母のタイムスリップ日記
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2011年11月30日(水) |
話し込む はなしこむ。 |
午前中にPC作業ふたつを仕上げることができた。 午後 ケアマネの訪問を受ける。 先日のかかり付けの医師との話と12月のケアプランの再確認をした。
罹り付け医師との話をしてケアマネが方針に理解してくれても現場でどう受け止めてもらえるかは微妙なこと。 あまり追い込むとケアマネも板ばさみになることは想像できる。 家族としては ケアマネにも現場にも想いを伝えて行こうと思う。 ケアマネにも医師の答えとこちらの想いはきちんと伝えた。
夜 会議がありそこに出ている長く訪看の経験のある方にも今の状態を相談してみた。想いを伝える事とひとつの秘策を教えて頂いた。 その時には「なるほど」と思ったけれどそう簡単に解決しないだろうとも感じた。レスパイト入院もベストと言い切ることもできないよとも言われた。 もう少し手探りで先の事を考えて行こうと思う。
嘔吐への対策の知恵も授かったが 実際にはすでに実行している事だった。
母は 無事ショートステイに出かけた。 朝「大」排出できたのでちょこっとホッとしている。 薬は つどつどの対応が出来るようにセットしたが 便秘への対応は酷い状態にならない限りしない方向でとお願いし了解していただいた。 2泊3日のショートなので家に戻ったら家で対応可能なので…。 他にもケアマネとは 介護のことで結構深い話をした。 お互いがお互いの時間を気にしながらだったがそれでも直面している状況について話ができた。
夕方デイから帰って家の中に入り 椅子に座るまで全く気がつかなかったが 母のズボンが朝 着用した物と違っていた。
着替えは持って行っているがそれとも違う。 母の物ではないのだ。 着替えのあることを気がつかない職員だったかなと連絡ノートを見てみるが何も記録されてない。
直ぐにデイサービスに電話した。 フロアの責任者の人は 今日母の担当フロアではなかったので 職員に聞いて折り返し電話しますとの事。 トイレ誘導したら半下ズボンをはいていなかった。 やっぱりトイレで失敗したかなと思った。
母の利用するふたつのデイでは これまでぬれた時には口頭とノートで2重に連絡が入った。
暫くして 職員から連絡が入った。 「入浴時は 1人入浴だったので間違いはしないと思います。濡れたということもないそうです」 ちょっと言葉を失う。 見たこともないズボンをはいて帰っているのは間違いない事なのに 職員に記憶がないって…。 母は1人で着替えなどできないし…。 「あの 下ズボンを着用していたのですがはいていませんが…。 電話の向こうで職員と話していて…。 「今日は 下ズボン着用していなかったそうです」
ふぇっ! 今朝 長いのにしようか半分のにしようかと悩んだ末に半分のにした筈だけれど…私の記憶違い?
狐に化かされた感じだったが「ズボン短いのです」と言ったら 職員もさすがにハッとした様子で 脱衣室で次に入る人と間違ったのかも知れません。ちょっと聞いてみます。また電話します。と一旦電話を切った。
その後 「間違えていたようです。すみませんでした。」と言われ次の時に交換でよいでしょうかと言われた。 そこで一件落着。
母のズボンには名前があるが 間違ってきたのは名前がないので違うことを説明するのが難しい。 幸い 母は背が高いうえに 足が長いので普通の人とはズボン丈が違うのでそれで合点して貰えた。 でも普通 家族は家のものかどうかちゃんと判ると思うのだけれど…。 そうでもないのかな? 現に 母のズボンを着用して帰った家の人は言われるまで気がつかなかったのだろうだから…。
食事の前に ラフランス半分。 その後ゆっくりして夕食。 順調に食べ終えた。
就寝は いつも通り ベットに入るとzzz。 眠る前も 軽い笑い声が聞かれた。 明日から2泊3日のショートステイ。 3日間用事が重なっている。ちとハード。 ほんとは 用事の後休日が欲しいが 母に悪いので我慢。
母と過ごしていて 時折落ち込む時がある。 それは 母のため息の数が多くなる時。
そういう時は 反応が薄い。 反応が薄くてもため息が出てなければそんなに落ち込まない。
おそらく調子が良くないのだろうと思う。 いろいろ聞いてもどうにもならない。 バイタルチェックしても何も問題がない。 調子が悪い時に何処かがある程度特定できればそう落ち込まずそれなりの対応が出来る。
母のことを100パーセント判っている訳でないことを充分承知しているのに何とかできると思ってしまう自分に出会う。 その高慢さに嫌気がさしてくる。
昨日は そんな日だった。
今朝は 冷え込みも弱く穏やかに目覚めた母。 朝のトイレ誘導で「大」排出。 時間との睨めっこだったけれど 何とか大きく遅れずに済んだ。
食事も順調に食べ終え デイの迎えまでゆとりを持てた。 今日も予定の時間から25分遅れ。 「此の頃 送迎時間から遅れていますが 大体これぐらいの時間と思ってよいのでしょうか?」 「そうですね。早目になりそうな時には電話を入れるようにします」 別の職員が「家の中で待ってくださっていて大丈夫ですから」
「はい。送迎の来る5分前に玄関に座ってもらっています。これから寒くなりますので暖房のないところで待つのは少し可哀想かなと思うのですよ」 「そうですね。ここに来る前に〇駅の方を廻っていますので お休みの人がいなければこの時間と考えて頂いて大丈夫です」
という事で 月・木のデイは 9時ごろと理解した。 聞いてすっきりした。 これまでより20分遅くて良いという事だ。
母を送り出してPC作業。 溜まった作業のひとつを完了。 あと2種類の作業と年賀状の作業が残っている。
午後地元の農家の人が開く市に久しぶりに出かけた。 幾度か出かけているが 野菜が殆どなくなってからだった。 今日は おおきな大きな蕪を2個購入した。 はかりで重さを測ったら 1個1キロを越えていてそれがなんと50円だった。
夕方母が帰宅。 右に傾斜するのでトイレ誘導パットが濡れていたので替えた。 それから夕食の支度。 その間 柿を1個食べて貰った。
夕食は順調に食べ終えた。 食後 トイレ誘導して暫く休息後就寝。
就寝後のトイレ誘導も順調。 きょうも熟睡している。眠りの質も良さそうだ。
明け方母の泣く声に飛び起きてトイレ誘導。 気にかけながらだったので「小」のみでホッとした。 ベットに戻るとまたzzz。 夫もゆっくりでいいと言っていたので私もzzz。
気がつけば いつもより少し遅めの時間 急いで支度をして夫を送り出して母の立位介助。 「うふふ」久しぶりの笑い声だ。
順繰りに朝の介助をして朝食。 朝食も順調に食べ終えた。 強い冷え込みは小休止といった感じ。 それでも 足が冷えるだろうと湯たんぽにお湯を入れて母の足元に置いた。そして湯たんぽの上に上履きを履いたまま足を乗せた。 時折みていたが 足は程よく温かだった。
母の隣で朝刊を読んだ。 時折手に触れて 冷たい時には温湿布。
お昼まで 部屋を行ったり来たりの歩行介助。 昨日・今日と腰が重いのだ。少し改善できればと思った。
昼食の介助も順調。食後みかん1個。 食後夕食の下準備をしてコトコト。 煮物で湿度も室温も程よい感じ。
その後入浴介助。 先にトイレ誘導したばかりで 10分も経過していない。 脱衣室で 服を脱いで貰っていたらやられてしまった。 足でパットを床に敷いたが間に合う筈もなくて洪水。 油断禁物だわ。床でよかった。 急いで 床掃除をした。 お風呂の蓋を開けて浴室を温めてて良かったわ。
