行くのは嫌で、友人たちと行くのが良いのだろう。

私は楽にはなったが少し寂しい気もする。

今日は花火大会がある。

毎年海岸から打ち上げられる花火を
昔は二階から見ることができていたが
今は高いアパートや家々の屋根でさえぎられて
見えなくなったと母は言っている。

今日の花火大会も娘は友人と行くらしい。

去年は花火の終わる頃に夫と二人で見に行った。


今年はどうしよう・・・

行かないと思っていてもあのど〜んという音を聞くと、
居ても立ってもいられなくなるだろうな・・

そしてきっと見に行くだろうと思う。

夏の空を彩る花火は本当に素晴らしい。

あの花火を作る花火師たちの苦労を思うと
只綺麗!と歓声を上げているばかりでは悪い気もする。

花火を見ていると私は感無量で涙さえ出てくるのだ。

お天気が今ひとつなのだけれど、今日の花火大会は大丈夫だろうか?








2003年07月28日(月) 夏休み

梅雨が明けた。


例年より遅い梅雨明けだ。
暑中見舞いの絵手紙を出したくて待っていたのに
いざ明けると「明けない方が良かった・・・」なんて文句を言っている私。

梅雨明けより少し早く、娘が夏休みに入った。

長い長い夏休みだ。

正直言って、ちょっと憂鬱。

夫は仕事、娘は学校。

昼の時間は私のもの。

そんな日常の生活がどーんと崩れてしまった。

いつもなら、朝8時には全ての用事を済ませて、
家の中も綺麗になっている。

それからがマイタイム。

夕方までは何でも自由な嬉しい時間。

この時間があるから、日ごろのしんどさも消えている。

でも、この一週間は私のペースが崩れてしまった。

去年は部活があったから朝8時には家を出ていた。

小学生の時はあのラジオ体操のお陰で
早起きしていたので良かったが、
今年はどうなることだろう?と心配していた通りになってしまった。

朝、起きる時間を約束していたのに、守らない。

何度も起こしに行っては、私のイライラは堪るばかり。

暑いと朝寝はできないと思うのに、予想に反して寝ている。

今朝も、梅雨が明けたので大きなものの洗濯をしようと思い、
起こしたが「後3分・・・後10分・・・」の繰り返し。

結局起きたのは9時を過ぎていた。

毎日を規則正しく送るって大事なことだと思っているのだが
もしかして違っていたりして。

心の思うまま、脳の感じるままにしておいたら、
一日が半日しかなくなるよ。

やっぱり、することは先に済ませて、
後でしたいことを目いっぱいすればいいのにと思うのは、
私が勝手なのだろうか?

皆はどうしているのだろう?

どうするのが良いのだろう・・・

夏休み大嫌いな駄目母の悩める夏休みが始まった。


2003年07月27日(日) 国語力

娘の通う中学校の二年生は、先日の期末試験で、
国語のできが一番悪かったらしい。

私が中学生の時と違い今の子どもたちは文章の読み取りの力がとても落ちているとも聞く。

その原因は、多分子供たちの読書離れだろう。

子供だけではなく今の大人も本を読まなくなった。

勿論皆がそうではない。

本が大好きで、本屋へ行くとたくさんの人たちが時間を忘れて本を見ている。

又図書館は自分の読みたい本をゆっくりと探すことができるし、
要らないお金を使わずに借りて読むことができる。

利用して多くの本と出合う楽しみを味わっている人も多い。

私は本を読むのが好きだ。

夫も趣味は読書だ。

2人が知り合ったのも本好きのためだし、
図書館司書を目指して勉強したのがきっかけだ。

娘が幼い頃から毎晩寝る前には本を読んでやった。

夜だけでなく暇な時間を見つけては読み聞かせをした。

そのためかどうかは分からないけれど、
娘も本が大好きでいつも読んでいる。

私は情けないことに老眼がきてメガネが必要になった時から
読書力の低下を感じている。

娘のように集中して読むことができないのだ。

情けないけれどこれも年のせいだと諦めている。

本を読むと自然に内容を理解する力がつく。

その力が今の国語のテストに出る文章の読解に繋がっているのだ。

今国語の平均点が低下したのもきっとこの読書力が落ちたためだと思う。

日本語を勉強する国語の力がついていないと、
他のあらゆる分野の勉強をするときにも影響が出てくる。

数学でも、理科でも社会科でも
長い問題が理解できなくて折角能力を持っていても
それを発揮できずに終わる事だってある。

やはり国語の力をつけることは
日本人としてとても大切なことだと思う。

英語の力をつけることが叫ばれている今日だか、
今一度日本語、国語のことを考える必要があるのではないだろうか。

テストの点を上げるということだけが重要なのではない。

日本人として正しい日本語を使えるように、
また正しい読解力をつけるためにも読書をしようと思っている。


2003年07月26日(土) 残念

先日ここに私が今興味を持っている人のことを書いた。

あるサイトで台風の目になっている人のことだ。

彼が何故あのような態度を取り、
何故あの発言ができるのか?

彼の育った環境や親のことが気になって仕方がなかった。

あれから私は毎日あのサイトへ行き、彼の動向を窺っていた。

それがとうとう昨日私にお鉢がまわってきたのだ。

つまり彼とぶつかってしまったということだ。

予感がしていた。

何かが起きると思っていた。

覚悟もできていた。

だから昨日初めて彼からの反応をもらったとき
正直嬉しかった。

ああこれで話ができると喜んだのだ。

私も彼へ言いたいことがあったので
それを全て書き込んだ。

誤解が生んだ偶然の産物だったのだが、
彼は私への決別を書きこんでいた。

私は本当に彼の知識と真面目さと
物怖じしない男らしさと
信念を決して曲げない人柄が好きだった。

今の世の中には珍しい存在だったから。

でも、彼は幼児のような考え方しかできない「可哀想な人」と
思えた。

プライドの塊だった。

もしも彼が、自分が持っている知識や正義感と共に、
人への思いやりや気配り、優しさなどを併せ持った人なら
きっと皆からの信頼を得ることが出来ただろう。

このことが残念でならない。

正義の名の下では何でも許せると思っていることが
私にはとても幼く思えるのだ。

彼の良いところをもっと皆に知ってほしかった。

そして彼にも自分を見つめ直してほしかった。

でも、私の願いは消えた。

何かとても大事なものを無くした時のような喪失感を覚える。

もっと彼のことが知りたかったのかもしれない。


2003年07月25日(金) 飛行機嫌い

私は飛行機が好きではない。

嫌いだ。

だから、なるべく乗らないようにしているが、
どうしても乗らないといけないときはあきらめて乗っている。

来月娘は初めての海外へ旅立つ。

夏休みを利用してのグアムへの海外派遣に参加することになったのだ。

勿論飛行機に乗って。

娘は中学二年生、14歳。

私が生まれて初めて飛行機に乗ったのは、
九州大学付属病院へ入院するときだったから23歳の時だった。

今の子どもは小さい頃から空の旅に慣れているみたいで、
親が居なくても子どもたちだけで旅行をすることさえできる。

本当に子供は飛行機が好きなのだろうか?

それとも嫌いなのだろうか?

娘は私の母や私が飛行機嫌いだということを知っているので
変な先入観を持っていたらどうしよう?と心配していた。

だから今回の海外派遣を嫌がるかと思っていたけれど
そうではなくて行きたいと言っているので安心している。

飛行機が落ちるかもしれないという不安を持ったら絶対に乗れない。

宝くじに当たる確立と飛行機事故が起きる確立はどちらの方が高いのだろう。

こんなことを考えているから、嫌いになり乗れなくなるのだ。

いまどき飛行機が嫌いで乗りたくないと言っていたら
世間では笑われるだろうな・・・

海外へは行けないな。

でも嫌いなものは嫌いだからなるべく乗りたくない。

日本の中の旅行でも飛行機を使えば時間的な余裕ができるので
残りの時間を有効に使うことができる。

同じ東京へ行くのでも、私の住むところから新幹線を利用してくと片道で一日つぶれてしまう。

でも飛行機なら日帰りの旅も可能だ。

ビジネスなら時間との戦いもあるだろうから飛行機に限ると思う。

私のように飛行機を嫌いだからと言っていても始まらない。

でも、私のように仕事で行くのではなく
旅を楽しむためなら多少時間はかかっても
船や列車の旅の方が良い様に思える。

今の時代飛行機を使わず汽車や船の旅をする方が贅沢なのではないだろうか?

