母のタイムスリップ日記
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2011年10月31日(月) 会議…


母いまひとつと言う雰囲気。
とはいっても 食べる量も噛む事も呑み込みも悪くはない。
絶好調という訳ではないという感じ。
折角調子を取り戻したのに…と思うが 1泊だから「ごめん」って感じ。

今週のスケジュールをチェックしていたら 明日打ち合わせの予定があった。そして その後介護者の会。
ショート帰りがデイの送りと比べると早いので途中退席となることに気が付いて仲間に連絡をとった。

ショートの迎えもそう面倒ではなかった。
1泊なので預かるほうも多少は気が楽なんだろうなぁ。

牛乳は省いて フルセット。
今朝「大」も中量に満たない程度あったのでホッとした。

夜の会議。
2月までだが この調子だと結論は出ない。
最初に会議の進行役の方が「それぞれの想いがあるので結論は出ないかも知れないが…一定の方向性を持つ土台が出来れば…」と話していたことの意味がようやく判った。

参加していて 状況の変化があることに気が付いた。
最近の人権問題の事情で消えてしまった制度もある。
なぜ それに気が付かなかったのだろう。勉強不足だなぁ。
今の厚労省から 各方面への通達も出ているらしいことも知った。
介護家族として「そりゃそうでしょう」とも思うが それはうっかりと口に出来ない。

帰りのエレベーターで一緒になった人が「こりゃ結論でないでしょうな」と話題になったが 別の人が乗り込んできた時ぴたりと話が止まった。
やはり同じように感じている人がいるのだなと思った。
それぞれの立場の人が 認知症のことを考えて一生懸命踏ん張っている事は理解できるが…。

会議を終えて 娘と落ち合いちょこっと贅沢食事をして気分転換して帰宅。
帰宅ラッシュはやや緩和されていた時刻となった。

明日も予定があり 買い物の時間が取れそうもないので深夜のスーパーで買い物して家に戻った。
これなら ショート帰り後の対応もなんとかなりそう。
一昨日 昨日と母在宅の日で買い物できず 明後日は デイのない日なので買い物できないと厳しい状況となってしまう。

施設からの連絡もなくホッとした。






2011年10月30日(日) 穏やかな1日


休日モードで起床。
順繰りに朝の介助。
バイタル問題なし。
穏やかな笑みを浮かべて体調も問題なさそうだった。

朝食も順調。定量を定時間で食べられた。
口の開きもよく よく噛んで呑み込んでいる。
定時間に食べ終えてくれるとこちらも気分的にゆったりできる。
追い立てられるような日々から解放され緊張も緩んできた。

こちらが笑えばつられて笑う。
冗談のアクションにも反応してくれる。
快調なんだろう。

昼食も夕食も快調。
おやつに柿1個食べきった。
昨日甘味が多すぎたので今日は控えた。
夕食は マーボー豆腐だった。
これも夏場は敬遠していた献立のひとつ。
今日豆板醤を入れすぎて心配だった。
甘味噌をいれて味を調整。
一口目は甘みに騙されるが唐辛子が入ると辛いので母には注意しながら食べて貰った。

午後「大」排出。
牛乳も下剤もマグラックスも使わない自然なもの。
夏と様子が違ってきているのは やはり発汗で水分が取られないからだろうか?

夕食後 口腔ケアを済ませトイレ誘導後入浴。
特に変わることなく入浴できて 少し休息してから就寝。

特段変わることもなく穏やかに1日が終えた。
明日は 夜会議のため母は1泊でショートステイだ。


2011年10月29日(土) 雑感


冬に向かってる証拠に 南側のガラス戸から深くお日様が差し込んでくるようになった。
私は動いているので寒いと感じることもないが母は違う。
午前中 母の右側にガラス戸越しにお日様があたっていた。
「お日様ポカポカだね」と聞くと頷いてにっこり。
風もない穏やかなお天気。

休日の今日は 母に甘味を2種類食べて貰う。
水羊羹とスイートポテト半分。
でもあまりにっこりしなかった。
くずきりにしておけばよかったな。

食事の量もほぼいつも通り。
水分の摂取量も多め。

この所施設と在宅の対処の違いについてあれこれ考える。
施設では たくさんの人がいてなかなか個別の対応が取りにくいのは想像がつくし ある程度は仕方ないと思っている。
施設の対応って何処まで個別の観察や対応が可能なのだろう。

直近のショートステイは嘔吐が心配で 食べる事水分補給等控えめだったのだろう。
尿の出が悪く赤味を帯びていた。
家で水分補給して翌日デイに出かけ 尿量が少なめだった。
デイから戻って更に水分補給を多めにしてようやく通常の色に戻った。
ショート先で帰る前日熱が7度3分だったと報告を受けた。
体温の日内変動があることは伝えていたが何処から熱発とするかを問われた。7度5分と伝えた。
しかしこの熱発 脱水症状との違いはどう判断するのだろう。
看護士もいて臨床例も多いと思うのだが…。
ショート先の熱発は脱水症状によるものと思われたからこういう書き方をする。素人の私でも 尿の色や量で判断できるのだから 看護士ならある程度判ると思うのだが…。
そして今回もOS1ゼリーを1日2回摂取をお願いした。
けれどこれが 通常の水分摂取+OS1ゼリーのつもりだった。
若しかして OS1ゼリーを主体としての水分摂取だったのだろうか?
なにしろ今回ほど赤く尿量が少ないのは初めてのことだった。
排尿するたびに泣いていたので 若しかすると膀胱炎でも起こしたのかと不安になったのも事実。
水分摂取多めで取り合えず改善されたので良かったと思っている。

今度 尿量と水分摂取量を聞いておきたいところだが 負担を強いるようでどうしようかと迷う所だ。

夜 TBSラジオの鈴木おさむの「考えるラジオ」で「家族が手術 医師にお金を包むか」という題での話だった。
合計で90万円包んだという人は 結果的に家族は亡くなったが包んでよかったという判断。なぜかというと寡黙な医師にちゃんと病状の質問が
出来 きちんと答えてもらえたからという理由だった。
出演した医師は こういうこともあるがきちんと聞けば医師は答える筈という。
また医師からのメール等もあり「受け取るが手術は変わらない。変わるとしたら待ち時間を少なくするくらい」という答えだった。
現実に「手術ではないが待ち時間を少なくするために10万円渡したら待ち時間が減った」と電話してきた人もいた。
「飛行機に乗るときに席が値段によって差があるように 病院にも差ができると考えてよいのではないか。つまり 現実には個室の値段は高いでしょ」と。お金のあるなしでの治療の差別は既に現実に起きているということだ。
ただ その結果が良いとは限らないとも話していた。

ある程度は判っていたが ちょっと考えさせられた。

それと今医療の世界では 治療して症状が改善できたらいい病院と評価されるため 軽度の人を見ることは積極的だが 治る見込みのない人は拒否される傾向にあるという事だった。
制度上の障害のなのだろう。
私達一般人は それに惑わされる事なく 家族会や世間の評判を物差しに考えていい病院を探した方が良いという話もあった。

なにしろ一般人は賢くなるべきだという思いを強くした。
それには やはりどう死にたいかをよくよく考えておくべきなのだろう。

今日の母のこと。
いつも通りに過せた。
ただ入浴は 夕食後にした。
この所気温が低くなって就寝してからも手足が冷たい。
ショック性低血圧も気になりながら 今日のところはセーフ。
しかし就寝後1度目のトイレ誘導では 足は冷えていた。
2度目の誘導の時には ポカポカだった。
就寝前の入浴…これからどうしようかなぁ。


2011年10月28日(金) 楽しい夢?