身体を洗い 洗髪をして湯船に浸かって貰った。 ポカポカと気持良さそうな表情となった。 着替えから髪の毛を乾かすまで40分ほど。 少しゆっくり目だったが 特に変わることなく入浴できた。
お風呂上りには水分補給と大きな柿半分食べて貰った。 どうもお腹が空いた様子で 少し早目に夕食介助。 ゆっくりペースで介助して35分で食べ終えた。
口腔ケアを済ませてゆっくりして貰った。 とても静かなのできになった。 「眠いの?」と聞くと頷く。 洗濯物たたみの見守りをしてもらった後就寝。 今日は 直ぐにzzz。
就寝後も落ち着いており トイレ誘導も順調。
休日モードでの起床。 快調というほどではない。さりとて調子が悪そうでもない。 いつも通りのリズムで朝食介助。
少し寒いので暖房弱で。 家事を済ませて トイレ誘導して「遊びに行くよ」と車椅子に移乗して外出。 行く先は 診療所。 定期通院とインフルエンザの予防接種。 今回の通院では ケアマネとのお約束で嘔吐の件で検査を受けるかの相談もある。
娘としては「検査を受けない」だ。 それは これまでも日記に記した事だが家族として見ている限り緊急性を感じないからだ。 万が一 悪性のものだったとして母の体力を考えてそのままそっとして行こうと思うのだ。 母自身 手術は嫌という姿勢があったし…。
自分の考えはそうだが これまで2回検査を受けて「この検査必要でしょうかね」と担当した医師より言われたことがある。 「認知症だから」という視点からでないと感じた。
医療サイドからはそういう見解。 でも介護サイドだと微妙に違う。 デイサービスやショートステイを利用する上での都合があるので一応相談なのである。
そんな思いで とっとことっとこ車椅子を押す事30分。 今日は 暖かで車椅子に乗っていても寒くはないと言うお天気。 さすがに手は冷たくなるだろうと5本指の皮の手袋をかけてもらう。 皮の内側にはボアが張られている。 指がうまく入るかちょっと心配したが 左手は直ぐに入り右手はちょこっと苦労したけれどちゃんと入った。 車椅子を押しているうちに汗がでて こちらはジャンパーを脱いだ。 それでもほかほか汗が出た。
混雑を避けるため時間をずらしたのだが それでも待合室はいっぱいだった。そこで待つのも嫌だったのでトイレ誘導・買い物等でやり過ごした。
戻ったら程なく順番が来た。 丁度最後から2番目だった。 待合室もからりとしてきた。
予防接種 これまでは「痛い」と言っていたのに今日は針が入っても痛そうな顔もしなかった。 感覚が鈍ってきているのか それともうまい具合に針が入ったのか…。
その後 医師にケアマネから言われている事を伝え判断を仰ぐ。 第一声は「検査を受け容れてくれるところがあると思っているのかね」だった。それから「血を吐いたならまだ考える余地もあるけれど…」と。 そうなのだ過去には 血を吐いたのだ。 それでも 検査の時にそう言われたのだった。
「排泄とストレスの問題でしょう」と。 医師は どうしろとは言わなかったが検査した方が良いとも言わない。 実は もう少し突っ込んだ話は出たがそこはとりあえず書かない。 それでも そこは医師と同じ考え方をしている。
しかしショートやデイ利用する上であったほうが良い薬は処方して頂く。 「どっちにする?」と聞かれて「錠剤で」とお願いした。 嘔吐止めの錠剤と便秘の時の座薬。それといつもの薬1種類。
暫くは この体制で行く。 後は医療体制のある病院を探しておく事だろう。
昼食の時間が過ぎたので 帰りはタクシーを使う。 家に戻って遅い昼食。 しっかり食べられた。 朝 水分を多めに摂取したので 昼食後はゆっくりと水分補給し果物2種。みかんと柿。 みかんは 房のまま口に入れればよく噛んで呑み込める。 安全のため小さなみかんにしてある。
食後は音楽を聴きながら…ゆっくりと過した。
夕食の支度を始めると母はじっと其の様子を見ていた。 夕食もゆっくりながら 一時間もかからず定量を食べ終えた。
その後はいつも通り。 トイレ誘導では「大」排出。 結構ゆっくりとしていたのでいつもより30分以上遅くベットに入った。 ベットに横になっても目はぱっちり開けている。 今日は 入浴は取りやめたのであまり疲れてないのかもしれない。
それから帰宅した夫と夕食。 時々 母の様子を見に行くが目はパッチリ。 時折おしゃべりまで飛び出した。
ベットに入っても眠らず2時間経過 トイレ誘導してベットに戻ってもまだ眠らず。 いやはや 久しぶりに11時を廻ってようやく眠そうな目。 ついさっき 見に行ったらやっと眠っていた。
こうなると体調が気になる。 枕に涎が出ていないか 熱はないかと見ているがそういうことはない。 いつもと違うのだから観察は小まめにしていかないとなぁ。
寒いと覚悟した朝で 冬支度でデイに送ったが…。 日中は結構暖かくなった。 デイは 暖房も入っているだろうとやや控えめの上衣にしたので丁度よかったのかも。 寒さへの耐性も考えたいので 着る物に気を使う日々。 本格的な冬の支度は 来年になってからかな。 コートもそろそろ出しておかないといけないかなぁ。
デイから戻った時「車の揺れと暖房で気持ちよくなったのか寝ています」と職員が伝えてくれた。 が下りた母をみて「トイレだな」と思った。 車椅子から降りて家に入ってもらったら強い前屈 あがりかまちに腰掛けた時にフラッと倒れそうになりヒヤッとした。 トイレ誘導して「大」排出。お腹がきゅるきゅるしていた。
柿を食べたりクッキーを食べたり…其のうち落ち着いてきて夕食。 順調に食べ始めたが 其のうち傾眠しそうな気配。 いっぱい話しかけて 何とか食べ終えた。 「居眠りすると喉につかえるからね。」「気をつけてよ」「頑張ってくれてありがとう」等こちらも必死。
食器を下げている間にこっくりこくり。 ほんの数分で目覚めて 口腔ケア。 口をしっかり開いてくれて無事終了。
何時持通りに移動して ほぼ定時にベットへ移乗。 直ぐにzzz。 トイレ誘導は順調。
2011年11月24日(木) |
双方が美味しければOK |
休日後の朝は 何処か急いたスタートをしてしまう。 8時40分の送迎ということもある。 この送迎時間 最初はきっちりだった。 が 最近はやや遅い。遅れると9時を廻ってしまう。 今朝も9時を廻った。 40分から遅れること30分。 朝のこのズレは 結構大きい。 「これだけ時間があるなら 急いで食事介助しなくとも大丈夫だった」なんて思ったり 暖かい部屋から玄関先へ移動するのももう少しゆっくりでも良かったとか。
介護保険の始まる前には 町内の利用者が集まる場所が決まっていてそこまで歩いて行かなければならなくて雨の中迎えを待った。 それを思えば贅沢な悩みなのだけれど…。
介護している方々は どの位まで送迎の時間差を受け容れているのだろう。「送迎まだですが…」と連絡するのはどの位経過してからなんだろうなぁとふと気になった。
幸い母は元気で送迎の車に乗り込みデイへとおでかけ。 昨日の疲れ等微塵も感じられなかった。
夕方 デイより帰宅した母。 特段の変化もなく穏やかだった。 まづは お茶を飲んでみかんを1個食べて貰って その後トイレ誘導し「大」排出。
ゆっくり夕食の支度をして夕食介助。 大きな口を開けて食べてくれた。 今回 生協の「かれいのみりん漬け」を焼いてみた。 煮魚のカレイもよく食べてくれるけれど…。 骨なし皮なしのカレイは 時たま煮付けにしたりバター焼きにしたりする。 腕がないのかあまり美味しいと思えなくて 最近は店頭で購入することもなくなっていた。 急場しのぎになるかなと前回注文してみた。 これが 案外母に合った。家族も「美味しい」と言っていたし私も美味しいと思った。 母には 出来る限り口の中で停滞しない食材が望ましい。 母にも家族にも良いなら急場しのぎの食材として合格。 スーパーでは買った事がないから何処の物でも良いのかはまだ不明。 今度試してみようと思う。
