母のタイムスリップ日記
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2012年05月31日(木) あちゃ!


会議に出かけようとした時電話。
受話器を取ろうとした瞬間に切れた。

着信履歴からショート先と判ったので折り返し電話した。
「熱?」「嘔吐?」それとも…と思い巡らしながら。

排泄もあったのに嘔吐があり腹圧で更に排便という事で今も気分が悪そうという事だった。
先日家でおきたのと同じ状態なので 母の様子が想像できた。

嘔吐止めをふくようしているかを確認するとまだということだったので内服薬の服用とそれが駄目なら座薬を…とお願いした。

出かけるのをやめたほうが良いかと迷ったが「様子みてみます」と言われたので託することに決め とっとこ仲間と待ち合わせた場所へと向い電車に乗り込んだ。

こういう時「冷たい娘だな」と思う一方で「この局面は誰がみても同じ」とも思う。
職員も大変だろうと思うし…。

会議は 「生老病死」について介護者の視点で話し合われた。
結論等でないが それぞれの経験談と心持を語り合った。
その後イヴェントの会議。

会議を終えて 仲間とちょこっと食事…と言いながらアルコールなんかも口にしながら情報交換。
これがなかなか面白かった。
仲間と移動中にショート先から電話があった。
今のところ落ち着いていると言う報告と変化があったら電話すると言う報告だった。これでひと安心。

イヴェントの会議を終えた時 介護者の会に通いながら介護者の会のことを研究している院生から出版した本の抜粋と学会で研究発表したという論文のコピーを戴いた。
家に戻ってから読んでみた。
研究者からみた介護者の会の捉え方がよく見えた。

明日は母がショートから帰宅する。
その前に会報発送の作業があるので仲間と落ち合う。
どうか 作業発送まで母が落ち着いて居てくれますように…と勝手な願いを抱いている。





2012年05月30日(水) ワッ!いました!


 月末の作業に加え 通院等もありショート中であってもなかなか厳しい毎日だ。

今朝 通院して予約した方がずっと早いと判った。
前回は 初回で専門外来だったのでほんとに長かった。
次回は 1ヶ月後でよいのでホッ。
診察は予定より早く済み 家に戻れた。

月末の作業は夜に廻して 庭に出て作業。
どくだみが白い花を咲かせている。
いつもは 花が咲くまで放っておかないのだが…。

1番気になっていたのが椿。
先日買い物への道すがら茶毒蛾の幼虫がびっしりついているのを見かけて我が家のことが気になっていた。
山椒の実を取っていたときには見当たらなかったが油断は出来ない。
見上げると「ワッ!!」いましたわ。
殺虫スプレーを取り出してシューッっと。
これで大丈夫かと思うが…。

それからアオキの葉が茂りすぎているので剪定。
咲き終えたさつきを剪定。

今日はここまで。
気が急いて 綺麗に剪定できなかった。
これから少しずつ剪定していこうと思う。
1度に片付けようとする悪いくせがある。
介護同様 できる時に少しずつ取り組んで行くことにした。

夕食の支度をしてひとり夕食。

それから 月末の作業でやっぱりいつもの時間になってしまった。
ほぼ仕上がったが まだ完成ではない。

3泊のショートだと慌しい。
特に予定が組み込まれていると家のことがどんどん後回しになって行く。
作業が遅い言い訳に過ぎないのだが…。

と愚痴で締める今日の日記。


2012年05月29日(火) ショートへ


母をショートステイに送り出した。
昨夜は排便はなかった。
起床時もほんの少量。

朝食は 順調に食べ終えた。
ショート中便秘になると可哀想なので 食後マグラックス200を服用。
その後 排便次第で対応も変わるので目安を薬袋に書き込んで参考にしてもらう。
家での対応とショートでの対応は少し異なるので 状況をみて対応可と記した。

母を送ってから 今日の集まりの書類を準備した。
慌てるとなかなか見つからない。
今日もそうだった。
慌てないために…と先に準備しておいたのだが…。
ようやく見つけて 会場へと向かった。

予算書から名簿整理までが今日の仕事。
結構な時間がかかったがある程度まで下準備を終えた。
あとはこちらが纏めるだけ。

帰路通院してちょこっと治療して貰った。
それとこの所の経過報告をした。
医師が首をかしげながら治療してくださっていたのできちんと報告すべきと思ったのだ。
地域の医師は 大事にしておきたいから。

仕事が溜まってしまった。
ちょっと油断しすぎた。
間に合うのかなぁ。

ショート先からは連絡もないので 特に変わりなく過せているのだろう。


2012年05月28日(月) にわか雨…


 土日は通常家にいる母。
今回は 土曜日にデイにでかけたので 今朝は感覚的に今日もデイがお休みと思ってしまった。
目ざましがなって「もうちょっと大丈夫…」なって思ったり。
そうはいっても 夫の出勤もあるので布団から抜け出した。
いつもより10分程度遅いだけだが それでもその分慌しくなってしまった。

昨夜と言うか夜のトイレ誘導で「大」排出できた。
便秘薬やそれ系の薬は使わない。食物繊維とヨーグルト効果。
これで安心…とゆっくり眠りにつけた。

今朝は 快調で食事も適度な速さで…。
実は 時間短縮のため野菜は 全て刻みにした。
これで 時間に余裕ができて水分もたっぷり摂れてデイへと送り出した。

午後 買い物に出た。
お日様がカンカン照りで日傘をさしてとっとことっとこ。
でも風が強く 日傘がきのこになりそうだった。

地域の農家の市で野菜を購入し スーパー2店舗やらデパートの食品売り場を廻った。
スーパーでレジに並んだら前の人の傘がビッショリ。
「凄い雨でした」とレジの人と話すのを聞いて吃驚。

スーパーの中で過ごした時間なんてほんの10分程度だ。
外に出ると雨は小止みになっていた。
でも相当降ったのだと判った。

洗濯物は取り込んできて良かった。

家に戻ってハッとした。
母のニットのベストが強い風に煽られて2階のベランダから飛んでしまい庭に落ちていた事を思い出した。
みると雨でびしょぬれだった。
間抜けな話だなぁ。
それから更に お粥さんの準備をしておきながらタイマーを入れ忘れたことにも気がついた。
慌ててスイッチオン。夕食まで何とか間に合いそうでホッ。

急いで夕食の支度をして母の帰りを待った。
程なく 元気に母帰宅。
雨の後でよかったよかった。

夕食のお粥さんは 出来たてなのではふぅはふぅ。
あたたかいのは良いけれど 熱すぎたら…入れ歯ごとぽろっと出す事になるのだもの。

食事も順調 食べ終えても落ち着いていた。
抜けてばかりの私だけれど…食事が順調なのは1番大事。
母の踏ん張りに思わず「頑張ってくれてありがとう」と感謝の言葉。
他の人からみると食べる事なんて当たり前の事だ。
でも 良くかんで気をつけて食べてくれるから食後も静かでいられるのだ。