おとといの事。
お昼ごはんの時に お口直しに「くずきり」を準備した。
ところてんを突くようにしてくずきりを器に盛り 黒蜜をかけた。

このところ 甘味物は嘔気を起こさないと気になって避けていた。
賞味期限も気になり早目に食べきらなければと思っていた。
気温も下がってきているのでキーンと冷やして…という訳にも行かない。
季節外れのデザート。

一口運ぶと母は「うふっ」と嬉しそう。
運ぶたびに「うふっ」
甘い物食べたかったのだなぁ。
黒蜜物は 好んでいたもの。

夕食後は果汁100パーセントのジュース。味は何だったか忘れたが これも母は「うふっ」と嬉しそうだった。

そしてその晩 就寝中も寝言を言って笑っていた。
甘味のおやつ…お楽しみに取り入れてもいいかなぁ。

今日の夕食のおでん。
お汁を口に運ぶと「うふっ」と私をみた。
これも気に入ったのだろう。
お粥もおでんもはふはふしながらよく食べてくれた。
別立てのゴボウの豚バラ肉巻きも美味しそうに食べていた。
ごぼうなんて 直径5センチほどの太い物だが…。噎せもなく食べていた。
2年前は 食べているうち傾眠して肉なんて恐怖の食材だったのになぁ。
と夕食時は幸せいっぱいの表情だった。

がデイから戻った時には とても辛そうで「あ〜ん」と泣いた。
「どうしたの?」と聞くと「はら。。。。」
幾度聞いても「「はら。。。。」と言う。
「お腹が痛いの?」と聞いても反応はない。
どうかなと思ってトイレ誘導。
今日も「大」が下りてきていた。お腹もゴロゴロしていた。

母は 会話ができる状態ではない。
単語若しくは主語述語程度の言葉が時折出る程度。
「痛い」と言えたとしても「何処が痛い」なんて言い表せない。
それでも「どうしたの?」と聞いた時に「はら・・・」と言えた。
会話といえるほどではないし デイやショート先の職員が聞き取れる訳ではない。
でも聞かれた事を理解して言葉にしようとしたのだと思うのだ。少なくとも私には理解できた。

夕食前に柿を半分食べた。
口が空になれば 手で催促の合図。口に運べば 静かに頷くのだ。

こんな小さなことだが 今は大切に思えるひとこま。

今日も就寝してから寝言が聞こえた。
傍に行くと誰かと話している風で うんうんと頷いていた。
楽しい夢をみているのだろう。

いつも誰かの手助けなしでは暮らせない母。
夢の中くらい 1人で自由に楽しんで欲しい。


2011年10月27日(木) いつも通りのペース


いつものペースで起床 順繰りに朝の身支度介助。
朝食もいつも通りに食べ終えた。

可燃ごみの回収日で先日剪定した枝を門前に運び出した。
剪定枝は3点までと制約があるので ご近所さんにも置かせて貰い無事回収してもらった。

気温が低めで上着の選択に迷う。
迎えの車が遅くてひやひやとした。

月末の作業を続ける日々。
慢性健忘症で悪戦苦闘の末ようやく仕上がった。

あれこれ用事がたまって買い物ついでに外出。
用事を済ませて家に戻った。
散らかった家の中をざっくり片付け 夕食の支度。
買い物している時安くて鮮度のよいイカを購入。
塩辛作りの下準備をした。
ついで明日はおでんを作ろうと思うのでその下準備も。

夕方デイより帰宅した母。浮かない表情。
トイレ誘導し「大」排出。
浮かない表情は これかと思った。
そういえば 今朝は「大」の確認してなかった。1日我慢をしいてしまったかなぁ。

水分補給とバナナを1本。
その後夕食。定量を35分で食べ終えた。
口腔ケアを始める頃には 目を瞑って1人の世界に入り込んでいた。
口腔ケアを済ませてから急いでトイレ誘導。既に出てしまった後だった。

母の部屋に移動して洗濯物たたみの見守りをして貰ったが 相変わらず目を瞑って母の世界に入り込んだままだった。
手は動かしているので居眠りではない。
少し早めだが 就寝してもらった。休息はぎりぎり1時間。

就寝後のトイレ誘導も順調。
昨夜のハイテンションは消えいつも通り戻った。


2011年10月26日(水) 褒め言葉の効果?


何時も通りに起床。
やや元気って感じ。
やっと「小」が透明になり普通の量に戻った。

朝食 昼食 夕食は全量摂取し時間も40分以内。
「大」「小」順調。

ショートから帰宅した時の事が嘘みたいに通常に戻った。
腰も支えさえあれば自力で立ち上がる。
歩行も支えさえあれば歩く。
姿勢保持も良い。
立位も私の肩につかまり立っていられるようになった。
ショート前と同じ位になった。

日中はよくおしゃべりしていた。
始めは 意味不明に近い感じのおしゃべりだった。
「うんうん そうなのね」と繰り返し返事していた。
就寝前「もう寝る?」と聞いてみた。
母はベッドをさして「まだまだ」と言って間を置いてから「んだげんとね」(けれどもねの意味の方言)と笑った。
そう今日はおしゃべりも多かったが笑いも多かった。
声を出してケタケタと笑っていた。

すごいハイな状態。

それが就寝後も続く。
最初は寝言。声が聞こえたので慌てて母の所に行くと「あはは あはは」と笑う。トイレ誘導時も声を立てて私をしっかり見て笑い出す。
なんだなんだ。この変化は。

夕食前には入浴もできた。
身体を洗い洗髪もした。

今日は療法士さんの訪問もあった。
ショート帰りに立てなくなった話をしたら「これからそういう事がおおくなるかもしれないですね」と言われた。
勿論 ある程度は覚悟している。
実際そうなるとオタオタするのだが…。

今回は2日後に元に戻った。
これが少しずつ長引くのだろうなぁ。

先の心配より ひとつひとつ乗り越えられたのだから…母の踏ん張りに感謝しながら一緒に歩んでいこうと思う。
しかし母は凄い。
実は一昨日 昨夜と「歩きたいと言っていたから出来る限りそうしてあげようと思っているけれどそれでいいの?」と繰り返し聞いてきた。
ちょっと踏ん張ってくれたら「ありがとう すごい事だよ」と感謝を伝えていた。そうすると母は頑張ってくれた。
「褒め言葉」が効いたかしら…。


2011年10月25日(火) やや改善かな


一晩静かだなと感じたのは「小」のサインがなかったから。
起床時 トイレ誘導したがパットは綺麗な儘で 座ってから「小」がみられた。
これは 最悪。
何となく熱いような気がして検温したが平熱。
朝食前から せっせと水分補給に努める。
食べる事に関しては何の問題もない。

今朝も腰が重たかった。でも帰宅したときと比べればよくなってきている。

昨日は デイにも出さない方が良いかと思ったのだが母のためにもいつも通りが良いと考えなおした。

デイへと送り出して洗濯。
この所お天気がイマイチで湿った臭いがするので洗いなおして干した。
それから 家事を済ませて買い物へ出かけた。

夕方 母が帰宅した。
昨日苦労した移乗介助は少してこずったが昨日よりずっとまし。改善しているという事だろう。
連絡帳をみると「小」が少ない。
水分補給の記録がない。記録担当の人がいつもと違う人なので記入漏れかな。
朝の連絡帳に水分補給をおねがいしたのだが…。
トイレ誘導でもパットは綺麗でトイレで「大」「小」排出。
「大」は普通の形状でホッとした。

おやつに柿1個・美味しそうに食べていた。
夕食も順調に食べてくれた。
水分も多めに摂取してもらう。

休息後 トイレ誘導して「小」排出。
ようやくかかとを床に着けて歩いている。
今回の立位が保てない原因は膝だと思う。
朝 仰向けに寝かせた時左ひざが曲がった儘だった。
伸ばそうとすると「痛い」とはっきり言った。

就寝前も立位を繰り返してみた。
おかげで 母は私に摑まって立位維持できる所まで可能となった。
昨日は「大」の形状がゆるゆるだったので腹痛もあったのだろうと思われる。
膝の痛みとお腹の痛みで大変だったのだと思う。

就寝後のトイレ誘導も順調。
「小」もようやく綺麗になってきた。

昨日 今日と気温が高い。
ショート帰りには 4枚の服を重ね着していたし…。あれじゃ気分も悪いだろう。
落ち着きを取り戻し始めているので あとちょっとだろう。


2011年10月24日(月) うっそぉ!