夕食後 いつものように洗濯物たたみの見守りをしてもらっている間 眠くなった様子の母。 気がつけばいつもの時間よりやや遅めの時間となっていた。 着替えてベッド移乗。 久しぶりに直ぐにzzz。 就寝後のトイレ誘導も程よく覚醒して順調だ。
今朝は 休日体制の起床。 年賀状用の写真を撮る予定の日。お天気が気になった。 思いのほか 青空が広がっていて「大丈夫だ」と確信。 外出用の身支度をして朝食介助。 笑顔も出た。 ゆっくりの朝食だったので お昼前に家を出た。 「遊びに行くよ」と言うとにっこりと笑顔を見せてくれた。
パットやらフルーツ2種。飲み物を持って車の後部座席に乗って貰った。 運転手は娘。 今朝よいこらしょっと出てきてくれた。
デパートの駐車場で下りて デパートの中を抜けた。 デパートの中を移動すると目の色が変わる。
大きな公園で撮影の場所を探した。 小春日和で光りが強く真正面に光りを受けないといい感じに撮影できない。 「なんだかな。なんちゃって孝行孫みたいで嫌だな」と賑やかな公園で娘はポツリと言う。
背もたれのないベンチに座ってもらった。 座位を保てるかと心配だったがちゃんと座っていられた。 傍を人が通るので母もあちこちを見て緊張気味。 お腹も空いているのだろうとフルーツを食べて貰った。 其のうちに緊張も解れていい写真が撮れた。
お腹が空いたので近くのレストランに入って昼食。 母には こちらのセットを少し分けてバナナを食べて貰い水分も補給出来た。
無事写真が撮れたのでゆっくり家に戻った。 外のトイレは1度利用。 途中 ケーキ屋さんに立ち寄り 家で食べて貰った。水分も果物も追加した。
トイレ誘導 「大」排出。 少し早めに夕食。 しっかり食べ終えた。
それから暫く起きていてもらった。 着替えをして就寝したのはいつもよりやや遅い時間となった。 母は食後から眠そうでこくりこくりだった。 やはりかなりの刺激になったようだ。
外出に時間を取られたので今日は入浴はなし。 就寝後のトイレ誘導順調。 最初は電気毛布で布団を温め その後スイッチを切りエアコンを弱にして室内を温めた。 あまりエアコンを使うと乾燥するので程ほどのところでスイッチをOFF。
夕方に談志が亡くなったとのニュースを耳にした。 談志の演じる落語は 特別仕立て。 談志自らの解説が入る。 「年を取るってつれぇな」と言いながら一旦話し出すと見事だ。 落語+何かがいつもあった。 お辞儀も本当に丁寧で綺麗だった。 口は悪そうに見えて 細やかな心遣いがあった。 音楽の話もよく聞いた。 私が聞いたのは 志の輔との2人会だったと思う。 もう談志流は聞けないけれど これまで楽しませて貰えて感謝♪
2011年11月22日(火) |
14.5年前の母のひとこま |
朝 熟睡していた。 デイの迎えが遅い日なので 慌てなくて済むぎりぎりの時間まで寝ていてもらった。 全ての準備を済ませてから母を立位介助。
「う〜ん。いまひとつだなぁ」って感じ。 ゆっくりゆっくり朝の介助。 着替えもトイレ誘導も洗面も整髪も食事介助も…。 笑いも出て 視線もそれほど泳がない。 でも何となく危うさを感じて ご飯一口を残して終了。
暫く椅子に座っていてもらう。 静かにしていれば何とか落ち着いている。 迎えのくる5分前玄関に移動。 外で車のエンジンの音 ドアを開けるとデイの車が止まっていた。
車椅子に移乗していたら 私をみて泣き出す母。 「家に居たいよね。ごめんね。帰り待っているから」と送り出した。 職員にも連絡帳にも「いまひとつ…」と記入。
母を送ってからも気がかりだった。 が無事過せて 夕方帰宅。 危うげなのは 朝と同じ。 トイレ誘導で「大」排出少量だった。 好きなみかんを食べて貰ったが時折口を開かなかった。
夕食もゆっくりモード。 大根の味噌汁 野菜の煮物 鳥ひき肉のあんかけ団子 切り昆布の煮物 途中げっぷが出たので更に用心深く介助。
休息をして その後口腔ケア。また休息してトイレ誘導。 洗濯物たたみの見守りをして貰い 就寝。
日中 箪笥の整理をしていたら 古い手書きの日記が出てきた。 14.5年前の母の介護日記だ。 細かいやり取りが書いてあり噴き出してしまった。
以下帰宅願望の強い頃の日記 おそらく今の要介護2の始め位だろう。介護保険前でデイサービス週2利用始めたころだ。
〇さん(私の夫)とは男と女。 お母さんから 男1人と女1人で一緒にいてはいけないときつく言われている。だからわたし帰ります。 …ここできっと「何言っているの?」と状況説明をしたのだと思う… 迷惑をかけているから帰ります。もう2度と来ません。ごめんなさい。
別の日 …帰宅願望が強かった日なんだろう。電車が混んでいて切符が買えないといったのだと思う… そんなに電車が混んでいるなんて今までなかったね。不思議だね。仕方ないから立っていこうかなぁ。
別の日 夫が仕事に出かける時 「長い間 本当にお世話になりありがとうございました。今日 家に帰ります」と挨拶。 自分の部屋に入り荷物整理を始める。
「もう少しいたら」「この間帰ったばかりでしょ」「1人で帰すのは心配よ」 「迎えに来るまでまっていられないかな」とゆっくり話しかける。
20分もしないうちに「帰る…」が始まる。
「ちょっと用事が出来たから出かけるよ」というと「うん」と返事して1時間ほど散歩。戻り道になると「夕方の電車は何時かしら?」 こんなくり返しの後 夕食後 また 「お前には迷惑をかけたね。今日帰るよ」 その後部屋から 鼻をすすりながら泣いている気配。 「今日帰ろうと思うけれど お金がない」と泣いていた。 …この頃「お金がないから交番に行ってお金を借りて帰る」という事も度々あったと記憶している…
ショートステイより帰宅。 夏場より良い状態で帰ってきた。
持参した薬の種類は多いがあまり減ってはいなかった。 職員も注意深く対応してくださったのだろう。 19日に排便があってそれ以来ないとの事で直ぐにトイレ誘導し無事排出。3日目なのに軟である。 少し前屈気味で腹痛が少しあったのかもしれない。 入浴もしてきたとのことだった。
その後ラフランスと柿を半分ずつ食べて貰う。 食べ終えてから良く笑う。 最近これまでの笑いと少し異なって来ている様に感じる。 これまでは心地よい時に笑っていたように思えた。 今は 自分の想いの中(受けた行為故でなく)での笑いのような気がする。ちと進行したのかな? 快調でなければ笑うこともないのだろうから まいいかぁって感じだ。
ゆっくりしてから夕食。 大きな口を開けて しっかり視線を合わせて食事できた。 食後もよく笑い 目が合えばしっかりと頷いた。
トイレ誘導。パットにたっぷり。更にトイレで「小」排出。 これだけの量なら心配ない。色も透明。
母の部屋に移動して洗濯ものたたみを見守って貰って着替えて就寝。 今日は 電気毛布で布団を温めて 身体が温まった頃にスイッチを切った。
就寝後トイレ誘導しパットにたっぷり更にトイレでも出た。 おやつ後から食後まで多めに水分を摂って貰った効果だろう。
帰宅した時には 前回のように歩行困難ではなかった。 ただすり足で立位時自分から腰を上げることはなかった。 立位後も膝がかくんとしがちだった。 それでも幾度かのトイレ誘導で大分改善された。 腰も自分で出来るところまで腰を上げられるようになった。 まだ弱いけれどこれなら元に戻せるだろうと思う。
6泊だが3泊くらいのダメージって感じだ。 夕食は 根菜と鶏肉の煮物 ゴマ豆腐のゴマクリームかけ 白菜のスープ餃子。お腹に優しい夕食とした。
今回のショートステイは6泊だ。 明日帰宅する。