眠そうな母をトイレ誘導して 洗濯物たたみの見守りをして貰った。
「眠い?」と聞いたら頷くので 着替えて就寝とした。
就寝後のトイレ誘導は順調。

明日から母は3泊でショートステイ。


2012年05月27日(日) さくらんぼ…食べられたね


朝までぐっすり眠っていたのでほっとした。
起床は 少しゆっくり目。
食欲もいつも通りで 安定している。
笑い声も出て落ち着いている。

排便が気になるが 適度にガスが出ている。
昼食は ズッキーニとなすと玉葱とソーセージの黒酢との炒め物。
ズッキーニと茄子の皮がかたい様に感じたので皮を剥いた。
豆腐と煮豆とトマトとキャベツの味噌汁。
このところ イモ類とズッキーニと種類を変えながら食物繊維を摂取できるように意識している。

午後は入浴。
お風呂上りは 何をしていても笑って…気分が良さそうだった。

最近 指で何かを挟み口に運ぶ動作が見られる。
お腹が空いているのかとも思うがそうと限ったことでもなさそう。
訪問リハの療法士さんは もっと強く頻繁に出ている人もいますよと言っていたので空腹というよりひとつの症状なのかもしれない。

夕食を作っている時は 静かに待っていていてくれた。
夕食は鰻。
煮魚にするつもりだったが 急に面倒に感じて冷凍室にある鰻に登場願った。野菜は ジャガイモと里芋とインゲンとさつま揚げの煮物。
あとは 豆腐の味噌汁とヨーグルト。

食後も落ち着いており 私達の夕食の席に一緒に過して貰う。
夫が母のために…とさくらんぼを購入してきたので数粒食べて貰った。
毎年 一粒口に入れてどうするか様子をみる。
今年も口の中で種と実を分けて 種を押し出してから良くかんで呑み込んでいた。食べている時も笑顔全開だった。

いつも通りに 就寝できた。
就寝後のトイレ誘導も順調。


2012年05月26日(土)


土曜日のデイのお迎えは9時40分だった。
臨時のデイ利用なので送迎の順序もあるのかもしれない。

いつもより1時間近く遅いので 時間に余裕が出来た。

母は笑顔で迎えの車に乗り込んでお出かけ。

母を送り出して 地域の集まりに出かけた。
2ヶ月に1度の会議だが 土曜日限定のためいつもは他の方にお願いするようになっていた。
でも今回は 皆さん所用があって出られないとの事で急遽出席することになった。

民生委員・自治会長・サロン運営委員・地域包括・社会福祉協議会が主なメンバーだ。
地域のネットワーク作りがねらい。

情報交換と地域作りの工夫等が話題。

今日は その後サロンの交流会が行われた。

サロンのあり方はそれぞれ地域にあわせた活動だ。
地域作りとはいうが 運営に関わる人が少ないのが何処も悩みの種。
運営に関わるのは逃れたいという方が多い。
だから 下手をすると自治会とサロンと老人会に関わっている方もいる。
でも そういう方はそう多くない。

私の関わるサロンは それぞれ取り組みやすい分野を受け持っており代表に負んぶすることはない。
ゆるやかな関係でサロン運営をしている。
サロン交流会は 時間切れ…という感じで肝心な部分は尻切れトンボになってしまったが 一回目としては仕方ないだろう。
今後曜日を替えて開催という事で検討されることになった。

その後 知り合いとちょこっと逢って 家に戻った。
娘が用事があってきたので ちょこっと買い物。

早々に家に戻って母の帰りを待った。
母の顔をみて 娘は自分の住処へと帰って行った。

それから 夕食介助。
いつも通りに食べる事ができた。
今週は5回デイに通った。
後半は 3日連続。さぞかし疲れた事だろうと思ったが 意外に元気で食後だって居眠りもなかった。

食後1時間の休息で就寝とした。
就寝後2時間経過する辺りが1回目のトイレ誘導の目安だ。
でも1時間半経過する辺りからこんこんと弱い咳。
様子をみると上体を起こして咳き込んでいた。
そこでトイレ誘導を早めたら パットは綺麗なまま しっかりと「小」排出。咳の原因が尿意だったのでホッとした。
誤嚥による咳き込みがいつも気になっているのだ。

トイレ誘導後は ぴたっと咳も止まった。


2012年05月25日(金) どう考えるかな?


介護者の会の日だった。
在宅介護は難しく入院中の方の話。
感染症後誤嚥性肺炎でひと月近く点滴だけで過していた。
点滴なので認知症等の薬は中止されていたと言う。

投薬をやめている間意識が大分クリアになっておしゃべりも多くなったと先月聞いていた。
それが今日 時計が読めて 看護士さんの名前を覚えていて冗談を言ったり
結婚記念日が近いのでお母さん好きなもの買って…とか会話が成立していると言う。
食事はソフト食だが 味についても言えるといっていた。

点滴などする前は おしゃべり等できないことも多かったのだ。

母もある程度意志の疎通はできているが 言葉や時間の事は会話できない。
すごい事だと思った。
明日 病院から外に連れ出して外出を試してみると言っていた。

初診から10年近く経過している方だ。

母は 元気にデイに出かけた。
朝 トイレ誘導で「大」の気配もなく出かけたのだが…。
帰宅した時連絡帳をみたら便失禁があったそうだ。
帰宅後もトイレ誘導で「大」排出。
下痢をしてるわけでもないので心配は要らないと思う。
けれど 夕食は抑え目にした。
昨日の夕食の天麩羅とか今朝 冷たいヤクルト等が影響しているのだろうか?