ようやくイヴェント終了した。
大勢の方との出逢いがあり 貴重な話を伺えた。

昨日 帰宅してからちょこっと作業した。
結局いつも通りの就寝。

今朝は 庭に下りて草取りや庭木の剪定。
母は明日帰るのでその前に片付けて起きたかった。

お昼をかっ込んで 直ぐに作業再開。

午後3時ごろ 4時半まで踏ん張ろうと意識した。
乗りまくって作業を進めていたら「ピンポン♪」とチャイムが聞こえた。
門前に廻ると車が止まっていた。
「うそっ」と瞬間思った。
門扉を開きながら「25日帰りだったのではないのですか」と呟いた。

ショートに入る日に「お帰りは25日です」と言われて「24日ではなかったのですか?」と確かめ「間違いありません。25日です」と言われたことをはっきり記憶していた。

職員がノートを見ながら「24日でまちがいありません」と言ってから思い出したらしい。
「書類の書き違いがあったようです。言い訳になりますね」と話してた。

帰ってきたのだから仕方ない。
ただ母の夕食の支度ができていない。庭には数種類のはさみや草刈釜と剪定中の枝が大量に散らかったままなので とりあえず剪定道具を駐車スペースにまとめ置いた。使い終えたら綺麗にして元に戻さないと次の作業の時支障がでるから。剪定した枝は そのまま放置。

母の所に戻って「よいこらしょ」と立位介助をしたら腰が立たない。
何とかあがり框に腰掛けて貰った。
そこから家に上がるのもいつもならたいしたこともなく出来るのだが…。
今日は足をくの字よりもっと鋭角な曲げた儘。
この感触は在宅に戻した頃と一緒。
一年以上こんなことは起きていない。
いやはや参ったパンダ!
仕方ないので毛布を持って母をのせてずるずると椅子の前まで移動して何とかかんとか椅子に座ってもらえた。
母は 立てないことのショックか痛みがあるのか めそめそと泣いていた。

昨日 座薬の便秘薬を使い今朝マグラックスの330を服用したという事だったので腹痛もあるのかもしれない。

気を取り直して 抱え込むようにしてトイレ誘導。
姿勢は保持できるのだが 何しろ腰砕け状態でトレーニングパンツもおろすのが大変だった。
それから急いで夕食の準備をして母のトイレ介助。

用が済んで食卓へと移動してもらった。
其の間「あはは」と笑い声が響きほっとした。
食事前に水分補給。
そして夕食。順調に食べ終えた。

口腔ケアが済んだ頃夫が帰宅した。
ちと助けて貰うことにしてトイレ誘導し入浴。
身体を洗い洗髪。
中々厳しい状態だった。
夫は居るだけの安心人形だ。
介助の助け手となるにもある程度のことを知っていないと助け手にはならない。

入浴後水分補給して休息を取り就寝。
どうも水分摂取量が不足気味のようで「小」が赤っぽい。

就寝後のトイレ誘導 ようやく足もゆっくりなら動けそうな感触となりちと安心。

他にも書き留めておきたい事もあるが暫くはリハ優先になるだろう。


2011年10月21日(金) やれやれ


ショート先からは 電話は来なかった。
やれやれ。

あちらこちらと用事があり走り回って1日が過ぎた。
途中で雨が降り出して 用事途中で家に戻り余計な時間がかかった。
やれやれ。

「あなたは 何でもてきぱき早いわね」と年を取ってからの母は よく言っていた。
それは年齢の差だと感じていた。

最近 富にスローモーションになって。
いつも通りに歩いているつもりでも人に追い越されてハッとして歩行を早める。

スローモーションが生活全般に出ていて時間がかかる。
これが忙しさを加速させている。
この悪循環が嘆かわしく感じたり…。
でも「嘆かず 焦らず 楽しみながら 確実に」を意識していかないとなぁ。


2011年10月20日(木) ワタワタ…

今日からショートステイ。
今回は送迎があるので 家まで迎えに来ていただく。
職員からの質問に 対策を伝えた。
便秘していなくとも嘔吐があったことや最近「大」が軟らか目であることを伝えると「薬をどう使いましょうか?」と聞かれた。
家では コニール以外使ってないので答えに窮した。
使ってどうなるかは施設の方がノウハウがある。
「おまかせします」とはいってもそう簡単に「はい」と言う返事は貰えずあれこれ考えて結論を出した。

ついで今日からの予定を伝えて連絡は携帯へとお願いした。

お昼に夫と待ち合わせて書類を受け取り それから会の事で役所に出す書類を介護仲間に渡して明日の事もお願いした。
それから 今日の打ち合わせや作業の会場へと向かった。
その後イヴェントの最終確認の会議。

仲間と少し話して家に戻った。
メールも何件か入っていたが遅い時間となって明日へと廻す。

昨夜 あれこれと作業したりチェックしていたら午前3時となってしまった。今日はさすがに眠くて…。
何をやるのもスローモー。
今日は 早目に布団に入ることにした。


2011年10月19日(水) おうち日


 いつも通りに起床。
明け方少し咳が出ていたが暫くして治まっていた。
起きてから様子をみていたが咳は出ていない。

トイレ誘導・朝食とデイのない日なのでのんびりと過す。
洗濯物を干しに2階にあがり戻ったら不安そうな顔。
「どうしたの?」と聞くとにっこりしてくれた。
そういえば「待っててね」を言い忘れていた。
頷きも薄いのでついつい飛ばしてしまうのだ。
そうっと手をなでていたら穏やかな表情となってひと安心。

気温が下がってきたので いよいよ夏物をしまう時だと作業を始めた。
母には椅子に座って見守って貰った。

そうこうしているうちにお昼。
お昼の前に 両手引きで歩行して貰った。
すり足気味だがちゃんと歩けた。
昼食は夏物の作業をしながらお鍋でコトコト煮ていた。
キャベツをざっくり人参ゴロゴロ玉葱コロリ豚バラ薄切りをお醤油とちょっとのお砂糖で煮た。
母は美味しそうに食べてくれた。
食欲はある。

午後療法士さんが見えてリハビリ。
今日は椅子からベットへの移乗の様子を見てもらう。
最初はかかとを着かないが いちど姿勢を立て直すとかかとが着き歩行する。その様子をみて「ここまで出来ればいい方ですよ」と励まして頂く。

リハが済んで また衣類の出し入れを見守って貰った。
また 歩行練習。「頑張ってくれてありがとう」と言ったらしっかり頷いてくれた。

3時のおやつにバナナを1本食べて貰った。水分も補給。

夕食の支度を済ませて入浴。
今日は浴室を温めてから入浴だ。
夏の間は風を入れていたが今日からは温風にした。
浴室で身体を洗っても寒そうではなかった。
明日からまたショートステイなので少し丁寧に身体を洗い洗髪。
風呂から上がったら湯冷めしないように少し厚着をしてもらった。

その後夕食。
夕食も順調に食べてくれた。
食後辺りから 反応がいつも通りに戻ってきた。
笑顔も多く 手もよく動き出した。

今日1日の食事は通常の9分目程度だった。
食後暫く休息してもらった。
気がつくといつもより30分以上遅くなっていた。
慌てて就寝。

就寝後のトイレ誘導は覚醒してニコニコ。
ベッドへ戻れば 直ぐにzzz。ベストな状態だ。


就寝後のトイレ誘導は


2011年10月18日(火) 前向きな言葉に…


昨日日記更新した筈なのになぁ。
消えていた。操作ミスかなぁ。

で思い出しながら…。
デイの迎えが来た時「調子悪いとは思えないけれど大丈夫と太鼓判もおせない…」と伝えたら「365日元気いっぱいなんてないでしょう。ねぇ〇さん」と母に話しかけていた。
するとそれまで反応が薄かった母が頷いていた。
「姿勢保持が良くなってきていますよね」と私に向けて話しかけてくれた。
前向きな言葉に緊張が緩んだ。

デイから帰っても反応が薄いのに変わりない。
トイレ誘導で「大」。
最近緩め。牛乳も使っていないのになぁ。
夏場は 牛乳飲んでマグラックス服用しても固めだったのになぁ。
体調が悪いのだろうか?
熱もないし血圧も「小」も特段変わっていない。
だるそうにも見えない。
変わっていることと言えば膝がやや曲がった儘くらい。

そのうち良くなるだろうと思うことにしながらのんびり行くしかないなぁ。


2011年10月17日(月) サイレンが…

 何処となく不安を感じながら過している。
今朝も非常に元気と言う状態ではないが 悪いということもない。

朝のトイレ誘導で「大」排出。
前回この後で嘔吐が起きたので ゆっくりと注意して介助。
「ふふ」程度の笑い声も聞かれた。
食事も順調。水分も定量摂取。
普段は計らないが 一応血圧測定。変動の範囲内。
顔色悪くない。平熱。

そろりと玄関へ移動。
変化なし靴を履き替えるところでデイの迎えがきてデイへと出かけた。

母の居ない間に 買い物。土日は外出できなかったので用事はあれこれある。

夕方 母が帰ってトイレ誘導やら水分補給やら…そして夕食の仕上げ。
「どうかなぁ」と思いながらゴボウと牛肉を甘辛く煮た。
残った汁で豆腐を煮た。
後は 大根とさつま揚げの煮物。葉ものの味噌汁。
全量食べきった。健康人の対比で量は八分目。