もしも二者選択をしないといけないなら、
私は時間がかかっても飛行機の旅を選ばないだろう。

ゆっくりと窓から見える景色を楽しみながらの方が
本当の意味で楽しい旅になるのではないだろうか。

飛行機嫌いはきっと神様がゆっくりと行きなさいと教えてくれたからにちがいない。














2003年07月24日(木) 心のアルバム

最近あるサイトで「心のアルバム」と言う言葉を見た。

その「心のアルバム」という言葉に惹かれて、私も書き込んだ。

その人は

「人は誰もが忘れられない情景や懐かしい映像を心の中に宿していて それを思い出と呼ぶのではないでしょうか
そして思い出は人それぞれで 所詮みんな自分史の一こまだと思いますよ
写真があれば尚更愉しいですが・・・写真に拘らなくてもいいんじゃないでしょうか」

と書き込んでいた。

私も同じ思いだ。

皆心の中に大事にしまっている思い出があると思う。

それが辛く悲しいものだったとしても、月日が経つにつれ良い思い出に変わるはず。

私にも心のアルバムがある。

もう30年前のことだけれど、
私には一生忘れることのできない思い出だ。

こうして思い出に変わったということは、
もう私は過去の辛かった気持から
甘く切ない気持に変わったと言えるのだ。

あの当時青春真っ只中、18歳。
初めて人を愛し、愛された経験は私には大きな意味があった。

あのまま今に続いていたら、
きっと心のアルバムには残っていない一枚の写真なのだろう。

あの辛い別れがあったからこそ、
今こうして私の心の中に良い思い出として残っているのだから。

忘れられない光景や情景を思い出すことができるのも
きっと心のアルバムがあるから。

そしてそのアルバムを懐かしく開いて見ている私が居るから。

これからもその心のアルバムに新しく一ページが増えるかもしれない。

そして、今こうして心のアルバムを紐解いて見ているように、
いつか又同じようにしているのだろうなと思う。

心の中は誰にも見せなくても良いものだ。

そして自由に広げることができる。

だからこそ、ものとして残る写真よりも
思い出という貴重な映像をいつまでも消えることのない
心のアルバムに貼り付けることができる幸せがあるのだと思う。



2003年07月23日(水)

淋しいな。

悲しいな。

何故分かり合えないのかな?

心に壁を作るのは止めようよ。

喧嘩しても良いじゃない?

分かるまで話してみない?

言葉は大事だと思うよ。

誤解してることだってきっとあると思うのに、
ここで2人が話すのを止めたら
もう二度と気持をつなごうとしなくなるのでは?

悲しいことよ。

折角、こうして縁があって知り合い一緒に居ることになったのに。

人は皆違うし違うのが当たり前だし違うのが良いのだと思う。

私なら・・・と思うことはあるけれど、
自分と同じ考え方や生き方をするとは限らない。

人は人。

私は私。

人それぞれの行き方があるし人それぞれの感じ方があるから。

勿論それが同じならお互いに楽だと思う。

でも、これは絶対に無理な話。

だって親子でも違うのに。

夫婦だって絶対に分かり合えることなんてないと思うよ。

でも淋しいね。

悲しいね。

近くに居ても分からないことっていっぱいあるね。

でも私は探りたくないの。

探られたくもないから。

でも、喧嘩してでも話はしたいと思うよ。

話してみない?

喧嘩してみない?

そうすればきっと答えが見つかるよ。

答えが見つからなくてもヒントは見つかると思うよ。

逃げないで、お願いだから逃げないで。

もっと見てみようよ。

良いところも悪いところもあるはず、これはお互い様。

だから寛容な気持も必要よ。

認めて許すって難しいけれど、大事なことだと思うから。

私は時々鏡に向かって言っている。

あなたに言えない言葉を。

今度は思い切って言うね。

でも、逃げないで聞いてよね。

お願い。

心の壁を作らないようにしよう。

もし壁ができてたら二人でぶち壊そう。

トンネルを作ろう。

心と心を結ぶトンネルを。











2003年07月22日(火) 興味

この間から、あるサイトでとても興味のある人に出会った。

興味があるなんて言うと、彼に失礼に当たるかもしれないけれど、
正直言ってとても不思議な人に思えるのだ。

自分のポリシーというか信念というか、
とにかく確固たる信念というものを持った人と思えるのだ。

そのサイトの書き込みの中で私が勝手に彼のことを判断するので、
間違いがあるかもしれない。

でも、彼だけが浮いていると感じるのだ。

どのツリーに行っても自由だし、個人を誹謗中傷しない限り、
何を言っても良いとされている掲示板だ。

私はしばらく行ってなかったので数日前に久しぶりに行き、
第九のことを書き込んだ。

その私の書き込みにも彼の返信があった。

私は彼の返信に対して、別に悪い感情は持たなかった。

書きかたには多少の剣が感じられたけれど
、私のことを批難する文章でもなかったし、
彼の考えやものの見方、感じたままを素直に
書いていると思っただけだった。

私は彼が自分をきちんと持ち、
人に流されず堂々と意見を述べている態度に感心した。

今の世の中は当たらず触らず、
人と上手に関係を保ち生きて行く人が多い中で
彼のような存在は異端児ととられるかもしれない。

でもある意味で彼の存在は貴重な存在だと思える。

頭の良い、しっかりとした人だと思う。

40代の人だから結婚して家庭を持っているかもしれない。

彼の妻はどんな人なのだろう?

彼の家庭は楽しいのだろうか?

なんて一人勝手なことを考えている私。

今の彼が出来上がった過程のことが知りたい。

その背景にあったものが知りたい。

そして彼に聞いてみたい。

「あなたは楽しいですか?
あなたは人を愛せますか?」と。

これほど強烈な印象を私に与えた人は初めてだ。

彼のことがとても興味深いと思うわたしが間違っているのだろうか?














2003年07月21日(月) 親子

本当にこの頃はなにかがおかしい。

いくら考えても変だと思うことが多い。

毎朝新聞を開くたびに思うのだが、
今の世の中の家族のこころの結びつきは
どうなっているのだろうかと。

勿論、昔から家族の中での殺人はあった。

そしてその罪は「尊属殺人」と言われてとても重いものだった。

今親子間は昔と大分違ってきている。

親子間は友人のようになっている。

親は親としても威厳をなくし、
子供は子供として親を敬うと言う気持を忘れている。

昔の封建制度では家の中で一番偉いのは家長、つまり父親だった。

家長の前ではどんな理不尽な理屈も通用していた。

それが戦後社会の価値観がひくりかえるほど変わって以来、
父親の威厳などどこかへ行ってしまった。

家族の中で一番が子供という家庭が多いのではないだろうか?

ご多分に漏れず、我が家もそうだ。

特に私のところは娘が一人だから
一人っ子の特徴である良いところも悪い十ロも持ち合わせている。

確かに兄弟が居ないから、兄弟げんかもない。

早く食べないと兄に食べられるという競争意識もない。

全てが自分のものという意識の下で成長したから
、周りの人にしてもらうのが当たり前になっている。

これは子供の責任ではなく、育てた親、つまり私の責任だ。

夫よりも娘のことを優先してきたツケが今私に返って来てる気がする。

毎日の生活の中で「これは変?」と感じることがいかに多いか!!