前半は 用事があったが後半は割合ゆったりモード。 たった数日でも大分休息できたなぁという感覚になった。 途中ショート先からの連絡も入らないので休息できたと感じるのかもしれない。そういえば ショート先から連絡の入る時「すみません。折角のショートステイなのに…」という言葉で始まり「申し訳ありませんでした」としめる。 別にそんなことで謝らなくともいいのに…といつも思う。 状態が悪いのならその旨を報告して家族の判断を聞けばよいだけなのに…と感じるのだ。 少なくとも私はそう感じる。
ネットで知り合った介護仲間が介護の岐路で猛烈に踏ん張っている。 大分長いお付き合いだ。 彼は 介護に家事に真正面から向き合っている。 私は狸だから 自分を騙し 介護も手を抜く部分がある。 そして時に助っ人してくれる家族がいる。 独身で家族の助けもなく奮闘する彼の疲弊が心配。 自分のことも大事にしてねと陰ながら応援している。
さてと私のおさぼりも今日まで。 明日からまたボチボチと踏ん張ることにする。 昨日は 久しぶりに…数年ぶりに12時前に就寝した。 なんか寝すぎたって感じ。 今日は いつものペースに戻しておこうっと。
朝から冷たい雨が降っている。
そんな訳で今日も午前中は家の中の整理。 夫の衣類を中心に季節の入れ替えもした。 出来る所まで…の心構えで。 相変わらずササッとだけれど…。 少しずつ 照明器具の掃除もしている。 ちょこっとずつ…。
午後家族介護教室で精神科医の認知症の話を聞いた。 定員があるが いつも定員未満。 一応電話してみたら 参加者が少ないと言っていたので介護仲間と3名で参加した。
まだ一般に告知される前にチラシを頂き 担当の人に「脳の変化を学ぶ事も大切だけれど 介護者が知りたいのは対応と言う声をよく聞くのですよ」と伝えた。 「事前打ち合わせが何処まで出来るかまだ判らないけれど そういう声のあったこと伝えておきます」と言ってくださった。
今日の話は 脳の図解はなくて「接し方」を中心に話が進んだ。 後半は 介護ストレスについても触れていた。 こちらの希望に近い形でのお話となった。 判りやすかった。
最近 周辺症状について家族の対応で症状が軽減されると説明が多くなってきている。 勿論 薬の副作用もあるから家族は注意して見守りが必要とも説明されている。
最近 家族の対応次第で…と介護者に向けて話されることが多くなってきている。本人支援の視点では確かにそうなんだけれど。 今日も「家族次第で…」という説明が多かった。 衝突を回避するための方法も少し触れていたが 結局家族が我慢するということが根底にあった。
そうはいってもねぇ。 そこが認知症介護の非常に難しい所で…。 うまくいかない時に自分を責めるなとも言っていた。 ここが人間関係の微妙なところで 健康な親子でもいろいろあるし…。 それが出来れば苦労はしない。
介護者の責任を言うのならもう少し介護者支援の体制を整備してよと思う。医師や専門職の人を前にすると何をどう伝えたらよいのか判らない…という家族は結構多い。
今日は これまでいまひとつ判らなかったことを質問してみた。 「脳出血・脳梗塞が起きても認知症になる人とならない人がいるがどうしてか…?」 医師の答えは 出血する部位梗塞の部位によるものだと言う説明があった。
教室の受付をしている職員に「元気ですか?」と聞かれた。 「はぁなんとか」と言ったら「お母さんの状況をみれば あなたの疲れが見えるから…」と言われた。 そうかなぁ。 母の状態が悪ければ こちらは緊張するから疲れを意識する事はないと自覚している。 むしろ 容態が落ち着いた時ゆるっとして疲れを感じるような気がしているのだが…。 これは 単に私の思い込みかな?
2011年11月18日(金) |
風が冷たくなってきた |
午前中は片付け。 できる所まで…と決め せっせと作業。
作業に要する時間は 大概読めていた。 ところが トコロガ…。 最近予定通リに終わる事がなく中途半端に時間がかかる。
午後の介護者の会で同じように嘆く声を耳にした。 「そうそうそうよね」と同意したら 別の方も「そうなのよね」と話してたので「私だけじゃないのだな」と知った。
昨日 電話が入っていた。番号から介護仲間と判ったので今朝電話をした。 入院中の家族が1週間 40度を超える熱が続いていて毎日面会に出かけていると言う。細菌性のものとわかり一昨日から点滴になったそうだ。 老健に移る予定だったが まだ入院中だった。 それは幸いしたのだと思う。 もし老健に移ってこの状態になったらまた病院に逆もどりとなり環境がころころ変わったことだろう。
認知症との合併症…本人が言葉を発せないだけに難しいなぁ。 母も同様なんだな。
気温が下がってきた。 ヴェランダから望む富士山も雪化粧しくっきりと見えるようになった。
昨冬 母にはレンジ湯たんぽや湯たんぽで布団を温めボアシーツで凌いで貰った。 今年は 電気敷き毛布を使おうと押入れを探した。 母は もともと電気毛布を使っていたのだ。
長時間は使いたくないので 寝入る前にスイッチを入れて布団を温めて暫くしたらスイッチを切ると言う方法でつかってみようと思う。
ウールのセーターはまだ使っていないがこれもいよいよ出番だなぁ。
午後は会議2つ。 イヴェントの反省もあり あれこれと感じるところがあった。
今日もショート先より連絡がないのでひと安心。 明日は 介護者の会。 ほんとは 母の居ない間に片づけをしたい。 年末のショートは やはり年末年始シフトに入るようで希望通リには行かず 少し先からポツポツと始めないと困ったことになりそうな気配だ。 けれどねぇ 致し方ないなぁ。
2011年11月16日(水) |
思い出の場所なのに… |
先日 ケアマネから「毎月最終週に再度プランのチェックのため訪問します」と言われた。 先日 記入ミスがあったためそれを回避するためという事だった。
昨夜 その日を再度確認していたら 母のショートステイの日だった。 今朝 慌てて「母がいませんが大丈夫ですか」と尋ねた。 確認のみなので母が居なくとも良いという事で予定通りとなった。 ついでケアマネに土曜日の嘔吐の件とその後の経過を伝えた。 ケアマネは たまたま母のショート先にいたので職員に状況を聞いてくれ その後職員から昨日の様子の連絡を頂いた。 「落ち着いているようです」とのことだった。 細かく食事の様子等も報告してくれた。
ケアマネと連絡を取っている時「医師と今後の相談の予定がありますか?」と言われ それもそうだとは思った。 「嘔吐が続くようですとショートの確保も難しくなってきます」とも。
確かに大変だろうと想像できる。 致し方ないのだとも思う。
実は先日 ふるさとの友人と母の話をした。 その時に「介護者が困って休息がほしい時に介護保険は使えないって事なんだねぇ」と言われた。 介護が嫌で逃げ出したいとかそういう理由ではない。 介護者がちょっと外出等も出来なくなってくるのだ。
それと訪問診療や看護・介護の場合 時間が決められており利用すると介護者は更に時間に束縛されるんだってねぇと言われた。
訪問で助かる部分もあるけれど…。 やはり時間的拘束は不自由。 だったら自分で何とかしようとなってしまう。 「介護者の我ままだよ。そういう時期は外出は控えるべきだよ」という声が聞こえてきそうだ。 非常に悩ましい。
我が家にも近い将来 きっとそういう日が来る。 ぎりぎりまでデイやショートを使って行きたいと願っているが雲行きが怪しくなってきた。 少し 近隣の情報を調べておく必要がありそうだ。 地域では 1ヶ所だけ可能性のある所があるのだが あまり気乗りしないのだ。
一方で介護者の虐待防止なんて対策も考えられているけれど…休む間もない介護者は追い込まれそう。立ち直る機会を失いそう。 ま 直面すれば切り抜ける方法も見つかるだろうから あまり不安がらないで過していくしかない。