夕食後は すっかり落ち着いて笑顔を見せてくれ 定刻になればあくびを連発して ベッドに移乗したらzzz。

明日は臨時のデイ利用。


2012年05月24日(木) 気分転換で…


昨日は おうち日。
のんびりと過して貰った。
午後は 訪問リハビリでその後入浴。

「大」はコロコロしていてやや少なめ。
1週間前と似ているかと気なった。
ただガスは良く出ているので「大丈夫かも」と安心材料を探していた。

幸い 1日落ち着いており何事もなく朝を迎えた。

今朝は 少し眠そうで椅子に座るとすぐ左傾斜となった。
トイレ誘導時の「大」も少量だったので 朝食後マグラックス200を服用して貰った。
朝食はいつもの量をいつもの速さで食べ終えた。

気持の良いお天気で外に出てデイの車を待った。
デイの車に乗り込んで笑顔で出発。

夕方デイより帰宅。
「今日は 意識がはっきりしていて 良くおしゃべりをして笑っておられました。お散歩も出来ました」と職員より報告を受けた。

直ぐにトイレ誘導し「大」排出。
これでひと安心。
夕食は 南瓜の天麩羅と煮魚とほうれん草のお浸しと大根と人参の煮物とキャベツの味噌汁と大根おろしとヨーグルトとお粥。
大根おろしは 天つゆにトロミをつけたものと混ぜてみた。
夕食が重いと怖いので 種類が多い分量はやや少なめ。

いつもの速度で食べ終えた。
食後は ゆっくりできた。

最近 口腔ケアの時間に口を直ぐ閉じてしまうので時間がかかる。
残歯を歯ブラシでブラッシングして その後舌をスポンジブラシで磨く。
それから絹の布?で頬の内側・歯茎・上あごをブラッシング。
母が嫌がるのは舌のそうじ。
これまでは 口をあけて協力してくれたのだが…。
時間がかかるとはいっても5分程度の違うだけ。
つまりは 協力を得られないことがちょっとしたストレスになっているのだ。でも 母だって嫌な訳があるんだろう。
何故嫌がるか 点検しなくてはいけないんだな。
私のストレス=母のストレスの筈だから。

トイレ誘導後はいつもの通り。
眠いとのことで就寝とした。

トイレ誘導は順調。
噎せもなく眠っている。

今日はお花の展示を見に外出した。
入場券を戴いたが 今日以外見にいける時間がなかったから。
何とか流活花展とは違うフラワー展。
「なるほど なるほど」と楽しめた。
いつも「これならできるかも」と思うのだが 思うだけで一向にできない。

昨日は 家の山椒の実を摘んだもので 実山椒の佃煮を作った。
その後ちりめん山椒も作った。
ちりめんは 柔らかな方を選んだ。
母にもちょこっと食べて貰った。
でもやっぱりソフトちりめんより固めの方が美味しいなぁ。
昨年は 作る気が湧かなくてお休みしたが 今年は復活。



2012年05月22日(火) 気温が定まらない季節


父の弟の奥さんは 母より1歳年下。
認知症もなく 手紙を便箋で5.6枚書いて送ってくれていた。
今年の年賀状は 我が家に届かなかった。
気になって長女さんに2月ごろ電話したら「元気よ。年賀状も書いていたよ」と言っていた。
「でもね『デイに行かない』といって家ですごしているのよね」と言っていた。気遣いのおばなのでデイ利用が苦痛になったのだろう。

今日 思い切って電話をした。
実は叔母 耳が遠くなっていて電話での会話が難しくなってきているのだ。
コール数回後出たおばさん。
こちらが名乗ると「あ はぁちゃん 元気?おかあさんは?お嬢さんは?」と矢継ぎ早に話すのだが…。
今日は違った。
私と確認できるまで 父の名前を言ったり あれこれ関係性を伝えてようやく判って貰えた。
「人から忘れられて行くようで…」といってみたり「孫・ひ孫・玄孫といっぱいで誰がどうかも判らなくて…」といったりで不安そうな声だった。
声もソプラノのいい声だったが ちょっとしゃがれた声だった。

「手紙を書くのも億劫になってね。でも手紙書くよ。はぁさんだったね」と幾度も確認していた。

家の中では 歩行は出来るし1人で食事できるのだから 母よりもずっといい状態なのだが…。
生活の張りと言う点では母の方が良いのかもしれないと思ったりした。

母は デイに行かされている。
それは 母にとってどうなのかとふと思った。

デイに行かない自由もあるが 私によって行かされている格好だ。
デイに行っているから 生活に変化が出る。
私も 少し休息できて母に向き合える。

今年は 何処かで時間を作っておばのところまで出かけてみようと思った。

今日の母は 一応落ち着いている。
デイに出かけて 帰宅して…。
夕食は 夫が少し介助したりして 笑い声も聞かれていた。

就寝後も落ち着いており トイレ誘導も順調。
1日気温が下がっており肌寒い日だった。
母の手足は冷たくて 電気毛布を取り出してあげようかと迷った。
でも 手足をさすって温めて寝てもらった。

明日は暑くなるらしい。
体調管理…留意だなぁ。
母の嘔吐ガ起きた事を知っている知り合いの人が「今 地域の小学校では嘔吐風邪はやっていますよ」と教えてくださった。
若しかして 先日の嘔吐はそれだったのかな?
丁度 流行し出した頃と重なっていた。


2012年05月21日(月) 金環日食


子供だったころ 日食を見たがガラスにすすを塗ったり 黒い下敷きで見た。
最近は ガラスにすすも下敷きも良くないとしきりに注意を促している。
「じゃ 今の私の目は既に壊れてしまっているのだろうか?」と思ったりしていたが 昨日TBSラジオの安住紳一郎の日曜天国で同じ事を言っていた。

「金環日食を見るぞ」という意気込みはなかったが 娘が眼鏡を持って来てくれたので見る環境が整った。

起床した時には薄曇りだったので見えないだろうと思い 朝の支度をしていた。夫が「ベランダからみえるぞ」といったので「条件がよければ見えるのだろう」と判った。

外でワイガヤと声がしたので出てみるとお隣さんがみていた。
声につられて皆さんそれぞれ門前に出て鑑賞。

金環が出来る寸前に出てみることとなった。
月からはみ出てみえる太陽の光りは特に強いように感じた。

母はそれから大急ぎで起床してもらって身支度を整えた。
昨夜 再度お通じがあったので 今朝は安心してトイレ誘導が出来た。

朝食もしっかり摂取できて デイへと送り出した。
今日は ファミレスに出かけるという事だった。
ショート利用等でお休みが多くファミレスへ出かけるのは久しぶりの事だ。
「楽しんできて…」と送り出した。

故郷の仲間の所に出かけるのは取りやめにした。
しなければならないことを思い出したせいもあるが 折角ゆったりしている場所へ慌しくでかけ慌しく帰ってくることが迷惑ではないかと思ったのだ。
友人たちは決してそうは言わないだろうけれど…。

これが 介護の事情をよく知っている人ならまだいいが 今回はそういう人たちだけではないから。
それに自分の身を考えた。
動き回って疲れ果てて帰宅して母の介護はちょっとしんどくなりそうだった。気分転換どころの話じゃない…と思った。