家族はお互いが労わりあい、
喜びは笑うことで何倍にもなり、反対に悲しみが
家族が分け合うことによって半分になるはずだ。

先日も母と子供夫婦が保険金狙いで父親を車道に突き飛ばし、
車にひかせて殺したという記事を見た。

いつからこの家族は父親を保険金の代わりとして殺すことを考え、
計画を立てたのだろうか?

父親は全く気がつかなかったのだろうか?

父親はいくら悪くても、父親であることに変りはない。

又母親も同じことだ。

子供もそうだ。

いくら出来の悪い子供であっても、
母親が産み育てたのだからその責任は親にもあると思う。

家庭内暴力に悩む両親が一人娘の首を絞め殺し、
自分たちは飛び降り自殺をしたという話も聞いた。

本当に何かが変だ。

今もう一度皆が自分たち家族のことを思い返し
考えていくことが必要なのではないかと思う。

人の命はかけがえのないものだ。

そのことを家族間で話し、
子供たちに命の尊さを伝えていく必要がある。

親子の間には勿論諍いはあるだろう。

兄弟が多ければ中には気の合わない兄弟も居ると思う。

でも、最後は家族なのだ。

他人は良いときは色々と言ってくれるが悪い時は逃げるのだ。

逃げないのは家族だけだと思っている。

もう少し本気で今の自分たち家族に付いて考え直す必要があるのではないだろうか?






2003年07月20日(日) 病は気から

「病は気から」と言う言葉がある。

病気と言う字からも分かるように、
病気は気持からくるということなのだろう。

つまり人は気持の持ちようで、
病気になったりならなかったりするというわけだ。

私は生まれ持った病気のために、病気に対して平気なところがある。

却って元気な人の方が病気に臆病なところがあるように思う。

昨日、こんなことがあった。

近所のおばあさんと話していたときのことだ。

もう良いお年の人で見かけはお元気そうなので、
「いつもお元気ですね」という話から始まった。

その人は最近目がかすんで見えにくくなったと言っていた。

今から薬局へ行き目薬を買ってくるという。

私はここにも良い眼科があるから、
病院へ行って診て貰ったらどうですか?と言った。

やはり市販の目薬をさすより
ちゃんと専門の医者に診てもらった方が良いと思ったからだ。

でも、その人は病院へ行くと何か病名が付けられるから嫌なのだと言う。

「ふ〜〜ん、そんな考えの人も居るのだなあ・・・」と思った。

考えてみると私もそうだが、
自分の体のことは自分が一番分かると思っている。

勿論ちゃんと医者にかかることが一番良いと思うけれど、
医者嫌いの人が居るということも納得できる。

自分でこのくらいなら医者に行かなくても大丈夫だと
思う時は確かに大丈夫だと思う。

自分で不安に思うときや今の状態が嫌だから治してほしいと思うなら
これは医者にかかることが一番だ。

だから病名をつけられると本当に病人になってしまうから嫌だと言った
そのおばあさんの気持が分かるような気がする。

この人のようにそれで一生を終えることができるなら
こんなにいいことはない。

私の叔父はもう90歳近くになるのだけれど、
今から数年前までは医者にかかることがなかった。

だから保険証を使うことがなくて市から表彰されたということも聞く。

でも、お嫁さんの忠告を聞きこの頃は病院で診てもらって
白内障の手術もしたし風邪も治してもらってるらしい。

だから長生きしているのだとも思える。

自分で自分の体を過信して本当に大事になる場合もある。

病気は嫌なものだけれど、
最近は「無病息災」ではなくて「一病息災」と言われている。

何か一つ病気を持っている人の方が、
確かに自分の体のことを考えるし異常を見つけやすいからだと思う。

おばあさんもやはり薬局の薬ではなくて
病院へ行って診てもらうほうがいいのではないかと思った。

でも私は言えなかった。

このまま元気で居てほしいと願いながら、その場を離れた私だった。









2003年07月19日(土) 老化?


「ああ〜〜嫌だ。」と思うか「まあ・良いか・・」お思うかによって
同じ現象でも見方が変わってくる。

この頃目が本当に遠くなってしまった。

老眼鏡をかけないと、小さい字や針や細かなものが見にくくなってしまった。

この間までは、天気の良い時や明るいライトの下だったら、
メガネをかけなくても見えていたのに・・

PCの所為にはしたくないけれど、
少しは影響があるかもしれないな。

今日もメガネを持って行ってなくて、
病院の待ち時間の間に本を読もうとしたら、字が見えないのだ。

ああ〜〜〜もうメガネなしで読めなくなっている。

髪もそうだ。

5年位前から白髪が気になりだした。

それでも初めはヘヤマニュキアで済んでいた。

それが段々とカラーをしないといけなくなり、
3年前から美容院で毛染めをしてもらうようになった。

母が髪は染めない方がいいよと言っていたので、
私は自然に白髪が出て髪の色が銀色になるのも良いかなって思っていた。

でも実際に白髪が目立つようになってからは、
短い白髪を毛抜きで抜いていた。

これは駄目だという情報を得て、抜くのは止めた。

そしてトリートメントも一緒にしてもらって染めてもらうことにしたのだ。

それでも私はまだ毎月ではなくて
二ヶ月に一度の割合で毛染めをしている。

毎月染めるよりはましかもしれない。

今月の末に行く予定にしているのだが、
今が一番嫌な感じになっている。

端の人は気づかないと思うのだけれど、
自分が鏡を見たときに白髪が立っていると気になって仕方がない。

男性は白髪が出てきてそれがとても
自然な感じになっているととても良いなあと思う。

女性の中にもとても白髪のお洒落をしている人が居て、
そんな人を見ると染めない方が良いかなって思う。

でも、一度染めると途中でなかなか思い切って止めることができないのだ。

だからこうしてお洒落染めという名のもとで、綺麗にしてもらっている。

目も髪も老化しているのだから、きっと脳もそうだろう・・・

目よりも髪の毛よりもこの脳の老化の方が怖い。

最近は何か忘れることが多くなった。

顔は出ているのに、名前が出ないとか。

エッ!私は今何をしようとしたのかとか・

覚えていく端から忘れているのかな?

記憶力の減退を感じるのだ。

だから、こうして毎日文章を書いているのも老化防止の意味がある。

そしてヘタなピアノもそうだ。

指先を動かしていると老化しないかもしれないという薄い希望の元で弾いている。

神様、どうかこれ以上目が見えにくくならないように。

そして頭が老化しないようにお願いね。





2003年07月18日(金) 行動力

誰にでも経験はあるだろう?

思っていても直ぐに行動に移すことができなくて、
迷っているうちに結局行動できずに終わってしまうことが。

そして後で後悔したことが。

私は思いつくと直ぐに行動するタイプだから、
反対にやった後でやらなければ良かったと後悔することの方が多い。

年末に第九を合唱することに決めたと姉に言った時、
姉は「行動力があるね!」と感心していた。

確かに、第九を歌いたいという強い気持があったから、
申し込みをしたのだけれど、今になって少し不安を覚えている。

果たして歌いとおすことができるのか、
途中で練習がきつくて止めたりしないか・・・

もしも、途中で止めたりしたら、
私は行動力がある人ではなくて
単なる「飛びつき屋さん」になってしまう。

初めのあの気持を最後まで持ち続けることができれば良いのだけれど、
それはちょっと分からない気がする。

今までもそうだったから。

私が一番初めに運転免許を取ろうと思ったのは19歳、
大学ニ年の夏休みだった。

当時はまだ免許を取得する人も今のように多くなく、
大学へ車で行く人も数が少なかった。

夏はただえさえ暑くてしんどいのに、
その大学二年の夏休みは、
春に心臓の手術をしてから半年も経っていなかった。

夏休みなので教習所も混んでいて
実技を受けることができなかったので、
初めに学科を全部済ませ、実技に移り、
丁度S字カーブのあたりで根を上げてしまった。

情けなった。

今思うと何故あの時にもう少し頑張ることができなかたのかと思う。

今の私にも言えることがある。

パソコンや絵手紙などは楽しいから
ずっと続けることができているけれど、
ピアノになると難しい箇所で詰まり
そのまま弾くのを止めている。

又自分のことを振り返って小説を書くのだと張り切って始めたものの、
50枚書いたところで止まってしまっている。

結局私は行動力なんてない人間なのだと思う。

年末の第九もまだ練習も始まっていない段階で不安を持っている私だ。

姉が言うように、行動力のある女性はステキだと思う。

私の周りにもそんな女性が居る。

羨んでばかりいては駄目だ。

私が自分やろうと決めたことは最後まで遣り通さなければならないと思う。

偉そうな口をたたいたのだから
誰のためでもなく私自身のために途中で諦めないようにしたい。








2003年07月17日(木) 好きなこと

皆は何をしている時が一番楽しいと感じるのだろうか?