長めの休息の後 トイレ誘導「大」少量排出。
最近の傾向としては 軟らかい。

特に変化はなくいつものように洗濯物たたみを見守って貰った。
夕食前後 あくびを連発していたので少し気になる。
デイでファミレスに出かけたので疲れていたのかな。

充分休息をとってからベッド移乗。

さてこちらの夕食としましょうと配膳を始めたら遠くで消防自動車のサイレンが聞こえた。
そこへ夫が帰宅。
「サイレンが鳴っているね」というと「偉くいっぱい動いているみたいだ」と言う。
だんだん音が近くなってきた。
いつもは これが通過してホッとする。
だがサイレンが止まった。
近くだ。

スワッと2階に上がって外をみた。
赤い煙が上がっていた。
「おとうさん 近所だわ。通リ向こうかも知れないけれど…」
母の様子をみてから外に飛び出した。
10メートルも離れてない所に消防車が止まっていた。
火の粉が飛んでいる。
燃えている家は見えないがでも予想は付いた。
瞬く間に消防自動車が20台。救急車・パトカー…。

消えそうだと思うとまた火の粉が散って燃える。
これを幾度か繰り返していた。
近所の人も外に出て様子をみている。
これが数日前の風の強い日だったら延焼するだろう。
ザワザワとした。

鎮火したようにみえても野球場のような夜間照明を付けて消防自動車も零時少し前まで待機していた。

他人事ではない。
家でも注意しなくちゃ。火の用心!

今日の母膝がカクンとする。
立位介助していても膝が沈み込む。
なんだ なんだ。
夕食後も血圧測定してみるが変動の範囲内。
トイレ誘導の時には 床に足を着けていたけれど…。

ちょっと変動期だなぁ。


2011年10月16日(日) 就寝近くになると…


休日モードで起床してもらう。
離床は ゆっくりでベッドに座位の姿勢で暫く様子をみてから椅子に以上は最近のお決まり。
着替えを始めてうふふであれば 良い方と受け止めようとしている。

朝食も昼食も順調。
朝テーブルについた時は「ありがとう」とひとこと。
「わっ嬉しいな」と言ったら更になにやらしゃべっていた。

水分も食事の摂取量も順調で1日嘔気も見られなかった。
「小」の量も申し分なし。
ただ「大」が少ない。
固くなっている様子はないが下りてきていないのだ。
ガスは出ているので少し安心している。

午後の入浴の前にお腹をマッサージしておいたが気配はない。
合間合間で夕食の支度をしていた。
久々にコロッケを作ろうかと思ったのだ。

しかし あれこれ対応しているうちに夕食の時間が近くなって慌てた。
パン粉を叩こうとした時夫が帰宅した。
そこで母の食事介助を頼んでみた。
夫は気軽に応じてくれて食事介助してくれた。
その間にコロッケを揚げて母の夕食にもした。
母 コロッケ1個食べきった。
うちで作るコロッケは大きい。
明日の朝が心配。

就寝が近くなるに従い母のテンションが上がっていく。
眠そうなのだが…切れ間なく笑う。
つられて此方も「あはは」
ベッドに移乗した時「今日も1日良く頑張ってくれたね。偉かったね」といったら深く頷いてから「はい」と言う返事。
そしてまた「あははは」と笑う。

就寝後のトイレ誘導時も覚醒しておりよく笑っていた。


2011年10月15日(土) 素直になれない日

朝母を見たらまだ眠っていた。
先日も目覚めが悪かったなと思い出し気分が悪いのかと気になった。
ベットに座って暫く様子をみた。
特別変化もないので椅子に移乗した。
「うふふ」の笑い声にひと安心。
着替えてトイレ誘導しいつものリズムに…。
食事も順調に進み姿勢保持も出来ていた。
けれど絶好調という雰囲気ではない。
言葉が少ない。動作も鈍い。
こういう日 以前は全く気にならなかったが 快調な日と比較するとちょっと気になるようになってしまった。
「少し神経質になり過ぎているぞ」と思う。

10時にケアマネさんが見えた。
当然嘔吐の話題となる。
「母の頑張りに感謝していますよ」と言うと「そうですね。週4回それにショートステイも多いのでがんばっていますよね」と言われた。
…そうですか 立場違えばそういうことになるのですね…と心の声。
確かにショートも母に悪いなと思うでも そればかりが母の踏ん張りではない。食事も頑張って食べているのが判るし排泄もきちんと伝えてくれているのがわかる。時に失敗しないように我慢しているのも見える。1日を終えて今日も頑張ってくれてありがとうと心底思うのだ。その辺が微妙に違うのだ。

昨日のデイの保健士さんからの入浴の問い合わせの件も「大変な介助を家族がしているなんて考えなかった」と言っていたそうだ。

「MRIも受けられるそうですね。嘔吐の原因が判ればショートの受け入れも考慮して貰えるとおもいます。現状では手がかかりますし不安を持つ方もいます」と言われた。
…ふうん。原因が判って同じ症状が起きた時だって手はかかるのではないのかな…と心の声。
「つまりはもう家族で見るべき…」と言われたような気持になった。

介護専門職の団体の方が在宅介護に向けて「医療対応のできるショート体制の充実を」という意見書をみたばかりである。
家族の困っているだろう事は想像できても対応はまだ出来ていないことの裏付けだろう。

そういった一言をケアマネや身近な専門職の方が言ってくれたらいいのになぁ。

愚痴が零れるということは 今お疲れモードという事だなぁ。
今日は むしむしとしてだるいモード全開だから仕方ない。

そうそうひとつ気になったことがあった。
ケアマネとの話は今日は長くはならなかったが 母は話を聞いていて涙を零す寸前だった。だから「母の頑張り」の話をしたのだ。
本人が在宅の時に…というのが前提なので仕方ないが 何だかかわいそうな気がした。
要介護5であっても判る時は判る。

母は 昼食も夕食もやや控えめの量ながらしっかり食べてくれた。
嘔吐はなかったし 水分もいつも通り摂取できた。
入浴も特段変わりなく…。

食事が済んだら大あくびをしていた。
就寝前には 笑顔を取り戻してよく笑っていた。
就寝後の誘導時しっかり覚醒していて「うふふふ」と笑う。
其の笑う声を夫も聴いていて「これだけ笑えるという事はいいことだね」と言っていた。
誘導後ベッドに戻ると直ぐにzzz。

あしたは 晴れてね♪ 二十歳を目前にした友人の子たちの為に♪


2011年10月14日(金) デイへ


にっこり笑っての起床。
椅子に移乗した姿勢もシャキンとしている。
これならデイも大丈夫。

順繰りに朝の介助を始めた。
朝食は控えめな量。水分だけは通常。

食後ゆとりを持ち暫く休息し玄関へと移動。
頷きの反応もよく言葉も出る。

デイの迎えがきて見送る。
当然 昨日のことを口頭と連絡帳で伝えた。
食事は 控えめに…とお願いした。

少し立ってからデイの保健婦さんから電話がきた。
一瞬「またか」と思ったが違っていた。
「昨日も一昨日も入浴していま」と記入したのだが「はなさん 他のサービス使っているの?」との質問だった。
「いえ デイのない日は家のお風呂に入って貰っています。1人介助ですよ」と伝えた。
「入浴させて欲しいという事ね」と言われた。
面倒なので「そうです」と伝えた。
「入浴しても特に変わりなく過せている」という報告のつもりだった。
後の判断はデイにお任せという意味だったのだったが…。

「お母さん 今日は はっきりおしゃべりして姿勢もしゃんとしてお元気ですね」
「そうなんですよ。一昨日は調子が良くてまさか翌日嘔吐するなんて予想できませんでしたよ」と伝えた。
「水分取れていますか」
「はい少なくともショート中より摂れていると思います」
…これが 余計な一言だ。昨日は1000cc摂取していると言えばよかったのに…
「やはりお母さん娘さんがいいのですね」と言われてしまった。
「そうじゃなくて…元気だったり そうじゃなかったりは少し気になっててね。昨日もつらつらと考えて脳梗塞のようなことが起きているんじゃないかときになっていて 罹り付けの医師に相談してみようかと思ったりしています」
「それはいいですね。MRIは本人負担もないし…」
「はい 時をみて相談してみます」
…MRIは本人に負担がないというけれど以前病院で面倒そうに言われた記憶があるのだけれど…

なかなか厄介なものだ。
医療機関では 年齢と認知症という事で検査の必要性を問われる事があるのだ。
「お願いします」といえば拒否されることもないが…。

そんなやり取り後受話器を置いた。

それから大急ぎで夫の喪服の準備。
取引先の会社の方が亡くなったという。

お昼を食べて買い物に出た。
土日は外出も儘ならないので今日のうちに済ませておかないとならない。
購入品をメモにして出かけた。
買い物をしている間 やたらとあくびが出て困った。
昨日緊張していたせいかなぁ。