夕方 母が帰宅していつも通りに介護できてホッとした。
帰宅後 お尻をずらしていたのでトイレ誘導し「大」排出。

そして夕食も順調に食べる事が出来た。
友人達にも母にも私にも これでよかったのだなぁと思った。

食後母は眠そうで 1時間休息後就寝。
就寝後のトイレ誘導も順調。

明日は気温が下がる様子。
この時期 着用する物に気を使うなぁ。


2012年05月20日(日) 通じあり


昨夜便秘薬を服用したが夜の間は変わりなし。
今朝も期待してトイレ誘導したが空振り。

朝食後 次の一手策を使うか迷った。
迷った挙句 食べ物で対応する事に決めた。

朝食に繊維の多い野菜を多めに摂取してもらった。

お昼前のトイレ誘導で「大」排出できた。
ちと緩め。
焦って便秘薬を使うことも無かったのかもなぁ。
でもこれでひと安心。
介護者の安心のために…と言うつもりはないが やっぱりそういう事かなぁ。

昼食後 テレビを見てもらったりしてお風呂の準備。
入浴できる状態にしたら少し噎せが出たので ちょこっと横になって貰った。その間にこちらも眠気がさして30分ほど寝てしまった。

かちゃっと音がして目覚めると娘が明日のために眼鏡を運んできてくれたのだった。

朝は 夫が食事介助(途中まで)。夕食は娘が食事介助してくれた。
母は どちらにも笑顔を見せて食べていた。

入浴準備はしたものの 時間的に入浴が難しくなり(就寝時間に影響しそうだった)ので今日は入浴中止とした。

今 ふるさとの学生時代の友人がこちらで会を開いている。
日曜なので欠席としたが 明日ひょっとすると逢えるかもと調整してみた。
「無理はしない」という事で明日次第。


2012年05月19日(土) 家でのんびりと…


今日から嘔吐止めの服用をやめた。
笑い声も響き落ち着いているように見える。

話しかけると直ぐに深く頷いて返事が出来るようになっているので
体調も戻ったと思う。

母の傍にいて新聞を読んだりしているとちょっと怒り気味になる。
「怒ったの?」と聞くと視線を外して横をみる。
立ってみたり大きな声を出したりはしない(出来ない)が怒っていることは間違いない。
「ごめんね。いつも我慢してくれているんだものね」と話しかけると表情が緩んでくるのがわかる。

食欲もある。
今日は 時折咳をする程度だった。昨日よりも少ない。
逆流も心配だが誤嚥ではないかと思ったりもする。
夜間は 咳が止まってきたので軽い逆流かもしれない。

嘔吐の時排出して以来「大」の排出はない。ガスも出てない。
これが少し気になり 夕食後に便秘薬を服用して貰ったがこの時間になっても変化はない。

明日の朝まで様子見だなぁ。
夜間落ち着いているからきっと大丈夫と思うのだが…。

入浴しても気持良さそうだった。

最近手の動きが活発で近くにある物を手にする。
寒い時期には 手を動かす事もなかったので気になっていたが寒くて動かす気にならなかったためだろうか?


2012年05月18日(金) 今日も落ち着いて…


いつも通りに起床して貰った。
起き抜けは 反応が薄く話しかけても殆ど反応がなかった。
トイレ誘導時に足を交互に出したので 嘔吐の心配はないと安堵。

嘔吐の起きそうな時には 殆ど脱力状態で全体重を受け止めることになる。
立位も難しく 便座に座って貰う時は身体全体を使っての介助が必要となってくる。
自分の身体の保護と母の身体の保護と両方同じくらい大事だから。

今回の嘔吐でいよいよポータブルトイレのお世話になるのかなぁと思ったがもう少し先延ばし出来そうだ。

朝食前に用心のため嘔吐止めを服用して貰う。
一旦薬を服用するとやめるタイミングが難しい。
この週末でやめてみようと思う。

食事は順調でいつもの9分目程度の量。
時間は量の少ない分早目に食べ終えた。

デイのバスが来て 今回の経過を説明。
勿論ノートにも記した。
以前「デイに到着して直ぐにノートの確認は難しいので口頭の説明があると助かる」と聞いたのだ。

母笑顔でデイへと出かけた。

夕方デイより戻った。
落ち着いて過せた様子だった。

夕食も順調に食べる事が出来た。
夕食前に嘔吐止め服用。

就寝までいつも通りの介助で…。
夜間も落ち着いて眠っている。


2012年05月17日(木) 落ち着いて来た様


昨夜は あれからぐっすり眠っていた。
今朝 トイレ誘導したら座薬がパットに出ていた。
座薬効果で落ち着いた訳ではなかったのだなぁ。

誘導時の足の運びは重く まだ不調なのだと判った。
食事前 嘔吐止めを服用して貰った。
朝食の介助を始めたが お粥やお汁やお茶を 数口だけであまり美味しそうに食べないので中止し様子をみた。

デイにお休みの連絡をした。

今日は サロンの打ち合わせの日なので母をベッドに寝かせてちょこっと出かけた。
母は 元気はないが時折笑顔を見せてくれており バイタルも問題がないので短時間なら大丈夫と思った。

40分ほどで戻って 起こしてお茶を飲んでもらう。
ゆっくりと200ccほど飲めた。

かかりつけの医師に今の状態を伝えて指示を仰いだ。
お昼 ラコールで対応して様子をみて判断することにした。

昼食前に嘔吐止めを服用して貰って その後昼食。
いつもの4分の1量とラコール200ccとお茶を300cc摂取でき その後も笑顔で過せた。バイタルも問題なし。

通院して水分補給の点滴も必要がないと思ったが念のため通院した。
医師も「普通に過して大丈夫」という事で買い物をして帰宅。

家に戻ると母お腹が空いているようだったのでバナナを食べて貰った。
半分のつもりだったが 1本食べ終えた。お茶も300ccほど摂取できた。

しばらく置いて夕食。
夕食30分前に嘔吐どめを服用。
通常の7分目ほどを1時間かけて食べ終えた。

時折 少し咳き込むのでまだ安定してないのだろう。
口腔ケア後 トイレ誘導して母の部屋へ移動。

洗濯物たたみを見守って貰って定刻より少し遅めに就寝。
寝ても時折少し咳き込む。

1度めのトイレ誘導前も咳き込んでいた。
誘導後 咳も止まった。
あの咳は トイレサインだったのかも知れない。
気持良さそうに眠っているのをみてホッとした。

今回の事で 食事の摂取量に留意しなければならないと思った。


2012年05月16日(水) 認定調査…夜の騒動。


 本日は家で過す日。
「大」の量が少なめなので少し気に掛けながら過した。

食欲は普通。
水分も充分に摂れた。
座位も保たれて快調に見えた。

午後訪問リハビリ。
その後 認定調査を受けた。

訪問調査に見えた方は 24時間の訪問介護を行っている事業所。
一時24時間の訪問介護をやめ 今年から復活と聞いていたが 24時間対応はやめてなくて現在も対応していると言う。
利用者は 8人と言っていた。
ここの事業所は 訪問が同じ人で続けているという事だった。

調査の滑り出しは少しギクシャクしたが 後半はスムースに進んだ。
発症から20年以上を経過していて 名前も年齢もいえなくなっているのに名前を聞く 年齢を聞く。
調査に当たる人は初めてだけれど前回調査の資料も持っているようだし聞く必要があるのかなぁ。
進行した人が急に名前を言ったり年を言ったりできるようになった事例でもあるのだろうか?