誰でも自分が好きなことをしている時が一番楽しいと感じるはずだ。

好きなことは人によって違うし、
何でこんなことが?と思われることもあるだろう。

でも、それで良い。

皆が同じことを好きだと感じると大変なことになるから。

因みに、夫に尋ねてみた。

「何をしている時が一番良い?何が一番好き?」と。

「寝ること」

そういえば夫は昔からよく寝ている。

寝ているのが好きだから良く寝ていたのだなあ〜〜〜。

私は勿論睡眠時間はとても大切だと思う。

でも、必要以上に寝るのが苦手だ。

7時間睡眠は一番良いと聞いているし、
だらだら寝るのは私の性分には合わない。

今度は娘に聞いてみた。

娘は「好きな俳優の出ている映画やTVを見て居る時と
、ボサノバを聞いているとき」と答えた。

14歳にしては大人びている?かもしれない。

確かに娘の部屋にはいつもボサノバの音楽が流れている。

そして、好きな俳優の写真をネットで見ている。

この俳優は日本人ではなくいつも外国の映画やドラマに出てくる人だ。

同じ家族の中でも好きなことが異なっているから、
休みに一緒に行動することも段々となくなってきている。

娘が小さい頃は3人で色々な所へ遊びに行った。

夫は寝てたかったのだろうが、文句言わずに行ってくれていた。

最近はあまり3人揃って出かけることは少なくなったけれど、
これは仕方のないことかもしれない。

私の好きなことは何だろう?

こうしてPCに向かうこと?

絵手紙を描くこと?

ピアノを弾くこと?

本を読むこと?

車を運転してどこかへ行くこと?

皆好きなことだ。

一つに絞ることはできない。

その日によってしたいことは変わる。

絵手紙を描きたくてたまらなくなるときもあるし、
ピアノを弾きたくてたまらなくなる時もある。

この間の日曜日は一人で過ごす自由な時間があったからピアノを弾いていた。

やはり楽しかった。

時間が直ぐに経った。

好きなことはその人を幸せな気分にしてくれる。

好きなことがあるから人は生きていけるのかもしれない。

どんなことでも良い。

自分がこれが一番好きだと思うことを持とう。

そうすればきっと辛いことも頑張れる。

嫌な事も辛抱できる。

私も好きなことは続けたい。

自分自身の人生を楽しく明るいものにしたいから。





2003年07月16日(水) 親孝行

昔からの言葉に「親孝行したい時に親はなし」という言葉がある。

先日母と行った教会で管長先生がこんな話をしてくれた。

先生のお父上が教祖なのだが、
その教祖に「お前には親孝行の気持があるから、生かせてやろう」
といわれたそうで、その言葉の通り、
戦争の時にも戦地へ行くこともなく終戦になり命拾いをしたこと。

又今年85歳になられるのだけれど、
胃の摘出手術をして、肺炎で危なかったのに
今はこうしてお陰を戴いて、教会の用をさせてもらえているということ。

親は孝行をしてほしくて子供に愛情をかけるのではない。

でも、子供は親に対しては
自分をこうして生み育ててくれたことを感謝しなければならないと。

色んな話の中で、私はうなずくことがいっぱいあった。

私は先天性の心臓病を持ち生まれてきた。

母は今もその責任を感じているらしい。

そんなことはないといくら言っても、
親として子にすまないと思う気持は
完全に消えることはないのかもしれない。

私は本当に両親には心配のかけ通しの人生を歩いてきた。

母の私への無償の愛の前にはどんな愛も存在はできないと思う。

そんな母へ今私がしていることなんて、
到底届くはずのないものである。

でも、私は、母が生きているときに
私のできうる限りのことをしてあげたいと思っている。

経済的なことではない。

母の心の支えになってあげたい。

母が私を産んでよかったと思えるようにしてあげたい。

そして母に、「私をこの世に産んでくれて有難う」と心からお礼を言いたい。

後何年一緒に居られるか分からないけれど、
私が母に「あれをしてあげれば良かった」と
後悔しないように、精一杯の親孝行をしたいと思う。

母にとって私の親孝行は、私が元気で居ることだそうだ。

私は自分の体を大事にして
母に心配をかけないようにしたいと心から思っている。

「親孝行したい時に親はなし」と思わないようにしたいと思う。






2003年07月15日(火) 第九

さ〜〜どうする?

決めたから絶対にやりとうそう。!!

何を?

「第九」の合唱だ。

先日偶然に行った三越のアトリィウムコートに貼ってあった
年末の第九合唱、そして合唱団員募集のポスター。

思わず駆け寄り見入ってしまった。

そして申し込み用紙をもらって帰ったのだ。

実はこの合唱参加には私なりの理由があった

私の友人に第九合唱に参加したことのある人が居るのだ。

その友人から以前に話を聞いたことがあった。

それまでにも私は年末に色々な場所でこの第九合唱が催されていることは知っていた。

でも、「良いなあ・・凄いなあ・・・」くらいの感想しか持っていなかった。

それが友人からの話を聞いてからは是非私も参加したいと思うようになった。

元々歌うのは大好きだし、
学生時代はコーラス部に入ったり
フォークソング愛好会に所属して歌っていた。

結婚してからも所謂ママさんコーラスがしたいと思っていたし、
私の住む市の市民合唱団に入りたいと思ってもいた。

でも子育てで忙しかったり、
夜が練習時間になっていたので、なかなか参加する機会がなかった。

今は娘も中学二年になり手も離れつつあるので、
私が留守をしても大丈夫だろうと思う。

チャンスは向こうから来てくれても
それを自分自身が掴み取ろうとしなければ逃げていく。

今回のことでも迷って足踏みしていたら、
募集人員150名がいっぱいになって
締め切りになるかもしれないと思った。

だから、直ぐに申し込み用紙に記入して提出した。

まだ詳しい練習内容や日程は分からない。

そして練習しても私の体力はついていけなくて
途中で脱落するかもしれない。

まあ、先のことを考えてもどうしようもないので
今は目先のことを思うようにしたい。

メンバーに入れたら一生懸命がんばろう。

他の人の足手まといにならないようにしたいと思う。

きっと感動するだろう・・・

今回が最初で最後だと思って参加を決めたのだけれど
、感動を味わったら病み付きになるかもしれない。

そして毎年参加したいと思うかもしれない。

楽譜はドイツ語で書かれているはず。

私はドイツ語は分からないからその不安がいっぱいある。

カタカナをふらないと駄目だろう。

でも実現するように頑張ろう!