今日は 頼まれた事があって外出。 20年位前にはよく出かけた場所である。 行く先は 地図でチェックしていたが 思い込みもあり駅に降りた時逆方向に移動してしまい慌てて戻り 何とかセーフ。
帰路 昔の思い出を辿って少し歩いてみたが 様変わりしていて通っていた場所に辿りつけなかった。 其の場所とは 大切な友人が通っていた整体である。 彼女は 整体を頼りにし深い信頼をもってた。 既にその整体はなくなっているのでいる。
彼女と立ち寄った蕎麦屋やケーキ屋さんも探しきれなかった。 明日もまた外出予定なので 帰宅も急ぎたかったので断念した。 頭の中にはしっかり残っているのに…残念なことだった。 でも なんとなく彼女が傍にいるようなそんな気持ちになった。
昨夜迷った挙句 便秘薬を服用して貰った。 今朝 「大」排出。 おそらく便秘薬を使わないでも家だったら大丈夫なんだけれど…。 今日からショートなので ショート先での嘔吐は母も辛かろうと思った。
食事は 少し控えめにしながら全量摂取できた。 水分も充分に摂取できた。
母は笑顔を見せてくれている。
ショートの迎えが来た時 ちょこっと注文した。 「嘔吐のある時には止むを得ないが そうでない時で余裕のある時には車椅子の足置きを外して直接床に足をつけるようにしてもらえたら嬉しい」と。 「出来る限り家での介護状況に近い形で対応させて頂きます」と返事を貰えた。
薬の対応も細かく説明した。 勿論 土曜日に嘔吐したこと。その後の暮らしぶり等も伝えてある。
今日は ショート先から連絡が入らなかったので無事過せていると思う。 今回は やや長いショートステイだ。
今朝はおそるおそる母の介助だった。 椅子に座って貰って着替えを介助している時「うふふ」の声にホッとした。 変わりなくすごせる事のありがたさを感じた朝だ。
「急がない」と肝に銘じて介助して行った。 朝食は 五分がゆに戻して量は控えめ。 今朝は 水分の補給だってゆっくり。 つまりはデイに送り出したいのだ。 母が出かけている間に片付けたい仕事がある。 なんだかんだと言いながら 自分の都合優先させる薄情な介護者だ。
検温して平熱を確認。 母の膝 負傷中。 先日嘔吐のあった日 座位の姿勢でお尻の位置を前へ前へとずらして行き テーブルの足に膝をつけており擦れたのだと思う。 後で気がついて足に毛布でカバーをつけたが既に傷ついてしまった後だった。思い切りの打撲ではないのだが 青くなっている。 私の目配り不足。
食事介助中にお茶の入ったカップを倒してしまった。 其の後始末で 今朝の水分摂取量は少なめである。 食事は デイの迎えに来る前に完食できた。
お迎えの職員に土曜日の嘔吐とその後の経過も伝えた。 車に乗り込む時 職員に飛び切りの笑顔を見せていたので「今日は大丈夫」と確信。
母を送ってから ボチボチと作業開始。 昨夜から少し手を付け始めており 午前中の内にざっくりと仕上がった。 午後は 歩いて買い物。 土日と家を出ていないので 運動を兼ねてである。
母の戻る15分前には帰宅して 急ぎ夕食の下準備。 程なくして母が帰宅。 昼食は全量摂取 おやつも食べ紅茶も飲めたと報告を受けた。 表情でトイレは大丈夫そうなので 柿を食べて貰い水分補給。 大きな富有柿である。
その後トイレ誘導して「小」排出。 そして夕食。 煮魚とゴマ豆腐と具沢山の味噌汁とトマト。 量はいつもの量に戻した。 ゆっくり介助だが40分位で完食できた。
口腔ケア・トイレ誘導を済ませて母の部屋に移動して洗濯物たたみの見守りをしてもらう。
食後一時間半休息後就寝。 就寝後のトイレ誘導も順調でたっぷりの「小」排出。 その後の誘導でもたっぷりの「小」排出。 噎せもなく落ち着いている。
今朝は いつも通りに起床して貰ったが 食欲はさすがにちょっと。 5分粥を全粥にして 量も控えめにした。通常の3分の1と言う所だ。 本来重湯にすべきかも知れないところだがそこまで踏み切れないので…。 少量をゆっくりゆっくり呑み込み具合を確かめながら母のペースに合わせた。3分の2ほど食べ終える頃には呑み込み具合も安定してきていた。 1時間半かかった。
水分もゆっくりゆっくりいつもの量を摂取してもらった。 少し休息を取ってた。
お昼過ぎる頃 「お腹が空いた」のサインを出したが少し遅らせた。 昼食は 少し量を増やした。 1度噎せたが 口に運ぶ量を減らして速度を落として無事食べ終えた。
夕食近くなり また「お腹が空いた」のサイン。 こうやって食べたい意志を伝えてくれるので助かる。 また食べたいと思ってくれることも嬉しい。 量もお昼より増やした。 でも通常の量の3分の2程度だ。
3食無事食べ終えて変わりないのでホッとした。 ナウゼリンは使っていない。 おやつに バナナとラフランスを半分ずつ食べて貰っている。
バイタルは 通常の数値である。 排泄は 昨日おそらく全部排出している筈で今日はない。 お腹が少しゴロゴロしているようだ。 水分は 定量摂取できたので「小」は順調。
お風呂は 今日は取りやめた。
娘が買出しの手伝いに来てくれたのであれこれ頼んだ。 介助で食事ができていないだろうと思って出来合いの物を買ってきてくれた。
今日は町内の一斉清掃日。 朝事情を伝えて作業には出ないことにした。
夕食後 念入りに口腔ケアをした。 昨日は 軽くケアして終了していたので気になっていた。 その後もいつもより休息時間をたっぷりとったので就寝はいつもより2時間遅い。それでも顔色もよく座位も保って待っていてくれた。 おかげで2日分の洗濯物がたためた。
就寝後のトイレ誘導時は歩行も軽やかでうふふと笑い 目をみて頷き 私の腕をさすってくれた。 おそらく調子は戻りつつあると言う感触である。
母も辛かっただろう。 あさってからショートステイの予定。 今回は長い。 前半は 外出が続く 後半は家の中の整理のためである。 急に予定が入り 予定のショートステイより1日多くなってしまった。 自分の用事はキャンセルもいいが 人が絡むところは出来れば無事に…と思うのだが…。 ちょっとドキドキ。
明日デイに行かせるかどうか…。明日の朝の様子で決めようと思う。
1日普通に過せていた。 夕食前に入浴して貰い 身体を洗って洗髪して湯船に浸かった。 お風呂から上がって髪を乾かして 夕食となった。
食べ始めは不安がなかった。 途中から口の開きが悪いなと感じていた。 それでも噛んで呑み込むのでまぁ何とかなるかと思った。 あと主食・副食・汁物が一口ずつで終了する頃「あれ やばい?」と介助中止。
それから程なくして 少量嘔吐。 おおきなエプロンをしていたのでとりあえずティッシュとタオルをテーブルに準備した。 それから少し時間を置きながら断続的に嘔吐。 ちょっと時間がかかりそうと感じたので落ち着いている時に 口の中をふき取る不織布とケアの液体と吐物を入れる袋や次のエプロン・介護用の手袋等を準備して備えた。 近所の診療所がまだ診察してくれる時間だが嘔吐が治まらないと動けない。 母も苦しそうだ。
2時間半経過した頃から徐々に落ち着き始めた。 3時間経過後 ゆっくりとトイレに誘導し「大」の処理。 上も下もで母は本当に苦しかった事だろう。
そういえば…と振り返る。 昨日から前屈が強くなっていた。→少し腹痛があるんだな位に考えていた。 足の上がりもやや悪かった。→痛いのかなと思った。 日中 入れ歯を口の中で外す事が数回あった。→退屈なんだろうと考えた。 午後姿勢が悪かった。→座位が保てないほどでもないなと思った。 口の開きが少し悪い。→お風呂上りで血圧が低くなってるだろうと考えた。 唇の色薄いかな。→気のせい?風呂上りのせい?