調査の間 母はおしゃべりしたり笑ったりしていた。

調査も済んだので 入浴。
気持良さそうに…。

湯上りに晩柑を半分。
バナナを1本。

そして しばらくして夕食。
夕食も順調。
ハンバーグとトマトと南瓜とインゲンの味噌汁。おかゆさん。ヨーグルトたっぷり。
順調に食べ終えた。

口腔ケアを済ませて 母の部屋に移動。
洗濯ものたたみの見守りをして貰い ほぼ定刻に就寝。
直ぐにzzz。

1度めのトイレ誘導は順調。
2度目のトイレ誘導しようと母の所に行くと嘔吐の気配。
汗ビッショリ。検温しても平熱。

透明の液体が出た。
静かに起こして嘔吐の対応の準備をしてトイレ誘導したら…嘔吐が始まった。腹圧がかかって「大」も排出。
トイレに篭っているべきではないと思ったが 夫はzzz。
起こしてもzzz。

仕方ないので 嘔吐が治まるまでトイレに篭っていた。
お腹にアロマオイル。背中にハッカ油を塗った。
それから 数回嘔吐を繰り返した。

やや落ち着いてきたので着替えをして貰った。
動くと再度嘔吐。胆汁が出てきた。

顔を温かなタオルで拭いて ゆっくりと母の部屋へ移動し椅子に座位。
それから更に嘔吐。
錠剤の嘔吐止めを服用して貰ったが程なく嘔吐。
口の中をガーゼに焙じ茶を含ませて拭く。
それでも嘔吐。

しばらく座位をしておさまるまで待った。
宙をみるような視点だったが徐々に落ち着いて来て目力も戻った。
そこでベッド移乗。
嘔吐止めの座薬を挿入。

その後は 静かに眠っている。
ふう〜2時間半…。
母も苦しかった事だろう。

朝刊配達のバイクの音が聞こえた。
眠っても大丈夫かな?
もう少し様子をみて布団に入ろう。


2012年05月15日(火) りきみ過ぎ


朝一番のトイレ誘導で「大」排出。
身支度を整えて朝食。
いつも通りの量をいつも通りの時間内で食べ終えた。

デイへ送るため玄関へと移動したら涙。
職員の顔をみて不安そうにしていたが 乗り込んだら笑顔を見せていた。半分笑って 半分不安そうな表情。

デイから帰宅。
姿勢を保ち疲れている様子はないが いまひとつ表情が冴えない。
トイレ誘導で少し「大」排出。「小」も。
食卓テーブルに移動するとテーブルを軽くトントン叩く。
夕食直前なのでバナナを半分食べて貰った。
それから夕食。
お粥。煮魚。青菜のお浸し。煮豆。白菜の味噌汁。ヨーグルト。お茶。
煮魚なので 骨に気をつけて介助したので1時間かかった。
デザートに晩柑半分を追加した。
全部食べ終えた。

食後静かにしているので 口腔ケア後食器洗いを済ませた。
トイレ誘導後 母の部屋に移動。
足のマッサージをして 立位・座位を繰り返しリハビリ。
少し不安げな様子なのでギュッと抱きしめてみた。
母は 私の背中を撫でてくれた。

不安要因は ショート帰りや気温の変化も影響しているのだろうと思っている。

就寝後は 少し噎せてた。
そりゃ 食後に晩柑半分は多かったのだ。
便秘予防に力みすぎたわ♪
トイレに起こしたら 眠そうだった。


2012年05月14日(月) ショート帰り


 母は 夕方 穏やかな表情でショート先から帰宅した。
特別の変わりもなく過せたとの報告を受けた。

家に入って直ぐトイレ誘導。
「大」排出。
それから 水分補給と晩柑を半分。

そして夕食となった。
ゆっくりといつも通りに食べ終えた。
ハヤシライスと煮豆とトマトサラダと大根の煮物と青菜の味噌汁。
あとヨーグルト。
食後更に水分補給と口腔ケア。

食べ終えても余力があってニコニコしていた。

休息後 トイレ誘導して母の部屋と移った。
そこでもまだ余力があったので洗濯物たたみを見守って貰った。
座位している間 キョトキョトと部屋を見回していた。
話しかけているとどうやら家と認識できないようだった。
母の手を擦りながら ここが家で母の部屋であることを何回か伝えた。

しばらくして眠そうな表情となったので就寝。
今日は まっすぐ仰向けで寝てもらっている。

就寝後のトイレ誘導も順調である。


2012年05月13日(日) 母の日だけれど…。


昨日12日は 早速通院。
電車に揺られて専門の診療をしている所まで。
ちょうど 第二土曜日が専門外来診察の日だったので運が良かった。
どの位待つのかも予測できないので 母の在宅日は出かけられないと思ったから。
待つこと4時間。
「やっぱりショート中でないと無理だな」と思った。

でも近所の診療所で戴いた塗り薬で大分改善されたのでそれでよいのかなとも頭の隅っこで考えていた。

けれど 昨日通院した医師がいうのに「外に症状が出ていなくとも皮膚の中に何時出てもおかしくない状況のものがたくさんあるのですよ」と言われた。難しい病気とはこういうことだったのだ。

病気とは直接関連がない話だが…。
近所の診療所に行った時は私くらいの人が一番若く それ以上の年齢の方が殆どだった。
それが 昨日の診療所は 私より若い人たちでいっぱいだった。
高齢者の姿は見なかった。
医療費も高い訳ではなくて…。
地域差なのか 高齢者は古くからの診療所に出向くという事なのか…。

年齢により 診療所の住み分けが出来ているように感じたりもした。

沢山の薬が処方された。少々面倒だが昨日から真面目に服用している。
次回の受診は 母のショートステイに合わせて貰った。
受付の人に 次回もこんなに待ち時間があるのだろうかと聞いたら 予約が取れているのでこれよりずっと早いという事だった。
昨日 私と同様に初診の人が5.6名はいた。
待合室では 殆どの人がアイポットを使っていた。
パソコン持参の人もいた。

昨夜は 娘が食事を運んでくれて夕食。
自分の食事をおろそかにしていることも見抜かれていて 冷凍のスープストックをたんまり購入してきてくれた。

今日は午前中は生活雑貨の買い物。
午後は 娘の友人が鍼灸院を開業したのでお祝いによらせて戴いた。

母の日なのに 母をショートステイに託してしまったことに少し後ろめたさを感じながら 母と共に歩むために自分の建て直しを計らせて貰った。
何ごともなければ 家の片付けをしていた筈だった。