そして「ああ〜参加して本当に良かった」と思えたら本当に幸せだと思う。










2003年07月14日(月) サマータイム

先日の新聞にサマータイムのことが載っていた。

省エネ効果やゆとりある暮らしができるということで、
今年滋賀県が職員の勤務時間を
通常より30分から1時間繰り上げる
「サマータイム」を取り入れる実験を始めたそうだ。

そもそもこの「サマータイム」は
夏の間の日の長い期間に、
時計を1時間進めて昼の時間を長くする制度だ。

欧米を中心に世界約80カ国で実施されているという。

日本では1948年から連合国軍総司令部の支持で実施されたが、
国民の不評を買い、4年で廃止されたと聞く。

母に聞いてみるとそういえばそんなことがあったなあと言っていた。

長くなった時間で余暇を楽しむことができ、
照明や冷房の省エネ対策としても期待されているという。

しかし、この制度には賛否両論があり、
アンケートの結果では反対の人の数が多いようだ。

滋賀県は琵琶湖を持つ県「環境こだわり県」として知事が実施した。

さて職員の反応はどうなるのだろう?

早く仕事を終えその後の時間を有効に使おうというのも一つの目的である。

だから人によれば都合が良く好きなスポーツをして汗を流し、
気分転換を図ることもできるだろう。

でも趣味のあまりない人は長くなった時間を仕事に費やし、
結局労働時間が長くなるだけに終わる人がいるかもしれない。

一概に良い、悪いを言うことはできないが、
もし私ならと考えると賛成派になるような気がする。

元来早起きの私だから朝が30分や1時間早く始まったとしても、
なんら変わりがない。

夫や娘が早起きしてくれると、家事がはかどることは確かだ。

そして夜も早くに片付け物が終わりその後自分自身の時間が増えるから、
本も読めるし嬉しいことだ。

実験した滋賀県の結果がどう出るか注目したいと思っている。






2003年07月13日(日) ふるさと

誰にでも皆ふるさとがある。

「故郷」ではなく敢えて「ふるさと」と言いたい。

「ふるさと」の方がとても懐かしい感じがするから。

東京で生まれ育った人の中には「自分にはふるさとはない」と言う人が居るかもしれない。

でも、それは変だ。

都会で生まれようが田舎で生まれようが、
その人がが生まれ育ったところがその人にとってのふるさとだと思う。

若いときには感じなかったふるさとへの思い、
「郷愁」は年を重ねるに連れて強く感じるようになるという。

どうしてだろう?

きっと年を取っていくうちに自分自身の今まで生きてきた道
を思い返すことが多くなるからだと思う。

子供のときやまだ若くて未来への希望や夢でいっぱいの頃は、
自分が生まれ育った所が一番良いとは思わなかった人も居るだろう。

それが二十歳を過ぎ、50歳、60歳になるにつれて
今まで自分が生きてきた道を思い返し
生まれ育ったふるさとが自分自身の心の原点だと
気づくのではないだろうか?

私は松山で生まれ育った。

結婚して隣の地に来たものの、松山はいつまでも私の故郷だ。

私が子どもの頃はまだ、そこら辺いたるところに
自然が残っていた。

夏になると裏の川で魚をとり、いかだ遊びをした。

そういえば夏休みはいつも川で遊んでいたように思う。

今のようにTVが普及していなかったし、勿論家でゲームなどできは
しなかった。

でも楽しかった。

外で缶けりをしたり、鬼ごっこをしたり家に居ることなんてなかったように思う。

又近くの川には蛍が居た。

毎年夏になると蛍が飛び交うのを見に行ったものだ。

あの頃はまだ川も綺麗な水が流れていたのだなあと思う。

冬になると裏の川が凍りその上を恐る恐る歩いたことがある。

今思うととても危険なことだが、
子どものときにはその固く張った氷の上をこわごわ歩くのがとても楽しかった。
お正月には近くの子達と少し小高くなった所へ行き、一日たこを上げて遊んだ。

本当に自然はまだまだ残っていた。

車も少なく空気も綺麗だった。

こうして私が小さかった頃の育った場所を思い出すとき何故か胸が痛む。

なんとも言えないキュンとなる感じだ。

甘く切なく懐かしい思い出が私の心の中にわいてくる。

「故郷は遠くにありて想うもの」という言葉は
「室生犀星」の詩「小景異情」の冒頭の一節だ。

確かにふるさとを離れ遠くの地で暮らしている人や、
都会の喧騒の中で毎日暮らしている人にとって
ふるさとは遠い存在なのだろう。

私のようにこの地から離れたことのないものでも
こうして昔の子供の頃のことを懐かしく思い出すのだから、
遠くの地に居る人たちのふるさとへの思はもっと深いものだと思う。

一年に何度も帰ることの出来ないふるさとだからこそ思いも強くなるのだろう。

私は文部省唱歌の「故郷」という歌が大好きだ。

あの歌を歌っていると涙が出てくる。

どんな人にでも皆ふるさとはある。

それを懐かしく思う人もあればそうでない人も居るだろう。

でもこれだけは言える。

人は皆「こころのふるさと」を持っているのだと。







2003年07月12日(土) 「これで良いのだ」と思うこと

人は誰でも長い人生を歩いていく途中で
自分自身に納得させていることがないだろうか?

何かを選択しようとする時、
後になってもし失敗や過ちをおかす結果になったとしても、
自分が選んだ道を「これでで良いのだ」と思いたい部分があると思う。

私もそうだ。

別れ道でどちらに行こうかと迷ったとき、
どちらかしか行けないとしたら
その道を選んだことに後悔をしたくはない。

だから選ぶときも「これで良いのだ」と
自分自身の心に言い聞かせている私が居る。

今日私はその選択をしたところだ。

私の心で決めたことだから、
誰のせいにもできない私自身のことだ。

もしかしたら間違っているかもしれない。

しまったと思うかもしれない。

選択した時に時間を戻してほしいと思うかもしれない。

でも、時は待ってくれない。

人は過去に戻ることはできない。

その選択した道がいかに辛く苦しい道であっても、
二度と引き返すことはできないのだ。

その覚悟ができていたから私は自分の心で決めて選んだのだ。

もう済んだことは振り返らないようにしたい。

未練を持つのは嫌だ。

泣きたくなったら泣けば良い。

でも、後悔はしたくない。

私はあの苦しかった20代を生き抜いてきた。

これは動かしがたい事実だ。

だから、もっと私は自分に自信を持っても良いのだと思う。

さあ、もう過去は済んだこと。

後ろばかり見ていては前へは進めない。

もうすぐ梅雨も明けるだろう。

暑い夏がやってくる。

この夏の暑さに負けないように、
そして自分の心に負けないように、元気で過ごそうと思っている。


2003年07月11日(金) 親知らず

「親の心子知らず」という言葉がある。

でも、娘は「私の心がお母さんには分からない」というときがある。

「子の心親知らず」というわけだ。

今日、私は左上の親知らずが痛むので歯医者へ行った。

前にも親知らずのことを書いたときに、
友人は「若いね」と言っていたが
今日、歯医者へ行って同じ言葉を医者から言われた。

思わず笑ってしまった。

親知らずの正式な名前は「大三臼歯」と言うのだそうだ。

母から親知らずには悩まされるよと言われ続けてあの歯は要らないのだと思っていた。

でも実際は親知らずはあれば便利だそうな。

人に寄れば初めから全くない人も居るし、
4本全部生え揃う人も居るとか。

生え方があごの骨の中に入っている人、
変な方向に生える人、色々らしい。

私は少しずつ伸びているようなので、
まだこれからも長く出てくると言われた。

歯茎に無理をして出てきたので、
歯茎を傷めている恐れがあるのでレーザーを当てての治療になった。

しばらく様子をみてから、抜くか抜かないかを決めるそうだ。

私は抜歯になるとちょっと大変になるので、
できれば抜かないで痛みがなくなるようにしてくれると嬉しい。

抜歯になると近くの日赤の口腔外科に行かないといけないらしい。

心臓の大動脈弁の置換手術をしているので、
血液がサラサラ流れるようにする薬を飲んでいる。

だから抜歯の後止血が難しいのだ。

前に抜いた時も大変だった。

親知らずに悩むよと言った母の言葉が正しいみたいだ。

「若い」と喜んでばかり居られない。

親知らずよ、出てくるなら早く出ておいで。

そうでないならいたずらをしないでね。

痛みを起こさないでね。

でないと抜かれるよ!