夕方デイより帰宅。
朝の元気はないが それでも心配はない様子。
トイレ誘導して 夕食の支度に取りかかるとテーブルとんとんが始まった。
デイでの昼食控えめだったのでお腹が空いたようだ。
おやつを食べさせたいけれどグッと我慢して 夕食まで待ってもらった。
夕食 ゆっくりのつもりだったが30分で食べ終えた。
夕食も8分目。
お腹が満たせると瞼が下りてくる。
でもゆっくり休息を取ってもらって就寝。
ベッドに入ると直ぐにzzz。
就寝後のトイレ誘導も「小」たっぷり。
足取りも良い。
明日はケアマネ来訪予定。


2011年10月13日(木) 焦る事なかれ…と。


いつもの時間に母の所に行くとまだ眠っていた。
こういう時もあるので「おはよう」と身体を起こしてあげて椅子に移乗。
今朝はやたらと重く感じた。
移乗後の姿勢が右に急傾斜している。
座りなおして貰ったが右傾斜は残っていた。
眠いのかなと思った。
身支度を整えてトイレ誘導。
「大」排出。
これがどうもすっきりしない形状でいつもより手間取った。

時間を気にしながら食事介助。
これも口の開きが悪い。
まだ眠いのだろうと思った。

何とか食事も済んで玄関に移動してもらう。
上がり框に腰掛けて貰った途端怪しい雰囲気。
急いで防御の準備をしているうちに軽い嘔吐。
慌てて上着を脱いでもらったら…再度嘔吐。
母を動かさずに周囲の後片付けをした。
その場を離れられず デイへの連絡も出来ない。

迎えの車が来て「デイおやすみ」を伝えた。
事務所に電話してお休みを伝えた。
それでも暫く上がり框で休息。
焙じ茶を歯ブラシにつけて口の中を綺麗にした。
すこし嘔吐があり 再度口腔内をお掃除。

暫くして落ち着いたのでテーブルに移動してもらう。
座位は保てるようになっていた。
それでも嘔気が止まらないようすで静かにしてもらい 洗濯物をほした。
更に手当てに使ったバスタオルも洗濯。
落ち着いているので急いでコンビニに走った。
茶碗蒸し等を調達して戻った。

嘔吐の弾みでひょっとしたら…とトイレ誘導。
ふゆふゆ臭うので間違いないと確信し直ぐに手当ての下準備して取りかかる。ズボンは免れたが下着が汚れていた。
母も苦しかった事だろう。
最初に戻した時「気持悪い」と聞いた時頷いていた。
「調子よくないね」と聞くと頷いた。
だから朝から気分が悪かったのだなと想像がついた。
「ごめん気が付かなくてね」と話しかけた。
弱弱しい頷きがあった。

トイレで「お腹痛い?」と聞くと頷く。
綺麗さっぱりしてテーブルに戻った。
それからはやや落ち着いてきたので少しずつ焙じ茶を飲んで貰う。
様子を見ていたが嘔気は引いている。
水分が摂れるなら通院はしないでいいかと思った。

静かに椅子で過して貰っていた。
姿勢保持もできるので昼食を食べて貰う。
ほんのちょっと。
様子見していると取り合えず落ち着いていた。

トイレ誘導しても特別の変化はない。
水分1000ccを目指してゆっくりゆっくり。
通院では1回500cc点滴なので口からなら1000cc位かと思った。

夕食も半量に減らしてゆっくりゆっくり介助。
消化の良いものを中心に。
水分摂取量がまだ足りなかったのでOS1ゼリーで補う。

食後もいつもより長く起きていてもらって落ち着いてから就寝。
就寝後 トイレ誘導でたっぷりの「小」排出。
ショート帰りで「小」が濃い色だったので昨日はかなりの量を摂取してもらった。それに昨夕の食事も結構な量だった。
元気だったという事もあって「だいじょうぶ」と思っていた。

今日は猛反省。
いくら調子が良くとも注意深くなければならない。
今日は1日「あせる事なかれ。母は95歳なんだから」と呪文のように考えていた。

「前兆はなかったのか」と振り返る。
昨日は就寝後少し咳き込んでいた。
涎で濡れる事はなかったのであまり気に留めていなかった。
夜間のトイレ誘導時 用を済ませてからも介助する私の背中をとんとんと叩いた。あれもサインだったのだろう。
母は懸命に伝えようとしていたのにキャッチしなかったのだなぁ。

母は 何となく力ないのだが それでもけなげに笑うしおしゃべりもしてくれた。朝はさすがに言葉もなかったのだが…。
じっと受け止めるだけの私だったがこれでよかったのかなぁ。
ましょうがないね。こんな私でも母は私の方がいいと思っているのだろうかなぁ。私自身は特に苦労とも思わないけれど…。

明日の朝の様子でデイに行くかを決めようと思う。


2011年10月12日(水) 「どうも♪」は…

目覚ましが鳴りうつらうつらしているうちに 土曜日と勘違いした。
7時近くになって平日だったと気が付いて慌てて飛び起きた。
朝食の支度をして夫を送り出し母の朝の介助。

母はぐっすり眠っていて 夫を送り出すと目をぱっちり開けていた。
「おはようございます」と挨拶して椅子へ移乗し身支度を整えた。
着替えている時 いつもの「うふふ」が聴こえた。
それから順繰りに朝の介助。
朝食も順調に…。

午前中のうちに夕食の下準備にとりかかった。
母は いろいろおしゃべりしたり笑ったりと調子がいいのが判った。
トイレ誘導もしていたが「大」がない。
時折 居間に両手引きで移動。
昨日は歩行するのも大変だったが 今日は膝が少し曲がった儘だが 膝を高くあげて歩いてくれた。
「頑張ってくれて ありがとうね」というとこくりと頷く。
おしゃべりも多少意味がある言葉だ。
理解できない言葉ではなく ちゃんとした言葉である。
適切な言葉ではないが 多少関連性のある言葉。

昼食も順調に食べ終えて療法士さんを待ちリハビリを受けた。
その後 またリビングとダイニングを行ったり来たり。
「すごいねぇ」というと「はい」という返事。

ショート帰りの昨日は 時折「先生」と言っていたが今日はない。
家に戻ったという感覚があるんだろう。

おやつを食べて貰ってから入浴。
身体を洗い洗髪して湯船に浸かったら「どうも」と顔をみて言う。
洗ってみて垢が多かったので ショート中は入浴できていなかったと思われる。嘔吐があったから 当然そうだろうと思う。

ショート中に職員と話して気が付いたことがある。
「これまでは そこまで意識しなくてもなんともなかった」と言う言葉だ。
こういうことは 家でもある。
だから デイやショートに託す時に表現しにくい対応があるなぁと感じた。
細かく細かく伝えても伝わらないことは こういうところなんだろうと思った。
家では 嘔吐が起きている時期は お腹を圧迫しないように介助していた。私はそれが当たり前だった。
けれど施設では そこまで配慮しなくとも大丈夫だったという。
施設の対応がまずかったという事ではなくて…。

逆に 車に乗せる時や車椅子からの立位を職員は危なげに見えているようだ。でも それで転倒したこともないし…私には当たり前の事。
それと目の前で職員が介助している時には とても綺麗に介助しているのだ。それなのに 嘔吐が起きたり入浴時膝に傷を負ったりする。
人によって接し方も違うのだろうなぁ。

さてと…。
お風呂上りに水分補給して 夕食。
今日は 紫のジャガイモ 普通のジャガイモ 南瓜をさいの目に切ってゆでチーズをのせてレンジでチン。
昆布の煮物。サーモンを薄くスライスしてオリーブ油で表面を焼いてレモンを絞ったものと味噌汁と温奴。それと牛乳。
結構な量だが全て残さず食べ終えた。

暫く休息をとって 8時過ぎ大あくびがふたつ続いたので就寝してもらった。就寝後のトイレ誘導時母を起こすと「どうも」とまた。
よくよく考えると私が母に「どうもありがとうね」と連発している。
この言葉が母の頭の中に残っているのだろう。


2011年10月11日(火) 元気に帰宅


午前中 PC作業とあちこち連絡を取る。
PC作業は 地域のサロン活動のレポート文。
依頼されてから締め切りまで短時間。
母のショートの直前だった。
運営委員さんの了解を得て仕上がった文を読んで貰って了解を得て
夕方送信できた。