明日母は帰ってくる。
今 お豆をコトコト煮ている。
一晩置けば きっと豆に味もしみこんで行くだろう。





2012年05月11日(金) なっとく


 今日から母はショートステイ。
で 湿疹が酷くなったので通院した。
ほぼ1年前 同じ症状で通院したが その時の状態では診断も難しかったらしい。

今回の症状でほぼ特定された。
心の隅っこで 母の手当てをしているからではないか…なんて考えていたが違った。…お母さんごめんね…
人に感染する病気ではないと医師からは言われた。

家に戻って処方された薬のことについて調べているうちに病気のことについて触れているサイトがあり読んでみた。
いやはや 酷くなると大変になるみたいだ。
湿疹だけでは収まらないようだ。

この所調子が悪かったのは どうやらこの病気からきている症状かもしれないかと感じた。
時折通院していた全ての科に関連している気配濃厚。
何しろ 他の症状が関係していると思わなかったので 専門の部位の所の症状を伝えただけだったし…。
医師もアレルギーでしょうねと首を傾げていた。

今日も皮膚科なので身体的変化等話はしなかったので医師もそういう事まで話さなかった。

診察を終えて買い物をして家に戻るまでは 薬も少し長めに貰ったしこれでしばらく様子見しようと思った。
けれど そういう訳には行かないなと考えなおした。

気長な治療になりそうだ。
命に関わることはないが 難しい病気のようだわ。

しかしなぁ。病院であれこれと他の症状を話して長い診察時間を取っている人をみて「困ったもんだ」なんて思っていたけれど きちんと伝えなくちゃいけないんだと学んだ1日だった。

明日 早速 専門医のところに通院することにした。


2012年05月10日(木) 気が着けば…


穏やかに起床。
朝の介助を順繰りに。
朝食も順調だったので デイの迎えが来るまでにゆとりが出来た。

キッチンの窓には青空が広がっているので 迎えが来るまで外で待とうと思った。
玄関ドアを開けるとちょっとひんやりしたので玄関で待つことに変更。

母を見送って 急いで朝食。
そして地域のサロンへ出かけた。
今日は ご近所のグループホームの方との交流第1歩目。
近所にグループホームが建って5年経過した。
お散歩する姿や買い物に出る姿は見かけるが 地域密着と言う所ではちょっと停滞気味。
というか 介護に関わっていない人はグループホームがどういうところかも知らないし地域にあるってことも知らない。
施設長と話し合って ようやく地域交流できるまでになった。

サロン開催日に都合がよければ お散歩がてらちょこっと立ち寄って貰うことにした。
施設側からは 施設に来て貰うことも歓迎と。
これから 1歩1歩交流を深めて行くことになる。
施設からデイ利用者やホーム入所者を混合で職員が同行して見えることになった。

サロンが始まって数分経て7人の方が4名の職員と共に見えた。
2.3名の予定と言うことだったので 茶菓が足りなくなるかと思ったが
そこは やりくりで何とか間に合った。
施設側は昼食もあるので1時間ちょっとの交流…。

話してみても普通の人と変わらないし会話もできる。
「ここに来るのは2度目。あの時はすっかりお世話になって…」と話す人もいたのだが サロンに集う人はあまり気にしない。
話に花が咲いて…お互いに楽しいひと時を過せた。

ホームの人が帰られたあと 普通の人と変わらないと感じたという方が多かった。

サロンを終えて 午後は食材購入のため外出。

夕方 母が戻った。快調な様子なので急いで近所の床屋さんに電話をした。
昨日は 待っている人もいて諦めたが 外出帰りにのぞいたら誰もいなかったのでチャンスかも…と思ったのだ。
あれからまだ来客なしのようで 家にあがらずにそのまま床屋さんに向かった。

綺麗さっぱりとして家に戻って おやつに金つば。
食事前だが 美味しいうちに食べさせたかった。

それから夕食。
普通量を食べ終えた。
食べ終えてから少しケフッとして慌てたが…大丈夫だった。
やっぱり食べさせてしまうなぁ。遺憾コトです。

口腔ケアを済ませて洗濯物たたみの見守りをして貰って いつもよりやや遅く就寝。

1度めのトイレ誘導時 私が思い出し笑いをしたら止まらなくなって母もつられて「あははは」と2人一緒に笑ってしまった。
でもベッドに戻ればzzz。
2度目の誘導も覚醒してニコニコ。

気が着けば あれほど重いと感じた歩行介助がすっかり楽になっていた。母の方も調子を戻して寄りかかりも軽くなったし 私も痛みから解放されていた。連休後半は ほんとに酷かったのだ。
何の加減なんだろうな。
ま 良くなったのだから良しとしましょう。


2012年05月09日(水) ホッ!


 いつも通りに起床して貰う。
気になる便通。
今朝も少量のみ。

朝食はいつもの量を食べ終えた。
食後には 便秘薬を3分の1服用して貰った。
その後 晩柑を半分食べて貰った。

座位は保つ事が出来ている。
自分から話す事もなくて静かだが 昨日までの静かとは様子が違い
いたずらっ子が何かしでかす時のような感じで目に力がある。
良い方に向かいそうとホッとした。

けれど便秘薬の効果は 夕食後だった。
それまで トイレ誘導して少量ずつ排出して貰った。
母の方がお腹がゴロゴロしていてもっと辛い状態と思えたが
こちらも 徒労に思えて少し哀しかった。

大変な状態ではないけれど いつもと違う様子の時には 双方がそれぞれつらくなってしまうものだなぁ。

午後 療法士さんが見えてリハビリ。
後半 ケアマネが見えて介護保険の更新の書類を託した。
これまで 更新はこちらでしてきたのだが…。
「更新の手続きがきますね。こちらでやりましょうか?」と先に言われ
何となく「お願いします」となったのだ。
何だかミョウチクリンな気がする。

リハが済んで 立位のリハ 歩行のリハを母の部屋でしてみた。
いつもしていることの延長でたいした事もないのだが。
このころになると母に笑顔が出てきた。
きっと便が下りてきていたのだろう。

おやつは晩柑の残り半分とバナナ。

夕食はいつも通り。
庭の蕗を刈って佃煮を作った。
茎は少量。葉は小鉢で食べて貰った。
豆をコトコト煮たのでそれも小鉢で食べて貰った。
後はロールキャベツ。
キャベツがまだ少し硬くて 仕方なくキャベツを剥いで微塵きりにしてtべて貰った。

口腔ケア後 トイレ誘導。
「踏ん張れぇ」と自分に気合を入れて手当て。
パチパチ「出ました出ました!」パチパチ。

入浴を就寝前に組んで良かったぁ。
洗髪はお休みにして 身体を洗って湯船にゆっくりと浸かって貰った。
湯上り後 お茶で水分補給して 就寝とした。
ベッドに移乗したら直ぐにzzz。

就寝後のトイレ誘導 久しぶりに覚醒して笑顔を見せてくれた。


2012年05月08日(火) 家だから?