2003年07月10日(木) 心の闇


昨日長崎の幼児誘拐殺人事件の容疑者が補導され、
警察に事情聴取されたというニュースを知り、愕然となった。

数年前のあの神戸の事件の犯人が中学三年生だったと知ったときには
驚き、何故?という疑問が残ったのだけれど。

今回の事件は容疑者が少年法では逮捕できないほどの
低年齢だったことが大きく取りざたされていた。

私は殺された幼児の親の気持ちはどんなに表現すれば良いのか、
言葉では言い表せない悲しみ、苦しみ、悔恨・・・だと思う。

又容疑者の両親の気持はどんなのだろうと思うと、本当に胸が痛む。

警察署に両親が入ったことや、父親が泣いていたということを聞いた。

その両親の気持を思うとき、
私には想像できないくらいの気持だったろうと思う。

もしかしたら、彼は家でも学校でも普通の目立たない、
良い子だったのかもしれない。

まさか?!

親はきっとそう思っているだろう。

親にも教師にも分からなかった彼の心の中。

何か暗い闇のようなものを感じる。

成績はトップ、大人しくやさしい子だという彼の心の中はどんなのだったのだろう?

彼に罪悪感はあるのだろうか?

殺人、人の命を奪うこと、その意味が分かっていたのか?

命の尊さを知らないのではないか?

幼い子供の命を奪ったことは、
その子供の未来まで奪ったことになる。

少年法に守られて、後数年したら又世の中に出てくるはずだ。

もしかしたらまた同じ犯罪をおかすかもしれない。

今の日本は犯罪をおかしたものを庇護しているように思えて仕方がない。

被害者のプライバシーをもっと大事にしないといけないのではないかと思う。

今回の事件はまだまだ解明されていない部分が多いので、
今私がここで色んなことを言うのはいけないかもしれない。

唯どうしてこのようなことが起きたのか?

彼の心の奥深くに存在していたものを
親や教師は何故気づかなかったのか?

私も中学生の子どもを持つ親として、
考えないといけない問題があるのではないかと思う。

子供の心は親が思うほど単純なものではないのかもしれない。
そう思うと他人事に思えない。

せめて家庭の中で親子間の話をよくして、
自分の子供が今何を考えているか、
何を悩んでいるか、
何を求めているか、
分かっていなければいけないとつくづく思う。


2003年07月09日(水) かまぼこ板の絵展

今年もあの城川町の「かまぼこ板の絵展」が開催される。

私がこの「かまぼこ板の絵展」を初めて見たのは一昨年のことだ。

姉がラジオで、「かまぼこ板の絵展」を主催している
「ギャラリーしろかわ」のスタッフの話を聞き感動して、
ふくろうの絵手紙を出した。

その絵手紙がたくさん集まり
是非にも姉に100枚のふくろうの絵手紙を描いてほしいと
依頼があり姉は「ふくろうのみち子さん」と呼ばれるようになった。

姉のふくろうの絵手紙は本にも載りそれがきっかけで、
私は娘や両親と一緒に城川町にある
「ギャラリーしろかわ」を訪れたのだ。

初めて自分の目で「かまぼこ板の絵展」を見たときの感動は今も忘れることができない。

あの小さな大きさのかまぼこ板、普通なら捨てられるのが本当のかまぼこ板。

そのかまぼこ板の上に、色々な世界が描かれていた。

下は0歳から上は100歳までの人たち、
日本中の人たち、否、世界中の人たちが
小さなキャンバスへ思い思いの絵を描き自分の心を表現しているのだ。

応募したかまぼこ板の絵は全て貼り出されているので、
会場中かまぼこ板の絵で埋め尽くされていた。

一枚一枚見ていくと一日では到底見ることができないので、
大賞作品や入選作品から見て、後はさーっと目を通すことしかできなかった。

でもその一つ一つの作品から作者の思いが伝わってきた。

私はその感動が薄れないうちにと思い
帰ると直ぐにかまぼこ板の絵を描き始めた。

構想は次々に浮かんできたがなにぶん始めてのことなので、
絵の具は何を使えば良いのか、
又下書きはどうするのが良いのか・・

色々と迷い工夫しながら8枚の絵が出来上がった。

昨年は3回足を運びゆっくりと全ての作品を見ることができた。

今年は時間もなく忙しいので止めようかとも思ったが
やはりあの感動をもう一度味わいたいと思い
一生懸命に描いた。

テーマは何にしようか?

迷いながら一枚描けた。

題名は「ハッピーバード」。

青い鳥を描こうと思ったが、色使いの関係で黄色い鳥にした。

昨日その「ギャラリーしろかわ」から案内状と招待状が届いたのだ。

7月20日から11月24日まで開催される。

今年集まった作品の数は13,007点だそうだ。

ホスピスで末期がんと闘いながらふるさとを描いた
井関延国さんから、
「作品を描いている間は楽しくて充実した毎日でした。私も仲間に入れていただければ幸せです・・」とのメッセージが届いているという。

絶対に見てほしい作品だと書かれていたので、見に行ったら最初に井関さんの作品を見ようと思っている。

今年は市町村合併が行われる。

この城川町も例外ではない。

しろかわという名前がなくなる。

だから、今年が「城川町」としては最後の展覧会になる。

今年も絶対に城川町の「こころの天使」に会いに行こうと思うと胸がわくわくしている。







2003年07月08日(火) 分かったこと

私は今年の秋で52歳になる。

この年になってようやく分かりかけたことがある。

それは、私が何故今までのような生き方をしてきたのか?ということだ。

ここで前にも書いたことがあるけれど、
私は人が経験したことのないことをしてきた。

別に法律に違反することや世間の人に迷惑をかけたことではないけれど、
親には心配をいっぱいかけてきた。

私が親になって14年、娘も大きくなり中学生になった。

そして自我の確立の時期、自立の時期真っ只中だ。

だからよく衝突するし、私も悩むことも多い。

でも、子供を育ててみて初めて
私がいかに親に心配をかけてきたかが納得できるようになった。

先日の新聞の記事を見ていて気づいたことがある。

それは私が何故今まで自分を傷つけることばかりをしてきたかということだ。

私が自暴自棄になり死にたいと思い続けていたことが
私の「思春期境界例の心性」に因るものだと気づいたのである。

見捨てられはしないかという不安を持ち、
相手を全面的に信頼して理想化するか、
徹底的にこきおろすかの両極端な対人関係しか持てず、
強烈な感情をぶつけ激しい衝動性を持つという。

そして、その衝動性は摂食障害を引き起こすということも分かった。

何か私の呪縛されたように感じる衝動性がここに起因していたのだと初めて気づいた。

心療内科に入院し治療も受けたけれど、
医師はここまで私にはっきりと説明をしてくれなかった。

ぼんやりと母親との関係に起因するということは知っていたが、
この年になってようやく、
母親に見捨てられたくないから、
幼児期に自立したくとも母の脅威に不安感を持ち、
結局は母の言うとおりにしてきたことの結果だったということが分かったのだ。

母を非難はしたくない。

母は私が先天性の心臓疾患を持ち生まれたことで
他の母親にはない特別の心配があったのだと思うから。

そして私は自立したくても体力的にもできず、
母の庇護の元でなければ生きていけないと自分で思っていたのだから。

こんな私が思春期に大きな心の傷を受け人間不信になったとき、
自分の命を消そうと思ったことは決して逃避ではなく、
非常に不安定な対人関係に対する恐怖と不安のためだたと思う。

そしてその不安が情緒不安定な私を作ったのだと思う。

今も私にはその傾向が残っている。

決して完治していないのだと感じるときがある。

もう死にたいと何度思ったことか!

自傷行為を何度繰り返したことか!