皆さん 母のこと心配くださり声を掛けてくださるので有り難い。

昨日 介護仲間からアケビを頂いた。
母に見てもらえれば…という想いを感じた。
「種がすごく甘いのよ」と下さった方が言われた。
うちでは 種より皮。
「皮を食べるのよ」というと驚いていた。
作り方を伝えたので今朝メールをもっらたついでに「作った?」と質問。
すると「苦すぎる…」という事だった。
頂いたアケビで急いで作ってみたが食べれないほどの苦さはない。
作った物を持って買い物に出かけて試食して貰った。
1個しかあげなかったから…と3個も貰った。
「食べれないほどの苦味はなかった」というメールが届いた。
苦味を苦手とする人は無理かもしれないが…。
ちなみに母は喜んで食べる。
明日は アケビの皮の味噌炒めにしよう。

夕刻前ショート先に迎えに行った。
今回は送りがない。
母がエレベーターで下りてきた時やけに痩せてみえたので思わず
「あら痩せた?」と口にしてしまった。
「しまったぁ」と思った時はとき既に遅し。
一瞬間が空いてから「結構召し上がっていますよ。髪型のせいでしょうか?」と言われた。
「あそうですね」と返事するとケア担当の方が「整髪してきたのですけれど…」と。
余計な言葉は口にすべきではなかったと反省。
母は笑顔で意識もはっきりしていてベストな状態だっただけに悪い事を言ってしまった。
言い方って難しいなぁ。

家に着いて直ぐにトイレ誘導したが「大」「小」なし。
便秘という事だったので牛乳を飲んで貰った。
おやつに柿とバナナ。
大きな口を開けよく噛んで食べていたので安心した。

夕食も順調。
水分も多めに摂取。

食後も機嫌よく良く笑いおしゃべりもしている。
一時間半後 就寝。

きっと入浴もできていない。何となくの感触だがでも確実。
でも食前忙しかったので入浴を諦めた。
就寝前の「小」は濃い色だったが 就寝後は透明になったので水分も
なんとかなったと思う。


2011年10月10日(月) 眠いな ねむいな。


介護仲間と落ち合って看取り後のケアについてのお話を聞きに出かける。
会場近くのお店でお昼を食べて その後散策。
そして会場へ。

精神科医のお話。
以前聞いた時と被る話も多くちょこっと舟を漕いだり…。
講師には 申し訳ないことをした。

その帰り 娘と娘の友人のグループ展を見に立ち寄った。
娘自身はあまり良い出来ではないと言っていた。
今回で何回目になるのだろう。
あれこれ感じることがあるらしいが 何でも体験して足りない所を発見しながら磨いて行けば良いのだろうと思う。
見に来てくれた方からいろいろヒントを頂いたようだ。

帰りの電車も舟こぎでこっくりこっくり。
乗り越すこともなく無事下車して家路についた。



2011年10月09日(日) 電話が来ないという事は…


朝8時に夫と家を出て駅までてくりてくり。
駅で別れて 電車に乗って移動。

今日は ちょっとした集まりに出向いた。
介護・看護等ベテランと思われる現場の職員。
それ以外に そういった現場の人の声を拾い上げて制度に反映して貰おうとする人も参加している。
介護保険等制度に関しては熟知している人たち。
意見を述べるのにも達者な方たち。
隣に座った方もそうだった。
「あなたの住む地域で制度の検討が始まっているの?」と質問された。
公聴できる場合もある。けれど制度の根幹に関わる検討会に一般の人を巻き込んで…なんてことは先ずない。
先日も「検討会のメンバーって 誰々なんだろうね」と仲間と話題となったばかり。
だから「役所の検討会になんてお呼びもかかりませんよ」と答えた。
そういわないと「何をぼんやりしているの」といわれそうな雰囲気。
現役の介護者がそういった会議に出るという事は相当な負担になる。
そのうえ介護保険を読み解いて参加することは難しい。
 
隣の方は ご自分の親の介護をして現在は奥様のお母様と同居中といわれ「認知症の介護は 中々厳しいね。うちは奥が見てくれているけれど帰って当時者の話に付き合ったりすると頭にきてたよ」と話されていた。

つまり制度を熟知して検討もするけれど 介護に関わる場面は少ないのだ。
この方 地域の介護者の会の存在をご存じなかった。
そこで介護者の会の存在する場所を伝えた。
「へぇあるんだ」という返事。
「これから その人たちを呼びたい」という事だった。
地域でのイヴェントがあるので参加を呼びかけていくという事だった。

この集いの関連の人たちとは 殆ど交流がなかった。
介護・看護関連の人たちとの交流はあるが まだまだ一部の人たちに過ぎないと痛感した。

ついでに此方が企画しているイヴェントの告知をさせてもらった。
遠い地域の人が月に2回も上京参加する事は難しいだろう。
でも近隣の人もいるので ざっくり伝えた後期日・場所を再度伝えさせて貰った。

昨夜からショート先からの連絡は入っていない。
おそらく落ち着いているのだろう。


2011年10月08日(土) わっ!また?


ちょっとだけゆっくり目に起床してもらった。
実は今日から再度ショートステイ利用。
前にも書いた気がするが今月は母受難の月だ。

後半にももう1度ショートをお願いしている。

朝食も順調に食べてくれ笑顔も多く非常に落ち着いていた。
今日は送迎がないので車椅子を押してショート先に向かった。
職員にバトンタッチ。
今日は これまで一度も聞いたことのなかったことを母に聞いた。
「ここはお泊りするところ。迎えに行くまで待っててね」と。
母は静かに頷いた。
ゆっくりと施設を後にした。

家に戻ってあれこれ作業やら連絡を取っていたらショート先から電話。
「うわ また?」と思ったがあれだけ調子が良いのだから別の事かとも考えた。だが やはり嘔吐した連絡だった。
これからの対応について聞きたいという事で直ぐに施設に向かった。

母は眠っていた。職員と話し込んでいると目を覚ました。
私の顔を見てにっこりそして手を伸ばす。
元気で落ち着いており顔色も悪くない。
今朝の食事にクリームシチュウの残りを食べて貰った。其の上牛乳も飲んでいた。ショート先の昼食のおかずが秋刀魚一匹だそうだ。他に煮物らしい。全量摂取できたという事だった。
秋刀魚一匹は結構な量だ。
母にとって 朝シチュウで昼秋刀魚一匹はさすがに重かったのではないのかなぁ。うちだって最近秋刀魚一匹は出さない。
それと食後10分で排泄誘導したという。
若しかすると介助の時腹部を圧迫したかも知れないと担当した人は話しているということだった。
「家では 最低でも30分経過しないとトイレ介助はしないです」と伝えると「これまで 食事介助後のトイレ誘導に配慮していなくとも問題はなかった」という答えが返ってきた。
ま これも現場のやり方でお任せしているので仕方のないことだ。。
ただ そういう動きだと知った事は良かった。

母の顔色もよいのでこのまま預かって貰う事にした。
食事の調整は様子見でお任せとした。

明日は ちょこっと頼まれている事がありお昼までは電車で移動なのだ。「12時前に変化があったら12時に連絡を入れてください」とお願いした。
ショート先には 嘔吐止めと下剤とマグラックスとOS1ゼリーとアロマを持たせている。
それで対応して貰うようにお願いしてある。

さてどうなります事か…。

一旦家に戻る時ご近所さんと出逢った。
「お母さんお元気?」から始まり 先日出逢った時元気なのに驚いたと言われた。それくらいほんと復調していたのになぁ。

家でPC作業して夕方買い物に出た。
あれ以来 ショート先からの連絡はない。
最もナウゼリンの座薬を挿入しているせいもあるだろう。

時間が途切れて仕上げ損なっていたPC作業もようやく終えてホッとしている。
嘔吐時に「大」は出ていないので便秘による嘔吐とは考えにくい。
しかしなぁ。重たい食事はやっぱり避けるべきだな。
シチュウは母が好きなんだけれど 下すのが心配で極力避けていたのだが…慢心だったかな。反省しきりである。

昨夜 TBSのディグで大根仁さんが 尾崎寛の「アイラブユー」をいろいろの歌手のCDで聴かせてくれた。
格別の興味があった訳ではないのだが それぞれ特色があって面白く聴かせて貰った。
しかし時節柄 番組編成がチョコチョコと変化。
慣れ親しんだ番組や担当が変わり 今少し引き気味で視聴している。
耳に慣れるまでちょっと時間がかかるかもなぁ。