昨日の朝 マグラックス200を服用して貰ったがうんともすんともない。
今朝 期待したが出たと言えないほどの量。
そこで 今朝もマグラックス200を服用してもらった。

デイへと送り出した。
「『立ちますよ』と言ったら『はい 判りました』と言ってくれたんですよ」と伝えたら 「ご家族にははっきり話されるのですね」と言われた。
どうも デイではこういうやり取りはないみたいだ。

デイでも言葉が出ると聞いているけれど…やりとりできるのは家だからなのかなぁ。

今日は 夕方デイへ人を連れて行くので帰りは送迎バスは利用しない旨を伝えた。
夕方 デイに着くと廊下にずらりと並んで帰宅待ちの人がいた。

人を案内するだけだったので 直ぐに母を連れて帰宅。
ところが 車椅子のバッテリーを持ってくるのを忘れてしまい(デイでは平らな所での移動なのでバッテリーは付けていない)タクシーを使って家に戻った。
デイの後ろの高台に家がある。
直線距離で500メートルほどだ。そこに道はない。
道を通って家に戻るには どうあっても急勾配の坂を上るので手押しでは無理なのだ。

タクシーの運転手さんは 良く見る顔の方で運転手さんもこちらの顔を見て行く先が判った様だった。
車椅子もパタパタとたたんでくれて助かった。

家に戻ってトイレ誘導。「大」排出。
期待したより少ないが先ずはホッとした。

食欲はあり 結構早目に定量を食べた。
繊維質のものをとおもい 独活のきんぴらを作り それを微塵きりにして食べて貰った。
噎せることもなく食べ終えた。

食後 眠りこそしないがじっと動かなくなって…口腔ケア後トイレ誘導をして母の部屋に移動した。
それでもじっとしていて…下を向いたままあくびを連発。
1時間休息後着替えて就寝とした。

就寝後のトイレ誘導は順調。
眠そうだったが 何とか右左と足を動かしてくれて助かった。



2012年05月07日(月) 落ち着いたような…


3連休最後の6日は 落ち着きを取り戻していた。
でも 食事は控えめにした。

体温・血圧は通常の範囲内。

食事以外には ロールケーキ薄く一切れと美生柑を1個を食べて貰った。
調子が戻りつつあると感じるとついつい食べさせたくなる。
そういう気持ちをセーブしながら1日過した。

母の返事は頷きが多かったがしっかりとした意思表示だった。
発した言葉は トイレ誘導時手当てを終えて「立ちますよ」と
話しかけた時「はい。わかりました。」だ。

入浴・洗髪も夕食前に済ませた。
そうそう 夫が昼前に帰宅したので昼食介助をお願いした。
母は夫をみて ニコニコして介助を受けていた。

今朝 夫は気持ゆっくりの出勤。
母の方が先にテーブルに着いていた。
夫がダイニングルームに入ってくると「いたいた」と笑顔を見せていた。
母の記憶が昨日と繋がっているかは判らないが それでもここに住んでいる人と記憶されているのだろう。

朝食も抑え目。
でも水分だけは多めにした。
少しゆっくり介助していたら送迎の時間が近くなって大急ぎで玄関へ移動した。3連休の後は ちょっと時間の勘が鈍るなぁ。

夕方 デイより帰宅。
トイレ誘導したらズボン下をはいていなかった。
きっと濡れたのだろう。
いつもなら連絡ノートに書いてあるのだが 其の事については記載されていなかった。

トイレ誘導が空振り。
家に戻って「小」排出できたのは 午後10時。
水分摂取少な目だったのだろう。

夕食前 杏仁豆腐を水分補給兼お楽しみとして食べて貰う。
便秘解消も狙っている。

それから夕食。
多めに口に運ぶと時折喉を詰まらせることもあり 少量ずつゆっくり介助。
今は 食事に要する時間がいつもより長くなりつつある。
30分でぺろりと食べ終える事を考えると長いと思うが 1時間までかかっているわけではない。

夕食後 口腔ケアを済ませると急に動きがなくなった。
気分が悪そうではないのだが 反応も薄い感じ。

トイレ誘導を済ませて 母の部屋に移動して洗濯物たたみを見守って貰った。それでもやはり動きがない。座位は保てていた。
そのうちあくびを連発したので眠いのだろうと思い 着替えて就寝して貰った。自分の食事のためにちょっと母の傍を離れた。
しばらくして様子をみたら目をぱっちり開いていた。
「あらまだ起きていたの?」と聞くと「んだ」(そうだ)。
的確な返事が返ってきた。

就寝後のトイレ誘導も順調。


2012年05月05日(土) ありゃ りゃ りゃ!


4月5月と順調に体重が増えて「やったぁ!」と思っていたが 日記には記載していなかった。

休日中日の今朝。
休日モードで起床してもらった。
ベッドから椅子に移乗した時は普段と変わりなかった。
さて1日のスタートだなと思った。

トイレ誘導して「大」「小」排出して手当てを済ませて立って貰うとしたら腰が重い。
おきぬけのせいかなと少し力んで立位介助。
立位できたと思った瞬間 母の膝がカクンと力が抜けた。
慌てて強く支えて体制を立て直した。

それから直ぐに 危ないモード。
嘔吐の気配だ。
ゆっくりながら確実に姿勢を維持し お腹を圧迫しないように介助してテーブルに移動。
座位が出来たのを確認して 大急ぎで嘔吐の手当ての準備。
以前 嘔吐を躊躇うのは洗面器等の準備がないからじゃないかと介護仲間から言われた事を思い出した。
そこで洗面器に新聞を広げて準備した。
けれど 嘔吐を躊躇う母だった。

幾度となく嘔吐を躊躇ったが その後少量の胆汁。
気分は酷く悪そうで呼びかけへの応えも薄い。
姿勢は崩れがち。

アロマオイルとはっか油を使って手当てし 生姜を摩り下ろして焙じ茶に少量たらした。
この時「今日は医者も休みだろうから家で手当てするしかない。最悪水分補給だけでも仕方ない」と覚悟した。