私には母親としての意識や義務感が欠落しているように思うときがある。

誰かを愛していたい、誰かに愛されていたいと思う気持がその表れのような気がする。

いつも誰かに思われていないと不安でたまらないのだ。

情けないなと思う。

もうこれだけ人生を歩いてきたのだから、
もっとまともな考えを持ちたいと思う。

そろそろ卒業したいと思う。

私は今までの私の人生を後悔はしたくない。

あれは今の私になるための遠くても正しい道だったと思いたい。

そしてこんな自分を素直に受け入れて決して自分を嫌いになりたくない。

人を許すくらいの大きな愛を持ちたいと思う。

母として一番大事なことは何か?と自問自答しながら、
残された私の歩く道を歩いていきたいと思う。


2003年07月07日(月) 輝いている人

私の友人に大きな夢を持ち私に語ってくれる人が居る。

あまり会うことはないのだけれど、
たまに会うと必ずその人の夢の話になる。

私はその夢の話を聞くのがとても楽しい。

本当にその人は自分がどうしたいか、
どんな夢を持っているかを一生懸命に話してくれる。

話をしている時のその人の目が輝いている。

饒舌でないから余計に私は惹かれるのだと思う。

口ばかりが達者でペラペラと喋る人よりも、
一言一言考えてかみ締めるように話してくれるその人が好きだ。

その人は本を出したいと考えているらしい。

自分が心の中で温め続けてきたテーマを
もっともっと調べて、フィクションではなく
ノンフィクションを書こうと思っているという。

私も文章を書くのはとても好きだ。

私の場合は同じ書くといっても心の中で思ったことや
頭で考えていることを、唯文字にし、
文章にするのだからずっと容易い。

その人は自分のテーマを書こうとすると、
まず外国の文献を取り寄せる。

次にそれを翻訳する。

そして一つ一つの事実確認をしながら書き進めていくと言う。

私のように自由な時間がいっぱいあるわけではない。

仕事をしながらの執筆活動だ。

朝早く起きて翻訳し書く。

休みの日は一生懸命に書いている。

疲れていても寸暇を惜しんで書いているという。

その書いていることやこれから書きたいと思うことを
私に語ってくれるときのその表情、
身振り手振りで話してくれるその一生懸命さは脱帽だ。

何年かかっても仕上げたいと言っている。

そのためにはアメリカに行き図書館で昔の新聞の記事を調べ、
日本ではできない文献調べをしたいとも言っている。

どうかいつの日にかその人の夢が叶い、
一冊の本が完成することを私は心から祈っている。

私には何もしてあげることはできないけれど、
その人の夢の後押しはできると思う。

もしその人の気持が弱くなって諦めそうになったら、
私が励ましてあげたいと思う。


2003年07月06日(日) 栄養か美味しさか?

昔から「口に美味しいものは体には悪い」と言う言葉を聞いて育った。

確かに美味しくて自分の好きなものばかりを食べていると、
やがて「生活習慣病」(前は成人病と言っていた)になる恐れがある。

食事の時に美味しさで食べるか、
栄養を考えて食べるかで大分違ってくる。

誰でもいくら栄養が良くて体のためになると思っても、
絶対にこれは嫌だと思うものはあると思う。

好き嫌いを言うなと言われて育った人でも、
何か一つくらいは食べられないものがあるかもしれない。

私は食べようと思えば大体は食べることができる。

烏賊、たこ、貝類以外はだけれど。

これらは絶対に食べることができない。

100万円上げると言われても食べたくない。

消化に悪いと思い込んでからずっと今も続いているのだ。

納豆は好き嫌いの差が大きい食べ物だと思う。

関東の人にとっては毎朝の食事には
欠かせない食べ物だと思うけれど、
私達関西人にとってはあの臭い、あのネバネバが大嫌い、
大の苦手だという人が多いと思う。

好き嫌いのない人は良い。

何でも食べますという人が好きだ。

私の両親たちの時代は美味しいものもあまりなく、
戦時中は贅沢も言わず
お腹に入るものなら、何でもご馳走と思えた時代だ。

私の小さい頃はまだ、
今のように物が満ち溢れ贅沢の出来る時代ではなかったので、
食事のことで文句を言うと親に叱られていた。

だから好き嫌いのないようになったのだが、
今の子どもたちは食べたいものは
すぐに手に入り、贅沢をすることもできる。

でも今の子どもたちが将来大人になったとき
体が本当に健康で居られるかどうかが疑問だ。

早くて美味しいインスタントのものや
出来合いのものばかり食べていると、体に良いわけがない。

美味しいものを選んで食べるか、
体のことを考えて栄養を重視するかはその人によってさまざまだと思う。

でも、自分の健康は自分で守るしかない。

口で美味しいものばかり食べるのは何か怖い気もする。


2003年07月05日(土) 大事なもの

私にとって一番大事なものは何だろう?

一番大切にしたいと思っているものは何だろう?

失いたくないものは何だろう?

絶対に手に入れたいと思うものは何だろう?

もし、生きるために必要な空気、水、食べ物以外に
何か一つだけしか持てないとしたら、私は何が欲しいだろう?

何があれば後は要らないと思えるのだろう?

服?

お金?

名誉?

健康?

家?

知識?

本?

宝石?

友人?

夫?

子供?

本当何がほしいのだろう、何が大事だと思うものなのだろう?

私にとって一番大事なものは・・・

ちょっと気障に聞こえるかもしれないけれど、それは「愛」だ。

愛し愛される人さえ居れば他には何も要らない。

心も体も全てが愛しいと思える人、

何も言わなくても心が通じ合う人、

そこに居てくれるだけで安心していられる人、

時間の経つのを忘れて一緒に居られる人。

この間見た映画「タイタニック」のジャックとローズのように、
どんな危機にも信じられる人と一緒に居られたら、
私は他には何も要らない。

信じられる人さえ居れば良い。

愛し愛される人さえ居れば幸せだ。

お金もなくて良い、病気だって良い、家もなくても良い。

私は甘いのだろうか?

ロマンティックすぎるのだろうか?

少女趣味で非現実的なのだろうか?

でも、私は思う。

私の一番大切なものはどんな時でも愛することの出来る人、そして愛だと。


2003年07月04日(金)

あなたは一日のうち何回鏡を見るだろうか?

私は数えたことはないけれど、結構何回も見ているように思う。

朝起きてすぐに鏡台を開いて見る。

寝癖はついてないか?と思いながら見る。

ニコッと笑ってみる。

着替えたら又鏡の前に立つ。

台所へ行って電子レンジに写る顔を見る。

顔を洗うときに洗面台の鏡を見る。

化粧している時は勿論見ている。

車に乗ればルームミラーを覗く。

町を歩くとショウインドウに写る自分の顔を見る。

鏡の置いてある店に入ると必ず見る。

こうして考えてみると相当の回数になるのではないだろうか。

私は決して自分自身の顔に自信があるのではない。

でも鏡を覗くのは好きだ。

鏡をよく見る人ほど老化しないらしい。

自分の顔を見ることによって脳に刺激が行くのだろうか?

それとも何歳になっても自分の顔に気をつけるということが良いことなのだろうか?