2011年10月07日(金) 母と息子


いつも母と同じ部屋で寝ているが昨夜は 弟に返上。
弟は介助する訳ではないが 見守り役をして貰った。
疲れて帰ってくるのだからパタンキューで寝るのだろうけれど…。

今朝 母の部屋に行くと弟は布団の中でうつらうつら。
母はしっかり目覚めていて…弟は布団の中からベットの母を見守っていたようだった。
立位介助から着替えまでの様子を弟は見ていた。
その後トイレ誘導する頃には 弟も起き出して洗面したり 電話連絡したりしていた。

食事介助を始めるとその様子もみていた。
食事が済んでデイの連絡帳記入のため弟に見守りを頼んだ。
いつも母の隣に座る弟。今朝もそうだった。
母は左を向いている事が多い。
右側に弟が座ったので「正面に座ってよ」とお願いした。
正面に座った弟「何だか照れるなぁ」と言っていた。
初期の頃の母には 何かと腹を立てて遠ざかっていたのだからそれを思えば随分と進歩したものだと思う。

母は母で 息子と認識できているようだった。
「あの人は誰?」と聞けばじっと見つめてニコニコ。
「〇△だね」と言えば ふかぁく頷きニコニコ。
ずっと記憶に残る事はないだろうが 瞬間でも喜べるならそれでよい。

母がデイに出かける時「手伝うよ」と言った弟だが 既に玄関へ移動した後で立位介助している時なので「大丈夫」と言ってしまった。
多少手間でも 手伝ってもらった方がよかったんだね。
いつも人の手を当てにしないで淡々と介助しているのでついついマイペースとなってしまう。というか 1人の方が実は面倒がなかったりする。
何れ介助の助っ人も必要になるのだろうから これからは手伝ってもらうように心がけてみるか。

息子に見送られて母はデイへと出かけた。
と弟が「施設の車じゃないの?」と聞いてきた。
何の事かと思ったら 以前入所していた施設へ行くのだと思っていたらしい。「あそこはね デイはやってないのよ」と言うと「ふうん」
実は 極初期の頃弟を連れて今日のデイサービスの施設近くまで行った事があるので そこのデイだと伝えた。
あの頃 母の1日を知って欲しくて連れて出たのだが 弟から「何で俺がそんなところまで行かなくては行けないのか」と強いブーイングを浴びたのだった。

母への接し方もかなりのブーイングを浴びていた。
でも今回も「あなただから 此処まで母が過ごせているのだ」と言われたし「数年前とそう変わっていないし 表情もしっかりしているね」と言っていた。ようやく そういう事まで理解できるようになったのだなぁ。
「私の対応よりも 母の踏ん張りがあるから今があるんだよ。お母さん必死に頑張っているんだよ」と伝えたがそこまで理解できているかどうか…。
夫に言わせれば「不出来な息子がいるからまだまだ死ねないんだよ」という事になるのだが…。

母を見送った弟は 夫の会社に挨拶に向かった。
滞在中 夫にお礼を伝える時間がなくて気にしていたようだった。

夕方母はデイより帰宅。
落ち着いて帰宅だ。笑顔も出ていた。
直ぐにトイレ誘導して「大」排出。
それから果物と水分補給。
弟のことを聞いてみたが反応が薄かった。
「忘れた?」と聞くと頷いていた。

程なく夕食。
クリームシチュウと人参しりしりとお豆腐。
普段の量だが 30分で食べ終えた。
シチュウに入れた南瓜やジャガイモがとけていたせいで早く食べ終えたような気がする。

食後はいつも通りの順序と時間で就寝とする。
涼しくなってからの母は あくびをしても直ぐに眠るとは限らなくなった。
「眠る?」と聞けば頷くので横になりたいのだろうと思うが布団の中で目をパッチリ開きじっとしている。
夏までは 「大型たらこちゃん」が見守り役立ったが 涼しくなってからは「どーもくん」へと替えた。毎晩「どうもくん」に見守られている。

就寝後のトイレ誘導も順調 気になるような症状もない。


2011年10月06日(木) 明日朝には…


 夫はいつも通りに出勤。
その後弟が起き出す。

起きた後の携帯での調整・連絡が半端でなかった。
夫もそうなのかもしれないが 会社は別の場所にあるので見えないだけなのかもしれない。
この時代PCだろうと思うが 出来ない訳ではないようだが得意としていないようだ。

夜までいる予定と聞いていたが これから先に関わる所もみておきたいからと午前中のうちに出て行った。
正直 其の方が助かる。

後は此方のペースでPC作業。
適当なところで切り上げて夕食の支度。

夕方 母 ショートより帰宅。
明日1日は 通常の暮らし。デイに出かける。
そして翌土曜日再びショートへ。
こういう飛び石のショートを入れると母が疲れるから…とケアマネやショート先から言われる。
私の感覚と違う所なのだが…。

ショート先の配慮で今日は身ひとつで帰る予定。
衣類等はショート先で預かってくれるという。

帰宅した時の母は無表情に近かった。
けれど しばらくすると笑顔が戻り言葉もポツポツ。
ショート中入浴がなかったとのことで水分補給しておやつを食べて貰いトイレ誘導後入浴して貰った。
今日は 気温も少し上がって気持ち良さそうだった。

足の運びはあまり良くないが歩けない訳ではなかった。

湯上り後 食卓テーブルにて休息。
程なく夕食。
よく食べた。
帰宅後のトイレ誘導で「大」の量が少なめだったので夕食には牛乳も加えた。定量を定時間で食べ終えた。

食事中 食後母は声を出してよく笑った。
夫が帰宅して顔を合わせても 軽く頭を下げてよく笑った。
普段 夕方は疲れていることがおおいのだが…。

口腔ケア後急にあくびを連発。
トイレ誘導後母の部屋へ移動。
食後1時間ガ過ぎたのを確認して就寝。
直ぐにzzz。

就寝後のトイレ誘導も順調。
今 弟より電話が入り今晩もお宿提供となる。
明日朝 久しぶりに息子と対面。




2011年10月05日(水) HCRと思わぬ泊り客


朝からHCRに出かけた。
HCRの会場は広く 全てを廻るにはかなり時間がかかる。
昨年時間切れとなったので今年は早めに家を出た。
地域の介護仲間と連れ立って…。

情報と機器に触れてみておく事が最大の目的。

お目当ての所が出展していなくて残念だったということもある。
後で直接…という事にした。

夕方近く会場を出て家路に着いた。
家に戻ると弟から着信があり連絡を取った。
此方に来ている様で 今晩泊めて…とのこと。
仕事を終えて家に着いたのは午前2時過ぎ。
かぎを開けて置くから勝手に入って…と伝えていた。
勿論夫にも伝えていたのだが…「おい かぎがガチャって言った」と夫が騒ぎ 起きるつもりもなかったのに起きる羽目に…。

すぐ様寝たけれど…。

3日ほど泊まる事になるかも…。


2011年10月04日(火) 続パタパタ


母をショートステイに送り出す。
午前中は こちらから依頼する仕事がありメールで送信。
実は 少しでも早く片付けたくて深夜に添付ファイルをつけて送信したがエラーで戻ってきてた。
それで午前中の仕事なった。
今日のPCは重くなかなか動いてくれない。

ノートPCを使ってようやく送信できた。
その間に午後の介護者の会の時間が近くなり 出かける寸前に確認のメールが入る。安全のため携帯にも着信履歴があり折り返し電話。
その間にケアマネから次のショートの連絡等があり大慌て。

介護者の会のお手伝いも今日は少ないので会場準備のため早めに行かなければならない。
受話器を置いて直ぐ会場に走った。

すると…会のボランティアをしてくださる方が見えて助かった。

会も終わって帰ろうとしたらあるイヴェントの協力金を持って仲間が見え少しお話をした。
「いつもご苦労様」と珈琲セットを仲間2人でご馳走になった。
仲間2人とも在宅で看取られた方で 家族の事もあれこれと話題に上り話が尽きない。出来れば もう暫く話し込みたかったが夜の顔合わせ会が予定されていてもうぎりぎりの時間となり 皆と別れて家に戻った。

出掛けに慌てたせいで 生協の注文書を出し忘れて配送品が積みあがっていた。支度をして出かけようとすると生協から注文確認の電話が入りまた慌てた。

何とか電車に飛び乗って会場へと向かう。
30分遅刻。
交流会には大勢の人が参加していた。
介護関係者 施設関係者 サービス提供事業所の人 癒しの事業者 看護関連の人たち 介護系の学生さんと先生や活動を支える一般の人等である。