いろいろとサインを見ていたのに都合の良い解釈をしてしまっていた。 笑顔もあったし「大」「小」も排出していたので安心材料もあったのだ。
全て出たと感じたのでナウゼリン座薬を挿入。 着替えてベットへ移乗し就寝。 間もなく10時といったところ。
起きてしまったのだからクヨクヨしても始まらない。 あれから 鼾をかいて寝ている。 トイレサインもないので様子見だけはしているが…。 今のところ噎せもなく 熱もない。血圧もやや高めだが変動の範囲内だった。
明日は 罹り付けの医師も近所の医師も休診日。 通院する所も2.3ヶ所考えているが 明日の様子次第。
消化器系の疾患だろうと思うがそればかりとは限らないので注意してみているところだ。
今しがた トイレ誘導し「小」排出。 やや濃いかな? 日中 水分を多めに摂取できているのでこの程度で済んでいるのだろう。 誘導時の足の運びは重い。まだ気分が悪いのだろうと想像する。 ちょっといつもより長いかなぁ。 もう少し様子見だわ。
今朝は覚醒して目覚めた。 笑顔もあり 安心して介助できた。 食欲もしっかり口を開けて食べられた。 食べる速度もよく いつもより早目に食べ終えた。 時間にゆとりが出来たので洗濯も済ませることができた。
こほんと出ていた咳もぴたりと止まった。 やっぱり軽い風邪だったのかもしれない。 食事の量をちょっとだけ減らしてケフッも消えている。 量を減らしたと言っても全体量から考えると夏場より増えて来ている。
デイから帰ってトイレ誘導で「大」排出。 果物を食べたりしてゆっくりと過して夕食。 今日は 牡蠣のピカタ。 どうかなぁと思いながら口に運んだがちゃんと噛んで呑み込めていた。 里芋 ゴボウ 大根 人参の煮物もたっぷり食べ 小松菜の味噌汁も。 きちんと食べてくれるとホッとする。 量を控えてもバランスよく食べてくれればそれでよい。
食後口腔ケアをしている時夫が帰宅した。 夫に配膳をして 母をトイレ誘導して着替えて就寝。 直ぐにzzz。 時々様子見に行くと軽く鼾をかいてぐっすり眠っていた。 トイレ誘導するのも時間をずらして眠る事を優先した。
自分の食事を済ませて 時々様子をみてついいましがた トイレ誘導。 ジャストミートで良いタイミングだった。 今日は冷えているだけあって母の両足が冷たい。 暖房もこの冬初。 部屋はほんのりと暖かくしてある。
朝の目覚めはイマイチと言う感じ。 それでもゆっくりと朝の身支度から介助へと移行できた。 朝食の様子は 普通。 バイタルチェックも問題なし。 そしてデイへと送り出す。
町内のサロンが開催日。 安納芋を蒸かして持参した。 今日は 差し入れがとても多かった。 先月は 防犯の集まりに出かけ参加者も少なかった。 私も用事で欠席。 だからかなぁ。
サロンを終えて家に戻るとオムツパットが玄関前に置いてあった。 今朝 夫に購入をお願いしておいたのだ。 毎月排泄用品はまとめて購入している。 役所の横出しの介護サービスである。 トレーニングパンツとパット大小2個セット。 時折足りなくなりこうやって購入することになる。 余っても困るので足りないくらいが丁度良い。 上限までつかったことは これまでない。 今日のパット1パック購入費は毎月の負担額の2倍だ。 補助金に助けられているんだと実感する。
夕方母が帰宅。 「今日は 噎せもなく食べる事ができました」と報告があった。 デイの昼食では噎せが多いのかと思ったりした。
直ぐにトイレ誘導して「大」排出。 その後ラフランスを1個食べて貰って お茶飲み。 程なく夕食。 こちらも完食。 とても眠そうだったが 1時間は辛抱して貰い就寝。
就寝後も寝言も独り言もなくぐっすり眠っていた。 トイレ誘導も順調だった。
昨夜 1時過ぎにトイレ誘導した時には あはは おほほとよく笑いまだ覚醒していた。 時折咳もこほんこほんと数回。
今朝は ゆっくり起きて貰った。 9時半過ぎにベット離床。 それから 朝の一連の介助。 時折「こほん」と咳。
この「こほん」が悩ましい。 噎せなのか風邪なのか…。 検温しても平熱。 だるそうでもない。 食欲はあるが 呑み込みは用心深い。
つらつら考えてみて 私も鼻が出た後少し喉にひっかかり軽く噎せていたのでやはり風邪っぽいのかもしれない。 咳が止まらないという事ではない。
夕方咳が出た時「苦しい?」と聞くと頷く。「大丈夫?」と聞くとはっきりと 首を横に振った。 でもそれが 喉なのか気管なのか判断できない。
先日の通院で医師は鼻水を緩和する軽い薬を処方してくれた。 胃を傷める薬を避けたのだろうと思う。 咳は時折起こるくらいなので 薬に頼らずに乗り越えられたらいいなぁ。 と思いながらも 家にある市販の薬を就寝前に飲んで貰った。 薬を綺麗に呑み込んでもらおうとOS1ゼリーを少し口に含ませた。 少し多めに入ってしまったら 注意深く呑み込むつもりだったのだろう 口をすぼめてほっほっとゼリーを押し出した。 「アチャチャのチャ」と言ったら「おほほ」と笑う。 全くお茶目な母。 ひところならムッとしたものだが 全く腹が立たず思わず笑ってしまった。
就寝後も時折咳が出た。 痰が絡み出してゴロゴロしていた。でも痰を切っている。 切れてしまえば 咳も落ち着く。
就寝前検温してから入浴。 今日は ずんずん冷えてきている。 身体を温めてあげたかった。 さすが洗髪だけは中止。
入浴のとき気がついた。 右ひざに小さなあざがあった。 何時出来たのだろう? あざがあるから歩行の具合がイマイチだったのかな? たいした事もないようすなので塗るタイプの湿布薬を塗りこんだ。 青いのだから土・日・月辺りなんだろう。
訪問リハを終えて ケアマネの訪問前 夕食の支度を済ませてハンドマッサージをしてあげた。 アロマクリームを使ってゆっくりゆっくり。 仕上げに爪を磨いて仕上がり。 これで少し母の気持ちが落ち着いたようだった。 それまでは 甘えが強かったのだ。 姿勢保持もしっかり出来るようになった。 心を支えることも介護者の役目と胸に刻む。
通常量で水分摂取しているのに「小」の量が少なめだった。 起床が遅いのだからなんともいえないなと思いながらいたのだが…。 就寝してからの量がかなり多い。 排泄ついでに…。 今日は 起きている間に3回の「大」 特段薬を服用した訳ではない。 「こほん」対応に大根を卸して蜂蜜を少し垂らして数回に分けて食べてもらった。他に果物や根菜類等多めに摂取してもらった効果だろうか?