顔はこころの鏡だと思う。

気分が爽快な時には顔は自然に微笑んでいる。

反対に気分がすぐれないときは顔も憂鬱そうな感じに違いない。

それほど顔はその人の心を映し出していると言っても過言ではないと思う。

顔のつくりは親からもらったもので、
整形でもしない限り自分の力で変えることはできない。

でも表情は変えることが出来る。

特に女性は化粧によって良いようにも悪いようにも変わる。

昔アメリカ大統領のリンカーンは言った。

「人間は40を越すと、誰でも自分の顔に責任を持たねばならない。」

顔はその人の履歴書だとも言える。

生まれてきてからの生き方が顔に出るといっても過言ではない。

心が卑しいと顔にも表れる。

だから人生に責任と持つのと同じように40歳ともなれば
自分の顔に責任を持たないといけないのだろう。

顔に出るものは正直だと思う。

その人の教養や知識もおのずから出てくるものだ。

顔の作りはよくなくても
経験と努力の積み重ねによって磨きぬかれた顔になることもある。

反対にいくら美人でも白痴美人も居る。

私は自分の顔が好きだ。

決して美人ではないが今の自分の顔を素直に受け入れたいと思っている。

もしお金もいっぱいあったら
この小じわをどうにかしてほしいなんて思うかもしれない。

今巷ではプチ整形が流行しているらしい。

まあそれも良いだろう。

私は思う。

どんな顔であれ、一つとして同じ顔はないのだ。

そりゃ美人に生まれてきたら良かっただろう。

私が小さい頃から参観日に母が来ると必ず言われていたことがある。

「○○さんのお母さんって綺麗ね、全然似てないね」と。

母のことを褒められるのは嬉しかったが、
私が母に似てないと言われると
じゃあ私はどうなんだって言いたかった。

姉は美人だ。

妹の私が言うのだから間違いはない。

派手な顔で目立つ。

作りが大きいということも手伝って目立つ顔をしているのだ。

私は姉に全く似ていない。

ということは私は美人ではないということだ。

私は顔は造作では決らないと思う。

いくら綺麗な人でも愛想がなければ唯冷たい人になってしまう。

美人は3日で飽きるとも言う。

美人でない人の僻みから出た言葉だとは思いたくない。

顔はその人の宝だと思う。

神様から与えられたこの顔に死ぬまで付き合うのだから、
もっと自分で自分の顔を好きになってやらないと
いけないのではないだろうか?

例え、顔が良くなくても正確が良いと顔も良くなってくる。

私は性格美人を目指そうと思っている。

毎日何回も鏡を覗きながら一人でにっこりと笑っている私だ。




2003年07月03日(木) 正義は何処へ

私は自分で正義感の強い人間だと思っている。

公共の場でルールヤマナーが守られていないとき無性に腹が立つ。

だから、口うるさいオバサンだと思われても良い、
いけないことはいけないと言い続けようと思っていた。

朝夕の家の前の道は通学路になっているので
毎日小学生がいっぱい通る。

学校では先生が
「きちんと2列になって歩きましょう。」と言っているはずだ。

行きは集団登校になっているのでまだましだが、
帰りは思い思いに三々五々帰るので、
道幅いっぱい横に並んで歩く子供たちが多い。

車の方が遠慮して通っている。

雨の日は傘を振り回している子もいてとても危険だ。

道端の石を思いっきり蹴っ飛ばしている子も居る。

車に当たってもいけないし子供に当たると危ないし、
私は注意することにしている。

禁煙の場所でタバコを吸っている人を見ると
どうしても許せなくて注意したくなる。

携帯電話を使わないでほしい場所で
平気で話したりメールをしている人を見ると同じ気持になる。

何故皆ルールやマナーを守らないのだろう?

ゴミ捨てもそうだ。

不燃物と燃えるゴミとの分別をしないで出している人が居る。

ちょっとしたことで
周りの人たちに迷惑をかけることなしに暮らすことが出来る。

正義と言うには大げさだけれど、
皆が決りやエチケットを守ったらもっと住みやすい世の中になるはずだ。

今一度皆が考えてみよう。

先日のニュースで知ったことが私の疑問を大きくした。

禁煙の電車の中でタバコをすっている人に注意したら、
その腹いせに注意された人が電車に乗っている人みなに復讐をしたらしい。

私もやはり禁煙の車内で吸っていたら注意すると思う。

母や娘は止めた方が良いと言う。

何故なら仕返しが怖いからだという。

確かにそれはそうだ。

でも皆がそういう気持になってしまうと
この世の中に正義が通用しないことになる。

誰かに注意することのない世の中になることが一番だけれど
今はそれは望めそうもない。

だから、誰かがたとえ犠牲になったとしても
マナーやルールを守らない人を注意し続けることが必要だと思う。

今の日本は正義が通じない世の中になっているのだろうか?

もしそうなら悲しいことだと思う。










2003年07月02日(水) 皆違ってみんな良い


私の好きな金子みすずの詩に「わたしと小鳥とすずと」という詩がある。

  「わたしと小鳥とすずと」

私が両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけれど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんなうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。

初めてこの詩と出会ったとき私の心は震えた。

そうだ!!

そうなんだ!!

皆違って良いんだ、違うのが本当なのだと思った。

私は無理をしてきたから心の病気になったんだ。

もっと自分自身を認めて、皆に遅れている所も全部認めてやれば良かったのだ。

6月の始めにメル友からもらった朝顔の種を5つ蒔いた。

花は好きなくせに世話をするのが苦手な私は、
せっかくもらったこの種を
花が咲くまでちゃんと育てていけるか不安だった。

でも、教えてもらったやり方でやってみた。

しばらくして種から双葉が出てきた。

本当に小さな可愛い双葉だった。

5つ全部出た。

毎日「早く大きくなってね」と声を掛けながら水をやった。

やがて、本葉が出てきて細いつるも伸びてきた。

毎日その様子を写真に撮って日記を書いているメル友に
私のところの朝顔の様子を知らせている。

大きな鉢に植え替えてやり、
棒を立ててつるを巻きつけてやった。

5つのうち2つを母にあげたので、今は3つが成長している。

今日はその3つをまた大きな鉢に一つずつ植え替えてやった。

こうしてタネから育てたことは初めてだ。

毎日少しずつ成長している姿を見ながら
子育ても一緒なのだと思った。

いくら親が急いで大きくなってほしい、
もっと何でも出来てほしいと思っても
子供の成長は親の気持どおりにはならない。

こうして朝顔を育てながらつくづく思う。

同じ種を蒔いたのに、その成長が違うのは何故だろう?

同じ鉢で同じ条件で育てているのに
伸びる速さも葉っぱの大きさも皆違うのだ。

一つは20cm、もう一つは13cm、あとの一つは10cmと
背の高さが違っているのだ。

皆それぞれの成長の仕方をしているのだなと思う。

みすずの詩にもあるように、皆それぞれ違うのだ。

そしてそれぞれ違うことが良いのだ。

人は人、私は私・・・

みんな違って皆良い!

力の弱いもの、体の不自由な者、皆それぞれがそれぞれのやり方で良いのだと思う。

この地球上に存在するもの全て愛しく、
又素晴らしいものなのだということを
改めて思う今日この頃である。








2003年07月01日(火) 携帯メール

今携帯は写真付きが普及している。

メールができるのなんて当たり前。

その携帯メールをしながら
高速道路を運転したバスの運転手が居た。

呆れてものが言えない。

何を考えているのだろう?

運転中は携帯電話を使用してはいけないということにはなっているが、
それを守っている人はあまり居ない。

何気なくルームミラーを覗いてみると
大きなトラックの運転手が携帯で話しながら運転しているのを見かける。

怖いなあ・・・

携帯電話で話していると、
いくら前を見ていても脳は話のために働いているはずだ。

集中力は低下し注意力は減退しているはずだ。

何気なく慣れで運転しているのだ。

勿論事故もなく無事に運転している人の方が多い。

でも道路では何が起こるか分からない。

急な飛び出しや道路の横断もあるだろう。

気持が集中していないととっさの行動がとれなくなる。
判断力も落ちる。

だから携帯電話は絶対によくないと思う。

なのにメールを打ちながらの運転とは
本当に何を考えているのだろう。

今回のことは事故にはならなくて幸いだったけれど、
もし何かあったらどうしただろう。

本当に言語道断である。

私は携帯のメールは苦手だ。

文字が小さくてメガネをかけないと打てない。

若者は見ないでも打てるのかもしれないが、
やはりメールを打っていると神経は携帯へ行っていると思う。

携帯のメールをしながら高速道路の運転をしていたバスの運転者は
今度のことをもっと重要視してほしい。

もし事故になっていたらと思ってほしい。

そしてこれからは絶対にこんなことのないようにしてほしいものだ。


スカーレット