交流会のあと親睦会となりついさっき帰宅した。

久しぶりに出会う人もいて 話も細かい所であれこれ盛り上がる。

私自身 母の介護の事で考える事も多かったが 介護者の会の集まり後での介護仲間との話や親睦会での臨床心理士との話等このままでいいんだなと裏打ちできた事が何よりの収穫だ。
医師の話専門家の話は確かに必要だが 介護者としての想いや勘や気持…これらは仲間との情報交換が一番。
いいとか悪いとか正しいとか…そういった事で区切って行くのではない。

少し疲れたが 刺激のある1日だった。
明日は 介護仲間と福祉機器展まで出かける予定。


2011年10月03日(月) いい調子♪


風の冷たい朝だった。
この時期に「寒い」と言っては冬に申し訳ないような気がする。
布団の中の母 手足がぬくぬくとしていた。

一足先に起きて朝食の仕度。
熱い汁物やお茶を飲み頃にしておきたい。

朝の一連の介助を終えてテーブルへ移動。
母はニコニコ笑顔だった。
食事も終えて 顔を拭いて玄関へ移動しようと立位介助をした時「いちばん…」とはっきり言った。
「ん いちばんね」と答えると同時に泣き出した。
どうしたんだろう。言いたいと思ったことと違う言葉が出たからだろうか?
それともいちばんに深い意味があったのだろうか?
不明のままだ。

デイの迎えの車が来て デイへとおでかけ。

それからご近所さんから頂いたおたよりに急ぎ返事を書く。
この所 手書きのお便りを書く機会が激減していて漢字も時折確かめなくてはならない。

それからPC作業。
いつもは エンジンがかかるまで時間がかかるのだが 今日はなぜかスタートダッシュがいい感じ。
半分まで仕上げて昼食タイム。
午後は買い物に出た。
たいした買い物ではないのだが…。
久しぶりに地域の農家の出す市に足を運んで見た。
野菜は殆どなくなっていて 栗が4袋ほど。
「どうしようかな」と迷っているうちに 次々手が伸びて数秒で栗は人の手に…。購入するものがないので諦めた。

家に戻って夕食の支度をする。
温かい具沢山の汁物にした。

母の帰る頃だなと外に出て駐車スペースのシャッターを上げていると町内会の会長さんがみえた。
顔をみて「しまった」と思った。
頼まれていることがありまだ手付かずだったのだ。
失礼を詫びて あとで届けることにした。

母が帰ってきてトイレ誘導し「大」排出。
それから果物を食べて貰いながら配膳の準備。
程なく夕食。
今日もしっかり良いペースで食べ終えた。

眠そうにあくびぱくぱくの母の隣で洗濯物を畳み その後就寝。
それから大急ぎでPC作業してとりあえず仕上げた。
これを拡大コピーする必要がある。
いつもなら夫の会社のコピー機で拡大コピーするのだが 今回は間に合わないのでコンビニに走ってようやく完成。

9時過ぎようやく夕食に。
夫も帰宅したので今日は孤食ではない。

後片付けを済ませて母のトイレ誘導。
パキッと目覚めてニコッと笑ってしきりに話をする。
いい夢でもみていたのだろうか?

また気温が下がってきた。
最低気温の更新が続くのだろうなぁ。


2011年10月02日(日) 食欲の秋


お休みモードの起床。
着替えてトイレ誘導等母のペースに合わせて進行。
着替えの時には パジャマの袖の最後の時には自分で腕を抜いた。
ブラウスも袖を通す時には 自分の腕を動かして協力してくれた。
どれも涼しくなってきて自力のアクションが復活している。
1人で脱ぎ着出来る訳ではないのだが それでも自力の復活と見たい。

歩行も両足を交互に出す。
これも私には助かる。

自力の動作が見られる時には 即「ありがとう」「頑張っているね」「偉いよ」と言葉にする。
すると母は「ふふふ」とか「うん」とか返事してくれる。
健康な者にはたいした事ではないのだが 母に残っている力を振り絞っていてくれると思うと心底そう感じる。
母も頑張っているという意識があると常々感じている。
以前「褒められる事なくなっているから 嬉しい」と言っていたことが記憶に残っているからそうしている。

時には介護仲間から聞いた「腰が痛くなるから立ってね」「歩いてね」と呼びかけたら協力してくれたのよ」という話もヒントになり「歩いてぇ」「たってぇ」と呼びかけてもいる。

食事の時にも「ご飯ですよ」「ジャガイモですよ」「お肉ですよ」と説明しながら口に運ぶとあんぐりと口を開けてくれるのだ。

一方的に近い呼びかけになるが つどつど反応するので伝わっていると思える。

少し咳がでるようになってきている。
大概 身体を動かす時が多い。
トイレサインか立位時である。
暫く様子見である。

今日は 夕食前入浴介助。
昨日は簡略入浴だったが今日はしっかり頭髪や身体を洗い湯船に浸かって貰った。
洗髪も嫌がらなくなってきている。
お湯で洗い流す時には頭を下げて時に手で耳や顔を覆い防御態勢をとる。施設にいる時にはどうしてあんなに嫌がったのだろう。

夕食も順調に食べ終えた。
控えめな食事の量だったが どうも母は「足りない」と言っている様な気がする。おやつの果物も復活しているし今日はスイートポテトも追加。 食後のフルーツゼリーも復活している。水分摂取はいつも通りだ。
お粥さんの量も増えてきた。

夜間のトイレ誘導時の「小」も順調。
トイレサインも健在。
今日は眠いが先のようだが 歩行は協力して貰えた。
夜も更けて行くにつれて 気温も下がってきているみたいだ。
朝は冷えるのだろう。
着るもの 朝に再調整かもなあ。


2011年10月01日(土) 待合室にて…


 昨夜 就寝して1時間余ベット上でモソモソとしていた。
数分ごとにそばに行って見るが そのつど上掛けを剥いでいるので掛けなおしていた。
ふと「トイレか」と思い誘導したらパットが重く「小」も出た。
トイレ誘導して出たのを確認しているので「でない」と決め込んでしまっていた。
むむ 悪い事をしちゃった。

 今朝は休日モードで起床してもらう。
目を瞑ってじっとしていたが 椅子に移乗して着替えを始めたら「うふふ」と笑う。

今日は 通院予定。
娘も通院予定で来ているので 午前中のうちに母の通院のため車を出して貰った。
診療所はやや混んでおり 暫く待った。
隣に座ったご婦人が 母と私のやり取りを聞いていた様で…。
「優しい話し方ですね。自分の親をそれほど優しく看なかったと思い出して涙が零れます」と声を詰まらせて話しかけてきた。
極々普通の母との会話なのだが…。
何だか悪い事をしてしまったような気がした。
「いえいえ きっと短い期間の介護だったのでしょう。私も始めの頃は違いましたよ。介護が長くなると誰だってそうできるものですよ。修正できなかった分お辛いですね」と返事した。
それから 少しお話をして…。
そのうちに名前を呼ばれたので 先に診察室に入った。

特に問題はなく 診察は終了。
その後 買い物。
お店の中を歩いていると母の表情が活き活きしている。
外の刺激に反応している。
ゆったり買い物にお付き合いは 久しぶりだからなぁ。
この季節外出しやすいので少し踏ん張ってみるかなぁ。

買い物を済ませて家に戻った。
お昼の食事介助は娘がしてくれた。暑い盛り びくびくと介助していていた事を思い出して「はやいね」「良く噛むね」と驚いていた。
母の踏ん張りで無事夏を越えて感謝感謝。

夕方 娘は通院。
朝に行けば早かったのだろうが 午後になってしまい予約をしているにも関わらず1時間以上待ってようやく診察となったようだ。
母優先としてくれたので悪かったなと思う。

夕食順調。
先日北海道の友人が秋の野菜をどっさりこと送ってきてくれた。
其の中の白い細長いなすをオイルでソテーした。
友人の説明の通り 熱を加えたらトロトロになって母が美味しそうに食べてくれた。ジャガイモもそうだが母にありがたい野菜だった。

食後目がパッチリ。昨日と同じ感じ。
それでいつもより少し遅くまでおきてて貰ってトイレ誘導を済ませてベット移乗した。
穏やかな眠りに入った。

就寝後2度目のトイレ誘導の時布団を剥いだら「ここさ すんな」と足を擦った。足が出たことの抗議だろう。
「ごめんごめん」と謝った。
母の目がパッチリと開いて 誘導も楽になった。
勿論「小」排出。
ベットに戻れば 直ぐにzzz。


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