2度目のトイレ誘導から 「こほん」が消えた。 薬が効いてきたのかなぁ。
寝起きはちょっとテンションが低調。 昨日の夕食を引きずっているような雰囲気。 朝の介助は 何とか無事に。 食事介助は 少量ずつゆっくりと。 口の開きが少し良くないが完食。 デイのお迎え遅いなぁなんて思いながら玄関で待っていた。 「今日は何曜日?」と自問。「火曜日」自答。 そうか迎えは遅い日だったと気がついた。
多少の笑顔を取り戻しデイへと出かけた。 「今日は やや元気なしです」と職員に伝えた。
自転車が調子悪く 自転車屋さんへとっとことっとこ。 「こんちぃ!自転車が病気みたいで…空気入れるところの調子と思うのでのですが具合見てください」と挨拶。 「おら しらね」と自転車さん。 「そういわずに…お願いします。普段放ってあるからへそ曲げてしまったのだおもいます」 「へへへ」と自転車屋のおじさん。 チラッとみて「タイヤそろそろ変え時だよ。次パンクしたら変えようね」と。 「はぁい」 空気入れのところの細い管を変えてくれて「ハイ100万円」と。 「わぁいあるかなぁ。あったあった100万円」とおじさんに頭を下げて治療完了。
小学生の頃 よく自転車さんの所に出かけて修理の様子をみているのが好きだった。だから パンクだって今日のような修理だって出来ていた。 それが大人になったら全くしなくなってしまった。 いや 娘が小さかった頃に修理した覚えがある。 チュウブを取り出して石鹸を塗って泡が出た所を鑢でこすって ボンドで貼った。
だんだん面倒になってついつい自転車さんにお願いするようになってしまったなぁ。 それにしても 相変わらず修理費用が100円のままとは…。
出たついで 買い物をして家に戻った。
ご近所さんが立ち話していた。 そこにちょこっと加わって…。 少し長くなってしまった。 病気のこと。介護のこと。入院中の方のこと。 あれこれと考えさせられた。 そういえば 友人からも朝電話がきた。 暫くぶりで…。 長くなりそうなところに 訪問者があり助かった。 でも久しぶりで語りたい事もあったのだが…そうもしていられないだなぁ。
急いで夕食の支度。 程なく 母帰宅。 今朝と同じ位の状態。 トイレ誘導し「大」排出。
今日はおやつは取りやめた。 夕食はいつも通りで完食。 笑顔も見えてきたが いまひとつ冴えない。 口腔ケアもしっかり取り組んで…。 ゆっくり休息をして就寝。 母は眠そうだったわけではない。 それでもちょこっとゆっくりして貰おうと思った。
ベッドに入ったが目はパッチリ。 独り言をいったり…。 快調ではないけれど 見ている限り非常に不快というわけでもなさそうなのだ。 母はそれから11時過ぎまで起きていた。 途中トイレ誘導し「小」排出。
これからトイレ誘導だ。 何だろうなぁ。ちょっといつもと違う母。 明日はデイのない日だが 訪問リハとケアマネさんが来訪予定だ。
穏やかに目覚めて「うふふ」と笑う朝。 トイレ誘導で少量の「大」排出。
着替えて朝食。 バイタル面は問題なし。 支度をして玄関でデイの迎えをまった。 程なく迎えの車がきた。 「今日は 散策します」とのこと。 気持のよい気温なので良かった。
午前中庭木の剪定。 今 車検中で今日当たり戻りそうな予感がしたので駐車スペース横の植え込みの枝を切り落とし ついでに草取り。 作業しているうちにお昼となった。
作業を終えて後片付け。
午後はちゃちゃっと買い物に出かけた。 今日は 踏ん張って往復てくり。 帰りの上り坂 汗ビッショリとなって上着を1枚脱いで半そでTシャツ。
ちょこっと休息してから 夏に活躍してくれたよしずを片付けた。 風で飛ばされないようにしっかり固定してくれたので片付けも大変だった。 よしずは 丸めて駐車スペースの所に横につるすつもりでいたが1人でつるすにはちと重過ぎた。 日を改めての作業にすることに。
程なく母帰宅。 ゆるりとした様子で散策で気分転換できたのだろう。 家に入りトイレ誘導「大」排出。 機嫌も良いようで ラフランスと柿を半分づつ。そして水分補給。
夕食の準備をしながら母の様子をみていた。 夕食 副食欲張りすぎて母には多すぎたみたい。
調子が良いようでパクパク食べてくれたのだが…。 就寝後久しぶりにコホッっと幾度か噎せた。 体調がよいので ついついの油断。 やはり夕食の食べすぎは良くないなぁ。 反省。
就寝後のトイレ誘導も順調。
11月6日は 父の誕生日。 生きていれば100歳。 今朝 夫とそんな話をしていたら「岡本太郎生誕100年というから 同じ年に生まれたんだね」と言われた。 父が亡くなって17年。 最近は「何とかしてよ」と父に願う事は大分少なくなった。 温厚な父だったので 諭す事はあっても怒る事はなかった。 父は 母が病と共に歩む母が元気に暮らしていると知ったら…喜んでくれるのだろうか? それとも…。
母にとって父は最高の人だった。 母 自身そういっていたのだから間違いはない。
言葉にはできないが 母の耳元で父の名前を言ってみるとじっと思い出すような雰囲気となる。 きっと心の中には存在しているのだろう。
さて今朝は大寝坊してしまった。 「ゆっくりでいいよ」と言われ気が緩んだのだろう。 いつもの時間に目覚め2度寝してしまった。
母の朝食も1時間半遅れ…滑り出しが悪いと1日焦りまくる。 夕食まで遅れ気味となった。
それでも食事の量 水分補給 排泄は順調。 夕食前には お風呂に入って貰って洗髪もできた。
おやつには果物2種。 午前中は柿1個。午後にはラフランス半分。 故郷の友人から届いた今年初のラフランス。 口に運ぶと母はとてもうれしそうで「ふふふ」と。 相変わらず食べる事を楽しんでくれて励まされる。
夕食が済んだらとても眠そうで 起きて貰っているのに苦労した。 遅れ気味ながら ベッドに移乗したら直ぐにzzz。
就寝後のトイレ誘導も順調である。
昨日 ほぼ半日車椅子で過した母。 車椅子から移乗し美容院の椅子に座ったりと結構動いた。
就寝前 靴下を脱いだ時足の浮腫みがなかった。 最近では珍しい事だ。 朝は 浮腫み等ないが就寝前には結構の浮腫みがみられる。
デイでは 姿勢保持のためクッションを使っている。 家では 酷い時には使うが殆ど使うことがない。 座りなおせばよい事で それも時たまのこと。 昨日の外出時 クッションはなし。 姿勢保持できていた。 座りなおしたのは1度くらいだ。 それも酷く姿勢が崩れた訳ではない。
今の母 姿勢保持のクッションは 本当に必要なのだろうか? 自力で姿勢を立て直す事はできないから仕方ないのだが 座り方次第ではまだ必要としていないような気もする。 安易にクッションを使ってしまうときちんと座る事が出来なくなってしまいそうな気がするのだ。杞憂だろうか?
今日は1日家の中で過した。 午前中は 小豆南瓜をコトコト煮ながら…。 ダイニングの食器棚のガラスやサッシ戸のガラスが曇った。 日差しがない分 煮物で部屋が暖まった感じとなった。
昼食後は 母の部屋とダイニングルームを行ったり来たりで歩行して貰った。朝は すり足気味だったが午後は足の運びも良くなった。
午後のおやつに柿と薄いかりんと。 小さくして口に運んであげたら入れ歯でかりかり噛んでいた。 その後様子をみていると唾液でふやかして呑み込んでいた。 噎せもない。 久しぶりにカリカリと噛む音を聞いた。 いつも用心してやわらかくした物ばかりだった。 それとビスケット。これもOK。 母は噛むことが嬉しそうで「うふっ」と幾度も笑った。 1枚全部というのは心配だが 楽しみとしては良さそうだ。
「大」「小」も問題なし。 鼻水もほんの少し出ていたが気になるほどではなかった。 熱発もない。
就寝前入浴。 今日は比較的温かいのか 就寝後もぽかぽかの足。 就寝後のトイレ誘導も順調。
言葉は少ないが 全体に落ち着いて過せている。 安定しているとこちらの緊張も緩むので助かる。
昨晩の鼻水は 深夜になったら大分落ち着いてきていた。 今朝も起床時に少し出ていた。
それでも 今日は通院しようと決めた。 朝一番にデイに電話をしてお休みの連絡。
それから母の起床。 様子を見ながら順繰りに介助して朝食を終え 通院の支度。
診療所に着くと凄い混雑。 待合室の椅子には マスクをしている人 咳をしている人が多くいた。 受け付けを済ませて 待ち時間を確認し直ぐに階下にある商店街へ移動。ドラックストアに立ち寄り買い物。 会計時開店何周年記念とかでくじ引きがあった。 何の期待もせず 何があたるかも全く知らないまま箱に手を突っ込んで紙を1枚取り出した。 すると「あたりです」というではないか。 みると購入額の半分がキャッシュバックしてくれるという。 「しまった もっと買えばよかった」と。 それでも1300円ほどキャッシュバック。 普段 何千円以上買えば貰えるという抽選券であたるのは 殆どティッシュか洗剤だ。あんなのがあたっても荷物になるだけでかえって面倒。 少し気分良かった。
買い物を済ませて診療所に戻ってもまだ待合室はいっぱい。 廊下で暫く待った。 順番がきて診察できたのは 1時間20分ほどだった。
薬を頂き 急いで家に戻った。 昼食の時間が大幅に遅れてタクシーを使った。 ところが タクシーのトランクに車椅子のバッテリーを置き忘れた。 気を利かせた運転手さんが車椅子を下ろしてくれたので気が着かなかった。
慌てて電話をしようとしたがタクシー業者さんが判らない。 車の横に横文字がきしてあり それを頼りに104に問い合わせたら「?」 夫に聞いたが 夫から「なんで領収書貰っておかないか」と怒られた。
ふと思いついていつも利用するタクシー会社に電話をして地域を走っている横文字の車の正式名称は?と聞いたら直ぐに答えてくれた。
ようやくタクシー会社と連絡が取れ 後で運転手さんが届けてくれると言ってくれた。 以前 忘れ物をすると忘れもの預かり所まで出向かなければならなかったので 助かった。 程なくバッテリーも戻り一安心。
昼食後 お天気も良いし母も元気良さそうだ…と美容院までエッチラオッチラ出向いた。 綺麗になって母ニコニコ。 オーナーも「よく笑いますね」とつられ笑いをしていた。
岐路スーパーをくるくる。 母は本当に機嫌が良い。 考えれば いつも決まりきった暮らしだ。 普通の人が行き交う賑やかな場所は久々のこと。 中心街で育った母なので もともと好きなんだろうか?