母を見守りながら「今朝の出来事は昨日から前兆があったのだな。気がつかないだけだったな」と思い当たる。

1度めの嘔吐からしばらくして 2度目の嘔吐があった。
これも胆汁少量。

それから 口の中を洗浄液で拭いて様子をみた。
徐々に落ち着いてきたので ほんの数滴焙じ茶を口に運んでみた。
まだ無理なようなので あごにハッカ油を塗った。

そして嘔吐止めを服用して貰った。
座薬にしとけばよかったかと迷ったが口からにした。

嘔吐が起きれば 強く腹圧がかかって出てしまうこともあるし…どっちにしてもおなじことだろうと思ったのだ。

徐々に落ち着いてきたので 朝食を介助した。
水分摂取だけでもいいと決めていたので 食べられたらそれは「もうけもの」なのだ。

起床してから2時間近く経過していた。
おかゆさん7分目。温泉たまご。豆腐の味噌汁。お茶。
食べているうちに次第に落ち着き呑み込む具合も良くなった。
食後も落ち着いていた。

嘔吐の直後の体温は35.5.血圧は 上220下112 脈70。
嘔吐直後はいつもこんな感じ。
しばらく置いて計測すると 上218下92 脈74。体温36.0

食後1時間経過後は 私をみて大きな声で「あらあら」と話した。
頷きもしっかりとしてきた。

それから トイレ誘導すると再度「大」排出。

ショート中の排便が一度だけだったので1日以降はかなり注意してみてきた。
毎日排便があり昨日 ようやく硬い便が排出されたので安心していたのだが…(3日に便秘薬を使用した)。

便秘だったのか 他に理由があるのかは今日の時点では判断できない。

昼食も夕食も何とか通常よりやや少なめの摂取とした。
夕食前 入浴して貰った。
今日は 1日腰が重く身体介助はちょっと苦労した。
夕食前には 嘔吐止めを再度服用これは用心のためだ。

就寝はいつもより2時間近く遅くなったが あくびを連発していたので ベッドに入ると直ぐにzzz。

就寝後のトイレ誘導は順調である。

今日は 私の誕生日。
「お母さん 産んでくれてありがとう」と就寝前にお礼を伝えた。
じっと私をみつめていた母だった。

母の就寝直前に娘がひょこりやってきた。
仕事が入り パタパタしたらしい。
ケーキを食べて また急いで自分の住まいへと帰って行った。
夫は もう1泊すると連絡があった。

ちょっと心配な1日となったが 救急車を呼ぶような事態にもならずに済んでよかった。
強い嘔吐で出血したら…と気になっていたのだ。
 
まだ様子見だ。
落ち着いてくれますように…。

折角増えた体重だけれど 今日の出来事から考えて あまり体重に拘るのはやめようと思った。


2012年05月04日(金) 雨 あめ 


今日から母は3連休。
昨日外出していたので パックの介護食を使って食事としたが どうにも良くなかった。

昔 祖母が「世の物は食べたくない」(お店で買ったものは食べたくない)と言っていたことを思い出していた。
祖母は 祖父が亡くなった後一人暮らしをしてて 冬になると祖母の家から仕事に出ていた時の話だ。
母は仕事をしていたし お嫁さんが行くより孫の方が気が楽だろうという我が家の両親の考えで祖母の家から仕事に出かけていた頃の話だ。
祖母は80歳を越えていて 週に2回ヘルパーさんがきてくれていた。
ご近所の方もいつも気に掛けてくださっていた。
冬は寒いので外出しない方がいいということで祖母の家から仕事に出かけていたのだ。

母は口では何も言わないけれどそういう事だろう。

昨夜「大」排出。
今朝も「大」排出。
排泄関係は順調。

母のおしゃべりは 短いながら多かった。
食事の時「やんだぁ」と数回言われた。
トイレ誘導時や入浴の時に 母に確認するとしっかり頷き意思表示してくれた。誘導時に椅子を後ろに下げるので「後ろに下がるよ」といえば頷いてくれた。うっかり断らずに下げるとビクッとする。
そんな訳で 言葉を掛けると意識するのだなと判る。

就寝後もなにやら 笑いながら寝言を数回発している。
笑い声にこちらも癒されている。

就寝後のトイレ誘導時は 覚醒していて「うふふ」と笑っていた。

今日は 夫は兄の所へお泊り。
同行しないことに申し訳ないと思うが致し方ない。
きっとお墓に立ち寄ると思うので庭に咲いている花を持って行って貰った。

お天気が悪く 洗濯物の暖簾が出来ている。
日中は外に干したが 午後雲行きが怪しくなって急いで取り込んで…。

明日は 良いお天気との予報。
明日は 乾いて欲しいなぁ。


2012年05月03日(木)


PCの機嫌が悪く今日はお休みします。


2012年05月02日(水) うちでのんびり。


休日モードで起床してもらった。
笑い声の響いた昨日とは様変わり 静かな朝だった。

食事が終わって 少し言葉も出るようになったが全体的に静か。
ニコッとはするが 声を立てて笑うことはなかった。

午前中は 水分補給とパール柑を食べて貰った。
ショートから帰ってきて「大」を排出できているのだが量は充分ではない筈。
あれこれと対策を考え実施したが結局就寝前までには間に合わなかった。

午後のトイレ誘導時 私の腕を撫でながら「どうもありがとう」と言った。理解できる言葉は この一度きりだ。
後は チョィ難解な言葉だった。

夕食後入浴。
身体を洗って洗髪して 湯船に浸かって貰った。
入浴前に「お風呂入りますか?」と聞くと嬉しそうな顔で頷き返事してくれた。

あくびが出たので就寝としたが しばらく起きていた。
就寝後のトイレ誘導はばっちり覚醒。
誘導後ベッドに戻ってもしばらく目をパッチリ。

今日は 訪問リハの日で療法士さんが見えた。
居眠りもせずにリハを受けていた。

明日はデイサービス利用の日。
気になるのが便通。
薬を使うか迷う。
起床時の様子を見て判断しようと思う。
最終のトイレ誘導で排出できれば一番良いのだが…。


2012年05月01日(火) 笑い声 響く。


夕方 母はショートステイより帰宅。
おしゃべりも多く 笑い声が響く。

ちょい傷も膝や足指に見られた。
報告を受けたが何時という事は不明。
酷い傷ではないので…心配は無用。
傷よりも足指の疱瘡1歩手前の方が気になる。

ひどくならぬように 家で手当てをした。
薬より油。

ショートの間に用事を片付けた。
まだまだなのだが…ちょこっと前進。

今日は 介護者の会だった。
新しい方が見えた。
まだ 名前も伺っていない。
先日 外出している時携帯がなって問い合わせをしてきた方だ。
地域外の介護者の会に参加してみて場違いな感触があり「ここはどうだろうと」と様子見のため見えたのだ。
その方に必要な資料を準備して差し上げた。
帰り際 また来て見たいです。
「状態が良ければまたきます」と言われ 資料を見て「早速問い合わせしてみます」と話されてた。

会の間中 他の人の話を聞いてメモしておられた。
特にその方に向けての話はしてない。
介護者同志の話に惹かれるものがあったのだと思う。


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