朝から出かけて 途中家で食事して直ぐにまた出て戻ったのが6時だ。 疲れていい筈なのに とても穏やかで聞いていることにもきちんと返事してくれる。
夕食も作り終えるまで時間がかかったのだがにこにこと待っていてくれた。 食欲もあり程よい速度で完食。
就寝は何時もより1時間遅れ。 就寝後のトイレ誘導も順調。 朝微熱があったが 今は平熱で鼻水も出ない。 処方して貰った薬は 落ち着いているので服用せずにいる。 昨日から今朝の微熱は篭り熱だったのだろう。 気分転換で すっかり元気になったようだ。
暑かったり寒かったりすると外出も難しいが 過しやすい日でよかった。 今日の車椅子押しに要した時間は1時間半。 アシストの車椅子だけれど 古いのでバッテリーが持たないのが難点。 でもいい運動になったみたい。
身支度を整えてデイの迎えを待つ。 この所送迎が遅れ気味なので気長に待つ。 けれど待てど暮らせど迎えのバスが来ない。 待つ事30分。デイに電話した。
あれこれやり取りがありケアマネの記入ミスと判明。 結局1時間遅れでデイに出かけた。
デイから帰宅した母 右傾斜気味。 直ぐにトイレ誘導し「大」排出。 暫く腹痛が続いているようで前屈気味だった。 柿を1個と水分補給して落ち着いてきた。
夕食 鍋物と炊きあがったばかりのお粥さん「あちちあちち」で母が大変そうだった。 食後眠そうだった。 1時間は我慢して貰って それから足湯(湯舟に立って貰い その後湯舟にくっ付けた椅子に座って貰って温めた。 足ポカポカ。 パジャマに着替えて就寝。
1度目のトイレ誘導 空振り。 出ていないのだ。 夕食前 夕食後 たっぷり水分摂取できているんだけれど…。 う〜ん デイでどの位摂取したんだろうなぁ。 夏場ではないので 摂取量のお知らせないしなぁ。 今日は トイレサイン読みにくいかもしれないなぁ。
夕方検温したら微熱があった。鼻水も出ていた。 漢方薬を飲んで貰って就寝したが 寝ていても鼻水が出ている。 こりゃ 明日のデイはお休みだなぁ。 3日間家ですごす事になる。 明日 通院して薬を貰ってこよう。
私の体調が悪かった。 鼻の調子が特に良くなかった。 アレルギーと言われていたのでそのせいだと思っていた。 きっと風邪だったんだな。 昨日 何となくそんな予感がしてマスクして介助していたのだけれど 時既におそし…だったんだろう。 今朝 デイの車を待つのに暫く外で待った。 寒いだろうと思って一旦玄関に入ったが…それも悪化させる原因だっただろう。あ〜ため息。反省しきり。
2度目のトイレ誘導もパットがぬれてないのでドキリとした。 が「小」たっぷり排出できた。 これでひと安心。 「鼻が出るね」と聞いたら頷いていた。 熱が上がっていないのでホッとしている。
今日はデイのない日故に 休日モードで起床してもらう。 笑顔全開の母。
午前中から水分補給を重点的に。 朝・昼・夜の食事は完食。 ただし夕食のカレイの煮付けには苦戦。 カレイの煮付けが停滞する事はこの所なくなっていたのだが…。 同じカレイでも種類によって違うのかな。 よりによって お汁がもやしでこれで停滞解除は無理で お茶ゼリーを急いで作って対応。
昼過ぎ 療法士さんが見えた。 足の屈伸をしたら 母痛がった。 前期のショート帰りの時より大分改善されたのだが まだ痛いんだな。
午後「大」排出できた。 夕食後 入浴。 昨日は洗髪をしなかったので 今日は洗髪も加えた。 母は頭を下げて自主防御体制をとれた。 これができるという事はクリアなしるしだ。 その後湯船に浸かって身体を温める。 何しろ 足が冷たい。 特にくるぶしより下。左足限定である。 末端まで血が廻らない現象だろう。 母って冷え症だったかなと記憶を遡ると電気毛布を使っていたことをおもい出した。おそらく60歳前からだ。 ということはやっぱりもともと冷え性だったのかなぁ。 湯上り後は とても気持良さそうな表情。
入浴後洗濯物たたみの見守りをしてもらい その後就寝。 落ち着いて寝ており トイレ誘導も順調。
2011年11月01日(火) |
母が元気だったとしたら… |
介護者の会で1人の方が話された。 殆ど会話等なくなった時 突然言われたそうだ。 「私は どうしてこんな病気になったの?」 この話を聞いた介護仲間数人が 同じ経験があると話された。
話せない日々だったと言うから 要介護4あたりである。 病識があるということだ。 聞いた仲間も「それは辛かったことでしょう」と話しておられた。
失語していても絶えずいろいろのことは考えているのだろう。 自分に向けられて話していることが理解でき でも話せないと言う状況やその通り行動できないことはどんなに辛いかと時々思う。 面倒見てもらっていることも判るだろうから心苦しく感じるときもあるだろうと思うし。
見守る家族だって何でも出来た頃を知っているだけに喪失感も強い。
時々「もし母が元気だったらどういう距離で接していたかな」と考える時がある。 元気なら 母との距離はもっともっと遠かったと思うのだ。
病にならないほうが良いが 病を得て気がついた事が多いように感じる。 情けないが 私はそういう人間だなぁ。間違いない。
介護者の会を途中で抜け出して母の帰りに備えた。 家に着いたのは 母の戻る数分前だった。 ショート中変わりなく過せたそうだ。とは言っても一泊だから。 入浴してないと報告があり 食後入浴介助。
帰宅して直ぐトイレ誘導して「大」排出。 そして水分補給。
おやつに「柿」を食べて貰った。 程なく夕食。 ショート帰りのダメージもない。
夕食も順調に食べ終えた。 いやさばの味噌煮が口の中に停滞して少し苦戦した。 いや母の方が苦戦したんだよね。 過去の経験で判っているのに出したのだから こちらの配慮不足だ。 それでも経験知から 停滞を緩める方策もある。 魚の身は少量 よく噛んだところでお茶ゼリーを少量送り込む。 これで少しずつ呑み込んでくれる。 まだこれができるから助かっている。 とにかく停滞する時には 少しずつゆっくり。 母が呑み込みを自覚してくれるように…と願う。 これが 私の取り組みだ。 体重減よりも口から食べる事を維持したい。 今の所 噎せは見られないので助かっている。
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